2017年12月12日

「イギリスでまずい料理をたべたい」(デイリーポータルZ)でおもいだしたパイのまずさ

デイリーポータルZにべつやくれいさんの記事、
「イギリスでまずい料理をたべたい」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/171207201401_1.htm
イギリスの料理がおいしくないといわれているけど、
それはむかしのはなしであって、
最近はおいしい、というのがこのごろの通説だ。
べつやくさんの記事も、
「最近はまずくない」に関する情報をまずおさえておいて、
じっさいはどうなんだ、からはじまっている。

べつやくさんがスーパーでかったおそうざいは、
マッシュポテト以外はそうわるくなさそうだけど、
レストランで注文したうなぎ料理はたしかにまずそうだ。
うなぎをただぶつぎりにしてゆでただけにみえる。
イギリス料理はまずいにきまっていると、つよく印象づける写真だ。
べつやくさんは、イギリスの料理について
「パラレルワールドに来たみたい」
と表現している。
すしはスーパーにもうってるほど一般的な存在なのに、
そのなかみは日本のすしとかなりことなる。
シャリが玄米というのは、日本人の発想にはない。
うなぎ料理にしても、パラレルワールドだとおもえば納得できる。

わたしは、30年まえに2週間ほどイギリスを旅行した。
ひとりでまわったし、お金も節約したかったので、
レストランにはいらず、スーパーでかったサンドイッチや、
フィッシュアンドチップスでしのいだようにおぼえている。
印象にのこっているのは、パイ屋さんにならんでいるパイが、
どれもすごくおいしそうなのに、たべてみると
みごとにおいしくなかったこと。
どうしたらこんなにへんな味になるのか不思議だった。
おおきなパイがこんがりやけて、いいにおいがただよっている。
いかにもおいしそうなのに、わかく、健康な胃袋だったわたしが
もてあましてしまうくらい どれもまずかった。
もう30年もたつので、イギリス旅行ちゅうになにをたべたのか、
ほとんどわすれてしまったけど、
おおきなパイをもてあましたのだけは しっかり記憶している。

もうひとつ、イギリスといえばコーンビーフだ。
イギリスを舞台にした小説によくでてくるので、
どんなにおいしいかと期待していたら、
肉の缶詰にすぎないので拍子ぬけした。
コーンビーフをのせたバタートーストなんかで満足してるから、
イギリス人の舌は発展しないのかもしれない。
イギリスだから、コーンビーフがいきのこっている、ともいえる。

posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

『おすすめ文庫王国 2018』(本の雑誌社)

『おすすめ文庫王国 2018』(本の雑誌社)

『おすすめ文庫王国』がことしも発売された。
ブックガイドとしてたのしみにしているとはいえ、
どのジャンルも、わたしがしらない本ばかりがならんでいる。
いかに本をよんでないのか、おもいしらされるときだ。
でもまあ、しらなかったおもしろ本をおしえてくれるのだから、
ありがたい企画であり、
『おすすめ文庫王国』を参考に、本屋さんをあるくのが
年末のたのしみとなっている。

いまちょうど、今月の22日からでかける
タイ旅行の準備をしているところで、
どの本をもっていくのかをえらぶのがたのしい。
まえは、最低10冊はカバンにいれるので、
それだけでけっこうな荷物になっていた。
わたしの旅行は 年末から年度末にかけて でかけることがおおく、
『おすすめ文庫王国』を参考にえらびがちだ。
よみたい本をリストアップすると、
どうしてもよくばってえらんでしまう。
いつも最小限の荷物にとどめようとするのに、
10冊のおもさのまえには、すこしぐらいほかの荷物がふえたって
たいしたことのないようにおもえ、
ついには逆上して あれもこれもとカバンにいれてしまう。

3年まえにベトナム・ラオス・タイをまわったときは、
もうキンドルをもっていたにもかかわらず、
あいかわらず10冊の文庫本をもっていった。
このおもさこそが、おれの旅行スタイルなのだと、
ひらきなおったのをおぼえている。
でも、こんかいは、紙の本を3冊にとどめ、
究極のかるい荷づくりをめざすつもりだ。
基本的に本はキンドルでよむ。
すこしまえから、あるいての通勤にしたり、
レースまで酒をかんぜんにやめたりと、
自分でいうのもなんだけど、わたしのからだと頭は、
なにかがかわったような気がする。
ものがなくても平気でいられるような、
さとりをひらいたかもしれず、
きっと荷づくりにもその変化があわられるだろう。
休日に2時間ほどあるくとき、なにも荷物をもたない快感をしった。
旅行へは、30リットルのリュックでいくつもりだ。
便利さよりも、かるさを大切に荷づくりをすすめたい。
10冊の文庫本を聖域にしていては、
いつまでたっても身がるな旅行ができない。

『おすすめ文庫王国』でとりあげられた本のいくつかは、
キンドルでもかえる。
こんかいの旅行は、読書スタイルをかえた第一歩として、
わたしの個人記録にきざまれるはずだ。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

せっかちなひとたちの生態に共感する

デイリーポータルZにのった
せっかちなひとたちの生態がおかしかった。
http://portal.nifty.com/kiji/171207201403_1.htm
わたしは自分がせっかちとはおもってなかったけど、
いくつもおもいあたるうごきがある。
ティーバッグから紅茶が抽出されるのが待ちきれず、お湯を注いだら、すぐに上下にシャカシャカ揺らし、さらにスプーンでつぶして強引にお茶を抽出します。(星ピューマ)

さすがにここまではしないものの、
1分をまちきれずにべつのこと(食器あらいなど)をはじめてしまい、
ほったらかしすぎて せっかくの紅茶がさめてしまう。
ご飯の、最後の一口を口に運んだらそのまま噛み噛みしながら食器を片付ける。(天野ヨゴロウザ)

これもわたしがよくやる「せっかち」で、
デザートのリンゴは、ながし台のまえで、
たちながら皮をむき、たったままたべるのがふつうだ。
ベッドに入ってから寝付くまで待てません。シャットダウンを待つ退屈に耐えられず、起きて別のことをしてしまうのでいつも寝不足です。(千鳥)

さすがにここまではしない。
筋金いりのせっかちなひとたちは、たいへんそうだ。

シゴタノの佐々木正悟さんは、コーヒーをのむときでさえ、
音楽をきいたりはせず、シングルタスクにつとめるという。
https://cyblog.jp/29073
おそらく佐々木さんは、食事をとるときも、
ひとつのおかずをのみこんでから、
つぎの料理にはしをすすめられるのだろう(あたりまえ)。
わたしは、何種類ものおかずを、いっしょに口にいれてしまい、
それをグチャグチャやるから、みためがたいへんよくない。
とてもひとにはみせられない姿なので、
ひとりでたべるときだけにとどめている。
ただ、本をよみながらのせんべいがおいしいように、
いくつかを同時に進行させる
せっかちならではのマルチタスクは、
やっちゃいけないとわかっているからこそたのしい。
わたしがひとりでいるのをこのむのは、
ひとにみせられない習慣がおおいからかもしれない。

posted by カルピス at 18:32 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月09日

レースまえに30キロ走を体験しておく

30キロ走をこころみる。
フルマラソンのレースをひかえ、
いちどながい距離をはしっておきたかった。
レース直前ではつかれがたまるので、
2週間まえのきょうは、ギリギリの日程だ。
ときどき雨がおちてくるけど、
12月の山陰で、安定したお天気をのぞんでいたら、
いつまでたってもはしれない。
雨具をつけて出発する。

20キロは、毎週のようにはしっている。
でも、それだけでは本番の42キロにむけて
しっかりした準備とはいえない。
じっさいにはしってみると、
20キロと30キロは、まるでちがっていた。
20キロはしったところで、カロリーメイトを2本たべる。
それでかなりげんきを回復したようにおもったけど、
その効果はながくはつづかず、すぐに足がでなくなる。
アイポッドにたすけられ、なんとか3時間30分ではしりおえる。
これ以上ははしれないという壁が、
もうすこしさきにたちふさがっていた。
きょう30キロを体験しておいて、ほんとうによかった。
達成感がありすぎて、もう本番ではしらなくてもいいぐらいだ。

NHK-BSの「ランスマ」で
秋元才加さんが金沢のフルマラソンに挑戦していた。
番組では、笑顔の大切さをとりあげている。
笑顔はパフォーマンスをあげるちからがあるという。
2014年の石川県大会で、星稜が0−8でむかえた9回裏に、
大逆転勝利をおさめた試合があった。
星稜の選手たちは、試合ちゅうに笑顔をたやさない。
必勝ならぬ「必笑」が星稜のあいことばだ。
笑顔をたやさず、ポジティブな精神でいること。

きょうのわたしは、ずっとしかめっつらではしっていた。
じっさいつらかったので、とても笑顔をふりまく余裕はなかった。
でも、そんなときにこそ、笑顔が大切なのだ。
これから練習をかさねても、つかれがたまるだけなので、
いまのわたしにできるのは、笑顔ではしるくらいしかない。
つらいときでも「大丈夫」「いける」といいきかせ、
チェンマイマラソンの42.195キロを笑顔ではしりぬこう。

posted by カルピス at 20:27 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月08日

ことしの米つくりは、たった950グラム

2階の洗濯干場でかわかしていた稲を、
せんじつ脱穀した。
ずっとまえから乾燥していたものの、やすみの日になると雨がふり、
あせる必要はないと ほったらかしていたら、
ずるずると12月にはいってしまった。
稲わらを車につんで、田んぼへはこび、
足踏脱穀機で、稲わらからモミをおとす。
モミは、たった950グラムしかなかった。
1年めは18キロ、2年めは収穫ゼロで、
3年めのことしは950グラムだ。
950グラムというと、7合もない。
4人家族の2日ぶんしか収穫がなかったとは。
コイン精米機では、3キロ以上ないと
もみすりをしてくれないので、モミはそのまま家にもちかえる。
米づくり体験として、バケツやプランターをつかって
稲をそだてるのをみかけるけど、
ちゃんとした田んぼで米つくりをしながら、
わずか950グラムというのはめちゃくちゃすくない。
洗濯干場の稲.jpg
原因は、よくわからない。
水の管理や、種まきの方法など、
なにか問題があったのだろう。
なによりも、米つくりにたいするわたしの姿勢が
よくないような気がする。
950グラムしかとれなかったのに、
たいして残念におもえないのだから、
真剣さにかけているのだろう。
お米がとれなければうえじにするような状況なら、
さすがにわたしでも、もうすこしジタバタするはずだ。

わたしがこころみている米つくりは、
自然農法とよばれるもので、
肥料や農薬にたよらず、土もたがやさない。
田うえのかわりに、種をまぜた泥団子を田んぼにまく。
化学肥料や農薬をつかった米づくりより、
げんきな稲がそだつはずなのに、
かんたんにひっこぬけるほど根のはりがよわく、
これでは穂がたれるほどの収穫はのぞめそうにない。
それに、芽のでかたがふぞろいで、
稲がほとんどそだってない場所もある。
芽がでなければ、お米がとれるはずがないし、
芽がでても、健康な稲がそだたない。
それでいて、なにがわるいのかわからないのだから、
だめだった経験を、つぎの米づくりにいかせない。
田んぼとお米の種類の相性がわるいかもしれないので、
来年は品種をかえてみるぐらいしかおもいつかない。

posted by カルピス at 17:38 | Comment(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月07日

「やさしい日本語」がやさしくない悲劇

けさの朝日新聞に、
「やさしい日本語」を紹介する記事がのっていた。
外国人にもわかりやすい「やさしい日本語」をつかい、
生活情報をつたえる活動がひろがっているという。
こうしたとりくみがわたしはすきで、
自分でも、できるだけ「やさしい日本語」による、
わかりやすい文章をかいているつもりだ。

記事をよんでみると、こまったことに
すんなり頭にはいってこない。
記事がなにを紹介したいのかはわかるけど、
文章はけしてやさしくはない。
紹介してある具体例も、よくわからない。
「やさしい日本語」の記事がやさしくないなんて、
わるい冗談みたいだ。

たとえば、
「やさしい日本語の主なルール」として

・難しいことばを避け、簡単なことばを使う
・1文を短くする
・漢字の分量に注意し、ふりがなをふる
・二重否定の表現は避ける
・ローマ字は使わない

とあるけど、
そういうルールにした理由が説明してないし、
具体的な例があげてないのでわかりづらい。
なぜ「ローマ字は使わない」のか、
理由がわからなければ、ルールとして参考にできない。
「二重否定の表現を避ける」も、
どんな表現を二重否定というのかが、
わたしにはわからない。
いじわるして わからないふりをしてるのではなく、
ほんとうにわからない。

このまえ町をあるいているときに
「お洒落貴族」というさんぱつ屋さんの看板が目にはいった。
自分から「お洒落」なんていいだせば、
ハードルをぐんとあがてしまう。
お店のすべてを「お洒落」にきめなければ かっこがつかない。
自分で自分の首をしめてるようなものではないか。

「やさしい日本語」にしても、そういうからには、
ほんとうにやさしい日本語をのぞみたい。
記事には、オープンキャンパスで
「やさしい日本語」を高校生に説明している写真がのっている。
壁にはってある模造紙に
「減災のための『やさしい日本語』」と
タイトルがかいてある。
「減災のため」が、そもそもやさしくないと
なんで気づかないのだろう。
「難しいことばを避け、簡単なことばを使う」のが
ルールではなかったのか。

ネットで「やさしい日本語」のルールをみると、
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/kokugo/EJ9tsukurikata.ujie.htm#%EF%BC%91%EF%BC%91
ローマ字をつかわない理由について、
ローマ字は、駅名や地名などの固有名詞を表記するためのもので、文を書くことには不向きです。ローマ字を使って日本語の文を表記することはしないでください

とあった。
ひとつのかんがえ方ではあるけれど、
賛成できない基本方針だ。
ほかにも、わたしのこのみをはずれるルールがいくつもある。
「やさしい日本語」は、わたしがおもっている わかりやすい日本語と、
かなりちがうとりくみのようだ。すこしがっかりする。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

日東紅茶とリプトンのティーバッグに、味のちがいがあるか

食後にのむのはたいていコーヒーだけど、
紅茶がきらいなわけではない。
ティーバッグや、ときにはポットに(じっさいは急須)
葉っぱをいれて紅茶をつくったりする。
ティーバッグより、葉っぱでつくる紅茶のほうが
おいしいとおもうけど、はっきりしたちがいがわかるほど、
わたしの舌はデリケートではない。
ちがいは、誤差の範囲内かもしれない。

もっと差がないのは、ティーバッグどうしの比較だ。
いつもは日東紅茶のティーバッグをかうけど、
このまえは、リプトンのティーバッグが目についたのでためしてみた。
日東紅茶は268円、リプトンは306円。どちらも25袋いりだ。
日東紅茶は、よくある四角の袋いりで、
リプトンは、ピラミッド型の袋にはいっている。
なぜいつもは日東紅茶をかうかというと、リプトンよりやすいからで、
なんで今回はリプトンにする気になったかというと、
すこしたかければ、そのぶん すこしおいしいかも、とおもったからだ。
たかければ、それだけよい品質だとおもいたい心理。
でも、いつもはやすいほうをえらぶケチで貧乏なわたし。
じっさいには、わずかなちがいさえわからないほどよくにた品質。
リプトンは、ほんのすこし日東紅茶より値段をたかくして、
貧乏人の心理をじょうずにあやつっているのかもしれない。

メーカーのいちばんたかい製品をかえば、
きっとそれなりにおいしい紅茶なのだろうけど、
やすい製品にも、そのメーカーの実力があらわれるのではないか。
やすいティーバッグがおいしければ、
たかい紅茶だって、きっとおいしいはずだ。
くらべてみると、リプトンよりも日東紅茶のほうが
紙くささをかんじないぶん、すこしおいしい気がした。
でも、そのつぎにリプトンをいれたときは、
日東紅茶とのちがいをかんじなかったので、
じっさいには、ほとんど両者に差はないのかもしれない。

ちなみに、紅茶のはいった小袋はティーバッグがただしく、
ティーバックやティーパックはまちがいだと
ウィキペディアはみなしている。
ティーバックは、うしろからみると「T」にみえる下着だ。
ティーパックはお茶のはいったつつみを意味するので、
ことばとしてはありでも、じっさいには存在しない(はず)。
ティーバッグの味に不満があれば、
ティーパックに紅茶の葉をいれて、
自分のティーバッグをつくる手がある。

posted by カルピス at 22:32 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

いまさらながらの『自転車泥棒』 ハッピーエンドでないのにおどろく

『自転車泥棒』(ヴィットリオ=デ=シーカ:監督・1948年・イタリア)

有名な作品なのに、まだみていなかった。
わたしにはどこか教養主義的なところがあり、
本であれ、映画であれ、できれば一般教養の範囲くらいは
おさえておきたいとねがっている。
ねがってはいるけど、たいして実行されておらず、
このままのペースでは、死ぬまぎわになっても、
半分くらいしか到達できそうにない。

というわけで、いまさらながらの『自転車泥棒』。
(以下、ネタバレあり)
第二次世界大戦がおわった直後のローマが舞台で、
おおくの市民が職をもとめて
さきのみえないその日ぐらしをおくっている。
主人公の男性は、市の職員として、
ようやくポスターはりの仕事をえる。
市内をまわってポスターをはるには、どうしても自転車が必要で、
質屋にいれていた自転車をなんとかとりもどして、
これからの仕事にそなえる。
しかし男は、仕事の初日に自転車をぬすまれてしまった。
ほとんど手がかりがないまま、
むすこといっしょに自転車をさがしまわる。

さがすといっても、はっきりしたあてはなにもない。
みこみがないとしりつつも、どうしても自転車が必要なので、
さがさざるをえない。
自転車をみつけられるのなら、
どんなちいさな手がかりでもすがりたい。
高校生のおこづかいでかえるような
現代のやすい「自転車」とは わけがちがう。
男は、自転車をみつけるのが絶望的としりつつも、
ほかに道がないために、自転車をさがしつづけるほかはない。
「俺にとって、どれほど大切な自転車か」
自転車だけが、あすからのくらしをささえてくれる唯一の希望だ。

これから仕事にむかおうとする朝、
男が お弁当のオムレツいりサンドイッチを胸ポケットにいれ、
むすこにもサンドイッチをわたしたときの ほこらしげな表情。
ちゃんとした職をえて、生活していけるよろこび。
そんなしあわせが、自転車をぬすまれたことで、
いっぺんにくずれおちる。

単純なストーリーなのに、ついひきこまれてしまうのは、
どうしようもないまずしさのなかで、
なんとかくいつないでいこうとする当時の
ローマ市民のくらしが 胸にせまるからだろう。
夫婦の愛や、むすこへの愛がないわけではない。
自分さえ、家族さえよければと、
男のこころがすさんでいるわけでもない。
とにかく、たべていくだけで精一杯だ。
ひとは、気もちに余裕がなくなると、
目のまえにある問題をどうするのかが、最重要課題であり、
この男だけでなく、当時のローマ市民のおおくは、
おなじおもいで生きている。

自転車をぬすんだ(ようにおもえる)男が、
とおりすがりの老人になにかを手わたした。
この、ほんのかすかな手がかりをたよりに、
男はどこまでも老人をおいかける。
教会での集会にもはいりこみ、無礼な態度をとってでも、
わずかな可能性にすがって 老人にしつこくつきまとう。
男には、ほかにのこされた道がない。

さいごには、どうしようもなくなって、
男はひとの自転車をぬすもうとする。
おいかけられ、すぐにつかまって、
おおぜいにつるしあげられる。
自転車をぬすんだ場面をむすこにみられてしまった。
父親としてふかくはじいり、
自分のしたことに呆然となりながら、男はその場をはなれる。
むすこは、そんな父親の手をじっとにぎりしめる。

ハッピーエンドでないのにおどろいた。
男といっしょに呆然となりながら、
これからのくらしをおもう。
男の子が、ポッチャリふとっているのがおもしろい。
ぜんぜんまずしくなさそうなブルーノくん。
それに、当時のローマは、
ポスターをはるだけで 一家4人がたべていけるほど
給料がもらえたのだろうか。
そんなことをするから、イタリアのインフレがすすんだのでは。

posted by カルピス at 22:46 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

川崎のJ1初優勝をかみしめる

J1最終節(第34節)、川崎と大宮の試合を録画でふりかえる。
中5日の大宮と、中2日の川崎。
川崎の選手はとうぜんつかれがたまっているけど、
この試合にかちきるしか、優勝にのぞみをつなぐ道はない。
降格がきまった大宮は、気もちのきりかえが
むつかしい試合だったかもしれない。
前半こそ、大宮はよくせめていたけど、
後半さきに足がとまったのは大宮の選手たちだった。

同時刻に、首位をゆく鹿島が磐田との試合をおこなっている。
川崎がホーム、鹿島がアウェイというのも、
いまおもえば川崎劇場のおぜんだてだったのか。
鹿島の試合は、前半をおえてもスコアーがうごかない。
試合は、磐田がおしていると、
ヤマハスタジアムからの報告がはいる。
鹿島の選手たちも、前半で2−0という
等々力の状況が耳にはいっているだろう。
かたなければいけないと、
よけいなちからがはいれば かえってからまわりしやすい。

実況アナウンサーが、解説の木村さんにはなしている。
「鹿島はむつかしいゲームになっているようです」
鹿島がとくいなのは、さきに点をいれて、
そのまま試合をおわらせるうまさなのに、
点がとれないと、ましてや川崎の得点がつたえられれば、
鹿島の選手たちは、どうしてもよけいなことをかんがえる。
鹿島のくるしさをよく理解したうえでのコメントだ。
いつまでたってもスコアがうごかない鹿島の試合に、
テレビをみているわたしも、そのむつかしさをかんじはじめる。
鹿島は、たった1点いれるだけで、
優勝への道がおおきくひらけるのに、
こういうときには、なにをやってもゴールがとおい。
この日の実況担当は、NHKの野地アナウンサー。
おちつきながらも的をいた表現が、きいていてここちいい。
木村さんのとぼけた味もじょうずにひきだし、
ぴったりのコンビだった。

前半2点とったあと、試合はハーフタイムをむかえる。
インタビューで
「後半をどうたたかいますか?」
とたずねられたとき、
鬼木監督は、
「3点目をとりにいきます」と
まよわずこたえている。
この姿勢があったからの優勝なのだと、
いま、あらためて川崎の充実したつよさをおもう。

後半のアディショナルタイムは、川崎も、
そして鹿島でおこなわれている試合も、おなじ5分。
劇的なドラマが、お膳だてされていたのだ。
そのアディショナルタイムの5分をすぎ、
川崎の長谷川が5点目をきめたおなじ時刻、
鹿島も0−0のまま試合がおわった。
そのしらせが、川崎のベンチにはいり、
選手たちがよろこびにわきたつ。
ピッチの選手たちも、その意味をすぐに理解した。
きのうのブログにもかいたけど、
中村憲剛選手がよろこびをこらえきれず、
ピッチになきふした姿がわすれられない。
いろんなくやしいおもいをして、
ようやくつかんだ頂点だ。
ほんとうに、いいものをみせてくれた
川崎の選手・サポーターに感謝したい。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

祝 川崎フロンターレ J1初優勝

ことしのJ1リーグは、最終節までもつれ、
首位の鹿島がひきわけ、2位の川崎がかったため、
川崎の劇的な逆転優勝となった。
これまでずっとタイトルにめぐまれなかった川崎が、
ようやく2位どまりの「のろい」からときはなたれ
(シルバーコレクターというのだそうだ)、
J1の頂点にたった。

わたしは、熱狂的な川崎ファンではないものの、
中村憲剛選手のファンであり、
したがって、なんとなく気になるチームだった。
2006年に、オシムさんが日本代表の監督になると、
憲剛が代表によばれるようになり、
そのパスセンスにおどろいたものだ。
オシムさんが脳梗塞にたおれたのが、10年まえの2007年で、
それからの憲剛は、Wカップ南アフリカ大会にはえらばれたものの、
交代選手としてベンチをあたためる時間がながかった。
つぎのザッケローニ体制ではチーム構想からはずれ、
けっきょく最終的なメンバーとしてはよばれなかった。
しかし、その後も憲剛は川崎の中心的な選手でありつづけ、
昨年は、優勝チームに所属していないにもかかわらず、
J1リーグのMVPにえらばれている。
今シーズンも、キャプテンは小林悠にゆずりながら、
川崎の攻撃的なサッカーに、かかすことのできない選手として
ゆるぎない存在感をみせ、チームの初優勝に貢献した。

最終節の大宮戦では、後半ロスタイム、
長谷川が5点目をいれたのと同時に、
鹿島のひきわけが等々力競技場にしらされた。
憲剛はピッチに顔をうずめてなきじゃくる。
おおくの優勝は感動的なものだけど、
これぐらい胸をうつよろこびの光景はあまりない。
表彰式にシャーレがまにあわず(鹿島にあったので)、
風呂桶でのバンザイも川崎らしかった。

せんじつは、アジア選手権(E−1)の代表が発表され、
川崎からは、5人のメンバーが名をつらねたのに、
残念ながら憲剛の名前はなかった。
Wカップ本番にむけ、あたらしい戦力を発掘するのが目的らしく、
年齢37歳の憲剛は対象外みたいだ。
ひさしぶりに、代表で活躍する憲剛がみたかった。

降格あらそいでは、広島があぶないところでJ1にのこった。
前節で残留をきめていたものの、おわってみれば、
広島は降格圏ギリギリのの15位だった。
16位の甲府とは、かち点1しか差がない。
J2では、きょうのプレーオフで
名古屋が福岡とひきわけ、1年でJ1への復帰をきめた。
おわってみれば、監督がなんにんもかわり、
順位もはげしくいれかわった、話題のおおい2017年のJリーグだった。

posted by カルピス at 18:46 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする