2018年01月19日

かとうちあきさんの「極力働きたくないし、働かないぞ」に賛同する

わたしが人生の師匠とあおぐ
野宿伝道師のかとうちあきさんが、
きょねんのくれに「はたらかない決意」をツイートしている。
https://twitter.com/kanegonn
夜勤の仕事をおさめたー。今月は旅行で半月休んだから、残りの半月で通常プラスαの夜勤に入ることになって、たくさん働いたきぶん(錯覚)。先月まで来年はもうちっと働かにゃ〜な〜なんておもってたけど、やっぱり極力働きたくないし、働かないぞ。

新年をむかえたこの時期、おそらく気もちだけになりそうな
「ことしこそ」をかかげるひとがおおいのではないか。
かとうさんみたいに「やっぱり極力働きたくないし、働かないぞ」
という決意はすばらしい。

わたしは、きょうが休日であるにもかかわらず、
職場が企画した「成人をいわう会」にお昼まで出席した。
「極力働きたくない」わたしにも、つきあいがあり、
こういう会にはでておいたほうがいい、みたいな雰囲気によわい。
とはいえ、会にはでたものの、
わたしの頭のなかは おでんの のこり汁でつくる
おからのことでいっぱいだった。

大量につくったおでんも、5日であらかたなくなり、
でもまだかなりの量の汁がのこっている。
この汁をつかって、おからをつくるのが
わたしのなかで「お約束」になっており、
おでんのさいごはおから、という
へんな図式が わたしのパターンとしてできあがっている。

トランプ氏が「アメリカファースト」と、
自分の国を最優先させる論理をふりかざして
ひんしゅくをかっているけど、
わたしもまたそうとうな「自分ファースト」だとおもう。
せっかくひらかれる「成人をいわう会」なのに、
のこり汁でつくるおからのことが頭からはなれず、
すきま時間をつくり、スーパーでおからとネギ、
それにごぼうをかっておいた。
「成人をいわう会」がおわるとすぐに家にもどり、
おからづくりをすすめながら おそめの昼ごはんをたべる。
これでひと安心だ。わたしのこだわりはぶじにみたされた。

トランプ氏は、多国間による貿易協定をこのまず、
2国間でのとりきめにこだわるのは、
自分のこだわりをとおしやすいからではないか。
いくつもの国があつまってはなしをするときに、
自分のこだわりばかりをふりかざすわけにはいかない。
でも、2国間でのはなしあいなら、それが可能だ。
わたしが、おでんののこり汁はおからにつかわなければ、
という、ささやかなパターンにこだわりをもつように、
おそらくトランプ氏も、経験によりできあがった
どうでもいいようなパターンを大切にするひとなのだろう。
もっともらしい理由をこねくりまわすかもしれないけど、
トランプ氏がほんとうに大切にしているのは、
自分がかさねてきたパターンへのこだわりだ。

「成人をいわう会」がおわるころになって、
そういえば、わたしのむすこも、
ことし成人になったのをおもいだした。
このまえ成人式にかえってきたばかりなのに、
もうむすこのことをすっかりわすれ、
おでんの のこり汁に 頭のなかを支配されている。
トランプ氏とはなしをしたら、
あんがい似たような話題でもりあがるのでは。

posted by カルピス at 14:53 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

料理のレベルとしあわせは 関係ないのかも

コウケンテツさんの旅プラス料理番組
「コウケンテツの世界幸せゴハン紀行」で、
デンマークをとりあげていた。
こうした旅ものがわたしはすきで、
よくみるほうだとおもうけど、
このデンマーク編は、ほかのおおくの番組とちがい、
でてくる料理があまりおいしそうではなかった。
豚肉をかたまりのままオーブンでやいたり
(きりこみをいれ、ロリエをはさみはしていたけど)、
サケのくんせいを、そのままちぎってたべるだけだったり。
ミンチでつくる肉ダンゴを、デンマークならではの家庭料理、
みたいにいっていたけど、
だれでもつくれそうな、素朴きわまりない料理にみえる。
地元の食材をいかそうというかんがえ方や、
野原にはえているイチゴをサラダにいかしたりの実践は、
すばらしいとおもうけれど、
正直にいって、料理のレベルとして、
デンマークはかなりひくいのではないか。

はじめは、きびしい自然環境から、
手にはいる食材がかぎられているので、
デリケートな料理をつくる気にならないのかも、とおもった。
でも、番組をみているうちに、
デンマークには、ヨーロッパ各地から食材があつまってくるし、
国内にも、ゆたかな食材を提供できる農地があるという。
もりつけをふくめ、みた目をあまり気にしないのが
デンマーク人の国民性なのかもしれない。
誕生日のケーキも、すごくおおざっぱにつくるし、
オーブンで火をくわえただけの肉料理にだって、
「きょうのは最高のできだ」とおおまじめにこたえている。

コウケンテツさんは、なにをたべても
じょうずにほめているけど、
ほんとうは、すくなくとも味については、
いいところをさがすのがたいへんだったのではないか。

でも、そんな料理を、家族や友人たちとテーブルをかこみ、
ほんとうにおいしいと確信してたべているようすはすばらしい。
デンマークには、「ヒュッゲ」とよばれる
しあわせの感覚があるそうで、
新聞にも紹介されていたし、コウさんの番組でも
家族でかこむ食事の時間を「ヒュッゲ」とよんでいた。

料理のレベルがたかい国では、
ものすごくおいしい料理をたべないと、
ひとびとは満足しないけれど、
そこそこの料理にも、こころからおいしいとおもい、
しあわせをかんじながらたべるほうが、
たのしいにちがいない。
デンマークでいうしあわせは、
あまりたかくをのぞまないで、
したしいひとたちといっしょにたべるのに
重点をおくのだとおもえば納得できる。
料理は、あまりにもたかいレベルにたっしてしまうと、
しあわせをかんじるのはたいへんだけど、
そこそこの料理を、家族や仲間とたべられたら
それこそがしあわせ、というかんがえ方もある。

デンマークのひとは、けして自分たちの料理が
「そこそこ」とはおもっておらず、
こころのそこからデンマーク料理や
それぞれの家にうけつがれている料理を
サイコーだとしんじている。
そのプラス思考が、「ヒュッゲ」への近道かもしれない。
なんでもじょうずにつくれたり、
おいしい料理にかこまれた生活が、
そのまましあわせにつながらないところがおもしろい。
なんだかデンマーク料理の悪口みたいになったけど、
しあわせへの道を かんがえさせられる番組だった。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月17日

山本文緒さんの解説がおもしろい『ジャンプ』(佐藤正午)

チェンマイのホテルに、とちゅうまでよんでいた
『ジャンプ』(佐藤正午・光文社文庫)をわすれてしまった。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/455783131.html?1516194659
この本の解説を、わたしのすきな山本文緒さんがかいており、
チラッとめくってみると、
「読者のみなさんにお願いがあります。
 先に解説を読まないでください」
とある。
そうか。そんなにいうのなら、
解説はあとのおたのしみにとっておこうと、
ちゃんと本文からよんでいたら、
ホテルにわすれてしまった。
いいところまでよんだ本を、自分の不注意でわすれ、
とちゅうでうちきるなんてすごく残念だ。
さいわいキンドル版がでていたので、
そちらをダウンロードした。

このまえブックオフにいくと、
佐藤正午さんの本は『ジャンプ』だけがおいてあった。
まだよんでない本がほしかったけど、
キンドル版には解説がなく、山本文緒の解説を
まだよんでいなかったので、
タイのホテルにわすれた本を、日本にかえってから
またかってしまった。
自分がものすごくおろかな人間におもえてきた。

ブックオフでかった『ジャンプ』は、
なんという奇遇か、わたしがホテルにわすれた本だった、
というのならものすごく不思議なはなしになるけど
(『鳩の撃退法』での『ピーターパン』みたいだ)、
もちろんまったくべつの『ジャンプ』だ。
以下、ネタバレになるかもしれないので、
まだ『ジャンプ』をよんでいないひとはご注意ください。

主人公の男性は、なぜアブジンスキーなどという、
つよいカクテルをのんだのか、
山本さんはなんども疑問をなげかけている。

山本さんの解説には、北上次郎さんの書評が引用されており、
のにち北上さんは、山本さんの解説を引用しながら
「勝手に」(すでに山本さんの解説がありながら)
解説をかいて、『勝手に!文庫解説』としてまとめるという、
ややこしいやりとりが『ジャンプ』をめぐっておこなわれている。
『ジャンプ』は、本のプロといべき小説家と書評家が、
それだけ気にするほど 一筋なわではいかない作品だ。

たまたまだけど、「ほぼ日」でいま、
佐藤正午さんと糸井重里さんの対談が連載されている。
http://www.1101.com/satoshogo/2018-01-17.html
佐藤正午という人物の正体を、
じわじわと糸井さんがときあかしていく。

主人公の「僕」は、なぜアブジンスキーをのんだのか。
それにより、彼と彼女の関係は、
なにかが決定的にかわったのか。
山本文緒さんは、じっさいにアブジンスキーをのんでみたそうだ。
たしかに、山本さんの解説は、
本文をよんでからのほうが 味わいぶかい。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

しんざきさんの「『俺の文章大好き』以上にブログをつづける理由が存在しない、という話」にドキッとする

倉下忠憲さんのかかれた
「自分で楽しむブログと届けようとする姿勢」
https://rashita.net/blog/?p=23732
をよむ。
倉下さんは、しんざきさんの
「『俺の文章大好き』以上にブログをつづける理由が存在しない、という話」
http://mubou.seesaa.net/article/456184451.html
をとりあげている。
だれかに「届けようとする」姿勢があるかないか。
私はこの記事を100万人に読んでもらえることをイメージして書いているわけではありません。かといって、誰にも読まれえないとも思っていません。やはり「届けよう」と思って書いています。

しんざきさんの記事をいくつか 興味ぶかくよんだ。
わたしごのみのブログだ。
こまかな分析をくりひろげる もっともらしいブログよりも、
モチベーションの基底にあるのは圧倒的に「自分の文章大好き」という自己満足です。
つまり、私のブログには、一人圧倒的な良読者が固定でついている、ということになります。私です。

とまでいいきってしまういきおいが気もちいい。

わたしはなんでブログをかいているのか。
倉下さんのように、だれかにとどけようとする気もちよりも、
しんざきさんのいわれる、「俺の文章大好き」にちかい気がする。
ただ、いつも「俺の文章大好き」な記事がかけるわけではなく、
とにかく中断しないことだけを目的に、
つなわたりみたいに細々とつづけているブログ。
そんなブログをかく意味などあるのか。
『鳩の撃退法』のなかで、小説家、津田伸一が
都合のわるいことをきかれたときに、よくいうセリフ、
「その質問はうけつけない」
がわたしはすきだ。
ふかくかんがえるのが苦手なのだろう。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月15日

「ディス・イズ・ザ・デイ」のネイティブな出雲弁に拍手をおくる

「お母さんどげだった?」(中略)
「元気そうだったわ。手間天神社に興味持ったりしちょったよ」
「そげならよかったわ。7時間もかかるところを呼びつけるから心配だったがね」
「まあ、とにかく来てくれたけん」

津村記久子さんが朝日新聞に連載している
「ディス・イズ・ザ・デイ」の第9話は、
わたしがすんでいる松江が舞台だ。
小説のなかで、出雲弁が堂々とはなされている。

たしかに、わたしたちはこんなふうに出雲弁をはなしている。
よほどしっかりした助言者に、
出雲弁をチェックしてもらっているのだろう。
この会話を、ほかの地方のひとがよんで、
理解できるのか、ちょっと心配になった。
それほどネイティブな出雲弁だ。
「ディス・イズ・ザ・デイ」は短篇集であり、
J2やJ3に所属する、有名ではないチームがとりあげているので、
試合をみにいくと、どうしてもその土地の方言がからんでくる。
ほかの町が舞台のときでも、なにをはなしているか
ぜんぜんわからない、ということはないので、
出雲弁がでてくる第9話にしても、
きっとほかの地方の読者も、ストーリーについていけてるのだろう。

関西弁や博多弁ほど、出雲弁は確固たる地位をきずいていないので、
ほかの地方のひととはなすとき、
共通語というか、丁寧語によってかくしてしまいがちだ。
出雲人の遠慮がちな県民性とも関係するのかもしれない。

宍道湖岸をジョギングしていると、
そんなにひろい道ではないので、
むこうからくるランナーとすれちがうことになる。
わたしと、むこう。どちらがコースをゆずるのか。
島根では、たいていかなりはやい段階で、
正面からくるひとがコースをかえくれる。
あなたがそれほどつよ気のランナーでなくても、
そのままはしっていれば 島根ではたいてい大丈夫だ。
わたしはとくにいかつい男ではないし、
すごくとばしてはしっているわけではない。
それでもたいていむこうがゆずるのは、
島根のランナーがどれほど内気かをあらわしている。
出雲弁も、これとよくにている。
だれかほかの地方のひととはなすとき、
島根のひとは、共通語にきりかえて 出雲弁をかくそうとする。
自分からさきに出雲弁をひきさげるのが出雲人の特徴だ。

第9話は、「松江04」という架空のクラブがでてきて、
2部リーグに所属している、という設定になっている。
小説のなかでは、Jリーグの試合をするスタジアムがでてくるけど、
じっさいにはそんなに立派なスタジアムは存在しない。
JFLいりをめざしているクラブはあるので、
この小説は、松江にありえたかもしれないクラブと、
それにまつわるサポーターのはなしだ。
出雲人らしく、応援にしかたも、どこか遠慮がちにえがかれている。
ストーリーも、ほかの回にくらべておとなしめだ。
正確で、むきだしの出雲弁が堂々とかたられる小説はめずらしく、
松江らしい ものがたりのしずかな展開に好感がもてた。

posted by カルピス at 23:44 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

なんどよんでもあきない『東南アジア紀行』(梅棹忠夫)

このまえのタイ旅行では、
梅棹忠夫さんたちの学術調査隊が
1957から58年にかけておとずれたコースを
ほんのすこしだけかすめている。
ひさしぶりに『東南アジア紀行』(中公文庫)をひっぱりだしてみた。

タイの最高峰、ドーイ=インタノンをのぼろうと、
調査隊はチェンマイから西へむかう。
とちゅうでおとずれたメー=ホーイの村では、
学校の先生のおうちにひとばんとめてもらう。
「村」といっても、20戸ばかりの農家がちらばる ごくちいさな農村だ。
多少とも近代化され、知識もあるいなかの人には、しばしば鼻もちならぬキザな人物がいるものである。しかし、ここの先生には、みじんもそういうところがなかった。かれは、われわれに対しても、村の人に対しても、礼儀ただしく、ひかえ目で、しかもあいそがよかった。せまってくる近代の波に足をすくわれることなく、タイの農村の伝統の上にしっかりと足をふまえて立って、しかも着実に村の進歩のための一つの中心になっている。

「せまってくる近代の波に足をすくわれることなく」
のことばえらびがうつくしい。

チェンマイの営林局が梅棹さんたちの調査隊に同行させたサイヤン氏について、
メー・ホーイから上の荷物の輸送のために、ウマを集めなければならぬ。この地方の事情としては、それはなかなかむつかしいことだった。その問題が、サイヤンが腕を発揮する最初の機会になった。かれは、小川、葉山とともに先行して、その交渉に当ったのだが、その判断の正しさと、処置の的確さとで、たちまたわたしたちのあいだで信用を得てしまった。
 かれは、有能というだけではない。人間としてのかれの誠実が、なによりもわれわれをひきつけるのである。しかも、かれはユーモアを解する。

「人間としてのかれの誠実が、なによりもわれわれをひきつけるのである」
なんと的をいた人物観察だろう。

30年まえに、はじめてこの本をよんだとき、
手に汗にぎる探検でないためか、わたしにはたいくつな記述がおおく、
おもしろそうな項目をもとめて いいかげんにページをめくった。
しかし、すこしおとなになってから ふたたび手にとってみると、
よめばよむほど、味がでてくる本なのがわかった。
よむたびに、あたらしい場面にひかれる。
なんで、これまでみすごしていたのだろう。
東南アジアの歴史をわかりやすく紹介しつつ、
梅棹さんが旅行で目にした事実から、仮説をたてる。
この調査隊がタイをまわったのは、
60年もむかしのはなしなのに、ちっともふるびていない。
梅棹さんほど ふかい教養と行動力をかねそなえていなければ、
これだけの探検記はなかなかかけないのだろう。

posted by カルピス at 22:00 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月13日

すぐれた青春映画だった『サタデー・ナイト・フィーバー』

『サタデー・ナイト・フィーバー』
(ジョン=バダム:監督・1977年・アメリカ)

いまさらながら『サタデー・ナイト・フィーバー』。
わたしは、自分がおどれないヒガミから、
この作品をずっと敬遠してきたけれど、よくできた青春映画だ。
チャラい作品だろうときめつけずに、
もっとはやく、高校生のときにみておけばよかった。

トニー(トラボルタ)はペンキ屋につとめる19歳のわかもの。
週末にディスコでおどるのをたのしみに、
両親・祖母と同居している。
家族や職場にすごく反発しているかというと、
そういうわけでもなく、
たくみなダンス以外はごくふつうの青年だ。
仲間とつるんでさわぐにしても、
ほかのメンバーをどちらかといえばいさめる役で、
ふかい教養はないにしても、独自のかんがえをもっている。
わたしがきめつけていたような、頭からっぽのチンピラではなくて、
自分の生きかたをさがしはじめている、
しっかりしたわかものとして好感がもてた。

『サタデー・ナイト・フィーバー』といえば
ディスコでのダンスが有名だけど、
いまみると、そんなにハデなうごきはなく、
行儀のいいフォークダンスみたいだ。
ラストのダンスコンテストでも、
おとなしいふりつけに終始している。
トニーは、あきらかに自分たちのコンビよりも
うまくおどったカップルに賞金をゆずったり、
町をでてひとりぐらしをはじめたいと、
すきな女の子にうちあけたりと、すごくまともなわかものだ。
トニーにおもいをよせる女の子、アネットがかわいい。
トニーがふりむいてくれるよう、背のびしがちな彼女を、
トニーはやんわりと自分の道をすすむようにさとす。

トラボルタというと、どうしても
『パルプ・フィクション』のダンスをおもいだす。
むりやりにステージにひっぱりだされ、
じゃ、ま、ちょっとやってみるかと、
しぶしぶはじめたツイストが余裕たっぷりだった。
おどれない役者が練習をかさねてたどりついたダンスではなく、
1000ぐらいひきだしをもっている名人が、
そのなかのひとつから さりげなくひっぱりだして
かるく披露してみました、というかんじ。
『サタデー・ナイト・フィーバー』とくらべ、
トラボルタにはたっぷり肉がついてしまったけど、
その分、成熟したダンスとなり、
さきをいそぎたがるユマ=サーマンを、余裕でリードしていた。

『サタデー・ナイト・フィーバー』があっての
『パルプ・フィクション』であり、
タランティーノ監督が、
じょうずにトラボルタをいかした作品なのがよくわかった。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

チェンマイでみかけた介護保険サービス

チェンマイのホテルにとまったとき、
フロントに日本語のフリーペーパーがあったので
手にとってみた。
「介護サービスステーション」と、
まるで日本の介護保険みたいなサービスが
紹介されているのでおどろいた。
「介護サービスステーション」では、タイにお住まい・ロングステイの日本人の方を対象に、ご自宅への訪問介護を行います。日本とタイでそれぞれのスタッフが介護・支援するプログラムです。
お1人お1人(ママ)の現状に合った介護・支援プランを作成、介護スタッフがご自宅に訪問し、プランに基づいた介護・支援が受けられます。料金は、日本国内で介護をうけた場合に支払うべき介護保険法に基づく事故負担額(受けた介護費用の10〜20%)の範囲内でタイで訪問介護が受けられるという低価格プランとなっております。

チェンマイで老後をすごす日本人のために、
こんなしくみがすでにととのっているとは。
マラソンをいっしょにはしったレース仲間に、
こうした介護サービスがあると話題をふったら、
旅行ではタイにきたいけれど、
老後をすごすのはかんがえられない、といっていた。
わたしも、まだ50代のせいか、
切実に外国での老後をおもいえがいたことはない。
日本にもどってきて、1月のさむさにこごえながらも、
旅行さきとしてはともかく、老後のすごしかたとして
そうかんたんには覚悟をきめられない。
とはいえ ひとにより、
いろんなソロバンのはじきかたがあるわけで、
チェンマイですごす老後に、
介護保険がこころづよいサービスのひとがいても不思議はない。

NHKスペシャルで中国の「一帯一路」政策をとりあげていた。
西へむかって経済圏をひろげる中国のすがたが
生々しくつたわってくる。
かせごうとする若者にとって、「一帯一路」は
おおきなビジネスチャンスのようだ。
ものを大量にかいしめ、中国の市場へながしこむエネルギーは、
たしかにものすごいけれど、
なんだかとおい世界のできごとにうつった。
「かせぐ」ことへのおもいが、わたしにはピンとつたわってこない。
わたしだけでなく、日本人のおおくは、
こうしたうごきに関心をもたないのではないか。
いまは、どうしたらこころがみたされるかに、
ひとびとの意識がむかっているようにみえる。
中国の「一帯一路」よりも、
チェンマイの介護保険サービスのほうが、
いまのわたしには身ぢかな話題を提供してくれる。

posted by カルピス at 22:12 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月11日

デンマークの「ヒュッゲ」というしあわせな感覚

このまえブログにかいた
「幸せのかたち」(朝日新聞連載)に、
デンマークのしあわせがとりあげられていた。
北欧は、手あつい福祉国家として、
うらやましいけど、どーせマネできないしくみだろうと、
はじめからあきらめてしまう。ほとんどヒガミだ。
でも、記事によると、
「ヒュッゲ」というお手がるな方法でしあわせになれるという。
方法というか、感覚のはなしだ。
「ヒュッゲ」とは、
心が温かくなるような感覚を表す言葉で、毎日何度も使い、さりげない瞬間の幸福を確認するらしい。

らしい、というのは、記事をかいているライターも、
よくわかっている感覚ではないからだろう。

村上春樹さんがいう小確幸は、
そこにいたる勝利の方程式みたいなのがあるていどきまっている。
ヒュッゲは、もうすこしぼんやりしており、
確固たる存在ではないような気がする。
うかうかしていたら、もうすこしでくるかとおもっていた
せっかくの「ヒュッゲ」を、
スルッと、とりにがしてしまうので、油断ならない。

きのうは夕方からひえこんできて、雪がつもりはじめる。
利用者をおうちにおくるたびに、
送迎車が雪にはまってうごかなくなる。
事業所にもどるまで、いつもの倍くらい時間がかかった。
ありあわせのもので夕ごはんをすませようとおもったけど、
寒波がもしつづけば、家に食糧がないのはさみしいので
かえりにスーパーへよってキャベツやらサバ缶やらをかう。
備蓄にはげむのが、わたしの趣味みたいなものだ。
もしわたしがリスやクマだったら、
さぞかし熱心に冬ごもりの準備をすすめるだろう。

夕ごはんをつくり、家族でたべ、あとかたづけをすませ、
なんだかんだと時間はすぎてゆき、
寝酒をもってベッドにたどりついたのは12時まえだ。
雪で日常がめちゃくちゃになったにもかかわらず、
なんだかいい気分なのに気づいた。
もしかしたら、これが「ヒュッゲ」では、とおもった。
からだが適度につかれ、
部屋はじゅうぶんにあたたかく、
気もちはリラックスできている状態で、
ふと いつもとはちがうあわせをかんじた。

北欧型の手あつい福祉は実現できなくても、
ヒュッゲならなんとかマネできるかもしれない。
気をつけなければらないのは、
1杯のはずではじめる寝酒が、2杯や3杯になると
ヒュッゲではなく、酩酊へ、ふつかよいへとうつりそうだ。
きのうは あぶないところで2杯目を我慢した。
わたしのヒュッゲは、ささやかなバランスのうえで
かろうじてなりたっている。

posted by カルピス at 22:42 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月10日

ほぼ日手帳になにをかきこんでいるか

ことしも「ほぼ日手帳」のカズンを用意した。
だいぶ自分なりの手帳になってきたので、
さらにオリジナルなものにしていきたい。
と、おもっていたのに、
旅行で中断したのを理由に、
ことしになってから、ほんのすこししかかきこんでいない。
いまどんなつかい方をしているかというと、

【1日ページ】
・ゆうべのんだ酒の種類と量
・朝ひねりだした作品の品さだめ(3段階評価)
・まえの日の温度(つぎの日の新聞をみて)
・日課としているうでたてふせとスクワットの回数
・夕ごはんをつくったときは、そのメニュー
・その日の活動内容(時間にそってかんたんに)
・おもいついたことをそのまま適当にメモする

【週間ページ】
・週のトレーニング計画を中心にしたスケジュール管理
わたしは仕事のうえで
長期・中期的なプロジェクトをかかえてはおらず、
ほとんどスケジュール管理が必要ない人間だ。
もちろん、こまかなスケジュールをたてて、
時間を有効につかえばいいのだろうけど、
そこまでする気にはならない。
トレーニング予定については、
週間予定にかきこんでしまえば、
なまけるわけにいかず、わりとすんなり実行できる。

【年間インデックス】
半年分を一覧できるのですきなページだ。
・実行したトレーニング
・上の欄に、その月に実行したトレーニングの回数
・下の欄に、その月にみた映画のタイトルと日付

わたしはほぼ日手帳とはべつに、
パソコンのデータベースソフトをつかって日記をつけており、
その日記とほぼ日手帳とのすみわけが課題となっている。
パソコンにかいたことと、かさなるようなら、
ほぼ日手帳にわざわざかく意味がない。
いくつかためしているうちに、
いきのこったのが、うえにリストアップした項目だ。
月間カレンダーは、まったくつかっていない。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする