『雪男は向こうからやって来た』(角幡唯介・集英社)
『空白の五マイル』でチベットのツァンボー峡谷を探検した角幡さんが、
この本ではまきこまれるかたちでヒマラヤの雪男の捜索隊にくわわる。
1ヶ月半にわたる現地での捜索のほか、
雪男をめぐるこれまでの経緯や、
6回も雪男をさがしにネパールをおとずれた鈴木紀夫さんについても、
その背景にこまかくふれている。
でも、ほんのみじかいあいだ雪男をさがしただけのことなのに、
みょうに深刻ぶったかきかたと、
効果をねらったいりくんだ構成が
「なにもここまで」という気をひきおこす。
おおまじめに雪男をさがすのがわるいのではない。
対象がちがうのに、表現のしかたが
『空白の五マイル』とまったくおなじなのに違和感があるのだ。
それは、角幡さんの主体性がどこまであるか、
という点でのちがいかもしれない。
『空白の五マイル』は角幡さんがながねん
おいもとめてきたことであったのにたいし、
「雪男」はたまたま探索隊のメンバーに
くわわることになってしまったという「まきこまれ型」だ。
だんだんと真剣に雪男をおいもとめるようになったとはいえ、
「なにがなんでも自分が」というおもいはそうたかくない。
それでも本にするにはもっともらしい体裁が必要だったから、
みたいな舞台裏を想像してしまった。
UMA(未知動物)といえば辺境探検家の
高野秀行さんの出番みたいだけど、
高野さんは雪男みたいによくしられているUMAには
関心がないのだそうだ。
「私にとって重要なのは『未知の未知動物』であり、
『既知の未知動物』はどうでもいい」
のだそうだ。
なぜなら、
「ネッシーを見ればわかるように、
メジャーな未知動物はすでに多くの人が大規模に探しているからだ。
それでも見つかっていないということは存在する可能性が低く、
存在していたとしても、徒手空拳に近い私が見つけられる可能性は
さらに低い」
からだという。
高野さんのスタンスは、それはそれでひとつの見識である。
そうではなくて、なんとなく雪男さがしに
「まきこまれてしまった」角幡さんは
自分よりももっと熱中しているひとたちの心情に
ふれないわけにいかなかった。
そして、それでもなお、
自分はあくまでも雪男の存在に中立であろうとする。
そこにこの本の二面性というか、
あらかじめ予想することができた限界をかんじてしまう。
雪男はいったいいるのか、いないのか。
「発見」されるのは、それらしい足あとや
シカなどの野生動物をみあやまったものばかりだ。
337ページの本書のうち
310ページまでよみすすめて、
ようやく捜索が失敗し、現地をはなれれることがわかる。
角幡さんは
「芳野や鈴木が見たような雪男は、
最後までわたしの前には現れなかった(中略)
おそらくわたしは彼らほど雪男に対して誠実でなかったのだ(中略)。
わたしの前でも何かが起きていたのかもしれないが、
わたしはそれを雪男と受け止めなかったのではあるまいか」
と最後の最後にかいている。
なんだかまるで映画『ステキな金縛り』ではないか。
みえるひとにはみえて、
みえないひとにはみえない。
角幡さんはほんとうにこの本をかきたかったのだろうか。
それなりにおもしろくよめたとはいえ、
最後までこの違和感がきえなかった。
2012年01月11日
2012年01月10日
一ノ瀬泰造という生きかた
『アンコール遺跡を楽しむ』(波田野直樹・連合出版)がおもしろかったので、
おなじ著者がかいた『アンコール文明への旅』と
『キリング・フィールドへの旅』の2冊を
図書館でかりてよみすすめる。
『アンコール文明への旅』のプロローグには、
波田野さんが20代のころ、南インドからヨーロッパへとさまよい、
そしてパリでアンコール遺跡の写真集にであったことがかかれている。
『キリング・フィールドへの旅』は
ポル・ポト政権下でのジェノサイドが
なぜ、どのようにおこったか、についてのものだ。
カンボジアについてなにかをかくときに、
そして、カンボジアという国と誠実にむかいあおうとしたとき、
まだ完全にはあきらかにされていないこの大虐殺について
ふれないですますわけにはいかない。
波田野さんは虐殺博物館や
カンボジアの国じゅうに点在する虐殺の現場
(キリング・フィールド)をめぐり、虐殺の背景をさぐる。
「戦場カメラマン」という章では
「私にとって最も興味があったのは沢田教一だった」とし
「沢田の写真からは
冷静沈着なプロの目撃者としての雰囲気が感じられた」とある。
青森県弘前市に未亡人の沢田サタさんをたずね、
カンボジアでの沢田教一についてしろうとする。
一ノ瀬泰造もとりあげている。
タイゾーさんはわたしにとって格別の存在で、
知識も経験もほとんどないままに世界にとびだした行動力に
20代のころからつよくひかれてきた。
きょねんの9月にアンコール遺跡をたずねたとき、
ずっとタイゾーさんのことがわたしのあたまにあったし、
その「墓」にもたずねている。
しかし波田野さんは、沢田教一にくらべ、
タイゾーさんへの視線はあきらかに批判的だ。
タイゾーさんへの批判というよりも、
映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』をみて
タイゾーさんファンになった若者たちへの
にがにがしいおもい、というべきか。
「未完成で死んだ泰造を見る人々の目は
感傷的で情緒的である。
彼が死んでしまったために
時の流れの中で伝説化と偶像化の作用が起き、
それが今も進行していて」
波田野さんは、タイゾーさんの死について、
「彼の情報収集能力が低かったのは
何の組織的な後ろ盾もなく戦場に飛び込んでいったからで、
更に情報そのものに興味がなく感性で動いていた。
こういう人間が戦場に行けばその結果は明らかだ」
プロとしてあるまじき軽々しく未熟なおこないの結果、
死ぬべきして死んでいったおろかな若者、といいたそうだ。
そこまで批判的になる心理的な背景を分析もしている。
「私は沢田に対して感じたことのない反発を
泰造に感じていた」とし、
「その理由のひとつに私と泰造が年齢的に近かったということがある」
「私が二十歳を過ぎてどう生きてゆくか迷っていた頃、
泰造のような若者はいくらでもいて特殊でも象徴的でもなかった。
泰造は私の隣にいたのだ」
大人からみればタイゾーさんの生きかたは
「情報そのものに興味がなく感性で動いていた」
ようにおもえるかもしれない。
しかし、自分がやりたいことにむかって
(まよいながらも)つきすすむタイゾーさんの行為は
若者だけにおとずれる、いかんともしがたい情熱の発露であり、
もうすこしかしこくやれば、という批判と相容れるものではない。
タイゾーさんは、金や名誉のために
アンコール遺跡をめざしたのではなかった。
クメール・ルージュの支配下にあった
アンコール遺跡だからこそとりたかったのであり、
なぜそれが必要だったかは
「やりたかったから」としかいいようがない。
タイゾーさんについての波田野さんの指摘は理解できる。
でも、あの時代・あの状況でのタイゾーさんの行為は、
タイゾーさん本人にとっても、そしてだれにとっても
とめられるものではなかった。
死をうつくしく、神聖なものにたてまつるつもりはない。
タイゾーさんの生きかたにひかれたものとして、
わかさゆえのどうしようもない情熱を
否定的にとらえられたくなかった。
おなじ著者がかいた『アンコール文明への旅』と
『キリング・フィールドへの旅』の2冊を
図書館でかりてよみすすめる。
『アンコール文明への旅』のプロローグには、
波田野さんが20代のころ、南インドからヨーロッパへとさまよい、
そしてパリでアンコール遺跡の写真集にであったことがかかれている。
『キリング・フィールドへの旅』は
ポル・ポト政権下でのジェノサイドが
なぜ、どのようにおこったか、についてのものだ。
カンボジアについてなにかをかくときに、
そして、カンボジアという国と誠実にむかいあおうとしたとき、
まだ完全にはあきらかにされていないこの大虐殺について
ふれないですますわけにはいかない。
波田野さんは虐殺博物館や
カンボジアの国じゅうに点在する虐殺の現場
(キリング・フィールド)をめぐり、虐殺の背景をさぐる。
「戦場カメラマン」という章では
「私にとって最も興味があったのは沢田教一だった」とし
「沢田の写真からは
冷静沈着なプロの目撃者としての雰囲気が感じられた」とある。
青森県弘前市に未亡人の沢田サタさんをたずね、
カンボジアでの沢田教一についてしろうとする。
一ノ瀬泰造もとりあげている。
タイゾーさんはわたしにとって格別の存在で、
知識も経験もほとんどないままに世界にとびだした行動力に
20代のころからつよくひかれてきた。
きょねんの9月にアンコール遺跡をたずねたとき、
ずっとタイゾーさんのことがわたしのあたまにあったし、
その「墓」にもたずねている。
しかし波田野さんは、沢田教一にくらべ、
タイゾーさんへの視線はあきらかに批判的だ。
タイゾーさんへの批判というよりも、
映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』をみて
タイゾーさんファンになった若者たちへの
にがにがしいおもい、というべきか。
「未完成で死んだ泰造を見る人々の目は
感傷的で情緒的である。
彼が死んでしまったために
時の流れの中で伝説化と偶像化の作用が起き、
それが今も進行していて」
波田野さんは、タイゾーさんの死について、
「彼の情報収集能力が低かったのは
何の組織的な後ろ盾もなく戦場に飛び込んでいったからで、
更に情報そのものに興味がなく感性で動いていた。
こういう人間が戦場に行けばその結果は明らかだ」
プロとしてあるまじき軽々しく未熟なおこないの結果、
死ぬべきして死んでいったおろかな若者、といいたそうだ。
そこまで批判的になる心理的な背景を分析もしている。
「私は沢田に対して感じたことのない反発を
泰造に感じていた」とし、
「その理由のひとつに私と泰造が年齢的に近かったということがある」
「私が二十歳を過ぎてどう生きてゆくか迷っていた頃、
泰造のような若者はいくらでもいて特殊でも象徴的でもなかった。
泰造は私の隣にいたのだ」
大人からみればタイゾーさんの生きかたは
「情報そのものに興味がなく感性で動いていた」
ようにおもえるかもしれない。
しかし、自分がやりたいことにむかって
(まよいながらも)つきすすむタイゾーさんの行為は
若者だけにおとずれる、いかんともしがたい情熱の発露であり、
もうすこしかしこくやれば、という批判と相容れるものではない。
タイゾーさんは、金や名誉のために
アンコール遺跡をめざしたのではなかった。
クメール・ルージュの支配下にあった
アンコール遺跡だからこそとりたかったのであり、
なぜそれが必要だったかは
「やりたかったから」としかいいようがない。
タイゾーさんについての波田野さんの指摘は理解できる。
でも、あの時代・あの状況でのタイゾーさんの行為は、
タイゾーさん本人にとっても、そしてだれにとっても
とめられるものではなかった。
死をうつくしく、神聖なものにたてまつるつもりはない。
タイゾーさんの生きかたにひかれたものとして、
わかさゆえのどうしようもない情熱を
否定的にとらえられたくなかった。
2012年01月09日
すてきな笑顔をありがとう「クリスマスチャリティーマッチ2011」
「クリスマスチャリティーマッチ2011」
東北ドリームスとJAPANスターズの試合を再放送でみる。
震災直後の3月29日におこなわれたチャリティーマッチは
フル代表とJリーグ選抜チームとの試合であり、
選手たちのあつい気もちがあわられた真剣勝負だった。
今回のチャリティーマッチは笑顔があふれている。
得点をあげた佐藤寿人が
パフォーマンスでサンタクロースに変身したり、
香川と内田が線審として選手交代し、
その線審の香川がコーナーキックをけったり、
中山ゴンがボールをもつとだれもプレッシャーにいかず、
フリーでゴールにちかづけたり。
ふだんはこうした冗談はきらいだけど、
このチャリティーマッチで
選手たちがみせてくれた笑顔はとてもすてきだった。
震災をわすれないためには、
こうしたこころみが必要なんだ。
いろんなかたちの支援があるなかで、
わすれないためのとりくみがどれだけ大切かは、
被災地のひとたちが
いちばんよくかんじておられるだろう。
チャリティーマッチに参加した選手たちは
被災地や、ゲームをみたひとに
笑顔をプレゼントしてくれた。
ほんとうにたのしんでいる選手たちをみて
スタンドのひとたちもリラックスした笑顔をみせる。
こういう試合を実現してくれた関係者の方々に感謝し、
そのファインプレーをたかく評価したい。
東北ドリームスとJAPANスターズの試合を再放送でみる。
震災直後の3月29日におこなわれたチャリティーマッチは
フル代表とJリーグ選抜チームとの試合であり、
選手たちのあつい気もちがあわられた真剣勝負だった。
今回のチャリティーマッチは笑顔があふれている。
得点をあげた佐藤寿人が
パフォーマンスでサンタクロースに変身したり、
香川と内田が線審として選手交代し、
その線審の香川がコーナーキックをけったり、
中山ゴンがボールをもつとだれもプレッシャーにいかず、
フリーでゴールにちかづけたり。
ふだんはこうした冗談はきらいだけど、
このチャリティーマッチで
選手たちがみせてくれた笑顔はとてもすてきだった。
震災をわすれないためには、
こうしたこころみが必要なんだ。
いろんなかたちの支援があるなかで、
わすれないためのとりくみがどれだけ大切かは、
被災地のひとたちが
いちばんよくかんじておられるだろう。
チャリティーマッチに参加した選手たちは
被災地や、ゲームをみたひとに
笑顔をプレゼントしてくれた。
ほんとうにたのしんでいる選手たちをみて
スタンドのひとたちもリラックスした笑顔をみせる。
こういう試合を実現してくれた関係者の方々に感謝し、
そのファインプレーをたかく評価したい。
2012年01月08日
タイ米でカオパットをつくる
チェンマイの市場でかったタイ米で
カオパット(チャーハン)をつくる。
日本米(ジャポニカ)よりも
ずいぶん細ながいインディカ米だ。
お店でいちばんたかいものをえらんだけど、
それでも1キロが30バーツ(75円)と
日本の米とくらべるとずいぶんやすい。
日本米とおなじ水かげんでしこみ、炊飯器でたく。
といでもほとんどヌカがでなかった。
しばらくするといいにおいがただよってくる。
なつかしいタイのかおりだ。
ちょっとがんばっていろいろ用意したのに、
カオパットのできはよくなかった。
フライパンにしく油がすくなくて、
パラッとしたかるいしあがりになっていない。
パッタイのつもりで焼うどんをとなりのコンロでつくり、
カオパットに集中できなかったのが敗因だ。
ちかくのスーパーでトムカーガイのセットをうっているので
これも用意した。
トムヤムクンよりこっちのほうがわたしのこのみだ。
ココナツミルクのスープで、
パクチーのかわりにベトナムコリアンダーをちらす。
こんどの旅行でも、ほとんどタイ語をおぼえなかったけど、
カーオ ニーアオ ミーマイ?(もち米はありますか?)と
カーオ マン ガイ ミーマイ?(ゆで鶏ごはんありますか?)は
よく口にした。
こんどはこのカーオ マン ガイをつくるつもり。
日本が記録的な冷夏だった1993年にタイ米が輸入されたのも、
いまではとおいむかしばなしだ。
このことを記憶してるのは、
すでにおじさん・おばさん以上の年齢ということなのか。
むかしをしるもののつとめとして、
カーオ マン ガイのときに
むすこにはなしてきかせよう
(きょうはカオパットの失敗に動揺して、
なんとなくはなしそびれた)。
カオパット(チャーハン)をつくる。
日本米(ジャポニカ)よりも
ずいぶん細ながいインディカ米だ。
お店でいちばんたかいものをえらんだけど、
それでも1キロが30バーツ(75円)と
日本の米とくらべるとずいぶんやすい。
日本米とおなじ水かげんでしこみ、炊飯器でたく。
といでもほとんどヌカがでなかった。
しばらくするといいにおいがただよってくる。
なつかしいタイのかおりだ。
ちょっとがんばっていろいろ用意したのに、
カオパットのできはよくなかった。
フライパンにしく油がすくなくて、
パラッとしたかるいしあがりになっていない。
パッタイのつもりで焼うどんをとなりのコンロでつくり、
カオパットに集中できなかったのが敗因だ。
ちかくのスーパーでトムカーガイのセットをうっているので
これも用意した。
トムヤムクンよりこっちのほうがわたしのこのみだ。
ココナツミルクのスープで、
パクチーのかわりにベトナムコリアンダーをちらす。
こんどの旅行でも、ほとんどタイ語をおぼえなかったけど、
カーオ ニーアオ ミーマイ?(もち米はありますか?)と
カーオ マン ガイ ミーマイ?(ゆで鶏ごはんありますか?)は
よく口にした。
こんどはこのカーオ マン ガイをつくるつもり。
日本が記録的な冷夏だった1993年にタイ米が輸入されたのも、
いまではとおいむかしばなしだ。
このことを記憶してるのは、
すでにおじさん・おばさん以上の年齢ということなのか。
むかしをしるもののつとめとして、
カーオ マン ガイのときに
むすこにはなしてきかせよう
(きょうはカオパットの失敗に動揺して、
なんとなくはなしそびれた)。
2012年01月07日
『来ちゃった』(酒井順子・小学館)
『来ちゃった』(酒井順子・小学館)
高級女性誌『プレシャス』に連載されたものだという。
いってみたい場所を酒井さんがきめ、
日本じゅうのさまざまな場所をたずねる。
焼畑の村・広島市民球場・倉吉の投入堂、
それに島根県の隠岐などぜんぶで37箇所。
日本だけではなく、アイルランドのダブリンと、
青蔵鉄道にのってラサにでかける海外編もある。
はとバスにのる東京編、ネコで有名な田代島や、
出生率が日本でいちばんたかいという多々良島なんて
ふつうなかなかおもいつかない。
どこもそれなりに名前がしられているけど、
けしてメジャーではないような場所を
よくこんなにたずねたものだ。
鉄女である酒井さんは、
鉄道をつかうと満足してしまうのか、
なかにはあまりおもしろくない回もある。
ごちそうをまえにして
「夕食は、まるで盆と正月が
一緒に来たような食卓でした」
なんてかくのだ。
さすがにこれは手ぬきだろー
とつっこみたくなる。
掲載が『プレシャス』なので、
読者層を意識してあたりさわりのない表現がおおくなったのだろうか。
そうはいっても、基本的にはおもしろいわけで、
はじめはしっている場所についてかかれたはなしをさがしていたけど、
それぞれがめずらいい体験であり、
酒井さん流のスタイルにも共感できるので、
結局すぐにぜんぶよんでしまった。
こんぴら歌舞伎を見学したときの
「東を向いていた海老蔵が西を向けば、
西側の客達は、まるで海老蔵が金の粉でも撒いたかのように、
「キャーッ」と絶叫して破顔。
再び東を向けば、東側の客も絶叫して破顔」
なんて、さすがにうまい。酒井さんならではのものだろう。
こういうふうに、あまりしられていない場所を
(すくなくとも『プレシャス』読者には)、
なにげなく酒井さんがたずねると、
有名な観光地やイベントへむかわなくても、
旅行をたのしむことができることがわかる。
ただ、これは、「はじめに」で酒井さんがかいているように、
ある年齢以上にならないとみえてこない
旅行のおもしろさなのだろう。
どれもが1,2泊の旅行なのもいいかんじだ。
外国へでかけるときなど、
つい、「できるだけながく」
というふうにかんがえてしまうけど、
国内旅行ならこれくらいのみじかさが
ちょうどいいようにおもえてくる。
外国だって、グアムやソウルなんかだったら、
2泊3日でじゅうぶんという気にもなってきた。
気らくにでかけ、2,3日のちょっとした「非日常」をあじわって、
そしてまた家にもどる。
そうした旅行もおとなになったらありなんだ。
酒井さんのゆたかな好奇心と観察力のするどさには
日ごろから敬意をはらっていたけど、
挿絵をかいている「ほしよりこ」さんのあとがきによると、
酒井さんは移動ちゅう、電車でもバスでもフェリーでも
よくねているのだそうだ。
はっと目をさまし「絶景ポイント通過しました」
というのがおかしかった。
高級女性誌『プレシャス』に連載されたものだという。
いってみたい場所を酒井さんがきめ、
日本じゅうのさまざまな場所をたずねる。
焼畑の村・広島市民球場・倉吉の投入堂、
それに島根県の隠岐などぜんぶで37箇所。
日本だけではなく、アイルランドのダブリンと、
青蔵鉄道にのってラサにでかける海外編もある。
はとバスにのる東京編、ネコで有名な田代島や、
出生率が日本でいちばんたかいという多々良島なんて
ふつうなかなかおもいつかない。
どこもそれなりに名前がしられているけど、
けしてメジャーではないような場所を
よくこんなにたずねたものだ。
鉄女である酒井さんは、
鉄道をつかうと満足してしまうのか、
なかにはあまりおもしろくない回もある。
ごちそうをまえにして
「夕食は、まるで盆と正月が
一緒に来たような食卓でした」
なんてかくのだ。
さすがにこれは手ぬきだろー
とつっこみたくなる。
掲載が『プレシャス』なので、
読者層を意識してあたりさわりのない表現がおおくなったのだろうか。
そうはいっても、基本的にはおもしろいわけで、
はじめはしっている場所についてかかれたはなしをさがしていたけど、
それぞれがめずらいい体験であり、
酒井さん流のスタイルにも共感できるので、
結局すぐにぜんぶよんでしまった。
こんぴら歌舞伎を見学したときの
「東を向いていた海老蔵が西を向けば、
西側の客達は、まるで海老蔵が金の粉でも撒いたかのように、
「キャーッ」と絶叫して破顔。
再び東を向けば、東側の客も絶叫して破顔」
なんて、さすがにうまい。酒井さんならではのものだろう。
こういうふうに、あまりしられていない場所を
(すくなくとも『プレシャス』読者には)、
なにげなく酒井さんがたずねると、
有名な観光地やイベントへむかわなくても、
旅行をたのしむことができることがわかる。
ただ、これは、「はじめに」で酒井さんがかいているように、
ある年齢以上にならないとみえてこない
旅行のおもしろさなのだろう。
どれもが1,2泊の旅行なのもいいかんじだ。
外国へでかけるときなど、
つい、「できるだけながく」
というふうにかんがえてしまうけど、
国内旅行ならこれくらいのみじかさが
ちょうどいいようにおもえてくる。
外国だって、グアムやソウルなんかだったら、
2泊3日でじゅうぶんという気にもなってきた。
気らくにでかけ、2,3日のちょっとした「非日常」をあじわって、
そしてまた家にもどる。
そうした旅行もおとなになったらありなんだ。
酒井さんのゆたかな好奇心と観察力のするどさには
日ごろから敬意をはらっていたけど、
挿絵をかいている「ほしよりこ」さんのあとがきによると、
酒井さんは移動ちゅう、電車でもバスでもフェリーでも
よくねているのだそうだ。
はっと目をさまし「絶景ポイント通過しました」
というのがおかしかった。
2012年01月06日
ヤッソ800をごぞんじですか?
『ランナーズ』の付録に「ランナーズ便利帳」として、
ランニングに関する用語の説明がのっていた。
トレーニング法についてもふれてある。
そのなかに「ヤッソ800」という
きいたこともないことばがでていた。
「800m×10本のインターバルトレーニングから
フルマラソンのタイムを算出する公式」
なのだそうだ。
たとえば800mを4分のインターバルで10本まわれるひとは、
論理的にはフルマラソンで4時間ではしれる、というものらしい。
インターバルは400mをゆっくりながすことでつなぐ。
公式は
「フルマラソンX時間Y分 = 800mX分Y秒×10本のインターバル」
であらわされる。
おもしろいことをかんがえるひとがいるものだ。
わたしの場合、このまえのマラソンが4時間50分だったので、
800mを4分50秒ではしることを10本つづけるちからがある。
ちがういいかたをすれば、
4時間をきりたかったら、800mを4分ではしることを
10本つづけるちからをつける必要があるということだ。
この数字は、トレッドミルで練習するときの実感と一致している。
いまのわたしには時速9キロだとぜんぜん楽だけど、
これが10キロになると1時間しかつづかない。
ただ、フルマラソンの距離をはしったとき、
スピードがだせないことよりも、
練習不足がたたって、ながい距離に
足がなれていなかったことがつらかった。
30キロをすぎると、もう足がそれまでのようにまえにでないのだ。
ヤッソ800の公式にそって
800mを10本まわるちからがついたとしても、
それは心肺能力がたかまったのであり、
足が距離になれたわけではないので、
それだけではフルマラソンをはしりきれないとおもう。
レースまえには30キロくらいをつづけてはしれるように
なっておいたほうがいいだろう。
800mや400mという距離は、
トラックをつかわないとなかなかとらえられないので、
道路でもできる1000mにして練習してもいいという。
800mを4分というペースは時速12キロだから、
トレッドミルでもにたような練習ができそうだ。
いまのままの練習をつづけても、
距離に足をならせば4時間30分はいけるとおもう。
ただ、つぎの目標として、
なんとか時速10キロのペースを維持して
42.195キロをはしりきれるようになりたい。
時速12キロで800mを10本はしることは、
いまのわたしにとってかなりハードルがたかく、
すごくくるしそうだ。
でも、ゆっくりはしるだけよりも、
トレーニングに挑戦の要素をいれることができる。
ヤッソ800をためしてみようか。
ランニングに関する用語の説明がのっていた。
トレーニング法についてもふれてある。
そのなかに「ヤッソ800」という
きいたこともないことばがでていた。
「800m×10本のインターバルトレーニングから
フルマラソンのタイムを算出する公式」
なのだそうだ。
たとえば800mを4分のインターバルで10本まわれるひとは、
論理的にはフルマラソンで4時間ではしれる、というものらしい。
インターバルは400mをゆっくりながすことでつなぐ。
公式は
「フルマラソンX時間Y分 = 800mX分Y秒×10本のインターバル」
であらわされる。
おもしろいことをかんがえるひとがいるものだ。
わたしの場合、このまえのマラソンが4時間50分だったので、
800mを4分50秒ではしることを10本つづけるちからがある。
ちがういいかたをすれば、
4時間をきりたかったら、800mを4分ではしることを
10本つづけるちからをつける必要があるということだ。
この数字は、トレッドミルで練習するときの実感と一致している。
いまのわたしには時速9キロだとぜんぜん楽だけど、
これが10キロになると1時間しかつづかない。
ただ、フルマラソンの距離をはしったとき、
スピードがだせないことよりも、
練習不足がたたって、ながい距離に
足がなれていなかったことがつらかった。
30キロをすぎると、もう足がそれまでのようにまえにでないのだ。
ヤッソ800の公式にそって
800mを10本まわるちからがついたとしても、
それは心肺能力がたかまったのであり、
足が距離になれたわけではないので、
それだけではフルマラソンをはしりきれないとおもう。
レースまえには30キロくらいをつづけてはしれるように
なっておいたほうがいいだろう。
800mや400mという距離は、
トラックをつかわないとなかなかとらえられないので、
道路でもできる1000mにして練習してもいいという。
800mを4分というペースは時速12キロだから、
トレッドミルでもにたような練習ができそうだ。
いまのままの練習をつづけても、
距離に足をならせば4時間30分はいけるとおもう。
ただ、つぎの目標として、
なんとか時速10キロのペースを維持して
42.195キロをはしりきれるようになりたい。
時速12キロで800mを10本はしることは、
いまのわたしにとってかなりハードルがたかく、
すごくくるしそうだ。
でも、ゆっくりはしるだけよりも、
トレーニングに挑戦の要素をいれることができる。
ヤッソ800をためしてみようか。
2012年01月05日
『アンコール遺跡を楽しむ』(波田野直樹・連合出版)
『アンコール遺跡を楽しむ』(波田野直樹・連合出版)
カンボジア旅行でたずねたアンコール遺跡がよかったので、
もうすこしつっこんだことをしりたくなった。
市立図書館で別の本をさがしているときに、
たまたま目についた本書を手にとったら、
これがすごい「あたり」だった。
この本は、ある意味で「奇書」といっていいかもしれない。
よみすすめるうちに、
アンコール遺跡についての歴史や
基礎的な知識をまなべるいっぽうで、
まるで旅行のガイドブックのように
あらゆる情報がさきまわりして読者に提供されている。
アンコール遺跡について、
できるだけ理解をふかめてほしい、
なによりもすきになってもらいたいという
著者の「アンコール愛」を
いたるところでかんじることとなる。
「どんなところに泊まるか」
「アンコール観光の基本スタイル」
「観光の足」
などについてもふれてあるし、
感染症や健康管理までもおさえてある。
おどろいたのは
「障害を持つ人のためのアンコール案内」と題して
車いすを利用するひとにむけて
「以下に、車椅子で訪れるのが
比較的楽だと思われる遺跡を考えてみた」と、
最善とおもわれるまわり方が検討されていることだ。
「アンコール・ワットの場合、
車椅子で行動可能なのは西参道〜第一回廊〜第二回廊まで」
「アンコール・トムの南門はまったく問題ない」
「バイヨンの場合、(中略)
そこへは相当急な階段があるので
あきらめたほうがいい。
もしどうしても行きたいのなら、
四人以上の介助者とロープによる確保が必要だろう」
とこまかく可能性をさぐっている。
こんな記述は『地球の歩き方』シリーズにだってない。
というか、障害者の旅行について
専門にかかれた本でなければ
まずみられないであろう、つっこんだ内容だ。
これは著者の性格からくるものなのだろか。
これを「アンコール愛」といわずして
どう表現したらいいのだろう。
観光の足としてなにをつかうのがいいか、とか
何日あればいい?とか、
ほんとにこまかい。
具体的なホテル名はあげてないにしても、
この一冊で、アンコール遺跡をたずねるときの
具体的な情報がぜんぶカバーされている。
どういうながれでまわったらいいか。
それぞれの遺跡の、どの回廊の、
どのレリーフがいっけんに値するのか。
それはなぜか。
みる位置はどこがいいか。
自分は「遺跡マニアですらない」と
プロローグでことわっているものの、
ここまでくればだれがみてもりっぱなマニアだろう。
なぜ著者がここまでアンコール遺跡にいれこむようになったかも
プロローグでふれてあるので、
ぜひ本書を手にしてもらえたらとおもう。
各章をよむだけで
じゅうぶんに著者のおもいがつたわってくるが、
そのうえに
「アンコール遺跡の歩き方」として、
7編のコラムがはさまれていて、
著者の体験やかんがえがますます自由に展開されている。
「マイナー遺跡群と『遺跡ハンティング』」という章もある。
一般にはしられていない遺跡をどうみつけ、
どうたずねるか、といった
かなりマニアックな内容だ。
「信頼できるバイクタクシーのドライバーを
探すことが第一歩だ。
ゲストハウスにたむろしていて日本語を話す
ナンパ専門のドライバーのようなタイプではなく、
まじめで好奇心に富んだドライバーを
あなた自身の目で探すのだ」
と、マイナー遺跡をたずねるには
そうとうなこころがまえが必要みたいだ。
ここまでくると、ガイドブックというより
なにかの修行みたいなきびしい世界にはいってくる。
「いたりつくせり」と「おせっかい」の分岐点を
たくみにつなわたりした
絶対おすすめの入門書だ。
この本をもってもういちど
アンコール遺跡へでかけたくなった。
カンボジア旅行でたずねたアンコール遺跡がよかったので、
もうすこしつっこんだことをしりたくなった。
市立図書館で別の本をさがしているときに、
たまたま目についた本書を手にとったら、
これがすごい「あたり」だった。
この本は、ある意味で「奇書」といっていいかもしれない。
よみすすめるうちに、
アンコール遺跡についての歴史や
基礎的な知識をまなべるいっぽうで、
まるで旅行のガイドブックのように
あらゆる情報がさきまわりして読者に提供されている。
アンコール遺跡について、
できるだけ理解をふかめてほしい、
なによりもすきになってもらいたいという
著者の「アンコール愛」を
いたるところでかんじることとなる。
「どんなところに泊まるか」
「アンコール観光の基本スタイル」
「観光の足」
などについてもふれてあるし、
感染症や健康管理までもおさえてある。
おどろいたのは
「障害を持つ人のためのアンコール案内」と題して
車いすを利用するひとにむけて
「以下に、車椅子で訪れるのが
比較的楽だと思われる遺跡を考えてみた」と、
最善とおもわれるまわり方が検討されていることだ。
「アンコール・ワットの場合、
車椅子で行動可能なのは西参道〜第一回廊〜第二回廊まで」
「アンコール・トムの南門はまったく問題ない」
「バイヨンの場合、(中略)
そこへは相当急な階段があるので
あきらめたほうがいい。
もしどうしても行きたいのなら、
四人以上の介助者とロープによる確保が必要だろう」
とこまかく可能性をさぐっている。
こんな記述は『地球の歩き方』シリーズにだってない。
というか、障害者の旅行について
専門にかかれた本でなければ
まずみられないであろう、つっこんだ内容だ。
これは著者の性格からくるものなのだろか。
これを「アンコール愛」といわずして
どう表現したらいいのだろう。
観光の足としてなにをつかうのがいいか、とか
何日あればいい?とか、
ほんとにこまかい。
具体的なホテル名はあげてないにしても、
この一冊で、アンコール遺跡をたずねるときの
具体的な情報がぜんぶカバーされている。
どういうながれでまわったらいいか。
それぞれの遺跡の、どの回廊の、
どのレリーフがいっけんに値するのか。
それはなぜか。
みる位置はどこがいいか。
自分は「遺跡マニアですらない」と
プロローグでことわっているものの、
ここまでくればだれがみてもりっぱなマニアだろう。
なぜ著者がここまでアンコール遺跡にいれこむようになったかも
プロローグでふれてあるので、
ぜひ本書を手にしてもらえたらとおもう。
各章をよむだけで
じゅうぶんに著者のおもいがつたわってくるが、
そのうえに
「アンコール遺跡の歩き方」として、
7編のコラムがはさまれていて、
著者の体験やかんがえがますます自由に展開されている。
「マイナー遺跡群と『遺跡ハンティング』」という章もある。
一般にはしられていない遺跡をどうみつけ、
どうたずねるか、といった
かなりマニアックな内容だ。
「信頼できるバイクタクシーのドライバーを
探すことが第一歩だ。
ゲストハウスにたむろしていて日本語を話す
ナンパ専門のドライバーのようなタイプではなく、
まじめで好奇心に富んだドライバーを
あなた自身の目で探すのだ」
と、マイナー遺跡をたずねるには
そうとうなこころがまえが必要みたいだ。
ここまでくると、ガイドブックというより
なにかの修行みたいなきびしい世界にはいってくる。
「いたりつくせり」と「おせっかい」の分岐点を
たくみにつなわたりした
絶対おすすめの入門書だ。
この本をもってもういちど
アンコール遺跡へでかけたくなった。
2012年01月04日
特製 鷹の爪 麺「吉田くんらーめん」をかう
配偶者の実家がある掛合に帰省する。
掛合は元総理大臣の竹下登氏が生まれた町というよりも、
いまでは「秘密結社鷹の爪」の吉田くんのふるさと
吉田町(以前は吉田村だった)のとなり町としてしられている。
そして、ややこしいことに、
掛合のとなり町の三刀屋にあるスーパーでは、
「特製 鷹の爪麺 吉田くんらーめん」
をかうことができるのだ

(吉田町で「吉田くんらーめん」を販売しても、
あまりにも田舎町なので
よほどコアなファンでないかぎり、
わざわざかいにでかけることはかんがえにくい。
いちばんちかい販売拠点として
この三刀屋のスーパーがえらばれたのだろう)。
どこが「吉田くんらーめん」なのかというと、
「鷹の爪団」らしく「鷹の爪」、
つまり唐辛子を麺にねりこんであるところが
「鷹の爪 麺」のゆえんであり、
透明な袋からみる麺(乾麺)は、
たしかにうっすらと赤く、
唐辛子がはいっていることがみとめられる。
味のほうはというと、
とくにひどくはないけど、
かといってわざわざ唐辛子をねりこんだことによって
おいしさがはげしくましたというわけでもない。
この、めざしていた目的を
自然にはずしてしまうところが「鷹の爪 麺」
らしいといえばいえる。
2食いり600円もするので、
気がるにかうには少々たかく、
ものめずらしさから「鷹の爪」のファンが
おみやげとしてかいもとめるくらいではないか。
とはいえ、地元産の製品がならべられているコーナーに
たくさんつまれているので、
あんがい根づよい愛好家が存在するのかもしれない。
少年のようにみえる吉田くんは、
じつは24歳の青年であり、
「しまねスーパー大使」にもえらばれて
島根県の知名度をたかめる任務にもついている。
彼がなぜ、ふるさとの吉田村(当時)をはなれたかは
あかされていない。
この「吉田くんらーめん」のなかにはいっている
フォーチュン・クッキーに
その詳細がかかれている、というウワサは
もちろんまちがっている。
掛合は元総理大臣の竹下登氏が生まれた町というよりも、
いまでは「秘密結社鷹の爪」の吉田くんのふるさと
吉田町(以前は吉田村だった)のとなり町としてしられている。
そして、ややこしいことに、
掛合のとなり町の三刀屋にあるスーパーでは、
「特製 鷹の爪麺 吉田くんらーめん」
をかうことができるのだ

(吉田町で「吉田くんらーめん」を販売しても、
あまりにも田舎町なので
よほどコアなファンでないかぎり、
わざわざかいにでかけることはかんがえにくい。
いちばんちかい販売拠点として
この三刀屋のスーパーがえらばれたのだろう)。
どこが「吉田くんらーめん」なのかというと、
「鷹の爪団」らしく「鷹の爪」、
つまり唐辛子を麺にねりこんであるところが
「鷹の爪 麺」のゆえんであり、
透明な袋からみる麺(乾麺)は、
たしかにうっすらと赤く、
唐辛子がはいっていることがみとめられる。
味のほうはというと、
とくにひどくはないけど、
かといってわざわざ唐辛子をねりこんだことによって
おいしさがはげしくましたというわけでもない。
この、めざしていた目的を
自然にはずしてしまうところが「鷹の爪 麺」
らしいといえばいえる。
2食いり600円もするので、
気がるにかうには少々たかく、
ものめずらしさから「鷹の爪」のファンが
おみやげとしてかいもとめるくらいではないか。
とはいえ、地元産の製品がならべられているコーナーに
たくさんつまれているので、
あんがい根づよい愛好家が存在するのかもしれない。
少年のようにみえる吉田くんは、
じつは24歳の青年であり、
「しまねスーパー大使」にもえらばれて
島根県の知名度をたかめる任務にもついている。
彼がなぜ、ふるさとの吉田村(当時)をはなれたかは
あかされていない。
この「吉田くんらーめん」のなかにはいっている
フォーチュン・クッキーに
その詳細がかかれている、というウワサは
もちろんまちがっている。
2012年01月03日
箱根駅伝 ー東洋大学の圧勝ー
東洋大学の圧倒的なつよさをたたえるしかない。
往路新記録、復路新記録、
そして総合でも大会記録を8分も更新する
10時間51秒36という大会新記録だ。
2位の駒沢に9分の差をつけ、
きょねん早稲田に21秒差でまけたくやしさを
みごとにはらす。
『風が強く吹いている』をよんだすぐあとだったので、
箱根駅伝特有のことばがよくわかる。
「たすきをつなぐ」「いっせいくりあげスタート」
「学連選抜」「みための順番」。
どれも、これまではなんのことかわからなかった。
学校の名誉やチームの伝統のために、
過剰なプレッシャーをせおってはしることは、
わたしのすきなスタイルではない。
たすきをわたしおえたあとに
たおれこむ選手をみると、
気のどくにおもってしまう。
各選手のはしりに胸をあつくしながらも、
もうひとつその世界にはいりこめない。
『風が強く吹いている』がおもしろかったのは、
ほとんど陸上を経験したことのないメンバーをあつめて
強豪校に、そしてなによりも自分自信に
挑戦するという設定が気もちよかったからだ。
はしるのは、自分のため、
そして仲間のために、だけでいい。
往路新記録、復路新記録、
そして総合でも大会記録を8分も更新する
10時間51秒36という大会新記録だ。
2位の駒沢に9分の差をつけ、
きょねん早稲田に21秒差でまけたくやしさを
みごとにはらす。
『風が強く吹いている』をよんだすぐあとだったので、
箱根駅伝特有のことばがよくわかる。
「たすきをつなぐ」「いっせいくりあげスタート」
「学連選抜」「みための順番」。
どれも、これまではなんのことかわからなかった。
学校の名誉やチームの伝統のために、
過剰なプレッシャーをせおってはしることは、
わたしのすきなスタイルではない。
たすきをわたしおえたあとに
たおれこむ選手をみると、
気のどくにおもってしまう。
各選手のはしりに胸をあつくしながらも、
もうひとつその世界にはいりこめない。
『風が強く吹いている』がおもしろかったのは、
ほとんど陸上を経験したことのないメンバーをあつめて
強豪校に、そしてなによりも自分自信に
挑戦するという設定が気もちよかったからだ。
はしるのは、自分のため、
そして仲間のために、だけでいい。
2012年01月02日
いつものようにお正月らしくないお正月
このごろは毎年のように
「今年はお正月らしくない」とおもうようになった。
今回は元旦に帰国するという、
とくに異例のスケジュールだったので
なおさらなのだろうか。
紅白をみて、年こしソバをたべ、
元旦にはお雑煮をたべたあち初詣をする、
というのがわたしがイメージする「お正月」なのだけど、
家族の構成や年齢などによって、
それらがだんだん形骸化してくる。
今年はついにそのどれもをスルーすることになった。
タイでは、12月30日にも学校に生徒がかよっていた。
お正月はあまりおおきなおいわいごとではないそうで、
大晦日と元旦だけやすみ、と
たまたま食堂ではなしたタイのひとがいっていた。
タイ人にとって、いちばんおおきなおまつりは
4月にあるソンクラーン(水かけ祭)だという。
そのひとがいうように、
たしかに大晦日にも両替所はひらいていたし、
いきつけの食堂やタイマッサージの店も、
いつものように営業していた。
空港への足がなくなったらこまるなー
と心配していたけど、
そんなことはまったくの杞憂で、
すぐにトゥクトゥクをとめて空港にむかうことができた。
紅白もソバもお雑煮もスルーしたけど、
なんとかサッカーの天皇杯には間にあったし、
きょうは箱根駅伝もみることができた。
これはこれで、印象にのこるお正月となりそうだ。
「今年はお正月らしくない」とおもうようになった。
今回は元旦に帰国するという、
とくに異例のスケジュールだったので
なおさらなのだろうか。
紅白をみて、年こしソバをたべ、
元旦にはお雑煮をたべたあち初詣をする、
というのがわたしがイメージする「お正月」なのだけど、
家族の構成や年齢などによって、
それらがだんだん形骸化してくる。
今年はついにそのどれもをスルーすることになった。
タイでは、12月30日にも学校に生徒がかよっていた。
お正月はあまりおおきなおいわいごとではないそうで、
大晦日と元旦だけやすみ、と
たまたま食堂ではなしたタイのひとがいっていた。
タイ人にとって、いちばんおおきなおまつりは
4月にあるソンクラーン(水かけ祭)だという。
そのひとがいうように、
たしかに大晦日にも両替所はひらいていたし、
いきつけの食堂やタイマッサージの店も、
いつものように営業していた。
空港への足がなくなったらこまるなー
と心配していたけど、
そんなことはまったくの杞憂で、
すぐにトゥクトゥクをとめて空港にむかうことができた。
紅白もソバもお雑煮もスルーしたけど、
なんとかサッカーの天皇杯には間にあったし、
きょうは箱根駅伝もみることができた。
これはこれで、印象にのこるお正月となりそうだ。
2012年01月01日
帰国 マナーのよしあしをおもう
チェンマイからバンコク、
バンコクからソウルと
飛行機をのりつぐ。
スワンナブーム空港(バンコク)では、
いまよんでいる『バーにかかってきた電話』
(東直己・ハヤカワ文庫)で
主人公の「俺」がやたらにウィスキーをのむのに影響され、
いつもは素どおりする免税店で
バランタインの12年をかってしまった。
のこっていたのがぴったり1000バーツだったので、
かえるのはそれぐらいしかなかったのだけど。
バンコクからソウルへのアシアナ航空便は、
もちろん韓国人の利用がおおい。
シートベルト着用のサインがきえると、
すぐにトイレにはいって歯をみがく女性がなんにんもいる。
彼女たちが歯をみがくあいだは
当然トイレがつかえないわけで、
同乗しているものにとって迷惑なはなしだ。
食事のあとにもおなじことをする。
今回の旅行で、
トイレでの歯みがきがおこなわれていることにはじめて気づいた。
日本人にもこういうことをするひとがいるのだろうか。
インチョン空港について飛行機からおりるときには、
座席の下に新聞紙や毛布が
ぐちゃぐちゃにちらかっているのが目についた。
こういうマナーのわるさは、
日本人のわたしからするとしんじがたいレベルだ。
とはいえ、わたしの父なども、
汽車にのって駅弁をたべたときなど、
空箱は座席の下におしこんでおけばいい、
と平気でわたしにおしえていた。
ちょっとまえまでは、おおくの日本人が
わたしの父みたいなことを
あたりまえにしていたのかもしれない。
スワンナブーム空港のイミグレーションでは、
ローラースケートをはいて
すべりながら移動している欧米人の少年をみかけた。
わたしにしたら言語道断なマナーだけど、
ぜんぜんわるびれたようすがない。
両親らしいつきそいの大人がちかくにいたので、
保護者公認の行為のようだ。
マナーはアジア系ばかりがひどい、
というわけではなく、
どっちもどっちだなのだ。
どこまでが社会的にゆるされる範囲かということについて
それぞれのもつ文化によってもちがうし、
個人差もまたおおきい。
障害をもった方とまちにでるときにも、
どこまでが許容範囲かをかんがえるのは、
支援者にとっていつもなやましい問題だ。
ソウルのインチョン空港で、
米子ゆきの飛行機を5時間まつ。
元旦にソウルから米子にむかうひとって、
いったいどうゆうわけありなのだろう。
おもったとおり、飛行機はガラすきだった。
平日の映画館みたいだ。
機内は、通路をはさんで6つの席が列をつくっている。
その1列にひとりずつ、ゆったりすわる。
無事に米子空港につき、イミグレと税関をとおる。
前回の旅行では、税関でかなりうるさくしらべられた。
米子空港では、韓国だけの旅行だったひとがほとんどで、
それ以外のところをまわったひとは
めずらしがられて審査の対象になりやすいようだ。
今回は、マラソン参加という大義名分がある。
なにかいわれたら、
マラソン大会の参加賞をみせようとおもっていた。
でも、こういうときにかぎって
簡単な確認だけで税関をとおしてもらえる。
残念なような、楽でよかったような。
元旦ということで、極端に交通量のすくない道路をとおり
自宅にもどる。
天皇杯の決勝に、かろうじて間にあった。
バンコクからソウルと
飛行機をのりつぐ。
スワンナブーム空港(バンコク)では、
いまよんでいる『バーにかかってきた電話』
(東直己・ハヤカワ文庫)で
主人公の「俺」がやたらにウィスキーをのむのに影響され、
いつもは素どおりする免税店で
バランタインの12年をかってしまった。
のこっていたのがぴったり1000バーツだったので、
かえるのはそれぐらいしかなかったのだけど。
バンコクからソウルへのアシアナ航空便は、
もちろん韓国人の利用がおおい。
シートベルト着用のサインがきえると、
すぐにトイレにはいって歯をみがく女性がなんにんもいる。
彼女たちが歯をみがくあいだは
当然トイレがつかえないわけで、
同乗しているものにとって迷惑なはなしだ。
食事のあとにもおなじことをする。
今回の旅行で、
トイレでの歯みがきがおこなわれていることにはじめて気づいた。
日本人にもこういうことをするひとがいるのだろうか。
インチョン空港について飛行機からおりるときには、
座席の下に新聞紙や毛布が
ぐちゃぐちゃにちらかっているのが目についた。
こういうマナーのわるさは、
日本人のわたしからするとしんじがたいレベルだ。
とはいえ、わたしの父なども、
汽車にのって駅弁をたべたときなど、
空箱は座席の下におしこんでおけばいい、
と平気でわたしにおしえていた。
ちょっとまえまでは、おおくの日本人が
わたしの父みたいなことを
あたりまえにしていたのかもしれない。
スワンナブーム空港のイミグレーションでは、
ローラースケートをはいて
すべりながら移動している欧米人の少年をみかけた。
わたしにしたら言語道断なマナーだけど、
ぜんぜんわるびれたようすがない。
両親らしいつきそいの大人がちかくにいたので、
保護者公認の行為のようだ。
マナーはアジア系ばかりがひどい、
というわけではなく、
どっちもどっちだなのだ。
どこまでが社会的にゆるされる範囲かということについて
それぞれのもつ文化によってもちがうし、
個人差もまたおおきい。
障害をもった方とまちにでるときにも、
どこまでが許容範囲かをかんがえるのは、
支援者にとっていつもなやましい問題だ。
ソウルのインチョン空港で、
米子ゆきの飛行機を5時間まつ。
元旦にソウルから米子にむかうひとって、
いったいどうゆうわけありなのだろう。
おもったとおり、飛行機はガラすきだった。
平日の映画館みたいだ。
機内は、通路をはさんで6つの席が列をつくっている。
その1列にひとりずつ、ゆったりすわる。
無事に米子空港につき、イミグレと税関をとおる。
前回の旅行では、税関でかなりうるさくしらべられた。
米子空港では、韓国だけの旅行だったひとがほとんどで、
それ以外のところをまわったひとは
めずらしがられて審査の対象になりやすいようだ。
今回は、マラソン参加という大義名分がある。
なにかいわれたら、
マラソン大会の参加賞をみせようとおもっていた。
でも、こういうときにかぎって
簡単な確認だけで税関をとおしてもらえる。
残念なような、楽でよかったような。
元旦ということで、極端に交通量のすくない道路をとおり
自宅にもどる。
天皇杯の決勝に、かろうじて間にあった。