2011年12月05日

2-0でもいけいけどんどんのネルシーニョ監督

柏レイソルの優勝をおいわいする番組で、
選手たちをまねいて今シーズンをふりかえっていた。
ネルシーニョ監督について印象にのこっていることは?
という質問に、北嶋があげたのは
2-0でリードしていたFマリノス戦だった。
2-0という得点は、
サッカーではいちばんあぶない得点差だといわれている。
気もちがゆるんでしまうのか、
そのあとにまるでちがう展開になることがよくあるからだ。
1点をかえされて2−1になると、
あとはおいかけるほうが
いきおいがあるだけ有利ともいえる。
柏の選手たちも、そのことをおもって
ハーフタイムのときロッカールームでは、
油断しないで気をひきしめていこう、
みたいなことをはなしていたという。
そうしたら、ネルシーニョ監督は、
「それは相手が心配することで、
こっちは全然気にすることはない」
という指示をだしたのだそうだ。
おそらくネルシーニョ監督は、
「2−0は有利ではない」というおもいが
選手たちのあたまをかすめることで、
自信がゆらいだり、いきおいがそがれたりするのを
ふせごうとしたのではないか。

なにかの心理テストで、

「アンは自分が2学期のテストで
1番になったことをしりました」
ということから連想するその後のものがたりは?

というのをよんだことがある。

欧米のひとはこういうはなしのつづきとして、
1番になったのだから、
それからもそのいきおいで能力を発揮して
あかるい将来がまっている、
ということをかんがえるのだという。
完全に「いけいけどんどん」の発想だ。

いっぽう日本人は、
1番をとったからといって気をゆるめると
ろくなことがないので、
うかれなずにこれからも勉強にはげまなくては、
みたいなとらえ方がおおいのだそうだ。
欧米人の発想すべてを評価するつもりはもちろんないが、
かんがえ方のひとつの傾向として
たしかにそう面があるとおもう。

この心理テストをしっていても、
サッカーにおける2-0の点差は
わたしだって気のゆるみを警戒し、
後半のはいり方に注意したくなる。
そこをあえて「それは相手が心配することだ」
なんてすごく大胆でかっこいい。
2-0に臆病になることが
ひどく気のきかない態度におもえてくる。
わたしもこれからはちがった角度から
ちょっとひねったことをいうことにしよう。

オシム監督だったらどんな指示をだすだろう。
2−0は危険な点差だから、なんて
あまりにもあたりまえすぎるので、
あのひとなら、あえてちがう点に
目をむけさせようとするのではないか。
ここに牛がいる、と例によって
ユーゴスラビアのふるいいいつたえをもちだしたりして
わかったようなわからないはなしをしたらおもしろいけど。

オシムさんが代表監督をつとめたときのベストマッチは
2007年のスイス戦だといわれている。
この試合、日本は前半に2点をいれられたものの、
後半からは相手を完全にくずす攻撃がではじめ、
けっきょく4−3でかっている。
「べつのチームになった」と後半からの日本について
オシムさんはのべている。
もちろん「なった」のではなく、
ハーフタイムでの指示が
選手たちの意識をかえたのであり、
2−0という点差の危険さを
おいかける側から実証したことになる。
「前半と後半が分かれていてよかった。
つまり、ハーフタイムがあるということ」
ともオシムさんはコメントしており、
そこにどんな指示があったのか興味ぶかいところだ。

ながくなってしまったけれど、
そういうふうに、サッカーにおける2-0という点差は
危険性をはらんだあぶない状況といえる。
そのことをよくしりながら、
あえて「相手が心配することだ」ととぼけ、
選手たちの自信がゆらがないよう配慮した
ネルシーニョ監督の大胆な采配を評価したい。


posted by カルピス at 22:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする