ちょっとした事情から、
以前つとめていた事業所の生活介護を
しばらくのあいだ手つだうことになった。
ひさしぶりというか、
事業所をひっこししてからは
はじめてのかかわりとなるので、
なにもわからない新人職員みたいなものだ。
きょう気づいたことは以下のとおり。
20人ちかくの利用者があるので、
うごきをつくるのがたいへんそうだ。
いちにちごとに活動を計画する「担当職員」がきまっていて、
その職員の主導により、3つのグループにわかれて
活動することになっている。
きょうみたところでは、
ただわかれているだけであって、
中心となって仕事をすすめていく職員が
きまっていないあいまいさをかんじた。
はっきりとした「仕事」となっていないグループがあり、
「仕事」ではないので、その日の目標や
さきのみとおしなどがあいまいで、緊張感がない。
その時間の活動にとりくむとき、
どれだけやれば「おわり」で、
つぎはなにかというみとおしがわかりにくい。
自立課題にとりくむ利用者がおられるのに、
いちにちの活動、自立課題のながれがしめされていない。
自分がいまなにをしたらいいのかわからないときは、
どうしてもおちつきのないうごきがでて、
まわりにも影響をおよぼす。
PECSが有効におもえる利用者の方がおられた。
わたしが手つだいにはいるあいだに
ぜひためしてみたい。
わたしが担当するなら、どういう配慮をするだろう。
批判ばかりではなく、自分の事業所ならどうとりくむかを
いつもかんがえていきたい。
2012年01月31日
2012年01月30日
『争うは本意ならねど』(木村元彦・集英社インターナショナル)
川崎フロンターレでプレーしていた我那覇選手が
2007年にドーピングのえん罪事件にまきこまれる。
この事件についてなんとなくしっていた。
記者会見にのぞむ我那覇の誠実なことばとはうらはらに、
新聞にでているJリーグ側の硬直した強弁がみにくかった。
体調不良のときにうった点滴注射を、
ニンニク注射と誤報されたのがことのほったんだ。
治療にあたったフロンターレの医師と我那覇選手が、
いくらニンニク注射はうってないといっても
Jリーグ側にぜんぜんきいてもらえない。
いちどくいちがった歯車は、
くいちがったまままわりつづけ、
とめることができない。
まったく、ありえないような
ほんとにバカバカしいはなしなのに、
いったん我那覇に罪をかぶせたJリーグ側は
わかっていながらあやまちをごりおししようとする。
我那覇とフロンターレの担当医をまもろうとする医師団は、
Jリーグ側の判定に意義をとなえ、事実をあかそうとする。
それを、Jリーグの医事委員会の青木委員長は
ああいえばこういうで、詭弁をつかい、解釈をねじまげ、
なんだかんだとへりくつをたれるのだ。
本の前半は、よんでいてつらかった。
この、青木委員長というひとはすごく弁がたち、
たくみに論点をそらしてしまう。
頭のいいひとが、悪意でその才能をつかうと、
おとしいれられるほうはたまったものではない。
こういう人間が権力をもつ側にはたくさんいるのだ、きっと。
おおくのひとの支援(医師団・選手会・各チームのサポーター・沖縄の支援者など)をうけ、
もちろんもともと無実だったのだから当然とはいえ、
我那覇は最高決議機関のCASから潔白の判定をうける。
著者の木村さんは
としている。
ほんとうにそうで、
我那覇をはじめ、この問題をひとごとにしなかったひとたちにより、
Jリーグ、そして日本のスポーツ界はすくわれたのだ。
それをこじらせ、フェアプレーをおこたったのは
Jリーグの権力をにぎるひとたちだった。
Jリーグ側はいまだに我那覇に謝罪していないし、
フロンターレに1000万円の制裁金をかえしてもいない。
わたしがだいすきなサッカーをけがすのが、
当のサッカー協会という組織そのものであり、
その中心にいすわるひとたちであることにとても腹がたつ。
木村元彦さんがこの本をかいてくれたことに感謝したい。
権力によっておさえられようとする側にたち、
事実をあきらかにし、
それをわたしたちにしらせてくれた。
こういう本をだせるのが真のジャーナリストだ。
医師団・サポーター、そして
おおくのサッカーを愛するひとたちによって
「Jリーグ問題」はなんとか最悪の事態をまぬがれた。
わたしは我那覇の勇気と、
それをささえたたくさんのサッカーを愛するひとたちに感謝する。
2007年にドーピングのえん罪事件にまきこまれる。
この事件についてなんとなくしっていた。
記者会見にのぞむ我那覇の誠実なことばとはうらはらに、
新聞にでているJリーグ側の硬直した強弁がみにくかった。
体調不良のときにうった点滴注射を、
ニンニク注射と誤報されたのがことのほったんだ。
治療にあたったフロンターレの医師と我那覇選手が、
いくらニンニク注射はうってないといっても
Jリーグ側にぜんぜんきいてもらえない。
いちどくいちがった歯車は、
くいちがったまままわりつづけ、
とめることができない。
まったく、ありえないような
ほんとにバカバカしいはなしなのに、
いったん我那覇に罪をかぶせたJリーグ側は
わかっていながらあやまちをごりおししようとする。
我那覇とフロンターレの担当医をまもろうとする医師団は、
Jリーグ側の判定に意義をとなえ、事実をあかそうとする。
それを、Jリーグの医事委員会の青木委員長は
ああいえばこういうで、詭弁をつかい、解釈をねじまげ、
なんだかんだとへりくつをたれるのだ。
本の前半は、よんでいてつらかった。
この、青木委員長というひとはすごく弁がたち、
たくみに論点をそらしてしまう。
頭のいいひとが、悪意でその才能をつかうと、
おとしいれられるほうはたまったものではない。
こういう人間が権力をもつ側にはたくさんいるのだ、きっと。
おおくのひとの支援(医師団・選手会・各チームのサポーター・沖縄の支援者など)をうけ、
もちろんもともと無実だったのだから当然とはいえ、
我那覇は最高決議機関のCASから潔白の判定をうける。
著者の木村さんは
もうこの2007年のドーピングをめぐる事件を『我那覇問題』と記することに終止符を打つべきである。
何となれば、責任をはっきりさせるならば、これは『青木問題』であり、『鬼武問題』であり、『川淵問題』であるからである。
としている。
ほんとうにそうで、
我那覇をはじめ、この問題をひとごとにしなかったひとたちにより、
Jリーグ、そして日本のスポーツ界はすくわれたのだ。
それをこじらせ、フェアプレーをおこたったのは
Jリーグの権力をにぎるひとたちだった。
Jリーグ側はいまだに我那覇に謝罪していないし、
フロンターレに1000万円の制裁金をかえしてもいない。
わたしがだいすきなサッカーをけがすのが、
当のサッカー協会という組織そのものであり、
その中心にいすわるひとたちであることにとても腹がたつ。
木村元彦さんがこの本をかいてくれたことに感謝したい。
権力によっておさえられようとする側にたち、
事実をあきらかにし、
それをわたしたちにしらせてくれた。
こういう本をだせるのが真のジャーナリストだ。
医師団・サポーター、そして
おおくのサッカーを愛するひとたちによって
「Jリーグ問題」はなんとか最悪の事態をまぬがれた。
わたしは我那覇の勇気と、
それをささえたたくさんのサッカーを愛するひとたちに感謝する。
2012年01月29日
大阪女子国際マラソンは日東電工がメインスポンサーです
大阪女子国際マラソンをみる。
トラックランナーとしてのスピードをもつ
福士に注目があつまっていたが、
重友が26キロでぬけだすとそのまま独走をつづけ、
2時間23分でゴールした。
168センチという身長をいかした
のびのあるきれいな重友のフォームが印象にのこる。
30キロをすぎると表情はくるしそうになるものの、
はしりのリズムはかわらない。
ひとりでレースをつくり、安定したはしりを
さいごまでつづけた気もちのつよさはみごとだった。
じゅうぶんな量を練習でこなしたので、
距離についての不安はなかったそうだけど、
それでも2回目のマラソンで15キロを独走するなんて
なかなかできることではない。
優勝インタビューでははずかしそうに、
でもうれしさを素直にあらわして
質問にこたえているところがすてきだった。
はやいペースでレースがすすんだとはいっても、
福士にとってそれほど無理なスピードではなかったはずなのに、
25キロでガクッと失速してしまった。
しっかり準備をつんでいても、
その日の気象条件や自分のコンディション、
それにレースによって順位あらそいなのか、
タイムをねらう展開になるのかがちがってくる。
それまでかろやかにはしっていた選手が、
ある時点できゅうにスピードがおち、
集団からおいていかれるところをみるたびに
距離がもたらすマラソンの非情さをかんじる。
それがまたマラソンの魅力だ。
CMとしてながれる「日東電工社員マラソン」がおもしろかった。
メインスポンサーの日東電工が
2010年からはじめているシリーズなのだそうで、
本レースと平行するように社員マラソンおこなわれて、
作業服の日東電工社員(たぶん)がマラソンコースをはしる。
レースがすすむにつれておこる
いろいろな出来事がそのままCMとなり、
日東電工という会社の
たのしそうな雰囲気がつたわってくる。
きょねんのCMをみてみると、
1人の社員が競技場にかけこんできて、
ゴールかとおもったら遅刻してやっとスタートするところだったり、
エイドステーションで水をとりそこねた女性職員に、
上司らしいひとが自分が口をつけたストローつきのコップをわたすと、
その女性はなかなか口をつけることができず、もてあましてる、
という2つがよかった。
「日東電工は、みんなでなかよく
大阪女子国際マラソンを応援しています」なのだそうだ。
トラックランナーとしてのスピードをもつ
福士に注目があつまっていたが、
重友が26キロでぬけだすとそのまま独走をつづけ、
2時間23分でゴールした。
168センチという身長をいかした
のびのあるきれいな重友のフォームが印象にのこる。
30キロをすぎると表情はくるしそうになるものの、
はしりのリズムはかわらない。
ひとりでレースをつくり、安定したはしりを
さいごまでつづけた気もちのつよさはみごとだった。
じゅうぶんな量を練習でこなしたので、
距離についての不安はなかったそうだけど、
それでも2回目のマラソンで15キロを独走するなんて
なかなかできることではない。
優勝インタビューでははずかしそうに、
でもうれしさを素直にあらわして
質問にこたえているところがすてきだった。
はやいペースでレースがすすんだとはいっても、
福士にとってそれほど無理なスピードではなかったはずなのに、
25キロでガクッと失速してしまった。
しっかり準備をつんでいても、
その日の気象条件や自分のコンディション、
それにレースによって順位あらそいなのか、
タイムをねらう展開になるのかがちがってくる。
それまでかろやかにはしっていた選手が、
ある時点できゅうにスピードがおち、
集団からおいていかれるところをみるたびに
距離がもたらすマラソンの非情さをかんじる。
それがまたマラソンの魅力だ。
CMとしてながれる「日東電工社員マラソン」がおもしろかった。
メインスポンサーの日東電工が
2010年からはじめているシリーズなのだそうで、
本レースと平行するように社員マラソンおこなわれて、
作業服の日東電工社員(たぶん)がマラソンコースをはしる。
レースがすすむにつれておこる
いろいろな出来事がそのままCMとなり、
日東電工という会社の
たのしそうな雰囲気がつたわってくる。
きょねんのCMをみてみると、
1人の社員が競技場にかけこんできて、
ゴールかとおもったら遅刻してやっとスタートするところだったり、
エイドステーションで水をとりそこねた女性職員に、
上司らしいひとが自分が口をつけたストローつきのコップをわたすと、
その女性はなかなか口をつけることができず、もてあましてる、
という2つがよかった。
「日東電工は、みんなでなかよく
大阪女子国際マラソンを応援しています」なのだそうだ。
2012年01月28日
大震災からもうすぐ1年
「松江市民から支援する会 2012キックオフ」に参加する。
これは、「東日本大震災 松江市民から支援する会」が主催したもので、
もうすぐ1年がたとうとしている東日本大震災について、
これまでにとりくんできた事例の報告と、
これからのうごきについてはなしをされた。
わすれないのがいちばん大事、
なんてわかったようなことをいいながら、
わたしの意識のなかから震災がずいぶんとおのいていた。
県社協のよびかけにおうじ、
「災害ボランティア隊」に参加したのがきょねんの8月で、
そのときにすでに震災から5ヶ月がたっていた。
きょうの会は、それからまた5ヶ月後のこととなる。
被災地への支援をやってるひとは地道な活動をつづけているのに
(たとえば「ほぼ日」の「気仙沼のほぼ日」)、
わたしがしたのはその8月にいったボランティアぐらいだ。
地元でも支援する会がたくさんたちあがっていて、
そのつもりになれば協力できることはおおい。
ひとにまかせっぱなしにしてきたツケで、
すごく肩身のせまいおもいで
きょうの会のはなしをきいていた。
お手軽な反省ではなく、自分でほんとにうごいていこう。
これは、「東日本大震災 松江市民から支援する会」が主催したもので、
もうすぐ1年がたとうとしている東日本大震災について、
これまでにとりくんできた事例の報告と、
これからのうごきについてはなしをされた。
わすれないのがいちばん大事、
なんてわかったようなことをいいながら、
わたしの意識のなかから震災がずいぶんとおのいていた。
県社協のよびかけにおうじ、
「災害ボランティア隊」に参加したのがきょねんの8月で、
そのときにすでに震災から5ヶ月がたっていた。
きょうの会は、それからまた5ヶ月後のこととなる。
被災地への支援をやってるひとは地道な活動をつづけているのに
(たとえば「ほぼ日」の「気仙沼のほぼ日」)、
わたしがしたのはその8月にいったボランティアぐらいだ。
地元でも支援する会がたくさんたちあがっていて、
そのつもりになれば協力できることはおおい。
ひとにまかせっぱなしにしてきたツケで、
すごく肩身のせまいおもいで
きょうの会のはなしをきいていた。
お手軽な反省ではなく、自分でほんとにうごいていこう。
2012年01月27日
なにかをはじめるには、やめることをきめる
『ウェブ時代をゆく』のなかで梅田さんが
「『時間のつかい方の優先順位』を変えるにはまず
『やめることを先に決める』こと」とかいておられる。
これはわりとよく耳にするかんがえかたで、
わかっていながら、わたしはこれがなかなかできない。
よさそうなことにであうと、
なんでもためしてみるのにそれが根づかないのも、
なにかをやめずにとりかかってしまうからだ。
とはいうものの、いまぐらい自分のために
時間をつかえるときはそうないのに、
なんでこんなに勉強も読書もはかどらないのだろう。
毎日はたらいているわけではないし、
主夫をしてるといっても合計で2時間ほどのことだ。
「ほぼ日カズン」をかって、
1週間をとおした予定をたてられるようになったのだから、
その日にやること、その週にやることを具体的に計画して、
それをコツコツとつみあげていけばいいだけなのに。
「生きてるだけでまるもうけ」というかんがえ方がすきで、
その日その日をつつがなくすごせれば、とおもいつつ、
さすがにこの状態はよくないという自覚がある。
老化による気力・体力の低下とともに、
ほっておいたら状況はもっとひどくなるだろう。
仕事をすすめるのがじょうずなひとは、
すきま時間を有効にいかせることと、
おおきな仕事をするときには
時間のかたまりを確保できるひとだろう。
いわゆる「カンヅメ」状態を自分でつくる。
いまのわたしには、そのどちらもかけているので
中途半端な「自由な日々」におわっている。
具体的な目標の設定と、
やめることの選択がわたしの課題だ。
「『時間のつかい方の優先順位』を変えるにはまず
『やめることを先に決める』こと」とかいておられる。
これはわりとよく耳にするかんがえかたで、
わかっていながら、わたしはこれがなかなかできない。
よさそうなことにであうと、
なんでもためしてみるのにそれが根づかないのも、
なにかをやめずにとりかかってしまうからだ。
とはいうものの、いまぐらい自分のために
時間をつかえるときはそうないのに、
なんでこんなに勉強も読書もはかどらないのだろう。
毎日はたらいているわけではないし、
主夫をしてるといっても合計で2時間ほどのことだ。
「ほぼ日カズン」をかって、
1週間をとおした予定をたてられるようになったのだから、
その日にやること、その週にやることを具体的に計画して、
それをコツコツとつみあげていけばいいだけなのに。
「生きてるだけでまるもうけ」というかんがえ方がすきで、
その日その日をつつがなくすごせれば、とおもいつつ、
さすがにこの状態はよくないという自覚がある。
老化による気力・体力の低下とともに、
ほっておいたら状況はもっとひどくなるだろう。
仕事をすすめるのがじょうずなひとは、
すきま時間を有効にいかせることと、
おおきな仕事をするときには
時間のかたまりを確保できるひとだろう。
いわゆる「カンヅメ」状態を自分でつくる。
いまのわたしには、そのどちらもかけているので
中途半端な「自由な日々」におわっている。
具体的な目標の設定と、
やめることの選択がわたしの課題だ。
2012年01月26日
『観察眼』(遠藤保仁・今野泰幸)
『観察眼』(遠藤保仁・今野泰幸/角川ONEテーマ21)
今野選手はザッケローニ監督にかわってからの全試合に
センターバックとして出場していることで注目されている。
それまであまりはなやかなイメージはなかったひとに、
やっと光があたった、みたいなかんじだ。
遠藤選手は日本代表にかかせないボランチとして、
かえのきかない存在となっている。
しかし、その遠藤選手も、2006年のドイツ大会では、
フィールドプレーヤーとしてはただひとり
試合にでられなかったという屈辱をあじわっている。
けして陽のあたるところばかりをあるいてきたわけではない。
2人とも、日本代表の中心選手としてつかわれるようになったのは、
オシム監督になってからといえる。
オシム監督のすきなわたしにとって、
中村憲剛や駒野とともに、
オシム時代をおもいおこさせてくれるうれしい存在なので、
おつきあいとして本書をかった。
2人が2010年のW杯南アフリカ大会をふりかえったとき、
日本の実力についての認識がずいぶんちがう。
客観的で冷静な分析がいかにも遠藤選手らしい。
気おうことなくいつもちからがぬけていて、
どんな場面でもどうじることがない。
まあ、そうでないとコロコロPKなんてけれないだろうけど。
2人はとても仲がいいそうで、
「日本サッカーへの提言」がおかしかった。
遠藤選手のかるさがつたわってくるいいはなしだ。
本書が出版されるタイミングとして、すごく都合のいいことに、
今野選手が遠藤選手のいるガンバへ移籍することがきまった。
ボールをつないでいくセンターバックとして
今野選手はガンバのスタイルとあっているかもしれない。
気のあう2人が、西野監督がいなくなったガンバをどうひっぱっていくか、
今シーズンのJリーグのたのしみのひとつだ。
今野選手はザッケローニ監督にかわってからの全試合に
センターバックとして出場していることで注目されている。
それまであまりはなやかなイメージはなかったひとに、
やっと光があたった、みたいなかんじだ。
遠藤選手は日本代表にかかせないボランチとして、
かえのきかない存在となっている。
しかし、その遠藤選手も、2006年のドイツ大会では、
フィールドプレーヤーとしてはただひとり
試合にでられなかったという屈辱をあじわっている。
けして陽のあたるところばかりをあるいてきたわけではない。
2人とも、日本代表の中心選手としてつかわれるようになったのは、
オシム監督になってからといえる。
オシム監督のすきなわたしにとって、
中村憲剛や駒野とともに、
オシム時代をおもいおこさせてくれるうれしい存在なので、
おつきあいとして本書をかった。
2人が2010年のW杯南アフリカ大会をふりかえったとき、
日本の実力についての認識がずいぶんちがう。
今野 僕は、もっと上に行けると思っていたんで
期待していたんですけどね。
カメルーン戦に勝って勢いに乗ったし、
守備的な戦術がチームにフィットして、
どのチームと対戦してもハマっていたんで。
パラグアイ戦も余裕で勝てるって思ったんですけど・・・・
遠藤 試合には勝っていたけど、
どの試合もチャンスはほとんどなかったし、
内容もそんなに良くなかったでしょ。
俺は、パラグアイに点を取れないでPK戦で負けたことが、
日本の現状の実力なんだなって真摯に受け止めていたよ。
(中略)
まあ守備だけだと、あそこ(ベスト16)が
限界ということでしょ。
客観的で冷静な分析がいかにも遠藤選手らしい。
気おうことなくいつもちからがぬけていて、
どんな場面でもどうじることがない。
まあ、そうでないとコロコロPKなんてけれないだろうけど。
2人はとても仲がいいそうで、
「日本サッカーへの提言」がおかしかった。
今野 僕も「日本サッカーへの提言」を言うんですか?
遠藤 ぶった斬れ!
今野 ここ、斬るところ?うーん、あまり考えたことないですね。
遠藤 FC東京の風呂の改善とか?(笑)
今野 (笑)あれ、どうにかしてほしい。
先日もシャワー止まったんです。
チョロチョロってしか水がでなかった。
でも、それ、日本サッカーと関係ないじゃないですか。
遠藤 やっぱりぶった斬れ!
遠藤選手のかるさがつたわってくるいいはなしだ。
本書が出版されるタイミングとして、すごく都合のいいことに、
今野選手が遠藤選手のいるガンバへ移籍することがきまった。
ボールをつないでいくセンターバックとして
今野選手はガンバのスタイルとあっているかもしれない。
気のあう2人が、西野監督がいなくなったガンバをどうひっぱっていくか、
今シーズンのJリーグのたのしみのひとつだ。
2012年01月25日
「百歳までの新読書術!」ー老眼とどうつきあっていくかー
『本の雑誌』2月号の特集は「百歳までの新読書術!」だ。
タイトルはいさましいけれど、
特集のおおくは老化にともなう
気力・体力のおとろえについてかかれている。
老化は、わかいころにイメージしていたものとは、
ぜんぜんちがういきおいと迫力でせまってくるようだ。
「歳をとったら、あるいは老後には、
この本を、あの本を読もう、
版切れになる前に今のうちに買っておこう、
と思われている善男善女に
まずおせっかいな釘を刺しておきたい。
老人の物理的ハードルのたかさは予想外なのだ。
読みたいと思った本があったら、
その時に読むのが一番」(田口久美子)
わたしもまさにそうかんがえて
すくなからぬ本を老後のために用意しているのに。
そうか、歳をとったら本をよむコンディションを維持できないのか。
生きているだけでせいいっぱい、
なんてまるで予想してなかったことだ。
老眼についても2つの記事がのせられている。
どんなふうに老眼がしのびよってくるかという体験談と、
老眼にとって、どの文庫本がよみやすいかという
(フォント・文字のおおきさ・行間など)よみくらべだ。
この調査によると、字が大きければいいというものではないらしい。
「小さい字だって老眼鏡をかければ読めるんだよ」
とよみくらべをした68歳の男性がはなしている
(ひとりの男性だけの「調査」なので、
どれだけ一般的なことなのか、たしかでない。
かんがえてみれば、まわりに老眼鏡をつかうひとはたくさんいるだろうから、
編集部はもっとたくさんのひとにきいて裏をとればいいのに)。
まだ老眼鏡はつかっていないものの、
あきらかにちいさな字が
よみにくくなってきているわたしにとって、
老眼は切実な問題だ。
本屋さんで本をかうときにも、
自分によめる紙面かどうかを
まず確認するようになった。
いくらおもしろそうな本でも、
あまりにもちいさな活字のときは、
すんなりあきらめることになる。
1ページよんだだけで目がしょぼしょぼするような本をかっても、
おわりまでよめるわけがないから。
電子書籍は、そんなわたしにとって
とてもいいタイミングであらわれてくれた。
もうすこし市場が成熟して、
たくさんの本があつかわれるようになれば、
「百歳まで」の読書に間にあいそうだ。
電子書籍なら活字のおおきさをかえられるし、
キンドルなどの電子ペーパーは
目のつかれもすくないという
(きのうかいた「本屋さんで本をかう」ことと、
はやくも矛盾してしまうのはこまったことだ)。
状況は、あんがい老人に都合のいいように
かわっていくかもしれない。
角川の新書についていたしおりに、
「大きな活字で読みやすい」とかかれている。
これから人口にしめる若年齢者がへっていくのだから、
老眼をかかえた年代をたいせつなお客さんとかんがえないと
本はうれなくなるだろう。
ほっておいても、だんだん活字はおおきくなっていくにちがいない。
村上春樹がどこかに、
「まだ老眼鏡がなくても本がよめる」とかいていた。
62歳でも老眼になってないひともいるのだ。
わたしだって、できるなら老眼鏡はかけたくないので、
照明に工夫したり電子書籍にたよったりして、
ギリギリまであがくことだろう。
そうやってだんだん本からはなれていくのだろうか。
タイトルはいさましいけれど、
特集のおおくは老化にともなう
気力・体力のおとろえについてかかれている。
老化は、わかいころにイメージしていたものとは、
ぜんぜんちがういきおいと迫力でせまってくるようだ。
「歳をとったら、あるいは老後には、
この本を、あの本を読もう、
版切れになる前に今のうちに買っておこう、
と思われている善男善女に
まずおせっかいな釘を刺しておきたい。
老人の物理的ハードルのたかさは予想外なのだ。
読みたいと思った本があったら、
その時に読むのが一番」(田口久美子)
わたしもまさにそうかんがえて
すくなからぬ本を老後のために用意しているのに。
そうか、歳をとったら本をよむコンディションを維持できないのか。
生きているだけでせいいっぱい、
なんてまるで予想してなかったことだ。
老眼についても2つの記事がのせられている。
どんなふうに老眼がしのびよってくるかという体験談と、
老眼にとって、どの文庫本がよみやすいかという
(フォント・文字のおおきさ・行間など)よみくらべだ。
この調査によると、字が大きければいいというものではないらしい。
「小さい字だって老眼鏡をかければ読めるんだよ」
とよみくらべをした68歳の男性がはなしている
(ひとりの男性だけの「調査」なので、
どれだけ一般的なことなのか、たしかでない。
かんがえてみれば、まわりに老眼鏡をつかうひとはたくさんいるだろうから、
編集部はもっとたくさんのひとにきいて裏をとればいいのに)。
まだ老眼鏡はつかっていないものの、
あきらかにちいさな字が
よみにくくなってきているわたしにとって、
老眼は切実な問題だ。
本屋さんで本をかうときにも、
自分によめる紙面かどうかを
まず確認するようになった。
いくらおもしろそうな本でも、
あまりにもちいさな活字のときは、
すんなりあきらめることになる。
1ページよんだだけで目がしょぼしょぼするような本をかっても、
おわりまでよめるわけがないから。
電子書籍は、そんなわたしにとって
とてもいいタイミングであらわれてくれた。
もうすこし市場が成熟して、
たくさんの本があつかわれるようになれば、
「百歳まで」の読書に間にあいそうだ。
電子書籍なら活字のおおきさをかえられるし、
キンドルなどの電子ペーパーは
目のつかれもすくないという
(きのうかいた「本屋さんで本をかう」ことと、
はやくも矛盾してしまうのはこまったことだ)。
状況は、あんがい老人に都合のいいように
かわっていくかもしれない。
角川の新書についていたしおりに、
「大きな活字で読みやすい」とかかれている。
これから人口にしめる若年齢者がへっていくのだから、
老眼をかかえた年代をたいせつなお客さんとかんがえないと
本はうれなくなるだろう。
ほっておいても、だんだん活字はおおきくなっていくにちがいない。
村上春樹がどこかに、
「まだ老眼鏡がなくても本がよめる」とかいていた。
62歳でも老眼になってないひともいるのだ。
わたしだって、できるなら老眼鏡はかけたくないので、
照明に工夫したり電子書籍にたよったりして、
ギリギリまであがくことだろう。
そうやってだんだん本からはなれていくのだろうか。
2012年01月24日
本屋さんのない町にはすみたくない
23日の朝日新聞に、
「ネットで買えぬ価値 守る住民」という題で、
アメリカのポーツマスという町でおきた
本屋さんをめぐるできごとが紹介されていた。
借金をかかえた店主が廃業しようとしたところ、
住民がたちあがって本屋をつづけるうごきをした、という内容だ。
日本でもアメリカでも、本屋さんでかうよりアマゾンに注文したり、
紙の本からキンドルやiPadにのりかえるひとがふえ、
おおくの店が廃業においこまれている。
たしかにネットによる注文は便利だし、そのうえにやすいとなると、
本屋さんのうりあげがへっていくのはさけられない現象におもえる。
しかし、ものごとには二面性があって、
アマゾンやキンドルのほうが便利でやすいけど、
だからといって、自分のすむ町に本屋さんがないのは
さみしいとおもうひとがおおい。
新聞の記事では、
「アマゾンの大ファンで日用雑貨はどんどん買いますが、
かなり悩んだ末、本を買う習慣だけは断ちました。
書店が消えると本当に困るんです」という、
ポーツマスにすむひとの意見がのっている。
『本の雑誌』や「WEB本の雑誌」をよんでいると、
いまの日本の本屋さんと出版社が
そうとうひどい状況におかれていることがわかる。
『1Q84』や「ワンピース」など、
よくうれる本はほんのわずかでしかない。
おおくの店がなんとかギリギリの状況でつづけており、
営業で本屋さんをまわっていると、
「本はうれずに仕事がふえるいっぽう」
というはなしをきくことがおおいそうだ。
そして、この数年だけでもたくさんの店が廃業している。
わたしのすむ町はまだましなほうかもしれない。
ちいさな本屋さんは1店をのこして
あとは全部やめてしまったけど、
ある程度のひろさのある店がそれでもまだ7店ある。
ポーツマスのひととおなじように、
わたしも本屋さんのない町にはすみたくない。
もし全部の店がなくなったら、
どれだけわたしの生活はたのしみのないものになるだろう。
でありながら、これまでわたしは
本屋さんのことをなにもかんがえないで
ネット注文を利用していた。
新聞の記事には
「いくらデジタルが便利でも、
私たちの暮らしには消えていいものと、
消してはいけないものとがある」
とうったえている。
本をかうのはもちろんとしても、
本屋さんをつづけてもらうためにわたしたちができることは
ほかにどんなことがあるだろう。
『デフレの正体』(藻谷浩介・角川書店)には、
経済が「人口の波」でうごくことが紹介されている。
消費人口の減少による消費のひえこみこそがデフレの原因であり、
景気がよくなれば経済はよくなる、というのは妄想にすぎないそうだ。
いまいちばん数のおおい年代は団塊ジュニアの35〜40の層であり、
この層が定年をむかえると、いまよりももっと状況はわるくなる。
これから20年ほどで確実におとずれる「人口の波」の移動だ。
本屋さんにとって、そして本ずきの人間にとって、
ほんとうにたいへんなのはこれからかもしれない。
「ネットで買えぬ価値 守る住民」という題で、
アメリカのポーツマスという町でおきた
本屋さんをめぐるできごとが紹介されていた。
借金をかかえた店主が廃業しようとしたところ、
住民がたちあがって本屋をつづけるうごきをした、という内容だ。
日本でもアメリカでも、本屋さんでかうよりアマゾンに注文したり、
紙の本からキンドルやiPadにのりかえるひとがふえ、
おおくの店が廃業においこまれている。
たしかにネットによる注文は便利だし、そのうえにやすいとなると、
本屋さんのうりあげがへっていくのはさけられない現象におもえる。
しかし、ものごとには二面性があって、
アマゾンやキンドルのほうが便利でやすいけど、
だからといって、自分のすむ町に本屋さんがないのは
さみしいとおもうひとがおおい。
新聞の記事では、
「アマゾンの大ファンで日用雑貨はどんどん買いますが、
かなり悩んだ末、本を買う習慣だけは断ちました。
書店が消えると本当に困るんです」という、
ポーツマスにすむひとの意見がのっている。
『本の雑誌』や「WEB本の雑誌」をよんでいると、
いまの日本の本屋さんと出版社が
そうとうひどい状況におかれていることがわかる。
『1Q84』や「ワンピース」など、
よくうれる本はほんのわずかでしかない。
おおくの店がなんとかギリギリの状況でつづけており、
営業で本屋さんをまわっていると、
「本はうれずに仕事がふえるいっぽう」
というはなしをきくことがおおいそうだ。
そして、この数年だけでもたくさんの店が廃業している。
わたしのすむ町はまだましなほうかもしれない。
ちいさな本屋さんは1店をのこして
あとは全部やめてしまったけど、
ある程度のひろさのある店がそれでもまだ7店ある。
ポーツマスのひととおなじように、
わたしも本屋さんのない町にはすみたくない。
もし全部の店がなくなったら、
どれだけわたしの生活はたのしみのないものになるだろう。
でありながら、これまでわたしは
本屋さんのことをなにもかんがえないで
ネット注文を利用していた。
新聞の記事には
「いくらデジタルが便利でも、
私たちの暮らしには消えていいものと、
消してはいけないものとがある」
とうったえている。
本をかうのはもちろんとしても、
本屋さんをつづけてもらうためにわたしたちができることは
ほかにどんなことがあるだろう。
『デフレの正体』(藻谷浩介・角川書店)には、
経済が「人口の波」でうごくことが紹介されている。
消費人口の減少による消費のひえこみこそがデフレの原因であり、
景気がよくなれば経済はよくなる、というのは妄想にすぎないそうだ。
いまいちばん数のおおい年代は団塊ジュニアの35〜40の層であり、
この層が定年をむかえると、いまよりももっと状況はわるくなる。
これから20年ほどで確実におとずれる「人口の波」の移動だ。
本屋さんにとって、そして本ずきの人間にとって、
ほんとうにたいへんなのはこれからかもしれない。
2012年01月23日
カオ・マン・ガイ(ゆで鶏ごはん)
タイ米をつかってつくる料理のふたつめ。
タイでは店先にゆでたニワトリがまるごとぶらさげてあり、
注文をうけるとでかい包丁でパパパッと
たべやすいおおきさにきってご飯のうえにならべてくれる。

このご飯は鶏ガラスープでたいたものらしいけど、
今回はやきめしのうえに肉をのせる
(鶏肉にかけるタレの材料がそろわなかったということもある)。
鶏もゆでたものではなく、
タレにつけたもも肉をオーブンでやいている。
にゃんこ飯みたいなみかけのわりにはおいしくできた。
タイを旅行したしりあいのブログをみていたら、
「プラーヌンシーウ(魚の丸揚げ)」
「クントートクラテイアム(海老のニンニク揚げ)」
「チムチュム(シーフード鍋)」
と、おいしそうな写真がのせてあった。
ひとりで旅行しても、そうやって豪華な食事をする手もある。
わたしはカオ・マン・ガイとか
クティアオ・ナン(うどん)とか、
おなじようなものばかりたべていた。
貧乏性なので、どこにいっても
いわゆるごちそうを注文することができない。
タイでは店先にゆでたニワトリがまるごとぶらさげてあり、
注文をうけるとでかい包丁でパパパッと
たべやすいおおきさにきってご飯のうえにならべてくれる。
このご飯は鶏ガラスープでたいたものらしいけど、
今回はやきめしのうえに肉をのせる
(鶏肉にかけるタレの材料がそろわなかったということもある)。
鶏もゆでたものではなく、
タレにつけたもも肉をオーブンでやいている。
にゃんこ飯みたいなみかけのわりにはおいしくできた。
タイを旅行したしりあいのブログをみていたら、
「プラーヌンシーウ(魚の丸揚げ)」
「クントートクラテイアム(海老のニンニク揚げ)」
「チムチュム(シーフード鍋)」
と、おいしそうな写真がのせてあった。
ひとりで旅行しても、そうやって豪華な食事をする手もある。
わたしはカオ・マン・ガイとか
クティアオ・ナン(うどん)とか、
おなじようなものばかりたべていた。
貧乏性なので、どこにいっても
いわゆるごちそうを注文することができない。
2012年01月22日
再読『ウェブ時代をゆく』(梅田望夫・ちくま新書) 「好きを貫く」ことと「飯を食う」こと
きのうのブログにかいたように、
この本は『ウェブ進化論』の続編にして完結編である。
帯にかいてあるのは「では明日からどうしたらいいの?」
『ウェブ進化論』でインターネットによる革命的な変化をしらされ、
あたまにうかぶのは、ほんとにこの「ではどうしたらいいの?」だ。
本書では、「好きを貫く」「飯を食う」ことがくりかえし強調されている。
そして、そのために大切なことは
「突き詰めて言えばそれは
戦略性と勤勉さということに行き着く」と梅田さんはいう。
「『好き』なことの組み合わせを見つけたら
面倒なことでも延々と続ける勤勉さと、
それを面倒くさがらない持続力がカギを握る」
どんなところでも才能だけではだめで、
コツコツと努力することがもとめられるのが
意外というかおもしろい。
一発逆転はなく、すこしずつつみあげていくしかないのだ。
「好きを貫く」ことはけして簡単なことではないので、
本書では、そのことと「飯を食う」ことを
両立させていくための技術がかかれている。
梅田さんが自分の「好き」をかんがえたとき、
少年時代から私立探偵がすきだったことをおもいだしたのだそうだ。
そして、ホームズのなにに自分はそんなにひかれるのかを
つきつめてかんがえてみると、
「その結果見えてきた自分の指向性とは、
『ある専門性が人から頼りにされていて、
人からの依頼で何かが始まり急に忙しくなるが、
依頼がないときは徹底的に暇であること』だった」
というのがおもしろい。
梅田さんというとウェブ世界にくわしい
「きれもの」という印象があるのに、
もともとの指向性はあんがい子どもじみたものだったといえる。
ただ、その「好き」を「飯を食う」ことまでつらぬいたのは
「戦略性と勤勉さ」だったことがこの本をよんでみるとわかる。
ウェブ世界はあんがいだれもに平等にひらかれていて、
大切なことはほかの世界とおなじように「勤勉さ」であったり
「努力」であったりするふつうの世界かもしれない。
終章の題は「ウェブは自ら助くる者を助く」となっている。
なんだか、だいじなことって、どこでもあんまりかわらないみたいだ。
この本は『ウェブ進化論』の続編にして完結編である。
帯にかいてあるのは「では明日からどうしたらいいの?」
『ウェブ進化論』でインターネットによる革命的な変化をしらされ、
あたまにうかぶのは、ほんとにこの「ではどうしたらいいの?」だ。
本書では、「好きを貫く」「飯を食う」ことがくりかえし強調されている。
そして、そのために大切なことは
「突き詰めて言えばそれは
戦略性と勤勉さということに行き着く」と梅田さんはいう。
「『好き』なことの組み合わせを見つけたら
面倒なことでも延々と続ける勤勉さと、
それを面倒くさがらない持続力がカギを握る」
どんなところでも才能だけではだめで、
コツコツと努力することがもとめられるのが
意外というかおもしろい。
一発逆転はなく、すこしずつつみあげていくしかないのだ。
「好きを貫く」ことはけして簡単なことではないので、
本書では、そのことと「飯を食う」ことを
両立させていくための技術がかかれている。
梅田さんが自分の「好き」をかんがえたとき、
少年時代から私立探偵がすきだったことをおもいだしたのだそうだ。
そして、ホームズのなにに自分はそんなにひかれるのかを
つきつめてかんがえてみると、
「その結果見えてきた自分の指向性とは、
『ある専門性が人から頼りにされていて、
人からの依頼で何かが始まり急に忙しくなるが、
依頼がないときは徹底的に暇であること』だった」
というのがおもしろい。
梅田さんというとウェブ世界にくわしい
「きれもの」という印象があるのに、
もともとの指向性はあんがい子どもじみたものだったといえる。
ただ、その「好き」を「飯を食う」ことまでつらぬいたのは
「戦略性と勤勉さ」だったことがこの本をよんでみるとわかる。
ウェブ世界はあんがいだれもに平等にひらかれていて、
大切なことはほかの世界とおなじように「勤勉さ」であったり
「努力」であったりするふつうの世界かもしれない。
終章の題は「ウェブは自ら助くる者を助く」となっている。
なんだか、だいじなことって、どこでもあんまりかわらないみたいだ。
2012年01月21日
再読『ウェブ進化論』 ほんとうの大衆化とはなにか
きょねんの12月にあった「オープンソースサロン」で、
クックパッドからこられた井原さんが
必読書として社員に『ウェブ進化論』をよんでもらっている、とはなされた。
変化のはげしいウェブ業界だから、
もっと最新の情報がかかれたものかとおもったのに、
2006年に出版された『ウェブ進化論』とはちょっと意外だった。
それだけインターネットというもの本質ついて、
よく整理された本なのだろう。
この本にかかれている
「インターネットがあらゆるしくみをかえていく」
ということを理解しないでビジネスをするのはよくない、
と井原さんはかんがえられたのだそうだ。
気になったので、『ウェブ進化論』と、その続編である『ウェブ時代をゆく』
(ともに梅田望夫著・ちくま新書)をよみかえしてみた。
『ウェブ進化論』をパソコンの師匠にあたるひとにすすめられてよんだとき、
革命的な変化がいまおこりつつあるのだ、
ということをはじめてしり、とてもおどろいたことをおぼえている。
Googleがいかにすごいかということもこの本ではじめてしったし、
ロングテール理論や、ブログがまねいた「総表現時代」についても
それが意味することをわかりやすく説明してくれている。
2どめによんで気づいたのは、
「本当の大衆化は、これから始まる」と
サブタイトルにかかれていることだ。
2006年当時におこっていたことは、
まだはじまりにすぎず、
本当の変化はこれからだというのだ。
いったいどんな変化なのだろうか。
「これから始まる『本当の大衆化』は、
着実な技術革新を伴いながら、
長い時間をかけて緩やかに起こるものである」
「人は、ネットの世界に住まなくたって、
これまで通りのやり方で生きていける。
そう思う人たちがマイノリティになる時代は
そう簡単にはやってこない」
としながらも、
「ゆっくりと確実に変わっていく社会の姿とは、
二つの価値観が融合し、何か新しいものが創造される世界だろうか。
それともお互いに理解しあうことのない二つの別世界が
並立するようなイメージとなるのだろうか
本書を読み終えたときに、改めてこの問いを思い出してほしい」
わたしは、いまのところ完全な2極化がすすんでいるとおもう。
年齢とは関係なく、ネットに関心があるひととないひとの差はとてもおおきい。
パソコンをつかっているということと、
インターネットがまねいている本質的な変化について
なにかをかんじているかということとも関係がない。
2極化ではなく大衆化へといううごきは
どこにあらわれているのだろうか。
本書が出版されたあとに一般的となったことに、
クラウドと、ファイスブックに代表されるSNS
(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がある。
続編である『ウェブ時代をゆく』には
それらについてもふれてあるが、
そうおおくのことがかかれているわけではない。
この『ウェブ進化論』に、重要なうごきは
すべておさえられているということだろう。
フェイスブックについていうと、
日本はフェイスブックがひろまらない例外的な国なのだそうだ。
チュニジアとエジプトでの革命には、
フェイスブックがひとやくかっていたことが報道された。
日本では「アラブの春」がおこるだろうか。
クックパッドからこられた井原さんが
必読書として社員に『ウェブ進化論』をよんでもらっている、とはなされた。
変化のはげしいウェブ業界だから、
もっと最新の情報がかかれたものかとおもったのに、
2006年に出版された『ウェブ進化論』とはちょっと意外だった。
それだけインターネットというもの本質ついて、
よく整理された本なのだろう。
この本にかかれている
「インターネットがあらゆるしくみをかえていく」
ということを理解しないでビジネスをするのはよくない、
と井原さんはかんがえられたのだそうだ。
気になったので、『ウェブ進化論』と、その続編である『ウェブ時代をゆく』
(ともに梅田望夫著・ちくま新書)をよみかえしてみた。
『ウェブ進化論』をパソコンの師匠にあたるひとにすすめられてよんだとき、
革命的な変化がいまおこりつつあるのだ、
ということをはじめてしり、とてもおどろいたことをおぼえている。
Googleがいかにすごいかということもこの本ではじめてしったし、
ロングテール理論や、ブログがまねいた「総表現時代」についても
それが意味することをわかりやすく説明してくれている。
2どめによんで気づいたのは、
「本当の大衆化は、これから始まる」と
サブタイトルにかかれていることだ。
2006年当時におこっていたことは、
まだはじまりにすぎず、
本当の変化はこれからだというのだ。
いったいどんな変化なのだろうか。
「これから始まる『本当の大衆化』は、
着実な技術革新を伴いながら、
長い時間をかけて緩やかに起こるものである」
「人は、ネットの世界に住まなくたって、
これまで通りのやり方で生きていける。
そう思う人たちがマイノリティになる時代は
そう簡単にはやってこない」
としながらも、
「ゆっくりと確実に変わっていく社会の姿とは、
二つの価値観が融合し、何か新しいものが創造される世界だろうか。
それともお互いに理解しあうことのない二つの別世界が
並立するようなイメージとなるのだろうか
本書を読み終えたときに、改めてこの問いを思い出してほしい」
わたしは、いまのところ完全な2極化がすすんでいるとおもう。
年齢とは関係なく、ネットに関心があるひととないひとの差はとてもおおきい。
パソコンをつかっているということと、
インターネットがまねいている本質的な変化について
なにかをかんじているかということとも関係がない。
2極化ではなく大衆化へといううごきは
どこにあらわれているのだろうか。
本書が出版されたあとに一般的となったことに、
クラウドと、ファイスブックに代表されるSNS
(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がある。
続編である『ウェブ時代をゆく』には
それらについてもふれてあるが、
そうおおくのことがかかれているわけではない。
この『ウェブ進化論』に、重要なうごきは
すべておさえられているということだろう。
フェイスブックについていうと、
日本はフェイスブックがひろまらない例外的な国なのだそうだ。
チュニジアとエジプトでの革命には、
フェイスブックがひとやくかっていたことが報道された。
日本では「アラブの春」がおこるだろうか。
2012年01月20日
『梅棹忠夫の「人類の未来」』ー暗黒のなかの光明とはなにかー
12月中旬に注文していた
『梅棹忠夫の「人類の未来」』(勉誠出版)がやっととどく。
「人類の未来」は、河出書房新社の「世界の歴史」シリーズ全25巻
(1968年〜1970年)の最終巻としてかかれるはずだった本だ。
資料をあつめ、「こざね」により構想をねり、
あとはかくだけ、という段階まですすんでいたのに、
けっきょくこの本はかかれることがなかった。
万博の開催をまえに、超多忙な時期をおくっていたという事情だけでなく、
梅棹さんは、かんがえればかんがえるほど、
人類に未来はないという結論にたどりつかざるをえず、
そんなお先まっくらなことを
かく気になれなかったのではないかといわれている。
梅棹さんがなくなったあとに出版された本でも
この企画の存在がかたられているし
(たとえば河出書房新社の文藝別冊
『梅棹忠夫ー地球時代の知の巨人』)、
2011年の6月に放映されたNHK・ETV特集
「暗黒のなかの光明ー文明学者梅棹忠夫がみた未来」
でもとりあげられていた。
番組のなかで、「暗黒のなかの光明」ということについて、
なんにんかのひとが想像をはたらかせている。
その未完の書が出版されるときいて、
すぐに予約をいれ、たのしみにまっていた。
幻の原稿がみつかったわけではないのに、
どうやって本にできたのだろう。
とどいた本をひらいてみると、
梅棹さんがこの企画の準備としておこなっていた
対談や座談会を中心にして編集されているのだった。
そうした場ではなしこむことにより、
梅棹さんは自分のかんがえをきたえていた。
想像によって編者がかってに「暗黒のなかの光明」を
ときあかすわけにはいかないので、
こうするよりほかに手がなかったともいえる。
「人間が幸福であることが、
果たしていいのかどうか(笑)
そういう幸福ということの意味を
尋ねていかんならん」(p101)
「ぼくはやはり、目的論が出てきたのは
人間の段階になってからだと思う。
サルに目的はないでしょうね」(p119)
よんでみると、けっきょくおおくのことは
『わたしの生きがい論』のなかで
すでにかたられていたことがわかる。
目的を設定し、それにむかって努力することをよしとする価値観で
人類はここまで文明を発展させてきた。
しかし、その発展こそが人類の首をしめている、というかんがえ方だ。
ふえすぎた人口、それによりたらなくなる食料・水・空気、それにエネルギー。
おおくの国がこれからまだまだ発展をもとめるけれど、
それをかなえるだけの資源が地球にはもはやない。
人類は業として頭をはたらかせることをやめることができず、
その結果、科学は文明をさらに発展させようとする。
こうしたうごきに、すこしでもブレーキをかけるには、
いっけん無駄のようにおもえることに
自分の人生を消費させるしかない。
エネルギーを発展とはちがう方向につかうことで
最悪の事態への衝突をおくらせることができる。
それが梅棹さんのかんがえていた「暗黒のなかの光明」のようだ。
印象にのこったのは、宇宙飛行士の毛利衛氏が
「まだ、間に合う」とかいていることだ。
「二本の足で立つことのできない
無重力の宇宙船のなかで浮かびながら、
数百回地球をまわり地表を見てきた私には、
人類の未来は暗くも明るくも『どちらにもなる』
と見えたのが率直な印象でした。
あるいは、すべては『まだ間に合う』と言い換えてもいいでしょう」(p168)
宇宙から地球をみた体験をもつ飛行士には、
楽観的にとらえるひとがおおいという。
「まだ、間に合う」ほど人間のできがいいかどうかは
これからわずか数10年したらこたえがでるだろう。
わたしには、科学をもって科学を制することは不可能におもえ、
あかるい未来を予想することができない。
絶望をかたるより希望をもちたいけれど、
100億の人口をかかえた人類が、
絶妙なバランスをたもって存続するとは
どうしてもかんがえられない。
できるだけ悲惨でないおわりをむかえられたらとねがっている。
編者の小長谷有紀氏は「おわりに」のなかで
「ここに再録された梅棹忠夫のことばを手がかりにして
読者ひとりひとりが人類の未来をかんがえてくだされば、さいわいである。
それこそはまさに、梅棹忠夫のいうところの、
知的なあそびであり、人類の未来を託した『光明』なのであるから」
としている。
わたしはどうだろうか。
きっと、これからも生産的なことにエネルギーをつかわずに、
できるだけたのしいことをえらびながら、
人生を浪費して生きていくだろう。
20代に梅棹さんのかんがえ方にであい、影響をうけたものとして、
そうやってたくさんあそび、
さいごに「あーおもしろかった」と機嫌よく死ねたらとおもう。
人類は、そして日本はどういう選択をするだろう。
福島原発での事故があったあとでも、
まだ原子力はコントロールが可能だとおもっているひとがいる。
人類にのこされた時間は、そうながくないはずだ。
『梅棹忠夫の「人類の未来」』(勉誠出版)がやっととどく。
「人類の未来」は、河出書房新社の「世界の歴史」シリーズ全25巻
(1968年〜1970年)の最終巻としてかかれるはずだった本だ。
資料をあつめ、「こざね」により構想をねり、
あとはかくだけ、という段階まですすんでいたのに、
けっきょくこの本はかかれることがなかった。
万博の開催をまえに、超多忙な時期をおくっていたという事情だけでなく、
梅棹さんは、かんがえればかんがえるほど、
人類に未来はないという結論にたどりつかざるをえず、
そんなお先まっくらなことを
かく気になれなかったのではないかといわれている。
梅棹さんがなくなったあとに出版された本でも
この企画の存在がかたられているし
(たとえば河出書房新社の文藝別冊
『梅棹忠夫ー地球時代の知の巨人』)、
2011年の6月に放映されたNHK・ETV特集
「暗黒のなかの光明ー文明学者梅棹忠夫がみた未来」
でもとりあげられていた。
番組のなかで、「暗黒のなかの光明」ということについて、
なんにんかのひとが想像をはたらかせている。
その未完の書が出版されるときいて、
すぐに予約をいれ、たのしみにまっていた。
幻の原稿がみつかったわけではないのに、
どうやって本にできたのだろう。
とどいた本をひらいてみると、
梅棹さんがこの企画の準備としておこなっていた
対談や座談会を中心にして編集されているのだった。
そうした場ではなしこむことにより、
梅棹さんは自分のかんがえをきたえていた。
想像によって編者がかってに「暗黒のなかの光明」を
ときあかすわけにはいかないので、
こうするよりほかに手がなかったともいえる。
「人間が幸福であることが、
果たしていいのかどうか(笑)
そういう幸福ということの意味を
尋ねていかんならん」(p101)
「ぼくはやはり、目的論が出てきたのは
人間の段階になってからだと思う。
サルに目的はないでしょうね」(p119)
よんでみると、けっきょくおおくのことは
『わたしの生きがい論』のなかで
すでにかたられていたことがわかる。
目的を設定し、それにむかって努力することをよしとする価値観で
人類はここまで文明を発展させてきた。
しかし、その発展こそが人類の首をしめている、というかんがえ方だ。
ふえすぎた人口、それによりたらなくなる食料・水・空気、それにエネルギー。
おおくの国がこれからまだまだ発展をもとめるけれど、
それをかなえるだけの資源が地球にはもはやない。
人類は業として頭をはたらかせることをやめることができず、
その結果、科学は文明をさらに発展させようとする。
こうしたうごきに、すこしでもブレーキをかけるには、
いっけん無駄のようにおもえることに
自分の人生を消費させるしかない。
エネルギーを発展とはちがう方向につかうことで
最悪の事態への衝突をおくらせることができる。
それが梅棹さんのかんがえていた「暗黒のなかの光明」のようだ。
印象にのこったのは、宇宙飛行士の毛利衛氏が
「まだ、間に合う」とかいていることだ。
「二本の足で立つことのできない
無重力の宇宙船のなかで浮かびながら、
数百回地球をまわり地表を見てきた私には、
人類の未来は暗くも明るくも『どちらにもなる』
と見えたのが率直な印象でした。
あるいは、すべては『まだ間に合う』と言い換えてもいいでしょう」(p168)
宇宙から地球をみた体験をもつ飛行士には、
楽観的にとらえるひとがおおいという。
「まだ、間に合う」ほど人間のできがいいかどうかは
これからわずか数10年したらこたえがでるだろう。
わたしには、科学をもって科学を制することは不可能におもえ、
あかるい未来を予想することができない。
絶望をかたるより希望をもちたいけれど、
100億の人口をかかえた人類が、
絶妙なバランスをたもって存続するとは
どうしてもかんがえられない。
できるだけ悲惨でないおわりをむかえられたらとねがっている。
編者の小長谷有紀氏は「おわりに」のなかで
「ここに再録された梅棹忠夫のことばを手がかりにして
読者ひとりひとりが人類の未来をかんがえてくだされば、さいわいである。
それこそはまさに、梅棹忠夫のいうところの、
知的なあそびであり、人類の未来を託した『光明』なのであるから」
としている。
わたしはどうだろうか。
きっと、これからも生産的なことにエネルギーをつかわずに、
できるだけたのしいことをえらびながら、
人生を浪費して生きていくだろう。
20代に梅棹さんのかんがえ方にであい、影響をうけたものとして、
そうやってたくさんあそび、
さいごに「あーおもしろかった」と機嫌よく死ねたらとおもう。
人類は、そして日本はどういう選択をするだろう。
福島原発での事故があったあとでも、
まだ原子力はコントロールが可能だとおもっているひとがいる。
人類にのこされた時間は、そうながくないはずだ。
2012年01月19日
『ロボジー』老後にもういちどかがやきを
『ロボジー』(監督:矢口史靖)をみる。
ロボットのなかにひとがはいってうごく、という
着想だけでひっぱる作品だ。
このアイディアをおもいつきさえすれば、
あとはもう、それに付随してややこしくなっていく状況を
おっかけていくだけでたのしい映画になる。
矢口監督らしく、いつもながらつっこみどころが満載で、
ときどきしらけてくるときもあるけど、
とにかくさいごまでもりあげてくれた。
竹中直人がでるのは予告編でもながれていた
あのトイレのシーンだけで、
むりやりなわらいにならずにすんでいる。
ロボットのなかにはいるのを、
ひとりぐらしのさえない老人に設定したのはうまかった。
老化がひきおこすさまざまな問題を
深刻にあつかう作品はたくさんあるけど、
こんなふうに73歳のおじいさんが
ヒーローになるのはみたことがない。
定年後に、単調でたいくつな生活がはてもなくつづき、
用事といえるのは老人会のあつまりくらい。
そんなとき、突然自分にもういちど
スポットライトをあびるときがおとずれれば
だれだっていきいきとしてくるだろう。
鈴木さんはへんてこな老人ではなく、
常識をわきまえたごくふつうのひとだったので
(サービス精神が旺盛だったり、
まけずぎらいだったりするけど、
それもまたあたりまえのことだ)、
ものがたりがへんな方向にをぶれるのをふせいでくれた。
「ニュー潮風」というチョーださい名前がよかったし、
ロボットの胸にかいてある
「木村電器」もかなしくておかしかった。
「電器」の「電」が旧字体なのがすごい。
すかしたロゴなどではなく、ここはやはり
「木村電器」でなければならないところだ。
いろいろあって、それぞれがおさまるところにおさまって、
平凡な日常がふたたびはじまる。
そんなときにまた・・・、と
ラストがありえないけどすごく気がきいていた。
あのときのうれしそうな鈴木さんの顔が、
この作品でいちばんいいシーンだ。
ロボットのなかにひとがはいってうごく、という
着想だけでひっぱる作品だ。
このアイディアをおもいつきさえすれば、
あとはもう、それに付随してややこしくなっていく状況を
おっかけていくだけでたのしい映画になる。
矢口監督らしく、いつもながらつっこみどころが満載で、
ときどきしらけてくるときもあるけど、
とにかくさいごまでもりあげてくれた。
竹中直人がでるのは予告編でもながれていた
あのトイレのシーンだけで、
むりやりなわらいにならずにすんでいる。
ロボットのなかにはいるのを、
ひとりぐらしのさえない老人に設定したのはうまかった。
老化がひきおこすさまざまな問題を
深刻にあつかう作品はたくさんあるけど、
こんなふうに73歳のおじいさんが
ヒーローになるのはみたことがない。
定年後に、単調でたいくつな生活がはてもなくつづき、
用事といえるのは老人会のあつまりくらい。
そんなとき、突然自分にもういちど
スポットライトをあびるときがおとずれれば
だれだっていきいきとしてくるだろう。
鈴木さんはへんてこな老人ではなく、
常識をわきまえたごくふつうのひとだったので
(サービス精神が旺盛だったり、
まけずぎらいだったりするけど、
それもまたあたりまえのことだ)、
ものがたりがへんな方向にをぶれるのをふせいでくれた。
「ニュー潮風」というチョーださい名前がよかったし、
ロボットの胸にかいてある
「木村電器」もかなしくておかしかった。
「電器」の「電」が旧字体なのがすごい。
すかしたロゴなどではなく、ここはやはり
「木村電器」でなければならないところだ。
いろいろあって、それぞれがおさまるところにおさまって、
平凡な日常がふたたびはじまる。
そんなときにまた・・・、と
ラストがありえないけどすごく気がきいていた。
あのときのうれしそうな鈴木さんの顔が、
この作品でいちばんいいシーンだ。
2012年01月18日
中世の雰囲気はじゅうぶん堪能できる『薔薇の名前』(ただそれだけ)(1986年・仏伊西独)
午前10時の映画祭で『薔薇の名前』をみる。
予告編がおもしろそうだったのでみることにしたのに、
本編はそれほどでもなかった。
おもしろくなかったのなら、
わざわざかかなくてもいいようなものだけど、
ひとつの感想だから、ま、いいか、ということで。
北イタリアにある修道院が舞台だ。時代の設定は1327年。
アンコール遺跡がすでにできていた時代か、
ということがなんとなく頭にうかぶ。
熱帯にあるアンコール遺跡とちがい、
設定が冬ということもあって、
修道院とそのまわりの風景はみごとにさむざむしい。
この時代の修道院についてまったく知識がなく、
というか、ヨーロッパ中世というジャンルが
もともとすきではない。
中世は、宗派の対立や異端者への圧制が横行している
暗黒の時代のようにみえる。
まずしさについてどうとらえるか、とか
わらいをみとめると、キリスト教がだめになる、とか
そんなことを真剣に討議する。
いったん確立された権威からはずれると、
とたんに「異端」とよばれ処刑されてしまうから、
こんなときに生まれなくてよかったとほんとにおもう。
村の少女が修道院にはいりこみ、
準主役の修行僧をさそうのだけど、
まったく唐突にでてくる場面であり、
さいごまでその意味をはかりかねた。
犯罪にまきこまれた少女の身を、
その修行僧はずっと心配しているふうなのに、
ラストシーンでは、少女をみすてて修道院をはなれてしまう。
修行僧なのだからしかたのないこととはいえ、
のこされた少女の身にしたら、
なんだったんだあのひとは、というかんじだ。
この修行僧をえんじているのが
クリスチャン=スレーターで、
彼の出演作品をみていたら、
わたしがだいすきな作品
『トゥルー・ロマンス』の主役だったことをしる。
そういえば、ちょっとかわった笑顔にみおぼえがある。
少女役のヴァレンティナ=ヴァルガスのほうは
『グラン・ブルー』にもでているそうだけど、
どんな役だったかぜんぜんおもいだせない。
主演のショーン=コネリーは、
うまいといえばうまいけど、
レビューで絶賛されているほどには感心しなかった。
時代背景について正確な知識があれば、
またちがったみかたができた作品かもしれない。
予告編がおもしろそうだったのでみることにしたのに、
本編はそれほどでもなかった。
おもしろくなかったのなら、
わざわざかかなくてもいいようなものだけど、
ひとつの感想だから、ま、いいか、ということで。
北イタリアにある修道院が舞台だ。時代の設定は1327年。
アンコール遺跡がすでにできていた時代か、
ということがなんとなく頭にうかぶ。
熱帯にあるアンコール遺跡とちがい、
設定が冬ということもあって、
修道院とそのまわりの風景はみごとにさむざむしい。
この時代の修道院についてまったく知識がなく、
というか、ヨーロッパ中世というジャンルが
もともとすきではない。
中世は、宗派の対立や異端者への圧制が横行している
暗黒の時代のようにみえる。
まずしさについてどうとらえるか、とか
わらいをみとめると、キリスト教がだめになる、とか
そんなことを真剣に討議する。
いったん確立された権威からはずれると、
とたんに「異端」とよばれ処刑されてしまうから、
こんなときに生まれなくてよかったとほんとにおもう。
村の少女が修道院にはいりこみ、
準主役の修行僧をさそうのだけど、
まったく唐突にでてくる場面であり、
さいごまでその意味をはかりかねた。
犯罪にまきこまれた少女の身を、
その修行僧はずっと心配しているふうなのに、
ラストシーンでは、少女をみすてて修道院をはなれてしまう。
修行僧なのだからしかたのないこととはいえ、
のこされた少女の身にしたら、
なんだったんだあのひとは、というかんじだ。
この修行僧をえんじているのが
クリスチャン=スレーターで、
彼の出演作品をみていたら、
わたしがだいすきな作品
『トゥルー・ロマンス』の主役だったことをしる。
そういえば、ちょっとかわった笑顔にみおぼえがある。
少女役のヴァレンティナ=ヴァルガスのほうは
『グラン・ブルー』にもでているそうだけど、
どんな役だったかぜんぜんおもいだせない。
主演のショーン=コネリーは、
うまいといえばうまいけど、
レビューで絶賛されているほどには感心しなかった。
時代背景について正確な知識があれば、
またちがったみかたができた作品かもしれない。
2012年01月17日
ミラノダービーに長友がフル出場
ミラノダービー、インテル対ミランの試合を放送していた。
このところ5連勝とインテルが調子をだしてきたし、
長友も、その5連勝に2得点と貢献しているという。
解説はわたしがひいきにしている中村憲剛と、
ねがってもない放送だ。みないわけにいかない。
開幕当初は勝ち点がのびず、下位に低迷していたインテルも、
ラニエリ監督にかわってからはたてなおしが成功し、
1月15日のこの試合の時点で5位、
首位のユベントスと6点差までおいあげている。
ミラノダービーに日本人がでるようになったなんて、
と憲剛が感慨ぶかそうにいっていた。
前半はせめられる時間がながかったインテルが、
後半からはいいリズムでボールがまわりだした。
長友もいいクロスをあげたし、
自分でも2本シュートをはなつ。
試合はけっきょく後半にいれた1点をまもりきって
1−0とインテルが6連勝をきめた。
この試合ではそういうシーンはなかったが、
今シーズンの長友はこれまでよりも数段つよくなった。
まえはつぶれていたようなきびしいプレスにももちこたえるし、
たおれてもすばやくおきあがってボールにむかっていく。
スタミナはあいかわらずで、90分はしりまわっているし、
セリエAになれてきたのだろう、試合のながれをよむカンがさえて、
インターセプトする回数もふえてきたようにおもう。
これだけのはたらきをすれば、
監督やチーム内での信頼もたかまるだろう。
のびのびとあたりまえのように
インテルでプレーする長友がたのもしくみえた。
それにしても、サネッティの37歳は別格としても、
テレビの解説でインテルの選手の年齢を紹介するたびに、
その数字におどろくことがおおい。
ルシオが32歳で、ミリートとジュリオ=セザールも31歳だ。
相手のミランもセードルフが35歳だったり、ザンブロッタが34歳と、
こちらもずいぶんベテランの選手がおおい。
セリエAがゆるいサッカーをしているわけではないだろうから、
たまたまいまがそういう時期なだけなのだろうか。
それとも、イタリアサッカー界は、
なにかほかに選手生命がながくなる
特殊な状況があるのだろうか。
サネッティの体格をみてるとすごく頑丈そうなので、
たしかにこわれにくそうな気はするけど。
憲剛や遠藤選手も、あんまりはやく引退をかんがえないで、
丈夫でながもちの選手でいてほしい。
このところ5連勝とインテルが調子をだしてきたし、
長友も、その5連勝に2得点と貢献しているという。
解説はわたしがひいきにしている中村憲剛と、
ねがってもない放送だ。みないわけにいかない。
開幕当初は勝ち点がのびず、下位に低迷していたインテルも、
ラニエリ監督にかわってからはたてなおしが成功し、
1月15日のこの試合の時点で5位、
首位のユベントスと6点差までおいあげている。
ミラノダービーに日本人がでるようになったなんて、
と憲剛が感慨ぶかそうにいっていた。
前半はせめられる時間がながかったインテルが、
後半からはいいリズムでボールがまわりだした。
長友もいいクロスをあげたし、
自分でも2本シュートをはなつ。
試合はけっきょく後半にいれた1点をまもりきって
1−0とインテルが6連勝をきめた。
この試合ではそういうシーンはなかったが、
今シーズンの長友はこれまでよりも数段つよくなった。
まえはつぶれていたようなきびしいプレスにももちこたえるし、
たおれてもすばやくおきあがってボールにむかっていく。
スタミナはあいかわらずで、90分はしりまわっているし、
セリエAになれてきたのだろう、試合のながれをよむカンがさえて、
インターセプトする回数もふえてきたようにおもう。
これだけのはたらきをすれば、
監督やチーム内での信頼もたかまるだろう。
のびのびとあたりまえのように
インテルでプレーする長友がたのもしくみえた。
それにしても、サネッティの37歳は別格としても、
テレビの解説でインテルの選手の年齢を紹介するたびに、
その数字におどろくことがおおい。
ルシオが32歳で、ミリートとジュリオ=セザールも31歳だ。
相手のミランもセードルフが35歳だったり、ザンブロッタが34歳と、
こちらもずいぶんベテランの選手がおおい。
セリエAがゆるいサッカーをしているわけではないだろうから、
たまたまいまがそういう時期なだけなのだろうか。
それとも、イタリアサッカー界は、
なにかほかに選手生命がながくなる
特殊な状況があるのだろうか。
サネッティの体格をみてるとすごく頑丈そうなので、
たしかにこわれにくそうな気はするけど。
憲剛や遠藤選手も、あんまりはやく引退をかんがえないで、
丈夫でながもちの選手でいてほしい。
2012年01月16日
ローマ字のサイトをたちあげるには
梅棹忠夫さんの影響で
できるだけ漢字をつかわずに文章をかいている。
原則として、訓よみの漢字はつかわないで、ひらかなでかく。
どうしてもひらかながつづいてしまうときがあり、
はじめてみるひとにはよみにくいものになっているかもしれない。
漢字のどこに問題があるのかというと、
梅棹さんによれば、
ひとつの漢字によみかたがなんとおりもあり、
はっきりとした規則がないままつかわれているので、
学習するのに膨大な時間がかかるということがまずひとつ。
外国人が日本語をまなぶときにおおきな障害となるし、
はじめてまなぶという意味では、
日本人の小学生にとってもたくさんの漢字をおぼえることは
おおくの労力が必要であることにかわりはない。
そしてもうひとつの問題点は、
漢字はパソコンとなじみにくく、
このまま漢字をつかっていては
世界的にすすんでいる情報化社会のながれに
ついていけないという懸念からのものだ。
漢字は日本の文化だから、
というかんがえをよくみみにする。
しかし、文化のすべてをかならず
ひきつがなければならないわけではない。
将来の日本にとって弊害のほうがおおきいのであれば、
ちがう文化をえらべばいいだけのことだ。
ローマ字で日本語をかくということは、
べつに日本語をすてるわことではない。
梅棹さんは、いちばん日本語にあっているのが
ローマ字による表記だといい、
ローマ字運動につよい関心をもってとりくんでおられた。
というわけで、ローマ字でかかれたサイトにわたしは関心をもっている。
ローマ字でかくことにより、
漢字かなまじりでかかれた
いわゆるふつうの日本語のサイトより、
はるかにたくさんのひとによんでもらえだろう。
それがひろまれば、ローマ字による日本語が
標準となるときがくるかもしれない。
英語でいいじゃないか、というかんがえはとらない。
英語表示をえらべるサイトはいまでもあるし、
そもそもなんで日本人がサイトをつくるときに、
わざわざ外国語をつかわなければならなのだ。
わたしがかいているようなブログを
ローマ字にしたとしても、
その影響はたかがしれている。
できればヤフーみたいに
いろいろなコンテンツがあるほうが
たくさんのひとに関心をもってもらいやすい。
どこか、またはだれか、
そういうこころみをしているひとがすでにいるだろうか。
そのためには、漢字まじりでかかれた日本語を
ローマ字に変換してくれるソフトが必要だ。
もちろんわかちがきもしてくれないとつかえない。
ネットでさがしてみたら、
「KAKASI」という変換プログラムがみつかった。
Macではひらけないようなので、
職場のパソコンでためしてみたい。
ことしの目標は、というほどのものではないけれど、
なんとかローマ字のサイトをちかいうちにたちあげたい。
できるだけ漢字をつかわずに文章をかいている。
原則として、訓よみの漢字はつかわないで、ひらかなでかく。
どうしてもひらかながつづいてしまうときがあり、
はじめてみるひとにはよみにくいものになっているかもしれない。
漢字のどこに問題があるのかというと、
梅棹さんによれば、
ひとつの漢字によみかたがなんとおりもあり、
はっきりとした規則がないままつかわれているので、
学習するのに膨大な時間がかかるということがまずひとつ。
外国人が日本語をまなぶときにおおきな障害となるし、
はじめてまなぶという意味では、
日本人の小学生にとってもたくさんの漢字をおぼえることは
おおくの労力が必要であることにかわりはない。
そしてもうひとつの問題点は、
漢字はパソコンとなじみにくく、
このまま漢字をつかっていては
世界的にすすんでいる情報化社会のながれに
ついていけないという懸念からのものだ。
漢字は日本の文化だから、
というかんがえをよくみみにする。
しかし、文化のすべてをかならず
ひきつがなければならないわけではない。
将来の日本にとって弊害のほうがおおきいのであれば、
ちがう文化をえらべばいいだけのことだ。
ローマ字で日本語をかくということは、
べつに日本語をすてるわことではない。
梅棹さんは、いちばん日本語にあっているのが
ローマ字による表記だといい、
ローマ字運動につよい関心をもってとりくんでおられた。
というわけで、ローマ字でかかれたサイトにわたしは関心をもっている。
ローマ字でかくことにより、
漢字かなまじりでかかれた
いわゆるふつうの日本語のサイトより、
はるかにたくさんのひとによんでもらえだろう。
それがひろまれば、ローマ字による日本語が
標準となるときがくるかもしれない。
英語でいいじゃないか、というかんがえはとらない。
英語表示をえらべるサイトはいまでもあるし、
そもそもなんで日本人がサイトをつくるときに、
わざわざ外国語をつかわなければならなのだ。
わたしがかいているようなブログを
ローマ字にしたとしても、
その影響はたかがしれている。
できればヤフーみたいに
いろいろなコンテンツがあるほうが
たくさんのひとに関心をもってもらいやすい。
どこか、またはだれか、
そういうこころみをしているひとがすでにいるだろうか。
そのためには、漢字まじりでかかれた日本語を
ローマ字に変換してくれるソフトが必要だ。
もちろんわかちがきもしてくれないとつかえない。
ネットでさがしてみたら、
「KAKASI」という変換プログラムがみつかった。
Macではひらけないようなので、
職場のパソコンでためしてみたい。
ことしの目標は、というほどのものではないけれど、
なんとかローマ字のサイトをちかいうちにたちあげたい。
2012年01月15日
『サッカー批評54号』今年の浦和レッズがたのしみ
ひさしぶりに本屋さんへいく。ほぼ20日ぶりだ。
そのあいだに「本の雑誌」のベスト10が発表されたし、
『おすすめ文庫王国』もでた。
ほかにもチェックした本がいくつかあり、
どれだけたくさんの本がほしくなるか
たのしみなような心配なような、というかんじだった。
でも、棚をながめても、あんがいよみたいものがない。
かったのはけっきょく『サッカー批評』の54号だけだ。
時間がなかったこと、ひとがたくさんでおちついてまわれなかったこと、
図書館でかりた本をいそいでよむ必要があること、
などがブレーキとなった。
『サッカー批評』は2つの記事がおもしろかった。
ひとつは「ミハイロ・ペトロヴィッチの美学を読み解く」(河治良幸)で、
もうひとつは「日本代表のチーム作りに潜在する2つの難問」(西部謙司)だ。
前サンフレッチェ広島監督のペトロヴィッチ氏は、
超攻撃的なシステム3-4-2-1でしられている。
「リスクを負って相手より多くの得点を奪いに行く」
というサッカーで、
ザッケローニ代表監督がイタリア時代につかっていた3-4-3よりも
もっと攻撃への意識がたかいのだそうだ
(残念ながら、わたしはこのシステムについてぜんぜん知識がない)。
伝統的に1-0をもっともうつくしい試合とみる
イタリアに特徴的な美意識よりも
とられたら、またとりかえせばいい、という
「うちあい」のほうがたのしそうだ。
そのペトロヴィッチ氏が、
今シーズンは浦和レッズで指揮をとることになった。
昨シーズンの浦和は、開幕当初から
ベンチとフロントとのあいだの不協和音がささやかれており、
そして、いわれていたとおりのギクシャクしたクラブ運営で
あわや降格か、というきびしいシーズンをおくった。
ペトロヴィッチ監督は、さっそくドイツのケルンから
1年の期限つきで槙野の移籍をもとめ、
(彼は、サンフレッッチェ広島で
かってペトロヴィッチ監督のもとでプレーしていた)、
イングランド2部のレスターから、
全盛期の浦和をささえた阿部勇樹をよびもどしている。
もともと浦和には、山田直樹・原口元気・柏木陽介といった
これからの成長が期待される若手がそだってきている。
移籍してくる実力のある2人とこれらの若手選手、
そして、これまでの浦和をささえてきた鈴木啓太などが
どうからんでチームをつくっていくか。
サポーターのあつい応援でしられ、
資金力もある浦和の監督となることで、
ペトロヴィッチ氏がどんなサッカーをみせてくれるか、
3月の開幕がたのしみになった。
もうひとつの「日本代表のチーム作りに潜在する2つの難問」とは、
1 遠藤のバックアップをどうするか、ということと、
2 格上のチームと試合をして、主導権をにぎれないときに
どういうたたかい方をするのか、という2点である。
まず遠藤がいないときをどうするのか、について。
いま31歳の遠藤選手は、
2014年のW杯ブラジル大会のときには34歳になっている。
プレイできない年齢ではないが、
いざというときのかわりをかんがえておくのは当然だ。
しかし、遠藤のかわりがつとまる選手は
いまのところだれもいない。
日本代表のタクトをふるっているのは遠藤であり、
彼がいなくなるとチームはまったくちがった顔をみせ、
がたがたとくずれてしまう。
これまでに家長と細貝をためしてきたものの、
どちらもチームにあまりなじまなかった。
西部氏はかってのジダン選手をひきあいにだし、
かえのきかない選手の代役をさがすことは、
けっきょくはちがうチームをつくることである、という。
遠藤のちからを最大限にひきだすためには、
センターバックと相方のボランチに
遠藤があわせやすい選手をえらばなければならない。
「つまり”遠藤仕様”のチームになっていかざるをえない。
”違う戦い方”をするとは、違う仕様の、違うチームに
作り替えることにほかならないわけで、
代表チームには現実的にそんな時間はない。
ザッケローニ監督の選択肢も遠藤か、遠藤より見劣りする代役か、
それしか残されていないのではないか」
わたしたちは、とんでもなくすぐれたわかい選手が、
救世主としてあらわれてくれるのをまつしかないのか。
2の、格上のチームと試合をして、主導権をにぎれないときに
どういうたたかい方をするのか、について。
これまでザッケローニ監督は、
なんどか3-4-3システムを導入しようとしてきた。
しかし、これまでためした数試合ではうまく機能しておらず、
これからつかえるようになっていくのか、たしかでない。
「しかし、どちらにしても3-4-3は攻撃型のシステムだ。
いまのところ、日本は守備を想定した戦術を用意していない」
ザッケローニ氏が代表監督になってから、
格上とやったのはアルゼンチンとの試合だけだ。
そして、そのときのアルゼンチンは、
あまりつよいチームではなかった。
本大会の予選リーグでは、
日本よりもランクがうえの国が
当然おなじグループにはいってくる。
さらにベスト4やベスト16をめざすのであれば、
決勝リーグであたるのは、
どこも日本が主導権をにぎれない相手だ。
「ベストメンバーを組んだときの日本は、
一部の国を除けば主導権を握れると信じたいが、
それを証明する機会がないのが現状である」
ことしの日本代表は、ヨーロッパへの遠征を計画している。
そうした機会にほんとうにつよいチームと対戦し、
自分たちのちからを相対的につかむことができるだろう。
でも、それでだめだということになったとき、
南アフリカ大会のときみたいに
きゅうに守備的なチームにかえてしまうのではたのしくない。
このたたかい方でまけたのならしかたない、
とおもえるだけの日本らしいサッカーが、
それまでにかたちづくられているだろうか。
そのあいだに「本の雑誌」のベスト10が発表されたし、
『おすすめ文庫王国』もでた。
ほかにもチェックした本がいくつかあり、
どれだけたくさんの本がほしくなるか
たのしみなような心配なような、というかんじだった。
でも、棚をながめても、あんがいよみたいものがない。
かったのはけっきょく『サッカー批評』の54号だけだ。
時間がなかったこと、ひとがたくさんでおちついてまわれなかったこと、
図書館でかりた本をいそいでよむ必要があること、
などがブレーキとなった。
『サッカー批評』は2つの記事がおもしろかった。
ひとつは「ミハイロ・ペトロヴィッチの美学を読み解く」(河治良幸)で、
もうひとつは「日本代表のチーム作りに潜在する2つの難問」(西部謙司)だ。
前サンフレッチェ広島監督のペトロヴィッチ氏は、
超攻撃的なシステム3-4-2-1でしられている。
「リスクを負って相手より多くの得点を奪いに行く」
というサッカーで、
ザッケローニ代表監督がイタリア時代につかっていた3-4-3よりも
もっと攻撃への意識がたかいのだそうだ
(残念ながら、わたしはこのシステムについてぜんぜん知識がない)。
伝統的に1-0をもっともうつくしい試合とみる
イタリアに特徴的な美意識よりも
とられたら、またとりかえせばいい、という
「うちあい」のほうがたのしそうだ。
そのペトロヴィッチ氏が、
今シーズンは浦和レッズで指揮をとることになった。
昨シーズンの浦和は、開幕当初から
ベンチとフロントとのあいだの不協和音がささやかれており、
そして、いわれていたとおりのギクシャクしたクラブ運営で
あわや降格か、というきびしいシーズンをおくった。
ペトロヴィッチ監督は、さっそくドイツのケルンから
1年の期限つきで槙野の移籍をもとめ、
(彼は、サンフレッッチェ広島で
かってペトロヴィッチ監督のもとでプレーしていた)、
イングランド2部のレスターから、
全盛期の浦和をささえた阿部勇樹をよびもどしている。
もともと浦和には、山田直樹・原口元気・柏木陽介といった
これからの成長が期待される若手がそだってきている。
移籍してくる実力のある2人とこれらの若手選手、
そして、これまでの浦和をささえてきた鈴木啓太などが
どうからんでチームをつくっていくか。
サポーターのあつい応援でしられ、
資金力もある浦和の監督となることで、
ペトロヴィッチ氏がどんなサッカーをみせてくれるか、
3月の開幕がたのしみになった。
もうひとつの「日本代表のチーム作りに潜在する2つの難問」とは、
1 遠藤のバックアップをどうするか、ということと、
2 格上のチームと試合をして、主導権をにぎれないときに
どういうたたかい方をするのか、という2点である。
まず遠藤がいないときをどうするのか、について。
いま31歳の遠藤選手は、
2014年のW杯ブラジル大会のときには34歳になっている。
プレイできない年齢ではないが、
いざというときのかわりをかんがえておくのは当然だ。
しかし、遠藤のかわりがつとまる選手は
いまのところだれもいない。
日本代表のタクトをふるっているのは遠藤であり、
彼がいなくなるとチームはまったくちがった顔をみせ、
がたがたとくずれてしまう。
これまでに家長と細貝をためしてきたものの、
どちらもチームにあまりなじまなかった。
西部氏はかってのジダン選手をひきあいにだし、
かえのきかない選手の代役をさがすことは、
けっきょくはちがうチームをつくることである、という。
遠藤のちからを最大限にひきだすためには、
センターバックと相方のボランチに
遠藤があわせやすい選手をえらばなければならない。
「つまり”遠藤仕様”のチームになっていかざるをえない。
”違う戦い方”をするとは、違う仕様の、違うチームに
作り替えることにほかならないわけで、
代表チームには現実的にそんな時間はない。
ザッケローニ監督の選択肢も遠藤か、遠藤より見劣りする代役か、
それしか残されていないのではないか」
わたしたちは、とんでもなくすぐれたわかい選手が、
救世主としてあらわれてくれるのをまつしかないのか。
2の、格上のチームと試合をして、主導権をにぎれないときに
どういうたたかい方をするのか、について。
これまでザッケローニ監督は、
なんどか3-4-3システムを導入しようとしてきた。
しかし、これまでためした数試合ではうまく機能しておらず、
これからつかえるようになっていくのか、たしかでない。
「しかし、どちらにしても3-4-3は攻撃型のシステムだ。
いまのところ、日本は守備を想定した戦術を用意していない」
ザッケローニ氏が代表監督になってから、
格上とやったのはアルゼンチンとの試合だけだ。
そして、そのときのアルゼンチンは、
あまりつよいチームではなかった。
本大会の予選リーグでは、
日本よりもランクがうえの国が
当然おなじグループにはいってくる。
さらにベスト4やベスト16をめざすのであれば、
決勝リーグであたるのは、
どこも日本が主導権をにぎれない相手だ。
「ベストメンバーを組んだときの日本は、
一部の国を除けば主導権を握れると信じたいが、
それを証明する機会がないのが現状である」
ことしの日本代表は、ヨーロッパへの遠征を計画している。
そうした機会にほんとうにつよいチームと対戦し、
自分たちのちからを相対的につかむことができるだろう。
でも、それでだめだということになったとき、
南アフリカ大会のときみたいに
きゅうに守備的なチームにかえてしまうのではたのしくない。
このたたかい方でまけたのならしかたない、
とおもえるだけの日本らしいサッカーが、
それまでにかたちづくられているだろうか。
2012年01月14日
『バビロンの陽光』のかなしみ
『バビロンの陽光』
(2010年 イラク・イギリス・フランス
・オランダ・パレスチナ・UAE・エジプト合作
監督:モハメド・アルダラジー)
サダム=フセイン政権が崩壊してから3週間後の
2003年のイラクが舞台だ。
12歳の少年が、おばあさんといっしょに
とおい町の刑務所にいるという父親をたずねる。
草木がほとんどみられないかわききった土地を
2人はヒッチハイクしながら目的地のナシリアへむかう。
物語がすすむうちに、おばあさんはクルド人であり、
アラビア語がはなせないことがわかってくる。
少年の父親(そしておばあさんのむすこ)は、
クルド地区でフセインのバース党につれされたのだ。
クルド人がイラクやトルコで迫害をうけていることを
何冊かの本でよんだことがある。
この映画は、イラクでじっさいにおきた、
そして、いまなおおきている状況をきりとったものだ。
バスのなかでしたしくなった男性が、
以前クルド人の迫害にかかわったことをおばあさんがしると、
ひとがかわったようにはげしくののしる。
自分の同胞であるクルド人の村をおそった人間は、
たとえ命令だったからといってゆるせるわけがない。
しかしその男性は、いまわしくおもわれても
少年とおばあさんにつきそうことをやめない。
2人に手だすけすることで
罪ほろばしをしたかったわけではあるまい。
おばあさんとおなじく、地獄をみた人間のひとりとして
なんとかちからになりたかったのだとおもう。
刑務所をたずねても、父親のゆくえはわからない。
おしえられた集団墓地へいっても、
父親のなまえはどのリストにものっていない。
おばあさんはつかれきり、
だんだんと表情がなくなってくる。
少年は、それまで自分をまもってくれていたおばあさんを、
こんどは自分がまもっていかなければならないことをさとる。
少年もおばあさんも、そして映画にでてくるすべてのひとたちも、
演技をしているようにはぜんぜんみえない。
ドキュメンタリーのようにリアルだ。
つくられた場面を撮影したのではなく、
過酷な状況がだれにとっても「日常」であるからだろうか。
エンディングでしめされる情報によると、
イラクでは、この40年のあいだに
150万人もの行方不明者がでている。
そして、300もの集団墓地から
何十万人の身元不明の遺体が発見されているという。
この作品をみてわたしは
ただ呆然とするばかりだ。
アメリカとの戦争やテロ活動だけでなく、
イランはこんなかなしい歴史もかかえている。
アラビア語がはなせないクルド人のおばあさんを、
ひとびとはじゃけんにあつかっていなかった
(クルド語はわからない、とはいわれている)。
行方不明となっている父親をさがす2人に対し、
おなじ境遇にいるもののひとりとして
かなしみをわかちあおうとしていた。
おばあさんは、「むすこがいなくなることは、
自分の手足をとられるよりつらい」といってなげく。
このかなしみのふかさは、
民族によってかわるものではないことを、
イラクのひとびとはしっているのだ。
(2010年 イラク・イギリス・フランス
・オランダ・パレスチナ・UAE・エジプト合作
監督:モハメド・アルダラジー)
サダム=フセイン政権が崩壊してから3週間後の
2003年のイラクが舞台だ。
12歳の少年が、おばあさんといっしょに
とおい町の刑務所にいるという父親をたずねる。
草木がほとんどみられないかわききった土地を
2人はヒッチハイクしながら目的地のナシリアへむかう。
物語がすすむうちに、おばあさんはクルド人であり、
アラビア語がはなせないことがわかってくる。
少年の父親(そしておばあさんのむすこ)は、
クルド地区でフセインのバース党につれされたのだ。
クルド人がイラクやトルコで迫害をうけていることを
何冊かの本でよんだことがある。
この映画は、イラクでじっさいにおきた、
そして、いまなおおきている状況をきりとったものだ。
バスのなかでしたしくなった男性が、
以前クルド人の迫害にかかわったことをおばあさんがしると、
ひとがかわったようにはげしくののしる。
自分の同胞であるクルド人の村をおそった人間は、
たとえ命令だったからといってゆるせるわけがない。
しかしその男性は、いまわしくおもわれても
少年とおばあさんにつきそうことをやめない。
2人に手だすけすることで
罪ほろばしをしたかったわけではあるまい。
おばあさんとおなじく、地獄をみた人間のひとりとして
なんとかちからになりたかったのだとおもう。
刑務所をたずねても、父親のゆくえはわからない。
おしえられた集団墓地へいっても、
父親のなまえはどのリストにものっていない。
おばあさんはつかれきり、
だんだんと表情がなくなってくる。
少年は、それまで自分をまもってくれていたおばあさんを、
こんどは自分がまもっていかなければならないことをさとる。
少年もおばあさんも、そして映画にでてくるすべてのひとたちも、
演技をしているようにはぜんぜんみえない。
ドキュメンタリーのようにリアルだ。
つくられた場面を撮影したのではなく、
過酷な状況がだれにとっても「日常」であるからだろうか。
エンディングでしめされる情報によると、
イラクでは、この40年のあいだに
150万人もの行方不明者がでている。
そして、300もの集団墓地から
何十万人の身元不明の遺体が発見されているという。
この作品をみてわたしは
ただ呆然とするばかりだ。
アメリカとの戦争やテロ活動だけでなく、
イランはこんなかなしい歴史もかかえている。
アラビア語がはなせないクルド人のおばあさんを、
ひとびとはじゃけんにあつかっていなかった
(クルド語はわからない、とはいわれている)。
行方不明となっている父親をさがす2人に対し、
おなじ境遇にいるもののひとりとして
かなしみをわかちあおうとしていた。
おばあさんは、「むすこがいなくなることは、
自分の手足をとられるよりつらい」といってなげく。
このかなしみのふかさは、
民族によってかわるものではないことを、
イラクのひとびとはしっているのだ。
2012年01月13日
『ジブリの哲学』
『ジブリの哲学』(鈴木敏夫・岩波書店)をよむ。
おなじ岩波書店からでた『仕事道楽』とどうちがうのか。
『仕事道楽』はサブタイトルに
「スタジオジブリの現場」とあるものの、
ジブリにかぎらず鈴木さんが仕事について
どうかんがえているかを本にしたものであり、
いっぽうこの『ジブリの哲学』は、
鈴木さんがこれまでにジブリの作品について
あちこちにかいてきたことを
1冊にまとめたものである。
いまでこそ鈴木さんといえば
ジブリの有名なプロデューサーだけど、
アニメーションとのかかわりは、
雑誌『アニメージュ』の創刊をまかされることになったという
「たまたま」の出来事に端をはっしている。
『アニメージュ』の取材で宮崎さんと高畑さんにであい、
やがて彼らとの作品づくりにかかわるようになっていく。
安定した映画づくりのために宮崎さんたちとジブリをたちあげ、
その作品を大ヒットさせたプロデューサーとしての活躍は
よくしられているとおりだ。
興味ぶかいのは、鈴木さんが庶民として生きることを
大切にかんがえている、ということだ。
『大菩薩峠』という本にでてくる龍之助にひかれ、
「目的を定めず、目の前のことをこつこつとこなす。
それが、いわゆる庶民の生きる知恵だ。
僕は、そう考えて受け身と消極で生きてきた」
鈴木さんが「受け身と消極で生きてきた」
ようにはとてもおもえないが、
庶民として生きているからこそ、
作品のヒットにあぐらをかくことなく
ジブリの方向性をうちだすことができるのだろう。
東北大震災がおきたあと、
気仙沼市で『コクリコ坂から』の上映をすることになった。
いっしょにでかけた鈴木さんの仲間が、
「今回の東北行きを映画の宣伝に使わないこと」
といい、
鈴木さんも
「これは、守らなければいけないことだ」
と、当然のこととしてうけとめている。
庶民としての正常な感覚は、
こんなところにみることができる。
鈴木さんはもうひとつ、時代性ということを
どの作品づくりでも大切にしている。
「いま」という時代にアニメーションをつくる意味はなにか。
時代がもとめる意義にこたえられなければ
たとえつくりたい作品であってもいったんはとりさげ、
制作するにふさわしい時期をうかがう。
この、時代をみる目のたしかさも、
鈴木さんの仕事をみるときにはずすことはできない。
宮崎さんや高畑さんという天才がつくる作品も、
鈴木さんの存在がなければ
またちがったものとなっていただろう。
たまたまであったにすぎないアニメーションと、
こんなにたのしそうにかかわる鈴木さんは、
きっと対象がなんであれ、
じょうずに相手のよさをひきだしたことだろう。
「たまたま」アニメーションにであい、
ジブリの作品づくりたずさわってくれたことは、
わたしにとって、おおくの日本人にとって、
そして世界じゅうのひとびとにとって
しあわせなことだった。
おなじ岩波書店からでた『仕事道楽』とどうちがうのか。
『仕事道楽』はサブタイトルに
「スタジオジブリの現場」とあるものの、
ジブリにかぎらず鈴木さんが仕事について
どうかんがえているかを本にしたものであり、
いっぽうこの『ジブリの哲学』は、
鈴木さんがこれまでにジブリの作品について
あちこちにかいてきたことを
1冊にまとめたものである。
いまでこそ鈴木さんといえば
ジブリの有名なプロデューサーだけど、
アニメーションとのかかわりは、
雑誌『アニメージュ』の創刊をまかされることになったという
「たまたま」の出来事に端をはっしている。
『アニメージュ』の取材で宮崎さんと高畑さんにであい、
やがて彼らとの作品づくりにかかわるようになっていく。
安定した映画づくりのために宮崎さんたちとジブリをたちあげ、
その作品を大ヒットさせたプロデューサーとしての活躍は
よくしられているとおりだ。
興味ぶかいのは、鈴木さんが庶民として生きることを
大切にかんがえている、ということだ。
『大菩薩峠』という本にでてくる龍之助にひかれ、
「目的を定めず、目の前のことをこつこつとこなす。
それが、いわゆる庶民の生きる知恵だ。
僕は、そう考えて受け身と消極で生きてきた」
鈴木さんが「受け身と消極で生きてきた」
ようにはとてもおもえないが、
庶民として生きているからこそ、
作品のヒットにあぐらをかくことなく
ジブリの方向性をうちだすことができるのだろう。
東北大震災がおきたあと、
気仙沼市で『コクリコ坂から』の上映をすることになった。
いっしょにでかけた鈴木さんの仲間が、
「今回の東北行きを映画の宣伝に使わないこと」
といい、
鈴木さんも
「これは、守らなければいけないことだ」
と、当然のこととしてうけとめている。
庶民としての正常な感覚は、
こんなところにみることができる。
鈴木さんはもうひとつ、時代性ということを
どの作品づくりでも大切にしている。
「いま」という時代にアニメーションをつくる意味はなにか。
時代がもとめる意義にこたえられなければ
たとえつくりたい作品であってもいったんはとりさげ、
制作するにふさわしい時期をうかがう。
この、時代をみる目のたしかさも、
鈴木さんの仕事をみるときにはずすことはできない。
宮崎さんや高畑さんという天才がつくる作品も、
鈴木さんの存在がなければ
またちがったものとなっていただろう。
たまたまであったにすぎないアニメーションと、
こんなにたのしそうにかかわる鈴木さんは、
きっと対象がなんであれ、
じょうずに相手のよさをひきだしたことだろう。
「たまたま」アニメーションにであい、
ジブリの作品づくりたずさわってくれたことは、
わたしにとって、おおくの日本人にとって、
そして世界じゅうのひとびとにとって
しあわせなことだった。
2012年01月12日
『羊たちの沈黙』なぜ子羊の悲鳴にこだわるのだろう
『羊たちの沈黙』をみる。
例によって「午前10時の映画祭」だ。
また、この作品も以前になんどかみたことがあり、
いつもながらはじめてみるようにたのしめた。
クラリスは、レクター博士に
自分のおいたちをはなさざるをえない状況においやられる。
そして、そのほんのわずかな会話から、
レクター博士は、クラリスがこころにかかえる影をあぶりだす。
レクター博士のような天才的精神分析家にかかると、
クラリスの服装・アクセント・表情から、
そだちや性格など、さまざまなことをよみとってしまう。
バッファロー・ヒルの犯行についても、
はじめからすべとみとおしだった。
なぜ犠牲者のひとりだけにおもりがつけられて
発見されていたのか、ということから
クラリスは犯人にちかづいていく。
わたしは「羊たちの沈黙」がなにを意味するか
ぜんぜん理解していなかったし、
レクター博士のことばがしめす手がかりもみのがしていた。
とはいえ、子羊をすくえなかったおなさい頃の体験が、
いつまでもトラウマとなることが正直なところピントこない。
父親が事件にまきこまれてきゅうに死んだからといって、
キャサリンをすくわなければ、
羊たちはなきやまない、とまでおもうだろうか。
まあ、そこまでを分析してしまうのが
レクター博士のすごさなのだけど。
映画のラストシーンで、
変装したレクター博士が
「これから古い友人と食事でね」
ということばをのこしてひとごみのなかへあるきだす。
これが、ドクターチルトンへの復讐を
ねらったものだとやっとわかった。
それまでは、ただ外国(合衆国以外)の町へ
亡命したのだとおもっていたのだ。
映画をたのしむ素養があまりにもとぼしい気がしてきた。
この作品についてのレビューをさがし、
すぐれた「映画レビュー集」にであう。
ここまでふかくよめたら、映画をみるたのしさは
ぜんぜんちがってくるだろう。
自分のさえない鑑賞力をためきつつ、
いくつかのレビューを興味ぶかくよんだ。
(でもまあいいのだ。ブログだから、気らくにかこう)。
例によって「午前10時の映画祭」だ。
また、この作品も以前になんどかみたことがあり、
いつもながらはじめてみるようにたのしめた。
クラリスは、レクター博士に
自分のおいたちをはなさざるをえない状況においやられる。
そして、そのほんのわずかな会話から、
レクター博士は、クラリスがこころにかかえる影をあぶりだす。
レクター博士のような天才的精神分析家にかかると、
クラリスの服装・アクセント・表情から、
そだちや性格など、さまざまなことをよみとってしまう。
バッファロー・ヒルの犯行についても、
はじめからすべとみとおしだった。
なぜ犠牲者のひとりだけにおもりがつけられて
発見されていたのか、ということから
クラリスは犯人にちかづいていく。
わたしは「羊たちの沈黙」がなにを意味するか
ぜんぜん理解していなかったし、
レクター博士のことばがしめす手がかりもみのがしていた。
とはいえ、子羊をすくえなかったおなさい頃の体験が、
いつまでもトラウマとなることが正直なところピントこない。
父親が事件にまきこまれてきゅうに死んだからといって、
キャサリンをすくわなければ、
羊たちはなきやまない、とまでおもうだろうか。
まあ、そこまでを分析してしまうのが
レクター博士のすごさなのだけど。
映画のラストシーンで、
変装したレクター博士が
「これから古い友人と食事でね」
ということばをのこしてひとごみのなかへあるきだす。
これが、ドクターチルトンへの復讐を
ねらったものだとやっとわかった。
それまでは、ただ外国(合衆国以外)の町へ
亡命したのだとおもっていたのだ。
映画をたのしむ素養があまりにもとぼしい気がしてきた。
この作品についてのレビューをさがし、
すぐれた「映画レビュー集」にであう。
ここまでふかくよめたら、映画をみるたのしさは
ぜんぜんちがってくるだろう。
自分のさえない鑑賞力をためきつつ、
いくつかのレビューを興味ぶかくよんだ。
(でもまあいいのだ。ブログだから、気らくにかこう)。