2018年07月20日

木下藤吉郎的な発想による野菜販売

すこしまえのブログに、職場(介護事業所)の仕事として、
農家の野菜をあつめているとかいた。
7軒の農家をまわり、袋につめられた野菜を、
1袋85円でぜんぶかいとっている。
まだ野菜販売は はじまったばかりで、
農家の方も、どんな野菜を、どれだけの量いれたら、
お客さんに100円でかってもらえるかが まだよくわからない。
松やサカキをだす方もおられたけど、さっぱりうれなかった。
また、いまはじゃがいもとキュウリが
どこの家でもよくとれており、
膨大な数の袋がうれのこっている。
ぜんぶかいとります、をうりにしているので、
いまのところ、農家の方が用意してくれた野菜は
ぜんぶ85円でかいとっている。

うれるかどうかわからなくても、
とにかくぜんぶかいとるのは、
木下藤吉郎的な発想だとおもった。
秀吉が、まだ木下藤吉郎だったころ
(「仮面の忍者 赤影」のナレーションみたいだ)、
どこかの城をせめおとすとき、
作業にあたる足軽や農民たちに、まず酒や料理をふるまって
くつろぐことから とりくみをはじめている(うろおぼえ)。
がんばれ、がんばれと、やみくもに仕事をいそがせるのではなく、
まずリラックスしてもらい、ちからを温存し、
気もちもかるくなったところで
本来の仕事にとりかかってもらうのが、藤吉郎流だ。

こまかい条件をつきつけるのではなく、
野菜をぜんぶかいとります、といわれたら、
野菜をうりにだす農家の方たちは、やる気がでるだろう。
気もちよく野菜づくりにとりくんでもらったうえで、
すこしずつ事業所側の要望をつたえたら、
スムーズに野菜販売がすすむのではないか。

1袋に85円しはらうのは、しかも現金で毎回お金をわたすのは、
予想していたとはいえ、あんがいめんどくさい。
85円を1単位とすると、とうぜんながらこまかなおつりが必要となる。
85円の倍数で、比較的おだやかなのは、

85×1=85円
85×2=170円
85×3=255円
85×4=340円
85×5=425円
85×6=510円
85×7=595円
85×8=680円
85×9=765円
85×10=850円

6袋の510円ぐらいで、
あとはどんな数の袋を出荷されても、
しはらうには たくさんの小銭がいる。
農家の方が、家におられるときは おつりをおねがいできるけど、
野菜だけがおかれていて、だれもいないときに
595円なんてしはらいがあると
小銭をジャラジャラ用意しなければならない。
おつりを用意しようと銀行で両替しようとしたら、
コインからコインの両替はできず、
また、1000円札をいれても、50円玉への両替はうけつけなかった。
毎朝おつりの心配から わたしのいちにちははじまっており、
このキャッシュレスの時代に、
いったいなにをやっているのかと ちからがぬける。

それもこれも、木下藤吉郎的な世界戦略のためだ。
気もちよく野菜づくりにとりくんで、
農家の方に、やりがいのある毎日をすごしてもらいたい。
つづけていくうちに、木下藤吉郎が、
豊臣秀吉になっていくだろう。

posted by カルピス at 20:47 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月19日

『砕かれたハリルホジッチ・プラン』(五百蔵容)

『砕かれたハリルホジッチ・プラン』
(五百蔵容・星海社新書)

W杯の2ヶ月まえのだいじな時期に、
代表監督がきゅうに解任されるという「事件」のうらには、
いったいどんなうごきがあったのだろう。
世間で話題になった事件のあとでは、
こうした「しらざれる真実」みたいな本がよくつくられる。
ただ、そうした本は、きめつけた視点による
質のひくいゴシップ本になりがちな印象がある。
事実をあきらかにするというよりも、
「事件」につけこんだだけのまずしい内容ではないかと、
本屋さんでページをめくりながら、
わたしは本書へうたがいの目をむけていた。
わたしはこれまで五百蔵さんのかかれた本をよんだことがなく、
内容にたしかさがかんじられない本では残念だから。

さいわい五百蔵氏は、誠実なサッカーライターで、
事実をあきらかにしながら
ハリルホジッチ氏のひととなりを紹介している。
ただ、おおくの紙面をわりあて、
戦術がくわしく説明されているものの、
わたし程度のにわかファンには
むつかしすぎて理解できなかった。
ハリルホジッチ氏がやろうとしたサッカーを、
ほんのすこしイメージしたにすぎない。

ハリルホジッチ氏といえば、「デュエル」(1対1のたたかい)と
「たてにはやい攻撃」を
日本代表にもちこもうとしたことでしられる。
これらのキーワードは、いっけんわかりやすいがゆえに、
ひとりあるきしやすく、まちがった解釈がひろまりやすい。
 残された言葉を確認する限り、ハリルホジッチは「縦に速く」とは1回も言っていません。対して、「スペースに、背後に速く入っていくサッカーをしたい」という意のことは、就任以来何度も語っています。

サッカー協会が、ハリルホジッチ氏がめざすサッカーを
正確につたえようとするのではなく、
反対に、あやまった解釈をほったらかすことで、
解任の理由につかわれたような印象をうける。

Wカップロシア大会で、日本は予想以上の活躍をみせ、
社会現象とでもいうべき ひろがりのある大会となった。
グループリーグをかちあがったこと、
決勝トーナメントでベルギーをあいてに
いい内容の試合をしたことで、
しだいに日本代表がおおきな関心をあつめた。
とはいえ、だからハリルホジッチ氏の解任はただしかった、
とはならない。
じゅうぶんな準備期間があれば、
もっとうえの成績をおさめていた可能性だってある。
ハリルホジッチ氏は、世界をあいてに、
かつことのむつかしさをよくしっている人物であり、
どんな選手をえらび、グループリーグをたたかったのかを
ぜひWカップ本番でみてみたかった。

資料として、ハリルホジッチ氏を代表監督にまねくときに、
日本サッカー協会の技術委員長として、
重要な役割をはたした霜田正浩氏へのインタビューがのっている。
田嶋幸三会長よりも、ずっとまともな感覚のもちぬしで、
霜田氏がハリルホジッチ氏をささえつづけていたらと、
いまになっても残念でならない。

posted by カルピス at 22:37 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月18日

『コールド・コールド・グラウンド』

『コールド・コールド・グラウンド』
(エイドリアン=マッキンティ・武藤陽生:訳・ハヤカワ文庫)

80年代の北アイルランドを舞台にした警察小説。
カソリック教徒がおおい土地にあって、
支配する側の警察や行政はプロテスタントよりで、
北アイルランドで差別されつづけてきた
カソリックの歴史が本書の背景にある。
北アイルランドといえば、
IRA(アイルランド共和軍)が有名だけど、
ほかにもいくつも武装組織がでてくる。
UDR(アルスター防衛連帯)・UDA(アルスター防衛同盟)
・UVF(アルスター義勇軍)と、すごくややこしい。

主人公のダフィは警官だけどカソリックで、
IRAからはうらぎりものとみられている。
ベルファストの町は暴動がたえず、
毎日あちこちで銃撃や爆発がおこる。
ダフィは、車にのるたびに、爆弾がしかけられていないか、
車の底をのぞきこみ、安全をたしかめなければならない。

こうした状況で、手首をきりおとされた死体がみつかった。
奇妙なのは、その手首はべつの人間のもので、
数日後にみつかった死体が、手首のもちぬしだった。
ダフィは自分のチームで事件の解明にのぞむ。

北アイルランドでは、ふつうの、まともな犯罪はおきない。
事件はぜんぶ、テロ組織がらみだ。
ようやくトリックをつかった連続殺人事件にかかわれて、
ダフィはまいあがってしまう。
なんとしても、推理で事件を解決しようと、
現場にのこされた「証拠」にふりまわされてしまる。

ふつうのミステリーだと、主人公は行動力があり、
推理もさえる人物がおおいのに、
この本の主人公であるダフィは、
論理のくみたてがあまり得意ではない。
捜査だからといって、犯人ときめつけた人物の家に、
捜査令状なしでしのびこんだり、
あやしいとおもった人物に、とにかくあいにいって、
犯行のあった時間になにをしていたか、アリバイはあるかなど、
ぶしつけな質問をやつぎばやにくりだすので、
相手がおこりだしてしまう。
トミーはなんらかの理由でここにやってきて、フェディに殺された。ルーシーはそれを目撃したため、やはり殺されてしまった。

わからんが、突き止めてみせる。テロ犯罪容疑でやつを逮捕して、尋問して吐かせる。

推理というよりも、おもいつきをゴリおししてるだけで、
なぜそうなったかの理由はかんがえられていない。
「本人が戻ってくるまえに帰りましょう。あなた、クビになるわよ」
「いや、全部トミーと関係があるんだ!そうにちがいない」(中略)
「やつだ。そのはずなんだ」ちょっと頭が混乱してきていた。

げんきだけはあるけど、頭をつかうのは、
あまり得意でないタイプの警官だ。
それでもダフィのからだをはった捜査が実をむすび、
さいごには事件のすべてがときあかされる。
せんじつよんだ『許されざる者』とくらべると、
あまりにもちからづくで、雑な捜査にあきれてしまうけど、
ものがたりが終盤にさしかかったとき、
ようやくつぎの作品も よみたいという気になっていた。

本書はダフィ・シリーズの1作目で、
イギリスではすでに6冊が発売されているそうだ。
なかなかすすまない捜査に いらいらしてしまうけど、
ウォッカ・ギムレットをのみながら
ロックをきくダフィに共感をおぼえる。
ミステリーのたのしさは、事件の解明だけでなく、
登場人物のくらしぶりにふれられるところにある。
ダフィのダメ警官ぶりが、わたしにはちょうどあっている。

posted by カルピス at 21:18 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月17日

『本の雑誌 8月号』がおすすめです

「『本の雑誌 8月号』がおすすめです」
と、かいておきながら、8月号の特集
「消えた出版社を探せ!」はほとんどスルーした。
わたしをよろこばしたのは、宮田珠己さんによる新連載
「私がロト7に当たるまで」で、
いかにも宮田さんらしい文章にうれしくなった。
 さらにゆゆしいのは、実際問題生活が苦しいことだ。どういうわけか働いているのに食うべからずな感じなのである。私の仕事の成果が正当に評価されていないのではないか。
 否、私の仕事の成果が正当に評価されすぎているのではあるまいか。

宮田さんが、ロト7にあたるまでつづくらしい、
この連載をたのしみにしている。

「新刊めったくたガイド」では、
akira 氏による書評をあてにして、
その月によむミステリーをえらんでいる。
数冊がとりあげられるので、そのうちのおもしろそうな本、
なおかつ文庫で出版された本がわたしのねらい目で、
500ページをこえるぐらいのあつさがのぞましい。
ねるまえに、寝酒とともにすこしずつよみすすめるのが
わたしの至福のときで、それには、あるていどのあつさがほしい。
いちばんはじめにすすめられている『要秘匿』
(カレン=クリーブランド)が今月号での収穫となりそうだ。

8月号ならではの企画は
「2018年上半期ベスト1」だ。
ここではなしあわれた内容が、
年末のベスト10えらびのときになると、
ほとんどわすれられてしまうので、
たいして意味がないような「ベスト1」えらびにおもえる。
だからこそ、7月といういまの段階で、
とりあげておく必要があるのかもしれない。
わたしがよんだ本は、朝日新聞で連載されていた
『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子)だけで、
でも、この本が正当な評価をうけているのをよろこぶ。
推薦した営業の杉江さんが
6位に入れて欲しいのは年末のサッカー本大賞受賞が決まってるんですけど、津村記久子の『ディス・イズ・ザ・デイ』。J2を応援しているサポーター小説で、ディテールが細かくて、サッカーファン感涙です。

と、あつくすすめている。
「年末のサッカー本大賞受賞が決まってるんですけど」
がたのもしい。

わたしがたのしみにしているもうひとつの連載は
速水健朗氏による「モーター文学のススメ」で、
ロードムービーならぬ、ロード小説をすすめてくれる。
6月号では『ロング・グッドバイ』を、
ロード小説の視点からとりあげてあり おもしろかった。
レノックスとマーロウの関係が、
『ダンス・ダンス・ダンス』(村上春樹)の
五反田君と「僕」との関係のひな形、という指摘、
そして、ふたりがのる自動車とからめての分析がよませる。
速水氏が今月号でとりあげるロード小説は、
学生運動家くずれのお父さんが、シトロエン2CVにのって
むすこと旅にでるはなし。
となると、奥田英朗の『サウス・バウンド』をおもいださせる。
あの傑作をこえるのはむつかしいだろうけど、
わたしがすきそうな内容におもえる。

「辻村深月の10冊」(国樹由香)もいい仕事をしている。
辻村さんの小説は、作品どうしがリンクしているものがおおく、
どれをとりあげるか、なかなかきめにくい。
わたしが辻村さんの作品に熱中していたのは、
5年以上まえになるので、こまかな感想はわすれたけど、
国樹さんによる「辻村深月の10冊」をよんで
辻村作品のおもしろさを すこしだけおもいだした。
とりあげられている10冊は、どれもよませるけど、
シンプルに、でもさいごのどんでんがえしにおどろかされる
『ロードムービー』を、わたしはおすすめする。
「モーター文学のススメ」つながり、というわけではないけど。

本ずき、本がなければ生きていけないひとたちが、
『本の雑誌』を ぶあつくとりまいているのをかんじる。
8月号は、とくにわたしむきの記事がおおく たのしめた。
この本をよめるしあわせに感謝する。

posted by カルピス at 22:31 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月16日

『作家がガンになって試みたこと』がおもしろそう(まだよんでないけど)

新聞の広告欄に、高橋三千綱さんの
『作家がガンになって試みたこと』(岩波書店)がのっていた。
「今度は胃ガンが見つかりました。ほうっておくと大変なことになります」。医者のそんなことばを振り切り手術を拒否すると、作家の医療漂流が始まった。

とあり、おもしろそうだ。
アマゾンのレビューをみると、
高橋さんは、糖尿病や肝硬変をわずらい、
2013年には胃ガンを宣告されるが手術を拒否している。
食道ガンを内視鏡手術したあと禁酒していたが、
2016年に4年半の禁酒をやめてみると 血糖値が109にさがり、
γ-GTPもアンモニアも正常値。
CAE(腫瘍マーカ)も正常値になっていた。
「過度の禁酒が高度のストレスを招き
肝硬変(と糖尿病)の改善を拒ん」でいたのでは(レビューより)
という推測がおもしろい。

わたしはこの本をよんでおらず、
レビューと「商品の説明」だけの情報で
なんちゃってな「感想」をかくと、
医者がいったことを、そのままうのみにせず、
高橋さんのように、ほっておくのもひとつの方針だとおもう。
病院では、つい医者のいいなりになってしまいがちで、
自分のからだなのに、医者と自分で、
どちらが主導権をもっているのかわからなくなってしまう。
自分のからだにおきたことについて、すべてをうけいれ、
これまで生きてきたように、
これからも生きていこうという判断をわたしもとれたら。
どうせひとは死ぬのであり、人生の主体はあくまでも自分でありたい。
それができるのは、高橋さんのようにつよい精神力が必要だけど、
そうでないひとにも、自分で治療をえらべるために、
この本は背中をおしてくれそうだ。

禁酒が過度のストレスで、病気の改善をこばんでいた、
という理屈もすばらしい。
医者や病院は、とかくなにかを我慢させたがるけど、
そうした我慢もまたストレスとなり、病気にわるい影響をおよぼす。
もしかしたら屁理屈なのかもしれないけど、
自分のからだなのだから、すきなように酒をのめばいい。
死にたくないからといって、なんでも医者にすがりつき、
医療費をいくらでもつかうひとよりも、
高橋さんのように「ほったらかし療法」をえらぶひとのほうが
しあわせなさいごをむかえられるのではないか。

posted by カルピス at 15:31 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月15日

ロゼワインのように、いいとこどりの年になればいいけど

梅をつけてから、だいたい1ヶ月たったので、
ザルにあけて日にほす。
いつもは梅雨あけまえに「1ヶ月」がくるので、
3日ほどのてんぴぼしが、なかなかできなかった。
雨やくもりの日に梅をほしても
ぜんぜん「梅ぼし」らしくないので。
ことしは、梅雨あけがはやく、
今週は鉄板のいいお天気がつづいているので、
梅ぼしづくりには最適の年となった。
きょうは最高気温が35℃で、
あしたもおなじような天気が予想されている。
梅ぼしのためには、またとない猛暑の日々だ。
あつければ、あついなりに、わるいことばかりではない。
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先日の朝日新聞に、ロゼワインがとりあげられていた。
白と赤のいいとこどりができるワインとして、
このところロゼの人気がたかまっているのだそうだ。
わたしは、白ワインと赤ワインを
それぞれおいしいとおもってのむけれど、
ロゼについては、とくにこころをうごかされたことがない。
わたしにとってのロゼは、「いいとこどり」よりも、
「どっちつかず」のワインにうつる。
しっかりしたロゼを、のんだことがないからなのだろう。
ただ、どうせロゼだから、と先入観がじゃまをして、
どんなロゼをのんでも、
「どっちつかず」とおもうような気がする。
ロゼワインがどうこうよりも、わたしの気もちの問題だ。

きょうは、わたしの誕生日だ。57歳になった。
いいこともあれば、わるいこともある年ごろとなるのか、
ロゼのように いいとこどりができる一年にできるのか、
せっかくのロゼを、どっちつかずにしてしまうように、
ぼんやりした年にしてしまうのか。
けっきょくは気もちのもちようにおさまりそうだ。
いちばんいいのは、なにもかんがえず、
そのままをうけいれることだろう。
子ネコみたいに。

posted by カルピス at 20:51 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月14日

西日本豪雨から一週間

一週間まえの集中豪雨は、西日本におおきな被害をもたらした。
死者・行方不明者の数が、発表されるごとにふえる。
わたしのすむ島根県は、亡くなった方はいないものの、
床上・床下浸水の被害がでている。
交通では、伯備線の復旧がおくれ、
山陰と山陽をつなぐ特急やくもの運転がとりやめになっている。
物流がとだえ、コンビニでは、
パンやお弁当がはいらなくなり、スカスカな棚がある。

きのうからは、猛暑となり、
被災地での復旧作業がきびしがましている。
水がとまったままの地区もあり、
そんななかでの避難生活とあとかたづけは
どれだけたいへんだろう。

6日と7日の二日間に各地でふった雨量が発表されている。
そのグラフをみると、25ある観測地のなかで、
松江の雨量がいちばんすくない。
松江では、7日(金)によくふったので、
ことしの梅雨はすごいなーとおもっていたのに。
ほかの市や町は、松江の数倍もふっているところばかりだ。
そのすくなかった松江でさえ、はげしい雨がながい時間つづき、
川があふれそうになり、こわいおもいをした。
その数倍もの大雨だった地域は、
いったいどれだけすごい雨だったのだろう。

わたしのむすこは広島市の大学へいっていることから、
なんにんもの方から
「むすこさんのすむところは大丈夫でしたか?」
と気づかってもらった。
さいわい直接の被害にはあわなかったと、
むすこから配偶者に連絡があった。
わたしはというと、むすこが広島にいることをしりながら、
被害にあったかもしれないなんて、すこしもかんがえなかった。
子ばなれができている、というよりも、
まったく意識にないほど無関心なわけで、
自分がひどくゆがんだ人間におもえてきた。
むすこの心配さえしない人間が、
もしもほかの地域や国で災害がおきたとき、
正常に想像力をはたらかせて 気づかえるだろうか。
自分のことばかりかんがえてないで、
自分のまわりでおきていることを
もっと気にかけなければ、と反省する。
のんびりくらしすぎていて、
ひとの世のよろこびやかなしみを
かんじられなくなったらひどい。

posted by カルピス at 21:20 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月13日

『負け犬の遠吠え』から15年

「家族」のありかたについてかんがえる記事が
朝日新聞で連載されており、
「単身社会編」の最終回に
酒井順子さんのはなしがのった。
2003年に『負け犬の遠吠え』が出版されてから15年たち、
酒井さんもいまではりっぱな「負け犬」だ、
とおもっていたら、記事のなかで酒井さんは、
 
 私は縁あって40代を目前にしてパートナーに出会い、一緒にすんでいますが、結婚はしていません。

と、意外なカミングアウトがされている。

「負け犬」のりっぱなリーダーとして、私淑していた酒井さんに、
特定の相手がいたのはショックだった。
あこがれていたアイドルに、恋人がいたみたいなものか。
未婚だけどパートナーがいる、というのは
「負け犬」の定義からしてどうなのだろう。

この15年のあいだに、「負け犬」をめぐる状況は、
酒井さんが予想していたかのように、
ますます未婚へとうごいた。
「負け犬」は、メス犬だけでなく、
当然ながらオス犬だったいるわけだけど、
世間の目は、メスの「負け犬」ばかりにそそがれている。
結婚しない(できない)男なんて、だれも関心をもたず、
子どもをうんでくれる(はずの)女性ばかりにプレッシャーがかかる。
そんな社会で、『負け犬の遠吠え』が出版された意味は
はかりしれない。
「負け犬」というひとたちがいること、
けして結婚したくないわけではないのに、
いろんな理由から相手をきめきれないこと、
男は、ただたんにダメな場合がほとんどなこと、
などがつまびらかにかたられた。
『負け犬の遠吠え』を座右の書として、
メスの「負け犬」たちが、
横暴なおじさん(おばさんもか)にいじめられることなく、
すこやかに生きていくことをねがっている。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | 酒井順子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月12日

ムバペなのか、エムバペなのか

フランス代表のムバペ選手が注目をあつめている。
プレーのスピードだけでなく、味方をいかすパスのセンスや、
やわらかなボールタッチがすばらしい。
まだ19歳というから、フランスは、
とんでもない宝物を手にいれたようだ。

テレビ中継をみてるとき、はじめはアナウンサーが、
彼をなんとよんでいるのかわからなかった。
「エムバペ」にきこえるけど、
ユニフォームには「MBAPPE」とあり、
フランス語よみすると「ムバペ」のはずだ。
ウィキペディアをみると、
フランス語よみだけでなく、祖先の出身国である
カメルーンの発音がからんできて、
どれがただしいかをきめられないらしい。
その結果、いろんなよみ方がまかりとおっている。

テニスの錦織圭選手の「錦織」をどうよむかについて、
まえの記事にかいたことがある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/440955744.html
錦織選手は「にしこり」とよむ。
島根には「錦織」という苗字がけしてめずらしくないけれど、
ややこしいのは、「にしこり」だけでなく、
「にしきおり」「にしこおり」というよみ方も
ふつうに通用している点だ。
わたしは、これを漢字のせいだとおもっている。
漢字があるばかりに、いろんなよみ方が通用してしまうので、
そうならないよう、
できるだけ漢字をつかわない表記法をこころがけている。

ムバペ選手は、ムバペとよむアルファベットでかかれているのに、
それをいくつものやり方でよぶのは、いったいどういうわけだろう。
日本語でいえば、ひらがなで「ムバペ」とかいてあるのに、
それをエムバペとかムバッペとか テキトーによむようなものだ。
これは、英語に責任があるかもしれない。
英語はつづりと発音が一致しない単語がめずらしくない。
英語を母語とするひとにとれば、「MBAPPE」とかいてあっても、
それを英語よみしてエムバペとよむのは朝飯まえだ。

フランス語よみではムバペだから、
ムバペが最終的にただしい、とはいいきれないのが、
ややこしいところだ。
祖先の出身国であるカメルーンをもってこられると、
そちらの発音が由緒ただしいというとらえ方もできる。
本人は「ンバペ」と自分のことをよんでいるようで、
だから「ンバペ」にきめよう、といううごきにもなってない。
けっきょく、どうよんでもいいという線で、
あいまいなままほっておくしかないのだろう。
つづりと発音の不一致は、どちらがただしいかを議論しても、
けっきょく決定版をきめられない。
論理よりも生理の問題だ。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月11日

介護事業所がとりくむ野菜市づくり

今週から、農家をまわって野菜をあつめる仕事がはじまった。
85円でしいれた野菜を、100円でうる。
すこしはもうけがでそうだけど、
農家の方がつけた値段をいい値で、
そして だされた野菜をぜんぶかいとるので、
もうけはほんのすこしか、ときにはマイナスの日もある。
農家といっても、むかしはともかく、いまはたのしみとして、
ほんのすこし野菜をつくっている、というひとたちだ。
なんでそんな活動をはじめたのかというと、
地域でくらすおとしよりたちに、
いきいきとくらしてほしいからだ。
以前は野菜や農産物の加工品をあつかう「なんとか市」に
つくった野菜をもっていっていたそうで、
それが、地域の高齢化とともに、
中心になってやるひとがいなくなり、
野菜をうる場所が いまはどこにもないという。
野菜をつくっているのは おとしよりがおおく、
自分で出荷するのはたいへんらしい。

わたしがつとめる事業所は、障害者介護を専門としたNPOで、
提供したサービスについて市町村に請求書をおくると、
確実にうりあげがでて、職員に給料をはらえる。
いちにちをじゅうじつしてすごすとか、
お弁当やクッキーをつくって工賃をえるとか、
入浴や身のまわりのお世話など、
障害をもったひとが必要とするサービスを、
最小限のお手つだいというかたちで提供する。

それはそれで、ちゃんとした仕事なわけだけど、
国や市町村がきめたサービスを、きっちり提供するだけでは、
生活のうるおいというものに、なかなか手がまわらない。
ひとは、あそんだり、たとえわけのわからないエネルギーだって、
発散させなければ、じゅうじつしてくらせない存在だ。
いっけん介護と関係のない活動でも、
もうけにならないお店にしても、
その場所があると、なんとなくじゅうじつした時間をすごせる、
という空間を、おおくのひとが必要としている。

4月からはじまったカフェも、そんな場所のひとつだ。
みじかいスパンでとらえると、
利用者がかかわらないカフェなんて、
事業所とすれば、ほとんどもうけにならない。
それでも とにかくお店をひらいて 実績をつくっておけば、
そこではたらけそうなひと、
いごこちよくすごせそうなひとに、
あとからでもつかってもらえる。
じっさい、カフェには地域の方が常連さんとなって
なにかにつけてあつまる場所となり、いつもにぎわっている。
そして、ほかの活動では なかなかおちつけなくても、
しずかなカフェでの仕事なら
自分の居場所としてすごせるひとがでてきた。
こうしたつみかさねによって、
地域が魅力ある場所になるのなら、カフェや野菜市は、
とてもNPOらしい とりくみといえる。

あつめた野菜は、このカフェにおかせてもらっている。
7軒の農家をまわると、30〜50袋の野菜があつまるので、
それを箱にいれて カフェのそとにおいておくだけだ。
1袋100円なので、適切な値がつけてあれば、あんがいうれていく。
まだはじまったばかりなので、野菜をだす方も、
うけとるわたしたちも、値段がよくわかっていない。
しばらくしたら、うごきがおちついてきて、
野菜をだすひとにも、かうひとにも、
たのしみな野菜市場になるのではないか。
カフェだけでは、ぜんぶの野菜をさばききれないだろうから、
クッキー工房のとなりにひらく
「となりのお店」にも野菜をおく予定だ。
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介護事業のソロバンをはじくだけでは、
カフェや野菜市をひらく発想は なかなかでてこない。
わたしたちの事業所は、活動をはじめてから15年がたち、
ようやく直接は介護と関係のない事業にも、
手をだす余力が でてきたのかもしれない。
カフェと野菜市は理事長による直営で、
ほかの事業所にはない自由な場所となりつつある。
介護だけにとらわれない、NPOらしい活動として気にいっている。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする