2011年09月30日

ムネイ(Mou Nei)市内観光 (ベトナム旅行5日目)

ホテルで朝ごはんをたべてまっていると、
8時まえに市内観光のむかえがきた。
どうしてもいってほしいみたいだ。
ロシア製のふるいジーブにのりムネイ市内をまわる。
運転手・ガイド・わたしと、3人構成の贅沢なツアーだ。

まず海岸におりて、漁について説明をうける。
ニョクマムをつくる魚をとっているそうだ。
説明の半分以下しかわからないけど、
てきとうにあいづちをうつ。
すこし沖合に、ずらっと船がうかんでいる。
竹であんだおおきなおわん型のものがあり、
それにのって船にむかいこぎだしているひとがいる。
波がたかく、なかなかすすまない。
ほんとに「おわんの船」にのって「はしのカイ」でこいでいるみたいだ。

そのあと砂丘に案内される。
光のあたり方によって
砂の色がかわってうつくしい、といわれるが、
そうこころをうごかされる景色ではない。
トタンでそりあそびをする、というのが
この砂丘のよびもののようで、
ちいさな子どもが「すべらない?」と
トタンをかしつけようとする。

つぎはニョクマムの樽がならべてある工場をみる。
1番にしぼりだされる液は品質がたかく、
2番目にしぼるのは料理につかう、といわれる。
たくさんでるであろうしぼりかすについてたずねると、
もう魚の形はしておらず、
ドロドロ状態なので、穴にうめる、といわれた。

さいごに小川をあるく。
両側の土手をけずりながらながれる水が
場所によって色をかえてとけだしている。
なかなかおもしろい風景といえなくもない。
わかれるときに、
チップとして2人に20,000ドンわたす(2人でわけてね)。

ホテルのもどってからは、
『警察署長』をよむ。
潮風にふかれ波の音とあそぶ。
とても気もちがいい。

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2011年09月29日

リゾート地「ムネイ」へ (ベトナム旅行4日目)

旅行もいよいよおおづめで、最後のうごきとして
ホーチミンからちかいリゾート地、ムネイにいくことにする。
8時にホーチミンを出発し、5時間ほどでついた。
とちゅう2時間ほどはとぎれることなく町がつづく。
日本企業のおおきな工場もある。
高速道路ではなく、ずっと一般道をとおったので、
ベトナムの活気を肌でかんじることができた。

1時すぎにムネイの「マイアムゲストハウス」につく。
「ゲストハウス」といっても、
わりとちゃんとしたリゾートホテルだ。
海に面しており、ロケーションとしてはもうしぶんないけど、
きょうは天気がわるく、風もつよくて、
とてもおよぎたくなるような状況ではない。
ジーブでちかくの名所をまわるクルージングも
このツアーにははいっていたけど、
ホテルでゆっくりしてたかったのでことわった。
旅行会社側としては「いかない」という客にたいして
「わかりました」と簡単にいうことはできないようで、
こまった顔をして代案をだしてくる。
あすの朝8時からクルージングに参加することになった。

昼ご飯にたべたヌードルスープはインスタント麺だったし、
部屋の電気がつかないのできいてみると
「たぶん5時くらいから」といわれたする。
どうなるかとおもったけど、
ひるまはたしかに電気は必要ないので
外にいすにすわってビールをのみながら本をよむ。
海からの風がつよく、さむいくらいだ。

みわたしてみると、おちついたいいホテルだ。
ホテルの職員はこまごまとはたらいてるし、
ゆったりとした敷地にたくさんの木や花がはえている。
そしてなによりしずかだ。波の音しかしない。
いかにもバカンスにきた、という気分になれる。
電気がつかえるようになると、
温水シャワーはちゃんとでるし、
部屋の蛍光灯はあかるくて、読書灯までついてるし、
インターネットもちゃんとつながる(free Wi-Fi)。
だんだん気にいってきた。

『警察署長』(スチュアート=ウッズ・ハヤカワ文庫)をよみだす。
椎名誠さんがロシアを旅行したときに、
ながい停滞のたいくつな時間に
この本のぶあつさがとてもありがたかった、
とかいていた本だ。
まえからよもうとおもっていて、
こういう機会をまっていたのだ。
あかるい読書灯があるので、今夜は読書がたのしめそうだ。

posted by カルピス at 20:59 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月28日

ダイオキシンによる残酷な被害 (ベトナム旅行3日目)

ホーチミン市内のツアーに参加する。
小型バスに20人ほどがのりこみ、
9時から4時までの7時間で10カ所の名所をまわる。
おみやげ屋さんで休憩すると
お金をはらってのみものを注文しないておいけないし、
昼食は1ドルだけがツアー料金にふくまれていて、
それ以上は自分ではらわなければならない。
きのうのツアーとちがい、
参加者にあまり一体感はなく、
ガイドが冗談をいってたのしませてくれるものの
わたしにとってはあまりおもしろみのないいちにちだった。
ホーチミンの人口が900万で、
オートバイの数が600万台もあることをおしえてくれる。
日本製のオートバイはやすくても800USドルするそうで、
中国製のコピーがでまわっていて、
やすいのは400USドルからあるという。

戦争証跡博物館では1時間をすごす。
枯れ葉剤による被害について紹介するスペースでは、
ダイオキシンの影響で
先天的な障害をもって生まれたひとたちの写真が
たくさん展示されている。
神様がふざけてつくったとしかおもえない残酷な奇形だ。
とても写真をとることができなかった。
アメリカは、自分の国の関係者には手あつい保障をしながらも、
ベトナムのひとには
この薬と被害の関係性をみとめてないのだそうだ。
いっしょにまわったツアーにアメリカ人もいた。
デリケートな問題なので、
この博物館についての感想を彼にきくことはできなかった。
(ベトナム戦争で300万人のベトナム人が死に、
そのうちの200万人は一般市民で、
200万人が負傷し、
30万人が行方不明になっている)

トラベラーズチェックを両替しようとしても、
どの銀行もうけつけてくれない。
ビザのチェックがよわいということもあるけど
(アメリカンエクスプレスならOKといわれたところが2カ所ある)、
ベトナムではトラベラーズチェックが一般的ではないのだ。
そんな大事な情報がガイドブックにのってないなんて。
あすからのムネイゆきと、
ホーチミン市にもどってからの2日間のお金を
どうするかなやんでいたら、
ホテルにはいっている旅行会社のひとが
「カードをつかったら?」と提案してくれた。
ムネイへのツアーもカードではらえるのだ。
彼女がもっている機械に
わたしのJCVのカードをとおしてみたらうけつけてくれた。
これでお金の心配がなくなりすごく気がらくになる。
旅行に関するわたしの感覚があまりにもふるいようだ。
いまの時代はネットとカード、
それにサッカーへの興味が旅行をたのしくしてくれる。

安心してかいものができるようになり、
さっそくむすこへのおみやげにTシャツをかった。
彼はスケボーをやるので、
ちょうど目についたスケボーの専門店で
スケボーメイカーのシャツをかったのだ。
お金のことを気にしなくていいと、
旅行はいっきょにたのしくなる。

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2011年09月27日

ミトーでのメコンデルタツアー (ベトナム旅行2日目)

ミトーへのメコンデルタツアーへ(10ドル)。
7時20分を指定されてフロントでまっていると、
ツアーへのむかへが7時45分になってやっときた。
ちかくにとめてあるバスまでつれていかれる。
団体客がほとんどで、
さみしいおもいをするのはたのしくないなーとおもっていたら、
偶然となりにすわったのがきれいなフランス人女性で、
フランス語をまじえてというか、
英語をまじえてはなすことができた。
「ムネイ」という町がよかったとおしえてくれる。

とちゅう1回きゅうけいし、2時間ほどでミトーにつく。
フェリーにのりこみ、メコンデルタのクルージングがはじまる。
でも、なんだかんだと
島にあがるたびにおみやげをかわせようとするのが鼻につく。
ココナツミルクをつかったキャンデーの工房もたずねた。
ひとりはやはりさみしいことがおおいが、
このツアーでは、休憩のときや食事のときに
おなじテーブルについたひとたちとはなしができ、
あんがいたのしくすごすことができた。
オーストラリアからきたグループ(高校生と先生)や、
日本人の若者グループがいたおかげかすごくにぎやかで、
ツアー全体の雰囲気もだんだんなごやかになっていった。
いろんなひとたちが参加したからこその
たのしいクルーズだった。

posted by カルピス at 23:19 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月26日

ホーチミンシティにつく (ベトナム旅行1日目)

夕べは11時に1階におりて、
ホーチミンゆきのバス(のむかえ)をまつ。
まっていて、正直くるような気がしなかった。
深夜のことだし、ホテルのひとの確認もいいかげんそうだったし。
でも、ちゃんと11時50分にむかえのバンがきた。
「89ホテル」のあとも1カ所べつのホテルをまわり、
12時すぎにバスにのりこむ。

バスのシートは、はじめから腰のところでおれていた。
いかにも中国的な発想のデザインだとおもう。
機能的につめこみやすいだろうが、
いごこちはよくない。
自分の席によこたわると、
冷房がすごくきいていて、
モンベルのシャツとうすいフリースをきてもさむい。
顔のまえにつめたい風がふきだしてくるので、
シェムリアップでかったレインコートをかぶって顔をガードする。
6時に目がさめたときには背中に汗をかいていた。
冷房がよわめられたみたいだ。
でもまあカゼをひかなくてよかった。

6時すぎにプノンペンにつく。
ここでバスをのりかえることになる。
8時半までまたなければならなかった。
ちょうどうりにきた揚げパンを2つ(500リエル)たべたし、
チケット売り場のとなりにあるカフェで
紅茶とフルーツサラダ(4.2ドル)をたべれたので
たいくつせずに2時間半をすごすことができた。
とくに、カフェの雰囲気がとてもよくて、
できたら夜にお酒をのみにきたいようなところだった。

プノンペンの町は、まるでまえに旅行した中国のようだ。
殺伐とした雰囲気がする。ゴミもたくさんおちている。
ひとあたりは、中国とは全然ちがって気もちいいけど。

とちゅうわたし船でおおきな川をわたる。
ベトナム語の表示がみえだしたので、
川むこうはベトナムかとおもったらちがっていた。
となりの席にすわった日本人旅行者とはなしをする。
いまはアメリカではたらいといて、
12年ぶりの海外旅行なのだそうだ。
そのひととはなしていて、
こんどの旅行でもった印象をいくつか修正することができた。
シェムリアップのひとは安全運転かとおもっていたら、
その旅行者がのったトゥクトゥクは
4人をのせてひっくりかえったのだそうだ。
あぶなくおおけがになるところだ。
ブレーキをふなまにで対向車につっこんだそうだ。
カンボジアのひとはうどんをあまりたべない、
とおもっていたのも、
そのひとは食堂でよくたべたというので、
わたしの注文のしかたがわるかったみたいだ。

道路の両側が一面水びたしの道をはしる。不思議な光景だ。
なかなか国境につかない。
12時に休憩になり、そこの店でうどんをたべた。
カンボジアでのさいごの食事はうどんだった。

その店をでてじきに国境になる。
カンボジア側は指紋をとるだけですぐにおわる。
荷物のチェックもない。
ベトナム側では、ながい列にならばされて、
どうなるかとおもったら、
あらかじめあつめられたパスポートに
バス会社のひとがスタンプをおしてもらっており、
それをもつとフリーパスでとおれた。
荷物のチェックも機械によるものですぐにおわった。
それでも国境をこえるのになんやかやで1時間かかっている。

3時半にホーチミンにつく。
予約していたホテルがある
「ファングーラオ通り」でバスがとまったので、
あるいて「Seventy Hotel」にいくことができた。
シェムリアップの89ホテルとはちがって
すごくとざされたかんじの部屋だ。
その分しずかでいいけど、圧迫感をうける。
89ホテルがなつかしい。

100ドルをドンに両替する。
200万5000ドンというすごい額になった。
部屋でシャワーをあび、
インターネットの接続を確認してから
(なかなかうまくいかなかった)町にでる。
まずカフェで333ビールを注文し
(『地雷を踏んだらサヨウナラ』の
映画にでていたので、ぜひのみたかった)、
とおりをながめながらのむ。
333ビール.jpg
そのあと「ファングーラオ通り」をあるき、
屋台でフォーを注文する。
すごくおいしかった。
かえりに水と333ビールと水をかい、
ついでにサンドイッチも注文した。
ハムやらなんやらはいっていて、
シェムリアップでたべたものよりずっとおいしい。
パクチーもはいっている。
今夜はまだ7時とはやいので、
この日記をかいたてひといきついたら
また町にでてビール以外の酒をのもうとおもう。
ホーチミンにはそんな雰囲気がある。

ミトーひがえり旅行210,000ドン
333ビール(カフェ)20,000ドン
フォー25,000ドン
333ビール2本(小売店)30,000ドン
水2本(コンビニ)6000ドン
サンドイッチ12.000ドンほ

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2011年09月25日

最終日はがんばってうごく・ロリュオス遺跡群へ(カンボジア旅行6日目)

こんやのバスでホーチミンへいくことにしてので、
きょうがカンボジア旅行のさいごの日となった。

いつも朝ゆっくりしてるので、
いちにちにひとつのことしかできない。
きょうははやくからうごきだして
充実したいちにちにしようとおもう。
朝ご飯のあと、テレビもみずに8時半に1階におりる。
フロントに「ロリュオス遺跡へいきたい」とつたえる。
シェムリアップ市の東にある遺跡群だ。
「ロレイ」・「プリヤ・コー」・「バコン」と
3カ所にわかれて遺跡があり、
どれもそれぞれみてそんはない気にさせる。
団体できている日本人グループが
全員ながぐつをはいていたのでおかしかった。
ここでは必要なかったけど、
ほかの遺跡群をまわるときにやくにたったのだろう。

遺跡をみおわりホテルにもどってもまだ11時すぎだ。
はやめに昼ご飯をたべて、
午後は自転車でまわることにする。
レンタサイクルはいちにち2ドルでかりられる。
前かごのついたママチャリをえらんだ。
これにのってまず「キリング・フィールド」をめざす。
でも、それらしいものはみあたらない。
そのうちアンコールワットについてしまった。
キリング・フィールドはかえるまえにいくことにして、
まずアンコールワットの東にある遺跡をたずねることにする。
しばらくはしると
水が道路にあふれている場所にさしかかった。
なんとか自転車でとおれそうなふかさなので、
慎重にすすんでなんとか水のないところまでたどりつく。
冠水した道.jpg
そのあとすこしはしると
「パンテアイ・クデイ」と
「スラ・スラン」の遺跡にたどりついた。
そこから西にいく道は、
さっきの道路よりもっと水がかぶっている。
あぶなそうなのでむりはやめ、
もときた道をひきかえして
アンコールトムにいくことにした。

前回きたときに、
カメラの電池がきれて残念なおもいがしていたので、
こんなふうにまたくることができてうれしかった。
とりのこした場所の写真をおおいそぎでとる。
アンコールワットにもよった。
建物のなかにはいるときりがないので、
入り口だけにとどめておわかれをする。
ちかいうちにまたくることをちかってのおわかれだ。

かえりに「キリング・フィールド」をたずねる。
くるときみつけられなかったのはあたりまえだ。
なんの表示もなかったのだ
(もちろんカンボジア語ではなにかかいてあったけど)。
たまたまその建物のまえで
「キリング・フィールド」はどこですか、
とたずねたら「ここがそうです」といわれたのだ。
きかなければ絶対にわからなかった。
そしてここは。おもっていたような博物館ではなかった。
なかにはいるとお寺がある。
入場料もとられない(寄付はつのられていた)。
虐殺された霊への追悼の意味でお寺がたっていて、
そのすみにほんのすこし
虐殺についてふれてある掲示板があるだけだった。
「キリング・フィールド」などと名前をつけて
観光名所にしようとするのは
シェムリアップのひとたちの本意ではないのかもしれない。

かえりに道ばたでうっていたヤシの実ジュールをのむ。
2500リエル。いつかのんでみたかったのだ。
ココナツミルクをうすくしたような味で、
そんなにクセはない。
午前も午後もよくうごくことができ、
満足してホテルにもどりビールをのんだ。

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2011年09月24日

タイゾーさんのお墓へ (カンボジア旅行5日目)

出発まえに、部屋のテレビをつけてみる。
いろんなチャンネルがうつり、
時間によっては日本のNHKまでやっていた。
サッカーの番組をやるときもある。
きょうはプレミアリーグの
リバプール対トットナムをやっていたのでズルズルとみる。
リバプールはまったくいいところがなく、
反対にトットナムはすべてうまくいき、
後半ロスタイムに4点目をくわえてトットナムが圧勝した。

「地雷博物館」へいきたいとフロントに相談する。
ついでにタイゾーさんのお墓、
「Taizo Grave」のこともきいてみる。
フロントのひとも、
なんとなくはそのお墓の存在をしっていたようなので、
バイクタクシーの運転手にも説明してもらった
(全然つうじてなかったことがあとでわかる)。

1時間ぐらいバイクではしる。
こっちはノーヘルだし、
半ズボンでくつもはいてないから
かなりあぶなっかしいかっこうだ。
おまけに雨もふってきた。
車がすくないし、
わりにゆっくり(40〜50キロ)はしってくれたので
あまりこわくなかった。
日本では絶対にやりたくないけど。

とちゅうデコボコの赤土の道路のところもかなりあった。
地雷博物館は、
きのうの戦争博物館ほどではないけど
あまり熱心にみる気にならない。
日本語でない、ということより、
展示のしかたがうまくないとおもう。
「Akira」というひとが
地雷廃止の運動をしていることが紹介されていた。
「Akira」というから日本人かとおもっったら、
カンボジア人だった。ただしくは「Aki ra」みたいだ。

つぎの目的地の「Taizo Grave」をドライバーに確認する。
やっぱり彼はわかってなかった。
博物館のとなりにある喫茶店でお墓のことをたずねる。
店のひとも、お客さんも「Taizo Grave」のことをしっていて、
すぐにおしえてくれた。
雨がすごいふりかたになってきた。
その喫茶店でコーヒーをのみ(1ドル)休憩し、
雨がこぶりになるのをまつ。

しばらくしてから「Taizo Grave」へむかう。
分岐点はわりとすぐにみつかった。
でも、そこからがまたひどい道で、
よくあんなダートをバイクではしってくれたもんだと感心する。
エンジン回転のひくいバイクがこちらではつかわれていて、
それがこういう道にはあっているのだとおもう。
シェムレアップ市内にしても道はかなりわるく、
水たまりがたくさんある。
そんなところをとばしてはしられたらまわりはたまらないが、
こちらのひとはちゃんと
トコトコ惰性ではしるような運転をしてくれる。

水たまりのむこうにタイゾーさんのお墓がみえてきた。
でも、雨期のため水がふかくあぶなくてわたれない。
そしたら小学生くらいの子どもが
まわり道があることをおしえてくれた。
彼は英語をすこしはなし、
「道をおしえたら1ドルちょうだい」
と要求してきた。
1ドルなんてたかすぎて、とおもったけど、
彼がおしえてくれなかったらたどりつけなかっただろうから、
お墓にたどりついたときにはありがたくはらう気になっていた。
タイゾーさんのお墓といってもたいしたものではない。
だれがどういう動機でつくったのだろう。
タイゾーさんの生きかたが、
おおくの若者にインパクトをあたえている、
ということだろうか。
お墓のちかくの掘建て小屋にあった線香を1本たてる。
寄付の箱にすこしお金をいれる。

シェムリアップ市内にかえってくる。
とおる道によってはすごい水の量だ。
こんなところをとおって
よくバイクのエンジンがとまらないものだ。
まるで水陸両用車みたいに
マフラーまで水につかっても、
それでもバイクはうごきつづけて
ぶじにホテルまでおくってくれた。
シェムリアップ市内.jpg

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2011年09月23日

大水でうごけない (カンボジア旅行4日目)

朝ご飯をたべにオールドマーケットへむかおうとすると
道路に水があふれていてとおれない。
市内がすごいことになっている。
あきらめてひきかえし、ホテルの朝食を食べる。

トンレサップ湖へいけるかどうかフロントできいてみる。
いまは水がいっぱいだけど、
もうちょっとしたら水がひく、というので、
10時にトゥクトゥクをたのむ。
レインコートを1.5ドルでかって水にそなえる。
でも、まだ水がいっぱいで、市内をでることができない。
バイクのエンジンがもうすこしでとまりそうになる。
けっきょくホテルにひきかえし、
またフロントにどこかいけるところはないか相談する。
「Kompong Phluk」がいいというので、
こんどはそこをめざしてもういちど出発する。
そこは、シェムレアップ市内から
45分ほどのところにある。
水上生活をみることができる場所だそうだ。
いかにもやばそうで、
いってみるとやっぱり水がおおくてすすめないことがわかった。
直前まできてたみたいだからすごく残念になる。
トゥクトゥクの運転手がしきりにあやまるけどしょうがない。

トゥクトゥクに「戦争博物館」のシールがはってあったので、
そこなら大丈夫か運転手にきいてみる。
彼がホテルのフロントに確認をとると、
大丈夫だというのでいってみることにする。
なにもしないよりなにかうごきをつけたいところだ。

ところどころ水がふかいところがあったけど、
なんとかこんどはぶじに到着する。
でも、たいした展示ではない。
ベトナム戦争以降につかわれた兵器が
雨ざらしでならべられている。
見学者はわたしひとりだった。
けっきょくこれが、
きょういちにちでわたしがやった
すべてのこととなる。

ホテルの近所で昼食をたべてからひるねをする。
おきるとまた雨がすごいいきおいでふっている。
夕方1階におりてフロントに水の状況をきくと、
市内がすごいことになっているという。
どれどれとあるきだす。
ほんとうに、
ホテルをでてすぐの道路から水があふれている。
あきらめて市内とは反対方向にある
昼ご飯をたべた食堂へいく。
今夜はホテルですごすしかないと、あきらめる。
9000リエルの夕食をたべ、
かえりにビール2本とスナックをかってホテルにもどる。

posted by カルピス at 22:34 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月22日

雨のためうごけない (カンボジア旅行3日目)

夕べからふりはじめた雨が一晩中、
そして朝になってもはげしくふりつづける。
けっきょく昼まえまでやまなかった。
きのうの朝たべたおかゆ屋さんへいきたかったけど、
雨がすごいのでうごけない。
ホテルのちかくにサンドイッチの屋台があったので、
そこでサンドイッチを注文する。
10ドル札しかなく、それをだすと、
おつりがないといって、
財布からのぞいていた1000リエルだけうけとって
場所を移動してしまった。ほんとはいくらだったのだろう。

ホテルの部屋で『ジェノサイド』をよみつづける。
雨のためほんとにうごけないのだ。
たいくつして、パソコンで「一ノ瀬泰造」を検索すると、
今年の1月にシェムリアップをおとずれた旅行者が
記録をまとめていた。
タイゾーさんのお墓があるのだそうだ。
ぜひいってみようとおもう。

昼ご飯はオールドマーケットにある食堂でとる。
おかず2品で2.8ドル。
かえりにアンコールビール2本とせっけんをかってもどる。2ドル。
ビールをのむとそのままひるねをしていた。
おきてからもまた本をよむ。

7時すぎにまたお腹がすいてきたので
オールドマーケットのほうにむかう。
マッサージによびとめられた。
5ドルなのでおねがいする。
足だけのコースも、全身のコースも5ドルだ。
全身のほうはきのうやってもらい、
もみかえしみたいなものをかんじていたので足だけにする。
バリのフットマッサージはすごくいたかったけど、
ここのはそうでもない。

かえりにビール(ギネスともう1本アンコールビールではないやつ)と
単三電池をかう。
きのう遺跡群をみたときにかった電池は
きょうの昼ご飯をうつそうとしたときに
「バッテリー不足」を表示してきた。ひどい!。

シェムリアップの町をあるいていて、
不愉快なおもいをしたことがない。
お店のひとは旅行者料金をふっかけようとしないし、
トゥクトゥクのドライバーも
ホテルできいたのとおなじ値段を請求してくる。
車の運転はおだやかで、
クラクションは必要なときにしかならさない。
いい国だなーとおもう。

posted by カルピス at 23:59 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月21日

アンコール遺跡群へ (カンボジア旅行2日目)

6時に目がさめる。
シャワーをあびてホテルの外へ。
朝ご飯をたべる屋台をさがす。
夕べとちがい、朝はそこらじゅうにある。
おかゆをたべた(1ドル)。

ホテルにもどり、
ホテルの朝食(料金に「こみ」になっている)もたべる。
トースト2枚にジャムとバター・めだまやき(卵2つ)・
フルーツ(スイカ・バナナ・マンゴースチン)
・オレンジジュース・紅茶。

明け方はげしい雨がふっていたので、
きょうはうごけないかとおもった。
おかゆをたべにでたときはもうあがっており、
8時には陽がさしてきた。
大丈夫そうなので、というか、
なんとなく腰がおもかったけど、
これでいかなかったらダメだろうと、
アンコールワットへいくことにする。
ホテルのレセプションにいうと、トゥクトゥクをよんでくれた。
「おそすぎないか?」ときくと、ぜんぜん大丈夫だという。
トゥクトゥクは13ドルといわれた。

まず、アンコール遺跡群をみるための入場料をはらう。
1日が20ドル。3日パスだと40ドルらしい。
わたしは1日のパスにした。
トゥクトゥクは
ゆうべ空港にむかえにきてくれたドライバーだった。
彼がみどころの遺跡群にいろいろつれていってくれ、
わたしがまわるあいだまっていてくれる。
どうせ説明をきいてもわからないし、
自由にあるけてこっちのほうがよかった。
彼はなんだかあまり機嫌がよくなく、
ずっとぶすっとした表情をしている。
「つかれてるのか?」ときくと、
そうではなくどうも調子がわるいらしい。
自分の英語ではうまく説明できない、といっていた。

アンコールトムからはじまってアンコールワットまで、
4カ所か5カ所ぐらいの遺跡群をまわる。
期待してたのよりずっとすごい。
これよりすごい世界遺産があればみせてみろ!
とつよ気に断言したくなるぐらいすごい。
写真をとってもこの感激は
のこせないとわかっていても、
バシバシ写真をとる。
9時半にホテルを出発し、もどったのが2時半。
これでもはやすぎるぐらいだろう。
いくらあるいてもきりがないほどすごい遺跡がごろごろしている。
アンコールトムとタ・ケオではみごとにまよってしまった。

ホテルにもどってから
ビールを2本(1本300リエル)のみ、ひるね。
おきてからなんとなく「クメールマッサージ」を
ホテルのレセプションにたのむ。
部屋においてあるチラシに、
部屋でもマッサージを6ドルでうけられるとかいてあったのだ。
でも、トゥクトゥクをよばれて
とおくの店にでかけることになった。
中国か台湾か、あるいは韓国のオーナーみたいで、
なんだか韓国の温泉にいったときみたいなかんじだった。
1時間たっぷり、もうしわけないぐらいてねいにもんでもらって10ドル。
頭皮もぐいぐいもんでくれるし、
首や顔もていねいにやってくれる。
最後にでたお茶がおいしかった。

6時半にホテルにもどろうとするとはげしい雨がふりだした。
ホテルの部屋でやむのをまってるけど
いつまでもいきおいがおとろえない。
8時ごろになんとか小降りになったので、
足もとがぬれることはしょうがないと
サンダルにはきかえて近所の食堂をさがす。
もうのこりものしかないような店にはいる。
魚のやいたのがおいしかった。
これとスープ、それにご飯で合計2ドル。ご飯はただみたいだ。
これだけではおなかがすきそうなので、
ホテルをとおりこして、
きのうたべたあたりの店へいこうとするが、
道路に水があふれていてあるくのがあぶなそうだ。
不本意ながら、ファーストフードの店にはいり
ホットドック(1、5ドル)を注文して
ホテルにもってかえってたべる。
シャワーをあびながらジーンズとTシャツ、
それにパンツとくつしたを洗濯する。

いちにち目らしく、よくうごいた日となった。

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2011年09月20日

ぶじシェムリアップにつく (カンボジア旅行1日目)

台風の影響もなく、定刻の3時に米子空港を出発する。
順調にとんで16:15にソウルインチョン空港につく。

シェムリアップゆきはこれまた定刻の19:20に出発する。
それまでの待ち時間はロビーでずっとすごす。
カフェで紅茶(アールグレイ)をたのむ。
このまえの旅行でのこったウォンをつかう。
4000ウォンだった。

シェムリアップにもみごとに定刻の22:40につく。
途中夕食がいちどでる。
シーフードカレーをえらぶ。
からいけど、おいしかった。
アシアナ航空は酒をどんどん注文するひとがおおく、
アテンダントはワインをいれたコップをトレイにならべ
客席をまわっている。
となりの日本人カップルも
なんども赤ワインをおかわりしている
(しかもいちどに2人が3杯ずつ)。
ぼくもビールをもらう。
トイレにいったときにビールをくださいという。
「where is your sheet number?」
といわれたのがわからなくて3回きいた。

シェムリアップの空港につくと、
まずならんでビザをもらう(書類は飛行機でくばられた)。
ツーリストビザは20ドルだ。
そのビザをもってイミグレーションへ。
税関申告書にもパソコンをかいて税関のひとにみせると、
そのままとおしてくれた。
空港をでたところに「89ホテル」からのむかえがきている。
トゥクトゥクだった。
わりにゆっくりの安全運転をしてくれる。
ホテルまで15分ほどかかる。

チェックインして部屋ですこし荷物をかたずける。
はじめはパソコンがネットにつながらなかったが、
パスワードを確認するとなんとかつながった。
ホテルの外にでて、なにかたべられる屋台をさがす。
フォーがたべたかったので、
幅ひろのメンがおいてある屋台で注文すると、
ヤキソバのかたちででてきた。
あとでガイドブックをみると、
カンボジアではフォー(うどん)をあまりたべないみたい。

ホテルにもどりシャワーをあびる。
すごくチョロチョロしかでないけど、
とにかく「ホットシャワー」だ
かえるとちゅうでかったアンコールビール(1ドル)をのみ、
『ジェノサイド』をヘッドライトのあかりでよむ。
日本時間の3時にねる。

タイゾーさんがすごした町に、
たったいちにちでついた。しんじられない。

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2011年09月19日

『ジェノサイド』の650グラムになやむ

すごくおもしろいと話題の『ジェノサイド』
(高野和明・角川書店)をよみはじめる。
まだ80ページほどだけど、
構成がしっかりしているし、筆力もたしかなので、
まるで海外ミステリーをよんでいるような気になってくる。
これからどんどんおもしろくなっていくであろう予感がある。

もう1冊よみはじめた本があって、
こちらはまたすごくかるいはなしだ。
椎名誠の『ぱいかじ南海作戦』(新潮文庫)で、
失業と離婚がどうじになってしまった36歳の「おれ」が、
西表島でサバイバル生活をするはなし。
椎名誠の本はだいすきで、
これまでに何十冊とよんできた。
そのいずれもエッセイか旅行記だったので、
小説はこれがはじめてとなる。

まったくちがうはなしだけど、
両方ともそれぞれおもしろい。
わたしとしてはどちらも
旅行にもっていきたいが、
『ジェノサイド』は約650グラムで、
文庫本の3〜4冊分のおもさだ。
たいして移動する旅行ではないにしても、
本だけで3キロは、かなりやっかいな存在となる。
行列にならぶのと、
おもたい荷物をもつことがわたしはきらいで、
旅行ではその両方を体験する可能性がたかい。
明日の出発までにはどれをもっていくか(あきらめるか)
きめなければならず、
今夜の読書はむつかしい判断をせまられる。

電子書籍をもっていく手もあった。
でも、電子書籍はまだあまりにも商品がそろっておらず、
今回の旅行ではまだつかいものにならないとおもっていた。
ただ、「自炊」をするという方法は
すこしかんがえてみてもよかったかもしれない。
電子書籍をネットでかうのではなく、
自分のもっている本をデーター化すれば、
お金はかからないし(裁断機と自炊用のスキャナーは必要。
このごろは代行もあるらしい)、
おもさはもちろん末端分だけを気にすればいい。
字のおおきさをかえられるというのも、
目がよわってきたわたしにとってありがたい機能だ。

『ジェノサイド』をどうするか。
今夜よみすすめれば、
きっと旅行にもっていきたくなる。
わかっていながら
へんなタイミングでよみはじめてしまったわたしがわるい。
反省して650グラムにたえるか、
退屈な夜をもてあますか
(ちがう本をよめばいいだけなんだけど)。
おもさになやむなんて、
つぎの旅行のときにはきっと解消されているだろうから、
ふるきよき時代の旅行の象徴として、
きっとおもいでにのこるだろう。

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2011年09月18日

文化庁の国語世論調査

9月16日の朝日新聞に、
「寒っ」などのつかい方や
「ら」ぬきことば、
また、本来とはちがう意味でつかれれている言葉
(たとえば「姑息」など)について、
文化庁の調査が紹介されていた。

ことばの変化はみとめる、といいながら、
わたしもわたしなりの美意識をもっている。
たとえば、レジでちょうどの金額をだしているのに
「○○円をおあずかりします」といわれると
なんだかやな気がするし、
最近よくきく「がっつり」ということばもきらいで、
これをつかわれると、
それまでひいきにしていたひとでも、
そのひとへの信頼がゆらいでしまう。

では、ことばを正確につかっているか、というと
ぜんぜんそうではない。
うえにあげた「姑息」など
「ひきょうな」という意味にとらえていた
(本来は一時しのぎ、という意味だそうだ)。
みじかい文章ならまだしも、
ちょっとながくなると、
論理的につじつまがあっているかなど、
ひやひやしながらよみかえして点検することになる。

文章をかくことはきらいではない。
うまく表現できない箇所を
ずっと頭においてかんがえつづけ、
適切なことばをおもいついたときなどは
ほんとうにワクワクする。

そのいっぽうで、
ただしく文章をつづることのむつかしさも
いろいろな機会におもいしらされることがおおい。
わたしがこころがけているのは
わかりやすく、正確な文章だ。
むつかしい言葉をつかって
もっともらしいことをいうのではなく、
だれにでもわかりやすい文章をかきたいとおもう。

この日の「天声人語」は
「この現実、まともに見れないほど怖っ」
としめくくられていた。
文のながれから、
このおわり方はなんとなく予想できた。
いい年こいたおじさんが、
むりに現代の風俗をきりとろうとした結果が
こうしたみえみえのまとめかたになってしまった。
文章は、ほんとうにこわい。
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2011年09月17日

カンボジア旅行にそなえる

旅行にそなえたガイドブックえらびに書店へ。
『地球の歩き方』はめだつしたかいので(1700円)
「ララチッタ」(JTBパブリッシング)というシリーズの
『アンコールワット・ホーチミン』というのをえらぶ。
A5サイズで、うすく、もちはこびしやすそうだ。

旅行会話の本もさがす。
ベトナム語は、ちいさくて手ごろなものがあったが、
カンボジア語はおなじシリーズのものがなかった。
図書館でかりた『地球の歩き方』から、
必要な箇所をコピーしてもっていこうとおもう。

ほかにもひまなときによむ本を家の本棚からさがす。
こういうとき(バカンス旅行)のために、
以前からおもしろそうな本をひとつの棚にあつめていた。
そのなかから何冊かえらぶ。
ミステリーが5冊、小説が2冊、
現地の旅行記を1冊といううちわけとなった。

こうした準備をしていると、
いよいよ出発がちかづいてきた気がしてくる。
台風15号のうごきが気になるが、
すごくゆっくりなうごきなので、
このままだとなんとか間にあいそうだ。
いい気分転換の旅行になることをねがっている。

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2011年09月16日

シニアサッカーもなかなかやる

きょうの朝日新聞に
シニアサッカーについての記事がのっていた。
炎天下のなか60〜70代中心の合同練習会があり、
40人が東京都内の公園にあつまったそうだ。

記事にくわえられている練習風景の写真は、
うつっているひとすべてのうごきが
みごとにサマになっている。
ボールにむかってからだをなげだしているひと。
つぎのうごきを予測して、べつのコースにむきをかえるひと。
お腹がでているひとはいない。
とても60代にはみえないダイナミックな姿だ。

ずっとサッカーをつづけてきたわけではないそうだ。
何十年ものブランクがあると、
からだはおもうようにうごかない。
1年かけてきたえなおし、
やっとおもいどおりのプレーができるようになった、
というひとが紹介されている。
おおかれすくなかれ、
おおくのひとがそんなかんじみたいだ。

サッカーがすきだけど、競技経験のないわたしは、
いまさらどこかのチームにはいるのは敷居がたかい。
でもまあこのままからだをきたえていけば、
オーバー60のチームなら
エースストライカーかも、
なんてかんがえていた。
どうもそうは簡単にいきそうにない。
はやめになにかのつてをたのんで、
サッカーデビューしておいたほうがいいみたいだ。

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2011年09月15日

あたりまえすぎてもうしわけないけど、映画にはヘッドホンがおすすめ

DVDや録画しておいた映画をみるとき、
音がききとれなくてコマをもどすことがたびたびある。
テレビの番組をみてるときはそう気にならないけど、
映画のときは音がうまくききとれないと
はなしに集中しにくい。

ためしにイヤホンをつかってみると
あたりまえとはいえすごく音がクリアーにはいってくる。
外国語作品のときは、
字幕で内容を理解してるから
音なんてどうでもいいようなものだけど、
じっさいはイヤホンをつかうことで
ずっとこのましい環境になる。

電気屋さんでテレビ用のイヤホンをさがす。
テレビうり場であつかっているとおもっていたら、
ふつうの「イヤホン・ヘッドホンコーナー」にあった。
ある程度はコードのながさがほしいし、
もちはこびをするものではないので
ヘッドホンの形をえらぶ。1500円ほどだった。

さっそく『ディア・ハンター』をみるときにつかってみる。
すごくやすい投資なのに
おもった以上の効果だ。
映画はなんとなくみるよりも、
集中できるよう環境をととのえたほうがずっとたのしい。

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2011年09月14日

2ど目の『ディア・ハンター』

『ディア・ハンター』(1978年アメリカ)をみる。
ふうぎり当時につづいて2ど目の鑑賞だ。
例によって、はじめにみたときの記憶とずいぶんずれがある。
3時間のうち、
1時間をニックの結婚式についやしたとはおもわなかった。
つよい酒をあおり、はげしくダンスをおどる。
結婚式という、ごくたまにあるおいわいの席とはいえ、
あんなことをながくつづけられるわけがない。
アメリカの文化は、なが生きをゆるさない文化だ、と
へんたところに目がいってしまった。

クリストファー=ウォーケンがすごくわかい。
メリス=ストリープははじめのころ
みのがしてしまうくらい存在感がない。
そしてロバート=デ=ニーロの笑顔は
いつものようにすごくチャーミングだ。
1ど目に印象にのこっているのは、
ロシアンルーレットと
結婚式のとき、こぼれたワインで不吉な将来が暗示されるところだけだ。
流木にしがみついての脱走など、
まるではじめてみる映画だった。

じっさいには、解放戦線の兵士が捕虜にたいして
ロシアンルーレットをやらせた事実はないし、
ニックが「選手」としてこのゲームに出場しつづけながら
何ヶ月もいきながらえているのは
いかにも不自然だ。
アメリカ人はそれなりの気分にひたれるかもしれなが、
ベトナムのひとがこれをみたら、
あまりいい気もちはしないだろう。
この作品の評価がわかれることは理解できる。
あくまでも、
「アメリカ人にとってのベトナム戦争」
をえがいた映画といえるだろう。
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2011年09月13日

天国みたいな生活

いまわたしは事情があって会社をやめ、
基本的にはだいたい家にいる。
午前はトレーニング(ジョギングやウェートトレーニング)をして、
ひるごはんにすきなもの
(夏はソーメンがおおかった)をつくってたべ、ひるねをする。
1時間ほどで目がさめてもしばらくは
まだ頭もからだもぼーっとしているので、
ねっころがったままかるい本をながめる。
「天国みたいだ」とふとおもえてきた。

『安心ひきこもりライフ』(勝山実・太田出版)をよんでいると、
「親に罵られてはじめて、ひきこもり」とあった。
たしかにそうで、
本人はけしていまの状態を肯定しているわけではないので、
それを親や家族になんだかんだいわれるのは
非常にたのしくないコミュニケーションとなる。
さいわいわたしの家族はぜんぜん干渉してこない。
そればかりか、
「晩ご飯をつくってくれてたすかる」とまでいってくれるので
なんともいごこちのいい生活だ。
なにごとも要は気もちのもちようで、
仕事をしてないことには目をむけないで、
これまでやりたくてもできなかったこと生活を
だれにも迷惑をかけずにおくっていることに
感謝することが肝心だ。

「天国はない」とジョン=レノンはいった。
でも、ほんとうはきっとある。
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2011年09月12日

2回目からがほんとの理解かも

『レインマン』をみてびっくりしてしまった。
公開された当時(1988年)にいちどみているのに、
大切なところをまったく理解していなかった。
ダスティン=ホフマンが自閉症の特性を
こんなにみごとにえんじていたなんて。
「レインマン」は「スノーマン」、そして
「メインマン」につうじていることなど、
重要なところをほとんどおぼえていない。

1回目にみたときの記憶は、
波止場でスーパーカーをしいれている
調子のよさそうなオープニングでのトム=クルーズであり、
ダスティン=ホフマンの記憶力をいかして
ラスべガスのカジノでおおもうけしている2人だ。
当時はまだ介護の仕事についておらず、
自閉症についてもまったく知識がなかった。
飛行機にのらないといったり、
曜日によってたべるものをきめるというこだわりを、
「おおげさな映画的やらせ」ぐらいにおもっていた。

(ダスティン=ホフマンがえんじたレイモンドとおなじ
サヴァン症候群のダニエル=タメットは、
『ぼくには数字が風景に見える』という著書のなかで
円周率を22500桁記憶したり、
外国語をすぐにおぼえてしまう能力についてかいている)

兄弟愛とかロードムービーとか、
『レインマン』について
いろんなみかたがネットにはかかれている。
わたしにとっては、
自閉症についてのえがきかただけをとっても、
これまでおもっていたよりもずっとすぐれた作品だった。

こういうことはよくある。
気にいった作品をもういちどみたりよんだりすると、
ぜんぜん印象がちがうことにおどろくことがおおい。
1回目がいかに表面的で
ごくかぎられた理解しかしていないことをおもいしらされる。

1どしかよまない本、
1回しかみない映画がほとんどだ。
わたしはどれだけそれらの作品を理解したといえるだろう。
わたしをわたしとしてなりたたせている記憶や思考のほとんどは
非常にあさい理解でしかないのかもしれない。
いったい1ど目の体験とはなんなのだ。

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2011年09月11日

全然満足してないサブメンバーにのびしろをかんじた

選手起用の予想は完全にはずれた。
かんがえてみればあたりまえだ。
自分たちらしいサッカーをいつものメンバーでめざすよりも、
予選をとおして層のうすさが歴然としたチームを
これからどう機能させていくのかのほうがずっと大切だ。
結局中国との最終戦はこれまでのサブメンバーが主体となり、
7人がいれかわってピッチにたった。

試合は後半15分に田中のあげた1点が決勝点となり、
相手の精度のひくさにもたすけられて
1−0で日本がかつことができた。
試合内容よりも試合後の選手たちの表情が印象にのこる。
得点をいれた田中はすこしもうれしそうではなく、
インタビューでも「全然だめでした」をくりかえす。
FWで起用された、後半32分まではしりまわった高瀬は、
ピッチからひきあげるときになきじゃくっていた。
自分のプレイへのくやしさからだ。
宮間はインタビューで
「わかい選手たちが一生懸命やってくれたので、
安心してみていることができた」
と今日の主役のサブメンバーたちをたたえている。
まだまだのびしろがありそうで、
なかなかボールがつながらない試合内容よりも
好感のもてる試合後の選手たちの表情だった。

けっきょく予選を4勝1分でおえたことになり、
なによりも、重圧のなかぶじに
オリンピックへの切符を手にいれることができた。
おつかれさまでした。そしておめでとう。

posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする