トヨタヴィッツカップ
INAC神戸対アーセナルレディースとの試合をみる。
アーセナルはイングランドの強豪チームで、
代表チームに4人の選手をおくりこんでいるということだ。
そのイングランド代表に、
日本はW杯で0−2でやぶれている。
試合開始後のしばらくはおたがいに様子みで、
なんとなくやりにくそうだったけど、
神戸は相手のつよいあたりにもなれ
だんだんボールを支配するようになる。
でも、ゴールはうまれない。
パスはつながるのに、さいごの1本の精度がたりない。
この試合については大野がブレーキになっていて、
なんども決定的なチャンスをのがしてしまう。
川澄は彼女らしいスピートどスタミナをいかしてはしりまわるが、
もういっぽのところでシュートにもちこめない。
けっきょく後半に1点ずつをいれあってのひきわけとなり、
MVPには1点目をきめたチ=ソヨン選手がえらばれて、
賞品のヴィッツがおくられた。
試合のあいまに、
神戸の選手たちが出演するトヨタのCMが何本もながれる。
グランドでふとんにくるまってねている選手たち
(いい走りにはいい休息を、なのだそうだ)。
ハーフタイムにロッカールームでのうちあわせで、
ヴィッツのはしりとかけあわせて
テキトーなことをいう星川監督と
ぜんぜんまじめにきいてない神戸の選手たち。
かずうったのが、すこしでもあたればいいやと、
気をぬいてつくったよさがでていてたのしい。
製品をうらなければ、という過剰なプレッシャーがないし、
そんなにお金をかけてないから冗談がつうじる世界だ。
こういう試合がみれるのは、
なでしこブームというおい風だけでなく、
スポンサーになってくれたトヨタのおかげかもしれない。
企業イメージはよくないが、
こういうことにお金をつかってくれると
またちがった印象をもてるかもしれない。
12月8日から18日までの日程でひらかれる
FIFAクラブワールドカップジャパン2011も、
トヨタがスポンサーだ。
4年ぶりに日本でひらかれるクラブワールドカップで、
日本からはJリーグの優勝チームが
参加することになっている。
バルセロナと試合するには
決勝までの3試合にかたなければならず、
ハードルはとてもたかい。
なんとか今年さいごにいい夢をみせてもらいたい。
2011年11月30日
2011年11月29日
深津絵里のホクロがすばらしい
『ステキな金縛り』の感想をかいたとき、
深津絵里についてあまりふれなかった。
関心がないからではなく、
反対にありすぎるからだ。
『悪人』ではじめて深津絵里の存在をしる。
地方都市の紳士服店につとめるさえない女性を
すごくリアルにえんじていた。
「ださかやろ?」とさみしそうにつぶやく光代。
いまでも佐賀の郊外にあるあの店にいけば光代がいて、
すこしてれながら、
あたたかみのある笑顔でむかえてくれるような気がする。
『ザ・マジックアワー』はボスがかこう女の役だ。
自分につごうのいいことしかかんがえない
たまらないタイプの女性だけど、
男はだれも彼女の魅力にはかてない。
ボスの西田敏行みたいに彼女のことは
ぜんぶゆるしてしまいたくなる。
どんな役もそれらしくえんじてしまい、
(『博士が愛した数式』での家政婦さんは
ちょっとむりをしてるかんじがしたけど)、
どんな役もそれぞれにすてきだ。
『ステキな金縛り』では、
彼女のホクロがなんどもアップになって
すごくそそられた。
シワをかくさず、髪もくしゃくしゃで、
そのうえにあの口もとにあるホクロがうつると
ファンとしてはもうたまらない。
幽霊と友達になってしまう女性って、
そんなにはいないとおもう。
それもこれも、みんなあのホクロのちからなのだ。
深津絵里についてあまりふれなかった。
関心がないからではなく、
反対にありすぎるからだ。
『悪人』ではじめて深津絵里の存在をしる。
地方都市の紳士服店につとめるさえない女性を
すごくリアルにえんじていた。
「ださかやろ?」とさみしそうにつぶやく光代。
いまでも佐賀の郊外にあるあの店にいけば光代がいて、
すこしてれながら、
あたたかみのある笑顔でむかえてくれるような気がする。
『ザ・マジックアワー』はボスがかこう女の役だ。
自分につごうのいいことしかかんがえない
たまらないタイプの女性だけど、
男はだれも彼女の魅力にはかてない。
ボスの西田敏行みたいに彼女のことは
ぜんぶゆるしてしまいたくなる。
どんな役もそれらしくえんじてしまい、
(『博士が愛した数式』での家政婦さんは
ちょっとむりをしてるかんじがしたけど)、
どんな役もそれぞれにすてきだ。
『ステキな金縛り』では、
彼女のホクロがなんどもアップになって
すごくそそられた。
シワをかくさず、髪もくしゃくしゃで、
そのうえにあの口もとにあるホクロがうつると
ファンとしてはもうたまらない。
幽霊と友達になってしまう女性って、
そんなにはいないとおもう。
それもこれも、みんなあのホクロのちからなのだ。
2011年11月28日
『花のズボラ飯』(原作:久住昌之・漫画:水沢悦子・秋田書店)
ずいぶんまえに朝日新聞の書評にのっていたし、
高野秀行さんもブログにとりあげていた。
うりきれてしまったのか、本屋さんにもアマゾンにもなく、
半年たってようやく手にすることができた。
今年の1月5日が初版の発行で、
11月の20日に12刷というのだから
ずいぶんうれているのだろう。
ズボラ飯のつくりかたをおしえてくれる
料理マンガかとおもっていたけど、
どうもそう簡単にはジャンルわけできないタイプの作品だ。
1話には簡単レシピがのってたけど、
2話はただの「卵かけご飯」だし、
14話では宅配ピザを友だちとたべるだけなので、
作者は確信をもって料理マンガでない線をねらっている。
帯にある「新しい『孤独のグルメ』」というのに
なんとなくうなづきながら、
でも、そこまでたいそうなものではないような気もするし。
料理のできをきそったり、
便利な裏技を紹介するマンガではなく、
花のゆるい日常こそがだいじな作品なので、
いくらでもはなしがつづきそうだ。
花はほんとにおいしそうにズボラ飯をたべる。
まあ、たしかにお腹がすいたときに
てっとりばやくつくったものを
ガツガツたべるくらいしあわせなことはない。
「ズボラ飯」のつくりかたをためしてみる。
まず、1話にのっていた
鮭フレークとマヨネーズをまぜ、
それを食パンにぬってトースターでやく、というもの。
たしかにかんたんだけど、
鮭フレークがおおくてしょっぱくなりすぎてしまった。
キムチチャーハンもつくった。
これはご飯をいれすぎてしまい味がぼやけたし、
さいごにノリをちらすのもわすれてしまった。
あんがいわたしは花より料理がへたなのかもしれない。
花がポトフをつくったとき、
ブイヨンをいれわすれて味がきまらなくなり、
牛乳やミソなど、いろいろな調味料をつぎたす。
まよいながらケチャップをくわえるとき、
バリ島のケチャダンスをひっぱりだして、
おいしくなるようにおいのりするのがおかしかった。
料理をしながら実況中継をしたり、
「ごはんが無いチンゲール」なんてダジャレが
しょっちゅうでてくる。
夏はパンツ(下着)しかはいてないし。
わかい主婦の意外なゆるさが男のわたしにはおもしろい。
「サッポロ一番」は塩がおいしい、と花はいうが、
わたしは絶対みそだ。
塩ラーメンはかくし味にカレーがつかってある、
という指摘には同意するけど。
高野秀行さんもブログにとりあげていた。
うりきれてしまったのか、本屋さんにもアマゾンにもなく、
半年たってようやく手にすることができた。
今年の1月5日が初版の発行で、
11月の20日に12刷というのだから
ずいぶんうれているのだろう。
ズボラ飯のつくりかたをおしえてくれる
料理マンガかとおもっていたけど、
どうもそう簡単にはジャンルわけできないタイプの作品だ。
1話には簡単レシピがのってたけど、
2話はただの「卵かけご飯」だし、
14話では宅配ピザを友だちとたべるだけなので、
作者は確信をもって料理マンガでない線をねらっている。
帯にある「新しい『孤独のグルメ』」というのに
なんとなくうなづきながら、
でも、そこまでたいそうなものではないような気もするし。
料理のできをきそったり、
便利な裏技を紹介するマンガではなく、
花のゆるい日常こそがだいじな作品なので、
いくらでもはなしがつづきそうだ。
花はほんとにおいしそうにズボラ飯をたべる。
まあ、たしかにお腹がすいたときに
てっとりばやくつくったものを
ガツガツたべるくらいしあわせなことはない。
「ズボラ飯」のつくりかたをためしてみる。
まず、1話にのっていた
鮭フレークとマヨネーズをまぜ、
それを食パンにぬってトースターでやく、というもの。
たしかにかんたんだけど、
鮭フレークがおおくてしょっぱくなりすぎてしまった。
キムチチャーハンもつくった。
これはご飯をいれすぎてしまい味がぼやけたし、
さいごにノリをちらすのもわすれてしまった。
あんがいわたしは花より料理がへたなのかもしれない。
花がポトフをつくったとき、
ブイヨンをいれわすれて味がきまらなくなり、
牛乳やミソなど、いろいろな調味料をつぎたす。
まよいながらケチャップをくわえるとき、
バリ島のケチャダンスをひっぱりだして、
おいしくなるようにおいのりするのがおかしかった。
料理をしながら実況中継をしたり、
「ごはんが無いチンゲール」なんてダジャレが
しょっちゅうでてくる。
夏はパンツ(下着)しかはいてないし。
わかい主婦の意外なゆるさが男のわたしにはおもしろい。
「サッポロ一番」は塩がおいしい、と花はいうが、
わたしは絶対みそだ。
塩ラーメンはかくし味にカレーがつかってある、
という指摘には同意するけど。
2011年11月27日
オリンピック最終予選ホームでのシリア戦
オリンピック最終予選、国立競技場でおこなわれたシリア戦は
2−1で日本がかった。
前半と後半のそれぞれのたちあがりであぶない場面があったし、
後半30分においつかれてからは、
ずっとボールをまわせない時間がつづく。
シリアはつかれをみせず
よくはしりつづけるのにたいし、
日本は中盤があいてしまい、
なんどもひやひやさせられる。
そうしたいやな時間帯の後半41分に
大津がかちこしとなるヘディングをきめた。
5日まえのバーレーン戦につづく2点目で、
結果のだせる魅力ある選手だ。
2戦ともスーパーサブ的に後半から起用された永井は、
きょうも得点できなかった。
NHK BS1の解説は岡田さんと長谷川さんで、
岡田さんは例によって解説者というより
サッカーずきのおやじになって生の声をきかせてくれる。
長谷川さんが、ファーサイドがフリーになりやすい、
というシリアの欠点を指摘し、そのリプレイをみると、
「ほんと、長谷川さんがいったとおりだ」
とすごくたのしそうに岡田さんが相づちをうつ。
ゲーム全体については岡田さんも
心配しながらみていたのだそうで、
でも、それを口にしないのが岡田流だ。
メディアは岡田さんが浦和レッズ、
長谷川さんにはガンバ大坂からの
オファーがあることをつたえている。
競技場ではどういうはなしがでただろうか(でるわけないか)。
最終予選はまだ半分がすんだところなので、
よろこぶのははやいにしても、
ホームで着実にかち点3をとれたはおおきかった。
きびしい予選にもまれてちからをつけ、
本番のロンドンオリンピックでは
ひとかわむけたいきのいい姿をみせてほしい。
2−1で日本がかった。
前半と後半のそれぞれのたちあがりであぶない場面があったし、
後半30分においつかれてからは、
ずっとボールをまわせない時間がつづく。
シリアはつかれをみせず
よくはしりつづけるのにたいし、
日本は中盤があいてしまい、
なんどもひやひやさせられる。
そうしたいやな時間帯の後半41分に
大津がかちこしとなるヘディングをきめた。
5日まえのバーレーン戦につづく2点目で、
結果のだせる魅力ある選手だ。
2戦ともスーパーサブ的に後半から起用された永井は、
きょうも得点できなかった。
NHK BS1の解説は岡田さんと長谷川さんで、
岡田さんは例によって解説者というより
サッカーずきのおやじになって生の声をきかせてくれる。
長谷川さんが、ファーサイドがフリーになりやすい、
というシリアの欠点を指摘し、そのリプレイをみると、
「ほんと、長谷川さんがいったとおりだ」
とすごくたのしそうに岡田さんが相づちをうつ。
ゲーム全体については岡田さんも
心配しながらみていたのだそうで、
でも、それを口にしないのが岡田流だ。
メディアは岡田さんが浦和レッズ、
長谷川さんにはガンバ大坂からの
オファーがあることをつたえている。
競技場ではどういうはなしがでただろうか(でるわけないか)。
最終予選はまだ半分がすんだところなので、
よろこぶのははやいにしても、
ホームで着実にかち点3をとれたはおおきかった。
きびしい予選にもまれてちからをつけ、
本番のロンドンオリンピックでは
ひとかわむけたいきのいい姿をみせてほしい。
2011年11月26日
『ステキな金縛り』深津絵里の魅力がいっぱい
『ステキな金縛り』をみる。
おもしろかった。
よくねられた脚本のたのしさをおしえてくれる
お手本のような作品だ。
『ザ・マジックアワー』もおもしろかったけど、
この『ステキな金縛り』もおしゃれに、
そしてのびびとふざけてつくられている。
おかしかったシーンがいくつかある。
ユーレイがみえるひとたちにあつまってもらい、
どういう共通条件があるかをかんがえている場面は、
かんがえてみればありえない状況だ
(どうやってそのひとたちをさがしだしてきたんだ?)。
どれだけふざけられるかを大切にする、
三谷監督らしいサービス精神ゆえの場面だろう。
もうひとつ。
証人のユーレイがあらわるには
陽がしずむまであと2時間またなければならず、
こまっている深津絵里に上司の阿部寛が
「わかった。俺がなんとなする」
とかっこよくひきうける。
で、なにをするかとおもったら、
ならいはじめたタップダンスを披露して、
ほんの数十秒かせいだけでちからつきる、
というところ。
たよりになりそうでならない上司役を
阿部寛がさらりとえんじている。
西田敏行の六兵衛さんがみえているカットと、
みえてないカットが効果的にいれかわる。
殺生されてひとりでもだえる中井貴一とか、
おまわりさんにけげんな顔をされる深津絵里がすごくおかしい。
そして、そうやってあそびながらも
登場人物たちの「善」なる部分がつたわってくるので
こころにのこる場面となる。
ただ、以前かわいがっていた犬(ラブ)と
再会したときの中井貴一は、
あまり犬がすきでないのがわかってしまった。
ほんとうの動物ずきが
わかれていたペットとであったら、
あれぐらいのよろこびではすまない。
正直なもので、ラブのほうも
あまり再会をよろこんでいるようにはみえなかった。
犬ずきの三谷監督が、
この妥協についてどうかんがえられているのか、
しりたいところだ。
かぎられた空間をじょうずにつかうのが
三谷監督の得意とするところだけど、
この作品ではかなり外にもでかけている。
そうした意味ではこれまででいちばん
ふつうの映画らしいつくりでありながら、
三谷監督はこれまでどおり
脚本によるおもしろさで勝負している。
サービス精神にあふれた作品であり、
みおわったあとのすがすがしさも
第1級の作品だ。
三谷監督は、先日放映された
『情熱大陸』にも出演されていた。
「すべては制約からはじまる」
「どんな体験もコメディに」
「追い込まなければ道はひらけない」
「制約のなかに答えがある」
「自分が信じなければ、
だれが自分を信じるんですか」
なんてすてきなことをいうのだ。
プロフェッショナルとは、ときかれると、
「期待にこたえること。
自分がやりたいものをやるんじゃなく、
ひとが自分にやってほしいとおもうものをやる」
というかんがえ方もすばらしい。
今回の作品では、
自信をもつことの大切さをつたえてくれたのが
わたしにはとくにひびいた。
これまであまり評価してこなかった三谷監督だけど、
この『ステキな金縛り』のおもしろさで
そのかんがえをあらためた。
どこまでも脚本をねりあげて完成度をたかめようとする
すばらしい監督である。
おもしろかった。
よくねられた脚本のたのしさをおしえてくれる
お手本のような作品だ。
『ザ・マジックアワー』もおもしろかったけど、
この『ステキな金縛り』もおしゃれに、
そしてのびびとふざけてつくられている。
おかしかったシーンがいくつかある。
ユーレイがみえるひとたちにあつまってもらい、
どういう共通条件があるかをかんがえている場面は、
かんがえてみればありえない状況だ
(どうやってそのひとたちをさがしだしてきたんだ?)。
どれだけふざけられるかを大切にする、
三谷監督らしいサービス精神ゆえの場面だろう。
もうひとつ。
証人のユーレイがあらわるには
陽がしずむまであと2時間またなければならず、
こまっている深津絵里に上司の阿部寛が
「わかった。俺がなんとなする」
とかっこよくひきうける。
で、なにをするかとおもったら、
ならいはじめたタップダンスを披露して、
ほんの数十秒かせいだけでちからつきる、
というところ。
たよりになりそうでならない上司役を
阿部寛がさらりとえんじている。
西田敏行の六兵衛さんがみえているカットと、
みえてないカットが効果的にいれかわる。
殺生されてひとりでもだえる中井貴一とか、
おまわりさんにけげんな顔をされる深津絵里がすごくおかしい。
そして、そうやってあそびながらも
登場人物たちの「善」なる部分がつたわってくるので
こころにのこる場面となる。
ただ、以前かわいがっていた犬(ラブ)と
再会したときの中井貴一は、
あまり犬がすきでないのがわかってしまった。
ほんとうの動物ずきが
わかれていたペットとであったら、
あれぐらいのよろこびではすまない。
正直なもので、ラブのほうも
あまり再会をよろこんでいるようにはみえなかった。
犬ずきの三谷監督が、
この妥協についてどうかんがえられているのか、
しりたいところだ。
かぎられた空間をじょうずにつかうのが
三谷監督の得意とするところだけど、
この作品ではかなり外にもでかけている。
そうした意味ではこれまででいちばん
ふつうの映画らしいつくりでありながら、
三谷監督はこれまでどおり
脚本によるおもしろさで勝負している。
サービス精神にあふれた作品であり、
みおわったあとのすがすがしさも
第1級の作品だ。
三谷監督は、先日放映された
『情熱大陸』にも出演されていた。
「すべては制約からはじまる」
「どんな体験もコメディに」
「追い込まなければ道はひらけない」
「制約のなかに答えがある」
「自分が信じなければ、
だれが自分を信じるんですか」
なんてすてきなことをいうのだ。
プロフェッショナルとは、ときかれると、
「期待にこたえること。
自分がやりたいものをやるんじゃなく、
ひとが自分にやってほしいとおもうものをやる」
というかんがえ方もすばらしい。
今回の作品では、
自信をもつことの大切さをつたえてくれたのが
わたしにはとくにひびいた。
これまであまり評価してこなかった三谷監督だけど、
この『ステキな金縛り』のおもしろさで
そのかんがえをあらためた。
どこまでも脚本をねりあげて完成度をたかめようとする
すばらしい監督である。
2011年11月25日
自炊した本をiPod touchでよんでみる
自炊した本をiPod touchでよめるだろうか。
グーグルでさがすと「まつにおまかせ」というサイトがあった。
ていねいに説明されているのでそれを参考にする。
iPod touchでPDFファイルをみるには
いくつかの方法があるそうで、
今回はそのうちの2つをためしてみた。
まず、「画像としてあつかう」というもの。
・AppStoreでAdobe Readerをダウンロードする(無料)。
・パソコンで自炊したPDFをプレビューで開いて、
・「印刷」から「iPhotoに登録」する。
・iPod touchをパソコンにつないで同期させる。
・iPod touchの「写真」のアイコンをひらくと、
iPhotoから同期されたPDFをみることができる。
「まつにおまかせ」のサイトには
問題点として「iTunesは自動的に圧縮ファイルを転送するので、
高精細ファイルを用意してもボケてしまう」とある。
たしかに画像があらく、iPod touchでよむには
かなりの忍耐がいりそうだ。
転送のスピードはあんがいはやく、
200ページ・56.4MBがすぐにおわった。
もうひとつの方法として
「メールで見る」というのがあげてある。
PDFファイルをメールに添付しておくり、
メールソフトでひらく、というものだ。
これはたしかにきれいな画像でみれるけど、
おおきなファイルはおくれないので、
自炊した本にはつかいにくい方法みたいだ。
2つの方法をためしてみて、
PDFファイルをあつかえるという意味では
iPod touchでも問題なくできた。
しかし、本をよむということになると
iPod touchは画面がちいさすぎて実用にならない。
iPod touchにむいているのは
あくまでもすくないページの
PDFファイルをみる場合にかぎられ、
本をよむにはiPadか
本専用のデバイスということになる。
まあ、あたりまえといえばあたりまえなはなしで、
こんなことをしていると、
iPadやキンドルへの物欲がわいてきた。
グーグルでさがすと「まつにおまかせ」というサイトがあった。
ていねいに説明されているのでそれを参考にする。
iPod touchでPDFファイルをみるには
いくつかの方法があるそうで、
今回はそのうちの2つをためしてみた。
まず、「画像としてあつかう」というもの。
・AppStoreでAdobe Readerをダウンロードする(無料)。
・パソコンで自炊したPDFをプレビューで開いて、
・「印刷」から「iPhotoに登録」する。
・iPod touchをパソコンにつないで同期させる。
・iPod touchの「写真」のアイコンをひらくと、
iPhotoから同期されたPDFをみることができる。
「まつにおまかせ」のサイトには
問題点として「iTunesは自動的に圧縮ファイルを転送するので、
高精細ファイルを用意してもボケてしまう」とある。
たしかに画像があらく、iPod touchでよむには
かなりの忍耐がいりそうだ。
転送のスピードはあんがいはやく、
200ページ・56.4MBがすぐにおわった。
もうひとつの方法として
「メールで見る」というのがあげてある。
PDFファイルをメールに添付しておくり、
メールソフトでひらく、というものだ。
これはたしかにきれいな画像でみれるけど、
おおきなファイルはおくれないので、
自炊した本にはつかいにくい方法みたいだ。
2つの方法をためしてみて、
PDFファイルをあつかえるという意味では
iPod touchでも問題なくできた。
しかし、本をよむということになると
iPod touchは画面がちいさすぎて実用にならない。
iPod touchにむいているのは
あくまでもすくないページの
PDFファイルをみる場合にかぎられ、
本をよむにはiPadか
本専用のデバイスということになる。
まあ、あたりまえといえばあたりまえなはなしで、
こんなことをしていると、
iPadやキンドルへの物欲がわいてきた。
2011年11月24日
行動援護従業者要請研修のうちあわせ
山口県の行動援護従業者要請研修のうちあわせで下関へ。
12時からの会なので、にがてな「やくも」にのらなければならない。
やくも特有のゆれ方がきらいで、
できるだけバスや飛行機をつかってきた。
今回はそういってられないので、
よいどめの薬をのんでやくものシートにおさまる。
薬はたしかによくきいた。
本をよんでもなんともなく、
車内読書用にもってきた本をよみおえてしまい、
下関で本(というより活字)をかいたさなければならなかった。
まえはよいどめの薬をのむと、
よいはしないけれど、ぼーっとした状態がつづき、
いずれにしても気分がわるかったものだ。
今回のんだアネロン「ニスキャップ」は全然そういうことがなく、
ずっと快適にすごすことができた。
うちあわせはぶじにおわる。
活発な活動をされている方々のあつまりで、
いいかんじで確認がすすむ。
わたしは、自分がうけもつコマをざっとふりかえり、
いよいよ本番がちかづいてきたことを実感する。
かえりは「スーパーおき」にのった。
特急なのに2両編成だ。
いきにのった新幹線は16両だったので、
さすがに山陰をとおる列車はちがう、と
妙に納得できた。
よみはじめた本に、森鴎外のことがかかれている。
で、ふと窓のそとをみると列車は津和野についており、
駅にぶらさげてある観光案内板に「森鴎外記念館」とかいてあった。
こういうすてきな偶然がおもしろい。
下関までの道中でよんだ『ヤングアダルトパパ』
(山本幸久・角川書店)は
あまりいいできの作品ではなかった。
はずれのない山本幸久さんにしては、
はっきりおちるレベルといってよい。
『凸凹デイズ』とおなじ作者のものとはとてもおもえない。
図書館でもうあと2冊、山本幸久さんの本をかりている。
山本さんの本らしい、
よんだあとすがすがしいものであることを期待している。
12時からの会なので、にがてな「やくも」にのらなければならない。
やくも特有のゆれ方がきらいで、
できるだけバスや飛行機をつかってきた。
今回はそういってられないので、
よいどめの薬をのんでやくものシートにおさまる。
薬はたしかによくきいた。
本をよんでもなんともなく、
車内読書用にもってきた本をよみおえてしまい、
下関で本(というより活字)をかいたさなければならなかった。
まえはよいどめの薬をのむと、
よいはしないけれど、ぼーっとした状態がつづき、
いずれにしても気分がわるかったものだ。
今回のんだアネロン「ニスキャップ」は全然そういうことがなく、
ずっと快適にすごすことができた。
うちあわせはぶじにおわる。
活発な活動をされている方々のあつまりで、
いいかんじで確認がすすむ。
わたしは、自分がうけもつコマをざっとふりかえり、
いよいよ本番がちかづいてきたことを実感する。
かえりは「スーパーおき」にのった。
特急なのに2両編成だ。
いきにのった新幹線は16両だったので、
さすがに山陰をとおる列車はちがう、と
妙に納得できた。
よみはじめた本に、森鴎外のことがかかれている。
で、ふと窓のそとをみると列車は津和野についており、
駅にぶらさげてある観光案内板に「森鴎外記念館」とかいてあった。
こういうすてきな偶然がおもしろい。
下関までの道中でよんだ『ヤングアダルトパパ』
(山本幸久・角川書店)は
あまりいいできの作品ではなかった。
はずれのない山本幸久さんにしては、
はっきりおちるレベルといってよい。
『凸凹デイズ』とおなじ作者のものとはとてもおもえない。
図書館でもうあと2冊、山本幸久さんの本をかりている。
山本さんの本らしい、
よんだあとすがすがしいものであることを期待している。
2011年11月23日
オリンピック3次予選バーレーン戦
フル代表とおなじように、
試合のはいりかたがゆるいのか
日本はなかなか主導権をにぎれない。
バーレーンのはやい段階でのプレッシャーにくるしみ
パスがつながらない。
いいところまでいっても、さいごのパスがとおらない。
それでもすくないチャンスをいかし、
前半の終了間際と後半22に得点がある。
バーレーンは2点をうしなったところで
ラフプレーがめだってきた。
意図的に山田直輝のひたいをふみぬくひどいプレイがあったし、
ラインぎわでプレイがおわってるのに
日本選手をとつきとばしたり、
ゴールをねらったあとの永井のあたまをこづいたり。
中東特有のいやらしい試合はこびに
みてるだけでもいかりがわいてくる。
でも、日本の選手はそうした挑発にのらず、
無事に2−0で試合をおえる。
会場のバーレーン国立競技場は、
サポーターによる応援がほとんどみられない。
日本からの応援のほうが目だつぐらいだ。
ここらへんはアラブ特有の合理主義だろうか。
「(まだ)予選だろ?」みたいなかんじ。
でも、2008年におこなわれたW杯の3次予選で
バーレーンが日本にかったとき、
競技場も、そして国じゅうがおおさわぎだったことがある。
それだけW杯だけに関心がかたよっているのかもしれない。
オリンピック日本代表は、
11月27日に、こんどはホームでシリアをむかえる。
日本がはいっているグループCは、
ひとつの椅子をこのシリアとあらそうことになりそうだ。
ホームでの、のびのびしたプレイを期待する。
試合のはいりかたがゆるいのか
日本はなかなか主導権をにぎれない。
バーレーンのはやい段階でのプレッシャーにくるしみ
パスがつながらない。
いいところまでいっても、さいごのパスがとおらない。
それでもすくないチャンスをいかし、
前半の終了間際と後半22に得点がある。
バーレーンは2点をうしなったところで
ラフプレーがめだってきた。
意図的に山田直輝のひたいをふみぬくひどいプレイがあったし、
ラインぎわでプレイがおわってるのに
日本選手をとつきとばしたり、
ゴールをねらったあとの永井のあたまをこづいたり。
中東特有のいやらしい試合はこびに
みてるだけでもいかりがわいてくる。
でも、日本の選手はそうした挑発にのらず、
無事に2−0で試合をおえる。
会場のバーレーン国立競技場は、
サポーターによる応援がほとんどみられない。
日本からの応援のほうが目だつぐらいだ。
ここらへんはアラブ特有の合理主義だろうか。
「(まだ)予選だろ?」みたいなかんじ。
でも、2008年におこなわれたW杯の3次予選で
バーレーンが日本にかったとき、
競技場も、そして国じゅうがおおさわぎだったことがある。
それだけW杯だけに関心がかたよっているのかもしれない。
オリンピック日本代表は、
11月27日に、こんどはホームでシリアをむかえる。
日本がはいっているグループCは、
ひとつの椅子をこのシリアとあらそうことになりそうだ。
ホームでの、のびのびしたプレイを期待する。
2011年11月22日
アクティブヨガ教室
毎週火曜日にひらかれる「アクティブヨガ教室」に参加する。
3ヶ月をひとつのサイクルとして募集があり、
10回ほどをおなじメンバーですごすことになる。
今年の4月にはじめてもうしこみ、
今回で3期目となった。
参加者はおおいときで12名、すくなければ5名のときもある。
前期にはわたしのほかにもうひとり男性がおられたが
(2回しかこられなかったけど)、
今期はわたしひとりが男なので、すごいアウェイ感覚だ。
わかい女性にとって、
おじさんがひとりまじっているというのは
どういうかんじがするものなのだろう。
こっちはあまり意識しないけど、
女性たちがやりにくかったら
もうしわけない気がする。
前期には「骨盤・肩甲骨体操」という教室にも参加した。
こちらは年配の女性がほとんどで、
アウェイというより異次元の空間だった。
さすがにいごこちがわるかったので今期はやめている。
ヨガは、かんたんそうなポーズでも、
気もちよくきれいにはなかなかできない。
右と左、おなじようにポーズしているつもりでも、
ガラスにうつるわたしの体はぜんぜんまっすぐではない。
ヨガでは、日常の動作ではわからない
自分のからだのつくりに気づくことになる。
からだが左右対称でないのはあたりまえのことらしく、
そのかたくなっている部分を
ヨガのポーズがよくうごくようにしてくれる。
わたしがすきなのは「立ち木のポーズ」と「すきのポーズ」だ。
「立ち木のポーズ」は片足でたってバランスをとるので、
調子がわるいときはグラグラしてうまくたてない。
「すきのポーズ」はねた姿勢で足を頭のほうにもってくるもので、
気のながれがよくなるのが実感できる。
そもそもヨガをはじめたきっかけは、
自分のからだについて
もっとよくしりたかったからだ(だじゃれではなく)。
背中をまっすぐにしているつもりでもそうなってなかったり、
右の股関節が左にくらべてすごくかたいことがこの教室でわかった。
むつかしいポーズをやっていると、
なんとかもっとスムースにできるようになりたいし、
たしかに、にがてだったポーズが
だんだんかっこがつくようになってきている。
これらのポーズは、
きっとプロポーションにもいい影響をあたえてくれるだろう。
家でもやればいいけど、
教室でのようにゆったりとした気分でとりくむことができない。
1時間をヨガだけのことにつかえるこの教室は、
わたしの大切な気分転換の時間になっている。
3ヶ月をひとつのサイクルとして募集があり、
10回ほどをおなじメンバーですごすことになる。
今年の4月にはじめてもうしこみ、
今回で3期目となった。
参加者はおおいときで12名、すくなければ5名のときもある。
前期にはわたしのほかにもうひとり男性がおられたが
(2回しかこられなかったけど)、
今期はわたしひとりが男なので、すごいアウェイ感覚だ。
わかい女性にとって、
おじさんがひとりまじっているというのは
どういうかんじがするものなのだろう。
こっちはあまり意識しないけど、
女性たちがやりにくかったら
もうしわけない気がする。
前期には「骨盤・肩甲骨体操」という教室にも参加した。
こちらは年配の女性がほとんどで、
アウェイというより異次元の空間だった。
さすがにいごこちがわるかったので今期はやめている。
ヨガは、かんたんそうなポーズでも、
気もちよくきれいにはなかなかできない。
右と左、おなじようにポーズしているつもりでも、
ガラスにうつるわたしの体はぜんぜんまっすぐではない。
ヨガでは、日常の動作ではわからない
自分のからだのつくりに気づくことになる。
からだが左右対称でないのはあたりまえのことらしく、
そのかたくなっている部分を
ヨガのポーズがよくうごくようにしてくれる。
わたしがすきなのは「立ち木のポーズ」と「すきのポーズ」だ。
「立ち木のポーズ」は片足でたってバランスをとるので、
調子がわるいときはグラグラしてうまくたてない。
「すきのポーズ」はねた姿勢で足を頭のほうにもってくるもので、
気のながれがよくなるのが実感できる。
そもそもヨガをはじめたきっかけは、
自分のからだについて
もっとよくしりたかったからだ(だじゃれではなく)。
背中をまっすぐにしているつもりでもそうなってなかったり、
右の股関節が左にくらべてすごくかたいことがこの教室でわかった。
むつかしいポーズをやっていると、
なんとかもっとスムースにできるようになりたいし、
たしかに、にがてだったポーズが
だんだんかっこがつくようになってきている。
これらのポーズは、
きっとプロポーションにもいい影響をあたえてくれるだろう。
家でもやればいいけど、
教室でのようにゆったりとした気分でとりくむことができない。
1時間をヨガだけのことにつかえるこの教室は、
わたしの大切な気分転換の時間になっている。
2011年11月21日
『わたしを離さないで』(カズオ=イシグロ・ハヤカワ文庫)
はじめてよむカズオ=イシグロの本だ。
SFかとおもってよんでいると、
なんだかふつうの寄宿舎生活のはなしみたいだ。
とても丁寧な描写で、おそらく訳もいいのだろう、
よんでいて気もちがいい。
安心してよみすすめるうちに、
作者のリズムにだんだんとはまりこんでいく。
いい読書となりそうな予感が
よみはじめたときからあった。
ものがたりはしずかにすすみ、
すこしずつ「介護人」とか「提供」とか、
意味はわかるけど、
どうもそれだけではなさそうな、
キーとなることばがでてくる。
「ポシブル」や「猶予」などの単語にだんだん読者をなじませていき、
いつのまにか小説の世界に
どっぷりはまっていることに気づかされるのだ。
さいごのほうになって、寄宿舎のヘールシャムの存在理由や、
まったく予想してなかったこの世界のなりたちがあかされる。
どこへもいき場のない閉塞感がただよう
不思議な、そしてとてもかなしいはなしだった。
SFかとおもってよんでいると、
なんだかふつうの寄宿舎生活のはなしみたいだ。
とても丁寧な描写で、おそらく訳もいいのだろう、
よんでいて気もちがいい。
安心してよみすすめるうちに、
作者のリズムにだんだんとはまりこんでいく。
いい読書となりそうな予感が
よみはじめたときからあった。
ものがたりはしずかにすすみ、
すこしずつ「介護人」とか「提供」とか、
意味はわかるけど、
どうもそれだけではなさそうな、
キーとなることばがでてくる。
「ポシブル」や「猶予」などの単語にだんだん読者をなじませていき、
いつのまにか小説の世界に
どっぷりはまっていることに気づかされるのだ。
さいごのほうになって、寄宿舎のヘールシャムの存在理由や、
まったく予想してなかったこの世界のなりたちがあかされる。
どこへもいき場のない閉塞感がただよう
不思議な、そしてとてもかなしいはなしだった。
2011年11月20日
酒とコーヒーをやめる
夕ご飯のときに、いわゆる晩酌をすると
よいがきゅうにまわって気もちわるくなる。
胃をきっているせいで、吸収がはやいのだろう。
おいしくのむことができないので、
いつしかお酒はねるまえにのむようになった。
ねるまえなら夕ご飯にたべたものが胃にあって、
きゅうにお酒を吸収することがない。
お酒のよいを、よいとしてのたのしむことができる。
冬は焼酎のお湯わりがおおく、
夏のあつい時期になると、
自然とジントニックをからだがもとめるようになる。
ときおり気分でワインものむし、
よむ本に影響をうけてウィスキーを
おいしくいただくこともある。
なんだかんだいって、日本酒以外のお酒を
意地きたなくのんでいるのがわたしだ。
いちにちのおわりのひとくぎりに、
リラックスしてのむ酒はとてもおいしい。
あたりまえすぎてかくのもバカバカしいが、
おいしくて、ついのみすぎるのが問題なのだ。
ここでやめておかないと、とわかっていても
もう1杯をグラスにいれてしまう。
寝酒をのむと、ねるまでの時間がみじかいので
夜トイレに目がさめるし、二日酔いになりやすい。
このまえジョギングをしにちかくの公園へゆき、
はしりはじめたものの、
前の晩の酒がのこっていてうまくはしれず、
あきらめて家にひきかえしてしまった。
それまでにも二日酔いのために
うごけなかったことがなんどかある。
なんでこりずにのんでしまうのだろう、とそのたびにおもう。
ひとりでのんで二日酔いをくりかえすなんて、
さすがに今回は自分がいやになった。
酒さえのまなければ夜の読書もはかどるし、
つぎの日のうごきも予定どおりすすむ。
もう酒はやめよう。
もう酒はのまない、ときめたら
ちょうど時期がボジョレーヌーボーの解禁日にあたってしまった。
配偶者がかってきたり、よそからいただいたりで、
4本のヌーボーがテーブルにならぶことになった。
欲望からはなれたとたん物があつまってくるのは
皮肉なものだ。
お金への未練をたちきったら、
こんなふうにお金があつまってくるだろうか。
せっかくもらったボジョレーを
ほっておくのはもうしわけないので、
「もう酒はのまない」を
「もう夜は酒をのまない」にきりかえて
ヌーボーをたのしんでいる。
でも、寝酒はほんとにやめるつもりだ。
コーヒーもわたしの胃にはつよすぎて、
食後にかかさずのんでいると胃がいたくなってくる。
胃にわるとわかっているのについのんでしまうのは
お酒とおなじだ。
こってりしたものをたべるとコーヒーがほしくなり、
いちどのんでしまうと
カフェインへの依存ができてやめられなくなる。
これまでなんどもおなじことをくりかえし、
そのたびに不愉快な胃のいたみを我慢してきた。
でも、もうやめた。
体調がわるくなるのがわかっているのにつづけるのは
あまりにもバカげている
(多少まちがったほうが魅力的な人間、
というかんがえ方もあるけど)。
これからのわたしはうまれかわって
寝酒とコーヒーをきっぱりとおざけるのだ。
お酒やコーヒーは、からだがもとめるだけでなく、
頭がそれをみとめてしまうからやめにくい。
きめているのは頭なので、
「もうのまない」ときめれば案外なんとかなるとおもう。
と、こうやってブログにかいておけば、
すこしは自分へのプレッシャーになってくれるだろうか。
よいがきゅうにまわって気もちわるくなる。
胃をきっているせいで、吸収がはやいのだろう。
おいしくのむことができないので、
いつしかお酒はねるまえにのむようになった。
ねるまえなら夕ご飯にたべたものが胃にあって、
きゅうにお酒を吸収することがない。
お酒のよいを、よいとしてのたのしむことができる。
冬は焼酎のお湯わりがおおく、
夏のあつい時期になると、
自然とジントニックをからだがもとめるようになる。
ときおり気分でワインものむし、
よむ本に影響をうけてウィスキーを
おいしくいただくこともある。
なんだかんだいって、日本酒以外のお酒を
意地きたなくのんでいるのがわたしだ。
いちにちのおわりのひとくぎりに、
リラックスしてのむ酒はとてもおいしい。
あたりまえすぎてかくのもバカバカしいが、
おいしくて、ついのみすぎるのが問題なのだ。
ここでやめておかないと、とわかっていても
もう1杯をグラスにいれてしまう。
寝酒をのむと、ねるまでの時間がみじかいので
夜トイレに目がさめるし、二日酔いになりやすい。
このまえジョギングをしにちかくの公園へゆき、
はしりはじめたものの、
前の晩の酒がのこっていてうまくはしれず、
あきらめて家にひきかえしてしまった。
それまでにも二日酔いのために
うごけなかったことがなんどかある。
なんでこりずにのんでしまうのだろう、とそのたびにおもう。
ひとりでのんで二日酔いをくりかえすなんて、
さすがに今回は自分がいやになった。
酒さえのまなければ夜の読書もはかどるし、
つぎの日のうごきも予定どおりすすむ。
もう酒はやめよう。
もう酒はのまない、ときめたら
ちょうど時期がボジョレーヌーボーの解禁日にあたってしまった。
配偶者がかってきたり、よそからいただいたりで、
4本のヌーボーがテーブルにならぶことになった。
欲望からはなれたとたん物があつまってくるのは
皮肉なものだ。
お金への未練をたちきったら、
こんなふうにお金があつまってくるだろうか。
せっかくもらったボジョレーを
ほっておくのはもうしわけないので、
「もう酒はのまない」を
「もう夜は酒をのまない」にきりかえて
ヌーボーをたのしんでいる。
でも、寝酒はほんとにやめるつもりだ。
コーヒーもわたしの胃にはつよすぎて、
食後にかかさずのんでいると胃がいたくなってくる。
胃にわるとわかっているのについのんでしまうのは
お酒とおなじだ。
こってりしたものをたべるとコーヒーがほしくなり、
いちどのんでしまうと
カフェインへの依存ができてやめられなくなる。
これまでなんどもおなじことをくりかえし、
そのたびに不愉快な胃のいたみを我慢してきた。
でも、もうやめた。
体調がわるくなるのがわかっているのにつづけるのは
あまりにもバカげている
(多少まちがったほうが魅力的な人間、
というかんがえ方もあるけど)。
これからのわたしはうまれかわって
寝酒とコーヒーをきっぱりとおざけるのだ。
お酒やコーヒーは、からだがもとめるだけでなく、
頭がそれをみとめてしまうからやめにくい。
きめているのは頭なので、
「もうのまない」ときめれば案外なんとかなるとおもう。
と、こうやってブログにかいておけば、
すこしは自分へのプレッシャーになってくれるだろうか。
2011年11月19日
はじめての「自炊」
はじめて「自炊」をする。
とりこんだのは『英語リスニングのお医者さん』という本だ。
もっているスキャナーは、自炊用ではないので、
いちいちページをめくって台にのせなければならない。
それでも1分で5回、157pのこの本を
30分ほどでとりこむことができた。
この本は図書館でかりたもので、
それを自炊することが合法なのかどうなのか確認していない。
これで商売をするわけではないので、
ふつうのコピーとおなじとみなしてもらえたらいいけど。
1冊100円で自炊を代行するサービスもあるそうで、
それぐらいなら手もちの本を電子書籍化して
キンドルやリーダーなどでみられるようにすると便利そうだ。
すきな作家のお気にいりの本を全部自炊してもらったら、
ファンにとって価値のあるデバイスとなりえる。
まえは、たとえば村上春樹の全作品がはいったキンドルがあれば、
多少たかくてもかうのに、とおもっていたけど、
それを自分でつくれば(つくってもらえば)いいわけだ。
また、ふるい本はインクがうすれてよみにくくなるし、
活字のちいさな本は老眼にはありがたくない存在だ。
それらを電子書籍化すればまったく問題はなくなる。
愛着のある本を断裁にかけるのに抵抗がある場合は、
ブックオフやアマゾンであつかっている古本を利用して
かいなおせばいい。
本と電子書籍の両方をもてば、
いったい自分にとってどちらがつかいやすいかを
身をもって体験することができる。
外国ではキンドルがかなり普及しているのに、
日本では出版社や家電メーカーが
それぞれのやり方で電子書籍の市場をつくろうとしており、
利用者にとっては魅力のある品ぞろえとなっていない。
自炊を禁止するよう出版社がうったえたとき、
自炊の専門会社は反対にひらきなおり、
じゅうぶんな品ぞろえのない市場を批判していた。
いつまでもこのままの本棚なら、
自炊への顧客のニーズはなくならない、という主張だ。
もっともな理屈である。
わたしがキンドルやリーダーといったデバイスをかわないのも
それだけ魅力のある本棚がないからにほかならない。
このまえ2週間ほどの海外旅行をしたとき、
10冊ほどの本をもっていったので、
ずいぶんとおもたいカバンになってしまった。
電子書籍市場にたよらずに、
自炊して旅行用の本をそろえれば
かなり身がるな旅行となる。
このつぎに外国へいくまでに、
電子書籍をめぐる状況がどうかわっていくかたのしみだ。
とりこんだのは『英語リスニングのお医者さん』という本だ。
もっているスキャナーは、自炊用ではないので、
いちいちページをめくって台にのせなければならない。
それでも1分で5回、157pのこの本を
30分ほどでとりこむことができた。
この本は図書館でかりたもので、
それを自炊することが合法なのかどうなのか確認していない。
これで商売をするわけではないので、
ふつうのコピーとおなじとみなしてもらえたらいいけど。
1冊100円で自炊を代行するサービスもあるそうで、
それぐらいなら手もちの本を電子書籍化して
キンドルやリーダーなどでみられるようにすると便利そうだ。
すきな作家のお気にいりの本を全部自炊してもらったら、
ファンにとって価値のあるデバイスとなりえる。
まえは、たとえば村上春樹の全作品がはいったキンドルがあれば、
多少たかくてもかうのに、とおもっていたけど、
それを自分でつくれば(つくってもらえば)いいわけだ。
また、ふるい本はインクがうすれてよみにくくなるし、
活字のちいさな本は老眼にはありがたくない存在だ。
それらを電子書籍化すればまったく問題はなくなる。
愛着のある本を断裁にかけるのに抵抗がある場合は、
ブックオフやアマゾンであつかっている古本を利用して
かいなおせばいい。
本と電子書籍の両方をもてば、
いったい自分にとってどちらがつかいやすいかを
身をもって体験することができる。
外国ではキンドルがかなり普及しているのに、
日本では出版社や家電メーカーが
それぞれのやり方で電子書籍の市場をつくろうとしており、
利用者にとっては魅力のある品ぞろえとなっていない。
自炊を禁止するよう出版社がうったえたとき、
自炊の専門会社は反対にひらきなおり、
じゅうぶんな品ぞろえのない市場を批判していた。
いつまでもこのままの本棚なら、
自炊への顧客のニーズはなくならない、という主張だ。
もっともな理屈である。
わたしがキンドルやリーダーといったデバイスをかわないのも
それだけ魅力のある本棚がないからにほかならない。
このまえ2週間ほどの海外旅行をしたとき、
10冊ほどの本をもっていったので、
ずいぶんとおもたいカバンになってしまった。
電子書籍市場にたよらずに、
自炊して旅行用の本をそろえれば
かなり身がるな旅行となる。
このつぎに外国へいくまでに、
電子書籍をめぐる状況がどうかわっていくかたのしみだ。
2011年11月18日
『死にたい老人』(木谷恭介・幻冬社新書)
著者は80歳になったとき絶食による自殺をおもいつく
(著者流にいえば「断食安楽死」)。
やりたいことはやったし、
このさき生きつづけていても、
お金のこともかんがえないといけないし、
ぼけたりしたら息子たちに迷惑だし、
それなら自分がきめたときに死んだほうがいい、
というかんがえだ。
ただ、ひとりで死ぬことは意外とむつかしい。
死んでからなんにちもたってみつけられたのでは、
死臭がしてその部屋がつかえなくなるし、
だれかに断食による自殺をはなせば、
そのひとがそれをほっておくと罪になってしまう。
いい時期にいい死にかたをするのもなかなかたいへんだ。
死にたいといいながら、著者はけっこううるさいことをいう。
2月15日から断食をはじめる、
なぜなら確定申告をおえてからのほうがいいから、とか
血圧がかなりたかいと
「その数字をみて、
〈死ぬのは怖いなあ・・・〉
という気持ちがこみあげて来た」
といったりする。
あんたは死にたいのではなかったのか、と
おもわずつっこみをいれたくなるところだ。
「寝間着に着替えたが、睡眠薬を飲むのが怖い。
眠ったまま目を醒さないのではないかという
不安が頭をかすめるのだ」
というのにはわらってしまった。
それこそがあなたのもとめていたものではないのか。
胃潰瘍のために薬をのまなければらなず、
その薬をのむためには
なにかをたべる必要があるので、
胃がわるいと餓死ができない、といってみたり。
うけをねらっているわけではなく(たぶん)、
著者はすごくまじめになんだかんだとかたる。
自殺による安楽死とはあんまり関係ないような
軍隊での体験や、
民主党政権のふがいなさについて延々とページをさき、
いったいこれはなんの本だったかと
いぶかしくおもってよんでいると、最期のさいごに、
民主党とおなじようにくちさきだけなのはいやなので、
公言したことは実行しなければらなない、とかいてある。
そこまでよんでようやく
それが(それも)絶食による餓死をこころみつづける理由
ということがわかるといったぐあい。
著者は3どの絶食をこころみている。
もっとも、3どとはいっても、
1回目ははじめるまえに体調をくずし挫折しているので、
これを「1回目」にするかどうかは微妙なところだ。
著者はずうずうしく、ずっと「1回目」としてカウントしている。
そして、
2回目は胃がいたくなって断念
3回目も胃がいたくなって断念
「胃潰瘍と断食は両立しなのだ」と著者はさとる。
そして4回目もねらうが、
これは「人間は理性では自殺できない」ことがわかり、
やるまえにあきらめている。
なかなか餓死による自殺はたいへんだ。
この本は2011年の9月30日に第1刷が発行され、
10月16日に第3刷と、順調にうれているようだ。
そうやってお金がはいるようになると、
死への準備はまたちがった要素がからんでくるだろう。
著者の近況報告をまちたい。
(著者流にいえば「断食安楽死」)。
やりたいことはやったし、
このさき生きつづけていても、
お金のこともかんがえないといけないし、
ぼけたりしたら息子たちに迷惑だし、
それなら自分がきめたときに死んだほうがいい、
というかんがえだ。
ただ、ひとりで死ぬことは意外とむつかしい。
死んでからなんにちもたってみつけられたのでは、
死臭がしてその部屋がつかえなくなるし、
だれかに断食による自殺をはなせば、
そのひとがそれをほっておくと罪になってしまう。
いい時期にいい死にかたをするのもなかなかたいへんだ。
死にたいといいながら、著者はけっこううるさいことをいう。
2月15日から断食をはじめる、
なぜなら確定申告をおえてからのほうがいいから、とか
血圧がかなりたかいと
「その数字をみて、
〈死ぬのは怖いなあ・・・〉
という気持ちがこみあげて来た」
といったりする。
あんたは死にたいのではなかったのか、と
おもわずつっこみをいれたくなるところだ。
「寝間着に着替えたが、睡眠薬を飲むのが怖い。
眠ったまま目を醒さないのではないかという
不安が頭をかすめるのだ」
というのにはわらってしまった。
それこそがあなたのもとめていたものではないのか。
胃潰瘍のために薬をのまなければらなず、
その薬をのむためには
なにかをたべる必要があるので、
胃がわるいと餓死ができない、といってみたり。
うけをねらっているわけではなく(たぶん)、
著者はすごくまじめになんだかんだとかたる。
自殺による安楽死とはあんまり関係ないような
軍隊での体験や、
民主党政権のふがいなさについて延々とページをさき、
いったいこれはなんの本だったかと
いぶかしくおもってよんでいると、最期のさいごに、
民主党とおなじようにくちさきだけなのはいやなので、
公言したことは実行しなければらなない、とかいてある。
そこまでよんでようやく
それが(それも)絶食による餓死をこころみつづける理由
ということがわかるといったぐあい。
著者は3どの絶食をこころみている。
もっとも、3どとはいっても、
1回目ははじめるまえに体調をくずし挫折しているので、
これを「1回目」にするかどうかは微妙なところだ。
著者はずうずうしく、ずっと「1回目」としてカウントしている。
そして、
2回目は胃がいたくなって断念
3回目も胃がいたくなって断念
「胃潰瘍と断食は両立しなのだ」と著者はさとる。
そして4回目もねらうが、
これは「人間は理性では自殺できない」ことがわかり、
やるまえにあきらめている。
なかなか餓死による自殺はたいへんだ。
この本は2011年の9月30日に第1刷が発行され、
10月16日に第3刷と、順調にうれているようだ。
そうやってお金がはいるようになると、
死への準備はまたちがった要素がからんでくるだろう。
著者の近況報告をまちたい。
2011年11月17日
サビ管研修と4月からの制度改革
サービス管理責任者研修の共通講座に参加する。
障害者自立支援法でのサービスは、
どの事業もこのサービス管理責任者
(いわゆるサビ管)をおくことが
義務づけられており、
この業界で仕事をするためには必須の研修となっている。
いちばんはじめの講義で、県の障害福祉課の方が
障害者自立支援法についてはなされる。
なつかしかった。
もうなんども、ほんとにいやになるほど
くりかえしきいてきたはなしなのに、
ひさしぶりにはなされるととても新鮮だ。
自立支援法の全体をふりかえることができ、
わすれかけていた支援法がめざした支援を、
あらためてかんがえる機会となった。
自立支援法がうちだした個別の支援や
地域移行というかんがえ方は、
いまでこそあたりまえになったが、
グランドデザインなどが議論された2005当時は
かなり目あたらしいものだった。
いや、もうすこし正確にいうと、
当時としても当然もとめられていたかんがえ方ではあったが、
それを制度の中心においたことは
たかく評価できることだったといまおもう。
この支援法も民主党政権の誕生とともに廃止となり、
いまは2013年8月に制定される総合福祉法までの
いわゆる「つなぎ法案」のもとに制度改革がすすめられている。
そのなかで、2012年4月の施行として
相談支援体制の充実と障害児支援の強化をめざした制度の変更があり、
いまそれぞれの事業所が来年度からの対応をもとめられているところだ。
2003年の支援費制度の導入以降、
毎年のように制度の変更がおこなわれてきた。
そんななかでもこの法改正は、
ひさしぶりのおおきな改革であり、
とくに相談支援体制の充実は、
サービス提供のながれと質をかえるとりくみになりえる。
本人主体のサービス提供であることをはずさなで、
この変更をじょうずにいかしていきたい。
障害者自立支援法でのサービスは、
どの事業もこのサービス管理責任者
(いわゆるサビ管)をおくことが
義務づけられており、
この業界で仕事をするためには必須の研修となっている。
いちばんはじめの講義で、県の障害福祉課の方が
障害者自立支援法についてはなされる。
なつかしかった。
もうなんども、ほんとにいやになるほど
くりかえしきいてきたはなしなのに、
ひさしぶりにはなされるととても新鮮だ。
自立支援法の全体をふりかえることができ、
わすれかけていた支援法がめざした支援を、
あらためてかんがえる機会となった。
自立支援法がうちだした個別の支援や
地域移行というかんがえ方は、
いまでこそあたりまえになったが、
グランドデザインなどが議論された2005当時は
かなり目あたらしいものだった。
いや、もうすこし正確にいうと、
当時としても当然もとめられていたかんがえ方ではあったが、
それを制度の中心においたことは
たかく評価できることだったといまおもう。
この支援法も民主党政権の誕生とともに廃止となり、
いまは2013年8月に制定される総合福祉法までの
いわゆる「つなぎ法案」のもとに制度改革がすすめられている。
そのなかで、2012年4月の施行として
相談支援体制の充実と障害児支援の強化をめざした制度の変更があり、
いまそれぞれの事業所が来年度からの対応をもとめられているところだ。
2003年の支援費制度の導入以降、
毎年のように制度の変更がおこなわれてきた。
そんななかでもこの法改正は、
ひさしぶりのおおきな改革であり、
とくに相談支援体制の充実は、
サービス提供のながれと質をかえるとりくみになりえる。
本人主体のサービス提供であることをはずさなで、
この変更をじょうずにいかしていきたい。
2011年11月16日
『困ってるひと』(大野更紗・ポプラ社)
この本をよむと、
これはさすがに「困る」だろうなとおもう。
「困る」どころではなく、
ほんとによく生きていられるものだとおもう。
それほど大野さんにふりかかり、
いまも進行形である難病はけたはずれだ。
ビルマ難民を支援したいという使命感にかられ、
大学院にはいって調査と勉強をつづけようとした2008年に、
大野さんは「筋膜炎脂肪織炎症候群」と
「皮膚筋炎」という2つ難病を発症した。
からだじゅうがあかくはれ、いたみ、
関節がだんだんうごかなくなる。
高熱がでて、口のなかや指は潰瘍だらけ。
しかし発症してもすぐには病名がわからず、
この病名がきまるまでに1年かかっている。
そのあいだ医療難民としていくつもの病院をまわる(まわらされる)。
大野さんの病気は「免疫のシステムが勝手に暴走し、
全身に炎症を起こす」タイプの難病で、
それはどういうことかというと、
「何十種類もの薬によって、
室内での安静状態で、
なんとか最低限の行動を維持している。
それでも症状は抑えきれず、
二十四時間途切れることなく、
熱、倦怠感、痛み、挙げればきりがのない
さまざまな全身の症状、苦痛が続く」
これまでふつうにできたことができなくなり、
生きるだけでもたいへんだけど、
この本はよんでいてくらくならない。
もちろん大野さんの「困りかた」は尋常ではないが、
自分にあまえることがなく、
自分のことをかきながら、
どこか第3者的な視点をかんじるからだろうか。
大野さんが客観的に自分のことを表現すると、
「困ってるひと」というしかないのだろう。
たいへんな状況なのに、
大野さんは病院をでてひとりぐらしをはじめる。
だんだん病気がよくなったからではない。
最期の糸がきれてしまうほどの最悪のできごとがおこり、
そこからたちあがるために「退院」をきめたのだ。
この本の魅力は、
こうやって自分でまえにすすめていこうとする
大野さんの気もちのよさにある。
つよいだけではなく、くじけそうなときもあるけど、
それでも「人生は、アメイジング」と大野さんはいう。
すむ家をさがし、行政に膨大な量の書類をだし、
ひっこしの準備をすすめる。
ひとりでできることはひとりで。
できないことはいろんなひとに協力をあおいで。
だれにとっても生きていくのはたいへんだけど、
とびきり大野さんはたいへんだ。
それでも病院をでて、ひとりでの生活をはじめた大野さんを
すばらしいとおもう。
わたしにできることはなにもないが、
こうした生きかたを支援する人間でありたい。
この本をプロデュースしたのは高野秀行さんだ。
あらゆるジャンルの「辺境」に目くばりをきかせる
高野さんならではのいい仕事をされたとおもう。
これはさすがに「困る」だろうなとおもう。
「困る」どころではなく、
ほんとによく生きていられるものだとおもう。
それほど大野さんにふりかかり、
いまも進行形である難病はけたはずれだ。
ビルマ難民を支援したいという使命感にかられ、
大学院にはいって調査と勉強をつづけようとした2008年に、
大野さんは「筋膜炎脂肪織炎症候群」と
「皮膚筋炎」という2つ難病を発症した。
からだじゅうがあかくはれ、いたみ、
関節がだんだんうごかなくなる。
高熱がでて、口のなかや指は潰瘍だらけ。
しかし発症してもすぐには病名がわからず、
この病名がきまるまでに1年かかっている。
そのあいだ医療難民としていくつもの病院をまわる(まわらされる)。
大野さんの病気は「免疫のシステムが勝手に暴走し、
全身に炎症を起こす」タイプの難病で、
それはどういうことかというと、
「何十種類もの薬によって、
室内での安静状態で、
なんとか最低限の行動を維持している。
それでも症状は抑えきれず、
二十四時間途切れることなく、
熱、倦怠感、痛み、挙げればきりがのない
さまざまな全身の症状、苦痛が続く」
これまでふつうにできたことができなくなり、
生きるだけでもたいへんだけど、
この本はよんでいてくらくならない。
もちろん大野さんの「困りかた」は尋常ではないが、
自分にあまえることがなく、
自分のことをかきながら、
どこか第3者的な視点をかんじるからだろうか。
大野さんが客観的に自分のことを表現すると、
「困ってるひと」というしかないのだろう。
たいへんな状況なのに、
大野さんは病院をでてひとりぐらしをはじめる。
だんだん病気がよくなったからではない。
最期の糸がきれてしまうほどの最悪のできごとがおこり、
そこからたちあがるために「退院」をきめたのだ。
この本の魅力は、
こうやって自分でまえにすすめていこうとする
大野さんの気もちのよさにある。
つよいだけではなく、くじけそうなときもあるけど、
それでも「人生は、アメイジング」と大野さんはいう。
すむ家をさがし、行政に膨大な量の書類をだし、
ひっこしの準備をすすめる。
ひとりでできることはひとりで。
できないことはいろんなひとに協力をあおいで。
だれにとっても生きていくのはたいへんだけど、
とびきり大野さんはたいへんだ。
それでも病院をでて、ひとりでの生活をはじめた大野さんを
すばらしいとおもう。
わたしにできることはなにもないが、
こうした生きかたを支援する人間でありたい。
この本をプロデュースしたのは高野秀行さんだ。
あらゆるジャンルの「辺境」に目くばりをきかせる
高野さんならではのいい仕事をされたとおもう。
2011年11月15日
日本完敗ーW杯3次予選北朝鮮戦ー
W杯3次予選北朝鮮戦が平壌の金日成競技場でおこなわれる。
0−1の完敗だった。
北朝鮮側の応援はものすごく、
相手の選手たちもそれにこたえ
1対1のひとのつよさでは、
ずっと日本をうわまわっていた。
なれない人工芝ということもあったのか、
日本はなかなかボールをおちつかせることができない。
せめられると前にけりかえすのがやっとで、
パスをつないでせめあがるということがほとんどできなかった。
技術的にも北朝鮮の選手たちはすぐれていたとおもう。
わかい選手を中心にうまれかわり、
たしかにつよいチームになっていた。
セカンドボールがぜんぜんひろえないのも、
不思議とボールが北朝鮮側にころがっていくのも、
つねに全力でボールをおいかけつづけた
彼らのがんばりの結果だ。
とはいえアウェイの試合で相手ががむしゃらにむかってくるのは
あたりまえのことでもあり、
その気迫をかわすほどの圧倒的なつよさは
日本になかったということだ。
ザッケローニ監督になってはじめての敗戦だそうだ(17試合目)。
まあ、あまりない条件での試合だったので
(日本は3次予選の通過がすでにきまっていたし、
ものすごいアウェイだったし、等々)
そんなにショックがのこるまけかたではない。
わたしとしては、だいすきな中村憲剛が
後半17分にさげられてしまったのが残念だった。
ザッケローニ監督は、これからも憲剛を起用してくれるだろうか。
0−1の完敗だった。
北朝鮮側の応援はものすごく、
相手の選手たちもそれにこたえ
1対1のひとのつよさでは、
ずっと日本をうわまわっていた。
なれない人工芝ということもあったのか、
日本はなかなかボールをおちつかせることができない。
せめられると前にけりかえすのがやっとで、
パスをつないでせめあがるということがほとんどできなかった。
技術的にも北朝鮮の選手たちはすぐれていたとおもう。
わかい選手を中心にうまれかわり、
たしかにつよいチームになっていた。
セカンドボールがぜんぜんひろえないのも、
不思議とボールが北朝鮮側にころがっていくのも、
つねに全力でボールをおいかけつづけた
彼らのがんばりの結果だ。
とはいえアウェイの試合で相手ががむしゃらにむかってくるのは
あたりまえのことでもあり、
その気迫をかわすほどの圧倒的なつよさは
日本になかったということだ。
ザッケローニ監督になってはじめての敗戦だそうだ(17試合目)。
まあ、あまりない条件での試合だったので
(日本は3次予選の通過がすでにきまっていたし、
ものすごいアウェイだったし、等々)
そんなにショックがのこるまけかたではない。
わたしとしては、だいすきな中村憲剛が
後半17分にさげられてしまったのが残念だった。
ザッケローニ監督は、これからも憲剛を起用してくれるだろうか。
2011年11月14日
レバレッジ英語勉強法
本田直之さんによるレバレッジシリーズの1冊だ。
テコをつかうときのように、
ちいさな入力でおおきな出力をえようとする。
よんでみると、すごく説得力がある。
わたしのとぼしい英語が、
この本によってついに改善されると確信した
(これまでになんどかにたようなことがあったけど)。
基本となるかんがえ方は、
・せまい範囲のかたよった英語を集中して身につける
・その柱を、だんだんふとくしていく
・具体的にアウトプットする(口にだす)目標をきめる
ということであり、
アウトプットの目標をきめてからとりくむので、
そのためになにをインプットするかの無駄がない。
たとえば、わたしはサッカーについて興味があるので、
・まずサッカーについて100の単語をおぼえる
・つぎに、サッカーについて20のいいまわしをおぼえる
・そして、はなしのきっかけになる語と
あいづち後を100おぼえる
・「get」を「have」をつかったフレーズをおぼえる
・日常会話につかう簡単ないいまわしを100をぼえる
というながれとなる。
むつかしいことはひとつもない。
自分の単語帳やいいまわしのフレーズを
ノートにつくっていくだけでも
そうとうおぼえてしまえそうだ。
こうやってあるひとつの
「かたよった英語」を身につけたら、
つぎはそのとなりにある分野に手をのばす。
とても説得力のあるかんがえ方であり、
じっさいに効果がありそうだ。
とにかくとりくんでみよう。
わたしの英語がとうとうつかいものになるなんて
すごくうれしい。
テコをつかうときのように、
ちいさな入力でおおきな出力をえようとする。
よんでみると、すごく説得力がある。
わたしのとぼしい英語が、
この本によってついに改善されると確信した
(これまでになんどかにたようなことがあったけど)。
基本となるかんがえ方は、
・せまい範囲のかたよった英語を集中して身につける
・その柱を、だんだんふとくしていく
・具体的にアウトプットする(口にだす)目標をきめる
ということであり、
アウトプットの目標をきめてからとりくむので、
そのためになにをインプットするかの無駄がない。
たとえば、わたしはサッカーについて興味があるので、
・まずサッカーについて100の単語をおぼえる
・つぎに、サッカーについて20のいいまわしをおぼえる
・そして、はなしのきっかけになる語と
あいづち後を100おぼえる
・「get」を「have」をつかったフレーズをおぼえる
・日常会話につかう簡単ないいまわしを100をぼえる
というながれとなる。
むつかしいことはひとつもない。
自分の単語帳やいいまわしのフレーズを
ノートにつくっていくだけでも
そうとうおぼえてしまえそうだ。
こうやってあるひとつの
「かたよった英語」を身につけたら、
つぎはそのとなりにある分野に手をのばす。
とても説得力のあるかんがえ方であり、
じっさいに効果がありそうだ。
とにかくとりくんでみよう。
わたしの英語がとうとうつかいものになるなんて
すごくうれしい。
2011年11月13日
大山でのトレイルランニング
アウトドアスポーツの専門店「菊信」主催のトレランに参加する。
店主をふくめ8名の参加だった。
松江を7時に出発し、大山の一向平を9時すぎにスタートする。
コースはここから大休峠をめざし、そこで休憩。
そのあとは香取までずっとくだりの道をゆく。
香取にのこした車にのり、またスタート地点の一向平へ。
手うちソバの店でおひるをたべてうちあげとなる。
松江には3時にもどることができた。
はじめてのトレランなので、
ほかの参加者についていけるかちょっと心配していた。
現地にむかう車のなかではなしをきいていると、
みなさんフルマラソンはもちろん、
100キロマラソンとか140キロマラソンのはなしを
あたりまえにされている。
タイムも3時間台でフルマラソンをはしられという、
わたしとはもうレベルがぜんぜんちがうのだ。
ひざがいたいなんてあたりまえの世界で、
それをどうやってなだめていくかが
みなさんの関心ごとだったりする。
でも、スタートしてはじめの数キロはあるきだったし、
急な坂道はゆっくりすすめばよかったしで、
初心者のわたしでもトレランをたのしむことができた。
おそい参加者もそれなりにたのしめるよう配慮された
おすすめの企画であることを実感する。
紅葉もすばらしく、
それなのにあまりほかの登山者をみかけることもなく、
しずかな大山を満喫する。
店主をふくめ8名の参加だった。
松江を7時に出発し、大山の一向平を9時すぎにスタートする。
コースはここから大休峠をめざし、そこで休憩。
そのあとは香取までずっとくだりの道をゆく。
香取にのこした車にのり、またスタート地点の一向平へ。
手うちソバの店でおひるをたべてうちあげとなる。
松江には3時にもどることができた。
はじめてのトレランなので、
ほかの参加者についていけるかちょっと心配していた。
現地にむかう車のなかではなしをきいていると、
みなさんフルマラソンはもちろん、
100キロマラソンとか140キロマラソンのはなしを
あたりまえにされている。
タイムも3時間台でフルマラソンをはしられという、
わたしとはもうレベルがぜんぜんちがうのだ。
ひざがいたいなんてあたりまえの世界で、
それをどうやってなだめていくかが
みなさんの関心ごとだったりする。
でも、スタートしてはじめの数キロはあるきだったし、
急な坂道はゆっくりすすめばよかったしで、
初心者のわたしでもトレランをたのしむことができた。
おそい参加者もそれなりにたのしめるよう配慮された
おすすめの企画であることを実感する。
紅葉もすばらしく、
それなのにあまりほかの登山者をみかけることもなく、
しずかな大山を満喫する。
2011年11月12日
少年になったむすこへの誕生日プレゼントはなににするか
14歳のむすこの誕生日になにをプレゼントするか。
すこしまえならゲーム機やゲームソフト、
あるいはiPodだったりだったりと、
まわりの友達がもっているものはひととおりほしがるので、
おくるほうとしては(いいかわるいかは別として)
そうたいへんなことではなかった。
まだ子どもだったのだ。
でもいまはもう少年になってしまった。
なにをかんがえてるかわからないし、
きいてもまともなこたえはかえってこない。
親とまったく口をきかないわけではないけれど、
自分からはなしをすることはほとんどない。
いちばんむつかしい時期をむかえ、
本人もいろいろたいへんなのだろう。
わたしがいまのむすこぐらいの年齢のとき、
親なんてまったく相手にしていなかったので、
それにくらべるとむすこの態度はまだ友好的といえる。
「スケボーの本かDVDはどう?」とたずねると、
「ああ、いいよ」とひくい声がかえってきた。
わたしにはどれがいいのかさっぱりわからないので、
ネットから本人にえらばせる。
『スライダー』というムック本にきまった。
アマゾンからとどいた本を誕生日に手わたすと、
わりと素直によろこんでくれた。
来年からの誕生日プレゼントはどうなっていくだろう。
もう子どもではなくなったことに
親のほうがついていけなかったので、
今回はなかなかきまらなかった。
これからは、子どもの欲求をみたすものではなく、
そのときどきに相手を気づかって、という
いわばふつうのプレゼントになるのだろう。
大人どうしの誕生日プレゼントだって、
かんがえてみればそう簡単なものではない。
むすこにプレゼントをおくれるのも、
これからさき、そうおおくはないだろう。
プレゼントできるしあわせに感謝して、
もうすこし頭をなやませていこう。
すこしまえならゲーム機やゲームソフト、
あるいはiPodだったりだったりと、
まわりの友達がもっているものはひととおりほしがるので、
おくるほうとしては(いいかわるいかは別として)
そうたいへんなことではなかった。
まだ子どもだったのだ。
でもいまはもう少年になってしまった。
なにをかんがえてるかわからないし、
きいてもまともなこたえはかえってこない。
親とまったく口をきかないわけではないけれど、
自分からはなしをすることはほとんどない。
いちばんむつかしい時期をむかえ、
本人もいろいろたいへんなのだろう。
わたしがいまのむすこぐらいの年齢のとき、
親なんてまったく相手にしていなかったので、
それにくらべるとむすこの態度はまだ友好的といえる。
「スケボーの本かDVDはどう?」とたずねると、
「ああ、いいよ」とひくい声がかえってきた。
わたしにはどれがいいのかさっぱりわからないので、
ネットから本人にえらばせる。
『スライダー』というムック本にきまった。
アマゾンからとどいた本を誕生日に手わたすと、
わりと素直によろこんでくれた。
来年からの誕生日プレゼントはどうなっていくだろう。
もう子どもではなくなったことに
親のほうがついていけなかったので、
今回はなかなかきまらなかった。
これからは、子どもの欲求をみたすものではなく、
そのときどきに相手を気づかって、という
いわばふつうのプレゼントになるのだろう。
大人どうしの誕生日プレゼントだって、
かんがえてみればそう簡単なものではない。
むすこにプレゼントをおくれるのも、
これからさき、そうおおくはないだろう。
プレゼントできるしあわせに感謝して、
もうすこし頭をなやませていこう。
2011年11月11日
サッカーW杯3次予選タジキスタン戦 「111111」の日
サッカーW杯3次予選タジキスタン戦をみる。
時差があるので、深夜の観戦かとおもっていたら、
日本時間の6時からの試合開始だった。
タジキスタンはどこにあり、首都はなんという町で、
人口はどれくらいで、などということを
ぜんぜんしらなかった。
おとなりのウズベキスタンのタシケントは
サッカーではおなじみの町なのに、
タジキスタンとなると、1ヶ月まえの日本での試合で
はじめてその存在を意識したにすぎない。
しらべてみると、
北をキルギスに、東をウズベキスタンに、
南をアフガニスタンに、そして西を中国にと、
4つの国にかこまれた人口700万人ほどの国だ。
首都はドゥシャンベで、
試合もここでおこなわれている。
サッカーのおもしろさのひとつは、
こうやっていろいろな国への関心がたかまることだろう。
なんにちかまえに雪がつもり、
最悪のピッチコンディションがつたえられており、
たしかに芝のはげたところがあちこちにあって、
日本の選手たちはやりにくそうだった。
逆に相手はさすがになれていて、
前半はおしこまれる時間がおおくなる。
日本がパスでつなごうとしても、
ボールはおもったところにおもったスピードでは
ころがってくれない。
簡単にカットされたり、相手のパスがなんとなくとおったり、
なかなかくるしいたちあがりだ。
まあ、これらは予想されていたことであり、
日本の選手たちにあわてたようすはない。
前半の終了まえに今野が1点目をきめると、
あとは着実に得点をかさねることができた。
試合についてはあまりかくことがない。
1ヶ月まえには8−0でかったとはいえ、
アウェイの試合では、まったくちがった状況となる。
そんななかで無事に4−0でかつことができ、
3次予選の突破がきまったことがとにかくいちばんよかった。
このブログを保存するときに
いつものようにファイルに日付をつける。
きょうが「111111」の日であることに気づいた。
11年11月11日。
そしてそれは、震災から8ヶ月ということを意味する。
わすれることがいちばんいけない、なんていいながら、
このごろわすれかけてきていることを自戒する。
時差があるので、深夜の観戦かとおもっていたら、
日本時間の6時からの試合開始だった。
タジキスタンはどこにあり、首都はなんという町で、
人口はどれくらいで、などということを
ぜんぜんしらなかった。
おとなりのウズベキスタンのタシケントは
サッカーではおなじみの町なのに、
タジキスタンとなると、1ヶ月まえの日本での試合で
はじめてその存在を意識したにすぎない。
しらべてみると、
北をキルギスに、東をウズベキスタンに、
南をアフガニスタンに、そして西を中国にと、
4つの国にかこまれた人口700万人ほどの国だ。
首都はドゥシャンベで、
試合もここでおこなわれている。
サッカーのおもしろさのひとつは、
こうやっていろいろな国への関心がたかまることだろう。
なんにちかまえに雪がつもり、
最悪のピッチコンディションがつたえられており、
たしかに芝のはげたところがあちこちにあって、
日本の選手たちはやりにくそうだった。
逆に相手はさすがになれていて、
前半はおしこまれる時間がおおくなる。
日本がパスでつなごうとしても、
ボールはおもったところにおもったスピードでは
ころがってくれない。
簡単にカットされたり、相手のパスがなんとなくとおったり、
なかなかくるしいたちあがりだ。
まあ、これらは予想されていたことであり、
日本の選手たちにあわてたようすはない。
前半の終了まえに今野が1点目をきめると、
あとは着実に得点をかさねることができた。
試合についてはあまりかくことがない。
1ヶ月まえには8−0でかったとはいえ、
アウェイの試合では、まったくちがった状況となる。
そんななかで無事に4−0でかつことができ、
3次予選の突破がきまったことがとにかくいちばんよかった。
このブログを保存するときに
いつものようにファイルに日付をつける。
きょうが「111111」の日であることに気づいた。
11年11月11日。
そしてそれは、震災から8ヶ月ということを意味する。
わすれることがいちばんいけない、なんていいながら、
このごろわすれかけてきていることを自戒する。