23日の朝日新聞に、
「ネットで買えぬ価値 守る住民」という題で、
アメリカのポーツマスという町でおきた
本屋さんをめぐるできごとが紹介されていた。
借金をかかえた店主が廃業しようとしたところ、
住民がたちあがって本屋をつづけるうごきをした、という内容だ。
日本でもアメリカでも、本屋さんでかうよりアマゾンに注文したり、
紙の本からキンドルやiPadにのりかえるひとがふえ、
おおくの店が廃業においこまれている。
たしかにネットによる注文は便利だし、そのうえにやすいとなると、
本屋さんのうりあげがへっていくのはさけられない現象におもえる。
しかし、ものごとには二面性があって、
アマゾンやキンドルのほうが便利でやすいけど、
だからといって、自分のすむ町に本屋さんがないのは
さみしいとおもうひとがおおい。
新聞の記事では、
「アマゾンの大ファンで日用雑貨はどんどん買いますが、
かなり悩んだ末、本を買う習慣だけは断ちました。
書店が消えると本当に困るんです」という、
ポーツマスにすむひとの意見がのっている。
『本の雑誌』や「WEB本の雑誌」をよんでいると、
いまの日本の本屋さんと出版社が
そうとうひどい状況におかれていることがわかる。
『1Q84』や「ワンピース」など、
よくうれる本はほんのわずかでしかない。
おおくの店がなんとかギリギリの状況でつづけており、
営業で本屋さんをまわっていると、
「本はうれずに仕事がふえるいっぽう」
というはなしをきくことがおおいそうだ。
そして、この数年だけでもたくさんの店が廃業している。
わたしのすむ町はまだましなほうかもしれない。
ちいさな本屋さんは1店をのこして
あとは全部やめてしまったけど、
ある程度のひろさのある店がそれでもまだ7店ある。
ポーツマスのひととおなじように、
わたしも本屋さんのない町にはすみたくない。
もし全部の店がなくなったら、
どれだけわたしの生活はたのしみのないものになるだろう。
でありながら、これまでわたしは
本屋さんのことをなにもかんがえないで
ネット注文を利用していた。
新聞の記事には
「いくらデジタルが便利でも、
私たちの暮らしには消えていいものと、
消してはいけないものとがある」
とうったえている。
本をかうのはもちろんとしても、
本屋さんをつづけてもらうためにわたしたちができることは
ほかにどんなことがあるだろう。
『デフレの正体』(藻谷浩介・角川書店)には、
経済が「人口の波」でうごくことが紹介されている。
消費人口の減少による消費のひえこみこそがデフレの原因であり、
景気がよくなれば経済はよくなる、というのは妄想にすぎないそうだ。
いまいちばん数のおおい年代は団塊ジュニアの35〜40の層であり、
この層が定年をむかえると、いまよりももっと状況はわるくなる。
これから20年ほどで確実におとずれる「人口の波」の移動だ。
本屋さんにとって、そして本ずきの人間にとって、
ほんとうにたいへんなのはこれからかもしれない。