2017年07月27日

食は、「うますぎてもはやおそろしい」世界へはいりこみつつあるというデイリーポータルZの指摘

デイリーポータルZにのった
「こわがりが厳選するうますぎてもはやおそろしい食べ物6品」
(古賀及子)にかんがえさせられた。
http://portal.nifty.com/kiji/170721200216_1.htm
ふつうによむと、なんのことだかわからないのではないか。
ポイントは「うますぎてもはやおそろしい」にある。
お店でうっているたべものは、
「おいしい」とおもってもらえるように
工夫をこらしているわけだけど、
それにしても限度がありはしないか、という問題提起だ。
一線をこえてしまえば、「うますぎてもはやおそろしい」
世界へと いっきに突入する。

たべもの関係の記事はふつう、
基本的に「おいしい」ものを紹介している。
でも、はたしてほんとうに
「おいしい」をもとめつづけて いいのだろうか。
まってるのは、もしかしたら地獄かもしれない。
それらの反省から、いろんな食材と時間を、
あれもこれもつぎこんで「おいしい」を目ざすのではなく、
おいしさの さらにさきにあるものに
世のなかが目をむけるようになった。
デイリーポータルZでいうと、
「弁当をパフェにする」や
http://portal.nifty.com/kiji/160725197049_1.htm
「揚げ物に油をかけると、すっげーウマい」
http://portal.nifty.com/kiji/170314199029_1.htm
みたいな記事を、このごろひんぱんにみかける。

グルメだなどと、はしゃぎすぎた反動が、
こういううごきとしてあらわれたのだろう。
問題は、記事にあげられた6つの商品が、
はたしてわたしにとっても「うますぎてもはやおそろしい」
とかんじられるかどうかだ。
たとえばラジオをきいていると、歌に関するわたしの感性は、
どうもあまり敏感ではないようにおもえてくる。
司会者とゲストが「いい曲ですね〜」と
もりあがっているのに、わたしにはさっぱりな曲のほうがおおい。
ラジオ番組だから、むりして感動しているときもあるだろうけど、
そればかりではないはずだ。

おなじように、わたしはいわゆる味覚オンチのような気がする。
そもそもおいしいものをほとんどもとめないし、
おいしいとかんじるものは、
やすくて量のあるたべものであることがおおい。
脳みそが、味覚よりも生存に有利なほうをもとめるからだろう。
「うますぎてもはやおそろしい」かどうかは、
味覚にたいする共通の感覚を前提としている。
そのうえで、過剰なうわのせを「もはやおそろしい」レベルと、
評価するあそびごころが この記事の骨子だ。
わたしの味覚は、まだそこまでたどりついていない。
たべものの進化が どのようにこわいか 気になってくる。

posted by カルピス at 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

村上春樹の「午後の最後の芝生」にでてくる女性は、防衛家のヒトビトの「母さん」だ

村上春樹の「午後の最後の芝生」にでてくる女性は
なんだかかわったはなしかたをする。
まえの記事で、ジャンヌ=モローにいている、
なんてかいたこともある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/368213203.html
「亭主は休みになると芝生ばかり刈ってたよ。それほど変人ってわけでもなかったんだけどね」(中略)
「亭主が死んでからは」と女は言った。「ずっと業者に来てもらってんだよ。あたしは太陽に弱いし、娘は日焼けを嫌がるしさ。ま、日焼けはべつにしたって若い女の子が芝刈りなんてやるわきゃないけどね」

このまえふとおもいついた。
この女性は、朝日新聞に連載ちゅうのマンガ、
「地球防衛家のヒトビト」(しりあがり寿)にでてくる「母さん」だ。
もし本人でなければ、「最後の芝生」にでてくる女性のいもうとさんが
「母さん」かもしれない。
ややこしい関係だけど、ふたりとも雰囲気がそっくりなのだ。

でも、「母さん」を小説の中年女性にすえると、
ものがたりのふかみがまるでちがってくる。
小説をかいたことがないのでよくわからないけど、
登場人物をひとりいれかえるだけで、
小説はまるでちがう作品になってしまうのに気づいた。
「最後の芝生」の中年女性と、「防衛家のお母さん」は、
たとえよくにたしゃべりかただったとしても、
いれかえがきかない存在だ。
おたがいに、自分のホームでないと生きられない。

『55歳からのハローライフ』(村上龍)に、
「空を飛ぶ夢をもう一度」という短編がおさめられている。
重病の友人につきそいながら、
バスにのって さいごの旅にでかけるはなしだ。
あらすじはすこしもにてないのに、
ふるいアメリカ映画『真夜中のカウボーイ』のラストをおもわせる。
登場人物のひととなりは、映画とぜんぜんちがうのに、
その場面の雰囲気がよくにているので、パクリにみえてしまう。
パクリといってわるければ、
オマージュでも、インスパイアでもいいけれど、
村上龍さんは、確信的に『真夜中のカウボーイ』を
自分の小説にとりこんでいる。

小説のなかに、雰囲気はにているけど、
キャラクターとしてはぜんぜんちがうひとをもってくると、
作品世界がまったくくずれてしまう。
それに対し、病人をバスにつれこむ設定だけがおなじで、
あとはまるでちがう状況をえがいていても、
元ネタがすぐにわかる作品もある。

なぜいっぽうは、にていても、とりかえがきかないのに、
もういっぽうは、にてないのに、全体の雰囲気がいっしょになるのか。
いいところをついたつもりだったけど、
このままではうまく整理できていない。
この夏の課題としたい。

posted by カルピス at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

ブルートゥースイヤホンの自由におどろく

わたしの誕生日は7月15日だ。
そんなのどうでもいいというひとは、
糸井重里さんちのブイヨンくんとおなじ日だといえば
すこしはおぼえやすいだろうか。
いまさら誕生日をいわう年でもないので、
ほかの日とおなじように淡々とすごしたけど、
自分にプレゼントするのは わるくないかも、
とあとからおもいついた。
アマゾンでブルートゥースのイヤホンをさがす。
SoundPEATS(サウンドピーツ)Q12という
2400円ほどの商品を注文した。

まえからワイヤレスイヤホンがほしかったけど、
線がないだけのイヤホンが ほんとうに必要かというと、
ムダなかいものでしかないような気がしてくる。
これまでになんどかおなじ筋道で
ほしくなる、でも我慢する、をくりかえしてきた。
でもまあ、これはプレゼントなのだからと、
必要かどうかより、あそびの要素を大切にしたいとおもった。
もうのこりの人生はそうながくないのだから、
我慢するより はじめての体験をあじわったほうがいい。

ひとむかしまえのおもいでになるけど、
ノートパソコンをはじめて無線LANにつないだとき、
あんまり快適なのに すっかりおどろいてしまった。
線をいくつもつけたノートパソコンなんて、
ノート型であるメリットをほとんどいかしていない。
ノートパソコンをかかえて部屋を移動しても
ずっとネットにつながっているのは
ものすごく自由で身がるな世界だった。
線につながれたパソコンと、ワイヤレスのパソコンは、
まったく別ものだとつよくかんじだ。

ワイヤレスイヤホンは、あのときのおどろきを
ふたたびわたしにもたらすかも、という予感があった。
線があるかないかは、みかけよりずっとおおきな変化で、
なにかを決定的にかえるのでは。

わたしとしてはめずらしく、
この予想はぴったりあたった。
ブルートゥースのイヤホンをつけると、
ものすごく自由で身がるだ。
なんでいままでつかわなかったのだろう。

イヤホンをつけてあるいているひとを、
あたりまえながら 町でよくみかける。
そのほとんどがコードつきのイヤホンだ。
おおくのひとは、わたしとおなじように、
たかだか線があるかないかのちがいだからと、
ワイヤレスイヤホンにきりかえるのを
あとまわしにしているのではないか。
線につながれていない世界をいちど味わえば、
もうあとにはもどれないだろう。
無線LANと有線ランのちがいとおなじだ。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

てっとりばやくしあわせになる方法

中島らもさんがなにかの本で
てっとりばやくしあわせになる方法を紹介していた。
自分の頭をポカポカ一定のリズムでたたきつづけるのだそうだ。
頭をたたけば、とうぜんそれなりにいたいおもいをする。
なんでそれが「しあわせ」につながるのかというと、
たたくのをやめたら 確実にくるしみから解消されるので。
あたまをたたきながらも、もうすこししたら たたかなくてすむ、
「しあわせ」な瞬間がおとずれるのをこころまちにする。
たたきはじめるのが自分なら、やめるのも自分であり、
自分ひとりで 勝手に いたがったり、しあわせになったりする。

ブログもあんがいよくにていたりして。
自分で勝手にかきはじめておきながら、
かくことがない日はウンウンいってネタをさがす。
たまにすんなり記事がかけ、はやい時間に更新できると
いちにちの のこり時間がたくさんあり、
すごくしあわせな気分にひたる。
勝手につづけているのは自分なわけで、
自分ではじめ、自分でくるしんでいる。
あたまをたたけば ただいたいだけだけど、
ブログをかくと たのしいことだってたまにはある。
やがていたみがここちよい刺激にかわり、
そのうちやめることさえできなくなる。
もはやヨレヨレになりながら まえへすすむしかない。

よくかんがえてみると、自分であたまをたたくのは、
ただの冗談で、かならずしもしあわせとは 関係ないかもしれない。
わざわざそんなことをはじめるより、
なにもせず ボーっとしていたほうが「しあわせ」なのでは。
ただ、世の中には、いろんなしあわせがあるので、
いったいどれがほんとうのしあわせなのか わからなくなってくる。
ものがあっても なくても、
しあわせなひとがいるし、そうでないひともいる。
さんまさんが発見したように、
ポン酢しょーゆがある家こそしあわせだというとらえ方もできるし、
愛がなくてもしあわせだというひともいる。
そんななかで、あたまをたたくのが
絶対にまちがっているとはだれにもいえないだろう。
しあわせだとおもえば、どんな場合でもしあわせであり、
いまわたしは しあわせだとおもっているから しあわせなのだ。

posted by カルピス at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

2007年のアジア杯をおもいおこす ハノイ的なあつさ

つよい日ざしがさしてるわけではなく、
気温も33℃くらいだったけど、
きょうはとてもむしあつく、くるしい日となった。
いったことはないけど、ハノイの気候が
こんなふうだときいたことがある。
かんがえようによっては、ただでハノイのお天気を
体験しているわけだから、
格安で海外旅行にでかけたといえないこともない。
ハノイにいったつもりで、
ベトナム料理をたべにいく手がある。
飛行機代と宿泊費をはらわないのだから、
ちょっとぐらいたかいお店にはいっても大丈夫だ。
わたしのすむ町にはベトナム料理店がないので、
かわりにスリランカ料理としたい。
なにかのイベントをしないとおさまらないぐらい、
きょうの天気は常軌をいっしていた。

2007年のサッカー・アジア杯は、
ベトナム・マレーシア・インドネシア・タイと、
4カ国共同開催のかたちでひらかれた。
グループBにふりわけられた日本は、
予選3試合をハノイのミーディン国立競技場でたたかっている。
このときのハノイがたいへんなあつさで、
気温40℃、湿度90%とつたえられていた。
当時はオシム監督が日本代表をひきいており、
あつさのなか指揮をとるオシムさんの体調を心配したものだ。
決勝トーナメントにかちあがってからも、
準々決勝の対オーストラリア戦、
準決勝のサウジアラビア戦はひきつづきハノイでおこなわれた。
サウジアラビアに2−3でやぶれ、結果的に4位でおわったのは、
酷暑のハノイにながくとどまり、体力をうばわれたのが
日本にとって不利にはたらいたといわれている。
4カ国共同開催となり、開催地によって
条件がおおきくことなった2007年のアジアカップは、
あつさが影の主役であり、なかでもハノイの酷暑はきわだっていた。

この大会で優勝したのは、政情不安がつづき、
練習もままならないなか出場したイラクだ。
国のため、国民のために感動的なプレーをくりひろげたイラクは、
優勝にあたいするすばらしいチームだった。
日本代表だって、けしてなさけない試合をしたわけではなく、
これから2010年W杯南アフリカ大会をめざして
どんなチームにそだっていくのかたのしみとなった。
しかし、2007年の年末に、オシム監督が脳梗塞でたおれる。
もしもあのままオシムさんが・・・と、
サッカーファンはありえたかもしれない最強の日本サッカーを
いつまでも胸にいだきつづけことになる。
オシムさんがわたしたちにしめそうとした夢は、
いまなお未完のまま、だれかがなしとげてくれるのをまっている。

あれから10年がたち、日本代表の顔ぶれはすっかりかわった
(川島選手が第3のゴールキーパーとして、
ただひとり名をつられていた)。
かわらないのはハノイのあつさくらいではないかと、
いったこともないのに、日本代表の試合ぶりをおもいだす。
きょうのあつさは、ハノイ的ともいえる、つらくきびしいものだった。

posted by カルピス at 18:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

『SONGS』〜中島みゆきトリビュート〜 どんなときでも中島みゆきにすくわれる

録画してあった『SONGS』〜中島みゆきトリビュート〜をみる。
島津亜矢・大竹しのぶ・クミコの3人が、中島みゆきの曲をうった。
あるひとたちにとって、中島みゆきは特別な存在なのだ。
わたしもまた、中島みゆきにはお世話になっている。
なにかのはずみで寝酒をのみすぎるとよく、
ゴソゴソとiPodからアルバム「大吟醸」をさがし、
「狼になりたい」「ファイト!」などをきくのがお約束だ。
よっぱらって、グテグテになった頭で
「おれはたたかっているか」と自問する。

番組のなかで、大竹しのぶさんは「ファイト!」をうたった。
画面には歌詞ものせられている。
いろんな解釈ができる歌詞で、
いつもはぼんやりきいているだけだけど、
こうやって歌詞を目にすると、いまさらながら
ちからづよい曲なのに気づいた。
勝つか負けるかそれはわからない
それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて
あいつは海になりました

「勝つか負けるかそれはわからない」がすきだ。
それでもとにかくたたかいの場にあがるしかない。

はじめてこの曲をきいたのは、
仕事が一段落し、事務所にかえろうかと
車のエンジンをかけたときだった。
ささやくようなうたい方から、
さいごにはおおきな声で「ファイト!」をくりかえす。
おしまいまできいてから、中島みゆきの
「ファイト!」なのだとしった。
それ以來、「ファイト!」はいつもわたしのとなりにいる。

中島みゆきの曲の ほとんどがそうであるように、
「ファイト!」もまた、おおくのひとにとって特別な存在だろう。
なんだかんだいいながら、わたしがきくのは
けっきょく「RCサクセション」と中島みゆきばかりだ。
彼らの曲だけで、すべての用がたりてしまう。
いろんな気もちになったとき、いずれかの曲がわたしをなぐさめ
リラックスさせ、ちからづけてくれる。

大竹しのぶさんによる「ファイト!」もまたすばらしかった。
彼女がこの曲に、どれだけすくわれてきたのかをおもった。

posted by カルピス at 15:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

「デイリーポータルZ」気になる3作

デイリーポータルZに林雄司さんの
「もうひとつの人生ごっこ」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/170707200089_1.htm
どこかしらない町に、もうひとりの自分がすんでいるかも。
もうひとりの、ありえたかもしれない自分はどんな人間か。
おぼえのない部屋にたたずんでいると、
しらない「友人」がたずねてくる・・・。

すごい企画だとおもうけど、
ここまでくるとさすがにわかりにくく、
記事をぜんぶよんでようやく設定がみえてくる。
被験者となったひとは、記憶喪失になったようなもので、
かんがえても、おもいだそうとしても、
当然ながらなにもみえてこない。
こうしたややこしい状況をおもいつき、
具体的な形にしてしまうのが
デイリーポータルZの、そして林さんのすばらしさだ。

この記事の対極にくるのが、與座ひかるさんの
「街中で勝手にテープカットすると楽しい」。
http://portal.nifty.com/kiji/170719200179_1.htm
タイトルだけで、内容がわかってしまうけど、
これもまた、じっさいにやってしまうのがえらい。
テープカットを体験した與座さんの後輩は、
「……本当に何も思わない」
「切ったら何か思うのかと思ったけど」

と感想をはなしている。そうだろう。
わたしもまえからあのテープカットを不思議におもっていた。
なぜ、あんな儀式をするようになったのか。
ひとりがテープにはさみをいれるのならまだしも、
4、5人がならんで「せーの」と同時にアクションするのは
ありえない光景で、ものすごくバカバカしいしくみえる。
與座さんによると、「赤絨毯が超大事」らしい。
やってみないとわからない発見だ。

そしてもうひとつ。
ヨシダプロ氏による「ももちゃん」シリーズの最新作は、
「柴犬がアイスに似ているので『柴アイス』を作ってみた」。
http://portal.nifty.com/kiji/170714200147_1.htm
今回は、ももちゃんの茶色い毛が、
キャラメルソースにみえてしかたがなかったという動機から、
アイスでももちゃんの顔をつくり、
そのうえにキャラメルソースをかけている。
これまでにつくってきたパン・大根おろし・コロッケとくらべると、
キャラメルソースはむりやり感にみちている。
まあ、けっきょくのところおあそびなのだから、
ももちゃんにはもうしばらく我慢してもらって、
このシリーズのさらなる発展をたのしみにしたい。

posted by カルピス at 20:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

RCによせる ひとりよがりのファン心理

仕事の移動ちゅうに、車のラジオから
「歌謡スクランブル」(NHK-FM)がながれてきた。
「きらめきのメロディー」と名づけられた特集で、
吉田拓郎の「サマーピープル」、
ユーミンの「避暑地の出来事」などが
つぎつぎに紹介される。
そして、いちばんさいごにながれたのは、
RCサクセションの「雨あがりの夜空に」だった。
ラジオでこの曲をきくのははじめてで、
おもわずとおまわりして、曲をおしまいまできく。
ラジオでRCがながれる機会は めったにない。
これまでに「トランジスタ・ラジオ」をいちどきいたきりだ。

「きらめきのメロディー」とは、
どんなジャンルをさしているのかよくわからない。
1時間にながれた14曲は、いったいどんな共通点をもつのだろう。
ぜんぶの曲を集中してきいたわけではないけど、
「雨あがりの夜空に」だけが特別で、
あとの曲はふつうの歌謡曲ということがわかった。
ファンならではの ひとりよがりな感想ではないとおもう。
ぼんやりきいていてもRCとほかのミュージシャンは
あきらかになにかがちがう。
いつもRCの曲だけをきくので、こんなあたりまえなことに
これまで気づかなかった。
いまさらながらの新発見だ。
それだけ「雨あがりの夜空に」は
決定的にほかの曲とはべつの世界をつくっていた。

不思議なのは、ほかのひとが
なぜこの事実に気づかないのかということで、
RCの曲をいちどきけば、
だれでも「新発見」しそうなものなのに。
わかっているひとは、もちろんたくさんいる。
だからこそ、14曲のいちばんさいごに
あたりまえながら「雨あがりの夜空に」がえらばれたのだ。
「雨あがりの夜空に」だけが
「きらめいてるメロディー」とはおもわないけれど、
14曲のなかで別格であるのはまちがいなかった。
14曲にまじりながら、どうしても そこだけをちがう時間にしてしまう。
しつこく くりかえすけど、
「雨あがりの夜空に」1曲だけが突出しており、
のこる13曲は、ごくふつうの歌謡曲にすぎなかった。

ながねんRCのファンであるわたしでさえ、
「いまさらながらの新発見」として、
RCの位置づけに気づくのだから、
RCをききなれないひとにとって、
彼らの曲はあまりにも異質すぎ、
理解には いっていの時間が必要なのかもしれない。
RCのすごさに気づく瞬間を、たのしみにしてほしい。

posted by カルピス at 21:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

『ベスト10 本の雑誌』本の雑誌がえらんできた28年間のベスト10

『ベスト10 本の雑誌』(本の雑誌社)

1989年から2016年まで。28年間に本の雑誌が選んだ年間ベスト10がこれだ!

とある。
28年にわたるながい年月のなかで、
「本の雑誌」がとりあげてきた最良の記事を
10えらんだのかとおもっていたけど、ちがった。
『本の雑誌』は、毎年1月号に、その年のベスト10をえらんでおり、
この本は、28年分の座談会をぜんぶまとめたものだ。
28年分の「年間ベスト10」があつめられると、
たしかにこれは、ひとつのまとまりであり、
本えらびに役だちそうだ。
1500円(プラス税)なのですこしまよったけど、
目黒考二さんの「まえがき」をよむと、
この本は かうだけのねうちがあるとおもえてくる。
きちんと議論せず、声の大きい者、早く発言した者の推薦本がいつも上位を独占している、という批判はあるかもしれない。そう指摘する人がいたら、すみません、と言うしかない。本当にそうなのだから。ただひとつ言えることは、こういうベスト10はお遊びだということだ。もともと本に順位をつけること自体が可笑しいのである。本とはそういうものではない。だからこれは、お遊びにすぎない。

わたしも、ずいぶんテキトーなはなしあいで
ベスト10がきまってしまう座談会をよみ、
さすがにこれはいいかげんすぎると、しばしばおもっていた。
でも、「お遊び」とおもえば 納得できるし、
よくそのスタイルを28年間もつづけたものだと感心する。
その年のベスト10を参考に、本をよんでみると、
わたしにはさっぱりよさがわからないものがある。
本の雑誌がえらぶベスト10と、わたしのこのみは、
たいして相性がよくないけれど、
一年にいちどのおまつりとして、毎年たのしみにしている。

ベスト10えらびをまとめてよんでいると、
1回の座談会を もっとながく紙面にのこしたほうが
いいようにおもえてくる。
討論を、たった7ページにまとめてしまうのではなく、
議論をつくして作品のよさをつたえてほしい。
一年にいちどのイベントなのだから、
ほかの企画はサラッとながして、
圧倒的なボリュームを、ベスト10えらびにささげたほうがいい。
なぜ自分はこの本をえらんだのかを、
推薦するものが、くわしくはなしてくれたら、
読者はきっとその本をよみたくなる。
バランスなんてかんがえず、
「超大型特集」としてのベスト10をよんでみたい。
そうすると、別冊の形になってしまうのだろうか。
ほかではみられないいいかげんな座談会を、
もっとおもうぞんぶんによみたい。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

『55歳からのハローライフ』(村上龍)

『55歳からのハローライフ』(村上龍・幻冬舎文庫)

定年後の生活が、5つの短編におさめられている。
だれにとっても定年後のくらしは はじめての体験で、
お金があってもなくても、配偶者がいてもいなくても、
おもっていたとおりにはすすまない。
なにがそんなにむつかしいのだろう。

「キャンピングカー」は、
ひとりよがりに男がえがきがちな
定年後の「夢」についてのはなし。
主人公の男性は、早期退職したら、
妻をさそって、キャンピングカーによる
気ままな旅行をたのしみにしていた。
でも、秘密にしていた計画を家族にうちあけると、
妻はおもってもみなかった反応をしめす。
自分にはほかにやりたいことがあるのだから、
「気ままな」旅行はぜんぜんありがたくないし、
キャンピングカーに1000万円もつかうのは
経済的にも賛成できない、というのが妻のいいぶんだ。

男性がたのしみにしていた老後の計画は、
妻のネガティブな反応でいっぺんにくずれる。
男性は不機嫌になり、家族との関係がぎくしゃくしはじめる。
お金のことが心配というのなら、再就職してやると、
男性はしりあいに かるい気もちではなしをもちかけた。
でも、以前のつきあいがいかにふかくても、
いったん会社をやめてしまえば、むかしの肩書は通用しない。
あわてて再就職・転職セミナーにでかけても、
営業職だけについていたこの男性は、
ほかの会社が必要とするキャリアにとぼしく、
とても一流企業への再就職などかなわない。
自分がおかれている現実のきびしさに、男性はようやく気づく。
ハローワークで仕事をさがしても、
自分の能力を発揮できそうな仕事はなく、
検索にひっかかるのは、
交通整理やビルの清掃といったものばかりだ。

交通整理やビルの清掃でいいではないかとわたしはおもう。
キャンピングカーでの旅行だって、
妻がのり気でないなら、ひとりでいけばいいのに。
でも、妻との「気ままな」旅行が この男性の夢であり、
定年退職後の優雅な生活のシンボルだったのだから、
ひとりで、というわけにはいかないのだろう。
それに、だれも自分を正当に評価してくれないのがつらい。
男って、めんどくさくて かなしい生きものだ。
妻はぜったいによろこんでくれると
きめてかかっていたおもいこみが あわれをさそう。
わたしには、1000万円もするキャンピングカーは
とてもかえないし、興味もない。
わたしがやりたいのはスーパーカブでの旅行なので、
はじめから配偶者をあてにしてはいない。

とはいえ、わたしだって老後に配偶者をさそい
フランスのワイナリーをたずねたい、なんて
ときどきおもいえがく。
わたしが配偶者にこの提案をしたとき、
さっと顔がくもらないよう ねがうばかりだ。

posted by カルピス at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする