2011年12月19日

『ウメサオタダオと出あう』ーみんぱくつくってくれてありがとうございますー

注文していた『ウメサオタダオと出あう』
(小長谷有紀・小学館)がとどく。

去年の7月になくなった梅棹忠夫氏に関する特別展が
今年の3月10日から6月14日まで
民族学博物館(「みんぱく」)でひらかれ、
4万3000人の方々がおとずれている。
この本は、その展示会で来場者にアンケートとしてかいてもらった
「はっけんカード」をあつめたものである。

『知的生産の技術』以来のファンで、
あらためて先生のすごさをしった、みたいな感想だけでなく、
梅棹忠夫というひとについて
ほとんどしらなかった、というひともおおい。
そうしたひとたちが、
梅棹さんの業績にたいしてつよい興奮をしめし、
まえむきに生きるちからをもらったと感謝している。
1冊の本をとおしてよむこともなく、
梅棹さんの仕事の本質をみぬけるというのは、
いったいどうしたことだろう。
展示のうまさにくわえて、
梅棹さんがエネルギーをかたむけてきたさまざまなことがらが、
ほんとうに普遍的な魅力をもっていることのあらわれだろうか。
ずっと梅棹さんの本をよんできたわたしにとって、
なにもしらずに特別展にきたひとが、
展示をみただけでこころをうごかせることにおどろいてしまう。

6歳の男の子がかいた「はっけんカード」がすごい。

 ウメサオタダオせんせいへ、
みんぱく、たのしかったです。
ビデオとてもたのしかったです。
みんぱくつくってくれてありがとうございます。

小長谷さんがコメントにかいているように、
こんな感想を6歳の子がいってくれたことをしったら、
梅棹さんはどんなにうれしかっただろう。
こんなことがかけるこの子もすごいし、
この子にこんなことをかかせる梅棹さんもすごい。

わたしもこの「ウメサオタダオ展」へ4月にでかけている
(「はっけんカード」にはなにもかかなかったけど)。
20代からずっと梅棹さんの著作をよみ、
「こざね」をつかった文章のかき方や
「人生に目的はない」という独特の人生論、
そしてヨーロッパと日本は、
地理的必然性から平行に発展したという「文明の生態史観」など、
さまざまな点においてすくらからぬ影響をうけてきた。
いまかいている、こうしたブログなども、
梅棹さんはずっとまえから

「教育がたいへん普及したということの結果なんですが、
それによって自分でも本をよむし、自分自身かくようになった。
かく結果、作品がいっぱいでてくるわけです。
しかし、よむひとはごく少数である。
つまり、かくことに値うちがあるんだという文学ですね。
だれもよまない小説というようなものがいっぱいでてくる。
印刷もされないかもしれない。
印刷されても、だれもよまないかもしれない。
(中略)
ごついものをがんばってかいて、ああできた。
ところがだれもよまない。
しかし、それでちっともかまわないではないか」
(『わたしの生きがい論』より)

といういいかたで、
「人生をつぶす」という生活の形態を予想していた。
だれかがよんでくれるからうれしい、というブログが、
だんだんと本質をつきつめていくと、
だれもよんでくれなくてもかく、
かくことで、そのひとの時間がみたされる、
というものになっていく。

よめばよむほど梅棹さんの本には魅力がある。
わたしは梅棹さんのおかげで
ずいぶん生きるのがらくになったし、
道をふみまちがえたともいえる。
梅棹さんのかんがえ方をしってしまったら、
こうした影響をうけるのはさけがたいことであり、
自分なりに解釈した結果の責任をとらなければならない。

posted by カルピス at 23:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする