2011年09月18日

文化庁の国語世論調査

9月16日の朝日新聞に、
「寒っ」などのつかい方や
「ら」ぬきことば、
また、本来とはちがう意味でつかれれている言葉
(たとえば「姑息」など)について、
文化庁の調査が紹介されていた。

ことばの変化はみとめる、といいながら、
わたしもわたしなりの美意識をもっている。
たとえば、レジでちょうどの金額をだしているのに
「○○円をおあずかりします」といわれると
なんだかやな気がするし、
最近よくきく「がっつり」ということばもきらいで、
これをつかわれると、
それまでひいきにしていたひとでも、
そのひとへの信頼がゆらいでしまう。

では、ことばを正確につかっているか、というと
ぜんぜんそうではない。
うえにあげた「姑息」など
「ひきょうな」という意味にとらえていた
(本来は一時しのぎ、という意味だそうだ)。
みじかい文章ならまだしも、
ちょっとながくなると、
論理的につじつまがあっているかなど、
ひやひやしながらよみかえして点検することになる。

文章をかくことはきらいではない。
うまく表現できない箇所を
ずっと頭においてかんがえつづけ、
適切なことばをおもいついたときなどは
ほんとうにワクワクする。

そのいっぽうで、
ただしく文章をつづることのむつかしさも
いろいろな機会におもいしらされることがおおい。
わたしがこころがけているのは
わかりやすく、正確な文章だ。
むつかしい言葉をつかって
もっともらしいことをいうのではなく、
だれにでもわかりやすい文章をかきたいとおもう。

この日の「天声人語」は
「この現実、まともに見れないほど怖っ」
としめくくられていた。
文のながれから、
このおわり方はなんとなく予想できた。
いい年こいたおじさんが、
むりに現代の風俗をきりとろうとした結果が
こうしたみえみえのまとめかたになってしまった。
文章は、ほんとうにこわい。
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posted by カルピス at 21:47 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする