『本の雑誌』2月号の特集は「百歳までの新読書術!」だ。
タイトルはいさましいけれど、
特集のおおくは老化にともなう
気力・体力のおとろえについてかかれている。
老化は、わかいころにイメージしていたものとは、
ぜんぜんちがういきおいと迫力でせまってくるようだ。
「歳をとったら、あるいは老後には、
この本を、あの本を読もう、
版切れになる前に今のうちに買っておこう、
と思われている善男善女に
まずおせっかいな釘を刺しておきたい。
老人の物理的ハードルのたかさは予想外なのだ。
読みたいと思った本があったら、
その時に読むのが一番」(田口久美子)
わたしもまさにそうかんがえて
すくなからぬ本を老後のために用意しているのに。
そうか、歳をとったら本をよむコンディションを維持できないのか。
生きているだけでせいいっぱい、
なんてまるで予想してなかったことだ。
老眼についても2つの記事がのせられている。
どんなふうに老眼がしのびよってくるかという体験談と、
老眼にとって、どの文庫本がよみやすいかという
(フォント・文字のおおきさ・行間など)よみくらべだ。
この調査によると、字が大きければいいというものではないらしい。
「小さい字だって老眼鏡をかければ読めるんだよ」
とよみくらべをした68歳の男性がはなしている
(ひとりの男性だけの「調査」なので、
どれだけ一般的なことなのか、たしかでない。
かんがえてみれば、まわりに老眼鏡をつかうひとはたくさんいるだろうから、
編集部はもっとたくさんのひとにきいて裏をとればいいのに)。
まだ老眼鏡はつかっていないものの、
あきらかにちいさな字が
よみにくくなってきているわたしにとって、
老眼は切実な問題だ。
本屋さんで本をかうときにも、
自分によめる紙面かどうかを
まず確認するようになった。
いくらおもしろそうな本でも、
あまりにもちいさな活字のときは、
すんなりあきらめることになる。
1ページよんだだけで目がしょぼしょぼするような本をかっても、
おわりまでよめるわけがないから。
電子書籍は、そんなわたしにとって
とてもいいタイミングであらわれてくれた。
もうすこし市場が成熟して、
たくさんの本があつかわれるようになれば、
「百歳まで」の読書に間にあいそうだ。
電子書籍なら活字のおおきさをかえられるし、
キンドルなどの電子ペーパーは
目のつかれもすくないという
(きのうかいた「本屋さんで本をかう」ことと、
はやくも矛盾してしまうのはこまったことだ)。
状況は、あんがい老人に都合のいいように
かわっていくかもしれない。
角川の新書についていたしおりに、
「大きな活字で読みやすい」とかかれている。
これから人口にしめる若年齢者がへっていくのだから、
老眼をかかえた年代をたいせつなお客さんとかんがえないと
本はうれなくなるだろう。
ほっておいても、だんだん活字はおおきくなっていくにちがいない。
村上春樹がどこかに、
「まだ老眼鏡がなくても本がよめる」とかいていた。
62歳でも老眼になってないひともいるのだ。
わたしだって、できるなら老眼鏡はかけたくないので、
照明に工夫したり電子書籍にたよったりして、
ギリギリまであがくことだろう。
そうやってだんだん本からはなれていくのだろうか。