2011年11月09日

自然農法を見学する

広島市近郊の村で農業をやっているしりあいをたずねる。
「農業」といってしまうと正確ではない。
たがやさず、農薬と化学肥料もつかわない
自然農法をこころみておられるのであり、
規模としてはそうおおきくはない。
まだまとまった量を出荷しているわけではなく、
そのひとにいわせると「実験中」
ということになるようだ。

さっそく畑と田んぼに案内してもらう。
草もあまりとらないやり方なので、
野菜は草にうもれているようにみえる。
化学肥料をやらないせいか、葉の色はうすい。
去年つくったときの種がおちたのか、
草のなかにところどころ大根がはえている。
とてもうつくしい風景だった。
おおきな野菜が畝に整然とならんでいるのではなく、
あっちにひとつ、こっちにひとつ、というかんじで
かってにはえている。
すこしずつはえていると、虫もつかないそうだ。
そして、土はふかふかだった。
機械でたがやさないと、
虫や微生物の活動が活発になり、
こんなふうにやわらかい土ができてくるといわれる。

1枚の田んぼには、まだかりとりまえの稲がのこっていた。
田うえをおそくしているので
(連休にあわせる必要がないから)、
11月になってもまだ稲があるのだ。
穂がよくみのり、おもそうにたれている。
水が作物をそだてることがわかった、といわれる。
水にはたくさんの栄養分がとけこんでいて、
肥料をそんなにやらなくても稲がそだつそうだ。
水はけのわるい田は、いかにもあつかいにくそうだけど、
そんなことはぜんぜん気にされない。

あちこちに休耕田があるので、
もっと田んぼをひろげていきたいといわれる。
でも、つくられていないぐらいだから
陽あたりがわるかったり、
カヤや笹、それにおおきな木がはえていたりする。
そんな土地を、草かり機やチェーンソーをつかわないで
また田んぼにするというのだから、
ものすごく根気のいる仕事だ。
冬のあいだに全部できなくても、
きりひらいた範囲で田うえをすればいいという
腰をすえたとりくみをかんがえておられる。

なんでこんなに手のかかるやり方をされるのか。
現代文明は、もうすぐ大変動をむかえる、という
世界観が根底にあるそうだ。
やがて世界じゅうで食料や水、
それにエネルギーがたりなくなり、
いまあたりまえにしている生活は
おおくの変化をもとめられる。
そうしたときには、
自分のたべるものを自分でつくれることが
どれだけおおきな意味をもつかはあきらかだろう。
すでに飢え死にしないノウハウは身につけた、といわれる。
足踏み脱穀機を手にいれたり、
ロウソクをつくる材料も手配ずみだ。

わたしがなぜここを見学させてもらったかというと、
わたしもまた、そのひととおなじような
危機感をもっているからだ。
食料の確保をふくめ、
いまのうちに生きていくちからをたかめておきたい。
どんな形ならわたしにできるだろう。
かんがえてばかりおらず、
とにかくはやいうちにスタートをきろう。

posted by カルピス at 22:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする