2021年01月15日

レジで声をかけられて、すごくうれしくなる

近所にあるイオンでかいものをする。
イオンといっても、駐車場が20台分ほどしかない、
かなりちいさなお店だ。
レジで精算をまっていたら、
わたしがえらんだワインのボトルを指さして、
「これおいしいですね」
と女性の店員さんにはなしかけられた。
チリ産の、税こみ630円ほどの安ワインで、
わたしはほとんどこればかりをのんでいる。
きゅうな声かけにおどろきながら あいづちをうつと、
「やすくて のみやすいし」と かさねていわれる。
客であるわたしにたいし、とても自然な声かけで、
わたしはいっぺんにうれしくなる。
ぱっとこころがはれわたったのをかんじた。
スーパーのレジというと、機械的な対応で、
挨拶にしても、お客のこころにとどかないような
ただのかけ声にすぎない「いらっしゃいませ」がほとんどだ。
こんかいのように、個人的にはなしかけられることはまずない。

わたしの心理をさぐってみると、
きれいな女性からの声かけだったのがおおきいようだ。
何年かまえ、ほかのスーパーで黒霧島をかったとき、
男性の店員さん(わたしより年上)に、
「芋焼酎はこれのもんですね」といわれたことがある
(すきなお酒をかわれると、店員さんは
お客になにかはなしかけたくなるのだろうか)。
そのときには、
黒霧島に人気があるというのは、ほんとなんだ、
とおもったくらいで、さほどうれしくかんじなかった。
どちらの店員さんも、接客マニュアルにそって
お客にはなしかけたのではなく、ごく自然な声かけだったけど、
わたしのこころにひびいたのは、女性からのはなしかけだった。
こんなにもわたしがよろこんでしまうのだから、
スーパーはマニュアルにとりいれたらよさそうだけど、
自然に「これおいしいですね」とはなかなかいえない。
ひとがらがおもわずでてくる場面で、
もしかしたらカリスマ店員さんだったのだろうか。

せっかくワインについてはなしをふられたのだから、
「ほかにおすすめのワインがありますか?」と
はなしをふくらませたらよかった。
つぎにまたはなしかけられることはまずないだろうし、
かといって、わたしからおすすめのワインをきりだすのもへんだ。
ちょっとはなしかけられたぐらいで、
こんなに気もちがまいあがってしまうのだから、
笑顔とおしゃべりの効果はかなりたかい。
いっぺんでこのお店がすきになった。
お客とお店とのバリアーをあまりかんじない、
ちいさなお店ならではの、ささやかでしあわせな体験だった。

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2021年01月14日

ことしの目標は、おなじはなしをしない

わたしが子どもだったころ、大人たちがよく
歳をとるとものわすれがひどくなって・・・、
と いっていたけど、なんのことだかよくわからなかった。
おなじはなしをなんどもする祖母に、
なんで自分がいったかどうかをわすれるのか不思議だった。

もちろん、いまはわたしもよくわかる。
おなじはなしをなんどもしてしまい、
とおまわしに、まえにききました、といわれて
がっくりすることが なんどもでてきた。
自分では気のきいたおしゃべりのつもりで、
映画や本から引用するときが、とくにひどい。
わたしの知識なんか ごくせまくてあさいものでしかなく、
たいしてはなす内容をもたないから、
なんどもおなじはなしをしてしまう。
このはなしは、だれかにしたことはおぼえている。
でも、それを、だれにはなしたかはわすれている。
で、そのひとには はじめての話題だとおもい、
ついついおなじはなしをくりかえしてしまう。

だれかの講演をきいていて、まえにきいたのと
まったくおなじ内容をはなしているのをしり、
そのひとがものすごく俗物にみえてきた。
そのひとにすれば、会場ごとにはなしをかえるのはたいへんだから、
いくつかのネタを、効率よくつかっているのだろうけど、
たまたまおなじはなしをきかされたほうはがっかりだ。
はなしをくりかえすうちに、ツボがわかってきて、
妙にうまくなるのもかなしいことではないか。

というわけで、ことしのわたしの目標は、
おなじはなしをしない、にきめる。
いちど話題にしたことは、もう口にするのを禁止する。
ちがう話題をさがして、かんがえをひろげよう。

ものわすれがすすむと、まえにみた番組を、
すんなりたのしめるので、 わるいことばかりではない。
わたしがすきな「ヒロシの迷宮グルメ」は、
あたらしく日本編がくわわったというものの、
半分は何年かまえに放送したもののくりかえしか、
編集しなおした内容になっている。
でも、それでもじゅうぶんたのしめる。
かならずわたしはみているはずなのに、
内容をほとんどわすれていて、まるではじめてみたいにみる。
わたしだけでなく、配偶者の記憶もあいまいなので、
きっと、まえとおなじ感想をいいあってみてるのだろう。

老人ホームやデイサービスでは、
おなじはなしが延々とくりかえされているのではないか。
それはそれで、平和な風景であり、わるくないとおもう。
わたしも もうすこし歳をとったら、
意地をはらないで、堂々とおなじはなしをくりかえそう。
それまでは、もうすこしジタバタして 頭をつかい、
ちがうネタをさがし、話題をひろげていきたい。

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2021年01月13日

9日間のプチバカンスをとる

あさって、1月15日から、9日間の休暇にはいる。
いつもの休日のあいだに、有休を5日いれると、あわせて9日。
新型コロナウイルスのせいで、海外旅行はあきらめていたけど、
鳥取や四国だったら、あまり感染者がでていないので、
自動車でまわってみよう、とおもっていた。
それが ここにきて、全国的に感染者がふえ、
島根でも、まだすくないとはいえ、
だらだらと、毎日のようにあらたな感染が発表されている。
ここは、おでかけはあきらめ、家ですごしたほうがよさそうだ。
休暇をとっても、どこへもいけないなら 意味がなさそうだけど、
一年にいちどは、まとまったやすみがほしいので、
予定どおりにプチバカンスをとる。

せんじつよんだ『パリ行ったことないの』(山内マリコ)に、
フランス人は定時に仕事をきりあげるのがあたりまえで、
そのうえに5週間のバカンスをきっちりとる、とかいてあった。
勤務時間には、仕事に集中しなければならず、
けして楽ではない、とあるけど、
それにしても5週間のバカンスはうらやましい。
そして、バカンスのあいだになにをするかというと、
なにもしないのが、フランス人のすごし方だという。
まとまった時間をえることで、それを勉強にあてるとか、
なにかあたらしいことをはじめるのではなく、
ただくつろいですごすだけの時間。

パリでくらしはじめ、旅行会社につとめるあゆこは、
本物のパリジェンヌみたいにバカンスをすごすツアーを計画する。
殺人的スケジュールでせわしなく観光地を回る旅じゃなくて、とことんなにもしない旅。あそこにも行きたいこれも食べたいという欲張りな旅とは真逆の、無為な時間を過ごすだけの、ある意味やる気のない旅。(中略)
「それこそが、フランス人にとってのバカンスですよね?」
確認するように訊くと、
「そうだな。あの人たちは本当に、バカンスがないと死んじゃうからね」

「バカンスがないと死んじゃう」って、いいなー。
新型コロナウイルスの感染がひろがりつつあるときに、
休暇をとってもいけるところはかぎられている。
どこへもいけなくてもいいので、まとまったやすみがほしい。
やすんで、パリジェンヌみたいに、なにもしないですごそう。
やすまないと、死んじゃうから。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月12日

『ブルックリン・フォリーズ』(ポール=オースター)あたたかで、愛にあふれたトホホ小説

『ブルックリン・フォリーズ』
(ポール=オースター・柴田元幸:訳・新潮文庫)

 私は静かに死ねる場所を探していた。

本のはじまりは、ものすごくくらい。
生命保険会社ではたらいてきたネイサンは、
60歳をまえにして、肺ガンにかかる。
手術し、放射線治療をうけ、化学療法にくるしみ、
いまは小康状態なものの、生きる気力をうしなっている。
仕事をやめ、妻には離婚をきりだされ、
たしかにこれ以上ないほどトホホな状態で
生まれそだったブルックリンにもどってきた。
冒頭にあげたように、死ぬ場所をさがすために。

町になじむため、またありあまる時間をつぶすために、
ネイサンがあちこちをぶらついていると、
古本屋で甥のトムに偶然であう。
わかいころは才能にあふれ、
これからすばらしい成功をおさめるだろうと、
うたがったことのない好青年だったトムなのに、
大学をとちゅうでやめ、タクシーの運転手をつとめたあとで、
たまたまその古本屋ではたらいていた。
いまは標準体重を20キロうわまわり、女性からも相手にされず、
だれからもすかれていた面影は もはやない。

古本屋の店主であるハリーも、ややこしい過去をもつ人物だった。
トムにかたってきた 華々しい経歴はすべてウソで、
絵画偽造の罪で刑務所にもいれられていた。
金もちの妻から縁をきられ、町をおいだされ、
人生をゼロからたてなおさなければならかった初老の男。
ことほどさように、この本にでてくるすべてのひとが、
それぞれにトホホの境遇をかかえている。

オースターの文章は、皮肉めいた口調ながら
たっぷりのユーモアをわすれない。
訳者の柴田元幸さんは、オースターのもち味が
わたしにもわかるように訳してくれており、
ここちよくものがたりの世界にひたる。
登場人物が複雑にからみあい、どん底のトホホだったひとたちが、
やがてそれぞれ、おちつくところにおさまってゆく。
誠実に生きていれば、さいごのところでなんとかなる、
とおもわせてくれる小説で、わたしのこのみにピッタリあった。
よみおえたあと、しばらくものがたりの余韻にひたる。

人間関係を、たくみにくみあわせながら、
そのひとがなぜそうしなければならなかったかの理由を
オースターはふかくえがいている。
たとえば。

トムの姪である、9歳の女の子ルーシーが、
「あたし、悪い子になる。神さまがお作りになった最高に悪い、最高に意地悪の、最高に口汚い子になる」

といいだし、じっさいに、母親のまえでは わがままな娘になりはてる。
でも、まわりの大人は、ルーシーをこまった子、とはとらえない。
それがルーシーにとって必要不可欠な浄化であることも私にはだんだん見えてきた。これは、ルーシーが自分の人生を求めて必死に闘っている証拠なのだ。

ルーシーは、母親を愛しているけど、
その母親が、彼女をある日バスにのせ、
自分の家からおいだした張本人だ。
幼い子供がこんな不可解な目に遭ったら、どうしたって、自分にも少し責任があるのではと思ってしまうのではないか?悪い子でもなければ、母の愛に値しない子でもなければ、どうして母親が追い出したりするだろう?

で、自分は わるい子でなければ、とルーシーはかんがえた。
ルーシーが大人しくしてくれたら家はもっと落着いた場所になっていただろうが、その悲鳴を内に貯めてしまえば、結局は彼女に途方もない苦しみがもたらされるだろう。ここは外に出すしかなかった。出血を止めるために、ほかにすべはなかった。

ルーシーについて、オースターの理解がいきとどいているように、
ほかの人物にしても、どうしようもないながれに翻弄されながらも、
やがてそれぞれが自分にふさわしい場所を手にいれてゆく。

いろんな問題がかたづき、大団円でおわるかとおもわれたある晩、
ネイサンはきゅうに意識をうしない、救急車で病院へはこばれる。
さいわいネイサンの症状は、食道の炎症にすぎなかった。
死なずにすんだネイサンは、自分がいる病室に
つぎつぎとはこばれてくる緊急患者とはなすうちに、
ひとりひとりの人生におもいをはせる。
このように、無名でわすれられがちな人物について、
本にしあげる会社をつくろうとおもいつく。
つぎの日の朝、退院をゆるされたネイサンは、
あたらしいアイデアをかかえ、
このうえなくしあわせな気分で自分の家にむかう。
同時多発テロが46分後にせまる、9月11日の朝のことだった。

posted by カルピス at 21:26 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月11日

夢のなかでフルマラソン4時間30分をきる

フルマラソンで3時間30分をきった夢をみた。
どーせたいしたタイムはでないし、と
気のりうすではしっていて、時計をみたら、
なんとか3時間半をきれそうだ。
懸命にラストスパートをかける。
夢だから、自由自在にからだがうごき、
いくらでも足をはやくうごかせる快感がすごい。

現実では、ヨタヨタとしかあるけないのに、
夢ではあるけるし、はしれる。やがてふっと体がういて
気がつけば、空をとんでいる、というはなしのながれは、
きょねんの「きらクラ」で朗読された
『わすれられないおくりもの』をおもいだす。
年をとり、もうすぐ死をむかえるアナグマが、
ある夜、夢をみると、わかいころのようにはしりまわわっている。
やがてからだがうきあがり、トンネルのさきにむかい、
宙をとんでいく、というはなしだ。
夢から目をさますことなく、アナグマは息をひきとるのだけど、
わたしが死ぬときも、こんかいの夢のように、
ありえなスピードで いつまでもはしりまわれたらうれしい。
長距離ランナー冥利につきる最期だ。

1月も11日となり、ようやく日常がもどってきた。
年のくれからお正月にかけて、どうしてもへんな期間となる。
「あけましておめでとうございます」をいわなければならないし、
テレビやラジオの番組がかわり、新聞の紙面もいつもとちがう。
この「いつもとちがう」のがわたしは苦手で、
なんとなくうきあしだったかんじがいやだ。
年末スペシャルはいいけど、新春特別企画はいや、と
自分でも どこらへんで線をひいているのかわからないけど。
11日となれば、たいていのことがもとにもどってきた。
もう「おめでとう」とはいわなくていいし、
職場での仕事もいつものくりかえしがはじまる。
平凡な日常が、いつものようにくりかえされるしあわせ。
いつまでもつづかないことはわかっていても、
いつまでもつづくことをねがっている。

posted by カルピス at 19:44 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月10日

ふるいものをつかいつづける配偶者の合理的精神

夕ごはんのあと配偶者が自分の部屋にもどり、
彼女のイスに ふるいフリースだけがのこった。
新婚旅行でカナダへいったとき(バンフ)かったもので、
お店でいっしょにえらんだから わたしにも みおぼえがある。
もう28年もむかしのはなしだ。
ほかの女性が、どれだけのあいだ服をきるのかしらないけど、
28年もきつづけるひとは あまりいないのではないか。
おそらく配偶者は、とくに愛着があるからきているのではなく、
部屋着としてわりきり、きられるかぎり すてずに きつづける。

服だけでなく、なににおいても、
配偶者はものをすてずにつかいつづけるひとだ。
結婚し、いっしょにくらしはじめたとき、
彼女が高校の林間学校用にかったというふるいコッフェルを、
現役のナベ兼保存用の器としてつかっていた。
アウトドアむけに、大・中・小のナベがひとつにおさまっている。
日常の調理器具としても、もちろんつかえるけど、
ちいさいし、とってがぐらついていて、
積極的につかいつづけたいほど 便利なナベではなかった。
それでも役をはたすうちはすてないのが配偶者流だ。

電気炊飯器も ものすごく旧式の型で
(さすがに何年かしたらこわれた)、
28年まえの新婚当時でさえ、ふるさにおどろいたおぼえがある。
ものを大切にして、つかえるあいだは、とことんつかう。
こわれたら、すぐにあきらめて あたらしいものをかう。
そのときは、必要経費とわりきり、値段をケチらない。
非常にドライな精神は、日常におきる
さまざまなトラブルに対応するときにも発揮される。
決断と実行のひとで、ためらいがない。
わたしなんかは、なかなかきめられなくて、
あーでもない、こーでもないのタイプだから、
現実的にものごとを処理していく配偶者に感心する。
わたしが高齢者となり、身のまわりのことができなくなったら、
どんな合理的な判断がくだるのか、すこしおっかない。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月09日

雪のためジムへ。マスクをつけてのランと自転車を体験する

雪のためはしれない。
きょうだけでなく、雪がとけるまでのあいだ
しばらくジムでのトレーニングにきりかえる。
雪のなかをあるく、という手もあるけど、
あまりたのしくないので、1年ぶりにジムへ。

きょねんの4月9日に、島根県ではじめて
新型コロナウイルスの感染者が報告されると、
プールとジムからなる県立の施設が いったん利用できなくなった。
6月から、人数を制限して再開されたものの、
ジムでのトレーニングは、
更衣室(つまりシャワーも)がつかえないし、
つかった器具の消毒をもとめられるようになる。
そして、8月からはかならずマスクをつけるよう もとめられた。
マスクがにが手なわたしは、
そこまでしてトレーニングをしたくないので、
ジョギングと家での「みんなで筋肉体操」、
それと週に1回の水泳でのりきることにする。
でも、今回のように雪がつもると どうにもならない。
トレーニング計画がガタガタになるので、
きょうはひさしぶりにジムでのトレーニングにでかけた。

利用人数は20人に制限されている。
そして、ひとり2時間が上限だ。
土曜日で、ひとがおおいかとおもったけど、
なんとか20人の枠にすべりこむ。
トレッドミルも自転車も、間隔をあけるために、
1台おきにしかつかえなくなっている。
すこしまってから、まず30分はしる。
マスクをつけてはしるのは はじめてだ。
いつもの時速10キロから、9キロにおとした。
いつもなら、10分をすぎるとからだがなれてくるのに、
マスクをつけていると、さすがに息ぐるしい。
はしったあと、自転車にも30分のる。
こちらはトレッドミルほどではないけど、
やっぱりマスクは邪魔で気もちわるい。
なんにでもひとはなれるものなので、
つづけているうちに マスクがあたりまえになるのだろうか。
ジムにはトレーニングマシンもフリーウェイトもあり、
以前はベンチプレスとスクワットをメニューにいれていた。
でも、きょうやっただけでは筋肉痛になるだけなので、
筋トレはいっさいせずにトレーニングをおえる。
全部で1時間の滞在だった。
ひさしぶりのジムは、あきらかに以前とちがう光景だったけど、
しばらくはこれが日常となりそうだ。
マスクと消毒がセットのトレーニングを、
なつかしくおもいだすのは いつの日になるだろうか。

こまるのは、更衣室がつかえないことで、
きょうのようにすごくさむい日は、
どんな服をきていったらいいのかがむつかしい。
シャワーをあびられないので、汗をかいたからだがひえるまえに
家までかえらなければならない。
とはいえ、島根のことなので、
愛車フィットにのり、10分もかからず家についた。
マスクつきとはいえ、からだをうごかせたので気もちいい。

posted by カルピス at 16:17 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月08日

糸井重里さんの「よいしょする体重計」ってすてきだ

糸井重里さんの「よいしょする体重計」(今日のダーリン)
のはなしがおもしろかった。
糸井さんがつかっている体重計は、体重だけでなく、
BMIや体脂肪率、さらに「体年齢」までしめされるという。
ここに出てくる数字が、ずっと若いままなのだ。
ずっと実年齢から、16年を引いた年齢が出てくる。
ここに年相応の数字が出てきていたら、
まぁ、がっかりするとまでは言わないけれど、
あんまり元気になるとも思えないから、
「よっ、ずいぶんとお若いですな」みたいな数字で、
おだてられたほうが、まじめに体重計に乗る気にもなる。

糸井さん本人は、それなりの老化を自覚しているのに、
体重計はずっと「よいしょ」しつづけてくれ、
あろうことか、最近はさらに数字をへらすようになったらしい。
最近「よいしょする体重計」のやつ、
数字をもう1つ、減らすようになったよ、ほんとかよ。
もう! お祝いに、明日とんかつ食っちゃおうかなぁ。

事実だけをしめす体重計よりも、
そんなふうに、よいしょしてくれたほうが気分よくすごせる。
わたしの家にある体重計は、もうずいぶんふるいもので、
体重しかおしえてくれない。
わたしもよいしょしてくれる体重計がほしくなった。

体重計だけでなく、「よいしょする健康診断」はどうだろうか。
健康診断をうけるひとが、その結果をみるときに、
いくとおりかの計算方法からえらべたほうがいいのでは。
いまのやり方では、ほんの1ポイントでも
数値が基準をうまわわると(そもそもそれがあやしい)、
異常値としてチェックされてしまう。
チェックがはいると、どうしても気にしてしまうので、
基準を3割オーバーしていても、まあそれぐらいなら、
とみのがしてくれる検査のほうがわたしにはむいている。
基準値は国によってさまざまだというから、
あまりおもくうけとめず、できれば右から左へとききながしたい。
じっさい、お医者さんにいって血圧をはかられたときなど、
かなりたかめの数値ても、「この機械はたかめにでますから」と
ぜんぜん気にされず、スルーしてくれたり、
べつのお医者さんは、さっきはおしゃべりしたから、
下の血圧がたかかったのでしょう、と問題にされなかった。
血圧をはかりながらも、お医者さんだって、
血圧がすこしぐらいたかいときがあっても、
たいしたことでないのをよくわかっているみたいだ。
血圧だけでなく、健康診断でしめされるほかの数値も
もっとおおまかにみればいいのでは。

すこしまえの朝日新聞に、
「『不健康でもいい』と唱える医師」として、
大脇幸志郎さんが紹介されていた。

「生活をつまらなくしてまで、健康第一の生き方でいいのでしょうか。
 人はだれしも、健康より大事なものを持っています」
「健康は大事だけど、常に一番ではないかもしれない」

健康は信仰のようなもので、
どのようにしんじるかは ひとによってさまざまでよい。
お医者さんである大脇さんが「不健康でもいい」といってくれると
とても気がらくになる。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月07日

「そうっすね」の「す」は敬語だった、という中村桃子さんの研究

エバーノートにほうりこんでおいた記事のなかに、
「そうっすね」の「す」って何すか?

というのがあった。
まったくおぼえがないので よみかえしてみると、
言語学者の中村桃子さんが
「す」をつけたはなし方に「ス体」となづけ、
どういうときに「す」をつけるのか、研究している、
という内容だった。
体育会系クラブに所属する男子大学生の会話を録音分析して分かったのは、ス体は後輩が先輩に話すときに使い、決してその逆ではないこと。後輩同士でも避ける。つまりス体は「親しい丁寧さ」を表現する一種の敬語だった(朝日新聞の記事より)。

まえにみた映画『100円の恋』にも、
ぜんぶ「まじっすか?」でうけこたえするひと
(たしかコンビニの店員)がでていた。
このひとは、なにをいわれても「まじっすか?」とかえし、
そういっておけば、けっこう会話がなりたってしまうのに
おどろいたことがある。
敬語だから、いわれたほうは、そう腹をたてないのだろう。
この「まじっすか?」も「ス体」の一種にちがいない。

日産が提供するラジオ番組「安部礼司」にも、
ぜんぶの語尾に「っす」をつける後輩社員がでてくる。
わたしは、そのはなし方をきいたとき、特徴的ではあっても
そういうひともいるかな、くらい自然にうけとめられた。
番組がはじまったときには、
「す」がすでに市民権をえていたのだろう。

さらにいえば、酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』には、
「負け犬にならないための十ヶ条」の2番目として、
「『・・・・っすよ』と言わない」があげられている。
まちがいなくこれは、新敬語としてのス体だろう。
「これってイマイチっすよねぇ、あっはっは」と豪快に笑う負け犬は、男性にとっては付き合い易い同僚ではあるものの、異性としては認識されづらい。

中村さんが「ス体」に気づいたのは1990年代というから、
もう30年もまえになる。
それからすこしずつ、でも着実に「ス体」はひろまってゆく。
『負け犬の遠吠え』が出版された2003年には、
すでに「負け犬」予備軍の特徴といえるまで
そこそこわかい女性にも つかわれていたようだ。

ちなみに、『負け犬の遠吠え』には、
「負け犬になってしまってからの十ヶ条」も
ちゃんと用意されている。
なってしまったものは、もうしょうがないので、
いたくない「負け犬」をめざすよりない。
わたしがいちばん感心したのは、十ヶ条目の「つきぬける」だ。
 突き抜けた先には、もしかしたら何も無いのかもしれません。が、せっかく負け犬になったのだから、たとえ奇人変人と言われようと、途中で力尽きて倒れようと、勝ち犬には決してできない突き抜け方をしてもいいのではないか。

つきぬけることに成功した「負け犬」は、
「・・・・っすよ」と、いくらいってもかまわないけど、
そのころには、「負け犬」予備軍たちから したしみをこめて
「・・・・っすよ」をつかわれる側になっていることだろう。

posted by カルピス at 20:59 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月06日

『マイレージ、マイライフ』空港とホテルが恋しくなる

『マイレージ、マイライフ』
(ジェイソン=ライトマン:監督・2009年・アメリカ)

雇用主にかわり、その企業ではたらいているひとに
クビをつげるのがビンガムの仕事だ。
突然の解雇をつきつけられると、
ほとんどのひとがとりみだし、悪態をたれる。
その修羅場を、いかにのりきるかが
プロとしてビンガムにもとめられている。
つめたすぎない対応で、でも相手に現実を理解してもらう。

ビンガムは仕事がら、アメリカ全土をとびまわっており、
1000マイルを達成するのを目標としている。
映画には、コンパクトにつめられたカバンをさっそうとひいて、
空港から空港へ、そしてホテルへと、
気がるにうごきまわるビンガムの姿がよくでてくる。
ビンガムにとって空港やホテルは、
特別な場所ではなく、なれしたしんだ自分の居場所となっている。

新型コロナウイルスで、旅行にでられなくなったわたしは、
じつは映画のストーリーよりも、空港での景色や、
くつろいで飛行機にのるビンガムをうらやましくみていた。
飛行機をつかうからといって、
いつもスムーズにことがながれるとはかぎらない。
というか、飛行機にはアクシデントがつきもので、
天気や機体の整備、空港のストライキ、
理由がしらされないおくれなど、日常茶飯事といってよい。
わたしなんかは、やすい航空会社をつかうせいか、
出発時間のおくれは いつものことで、
スムーズにいくと かえっておどろいてしまう。
予定外のまち時間をつげられると、
たいくつして時間をもてあましてしまうけど、
ビンガムだったら クラブ会員の特権を最大限にいかし、
突然うまれた空白の時間をたのしむのだろう。

2年まえのタイ旅行では、予定していた飛行機が7時間30分おくれ、
あわせて11時間を関西空港ですごさなければならなかった。
航空会社から、軽食のクーポンがもらえたけど、
そんなものぐらいで11時間のひまはつぶせない。
空港内をあちこち散歩し、iPodをきき、本をよむ。
意識がマヒするのか、そのうちまつことになれてきて、
2、3時間などすぐにたってしまうほど、
まち時間の達人となっていた。

日本からの出発が半日おくれると、
とうぜんバンコクにつくのもそれだけずれこみ、
予約していたホテルにはいれなかった。
つかれたからだで空港からカオサンゆきの路線バスにのり、
ゲストハウスに朝はやくチェックインした。
屋台でたべた食事でお腹をこわし、
下痢と熱にひとばんくるしむおまけまでついていた。
そんなアクシデントをふくめて「旅」なのであり、
すぎてしまえば たいていのことはおもいでとなる。
空港と安宿を、もういちど日常の場としたい。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする