2017年05月26日

ドコノコをはじめていちねん

ほぼ日がつくったアプリ「ドコノコ」に
https://www.dokonoko.jp/
ピピの写真をのせるようになってから 一年たつ。
「ドコノコ」は、うちのコもよそのコも、どのコも気にかけて
すべての動物がしあわせに、というイマジンみたいなアプリで、
写真をアップすると、ピピを気にしてくれるひとたちから
「いいね!」がすぐにおくられてくる。

3年前にピピが口内炎になったときは、
いっしょにすごせるのは、もうながくないと覚悟したのに、
それからもピピはしぶとく生きつづけた。
一年まえにアップした写真をみると、
いまよりも毛づやがよく、あんがいげんきそうだ。
一年後のいま、ずいぶんやせたし、
毛の色がトラネコみたいに茶色になっている。
トイレシートのうえでおしっこをし、そのままねてしまうので、
毛におしっこがしみついてしまった。
タオルでふいたり、シャンプーすればいいけど、
ほったらかしたままがおおいので、
いまでは あらっても茶色のままだ。

ときどきごはんをたべなくなり、
いよいよおわかれかと、しんみりした気分でいると、
「な〜んちゃって」といってるかのように、
ピピはふたたびげんきをとりもどしてきた。
むこうの世界へ、しばらくいくつもりはなさそうなので、
ながいきしてね、のメッセージをこめ、
ピピがすきなモンプチを72個×2箱注文した。
ピピ2.jpg
このごろは、わたしがねる時間になると
ピピもベッドにきて わたしのうえによじのぼってくる。
ピピの寝場所を気にしながらの睡眠となり、
きゅうくつな姿勢のせいか、首と肩がいたくなった。
1ヶ月たってもなおらないので、きょうは整体の治療院へいっている。
ピピとしては、いちにちのほとんどをねてすごしているだけでも、
いっしょにくらすわたしたちにとって、存在感はかわらない。
ピピの終活につきそっているつもりだったけど、
もうしばらくは、お世話をさせてもらえそうだ。
わたしのからだにしがみつき、ノドをならしてくれるピピ。
どのネコも、ピピのようにあまえてくれるわけではない。
ピピとすごせて わたしは幸運だった。

ほぼ日のトップページに、まえはブイヨンの写真がのっていたけど、
いまは「ドコノコカメら」として、
ひがわりでネコや犬の写真がのるようになった。
被写体として、ネコはしばしば味のある表情をみせる。
どのネコもすごくかわいい。
世界じゅうのネコたちが しあわせでありますように。

posted by カルピス at 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

現金おことわりの社会へ

きのうの朝日新聞に、「キャッシュレス」という記事がのった。
たとえばスウェーデンでは、
「現金おことわり」のお店がすくなくないという。
おみやげなどの一部の店にかぎったはなしではなく、
パン屋さんなどの小売店でさえカードばらいなのだそうだ。
日本はまだなにか かうときに、
現金をだしても ことわられたりしないけど、
スーパーでカードをだすひとは すでにあたりまえの存在だ。
現金をもちあるかなければ、
おとしたり、とられたりして なくすことがないし、
うけとる側も、おつりを用意しなくてもすむ。
現金でないほうが、ずっとスムーズに商売できるのだそうだ。

すこしまえのブログに、お金が いかに便利かをかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/436579164.html?1495714947
お金があれば、なんとでも交換してくれるのは、
かんがえてみると ものすごくありがたい。
10キロのお米を手にいれるのに、3000円ほどしはらえば
なんとかかいものができる。
お金がなかったら、お米10キロ分の労働をしたり、
それにかわるものをさしださなければならない。
1万円は、だれにとっても1万円で、日本だけでなく、
外国へもっていっても その価値は一定だ。

お金とともに、サイフの便利さにも そのときに気づいた。
ズボンのポケットに、現金をむきだしでいれると おさまりがわるい。
お札をクリップでとめて上着の内ポケットにいれるのも、
かっこいいけど、小銭のあつかいにこまる。
サイフはお金のいれ場所として特化したものなので、
つかってみるとわかるけど、ものすごく便利だ。
サイフのつかいがってのよさに おどろいていたけれど、
現金をもちはこばなくていいのなら、
そもそもサイフはいらない。

お金の便利さを、いまさらながらかんじていたので、
きのうの記事にはおどろいた。
もうしばらくすると、お金はすべて概念としてのみ存在し、
だれもみたことがない社会になるのかもしれない。
すくなくとも、だんだんと なくなる方向にうごきそうだ。

旅行するとき、むかしは飛行機のチケットをなくさないように
気をくばったものだけど、
eチケットになってから、パスポートさえもっていたら
チェックインできるようになり、
チケットの心配をしなくてもいいぶん すごく気がらくになった。
このごろは、電車にのるときスイカだかイコカだかのカードや、
携帯で改札をとおれるそうで、
わざわざカードをかうなんてめんどくさいと
ふるいタイプの人間であるわたしは おもっていた。
でも、いちいち切符売場にならばなくてもすむので
なれたらきっと便利なのだろう。
コンビニでかいものをするとき「カードは?」と
かならずたずねられるのを、わずらわしくおもっていたけど、
これにしても カードやスマホでかえたほうが 便利にきまっている。

お金がなくなると、数字をあつかうのは あたまのなかだけになる。
数字をどうやって子どもたちにおしえるのだろう。
算数の宿題で、くだものをかう問題をつくるときは、
なかなかリアルなはなしにもっていけないのではないか。
わたしはビットコインのことが、ぜんぜん理解できないけれど、
しくみがわからなくても、つかえればいいわけで、
現金がなくなっても あんがいこまらないような気がしてきた。
よろこぶのは「おれおれサギ」のひとたちで、
わたしなんかは、あっという間に被害にあって、
スッカラカンになるのでは。
とおもったら、ATMもなくなるそうだから、
サギたちは、あたらしいやり方を研究ちゅうだろう。
お金は概念としてだけの存在となる。
だれもお金をみたことのない社会。
わたしの想像力ではついていけない。

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2017年05月24日

「おしっこでぬれた新聞はよめない」さいきんメモした3つの発見

完璧な夜のはずだった。
いつもよりはやめにすべての雑用がかたづく。
寝酒といっしょにたのしめるよう、
新聞の連載小説『ディス・イズ・ザ・デイ』
(津村記久子)がのったページをマクラもとにおいてから、
台所で しっかりひやしたウォッカのソーダわりをつくる。
ベッドへもどるわずかないあだいに、
ピピが、新聞のきりぬきのうえで おしっこをしていた。
おしっこがベッドにしみこまないよう、手ばやく新聞紙をかたづける。
さいわい、ふとんに被害はない。
それだけ新聞紙がたくさんのおしっこをすっていた。
きょうの新発見は、
「おしっこで新聞がぬれると、まったく文字がよめなくなる」。
目のまえまで しあわせをたぐりよせていたのに、
ピピのおしっこは、おもいもよらない方向からの
どうしようもない妨害だった。
ピピをおこるわけにいかないし、かたづけるあいだに酒はぬるくなる。
わたしの完璧だったはずの夜は、あっという間にとおざかっていった。

ラジオ番組「クラシックカフェ」で
ベートーベンの交響曲7番を紹介していた。
ナポレオンひきいるフランス軍がウィーンにせめてきたため、
ベートーベンを支援していた貴族たちは国外へにげだした。
財政基盤をうしなったベートーベンは、
余裕がなくなり、作曲にうちこめない時期をすごす。
戦争がおわり、ふたたび年金をうけられるようになると、
ベートーベンは気もちをとりなおし、
3年がかりで交響曲7番をつくりあげたのだという。
ベートーベンほどのひとでも、
お金の心配をしながらでは、作曲にうちこめなかったというのが、
なんだかチープさがただよってきて 自分の仲間のようにおもえてくる。
お金やナポレオンなんかに左右されず、
ただわが道をつきすすんで作曲にうちこむひとよりも、
お金の心配や戦争の不安に
くよくよするベートーベンのほうがすきだ。
ケチくさいかんがえが頭にうかんだとき、
みえをはったりせず、すなおにベートーベンをみならって、
等身大な判断に身をまかせよう。
あんがい気のちいさなベートーベンによって
交響曲7番が無事に完成し、壮大なメロディーは
世界じゅうのひとからたかく評価された。
めでたしめでたし。

映画『マイガール』をみていたら、
したしくなりはじめた男女のカップルが、
うちあげられた花火を いっしょにながめていた。
そのときの会話で、
「庭でみてもいい?」
「もちろん!」

がいいかんじだ。
こたえが「イエス」にきまっていることを
あえてたずねるのは、恋愛関係において
重要なテクニックではないか。
はたからみれば「勝手にやってろ!」みたいな
ふやけたやりとりかもしれないけど、
当事者のふたりにとっては、相手にあまえ、
そのあまえをうけいれと、
あたりまえの提案をめぐっていいことずくめだ。
機会をとらえて わたしもためしてみたい。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

『本の雑誌 6月号』での「山の本ベスト30」

『本の雑誌 6月号』は山の本を特集しており、
「山の本ベスト30」がえらばれている。
3人による座談会で、それぞれが5冊ずつ推薦するほかに、
3人が合意する15冊をはなしあう。それで合計30冊。
ひろく・ふかく目をくばられるので、
ベスト30をえらぶのに いいやり方だ。
山についての本にくわしくないわたしには
おすすめ本として ありがたいリストになっている。
この30作をおさえれば、日本と世界における、
それぞれの「山」がつかめるのではないか。

わたしとしては、本多勝一さんの『山を考える』をいれてほしかった。
この本におさめられている「パイオニア=ワークとはなにか」は、
なぜ山をのぼるかについて、ひとつのこたえとなっている。
山であれば なんでもいいわけではなく、
世界でいちばんたかく、だれものぼってないからこそ とうとい。
ヘリコプターをつかってでも山頂をめざせ。
酸素ボンベだろうがなんだろうが、
役にたつならなんでもつかえ、に
わかいころのわたしはしびれた。
「パイオニア=ワークとはなにか」が議論された1955年当時、
世界最高峰のチョモランマは
すでにイギリス隊によってのぼられていた。
そんな状況だからこそ「パイオニア=ワークとはなにか」を
論理的におさえる必要があった。
最高の目標が制覇されたあとで、登山家たちは
いったいなにをめざせばいいのか。

「山の本ベスト30」には、
純粋な登山をあつかった小説だけではなく、
旅行記や探検記もランクインしているので、
冒険論である『山を考える』がはいってもおかしくない。
おかしくはないけど、探検や冒険のベスト30は、
別の企画としてとりくんだほうが
それぞれがめざす目標を、よりはっきりさせられる。
「山の本ベスト30」に『山を考える』が顔をださなかったことで、
探検や冒険のベスト30企画が必要におもえてきた。

探検・冒険、それに旅行は、
どれもがおおきなかたまりを形づくっている。
そのなかでさらに海もの・山もの・空ものと
いくつかのジャンルにわかれているので、
全体をとらえるのはかなりむつかしそうだ。
ベスト30などのこころみは、ひとつのあそびとはいえ、
やるからには全力をかたむけて状況を整理してほしい。
冒険と探検を対象にした それぞれのベスト30を たのしみにしている。

posted by カルピス at 22:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

ながいきするために生きているわけではない、が基本方針

鍼灸の先生がかいた健康法の本に、
ながいきするために生きているわけではないので、
みたいなことがかいてあった。
そのさきがどうつづくのか、正確にはおぼえていないけど、
たしか、たまには夜ふかししたり、
おそい時間に夕ごはんをたべる日があっても大丈夫と、
自分をゆるす例があげられていたとおもう。
なにごとも 原則は大切だけど、
あまり厳密にかんがえすぎると たのしくないですよ、というたとえだ。

「ながいきするために生きているわけではない」を、
なにかにつけてわたしはいいわけにつかい、
余計な寝酒のおかわりや、夜おそくまでの読書を ときどきたのしむ。
寝酒のほうは、ときどきよりも「しばしば」が適切なほど、
便利につかわせてもらっている。
つぎの日につらいおもいをするのがわかっていながら、
そのときのここちよさにまけるのは、
ただアルコールに脳が支配されているだけかもしれないけど、
おおげさにいえば、生きているよろこびをかみしめるひとときだ。
この一杯を我慢したり、ときどきの夜ふかしをやめれば、
すこしはながいきできるかもしれないけど、
そうまでして生きたところで なんの人生かとおもう。

「ながいきするために生きて」いるのでなければ、
わたしはなにを目的に生きているのか。
そこらへんはあまり深刻にかんがえず、
頭とからだがここちよければ それでよしとする。
もちろん ながいきはしたいけれど、
そのためにいろいろしばられるのは かなわない。
それに、ハメをはずすのは、ほんのときたまであり、
基本的にわたしの生活は、きわめて禁欲的だ。
これぐらいつつましく くらしながら、
ながいきできなかったとしても、
それはそれでしかたがないとわりきれる。

人生の目的については、梅棹忠夫さんの
『わたしの人生論』でしっかりまなばせてもらったので、
基本方針はさだまっている。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/394704571.html
人生の目的は、あったほうが生きやすいかもしれないけど、
なくてもどうということはない。
地球規模でとらえた場合、
目的がないほうがうまくいくかもしれない。
ながいきは、人生の目的に なりえない。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

30分以内の昼寝は ほんとうに効果的か

昼寝の効果がよくかたられるけど、
たいていの場合、30分以内できりあげるよう、条件がつく。
それよりながくねると、
午後の仕事や夜の睡眠にわるい影響をあたえるそうだ。
そんなことしったことかと、
わたしはやすみの日にいつもたっぷりと昼寝をしている。
1時間から1時間半くらい。
せっかくのひるねを30分できりあげるなんて
いかにも効率のために生きてるみたいでかなしい。
やすみの日ぐらい、目ざまし時計の音はききたくないし。

1時間半ねると、目がさめたときは
ボーっとして、なにがなんやらわからない。
しばらくベッドに横になったまま、
よみかけの本を手にとってながめる。
この時間がまたわたしはすきで、
本をめくっているうちに だんだんと意識がもどり、
そろそろおきるか、という気になる。

午後は、一杯の紅茶からはじめることがおおい。
そんなことをしていると、午後はすぐに夕方となり、
いちにちがあっという間におわってしまう。
なにしろ、半日しかうごいていないのだから あたりまえだ。
でも、昼寝とはそういうものだとおもっていた。
スペインのシエスタだって、たった30分ではないはずだ。
まえにスペインを旅行したとき、おおくのお店が
夕方まで営業をやすむので、かなり不便だった。
旅行者としてはありがたくない習慣だけど、
自分が昼寝する側となれば、はなしはべつだ。

なんとなく、たまにはちがう昼寝をしてみようと、
きのうは30分のアラームをセットした。
ひかえめな音なので、目ざまし時計のベルほどいやらしくない。
すぐねむれるのはいつものことだけど、目ざめがちがった。
アラームの音で目がさめると、すぐにベッドからおりる。
ながくねたときのような、べつの世界からもどったかんじはない。
シエスタというよりも、うたた寝なのだろう。

その日の午後は、やっておきたい用事がいくつもあった。
いつものみじかい午後では、とても無理だったのに、
昼寝に30分しか かかっていないぶん、時間に余裕がある。
ころもがえやら田んぼの水管理、それに大豆の種まきなど、
リストにあげていた用事をぜんぶかたづける。
すべてがスムーズにすすんだせいか、夜もゆったりとすごせ、
ついお酒をのみすぎたけど、昼寝のせいにはできないだろう。
とはいえ、きゅうに30分の昼寝をみとめるのは残念なので、
ながい目でみた場合、あんがい効果はトントンかもしれないと、
元シエスタ推進派としてかいておく。
からだによすぎて、トータルでは負担になる、という意味だ。
まけおしみだけど。

posted by カルピス at 20:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

北上次郎さんの海外ミステリー書評集がとどく

先日のブログにもかいたように、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/449916738.html
北上次郎さんの3部作を注文し、
きょうそれがそろった。
ミステリー三部作.jpg
『冒険小説の時代』
『ベストミステリー10年』
『極私的ミステリー年代記』(上下巻)

「小説推理」に連載されているミステリーの書評をまとめたもので、
3部作で35年間がカバーされている。

北上次郎さんの『勝手に!文庫解説』をよんだら、
そこに紹介されている海外ミステリーが
どれもすごくおもしろそうだった。
ちかい将来ぜんぶ目をとおそうときめる。
北上次郎さんの書評は、これまで対談形式のものをよんでおり、
1冊の本については それほどふれられていない。
『勝手に!文庫解説』のように、じっくりとかたった書評を
もっとよみたくなった。

この本でとりあげられている16冊と、
その作家がかいたほかの作品もあわせると、
数十冊のおもしろ本を確保できた。
『勝手に!文庫解説』だけでこんなぐあいなのだから、
ほかの書評集も参考にすれば、
そうとうな数の必読ミステリーをリストアップできる。
それはすなわち わたしの老後をかがやかせてくれる
宝箱とのであいにひとしい。
きょうそろった三部作は、わたしの老後の質をきめかねない
あるいは終活をおおきく左右する、たいせつなガイドブックだ。

4冊とも中古品を注文したので、クロネコヤマトの方を
なんどもわずらわせてしまった。
配達だけでなく、集配所もふくめると、
どれだけたくさんの方にお世話になったことか。
宅配便にあまえすぎてきた反省をしていたのに、
ダメおしのように、4ども配達してもらい、
ありがたいけど もうしわけなかった。
人生のおわりをかがやかせるためだからと、
自分でいいわけをする。

1978〜1983年の作品をとりあげている『冒険小説の時代』は、
さすがにずいぶんとふるめかしい。
二段組で、ちいさな文字がぎっしりうまっている。
ふだんつかっているのより、もっとこまかい文字用の
リーディンググラスでなければ わたしにはよめない。
三部作は、うしろのほうに、著者名の索引と、
作品名の索引がのっているけれど
(『極私的ミステリー年代記』は著者名索引だけ)、
著者と作品をあわせた索引はないので、
データーベースをととのえようとはりきっている。
三段階評価もつけて、のこりの時間を計算しつつ
おもしろ本の森にふみこみたい。
海外ミステリーだけにかぎっても、
じゅうぶんわたしの人生はみたされそうだけど、
おもしろさが保障された日本の小説が、さらに山のようにある。
映画だって まだみてない名作・話題作がべつの山脈をつくっている。
ながいきしたくなってきた。

posted by カルピス at 20:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

「困っている人と動物がいたら、学校や仕事に遅れてもいいから助けなさい」といったベッキーのおとうさん

けさの朝日新聞に、ベッキーさんが父親についてかたる
「おやじのせなか」がのった。
イギリス人であるお父さんは、
困っている人と動物がいたら、学校や仕事に遅れてもいいから助けなさい

とベッキーさんにおしえてくれたそうだ。
こういう具体的なことばは、
行動規範として 子どもの胸にふかくきざみこまれるだろう。
ただ「たすけなさい」よりも、
「学校や仕事に遅れてもいいから」がつくと、
とっさの判断をたすけてくれる。

こまっているひとは、どんな事情があるかわからないので
(かかわらないほうがいい場合もある)、
わたしはあまりたすけたくないけど、
こまっている動物は、100%こまっているのだから
たすけたほうがいい。たすけなければならない。
子どもだと、どうしたらいいかまようだろうから、
お父さんが まえもってちゃんとおしえてくれていたら
ためらわなくてもすむ。
おおくの子どもたちは、自分としてはたすけたくても、
親が反対するから こまっている動物を 家につれてかえれない。
ベッキーさんの家のように、親が「助けなさい」
といってくれるところはすくないだろう。

わたしも、基本的にはこまっているネコがいたらたすけるほうだけど、
ときどきためらうし、自分のつごうしだいでは、
ネコでさえほっておくこともある。
むすこが小学生のときに、公園でみかけたネコを
家でかっていいかどうかきいてきた。
もう子ネコではなく、そんなにこまってそうでなかったから、
わたしは一家のあるじとして、もっともらしい顔をしながら
「だめ!」といってしまったダメおやじだ。

ネコならたすけやすくても、もしタヌキがこまっていたら
わたしはなにをするだろう。
何年かまえに、獣医さんで順番をまっていたら、
看護婦さんが タヌキをはこびこんできた。
通勤のとちゅうで、そのタヌキがたおれていたのだそうだ。
先生は、こまったなー、といいながらも なんだかうれしそうで、
この病院のスタッフは、ほんとうに動物がすきなんだなー、と
みていたわたしは ますますその病院を信頼するようになった。

やさしいひとになりなさい、とか、
ひとに親切にしなさい、よりも、
「困っている動物がいたら助けなさい」
のほうが よい教育となる。
親だって、いったからには 自分でも実践しなければ
子どもへのしめしがつかない。
わたしも こんなセリフのいえる、かっこいい父親でありたかった。

posted by カルピス at 21:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

ランドナーにのったおじさん旅行者をみかける

車で国道をはしっていたら、
ふるいタイプの自転車にのったおじさんをみかけた。
旅行用の自転車として、いぜんは一般的だったランドナーだ。
ドロップハンドルで、みかけはロードレーサーみたいだけど、
タイヤはふとく ちいさい。ママチャリサイズだ。
泥よけがついていて、スピードをたのしむ自転車ではなく、
ゆっくり旅行するための機能が重視されている。
カバンはフロントバックをつけているだけだから、
近場の旅行かもしれないし、
宿泊施設をつかい、なんにちもかけて
はしっているのかもしれない。
タオルを頭にまき、規則ただしく足をうごかしているようすは、
いかにも年季のはいったベテランライダーだ。

わたしは、一條裕子さんの『自転車キャンピング』をよんで、
自転車をつかっての旅行が 自分にむいているとさとった。
自転車をこげばおなかがすくので、
土地の名物料理をたくさんたべられる。
自転車で移動するのだから、
バスや電車の時間や予約に気をつかわなくてもいい。
一條さんは、国内での自転車旅行や野宿をかさねたのち、
カナダのバンクーバーからアラスカまでの自転車旅行にでかけている。
一條さんの旅行スタイルや自転車とのむきあい方は、
肩のちからがぬけており、わたしにむいていそうだ。
優先順位をはっきりさせて、きめた目標にむかい
できるだけの労力をかたむけるところがかっこいい。

わたしは、彼女をみならって外国にでかけようと
いきさきをタイとマレーシアにきめた。
旅行の相棒として ランドナータイプの自転車を8万円でかい、
タイ南部のハジャイから マレーシアをめざしてスタートした。
でも、根性のないわたしは、道路をゆく車のおおさにくじけ、
ほんのなんにちか自転車をこいだだけで、
あとはバスをつかう ふつうの旅行にきりかえている。
自転車は、景色のいいところをはしるとたのしいけど、
そうでない場所では ガッツがなければつづけてはしれない。

あのランドナーのおじさんは、どこへむかっていたのだろう。
わたしはすぐにわが道をゆくひとが うらやましくなる。
わたしもあのひとみたいに、
淡々と足をうごかしつづけ、しらない土地をはしりたくなった。
そして、自転車と食欲をくみあわせようとした
旅行のスタートをおもいだす。
中高年となったいま、もういちど
ホームポジションにもどるときではないか。
リゾート滞在型にうつつをぬかそうとしていたけど、
自転車旅行の再チャレンジこそが いまのわたしにふさわしい。
目標にしているサンチャゴ=デ=コンポステラへの巡礼は、
自転車旅行をやりとげたさきにみえてくるだろう。

posted by カルピス at 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

新人職員の「だれよりもネコずき宣言」に感心する

4月から おなじ事業所ではたらいている20代の男性が、
ネコをかいたいという。
ネコアレルギーだけど、ネコをかいたいという。
新人職員なので、わたしは彼のことをほとんどなにもしらない。
ネコアレルギーなのに、かっても大丈夫ですか、ときくと、
子どものころは、家でネコと犬をかっていたのだそうだ。
おとなになってから、ネコアレルギーの症状がでたらしい。

あろうことか、
「ぼくは、ネコをかってないけど、
 ネコをかっているひとより
 ネコずきの自信があります」なんていう。
子どものころの体験から、そんなふうにおもってるのだろうけど、
ほかのひとがどれだけネコをかわいがっているか わからないのに、
自分のほうがもっとネコがずき、ときめつけるのはへんなはなしだ。
まったく根拠のない自信であり、反論するのもバカバカしいけど、
こういうのは、わかいころしかいえないかもしれない。

彼の発言にわたしがひっかかったのは、
じつは わたしも、自分こそだれよりもネコずきとおもっている
おろかものだからだ。
むすこがまだ保育園にかよっていたころ、
家のネコたちが自分のほうにこないと むすこは不満そうだった。
配偶者はすぐに、そんなことないでしょ、
だっこさせてくれるし、となぐさめたけど、
むすこが「父ちゃんのほうばっかりにいく」というと、
「あ、父ちゃんとくらべてか、それは無理ムリ」と
きゅうにむすこをなぐさめる配偶者のトーンがさがった。
配偶者は、けしてわたしをほめようとしたのではなく、
むしろ あきらめ、もしくはさみしさにちかいつぶやきだった。
これまでに配偶者がくちにした どんなことばよりも
わたしにたいする評価が率直にあらわれており、
いわれたわたしは しみじみといい気分になった。

もういちど
「ネコをかってないけど、
 ネコをかっているひとよりネコずき」
とおもいこんでいる新人職員にはなしをもどす。

わたしはサッカーをしたことがないけど、
サッカーをするひとよりじょうずな自信があります、
なんていうと、ぜんぜん通用しないけど、
どれだけすきかは、目にみえないので、どうとでもいえる。
もし彼が女性にたいして、「だれよりもあなたがすき」と
正面きって堂々といえば、かなり説得力がありそうだ。
このひとぐらい かんたんに「すき」という場合、
たいていはただのおもいこみなわけで、
いわれた女性はじきにがっかりしそうだけど。

それでも、いわれたひとからすると、 わるい気はしないだろう。
根拠のない自信は、最強のくどき文句をうみだしかねない。
わたしにはとてもいえないセリフだ。
本気でいっているのだから、
いわれたほうもいきおいにのまれてしまう。
年をとり、いろいろわかってくると、
こんなふうにストレートな表現はできないけど、
わかいころは これぐらいのかんちがいが必要かもしれないと
だれよりもネコずき宣言に感心してしまった。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする