2011年11月18日

『死にたい老人』(木谷恭介・幻冬社新書)

著者は80歳になったとき絶食による自殺をおもいつく
(著者流にいえば「断食安楽死」)。
やりたいことはやったし、
このさき生きつづけていても、
お金のこともかんがえないといけないし、
ぼけたりしたら息子たちに迷惑だし、
それなら自分がきめたときに死んだほうがいい、
というかんがえだ。

ただ、ひとりで死ぬことは意外とむつかしい。
死んでからなんにちもたってみつけられたのでは、
死臭がしてその部屋がつかえなくなるし、
だれかに断食による自殺をはなせば、
そのひとがそれをほっておくと罪になってしまう。
いい時期にいい死にかたをするのもなかなかたいへんだ。

死にたいといいながら、著者はけっこううるさいことをいう。
2月15日から断食をはじめる、
なぜなら確定申告をおえてからのほうがいいから、とか
血圧がかなりたかいと

「その数字をみて、
〈死ぬのは怖いなあ・・・〉
という気持ちがこみあげて来た」

といったりする。
あんたは死にたいのではなかったのか、と
おもわずつっこみをいれたくなるところだ。

「寝間着に着替えたが、睡眠薬を飲むのが怖い。
眠ったまま目を醒さないのではないかという
不安が頭をかすめるのだ」

というのにはわらってしまった。
それこそがあなたのもとめていたものではないのか。

胃潰瘍のために薬をのまなければらなず、
その薬をのむためには
なにかをたべる必要があるので、
胃がわるいと餓死ができない、といってみたり。

うけをねらっているわけではなく(たぶん)、
著者はすごくまじめになんだかんだとかたる。
自殺による安楽死とはあんまり関係ないような
軍隊での体験や、
民主党政権のふがいなさについて延々とページをさき、
いったいこれはなんの本だったかと
いぶかしくおもってよんでいると、最期のさいごに、
民主党とおなじようにくちさきだけなのはいやなので、
公言したことは実行しなければらなない、とかいてある。
そこまでよんでようやく
それが(それも)絶食による餓死をこころみつづける理由
ということがわかるといったぐあい。

著者は3どの絶食をこころみている。
もっとも、3どとはいっても、
1回目ははじめるまえに体調をくずし挫折しているので、
これを「1回目」にするかどうかは微妙なところだ。
著者はずうずうしく、ずっと「1回目」としてカウントしている。
そして、
2回目は胃がいたくなって断念
3回目も胃がいたくなって断念
「胃潰瘍と断食は両立しなのだ」と著者はさとる。

そして4回目もねらうが、
これは「人間は理性では自殺できない」ことがわかり、
やるまえにあきらめている。
なかなか餓死による自殺はたいへんだ。

この本は2011年の9月30日に第1刷が発行され、
10月16日に第3刷と、順調にうれているようだ。
そうやってお金がはいるようになると、
死への準備はまたちがった要素がからんでくるだろう。
著者の近況報告をまちたい。


posted by カルピス at 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする