2018年02月22日

椎名誠さんの「(死への)憧れと怖さ」に共感する

すこしまえの朝日新聞で、
椎名誠さんのひととなりが連載されていた。
14回目の最終回では、老いについてかたっている。
体は昔から健康優良児で頑健、それだけに肉体の衰えはつらい。わびしいですね。階段を上がるときも「よいしょ」とか言っちゃう。

死は怖いか?正直いいますが憧れと怖さが半分ずつですね。面倒くさいことがある日の前夜は目が覚めなくてもいいと思いますしね。

わたしはまだ50代で、椎名さんとは17歳はなれているけど、
「目が覚めなくてもいい」気もちはよくわかる。
胃がいたかったり、ひどいふつかよいだったり、
なんだかんだと体調がすぐれないときなど、
いや、そんなたいそうな症状でなくても、
たべすぎてくるしい、肩のいたみがわずらわしいとき、
もうこのまま死んでもいいか、とおもうことがある。
歯周病や前立腺癌、脳梗塞に高血圧など、
歳をとると病気にかかるリスクがたかくなる。
それらにおびえながら生きるより、
はっきり「余命半年」といわれたら、
がっかりするだけでなく、まえむきにうけとめる気もちが
すこしまざるような気がする。
もちろんいつもそんな気分なわけではないけど、
ときどき、たしかになにもかもがめんどくさい。
きっと、こころがよわいのだろう。
はやく死にたいわけではないけど、
かといって ながいきをそれほどねがってはいない。

死ぬことがきまったら、まだうごけるうちに、
お金をかきあつめて、気ままに旅行するのが
わたしの「死ぬまでにやっておきたい10のこと」の
トップバッターにひかえている。
町内会の仕事や、母親の世話など、
いくつかのしがらみがあるけれど、
余命がはっきりしている病人となれば、
たいていの要求はかなえてもらえるだろう。

死がちかづいてくるときは、
からだぜんたいが しだいにおとろえるとしたら、
いたみやくるしみさえなければ、
おだやかなさいごにならないだろうか。
土地の名物料理をまえに、たべられなくてくやしい、
とかはあんがいなくて、
もうなにもごちそうはいりません、
という枯れた心境にたどりついているのでは。
やりたいことを たとえやりつくしていなくても、
それはそれで、いい人生だったとうけとめられる気がする。
◯◯しておけばよかった、とおもうだけのげんきが
死ぬまえは すでにないので、きっとおだやかにむこうへいける。

posted by カルピス at 21:52 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

もっといい加減に巡礼をきめてもいいのでは

せんじつの記事に、しりあいの女性が
サンチャゴ=デ=コンポステーラ巡礼にでかける、とかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/456796096.html?1519217268
あれからときどき、なぜわたしは
彼女といっしょにいこうとしないのかをかんがえる。
わたしはほんとうにサンチャゴ巡礼をする気があるのか。

このはなしがでたあつまりに、わたしの職場の理事長もいて、
わたしがむすこへのしおくりを理由に
「いまはまだいけない」というと
「お金なら法人からかしますよ」と
わたしをたきつけた。
従業員があそびで巡礼へいくお金をかしてくれるなんて、
ありえないほど すばらしい職場であり理事長だ。
わたしが巡礼であるいている2ヶ月のあいだ、
職場はひとのやりくりにこまるだろうに、
ためらいなくそんな提案をしてくれる。
理事長は冗談でいっているのではなく、
わたしが「じゃあお金をかしてください」といえば、
すんなりとおるのはわかっていた。

100マイルマラソンに出場するとか
北極点をめざそうという場合は、
長期計画が必要だろうけど、
巡礼の旅ぐらいなら、いきおいでやったほうがいいのでは。
友人がいくといったら、「じゃ、おれも」、
というのりのほうが ただしいこころがまえであり、
かんがえないぶん 実行にうつしやすい。
何年も準備をして、お金をためて、装備をそろえて、
なんてやっていると、どうでもいい欲がいろいろくっついてきて
じっさいのうごきがにぶくなる。
すこしまえの今日のダーリンに、糸井さんが
(まえは)なんかの関係だとか仕事だとか用事だとかの境目が、
もっといい加減だったなぁとつくづく思います。

とかいている。
ここは由布院です。
(中略)なにかのときに「じゃ、ぼくも行きます」と言って、
それが本当になってしまったのです。
昔はよくこういうことがあったなぁと思い出します。
中国に行ったのも、北極圏に行ったのも、こんな感じ。

なんだかんだと いきにくい理由をかんがえていると、
からだはどんどん歳をとっていくし、
親の介護が必要となり、2ヶ月も家をあけられなくなるかもしれない。
いちばんうごきやすいのは「いま」なのだ。
機が熟すのをまつ、というかんがえ方もあるわけだけど、
「仕事だとか用事だとかの境目が、もっといい加減」
でもいいわけで、
この意味を、職場の理事長は ただしく理解している。
とはいえ、やっぱりおれ、いきます、とは
いまさらいいにくいなー。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月20日

「観たぞ、平昌オリンピック」への報告「歯ブラシを持ってきてくれる旦那」

ほぼ日のサイト、「観たぞ、平昌オリンピック」が
いつもながらもりあがっている。
http://www.1101.com/pyeongchang2018/2018-02-19.html
オリンピックをテレビでたのしみながら、
細かい発見や豆情報やただの思いつきや
ほとばしる熱い思いなどを即座に投稿し、
みんなでわいわい共有しよう、
というほぼ日の名物コンテンツ

にわかにファンとなり、あついおもいで応援をおくるひとたちが、
気づいたこと・おどろいとことを「観たぞ」におくってくる。
2004年のアテネオリンピックからという、ながい歴史のなかで、
「観たぞ」ならではの価値観が共有されるようになった。
「歯ブラシを持ってきてくれる旦那」もそのひとつで、
そんな旦那がいたらなー、というねがいや、
自分の家ではこうだという報告がときどきよせられる。
永田さん聞いてください!
二回前の夏オリンピックあたりからの
観たぞファンですが、ずっと
「歯ブラシを持ってきてくれる旦那」
に憧れていました。
半年前に結婚し、旦那さんと暮らし始めました。
そしたら旦那さんが、
「歯みがきする人〜?」と聞いて
持ってきてくれるじゃありませんか歯ブラシを!
しかもほぼ毎日ですよ毎日!!
幸せです。えへへ。
結婚して初めてのオリンピック、楽しみます!
(マッケンロー)

この投稿にたいしての永田さんのコメントが、
たのしそうだなー。
ああ、このときが永く続きますように。 

だったのでおかしかった。
たしかに。
たのしそうなだけに、
そのしあわせがどれだけもろいかを
永田さんはしっている。
「永く続きますように」と、
ねがわずにおれないのだ。
いや、つづかないのをしっているからこそ
「続きますように」と永田さんはねがうのであり、
このしあわせは、もうじきおわるけど、
だからといってなにかをうらんだりしたらダメだよ、
という 永田さんからのメッセージがこめられている。

しあわせとはなにか。
歯ブラシをもってきてくれるのがしあわせなら、
ほかにもささやかな あれやこれやに
マッケンローさんはしあわせをかんじられるひとなのだろう。
グチをいうひとは、なんにでも文句をつける。
しあわせなひとは、しあわせをみつけるのがじょうずだ。

posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月19日

『本の雑誌 3月号』の特集「本屋さんになろう!」

『本の雑誌 3月号』の特集は、「本屋さんになろう!」。
本屋さんが消えていくと嘆くのならば、自分が本屋さんになればいいのだ!

たしかにそうだけど、いうまでもなく、
実行にうつすのは、なかなかたいへんそうだ。
特集には、これから本屋さんになりたいひとにむけて、
じっさいに本屋さんをはじめたひとのはなしがいくつかのっている。
もっとも、マニュアルではないので、
実例をいくつか紹介するだけにとどめてある。

那須ブックセンターをひらいた谷さんは、
とにかく普通の本屋をやろうと。特殊な店を作っても、一時的には流行っても結局あきられちゃうだろうしね。

といわれている。
このお店は、元コンビニだったたてものを、
本屋さんとしてつかっている。
コンビニくらいのひろさが、
あんがいてごろなのかもしれない。
けっこうな数を本をならべられるし、
ひろすぎてたいへんでもなさそうだ。
いなかのコンビニには、
駐車スペースがじゅうぶんに確保されているので、
本屋さんにぴったりにおもえてきた。

もうひとつの例として、奈良県の大和郡山市に
8坪ほどの本屋さんをひらいた砂川さんが とりあげられている。
「とほん」という名の、このお店のちかくには、
カフェや料理教室があり、
ぜんたいとして おもしろそうな一画となっている。
(とほんは)ゆったりとした陳列で、売場の3分の1程度は雑貨を並べています。在庫数は少ないので、目的の本を探すというよりは、並んでいる本の中から気になる本を見つけてもらえるよう心がけて選書しています。(中略)5年、10年かけても売りたいと思えるものを厳選することで、どの本も自信を持ってお客さまにお薦めできます。

「普通の本屋をやろう」という那須ブックセンターと、
「気になる本をみつけてもら」いたい、という とほん。
まったくちがうかんがえ方だけど、
お店の姿勢がはっきりしていれば、
その特徴をこのむお客さんが常連になってくれるのだろう。

わたしがすむ町に、本屋さんは たった4軒しかない。
このほかに、ブックオフが3店舗。
いごこちのいい居酒屋が 町には必要なように、
すきな本にであえる本屋さんが、身ぢかにあったほうがいい。
もっとたくさんの ふつうの本屋さんと、
もっとたくさんの 特徴のある本屋さん。
「本屋さんになろう!」は、
「本の雑誌」ならではの ストレートな特集であり、
おおくの反響があるようねがっている。

posted by カルピス at 22:43 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

『未来少年コナン』の影響で「おじい」「おとう」とよぶようになったむすこ

『鳩の撃退法』(佐藤正午)のはじまりは印象にのこる。
幸地家の幼い娘は父親のことをヒデヨシと呼んでいた。パパとかお父さんとかのかわりにヒデヨシ、漢字に書けば秀吉という父親の名前を呼び捨てにしたのである。

わたしのむすこは、わたしのことを「おとう」とよぶ。
母親は「おかあ」で、おじいさんは「おじい」。
保育園でほかの子どもたちが 親をどうよんでいるのか
そんなに注意してきいていたわけではないけど、
「おとう」「おかあ」はめずらしいのではないか。
「お父さん・お母さん」、あるいは
「パパ・ママ」がおおかったようにおもう。

これは、わたしがむすこに『未来少年コナン』をみせた影響だ。
コナンはおじいさんのことを「おじい」とよぶ。
コナンは ものごころがついたとき すでに両親がいなかったので、
「おとう」「おかあ」とくちにする場面はなかったけど、
おじいさんが「おじい」なら、そのながれで
お父さんは「おとう」、お母さんは「おかあ」になるだろう。
だれかがおしえたわけではないけど、おさなかったむすこは
コナンにならって わたしを「おとう」とよぶようになった。

親のよびかたは、いちどはじめると
あとからかえにくいもので、
二十歳になったむすこは いまでも「おとう」という。
「おとう」は わるくないよび方だ。
保育園児から大学生まで、はばひろくつかえるし、
第三者がいても、「おとう」と口にするのは はずかしくない。
保育園のときに「パパ」とかいってた子は、
おおきくなってから むりに「おやじ」なんて
なれないいいかたに かえなければならず、
苦労するのではないか。

親をどうよんだかが、その子の人生に、
どんな影響をあたえるのか しりたいところだ。
うまくいってる家族には、
よび方に 一定の法則があるのかもしれない。

ものすごく むりやりなはなしだけど、
ひごろの観察により、病院の名前は
「しみず」がいちばん ふさわしいという結論にいたった。
もちろん漢字で清水とかいてもいい。
小児科でも脳外科でも、動物病院でも産婦人科でも、
あらゆる病院に「しみず」はすんなりおさまる。
これが「よしだ」ではぜんぜんだめで、
ひらがなで3文字、漢字で2文字なのはおなじなのに、
耳できいたとき、目でとらえたときの説得力に おおきな差がある。
わたしがむかし「しみず医院」にお世話になったわけではないのに、
なぜこういうちがいがうまれるのか なぞにつつまれている。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

フロッグマン氏の初監督作品『最後の卒業式』

しばらくまえに、鷹の爪団がのっているポスターをみかけた。
島根県飯南町でフロッグマン氏による
トーク&初監督作品の上映がおこなわれるらしい。
飯南町は、わたしがすむ松江市から80キロ南にある。
広島県との県境の町で、おなじ島根県とはいえ、かなりとおい。
上映会の日がすぎてからおもいだし、
あーわすれてた、というのが わたしとしてはいちばんたすかるけど、
あいにくきのうおもいだしてしまった。
2月17日、つまり、上映会はきょうの午後おこなわれる。
12時から17時(ぐらい)の会なので、10時すぎに家を出発する。
鷹の爪の ファンでありつづけるのも なかなかたいへんだ。

きょうの企画は、フロッグマン氏ひとりをまねいての講演会ではなく、
飯南町文化協会設立10周年をいわう、
記念行事のひとつとしておこなわれている。

旧頓原小学校の校舎が、新築するにあたり とりこわしがきまった。
お世話になった学校を、歴史のある校舎だけでなく、
そこでまなんだ子どもたちとともに、生きた姿でのこしたいと
町のひとたちのあいだで 記録映画づくりのはなしがもちあがる。
そのときに、監督をたのまれたのがフロッグマン(小野りょう)氏だ。
フロッグマン氏は、映画『白い船』の製作担当だった縁で、
島根の女性と結婚し、奥さんの実家がある平田市でくらしていた。
まだフラッシュアニメによる「鷹の爪団」がつくられるまえのことで、
もともと映画監督をめざしていたフロッグマン氏は、
はじめての監督作品として、
この記録映画『最後の卒業式』にかかわることとなる。
いまから16年まえ、2002年のはなしだ。

記録映画として、『最後の卒業式』は、いい作品だとおもう。
学校が舞台なだけに、みるものを感動させるのは
わりかしかんたんそうだけど、
フロッグマン氏は、情緒にうったえるのではなく、
校舎の姿や学校の歴史を淡々とえがいており 好感がもてる。
鷹の爪のファンとしては、フロッグマン氏が
吉田くん・フィリップ、そして総統の声を
生できかせてくれたのが唯一の収穫だった。

こんな企画がなければ、
わざわざ飯南町まで車をはしらせたりしない。
先週つもった雪が まだ道路わきにのこっていて、
飯南町につかづくにつれて迫力のある風景になってくる。
まるでスキー場にきたみたいだ。
松江・尾道間の高速道路が無料区間となっているので、
飯南町をとおる国道54号線はすごくすいていた。
飯南町がさびれるのを心配するひともいるけど、
ひとがこないのを逆にアピールすれば、と
フロッグマン氏はあかるいみかたをしていた。
鷹の爪がらみで しらない町にこれたのは
出不精のわたしにとってたのしい体験となった。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | 鷹の爪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

『監督たちの流儀』(西部謙司) リスクをおかすジェフ千葉のサッカーがみたくなった

『監督たちの流儀』(西部謙司・内外出版社)
ジェフユナイテッド千葉に初のアルゼンチン人監督がやって来た。そして、まもなく食事のメニューからカレーが消えた。

この本は、「はじまり」がなく、
いきなり「きえたカレー」のはなしでスタートする。
最高の「つかみ」が みごとにわたしの好奇心をとらえ、
そのさきがすぐにしりたくなる。
いったい、この監督はなにをかんがえているのだろう。

この本は、いくつかのテーマにそって、
典型的な例となる監督が分析されている。
いつもながら西部さんは文章がたくみなので、
すこしよみはじめると、
あとは一気におしまいまでページをめくる。
章だては、以下のとおり。

・信念を貫くということ
・天才選手は天才監督になりえるか
・長期化する創業者
・継承力
・リアリストの見る夢
・長期的戦略と監督えらび
 (日本代表監督の場合)

カレーをメニューからけしたのは、
ジェフユナイテッド千葉のファン=エスナイデル監督だ。
西部さんによると、この監督は、
ディフェンスラインをものすごくたかく設定するので、
ゴールキーパーは広大なスペースをカバーする必要があり、
どうしても点をいれられやすくなる。
しかし、「信念を貫く」この監督は、
自分のサッカーをやるかぎりにおいて、
必要なリスクをおかすのにためらいがない。
むしろエスナイデルの態度で目立ったのは、”このサッカーをやる限りこのリスクは受け入れなければならない”というものだった。例えば、GK(ゴールキーパー)が前進しているためにガラ空きになっているゴールにロングシュートを決められても、それはコストである。

わたしがすきだった元日本代表監督のオシムさんも、
リスクのはなしをよくしていた。
リスクをおかさないサッカーはうつくしくない、
というかんがえ方で、
ひいてまもってカウンターねらいのサッカーよりも
はるかに魅力がある。

西部さんの豊富なひきだしをもってすれば、
この本をかくのはたやすかったにちがいない。
監督たちの戦術を、ただ紹介するだけでは
ほかの本とおなじになるところを、
西部さんはカレーのはなしからはじめたりする。
なによりも西部さんがすぐれているのは、
大量のデーターを、きれいに整理するちからではないか。
サッカーのながい歴史において、
有名な戦術と選手が、これまでにたくさんうまれている。
それらを本のテーマにそってわかりやすく説明し、
特徴をときあかしてくれるのが西部さんのサッカー本だ。
比喩がうまく、うつくしくたくみな文章に、分析力。
おもしろそうな企画を、これらのちからで料理するのだから、
西部さんの本は、どれもよまずにおれなくなる。
この本もまた、期待をうらぎらなかった。
守備ラインをありえないほとだたかくあげる
ジェフユナイテッド千葉のサッカーをみてみたい。

リアリストであるとともに、ロマンチストでもある監督が、
本書には何人も登場する。
つよいだけがチームの魅力なのではなく、
リスクをおかしてゴールをめざすサッカーがわたしはすきなので、
なおさら本書はわたしのこころをとらえた。
川崎フロンターレのサッカーをつくった風間監督が、
名古屋グランパスの監督としてJ1リーグにかえってくるし、
浦和と広島で独特のスタイルをひろめたペトロビッチ監督も、
コンサドーレ札幌の監督として指揮をとる。
今シーズンのJリーグ、そしてWカップがたのしみになる。

posted by カルピス at 21:29 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

プチもようがえでレコードが陽の目をみる

寝室につかっている部屋がごちゃごちゃで、
まるであたまのわるい高校生の部屋みたいだ。
乱雑でおちつかないので、もようがえする。
もともと3畳しかない、かくれがみたいなせまい部屋だ
50代の中年男性がねる部屋にしては、あまりにも不適切とおもう。
本棚をとなりのなんちゃって書斎にうつし、
ベッドのまわりには、できるだけものをおかないようにする。
たいしたもようがえではないけれど、
3時間くらいかかり、つかれはてた。
ひとつの部屋だけでこうなのだから、
ひっこしなんて絶対にしたくない。

3日ほどつかってみて、
もようがえがどうやら成功したのではないか。
部屋がおちついてくると本をよんでいても、
内容が頭にはいりやすい。
寝酒をのみながらレコードをきくのも
むりやり感がなく、自然な音楽鑑賞といえる。
ゆうべはディープ=パープルのベストアルバムをきいた。
王様が直訳ロックとしてうたっている曲が
このアルバムにもいくつかおさめられている。
意味を理解しながら外国のロックをきけるのはたのしい。
おどろおどろしくうたってるけど、
じゃあ内容は?というと、
たいしたことないのをしっているので安心する。

ディープ=パープルをうたったアルバムは深紫伝説。
そのなかの「ハイウェイ・スター」は高速道路の星だ。
https://www.youtube.com/watch?v=AJmnOgin08c
俺の車にゃ誰も乗れぬ
命がけのレース
俺の車にゃ誰も勝てぬ
凄いスピードを出す
う〜む最高!
言うことなしだぜ
こりゃパワーもあるし
タイヤも太いし全部ある

なんねんかまえのこのブログに、王様のライブをみた体験をかいた。
福祉関係のバザーになぜか王様がよばれており
(もう20年くらいまえだ。しかも2年連続)、
「王様」としかいいようのないコスチュームと、
日本語だけの直訳ロックにわらい、
でもギターのうまさと、
たのしくてしょうがないという王様の表情に
わたしはごきげんになった。
なさけない衣装に身をくるみながらも、
このひとはサイコーにたのしく生きている。
かっこいいとは、こういうことなのだ。
いまあらためてユーチューブをみてみると、
めちゃくちゃギターが達者だ(ようにみえる)。
本家よりもうまいのではないか。
ディープ・パープルとは関係ないけど、
「ジャンプ」という曲の直訳が
「ぴょん」というのにわらった。

もようがえになじめなかったのがネコのピピで、
この3日間は、夜になってもわたしのベッドにこない。
おしっこの被害におびえなくてもいいけど、
いざピピがあまえてくれないとさみしい。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

エバーノートのinboxがカオスだ

エバーノートの inbox を、1年以上ほったらかしたままだ。
あたらしくノートをつくったときは、
いったん inbox におさめておいて、
定期的にそれらをノートブックにふりわけるのが、
エバーノートのつかい方としてすすめられている。
わたしの場合、ノートをノートブックにうつすと
それで安心してしまい、本格的な活用にまでたどりつけない。
分類するのがエバーノートをつかう目的ではないと、
混沌となった inbox 内のノートを気にしないでいたら、
いまや980のノートがinboxにおさまっている。
全体のほぼ1割だ。
分類が目的ではないとはいえ、
異質なものをくみあわせようにも、
inboxがお蔵のようになっており、
ふるいノートがなかなか陽の目をみない。

もうめんどくさいから、このままいこうとおもう。
そうなると、いったんふるいノートにうもれてしまうと、
記憶をたよりにはひっぱりだせないので、
検索にたよる必要がある。
タグはどうもうまくつかいこなせないのがわかった。

なにかのひょうしに、まえのノートをみなおすと、
すっかり内容をわすれているものもあり、
はじめてよむみたいにたのしめる。
『パルプ・フィクション』とかいたノートには、
有名なセリフがペーストされていた。
俺の家の前に”ニガーの死体預かります”って看板が出てたか?
出てないよな?
何で俺の家の前に”ニガーの死体預かります”って看板が出てなかったと思う?
俺の家じゃ、ニガーの死体は預からねえからだ!!

ノートにとっておこうとおもったぐらいだから、
ノートにとったことはわすれているのに、
いまのわたしがよんでも 新鮮にわらえる。
なんどよんでもおかしい。
ノートの存在をわすれていたので、
「なんどよんでも」はただしくない表現か。
はじめてよむようなものだ。

うえにあげたセリフは、ジミー役のタランティーノ監督が、
ギャングふたりをしかりつけている場面だ。
ジミーはかたぎの一般市民なのに、ふるい友だちとはいえ、
殺人をなんともおもっていないギャングにむかい、
一般常識をふりかざしながら まじめにおこっている。
それもこれも、彼は奥さんの機嫌をそこねたくないからだ。
気がつよいのかよわいのか、わかりにくいところがおかしい。

このノートを、なにかほかのノートと
くみあわせる日がおとずれるだろうか。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

「調子にのれるときは 調子にのっておけばいい」三森さんの肯定がここちよい

火曜日から木曜日までのゆうがたパラダイス
(NHK-FM)をたのしみにきいている
(月曜は、さすがについていけなくなった)。
きょうの担当は、声優の三森すずこさん。
みもりん鬼にしかってもらうコーナーで、
「パチンコでたまたまかったり、
 女の子としたしくなれたりと、
 いいことばかりがつづき、調子にのっています。
 こんなふうに調子にのってると、
 もうじきいたい目にあいそうなので、
 みもりんにいましめの喝をいれてほしい」
とリスナーからメールがとどいた。

三森さんは、
「いーんじゃないですか。
 いいことがつづいたとき調子にのったって。
 でないと、いつ調子にのるんだっておもうし」
みたいな感想をのべている。
調子にのってもいい、という
三森さんの肯定がわたしを安心させる。

でも、わたしはこのリスナーとは反対に、
このごろ ろくでもないことばかりつづいている。
たとえばアップルから身におぼえのない領収書が
メールでおくられてきたり、
5000円札だとおもって1万円札をだしたら、
すんなり5000円としてうけとられたり、
職場の車にキズをつけてしまったり。
こんなときにがっくりこないで、
いつがっくりするんだ、というぐらいひどい。
あいかわらず左肩がいたくて たのしくはしれないし、
ピピといっしょにねると
たかい確率でパジャマにおしっこをつけられる。
胃の調子がわるく、コーヒーをのむと胃がいたくなる。
いまのうちにしっかりおちこんでおいたら、
もうじき復活のきざしをよびこめるだろうか。

わたしがいまよんでいる『永遠の1/2』(佐藤正午・集英社)は、
「失業したとたんにツキがまわってきた」
というかきだしではじまっている。
この主人公の場合、婚約者に理由もなくわかればなしをきりだされても
ぼくは、一年近く続いた女との関係をたったの二時間で精算できたことになる。

と解釈するぐらいだから、
まえむきというよりも、ちがった意味で計算だかい。
「しかし一年つづいたということは」ぼくは考え考え反論した。「少なくとも五十回は寝た勘定になる。それは判るな?」
「わかるさ。すくなくとも五十回のファックだろが」(中略)
「じゃあ訊くけど、五十回ファックした女とそのうえ結婚したいと思うか?」

こんな暴論に、ふかくうなずいたりするから
わたしのツキがにげてしまったのだろうか。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする