2011年12月31日

トラベル&ラン 旅行最終日

今回の旅行は25日のマラソンレースが目的であり、
それがすめばすべて「おまけ」みたいなものだった。
日本にもどらなければならない31日までのみじかいあいだに
あまりあわただしいうごきはとりたくないので、
レースのあったチェンマイを中心に、
北タイをまわろうとしたらこういう日程になった。

結果として、なんだか
「感傷旅行」みたいになってしまった。
まえの旅行でまわったことがある3つの町
(チェンマイをいれると4つ)を
24年ぶりにおとずれている。

おとずれた町はどこもすごくかわっていて、
自分の記憶とのちがいにおどろくことになる。
前回きたのは24年もまえのことなのだから、
かわっていてあたりまえともいえる。
でも、たとえば日本のどこかの町が、
こんなにはげしい変化をすることがあるだろうか。
変化はあたりまえといっても、
タイのそれはけたがちがっているようにおもう。
チェンマイもチェンライもチェーセンも、
この四半世紀ですっかりかわった。
もちろんそれは外見上のことであり、
すんでいるひとたちの内面については
わたしなどがうかがいしれることではない。

とはいえ、町はかわったけれど、
いぜんとおなじようにたのしく旅行させてもらった。
またいつかこの地方をたずねたときに、
2011年のクリスマスにはしった
チェンマイマラソンのことを
なつかしくおもいかえしたい。
北部タイ.jpg

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2011年12月30日

チェンマイにもどる

9時半にホテルを出発してチェンライをめざす。
しばらくするとおおきな町にでた。
おどろいたことに、ここがチェーセンだという。
ゆうべとまったのはチェーセンではなく、
「ゴールデントライアングル」という観光地だったみたいだ。

11:30にチェンライにつく。
チェンライ市にはいってからまよってしまったけど、
奇跡的といっていいかんじでゲストハウスのちかくにでた。
バイクをかえし、すぐにバスターミナルにむかう。

次のチェンマイゆきは1時15分発だというので、
ちかくのカフェで30分ほど時間をつぶす。
そのあとの30分をバスターミナルですごしたけど、
ぜんぜんまつのが苦痛じゃなかった。
あつくないというのはすごくらくなことだ。

チェンライからのバスはとちゅういちど休憩して
5時10分にチェンマイにつく。
ついたのが出発したときとちがう
「チェンマイ第3バスステーション」で、
どこにあるのかもわからない。
バスステーションの職員の人にたずねてやっとわかる。
普通こういうところでは、
たくさん客まちをしているはずのトゥクトゥクもいない。
自分でトゥクトゥクをさがし、
ターペー門まで150バーツというところを100バーツまでねぎる。

まえにはいっていた「ブンミ・ゲストハウス」に
またチェックインをする。
現金だと900バーツもはらわないといけない
(これまではネットでの予約)。
きのうのきれいなホテルの3倍なんてしんじらんれない。
でも、さいごの夜をこじらせたくないので、
いわれるままにお金をはらう。

「サンデーマーケット」ということで
(新年をいわうイベントだけど、
トゥクトゥクの運転手はこういっていた)
ターペー門のまえと、ちかくの道が歩行者天国になっている。
車の音はすうくないけど、ステージからの音がけっこううるさい。
あす帰国する準備としておみやげをかう。

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2011年12月29日

バイクをかりてチェーセンへ

きのう予約しておいたホンダウェーヴ125でメーサイへむけて出発する。
はじめは車のとおりがおおいが、
チェンライをはなれるにつれ車がへり、
のんびりはしれるようになる。

メーサイへは1時間ほどでついた。
ここはミャンマーとの貿易でにぎわう町のようで、
観光客だけでなく、たくさんの商売がらみのひとがおとずれている。
想像していたようなちいさな町ではなく、
なんだか中国の田舎町にきているような気になる。
とてもくつろげそうにないので、
そうそうにチェーセンゆきをきめる。

メーサイからチェーセンへの道路は、
いまあたらしくつくっているところで、
すばらしくひろいのに、交通量はほとんどない。
30分ほどバイクではしるとメコン川がみえてきた。
「ようこそ ゴールデントライアングルへ」という
看板がたっている。チェーセンについたのだ。

チェーセンも以前の旅行でいったことがある町だ。
そのときにはかぞえるくらいしか民家がなく、
ホテルも1、2軒しかなかったとおもう。
竹とわらでできたようなゲストハウスをえらぶと、
もうほかにはメコン川をみるくらいしかすることがなかった。
なぜか月刊文芸春秋がおいてあり、
植村直己さんについての記事をよんだことをおぼえている。

それがいまではすごいかわりようだ。
たくさんのリゾートホテルがたち、
メコン川を遊覧する大小の船がたくさんうかんでいる。
大型バスもひっきりなしにとおり、
道路にはおみやげ屋さんがならんでいる。

それでもメーサイやチェンライにくらべると
まだこじんまりとしていて、ゆっくりできそうだ。
にぎやかなとおりのはずれに、
「S.V.PLACE」というホテルがみつかった。
300バーツとそうたかくないのに、
部屋がきれいで温水シャワーもトイレもついている。
「Free Wi-Fi」は、タイではもう当然というかんじだ。

メコン川に面したところにあるバーでウィスキーを注文する。
『ブレイン・ドラッグ』をよみながら、
ときどきメコン川をゆきかう船をながめる。
川のむこう側はラオスで、おおきなお寺がみえる。
あすはチェンマイにもどり、
かえりじたくをしなければならない。
今回の旅行がそれそろおわることを
メコン川をみながらかんがえる。
チェーセン.jpg

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2011年12月28日

ファーン郊外の温泉へ。午後はミニバスをのりついでチェンライへ

ファーン郊外にあるという温泉へでかける。
たのんでいたバイクタクシーが
9時すこしまえにむかえにきてくれた。
温泉は、町から7キロほどはなれた
ドーイファーホームポッグ国立公園のなかにある。
公園の入園料が100バーツで、
お風呂にはいるには別に20パーツかかる
(ミスト風呂も希望すると50バーツになるみたい)。

お湯は42℃くらいとかなりあつめだ。
きのうからよみはじめ、おもしろくなってきた
『ブレイン・ドラッグ』をよみながら、1時間ほど半身浴をする。
半身欲らしい汗がたくさんでて気もちよかった。
10時半にお風呂からあがり、きがえてからお茶をのむ。
11時にバイクにのって町にもどる。

ホテルをチェックアウトし、
チェンライへのミニバスをまつ。
チェンライへは、まずタートンにいき、
そこからのりかえていくそうだ。
じっさいは、タートンからも直接チェンライへいくミニバスはなく、
メーサローンとメーチャンというもう2カ所でのりかえなければならなかった。
地元のひとが足がわりにつかうのりものなので、
ぎゅうぎゅうづめだったり、あちこちでとまったりするけど、
いかにも旅行をしてる気分があじわえる。

なんだかんだで4時間半ぐらいかけてチェンライにつく。
チェンライには20数年まえにいちどきてる。
ちいさな町だと記憶していたのに、すごくおおきい。
どこかほかの町をかんちがいしていたのだろう。
チェンマイとかわらないような気さえする。
バスターミナルについても、ホテルのあてがない。
ちかくにあったカフェで、
やすいホテルがあつまっている地区をきいてあるきだす。
そういえば、いぜんはいつもこうやってホテルをさがしていた。

そうあるかなくても、1泊200バーツのゲストハウスがみつかった。
フリーWi-Fiだし、共同だけどホットシャワーもあるというので
ここにきめる。
ちょうどゲストハウスのとなりがレンタルバイクもやっており、
あすのメーサイゆきのために2日間の予約をする。

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2011年12月27日

ムエタイ観戦とファーンへの移動

ゆうべはムエタイの試合をみに
ターペー門ちかくのボクシングスタジアムへいく。
食事をするところや旅行会社、
タイ式マッサージ店に両替所と、
なんでもそろっているので、
ターペー門のそばにホテルがあるとほんとに便利だ。
でも、そのかわり車がひっきりなしにとおるので、
すごくうるさい。

ムエタイ(タイ式ボクシング)スタジアムのいりぐちで
入場料の400バーツをはらうと
座布団つきのイスに案内された。
場内はサロメチールの強烈なにおいと、
ムエタイ独特の笛の音でみたされている。
9時にはまばらだったお客さんが、
だんだんふえてくる。
わたされたプログラムに選手の名前と
体重が紹介されている。
こうした興行をいちにちおきにしているようだ。

リングのまわりにはバーや料理をだすカウンターがあり、
トイレも便器にむかって背をむけている
姿が(男性は)客席からみえる。
地方スタジアムらしいチープな雰囲気がすごくリアルだ。
選手たちはリングにあがるとムエタイのおどりをまう。
試合がはじまっても、
そのまま笛の音でリズムをとってるかんじ。
足はそんなにうごかず、フットワークよりも
笛の音のリズムがたよりみたいだ。

女性の2試合をふくめ、全部で9試合がくまれていた。
試合がすすむにつれて迫力がでてくるが、
なかにはおなかに贅肉がついたボクサーもいる。
とちゅうにスペシャルマッチがあり、
5人のボクサーがリングにあがり、
目隠しをしてめちゃくちゃになぐりあう。
レフリーにむかうボクサーもいて、
そのパンチが妙にヒットするので
レフリーが本気でけりをいれていた。

ラストマッチはタイ人とアメリカ人のボクサーが試合をする。
両方ともからだはたいしたことないけど、
相手をなぐりたおそうとする気迫が本物なので
ストリートファイトみたいな迫力がある。
アメリカ人のボクサーが4ラウンド目にノックアウトしてかつ。
ノックアウトについては、そのほかにはもう1試合あっただけで、
クリンチみたいなことがおおく
なかなかはっきりした決着がつかない。
ノックアウトすると、
かったボクサーはたおれているボクサーにちかより、
グローブをそろえておじぎをする。
相手もそれにこたえる。
迫力のある試合をするけど、
敵ではなく「試合の相手」なのだということが
徹底されているかんじ。
相手への憎しみではなくリスペクとがある。
9時すぎにはじまった試合は
12時45分にすべておわる。
はじめてのムエタイ観戦をじゅうぶんに堪能できた。

きょうは市営バスターミナルから
公営のバスにのってファーンという町へむかう。
今回の旅行の第2段階がはじまったのだ。
ファーンはチェンマイから北に150キロいったところにあり、
とちゅうかなりの峠をこえる。
いちど15分ほどのの休憩をいれて
3時間45分でファーンについた。
バスの待合所でこの町のホテルのことをきくと、
その女性がじょうずな日本語で説明してくれた。
おしえてもらったホテルにいくと、
すごくりっぱそうにみえるのに350バーツとそうたかくない。
ネットの接続ははやいし、部屋がじゅうぶんにひろい。
シャワーのお湯の温度もブンミ・ゲストハウスよりずっとまともだ。

ファーンではオートバイをかりて
田舎道をはしろうとおもっていた。
あこがれのホンダドリーム125にのれるのをたのしみにしていたら、
ファーンにはレンタルバイクがないのだそうだ。
しかたがないので、あすはバイクをチャーターして
郊外にある温泉にいくことにする。

ファーンは、1958年におこなわれた調査で
梅棹忠夫氏たちがおとずれた町だ。
『東南アジア紀行』には、
その当時のチェンマイやファーンの様子もかたられている。
チェンマイはおちついた古都、
ファーンはかなり山の中の町として登場する。
今回の旅行では、10冊ほどの本をもってきたのに、
この『東南アジア紀行』をいれるのをわすれていた。
わたしが生まれるまえ、
いまから50年以上まえのものにもかかわらず、
正確な知識とこまやかな観察のもとにかかれているので、
なんどよんでも、そのたびにおもしろさにであうことができる。
それにしても、50年以上まえに、
この町に日本人の調査隊がはいっていたなんて
なんという行動力だろうか。

ホテルの部屋で本をよんでいると、
そとがすごくさわがしい。
カラオケか、結婚式などのパーティーかとおもったら、
道路を半分歩行者天国にして
おまつりがはじまっていた。
屋台や生活雑貨などのいろいろな出店があり
おおぜいのひとがであるいている。
「うどん」というのぼりがあるのでいってみると、
寿司だった。ちいさくてきれいにかざられた寿司が
値段にわかれてならべられている。
ターペー門の屋台でも、
この寿司屋さんが何軒もでており、
たべてみるとみごとにちゃんとした寿司の味だった。
ファーン.jpg

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2011年12月26日

チェンマイ3日目ー休養日ー

マラソンのダメージがひどく、
足をひきずってしかあるけない。
足首もひざも、肩も首も、あちこちがいたい。
きのうにつづいてマッサージ店へいく。
ホテルで紹介された店で、お寺の境内にあり、
1時間129バーツとすごくやすく、そしてなにより上手だ。
きょうやってくれたひとも、
いたいけど気もちいいという
ギリギリのポイントで圧力をかけてくれる。
おかげで店をでるときには
なんとかふつうにあるけるぐらいに回復していた。

きょうは休養と、あすからのうごきをつける日だ。
マッサージはうけたし、
あちこちでのんだりたべたりして、
開放感をたのしんだ。
レースまえはさすがに気をつかって
ビールやつめたいのみものをひかえていたけど、
きょうはほしいものをなんでもためしてみる。
氷もいっしょにミキサーにかけるマンゴージュースがおいしかった。
この旅行の第2段階として、
あすはファーンという町へ移動することにする。
ホテルのフロントで(というほどおおきなホテルではないけど)
ファーンへのいきかたをたずねる。
公営のバスステーションから
30分おきにバスがでているのだそうだ。
ファーンまでの道は山のなかをとおり、
景色がとてもうつくしいとおしえてくれる。
ネットでは温泉もちかくにあることが紹介されていた。

三浦しをんの『風が強く吹いている』をよんでいる。
ほとんど初心者ばかりのチームで箱根駅伝をめざすはなしだ。
初心者とはいえ、大学生なので、
いきなりはしってもわたしよりずっといいタイムだ。
でも、はしるということについての気もちでは
おなじ長距離レースをめざすものとして
共通するところがたくさんある。
5区の山道を、熱をおしてはしる「神童さん」に胸をあつくする。
レースまえにこの本をよんでいたとしても、
わたしの記録はあんなものだっただろうが、
マラソンレースを経験したあとでは
とてもひとごととはおもえない。
日本にかえるのは元旦の予定なので、
すぐにこの箱根駅伝をみることができる。
これまでとはちがう目でたのしめそうだ。


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2011年12月25日

ぶじにチェンマイマラソンを完走

チェンマイマラソン当日。
4時のスタートなので、3時半にホテルをでる。
ホテルがスタートのターペー門から徒歩1分なのですごく便利だ。
フルマラソンの参加者は2〜300人ほどで、
スタートの何分前をしらせるアナウンスのほかは
とくに説明も開会式もない。

4時にスタートすると、はじめはチェンマイの旧市街をぐるっとまわる。
そのあとチェンマイ空港のよこをはしり、
なんどか横道にはいりながら距離をかせぐ。
これといった坂道はなく、なれたひとには簡単なコースかもしれない。

わたしは完走が目的なので、
いつものように時速9キロぐらいにおさえてはしる。
これくらいだとはしっていてぜんぜんたいへんではなくて、
たのしさをかんじられるくらいのストレスだ。
でも、それは最初のころだけで、
やがてながい距離に足をならしてなかったのがたたり、
20キロをすぎると足がまえにでにくくなり、
30キロからはそうとうくるしくなった。
村上春樹さんがほこりにしている「とにかく、あるかなかった」
ことをわたしもめざし、
ヨタヨタとなんとか足をうごかす。
ゴールしたときのタイムは4時間51分で、予想していた範囲内だ。
もうちょっと距離になれていたら
あそこまでへばらなかっただろうから、
4時間30くらいまでは記録がのびるかもしれない。
でも、そこらへんがわたしの限界だろう。
それ以上はいくらはしってもタイムはのびそうにない。
のびしろのなさを、初マラソンでおもいしることとなる。

とにかく完走できた。
すごくくるしかったときに
なげださずにはしりつづけた自分をほめたいとおもう。
マラソンの完走は、期待していたようにすばらしい体験となった。
はしっていてかんじたのは、
こうやって大会に参加できることは、とてもありがたいということだ。
それだけの健康と体調を維持し、
練習をかさねることができ、
仕事や家族の環境が参加をアシストしてくれている。
こんなにしあわせなことはそうないだろう。

チェンマイマラソンは、はじめてのランナーにてきしているとおもう。
・参加者がすくない
・エントリーのしめきりがおそく、制限時間も7時間とゆるい
・参加費が35ドルとやすい
・冬のチェンマイはぜんぜんあつくなく、
もちろんさむくもなく、コンディションをととのえやすい
・はしったあとのマッサージをごほうびにできる

もし、フルマラソンデビューを海外で、
とかんがえておられる方がおられたら、
以上の理由でチェンマイマラソンをおすすめする。
チェンマイマラソン.jpg
(最終ランナーのゴール・7時間23分)


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2011年12月24日

スワンナブーム空港で一夜をすごす

ソウルからの便は予定より1時間おそく出発し、
バンコクへついたのは夜の11時(日本時間1時)だった。
飛行機のなかでは3列の座席にひとりだったので、
よこになることができてとてもたすかった。
できるだけコンディションをおとさないで
マラソンレースをむかえるためには
ねむれることがいちばんだ。

スワンナブーム空港ははじめて利用する。
2階にはたくさんのレストランがはいっていて
とてもにぎやかだ。
夜もおそいので、食事をとるのはやめ
3階にある国内線のり場でよこになれる場所をさがす。
このときのために、今回の旅行では
わざわざ寝袋とマット、それにシートをもってきている。
なかなか適当な場所がなく、
チェックインカウンターがむかいあっているひろい空間にベンチがあったので、
そこに寝袋をひろげる。
空港はかなりさむく、夏用の寝袋にくるまってちょうどいいくらいだ。
あかるくて、ひとのうごきもおおいが、
こういうところのほうがかえって安全だとおもうことにする。
ここで1時から4時までなんとかねむることができた。
4時になると旅行客がおおくなり、
ひとつのベンチを占領しているのがもうしわけなかったので、
寝袋をたたみ、チェンマイゆきのチェックインカウンターちかくに移動した。
4時45分にチェックインし、
待合室にはいってからも1時間よこになる。
6時半になってようやく外があかるくなる。
あすのマラソンは4時がスタートなので、
2時間半はくらいなかをはしることになりそうだ。
なんとかからだをやすめることができたので、
完走にむけてのひとつのハードルをこえたとおもいたい。

チェンマイ空港につくと、
タクシーですぐに予約していた「ブンミ・ゲストハウス」へ。
まだ9時だったのに、うるさいことをいわずチェックインさせてくれた。
チェンマイはぜんぜんあつくない。
エアコンもいらないぐらいだ。
ターペー門にもうけられている大会本部にでかけ、
エントリー代の1010バーツをはらう。
外国人は35ドル、とネットにはかいてあったけど、
ドルでもバーツでもうけとってもらえた。
そのあと朝ごはんをたべられる店をさがす。
これまで2回きたことがある町なので、
すこし土地勘がある。
市場のほうにむかってあるくと、
タイ料理をたべさえてくれる食堂があった。
クッティヤオ・ナン(うどん)とごはんに野菜いためをのせたものを注文する。
18年まえは20バーツだったクッティヤオ・ナンが30バーツになっていた。

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2011年12月23日

クリスマス寒波のなかインチョン空港へ

米子から12時発のアシアナ航空にのってソウル・インチョン空港に。
クリスマス寒波ということで、
日本海ぞいでは週あけまでさむい日がつづくそうだ。
雪のために飛行機がとばなかったら、
今回のチェンマイマラソンツアーがだいなしになる。
とにかく今日の便にのらないと間にあわないのだ。
3ヶ月前のカンボジアとベトナム旅行では、
ちょうど台風の接近とかさなり、
そのときもまた心配しながら
米子空港へむかったことをおもいだす。

さいわい飛行機は予定どおり
(予定より5分はやかった)に離陸する。
インチョン空港への着陸は1時8分。
この空港は、前回の経験から
いごこちよくすごせることがわかっている。
トイレで着こんできた服をぬぎ身がるになってから、
コーヒーうりばでベーグルと紅茶を注文する。
ブログをとぎれさせたくなかったので、
バンコクゆき飛行機(18:20発)をまつあいだに
パソコンをたちあげる。
バンコクのスワンナブーム空港の
ネット環境がわからないので、
用心のためここでアップロードしておく。

ぶじにチェンマイマラソンへのスタートをきれてほっとする。
25日のレースまできびしい日程だけど、
とにかく完走しよう。



posted by カルピス at 14:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月22日

『本の雑誌』今年のベスト10は

毎年『本の雑誌1月号』では、その年のベスト10が特集される。
それをうけ、本屋さんでは「本の雑誌○○年第1位」
とかのポップをつけて、大々的に棚にならべたりする。
では、その選考会がどれだけ厳密なものかというと、
かなり、というか、ものすごくいいかげんだ。
本の雑誌社の社員があつまって

「よし、ベストテンを決めていこうか」

ではじまり、
それぞれがもちよった「どうしてもベストテンにいれたい」
作品を発表していく。
それをひととおりきいたあとで、
いきなり

発人 よし、『なずな』がベスト1!!
営B 驚愕の急展開(笑)。じゃあ二位は?
編B 『マザーズ』がいいんじゃないかな。すごいペア(笑)
営B 「今」がわかりますよ。
   一位は『なずな』に譲ったんですから、
   二位にしてくれないと。
営A 父性と母性の戦い。
発人 『ジェノサイド』も父親の愛がテーマだし(笑)。
   この三冊をベスト3にしよう。
営A 潤はベストテンにどうしても入れたいって本はある?
編B 『コンニャク屋』かな。
(中略)
編B え、四位?五位でいいですよ。
   俺も謙虚だし(笑)。
営A 『秋葉原』は?事件ものでは別格だよ。
発人 よし、四位!
(中略)
編A 小説が少ないですね。
営A じゃあ、三浦しをんを入れておこう。
発人 八位でいいから。あと、『これが見納め』を十位にしたいな。
営A これで空いているのは六位だけかな?
営B 『エスプレッソ』!
経理 角田さんは? エッセイもすごく楽しいですよ。
発人 それが六位!

というかんじであっけなくきまっていく。
ノミネートされた作家にとっては
つっこみをいれたくなるかるさだろうが、
わたしのしるかぎり毎年おなじ光景がくりかえされている。
椎名誠が参加していたころは、
もっと「鶴の一声」みたいなごりおしも横行していた。

そうやってえらばれた本に、
「本の雑誌○○年第○位」ともちあげるのは、
本屋さんがかってにしていることであり、
その真意をとわれても「本の雑誌社」はあずかりしらぬところだろう。
このテキトーともいえるかるさが「本の雑誌社」の生命線であり、
ほかの会社がやりそうな「いかにも」的な選考会は
この雑誌ににあわない。
それに、そうやってえらばれた本がもしつまらなければ、
「本の雑誌社」の存在価値がとわれることになるが、
そうではなくて、いっけんいいかげんにえらばれた10冊でも、
ほんとうにおもしろければ
その選考の過程を問題にする必要はぜんぜんない。
社の存続をかけてこうした選考をつづけているのは
ひとつの見識ともいえる。

今年のベスト10のうち、わたしがよんだ本は
『ジェノサイド』だけだった。
ちなみに、わたしの「2011年ベスト1」もこの本であり、
以前出版された本をふくめると
小川洋子さんの『博士の愛した数式』がベスト1になる。
この本によってわたしの2011年は
すごくふくらませてもらうことができた。



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2011年12月21日

児童デイのサビ管研修1日目

児童デイのサービス管理責任者研修(サビ管)をうける。
2日間あるうちのきょうが1日目。
このところ研修をうけたり、こっちがはなす側だったりと、
たてつづけに研修がつづく。
9時から5時までずっとすわって(グループ演習があったものの)
ひとのはなしをきくというのは
かなりたいへんなことだとあらためておもう。
きょう講師をされた2人の方は、
きくほうの側のつらさにも配慮されており、
研修としてはまだすごしやすい方だったとおもう。
それでも8時間というのはすごくながい。

ながいからいやかというと、そうではなく、
以前よりもむしろ素直にひとのはなしをきけるようになった。
それなりによくねられた内容なので、
ちゃんときいていれば復習になるし、
あらたに気づくこともいくつかある。
来年の4月からおおきくかわる児童デイについて、
概要をおさらいもすることができた。

「自分を(自分たちを)必要としてくれる
ひとたちがいるということが、とてもたいせつ」

なんて講師の方にいわれると、
「たしかにそうだなー」と
おもわずふかく共感する。
こんなわたしでも、
なにかちからになれることがあるということ。
それをもとめられているということが、
わたしにとっての支援の原点だ。

グループのメンバーにもめぐまれ、
今年さいごの研修をじゅうじつした時間にすることができそうだ。
2日目のさらなる発展を期待している。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月20日

『第三の男』はほんとうに名作か

午前10時の映画祭で『第三の男』をみる。
有名な作品なので、
いちどみておきたいとまえからおもっていた。

『第三の男』というと、
オーソン=ウェルズと地下道、
それによくみみにするテーマソングが頭にうかぶ。
でも、ふつうにみれば、
この作品の主役はマーチンス役のジョゼフ=コットンであり、
なんでオーソン=ウェルズばかりがかたられるのか
まったくわからない。
いい雰囲気の作品ではあったが、
名作中の名作かというとそうでもなく、
あくまでもごく普通のおもしろさでしかない。
有名作品はかならずしも名作とはかぎらない
典型的な例である、とつよ気でかいておこう。

ぜんぜん関係ないはなしだけど、
『未来少年コナン』にでてくる
インダストリアの地下にある居住区は、
まさに『第三の男』の地下道だったことをしる。
雰囲気も構造も、まったくおなじだ。
迷路みたいで、道がどこにつうじているかわからないし、
きゅうに水がおしよせてきたりする。
なんで宮崎さんは、だれがみても出典のわかるものを
あえて自分の作品にとりいれたのだろう。
観覧車のシーンもほかの作品でみたことがある気がする。
いろんなひとが、つい設定をかりたくなるほど
この作品は魅力があるのだろうか。

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2011年12月19日

『ウメサオタダオと出あう』ーみんぱくつくってくれてありがとうございますー

注文していた『ウメサオタダオと出あう』
(小長谷有紀・小学館)がとどく。

去年の7月になくなった梅棹忠夫氏に関する特別展が
今年の3月10日から6月14日まで
民族学博物館(「みんぱく」)でひらかれ、
4万3000人の方々がおとずれている。
この本は、その展示会で来場者にアンケートとしてかいてもらった
「はっけんカード」をあつめたものである。

『知的生産の技術』以来のファンで、
あらためて先生のすごさをしった、みたいな感想だけでなく、
梅棹忠夫というひとについて
ほとんどしらなかった、というひともおおい。
そうしたひとたちが、
梅棹さんの業績にたいしてつよい興奮をしめし、
まえむきに生きるちからをもらったと感謝している。
1冊の本をとおしてよむこともなく、
梅棹さんの仕事の本質をみぬけるというのは、
いったいどうしたことだろう。
展示のうまさにくわえて、
梅棹さんがエネルギーをかたむけてきたさまざまなことがらが、
ほんとうに普遍的な魅力をもっていることのあらわれだろうか。
ずっと梅棹さんの本をよんできたわたしにとって、
なにもしらずに特別展にきたひとが、
展示をみただけでこころをうごかせることにおどろいてしまう。

6歳の男の子がかいた「はっけんカード」がすごい。

 ウメサオタダオせんせいへ、
みんぱく、たのしかったです。
ビデオとてもたのしかったです。
みんぱくつくってくれてありがとうございます。

小長谷さんがコメントにかいているように、
こんな感想を6歳の子がいってくれたことをしったら、
梅棹さんはどんなにうれしかっただろう。
こんなことがかけるこの子もすごいし、
この子にこんなことをかかせる梅棹さんもすごい。

わたしもこの「ウメサオタダオ展」へ4月にでかけている
(「はっけんカード」にはなにもかかなかったけど)。
20代からずっと梅棹さんの著作をよみ、
「こざね」をつかった文章のかき方や
「人生に目的はない」という独特の人生論、
そしてヨーロッパと日本は、
地理的必然性から平行に発展したという「文明の生態史観」など、
さまざまな点においてすくらからぬ影響をうけてきた。
いまかいている、こうしたブログなども、
梅棹さんはずっとまえから

「教育がたいへん普及したということの結果なんですが、
それによって自分でも本をよむし、自分自身かくようになった。
かく結果、作品がいっぱいでてくるわけです。
しかし、よむひとはごく少数である。
つまり、かくことに値うちがあるんだという文学ですね。
だれもよまない小説というようなものがいっぱいでてくる。
印刷もされないかもしれない。
印刷されても、だれもよまないかもしれない。
(中略)
ごついものをがんばってかいて、ああできた。
ところがだれもよまない。
しかし、それでちっともかまわないではないか」
(『わたしの生きがい論』より)

といういいかたで、
「人生をつぶす」という生活の形態を予想していた。
だれかがよんでくれるからうれしい、というブログが、
だんだんと本質をつきつめていくと、
だれもよんでくれなくてもかく、
かくことで、そのひとの時間がみたされる、
というものになっていく。

よめばよむほど梅棹さんの本には魅力がある。
わたしは梅棹さんのおかげで
ずいぶん生きるのがらくになったし、
道をふみまちがえたともいえる。
梅棹さんのかんがえ方をしってしまったら、
こうした影響をうけるのはさけがたいことであり、
自分なりに解釈した結果の責任をとらなければならない。

posted by カルピス at 23:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月18日

理づめで数的有利をつくるバルサのサッカー

クラブW杯決勝、バルセロナ対サントスの試合をみる。
世界最強どころか、史上最高とまでいわれている
バルサのサッカーをみることができるのはめったにない機会だ。
リーガエスパニョールでの試合よりも、
バルセロナにとって異質なサッカーをする
ブラジルのチームとの試合をみるほうが、
バルサの特徴がよくでるのではないか
(事実、サントスが自分たちのサッカーにてっしてくれたおかげで
バルサらしい息をのむようなパスまわしをみることができた)。

結果は4-0でバルセロナの圧勝だった。
前半に3点がはいってしまうと
もう試合がきまったかんじだ。
後半37分にメッシがだめおしの4点目をきめる。

なぜバルセロナはこんなにつよいのか。
その核心にせまろうとする本が何冊も出版されており、
わたしは西部謙司さんの『バルセロナ戦術アナライズ』
(株式会社カイゼン)をよんだことがある。

オランダ人のヨハン=クライフがはじめたバルサのスタイルは、
これまでなんどかのドリームチームをうみ
熟成をかさねてきた。
いまのバルサの中核となる戦術について
西部さんはわかりやすくまとめられている。
わたしがおもしろいとおもったのは、
数的有利をつくるための
「2人のFWで4人のDFを止める」というやり方だ。

よくしられているように、
1トップのメッシは、本来のポジションにはこだわらず、
自由にうごきまわる。
いっぽう、あとの2人のフォワードは、
タッチラインいっぱいにひらいて
センターバックよりもサイドバックを牽制している。
こうしておけば、たとえ相手のセンターバックが
ボールをもってフリーになったとしても、
そのままドリブルでせめあがることはできない。
なぜなら、もしボールをとられたときの危険が
あまりにもおおきいからだ。
相手がロングボールをけっても、
そこはバルサが数的有利をつくっているし、
パスをつなごうとしてもだしどころがない。
その骨格となっているのは、いくつものパスコースを用意する
バルサのポジションのとりかたであり、正確なパスやトラッピングだ。
もしバルサがボールをうばわれても、
数的有利をいかしながらはやくからプレッシングをかけ、
ポゼッションをたもつ。
個々人の才能をよくとりざたされるけれど、
非常に理づめのサッカーが
バルサの基本となっていることをおしえてくれた。
有名な「カンテナ」での育成が
こうしたバルサの戦術をふかく浸透させていることも。

きょうのサントスとの決勝は、
そんなバルサのよさが存分に発揮されていた。
ウィングは両サイドにひろくひらき、
メッシはゆらゆらとあちこちに顔をだしながら、
ボールをもつと自在にスピードをかえてゴールにせまる。

メッシはコーナーキックでボールをセットするときに
手をつかわない。
足だけで簡単にボールの位置をきめ、
なにげなくけってしまう。
ボールの微妙なおき場所を修正するのに
メッシは手なんか必要ないのだ。
わたしがバルサのサッカーからまなべることはなにもないけど、
コーナーキックだけは
メッシみたいに手をつかわずにクールにけろうときめた。


posted by カルピス at 23:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月17日

フルマラソンを完走したらどれだけえばれるか?

はじめてのフルマラソンをめざすにあたり、
この距離をはしりきることが
相対的にいってどれだけえらいのかをしりたくなった。
『ランナーズ7月号』によると、
日本のランニング人口は883万人で、
そのうち2010年にフルマラソンを完走したひとは18万人。
およそ2%だ。人口あたりの完走者は0.14%というから、
1000人ちゅう1人か2人というと
かなりえばってもいい数字かもしれない。
ただ、1万人あたりでみると14人なので、
そうするとこんどはあんまりたいしたことないような気もしてくる。
数字って、どこをきりとってくるかでずいぶん印象がちがってくる。

女性の比率は18.5%とあまりたかくない。
美ジョガーの出現などで、空前のランニングブームといわれているわりには意外とすくない。

年齢別の平均タイムは下記のとおりだ。

        男      女
   20歳 4:50:25   5:28:17
   30歳 4:44:40   5:23:53
   40歳 4:27:40   4:48:45
   50歳 4:25:07   4:52:52
   60歳 4:37:53   5:01:35
   70歳 4:53:31   5:23:22
   80歳 5:45:49   7:37:01

男性は、あらゆる年代よりも
50歳のタイムがはやいというのがすごい。
おじさんたちはがんばっているのだ。
練習タイムから予想されるわたしの記録は、
うまくいけば4時間30分、
わるくても5時間あればゴールできるとおもっているので、
だいたいこの表がしめす平均的なレベルなのかもしれない。

ということで、わたしがもしぶじに
42.195キロをはしりきることができれば、
ランニング愛好家の50人に1人、
日本人全体でみても1000人に1人か2人という、
なかなかの快挙をなしとげたということで、
履歴書にかくぐらいの自慢はしようとおもう。

posted by カルピス at 16:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月16日

山口県行動援護研修に参加する

山口県行動援護従業者要請研修の3日目がぶじおわる。
わたしが担当したのは、
1日目のキャップハンディと、3日目の事例分析のコマだ。
主催者であるNPOシンフォニーネットの方々の熱意と、
参加者がみせる研修へのまじめな姿勢に
わたしはつよい刺激をうける。

3日間をつうじて気もちよくすごすことができた。
3日目はとくにロールプレイをふくめた演習が2つあり、
どのグループも、休憩やお昼やすみの時間をおしんで
支援計画をねりあげておられる。
ゆんたの中村隆さんのピカ夫くんがはまり役だった。
あいまいな指示や不適切な計画には
障害特性からかんがえられるリアルな対応をされ、
各グループが演じるロールプレイを
貴重な体験の場となるよう修正してくれた。

ほんの2週間ばかりまえに島根県でおなじ研修会をやったばかりなのに、
ちがう県でのものとなると、またあらたな緊張をかんじてしまう。
島根の研修では、行動援護についてのチェックリストが
あまり理解をふかめなかったことをしめしていた。
山口県の結果はどうなるだろう。
研修中、気もちよくはなせたのが、
つたえる側の、ただのひとりよがりだったらかなしいことだ。

ともかく予定されていた3日間の講義がすべておわった。
かえりの電車にのりこむまえにビールをかい、
電車のなかで乾杯する。
はじめての町で刺激的な時間をすごし、
つながりをひろげることもできた。
いい機会をあたえてくださった
シンフォニーネットのみなさんと
関係者の方々に感謝したい。

posted by カルピス at 23:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

ゆんたの中村隆さんと朝の下関をはしる

いま山口県の行動援護従業者要請研修に参加しており、
そこに講師としてこられている中村さんと
なんとなくはしることになった。
なんとなく、というのは正確ではなく、
中村さんがうけもつ講義の冒頭で
わたしがマラソンをはしることを紹介され、
その練習のため明日の朝はしります、
みなさんもよかったらごいっしょに、
とよびかけられたのだ
(その提案は好意的にうけとめられたものの、
じっさいに朝ホテルにこられたひとはいなかった)。

いつのまにかはやおきが苦手になってしまったので、
朝はしるのはずいぶんひさしぶりだ。
6時にホテルのロビーで中村さんとまちあわせをして
まだくらい下関の町にむけてはしりだした。

ホテルは海ぞいにあり、
関門橋をめざす道が
ちょうどいいランニングコースになっている。
ゆったりとした遊歩道が整備されていて、
とちゅうには海峡館や唐戸市場のめずらしい風景がきれめなくつづき、
たいくつすることなくはしることができる。
ひとといっしょだと、ついペースがあがってしまい、
41分で関門橋までを往復すると、かなりへばっていた。
すぐにホテル10階にある大浴場(温泉)で汗をながし、
バイキングの朝食をとる。
なんてうつくしい朝のはじまりだろう。

なにかの企画にとりくむとき、
ふとしたことで成功を確信することがあり、
その予感はたいていあたる。
おもいがけず中村さんからランニングにさそわれ、
こうして気もちよくはしれたいま、
こんどのチェンマイマラソンの成功を確信することができた。

「ドーミーインホテル」の朝食はとても充実している。
今朝はアサリのみそ汁が出色だった。
冗談みたいにたくさんの、
そしておおきなアサリが鍋にはいっていて、
みそ汁というよりも、
アサリをたべることを目的としたなにかの料理のようだ。
ゆうべは懇親会があり、夜10時にホテルにもどったときは
小腹がすいてきたので、夜鳴きそばを注文した。
おどろいたことに、このおいしいラーメンは無料で提供される
まったくのサービス品だったのだ。
利用客がいごこちよくすごせるよう、
こまかなところに気がくばられていて、
すっかりこのホテルのファンになってしまった。

気もちのいい朝からいちにちをはじめたおかげで、
きょうはずっと新鮮な気もちですごすことができた。
いつもとはまったくちがうパターンの朝だったため、
なんだか別のひとのからだをかりてすごしたような気さえする。
研修会に参加さてている方たちもすごく熱心だし、
準備・運営にも手づくりのあたたかさがかんじられる。
はじめておとずれた下関という町へ、
とてもいい印象をもつことができた。

posted by カルピス at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月14日

旅行人の休刊

雑誌「旅行人」が休刊になるという。
165号が最終号となる。
『ゴーゴーインド』や『ゴーゴーアジア』をよんで蔵前仁一さんをしり、
その蔵前さんがおもしろい雑誌をだしているということで
1990年ごろによくかいもとめた。
外国旅行へいきたくてたまらなかったので、
年間購読をしていたときもあった。
その当時はたしか月刊だったとおもう。
その後季刊になり、年2回になり、そしてついに休刊のしらせだ。
出版界の不景気と、2002〜2003年のSARSによる
旅行ばなれが要因だという。

外国旅行に興味をもち、
とにかくどこでもいきたかったわたしにとって、
この雑誌はいかにもほんものの旅をあつかっているようにおもえたものだ。
「ほんものの旅」とは、わたしの単なる偏見にすぎないのだけれど、
要するに観光目的だったり自分さがしではない、
異文化にいることがとにかくすきでたまらない、という意味の旅だ。
休刊をしり感慨ぶかい、というほどのおもいいれはないにしろ、
わかいころいだいていた旅行への熱意をおもいだし、
なつかしさといっしょに休刊への残念さが頭にうかんだ。

休刊ときいて、いそいで最終号と、
バックナンバーの3冊を注文した。
とどいた雑誌はとても立派なしあがりのものだった。
立派すぎるともいえる。
これだけのものをつくるのは、
そうとうな労力がいるだろうし、
そしてそれがむくわれることはあまりないだろうとおもわせる
すごくマニアックな内容なのだ。
月刊だったころはもっとうすく、
質素といってよいつくりだった。
この堂々とした表紙は、どこかでみたことがあるとおもったら、
ある意味ではおなじ異文化をあつかう
『季刊民族学』ににているのだった。
『季刊民族学』は「民族学博物館友の会」が運営しており、
旅行人というちいさな会社がそれと肩をならべるものをつくるのは
そうとうなエネルギーが必要だったことだろう。

わたしが注文したのは最終号の『世界で唯一の、私の場所』と、
『旧ユーゴスラヴィアを歩く』・『特集コーカサス』
・『アンダーグラウンド』の4冊だ。
最終号はともかくとして、あとの3冊はいかにもマニアックで、
あまりにも「専門性」がたかく、
とてもおおくのひとがかうとはおもえない。
どれだけのひとが『旧ユーゴスラヴィアを歩く』に
関心をもつだろうか。

年2回の発行というスタイルにしたときに、
蔵前さんたちにはある程度のひらきなおりがあったのだとおもう。
それは、どうせたいしてうれないなら、
自分たちがほんとうにつくりたいものにしよう、
という事業方針ではなかっただろうか。
日航の国外線で、座席のせもたれにおいてある雑誌としてなら
ぴったりの存在だけど、
蔵前さんたちはおそらくそんなメジャーなものを
つくりたいとはおもわないだろう。
いまの時代に、旅行人が旅行人らしくあることは
すごくむつかしいことだったのだ。
おおきな変化がおきているなかの、
ひとつの典型的なあらわれだとおもう。


posted by カルピス at 23:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月13日

『寿フォーエバー』(山本幸久・河出書房)

結婚式場ではたらく28歳の女性(靖子)が主人公の「仕事小説」だ。
山本幸久の本は、前回よんだ『ヤングアダルトパパ』がはずれだったので、
ちょっと心配しながらよみはじめる。
でもおもしろかった。
山本幸久は、いっしょうけんめい
はたらいているひとたちをかくととてもうまい。

まじめに仕事をしてるけどまだまだ安定感はなく、
というか、仕事への本気さもないような
未熟なわかものが今回の主人公だ。
まわりからたすけらたり、ときどきちゃんとしかられたりしながら、
気がつくと、それでもすこしずつ仕事ができるようになっていく。
山本幸久の仕事小説はたいていそうしたはなしだ。

仕事って、そうやってがんばるからおもしろいんだということをおもいだす。
わたしは、職員に適切な仕事をあたえ、
その仕事をつうじてひとをそだてるということができなかった。
自分が仕事とはなにかについて、ちゃんとおさえてないから、
ましてやひとをそだてられるわけないのだ。

『凸凹デイズ』にでてきた「凹組」の4人、
ゴミヤと凪海(なみ)ちゃん、それに大滝と黒川が、
この本ではふたたび出演している。
これまでにもちょこちょこっとだれかが顔をだすことはあったが、
こうやって「凹組」というデザイン会社がそのままでてきたので、
『凸凹デイズ』がだいすきなわたしにとってうれしい作品だった。

こわいゴミヤにきついことをいわれても、
「よそ物のあなたにとやかく言われる筋合いはないわ」
と靖子はちゃんといいかえせるようにそだっている。

結婚式まえの花嫁の表情をみて

「彼女は花嫁の顔になっていた。
あたしは女性達が見せるこの顔がすきだ、と靖子は思う」

という箇所がよかった。

個人的なことをかくと、
わたしは結婚式なんかだいきらいだったので、
式だけはあげて披露宴はなし、
ただ両親をまじえての食事会だけ、という
わたしとしてはあたりまえ、
でも世間的にはかなり貧弱な「結婚式」でかんべんしてもらった。
配偶者に世間一般のよろこびを味あわせなかったことを、
この本をよんですこしかんがえてしまった。
彼女はあのときどうおもっていたのだろう。
「ハワイでもう1回挙式しようか?」
なんていったらよろこぶだろうか。

それにしても「凹組」の大滝と黒川が
合コンをたのしみにするとはおもえない。
そういうことを、いちばん距離をおきたがるのが
あの2人ではなかったか。
仕事はできてもオタクでデブな2人を
合コンにさそうナミもどうかしてる。
おもしろくしようといじりすぎて、
むりな設定をもちこんだかんじがする。
ほかの登場人物にしても、
ひとりひとりのキャラクターは
個性的でおもしろいひとがおおいけど、
それが効果的につかわれているかというと、
自由にうごきまわるまえに小説がおわってしまったかんじだ。
もっとながいはなしにしたほうが、
登場人物がいきいきとするだろう。
「凹組」の4人に結婚式場という、
山本幸久がこのんでつかう場面設定なので、
まだまだつづきがかけそうだ。

posted by カルピス at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月12日

マラソンをめざしてなんとか練習にとりくむ

ちかくの公園ではしる。
すこしノドがいたいけど、
マラソン大会まで2週間をきっているのだから、
多少のことにはくじけないではしる。
できるだけ距離に足をならしておきたいので、
外周を4周、98分はしった。

モチベーションがたかまると、
まったくあたらしい心境となって、
かろやかにはしれるかというと、
ぜんぜんそうはならない。
いつもとおなじようにヘロヘロで、
スピードは時速8〜9キロぐらいしかでない。
でも、これを5時間つづけたらマラソンを完走できるのだから、
とちゅうであきらめないこころのつよさがあれば
タイムはともかく完走はそうむつかしくないはずだ。
よく「35キロの壁が」とかいうつらい状況が、
どういうかたちでわたしにおとずれるか
みせてもらおうじゃないか。
練習を確実につみあげてないぶん、
ずぶとい精神だけは手ばなさずにレースにいどみたい。
完走したときのご褒美に
たっぷりのタイマッサージを頭と足に約束し、
たのしいマラソンデビューにしよう。

バンコクまでの往復チケットの料金10万3000円をきょうふりこんだし、
バンコクからチェンマイまでの飛行機も予約した。
保険にももうしこんだし、
大会本部からもOKの返事がとどいた。
きゅうにおもいついたにしては
いまのところスムーズにことがすすんでいる。
あとはできるだけコンディションをととのえることと、
出発の日に雪がふらないことをねがうぐらいだ。
3ヶ月まえのカンボジア・ベトナム旅行の経験をいかし、
こんどこそじょうずにもっていく本をえらぼう。

posted by カルピス at 23:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする