2024年06月23日

新潮社は奥づけを西暦表示に

『ガラスの街』(ポール=オースター・柴田元幸:訳)をよみおえる。
「よんだ」記録として、Scraobox(現Cosense)に奥づけをかきこむ。
奥づけをかきうつすようになったのは、
梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』におしえられた習慣だ。
梅棹さんは、本をよみおえると、
「著者名、署名、発行年月、出版社、ページ数などを型どおりに記入」
されている。
かきこむのは、もちろん京大型カードをつかわれている。
発行年月や出版社は、最終ページの奥づけをみればいい。
一冊の本をぜんぶよみおえ、奥づけをかきうつすのは、
ひとつの仕事をおえたようで、ささやかな快感がある。

『ガラスの街』は新潮社から出版されており、
問題は、新潮社が、なぜか発行年月に元号をつかっている点にある。
わたしがよんだ『ガラスの街』は、
平成二十五年九月一日発行
令和四年十一月十五日七刷
とある。
年号のままでは、ほかの本の記録と情報がそろわないので、
早見表を参考に、平成と令和の年月を、
それぞれ西暦になおさなければならない。
まったくよけいなひと手間だ。
昭和・平成・令和と、3つの年号をまたぐ本だってあるだろうに、
西暦をつかわないことで、いったいどんなメリットがあるのだろう。

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2024年05月06日

『オッペンハイマー』

『オッペンハイマー』
(クリストファー=ノーラン:監督・2023年・アメリカ)

3時間ちかくのながい作品にもかかわらず、
とちゅうだれることなく、ずっと集中してたのしめた。
原爆が完成し、実験が成功してめでたしめでたし、
かとおもっていたけど、そこからさきもみごたえがある。
マンハッタン計画は、オッペンハイマーと
アインシュタインとの会話からはじまっていた、という伏線が、
映画のおわりでみごとに回収される。
第二次世界大戦ちゅうという当時は、
ドイツ・アメリカ、そしてソ連がからむややこしい状況にあり、
原爆というモンスターを異例のスピードで生みだした。

それにしても、最終的におこなわれた
原爆の爆破実験のようすはすさまじかった。
加速度的にふくらんでいく巨大な炎と、
コントロールのきかなない圧倒的なエネルギー。
あの炎のしたに、広島、そして長崎のひとびとがいたのだ。
手にしてはならないちからを、人類はつくりあげてしまった。


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2024年04月14日

成瀬が本屋大賞を受賞する

成瀬が本屋大賞を受賞する。
もちろんただしくは単行本としての
『成瀬は天下を取りにいく』が受賞したのだけど、
成瀬ファンにとっては、じっさいに存在する成瀬が
賞をうけたようにおもえる。

本屋さんへいくと、本屋大賞関連の棚がもうけられ、
成瀬の2冊が山づみになっている。
まえの記事にもかいたけれど、
ざしきわらしさんの挿画がすばらしい。
本のうれゆきのいくらかは、表紙の効果なのでは。
『成天」のとき、成瀬はまだ中学2年生だ。
鼻に手をあて、キリッと前をみる成瀬のまなざしは、
すこし狂気をかんじさせる。
好奇心だけでは一夏を西武百貨店にささげられない。
いっぽう『成信』の成瀬は、おちつきはらい、
すずしげな目をしている。

成瀬あかりは、自分が本屋大賞を受賞したことについて、
どんなコメントをのこすだろう。
関係者の協力に感謝するか、
それともまったく意にかんせずの態度をとるか。
この受賞で、おおはばに増販がかさねられ、
さらに成瀬ファンがふえていくにちがいない。
わたしから、とおい存在になっていきそうで、
すこしさみしい気もする。

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2024年03月24日

『パーフェクト デイズ』

『パーフェクト デイズ』
(ビム=ベンダース:監督・2023年・日本)

毎日おなじ時間におき、歯をみがき、木に水をやる。
アパートの玄関をでると缶コーヒーをかう。
カセットテープをききながら車をスタートさせる。
仕事がおわれば銭湯へいき、湯船にふかくからだをうずめる。

毎日おなじような日のくりかえしにおもえるけど、
でもじっさいは、すこしずつちがう「事件」がおきている。
トイレ掃除にはいってるとき、子どもがとじこもってないていたり、
しらないだれかと 五目ならべみたいに
マルとバツでコミュニケーションをとったり、
同僚がきゅうに仕事をやめ、彼の穴をうめるため
いちにちじゅうはたらいたりでおなじ日はない。
そんな一日いちにちを、彼はたいせつに生きる。
サイテーな気がしていても、いちにちがおわれば
それはそれでその日もパーフェクトデイだ。

気にいった苗をみつけたり、なじみの店でひといきついたり、
うまくいく日ばかりではない。
なじみの店でおかみさんのしらなかった過去にふれ、
気もちがおおきくゆれても、それもまたパーフェクトデイ。
まいにちが、それぞれにパーフェクトデイであり、
そんないちにちいちにちをつみかさねていくしかない。
どれだけ自分でパーフェクトデイを演出するか。

だれともかかわらないで生きているようにおもえても、
じっさいはいろんな人とのコンタクトがある。
毎日のように顔をだす一杯のみやへいくと、
「おつかれさま」と声をかけられる。
古本屋で100円の本をかおうとすると、
その作家について、店主からひとことコメントがある。
写真店にフィルムをもっていくと、
前回の分をやいてまっていてくれるし、
なじみの小料理屋へゆけば、おかみさんや常連客と、
気のおけない時間をすごせる。
ただたんたんと、毎日を生きつづけるうつくしさ。

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2024年03月20日

『成瀬は信じた道をいく』宮島未奈・新潮社

『成瀬は信じた道をいく』
宮島未奈・新潮社

成瀬あかりがかえってきた。
一冊目の『成瀬は天下を取りにいく』(新潮文庫)をよみ、
すっかりわたしは成瀬ファンになった。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/502730811.html
「WEB本の雑誌」に「成瀬」の作者、
宮島未奈さんへのインタビューがのっている。
https://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi261_miyajima/
成瀬がかかれた背景がよくわかるけど、
成瀬の存在があまりにもリアリティがあったので、
わたしはほんとうに成瀬がいるような気がしていた。
このインタビューをよむと、あたりまえなこと、
つまり、宮島さんが成瀬をかいたんのであり、
成瀬あかりは実在しないという事実をつきつけられ、
かえってがっかりした。

2冊目の「成信」(「なるしん」と宮島さんがいっていた)も、
1冊目とおなじようにじゅうぶんおもしろい。
表紙をかざる ざしきわらし氏の絵が、
おとなへ成長しつつある成瀬あかりをよくあらわしている。
1冊目の絵だって、いかにも成瀬らしいけど、
狂信的にみえる目のちからがすこしおっかない。
『成瀬は天下を取りにいく』は、
本屋大賞にもノミネートされた。
成瀬の魅力にまいったひとはおおいだろうから、
大賞を受賞する可能性はじゅうぶんにある。

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2024年03月10日

ザリガニの鳴くところ

『ザリガニの鳴くところ』
(ディーリア=オーエンズ・友廣純:訳・ハヤカワ文庫)

1950〜60年代の、ノース=カロライナ州にある湿地帯が舞台。
暴力をふるう父親が原因となり、母親・4人の兄弟、
そしてさいごには父親自身も家をでてゆく。
のこされた6歳の少女カイアは、ひとりで生きなければならなかった。
クツがないのではだしであるきまわり、家にはたべものもない。
唯一の理解者であるジャンピンに、湿地でとった貝を
彼のお店で食糧や必需品と交換してもらう。
給食につられ、学校へもいってみるが、ほかの子どもたちの
からかいに我慢できず、いちにちでやめてしまった。
そんなカイアが、どうやって生きのびるかにわたしは胸をあつくする。
湿地でのくらしはきびしく、孤独ではあるものの、
動植物のいきいきとしたようすが カイアのこころをささえる。
鳥や貝、虫や草花とともにカイアは生きて、
彼女はしだいにすぐれた自然観察者としての感性をそなえてゆく。

湿地でおきた殺人事件にカイアがまきこまれる。
カイアは湿地でくらす異端者として差別されており、
まわりからの偏見が彼女の立場をあやうくしていく。
ものがたりの後半は、法廷ものとしても興味ぶかい。
はたして彼女は事件にかかわりがあったのか。

この本をよみおえると、わたしはふかい満足感にひたった。
これだけの作品にであえたよろこび。
600ページを3日間でよみおえる。
わたしは本をよんでいるあいだ ずっとカイアによりそい、
彼女の目をとおして湿地のゆたかな自然をおもう。
動植物の生態には、かならずなんらかの理由があり、
人間のおこないもまた、種の保存という法則から説明がつく。
カイアはホタルのようにオスをさそいこみ、引導をわたす。

本があまりにもすばらしかったので、
ちょうどアマゾンプライムの対象だったこともあり、
映画化された作品もみた。
がんばって、なんとかまとめてはあるものの、
原作のよさをじゅうぶんに再現したとはいいにくい。
湿地のうつくしさ、カイアの孤独が、
あまりつたわってこなかった。

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2024年01月28日

ノンカイでおもいがけないメコン川遊覧を体験する

配偶者をさそい、1週間ほどタイへでかけた。
彼女はタイがはじめてなので、メコン川をみてもらおうと、
ノンカイゆきを日程にいれる。
メコン川のむこうはべつの国のラオス、というのが
日本人の胸にささりやすいのではないか。
じっさい、メコン川の景色は配偶者をよろこばし、
お接待の役目をはたせたわたしも安心した。

ノンカイで朝ごはんをたべに3回たずねた食堂がある。
翻訳アプリによると「麺おばさん食堂」というらしい。
クティヤオ(タイのうどん)を注文すると、
具がたっぷりのどんぶりと、毒けしの野菜、
それにデザートのスイートまでつけてくれる。
3日目には、あげパンまでついてきた。
日本からきたというと、お店のBGMに日本の曲をかけてくれた。
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さいごの日、今夜の列車でバンコクへもどります、
おいしいうどんをありがとう、とスマホでつたえると、
お店の主人がぜひいってもらいたい場所がある、といいだした。
1時間100バーツ(400円)で自分が案内する、という。
親切にしてくれたひとが、きゅうにガイドをかってでて、
ビジネスをしようとするのはよくあるはなしだ。
ほんとに100バーツのツアーなのか、と確認すると、
「ツアーでもビジネスでもない」と
もうけばなしでないことを強調する。
その日の午前はとくに用がなかったので、
1時間100バーツなら、だまされてもいいや、と
おじさんについていくことにする。
いったいどんな結末をむかえるのだろうか。

おじさんは自分のトゥクトゥクでわたしたちを
メコン川ぞいの遊歩道につれていく。
そこから階段で船つき場までおりると、
ほかの観光客も10名ほどあつまっていた。
このひとたちといっしょにいくのか、とおもっていると、
おじさんは、わたしたち2人だけを船にのせた。
どうやらこの船はおじさん個人のものらしい。
メコン川のなかにパゴダがあり、そこにおそなえをするのが
宗教的な意味があるようで、
おじさんは自分がお金をだして、おそなえ用の花をかっている。
船がパゴダにちかづくと、その花をわたしにもたせ、
メコン川にうかべるようにいう。
その儀式のあとは、しばらくメコン川を遊覧し、
川からの景色をわたしたちにあじわせてくれた。
IMG_2729.jpg
トゥクトゥクでもとのお店にもどり、2人分の200バーツをしはらう。
とても200バーツでおさまるおでかけではなく、
貴重な体験ができたことをよろこぶ。
おじさんの親切が、どこからくるのかわたしにはわからない。
旅行者に、ただよろこんでもらいたくて、という
純粋な行為だったのではないか。
こんかいのタイ旅行で、いちばんのおもいでになったのが、
「麺おばさん食堂」とのであいであり、船によるメコン川遊覧だった。

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2023年12月16日

本の雑誌のベスト10に『成瀬は天下を取りにいく』がえらばれなかった

毎年たのしみにしている『本の雑誌 1月号』による今年のベスト10。
今年わたしがもっともひかれた『成瀬は天下を取りにいく』
(宮島未奈)はどう評価されただろうか。
でも、ベスト10に『成瀬』の書名はあがっていない。
ベスト10どころか、「本の雑誌社」社員による座談会で、
だれひとり『成瀬』をおしてくれるひとがいなかった。
かろうじて、エンターテイメント部門の10位に
久田かおりさんがとりあげてくれている。
10位ではあるものの、久田さんは
2023年最大の収穫は『成瀬は天下を取りにいく』だった。「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようとおもう」なんて宣言をする風変わりで突拍子もない主人公、成瀬あかりに心からまいってしまった。
と絶賛している。
エンターテイメント部門は、これまで北上次郎さんがうけもっていた。
今年なくなった北上さんのかわりという重圧のなか、
久田さんはみごとに大役をはたした。
『成瀬』だけでなく、久田さんのコメントをよむと、
ベスト10にあげられた本はどれもおもしろそうだ。
こんなにいい本がどっさりあるのだから、
いつまでも会社づとめなんてしてないで、
さっさと老後の生活を実現させなければ、なんておもわせるほど。

うれしいしらせもあった。
来年の1月に『成瀬』の続編が発行されれるという。
成瀬ロスでおちつかなかったおおくのファンが
成瀬との再会に胸をあつくすることだろう。
そして『成瀬』の魅力がただしく評価され、
来年こそはノンジャンルベスト10にえらばれるようねがっている。

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2023年12月03日

『じい散歩』(藤野千夜・双葉文庫)理想的な老後の姿

『じい散歩』(藤野千夜・双葉文庫)

89歳の新平は、ひとつ年下の妻、英子とくらしている。
むすこが3人いるけど、3人とも独身のままだ。
長男はわかいころからひきこもり、家からでないし、
三男はおおくの借金をかかえてるくせに、
調子だけはいいダメ男で、いつも新平に無心してくる。
次男は、しっかりしてはいるものの、同性愛者で、
新平の家にあとつぎができるみこみはない。

新平は朝おきると、45分ほど自己流の体操をする。
からだによさそうなうごきをあれこれつぎたしていくうちに、
45分ものながさになったという。
体操がおわると、きなこやらヨーグルトをまぜた朝ごはんをとる。
朝ごはんで必要な栄養をとっておけば、
あとはすきなものをたべてもいい、という
ながいあいだに新平がたどりついた健康法だ。
あまいものをたくさんたべながらも、
いまのところなにも病気をかかえずにすごせている。

ひるまえになると、新平は散歩にでかける。
建築に興味があるので、その日ごとにたずねる場所をきめ、
からだの調子にあわせてながい距離をあるく。
お店での昼ごはんもふくめ、4時間ほどのおでかけだ。

『じい散歩』は、新平のいまのくらしを紹介しながらも、
英子とのであいや、仕事をはじめた わかいころのはなしをまじえ、
とくになにか事件がおこるでもない日常を淡々とかたる。
「老い」に適当なモデルがみつからないなかで、
新平のスタイルは、わたしも こうありたいという理想にうつる。
むすこたちにあまいようでいながら、さいごの一線はくずさない。
いうべきこと、やるべきことをわきまえたうえで、
家族やまわりのひとたちに おどろくほど寛容にせっしている。
運動でからだをよくうごかし、すきなものをたべ、
たっぷりと散歩をしながら社会のうつりかわりに目をこらす。

いくら健康に気づかっていても、いつかは死ぬときがくる。
あたりまえなその事実をうけいれたうえで、
いちにちいちにちをなんとか生きていくしかない。
新平は、脳梗塞にたおれた妻に、さいごまでつきそうときめ、
「そこまでがわたしの人生の仕事、と覚悟して」いる。
自分に介護が必要になれば、全財産を処分して施設にはいる。
むすこたちがこまっても、それはしかたのないこと。
わたしも新平のように、たくさんからだをうごかし、
やるべきことへの覚悟をきめて、淡々と生きていきたい。

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2023年11月23日

さかあがりができてひと安心

すこしまえのほぼ日「今日のダーリン」で、
糸井重里さんがさかあがりについてかいていた。
子どものころ、かんたんにできた記憶がのこっているだけで、
じっさいにさかあがりをやってみると、できないのだそうだ。
年をとると、わかいころできたことができなくなる。
ただ、あえてさかあがりをやる機会などなかなかないので、
できなくなっていることに気づかずにいる。
自転車などは、いちどのれるようになれば、
かなり年をとっても のる技術はのこっている。
しかし、さかあがりのような筋力やバランス力にたよるうごきは、
年をとるにつれ、いつのまにかできなくなっているらしい。

いかにもありそうなことだ。わたしはどうだろうか。
心配になってちかくの小学校へゆき、校庭の鉄棒でためしてみる。
さかあがりって、これでいいの?とうくらいかんたんにできた。
ジョギングコースにある松の木をつかい、ときどき懸垂しているので、
さかあがりに必要な筋力を維持しているのだろう。
懸垂のほかにも、すこしまえにはやった「みんなで筋肉体操」の
うでたてふせとスクワットを、ほぼ毎日つづけており、
筋力についてはまだふけこんでないとおもっている。

ただ、年をとるにつれ、うごきがわるくなっているのはまちがいない。
得意だった水泳も、およぎはじめは毎回あまりにもくるしく、
500メートルをすぎるくらいから、ようやく「水泳」になってくる。
ジョギングは、ずいぶんまえから左腕がふりにくくなり、
まえはあたりまえだった8キロが、このごろは6キロがせいぜいだ。
うでたてふせの回数だって、すこしずつへっている。
いまはあたりまえにできているあれやこれやの運動が、
年をとるにつれ、いつまでもつづかないのはあきらかだ。
70歳になったとき、さかあがりがまだふつうにできるだろうか。
1500メートルをつづけておよぎ、うでててふせが50回できるだろうか。
70歳ではできるかもしれないけど、いつかはできなくなる。
きょうはさかあがりがすんなりできて安心したものの、
できなくなってくる現実をうけいれるのは かなりつらそうだ。

posted by カルピス at 18:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする