『羊たちの沈黙』をみる。
例によって「午前10時の映画祭」だ。
また、この作品も以前になんどかみたことがあり、
いつもながらはじめてみるようにたのしめた。
クラリスは、レクター博士に
自分のおいたちをはなさざるをえない状況においやられる。
そして、そのほんのわずかな会話から、
レクター博士は、クラリスがこころにかかえる影をあぶりだす。
レクター博士のような天才的精神分析家にかかると、
クラリスの服装・アクセント・表情から、
そだちや性格など、さまざまなことをよみとってしまう。
バッファロー・ヒルの犯行についても、
はじめからすべとみとおしだった。
なぜ犠牲者のひとりだけにおもりがつけられて
発見されていたのか、ということから
クラリスは犯人にちかづいていく。
わたしは「羊たちの沈黙」がなにを意味するか
ぜんぜん理解していなかったし、
レクター博士のことばがしめす手がかりもみのがしていた。
とはいえ、子羊をすくえなかったおなさい頃の体験が、
いつまでもトラウマとなることが正直なところピントこない。
父親が事件にまきこまれてきゅうに死んだからといって、
キャサリンをすくわなければ、
羊たちはなきやまない、とまでおもうだろうか。
まあ、そこまでを分析してしまうのが
レクター博士のすごさなのだけど。
映画のラストシーンで、
変装したレクター博士が
「これから古い友人と食事でね」
ということばをのこしてひとごみのなかへあるきだす。
これが、ドクターチルトンへの復讐を
ねらったものだとやっとわかった。
それまでは、ただ外国(合衆国以外)の町へ
亡命したのだとおもっていたのだ。
映画をたのしむ素養があまりにもとぼしい気がしてきた。
この作品についてのレビューをさがし、
すぐれた「映画レビュー集」にであう。
ここまでふかくよめたら、映画をみるたのしさは
ぜんぜんちがってくるだろう。
自分のさえない鑑賞力をためきつつ、
いくつかのレビューを興味ぶかくよんだ。
(でもまあいいのだ。ブログだから、気らくにかこう)。