2025年02月28日

くちなおしにキャロル=オコンネル

『おすすめ文庫王国』ですすめられていた
『炒飯狙撃手』(張國立)をよんでみる。
あぶない場面になると、炒飯をつくって危機をのりこえる、
みたいな紹介があったけど、じっさいは、
さほど炒飯にスポットがあたっているわけではない。
わたしには、どこがおもしろいのか
理解しづらい作品だった。
こんなときには、くちなおしに
すぐれたミステリーがよみたくなる。
キャロル=オコンネルの『ルート66』を手にとった。

マロリーの通報後、20分もたってから
州警察のわかい警官がパトカーからおりてきた場面。
彼は、何試合かで勝利を収め、独力で勝ったと思いこんでいるアスリートの自信を漂わせていた。なお悪いことに、彼はゆったりしたタイプだった。車から降り、食堂までの5、6歩の長旅にそなえて帽子をかぶる

「あのフォードのトランクを開けて欲しいの」マロリーは言った。
ホフマンは優しげな、見下すようなほほえみを見せた。まるで幼稚園を訪問して、親切なおもわりさんを演っているようだ。

わたしのツボにドンピシャではまるうまさだ。
オコンネルの描写には無駄がない。
それでいて、あそびごころにみちている。
それ以外にはないとおもわせる絶妙な角度から、
人物像を的確にいいあらわす。
よんでいるだけでここちよくさせてくれ、
そのうえストーリーもまた格別にうまいのだから たまらない。
オコンネルが特別なのかとおもっていたら、
このまえよんだ『暗闇のサラ』(カリン=スローター)もすごかった。
すんなりとよみすすめるのが困難なほど、
きびしい緊張感をたもちながら読者をふりまわす。
こんな作品にであえたしあわせに感謝する。
日本の、そしてアジアのミステリーは、
欧米のレベルから、まだまだとおくはなされているのでは。


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2025年01月09日

『愛おしい骨』キャロル=オコンネル

『愛おしい骨』
キャロル=オコンネル・務台夏子:訳
創元推理文庫

いやー、キャロル=オコンネル、いつもながらすごい。
ストーリーが複雑にいりくみ、さいごのさいごまで
どこにつれていかれるのかわからない。
よみおえてしばらくは、至福の時間をすごせたよろこびにひたった。
ミステリーのおもしろさを堪能させてくれる一冊だ。
務台夏子氏の訳もすばらしく、よくこなれた日本語にたすけられ、
オコンネル作品の奥ぶかさを ぞんぶんに堪能できた。

作品についていろいろかきだしてみたものの、
わたしには、この作品をかたるちからはないようだ。
川出正樹氏がみごとな解説をよせられているので、
その引用をもってこの作品の紹介としたい。
 
自信をもって断言しよう。およそ〈物語〉が好きな人であるならば、この本を読まないという選択肢はない。ミステリに興味がないとか、翻訳小説が苦手だとか、そんな些細なことは関係ない。この小説の懐は、とてもとても深いのだ。

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2024年12月28日

『ミステリーしか読みません』だったこの一年

すこしまえに『ミステリーしか読みません』
(イアン=ファーガソン)という本をよんだ。
とてもよくできたミステリーだったけど、
かきたいのはその内容ではなく、
ことしのわたしの読書傾向をよくあらわしているから
ひきあいにだしたくなった。

ことしよんだ本は52冊で、そのうち30冊がミステリーだ。
そしてその全部が海外ミステリーとなった。
北欧やイギリスの、重厚なミステリーをよむと、
日本の小説ではものたりなくなってくる。
心理描写がよわく、よみごたえがない。
新聞の書評にのっていた何冊かの日本の小説をよんだけど、
書評がすすめるほどには、おもしろくかかれていなかった。

とはいえ、海外ものならどれもいいわけではもちろんない。
レイフ=GW=ペーションベッグストレーム警部シリーズは、
数冊まではおもしろくよめたものの、
だんだんと 警部のとんでもなさがハナについてきた。
ジル=ペイトン=ウォルシュのイモージェン=クワイシリーズも、
はじめの2冊にくれべ、3冊目の『貧乏カレッジの困った遺産』は
だいぶおちるので、もうこれからは手をださない(かもしれない)。
いまいちばんすきなシリーズはエリー=グリフィスの
ハービンダー=カー刑事ものとなる。
アマゾンのレビューをみると賛否がわかれており
(否のほうがおおい)、このシリーズのおもしろさは、
かなりのミステリーずきでないと理解されないだろう。
いわば、「読者をえらぶ」ミステリーであり、
いたるところにちりばれまれた わたしむきのわらいに
なんどもほくそえむ読書となる。
つぎの作品がたのしみでならない。

ことしの10冊をえらんでみると、
・『窓辺の愛書家』エリー=グリフィス・創元推理文庫
・『成瀬は信じた道をいく』宮島未奈・新潮社
・『カラハリが呼んでいる』マーク=オーエンズ・ディーリア=オーエンズ・ハヤカワノンフィクション文庫
・『ザリガニの鳴くところ』ディーリア=オーエンズ・ハヤカワ文庫
・『償いの雪が降る』アレン=エスケンス・創元推理文庫
・『黄昏に眠る秋』ヨハン=テオリン・ハヤカワ文庫
・『クリスマスに少女は還る』キャロルオコンネル・創元推理文庫
・『悪魔が唾棄する街』アラン=パークス・ハヤカワ文庫
・『つまらない住宅地のすべての家』津村記久子・双葉文庫
・『誘拐犯』シャルロッテ=リンク・創元推理文庫

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2024年11月16日

本屋さんがない町はさみしい

すんでいる町から本屋さんがなくなり、
さみしくなった、みたいな記事を、
新聞やネットでときどき目にする。
そりゃ残念だろーなー、とおもってよんできたけど、
わたしにも、そんな事態がいよいよふりかかってきた。
新装開店のため、4ヶ月だけの休業なので、
正確には本屋さんがなくなったわけではないとはいえ、
毎週のように足をはこんでいた店へいけなくなるのは、
ずいぶんさみしい生活となる。
本をかわないまでも、本棚をながめながら店をぶらつくのは、
わたしにとって大切な時間だった。
新刊(文庫だけど)のミステリーをさがしたり、
毎月中旬に、『本の雑誌』をかいもとめたり、
それといっしょに『熱風』をただでもらったり。
それらの機能がばっさりときりはなされてしまった。
ネットで注文すればいいので、本が手にはいらないわけではないけど、
それはそれ、これはこれ、だ。
リアル本屋さんの存在が、どれだけ生活をうるおしてくれていたかを、
いまさらながらおもいしらされている。

このお店が20年まえにできたときは、
ほかの本屋さんにくらべゆったりとしたレイアウトが新鮮だった。
検索用の末端が何台もおかれていて、
ずいぶんゴージャスにかんじたのをおぼえている。
それから20数年がたち、本屋さんが新装工事にはいるまえには、
雑貨をあつかうスペースがだんだんふえていた。
本屋さんなら、そんなものをならべるより、
もっと本棚を充実させてくれたらいいのに、とおもっていた。
こんどお店がはじまるときは、どんな姿をみせてくれるだろうか。



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2024年10月27日

それほどわるくなかった日曜日

いちにちのはじまりはパッとしなかった。
ゆうべ、そんなにのんでないのにさえない目ざめ。
でも、いろいろ用事をかたづけているうちに、
なんとか形がととのってきた。

ひるまえに事務所へゆき、へんなエラーがでるという
ファイルメーカーでつくったファイルをたしかめる。
おとついからきゅうに、
「スペルチェック用のメイン辞書をロードできません」
というメッセージがあらわれて、
あたらしいレコードをつくれなくなった。
ネットでしらべると、ファイルメニューから
「間違ったスペルを特殊な下線で示す」のチェックをはずす、とある。
ためしてみると、すぐにエラーがでなくなった。

そのあと週にいちどのプールへでかける。
いつものように、まず1500メートルをゆっくりおよぐ。
このところ、およぎがすごくおもく、
500メートルをすぎるまでくるしさがつづく。
1500に40分ちかくかかった。でもまあ、とにかくおよげた。
そのあと4種目を50メートルずつ2セット、90秒でまわる。
いつもよりタイムはわるいけど、なんとかまわれた。
あたりまえだとおもっていた1500と4種目の定番メニューを、
わたしははたしていつまでつづけられるだろう。

夕方は、母を選挙につれていく。
母は、みじかい距離ならツエをついてなんとかあるけるけど、
1キロはなれた投票所へは、わたしが車でおくらなければならない。
わたしはそんなに投票したくないけど、
母をおくったついでにささやかな義務をはたす。

夕ごはんのまえには台所の網戸をはりなおした。
家と外を自由にではいりするネコのココが、
なんにちかまえにやぶいてしまったところだ。
手先が不器用なわたしだけど、きれいに、
とはいえないまでも、なんとかそれらしくアミをはれた。

きのうからよみはじめたキャロル=オコンネルの
『クリスマスに少女は還る』がおもしろくなってきた。
オコンネルは、はじめてよむ作家で、
630ページ以上あるながいミステリーだけど、
訳者が務台夏子さんなので、ためしによんでみる気になった。
務台夏子さんは、わたしがだいすきな作家、
ピーター=スワンソンの作品で名前をしった。
スワンソンの作品は、どれもすてきにおもしろく、
その訳者が担当してくれるなら、とおそるおそるよみはじめる。
かなりいりくんだスタートだけど、
務台さんは期待どおり安定した日本語をとどけてくれる。

そしてサッカー天皇杯準決勝、ガンバが3−2でマリノスをやぶる。
延長後半アディショナルタイムでのかちこし点。
いろいろあったけど、おわってみればわるくない日曜だった。

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2024年09月16日

2ど目のコロナ

2ど目のコロナにかかる。
前回は、2年まえの9月だった。
熱がでて、ノドがいたくなるという、
おなじような症状だ。
ざっくりいうと、2回目の今回のほうが、
ずっと楽にすごせた。
あいかわらずコロナ用の薬はないので、
病院で解熱剤のカロナールを処方してもらう。
今回は熱が38度まであがったけど、
くるしかったのは2日間だけだ。
3日目にはずいぶんげんきがもどっていた。
ノドのいたみはそれほどでもなかったし、
食欲はまあまああった。2日目には本をよむ気にもなった。

コロナをさわぎすぎ、というのが
2ど目に感染しての感想だ。
インフルエンザとおなじ5類に位置づけられているのに、
あいかわらず濃厚接種者は自粛をもとめられる。
職場では、コロナにかからないよう、
マスクや消毒がつづいているし、
だれかがかかると警戒体制がしかれるのも、
2年まえとかわっていない。
コロナをおさえこむのではなく、
共存するしかないから5類になったのではないか。
おおさわぎしておそれるほど症状はおもくない。

家族といっしょにご飯をたべられないので、
どうしても自分の部屋ですごすことになる。
ラジオをきいたり本をよんだり。
いっしょにくらしているネコのキナコが
ずっとわたしのベッドにいてくれ、はげまされた。
IMG_2505.jpg

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2024年08月04日

『カラハリが呼んでいる』人間は、どしがたい

『カラハリが呼んでいる』
マーク=オーエンズ&ディーリア=オーエンズ
小野さやか・伊藤紀子:訳
ハヤカワ・ノンフィクション文庫

野生動物の研究家であるオーエンズ夫妻は、
まだ人間と接触したことのない動物をもとめ、
ボツワナ共和国のカラハリ砂漠にたどりついた。
これまでに人間をみたことがない動物たちは、
ひとをおそれる遺伝子をもっていない。
動物たちのくらしをすぐちかくで観察できるし、
たとえライオンでも、ひとをおそってくることはない。
オーエンズ夫妻は、不用意に干渉しないよう
注意ぶかく観察をつづけ、
これまでしられなかったライオンやハイエナの生態を
いくつもあきらかにしていく。
この本は、1974年から7年をかけておこなわれた
彼らの観察の記録である。

この記事のタイトルを「人間は、どしがたい」としたのは、
ひとがいかにすくいがたい存在かを、おもいしらされるからだ。
オーエンズ夫妻と、とくにしたしい関係にあった
オスライオンのボーンズを、
アメリカ人のハンターがうちころしてしまう場面がある。
まえの日に、夫妻からボーンズの生態をきき、
目になみだをうかべて感激していたハンターは、
あろうことかそのボーンズをうちころしてしまった。
ひとをおそれないボーンズしとめるのは、
どんなにたやすいことだったろう。
ボーンズ、そしてオーエンズ夫妻の無念をおもうと、
人間はどしがたい、としかいいようがない。

また、カラハリ砂漠の自然保護区では
何万頭ものヌーの大移動が観察されている。
水をもとめ、ながい旅をつづけるヌーは
もうすこしで水場にたどりつく、というところで、
針金をはられた柵にぶちあたる。
人間が家畜として世話をしている動物に、
野生動物の病気がうつらないよう隔離する柵だ。
この柵が、たしかに有効という事実はないのに、
柵のためにおおくのヌーがちからつき、たおれていく。
柵の犠牲になったヌーの死期はごくゆっくりとやってくる。まだ前足で砂をかく力の残っている、横たわった彼らからカラスやハゲワシは容赦なく目をくりぬいていき、屍肉食者たちはまた、耳や尾や睾丸などを髪切っていく。こうして2、3000頭のヌーが柵ぞいで死んでいった。

まったく、人間はどしがたい。
この地球から、人間などいなくなったほうがいいと、
どれだけおもったことか。
この本の、とくに後半は、どしがたい人間の記録ともいえ、
わたしは胸がふさがれるおもいでよみすすすめた。

ながい時間をかけ、カラハリ砂漠の過酷な自然に適応してきた
動物たちの生態は、おどろくことばかりだ。
カラハリ砂漠は砂漠なので、もともと雨はすくないが、
ときには何年も雨がふらないときもある。
そんな環境でも、一滴の水ものまないで
動物たちは生きぬくちからを身につけてきた。
必死に生き、子どもをそだてるライオンや
カッショクハイエナは、どこまでもけなげだ。
ふかい愛情と、正確な記録でこの本をかきあげた
オーエンズ夫妻にふかく感謝したい。

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2024年07月21日

『百年の孤独』(ガブリエル=ガルシア=マルケス)

『百年の孤独』ガブリエル=ガルシア=マルケス
鼓直(つづみただし):訳・新潮文庫

有名な本なので、タイトルは20代のころからしっていた。
じっさいによんだひとの感想をきいたことはなく、
南米の作家はなんとなく距離をかんじてしまい、
手にとることのないまま40年がすぎた。
ただ、『カラマーゾフの兄弟』とおなじように、
必読書として、いつかよみたいとおもっていた。
その本がやっと文庫になるという。
この機会に、ノルマをこなしておこうか。
本屋さんにいくと、平台に数冊がそっとおいてあった。
それほど宣伝にちからをいれているふうではない。
どんなうれゆきなのか、気になるところだ。

南米にあるマコンドというちいさな村を舞台に、
ブエンディア家の100年がえがかれている。
660ページと、すこしながいとはいえ、
ミステリーではあたりまえのボリュームなのに、
なかなか読書がはかどらない。
二週間ほどかけてようやくよみおえた。
けしておもしろくないわけではなけど、
なにしろ、おなじような名前がなんどもでてくるのだ。
登場人物のエネルギーと性欲がものすごく、
かんたんにちかしい家系のひととねてしまい、
できた子どもにアルカディオとかアウレリャノとか、
にたような名前をつけていく。
家系図がついているけど、名前がおなじだったり、
よくにてたりして、だれがだれなのかすぐわからなくなる。
なんど家系図をふりかえり、たしかめたことだろう。

たしかにわたしは『百年の孤独』をよみおえた。
ただ、どれだけこの本の魅力にひたれたかは
はなはだこころもとない。
南米特有の情念のすごさに圧倒された読書だった。

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2024年06月23日

新潮社は奥づけを西暦表示に

『ガラスの街』(ポール=オースター・柴田元幸:訳)をよみおえる。
「よんだ」記録として、Scraobox(現Cosense)に奥づけをかきこむ。
奥づけをかきうつすようになったのは、
梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』におしえられた習慣だ。
梅棹さんは、本をよみおえると、
「著者名、署名、発行年月、出版社、ページ数などを型どおりに記入」
されている。
かきこむのは、もちろん京大型カードをつかわれている。
発行年月や出版社は、最終ページの奥づけをみればいい。
一冊の本をぜんぶよみおえ、奥づけをかきうつすのは、
ひとつの仕事をおえたようで、ささやかな快感がある。

『ガラスの街』は新潮社から出版されており、
問題は、新潮社が、なぜか発行年月に元号をつかっている点にある。
わたしがよんだ『ガラスの街』は、
平成二十五年九月一日発行
令和四年十一月十五日七刷
とある。
年号のままでは、ほかの本の記録と情報がそろわないので、
早見表を参考に、平成と令和の年月を、
それぞれ西暦になおさなければならない。
まったくよけいなひと手間だ。
昭和・平成・令和と、3つの年号をまたぐ本だってあるだろうに、
西暦をつかわないことで、いったいどんなメリットがあるのだろう。

posted by カルピス at 09:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月06日

『オッペンハイマー』

『オッペンハイマー』
(クリストファー=ノーラン:監督・2023年・アメリカ)

3時間ちかくのながい作品にもかかわらず、
とちゅうだれることなく、ずっと集中してたのしめた。
原爆が完成し、実験が成功してめでたしめでたし、
かとおもっていたけど、そこからさきもみごたえがある。
マンハッタン計画は、オッペンハイマーと
アインシュタインとの会話からはじまっていた、という伏線が、
映画のおわりでみごとに回収される。
第二次世界大戦ちゅうという当時は、
ドイツ・アメリカ、そしてソ連がからむややこしい状況にあり、
原爆というモンスターを異例のスピードで生みだした。

それにしても、最終的におこなわれた
原爆の爆破実験のようすはすさまじかった。
加速度的にふくらんでいく巨大な炎と、
コントロールのきかなない圧倒的なエネルギー。
あの炎のしたに、広島、そして長崎のひとびとがいたのだ。
手にしてはならないちからを、人類はつくりあげてしまった。


posted by カルピス at 09:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする