椎名誠の高校時代をえがいた自伝的な小説だ。
シーナ少年であろう津田尚介は、
あたらしくはじまる高校生活に
まったく期待していなかった。
学校にたいしても、いやな教師たちにたいしても、
すべてにおいて「まあいいやどうだって・・・」とさめていて、
すべてをあきらめきった態度をとる。
おちこぼれの救済校にしかはいれなかったという劣等感が
そうしたすてばちな気もちにさせていたのかもしれない。
とはいえ、柔道部にはいり、
はげしい練習にあけくれるうちに
尚介のなかでしだいになにかがかわりはじめる。
けんかにまきこまれたり、自分からもしかけたり、
電車でみかける女子高生に好意をよせたりという
高校時代ならではのできごともおこる。
ただ、尚介にとってのいちばんの関心は、
まちがいなくけんかにおかれている。
おもいっきりこの小説を簡略化すると、
けんか
柔道
けんか
けんか
女子高生
けんか
柔道
けんか
けんか
柔道
女子高生
けんか
というかんじで、
けんかのあいまに柔道部での練習や試合、
ときたまあこがれの女子高生についてかたられる。
けんかにあけくれていたという椎名誠が
じっさいに体験したことをかいているので、
けんかのシーンはなまなましい迫力がある。
「『平野、おまえに用があるんだ』
尚介は言った。平野を殴るつもりでやってきたのだが、
平野の子分たちの前でそのことを言うのは
かなりの勇気と度胸がいった。
けれど平野ぐらいの相手を殴るのは、
千田たちとのいくつかの喧嘩のことを思えば
なんでもないことだ、と尚介は
そこへやってくる間ずっと考えていた。
(中略)
『こっちだよ平野』
と、尚介は言った。
相手の名前を何度か無意味に呼んで
相手をどんどん憤らせていくと
あとがやりよくなるぜ、
とチョウジが言っていたのを冷静に思い出していた」
この場面はなにに注意しなければならないか、とか
なにかおこったらまず自分はなにをするべきか、
ということを、尚介はいつも頭においている。
もうすこしで尚介の学校の番長と
決着をつけそうになるが、
なんとなくしりきれとんぼに
ものがたりはおわってしまう。
現実的には、たしかに高校生活とは
そんなものかもしれない。
なにかが劇的にかたがつくわけではなく、
なんとなくあいまいにおわることがおおい。
ただ、小説としてはもうすこしさきまで
はなしをつづけてほしかった。
これからというところでおわってしまい、
肩すかしされたかんじだ。
椎名誠の小説はこういうことがよくある。
このまえよんだ『ぱいかじ南海作戦』もそうだった。
あらかじめきめられていた連載期間であり、
ペース配分をあやまった、
ということもあるかもしれないが、
それよりも椎名誠の資質である
あきっぽさがそうさせているようにおもう。
かきたいことはあらかたかいたので、もうこれでいい、
というかんじなのだ。
以前は椎名誠の本というと、
エッセイや旅ものばかりよんでいた。
いまは、そうしたいろいろなものにむけている
膨大なエネルギーを、
もうすこし小説にそそいでもらえたらとおもう。
それは椎名誠のスタイルではないかもしれないが、
そんなことをねがいたくなるほど、
この『麦の道』はおもしろい本だった。