2012年02月01日

『BORN TO RUN』「人類は走るために生まれた」

『BORN TO RUN』(クリストファー=マクドゥーガル・NHK出版・近藤隆文:訳)

メキシコのとざされた山岳地帯でくらす
タラウマラ族を紹介して話題になった本だ。
タラウマラ族は、タイヤからつくったサンダルをはき、
はしることを生活の一部としている神秘的な民族であり、
そこからこの本のタイトル「走るために生まれた」が
つけられたのだとおもっていた。
しかし、本の内容はそれだけにとどまらず、
人類の進化にでおよぶ壮大なものがたりがくりひろげられる。

はしることがすきなのに、
しょっちゅう足をいためている著者
(ほとんどすべてのランナーもおなじ状況だ)が、
はしることに驚異的にひいでているといわれる
タラウマラ族について、くわしくしりたくなったのがことの発端だ。

コロラド州レッドヴィルでおこなわれる100マイルのトレイルレースをとおして
著者はタラウマラ族のランナーたちの驚異的なはしりを紹介する。
そんなにすごいはしりなら、
なぜ国際競技にでないのだ、という反論があるかもしれない。
一時期タラウマラ族が公のトレイルマラソンにでてこともあったが、
興行する側との信頼関係をきずくことができず、
それ以降は自分たちの土地にひっそりとくらすようになった。
また、マラソンではしられる42.195キロという距離は
彼らにとってみじかすぎ、タラウマラ族の本質的なつよさを
あらわすにはじゅうぶんな舞台とならない、というのも
彼らのはしりがしられていないことの理由としてあげられる。

この本は、はだしではしることをひろめたことでもしられている。
いっぱんに、人類のよわい足をまもるためには
あつい底のシューズが必要であり、
初心者がランニングにとりくむときは、
なによりもシューズえらびに手をぬいてはならないとわれる。
しかし、事実は逆で、そうしたシューズをはくようになったから、
ランナーは足の故障になやまされるになったことを本書は紹介している。
たしかに野生動物で靴をはいているものは絶対にいないし、
そうであれば人間だけがくつを必要とすることも
かんがえてみればおかしなはなしだ。
ランニング障害の蔓延を巨悪のナイキのせいにするのは安易すぎるように思えるーーが、気にしなくていい。大部分は彼らの責任だからだ。

そしてもうひとつ。
「走るために生まれた」は
タラウマラ族のことだけをさすのではなかった。
人類すべてが「走るために生まれ」てきたのだ。
本書では、人類と、それ以外の生物とのちがいのひとつに
呼吸のしかたをとりあげている。
たとえばチーターが一度のスライドで一呼吸しかできないのに対し、
人類はすきなだけ呼吸をし、それによって体温をさげることができる。
身体の熱の大部分を発汗によって発散させる哺乳類は、われわれしかいない。

これがなにを意味するかといえば、
人類の祖先は、おいかけつづけることで獲物を
つかれてはしれなくなるまでおいこみ、
食糧として手にいれることができた。
この「持久狩猟」こそが、
人類が脳の発達に必要な栄養をじゅうぶんに確保することができ、
それによって進化をとげた、という仮説だ。
時代は氷河期から温暖な気候へとうつり、
おおくの土地がサバンナとなると、
おいかけて獲物をつかまえる「持久狩猟」はますます有効になった。
人類の祖先はやがて筋肉モリモリで、
腕力によって獲物をつかまえるネアデルタール人を駆逐してゆく。

わたしはいかれたトンデモ本に洗脳されたのだろうか。
著者がとなえるこの異端ともいうべき説をすんなりうけとめた。
なぜわけもなくはしりたくなるのかわかった。
わたしたちは「走るために生まれた」からだ。
マラソンよりもながい距離をはしるレースへの魅力をかんじる。

本書の魅力は、かろやかな著者のかたりくちにもある。
アン・トレイソン。カリフォルニア州出身の33歳になるコミュニティカレッジの科学教師。
人ごみのなかで彼女を見つけられると言う人がいたら、それは彼女の夫か嘘つきのどちらかだ。
アンはどちらかというと小柄で、どちらかというと細身、どちらかというとぬけた感じで、どちらかというと、くすんだ茶色の前髪に顔が隠れている。
要するに、どちらかというと、いかにもコミュニティカレッジの科学教師風だ。誰かが号砲を放つまでは。( 95p)

偉大なアスリートになるには、
両親を慎重に選ばなければならない。物書きとして生きていく場合は、同じことが家族に対していえる。(406p)

フセンをはりながらよんでいたら、
よくあることとして、
あまりにもいかした箇所がおおすぎて
フセンだらけになり、
フセンの意味がなくなってしまった。
それだけ本書をよむことはたのしい体験だった。

この自由自在なかたりのよさを、
翻訳の近藤隆文氏がみごとにいかしている。
あちこちにおもいっきり脱線し、
登場人物がとてもおおいこの本に
たいくつせずについていけたのは、
すぐれた翻訳のおかげでもある。
おおくのランナーのバイブルとして、
すくなくともわたしのバイブルとして、
本書にであえたことに感謝し、
「走るために生まれた」民として
これからのランニング人生をたのしみたい。

posted by カルピス at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする