『インドは今日も雨だった』(蔵前仁一・講談社文庫)
蔵前さんがこれまでにだした本、
たとえば『ゴーゴー・アジア』や『ホテルアジアの眠れない夜』は、
バックパッカーの存在を一般社会に紹介し、
そういう旅行のやり方があることをひろめるのに、ひとやくかっている。
できるだけお金をかけないで旅行し、
気にいった町があると何週間でも「沈没」するという
バックパッカーの生態は、
それまではほとんどしられていなかった。
「旅」をあつかった本というと、
自分さがしや修行的なものがおおい。
そういう「立派」な旅ではなくて、
ただなんとなく外国での旅をたのしむということも、
それはそれで、ひとつのスタイルであるとみとめられたのは
蔵前さんの功績であ。
でも、そうした本は何冊かよむともうじゅうぶんなわけで、
おもしろさやおどろきが、だんだんすくなくなってくる。
この本が、そうした一連のものでなければいいが、と
ちょっと心配しながらよみはじめる。
大丈夫だった。
本書は、インドのなかにあるチベット文化をさがしての旅であり、
あまりしられていない北インドの田舎をめぐる。
「沈没」というより「探検」という要素がこゆい。
気にいった町でぐずぐずするはなしよりも、
時間と労力をかけないとたずねられない場所の報告がわたしのこのみだ。
「村人に触れてはならないという独特の掟を持っている」
というマラナ村のはなしには、すごく興味をひかれる。
とざされた山のなかにあり、たどりつくまでの山道がそうとうきびしいときくと、
自分でもなんとかマラナ村へでかけたくなってくる。
辺境探検家・高野秀行さんのやり方は、だれにでもできるものではないが、
蔵前さんの旅なら、やる気さえあればわたしにもなんとかなりそうだ。
後半は「カトマンズでスケッチ」というエッセイで、
スケジュールをなんとか調整してのみじかいスケッチ旅行についてかかれている。
わたしは絵がかけないけれど、
「自分にとっていちばん驚きだったのは、
絵を描いているとのんびりするということだった」
という蔵前さんの気づきに共感する。
普段あまりやらないことをするのは
(たとえば花の水やりだったり、
あるいてかいものにいくことだったり)、
意外と新鮮で、気分をかえるものであることに似ている気がする。
旅行にいったからといって観光だけをするのではなく、
いつもとちがうことをためしてみるのもまた旅行のおもしろさだ。
2012年04月30日
2012年04月29日
MacBook Pro15インチを「ポチッとな」
ネットでMacBook Pro15インチについてしらべていたら、
定価より2万円やすくアマゾンでうられていた。
メモリーを8ギガに増設しても13万8000円ほどで手にはいる。
アップルストアーでおなじかいものをしたら、
18万円弱になるところだ。
つい「ポチッとな」をしてしまった。
ついこないだ「新しいiPad」をかったばかりではないか、
と眉をひそめる方もおられるかもしれない。
それはそれ、これはこれで、
わたしなりの事情があってのことだ。
それは、はやすぎるジョブズの死とも関係があるし、
7月にたちあげる事業所との、からみの問題でもある。
たんなるわたしの物欲でもあるし、
けっきょくは、ながねんあたためてきた
MacBook Proへのあこがれと敬意かもしれない。
あたらしい仕事をはじめるにあたり、
どういう(パソコンの)環境がいいか、
しばらくまえからおもいをめぐらせていた。
Mac miniやMacBook Air、
それにMacBook Pro13インチも候補にあげながら、
なかなか決定的な案にたどりつけない。
こうしてMacBook Pro15インチを注文してみると、
すごくしっくりして、あるべきところに
すべてがおちついたかんじだ。
4月29日、よくはれた日曜日の朝のことを、
わたしはわすれないだろう。
8ギガのメモリーに500ギガのハードディスクというと、
18年まえに、はじめてわたしがかった
Performa5210という機種にくらべ
メモリーで500倍、ハードディスクで1000倍の数値だ。
Performa5210はその当時の入門機種とはいえ、
やすくなったときでも18万円した。
性能差をかんがえると、8ギガのMacBook Proに
わたしは9000万円をはらわなくてはならないはずだ。
13万8000円のかいものは、ただみたいにやすい、ともいえる。
MacBook Proについてはいろいろとうわさがながれている。
つぎのモデルでは光学ドライブがなくなり、
MacBookAirにちかくなりそうだ。
MacBook Pro15インチは、
これまで4年ちかく基本的なデザインがかわっておらず、
そのあいだに熟成がはかられたてきた。
ある意味で、ひとつの到達点である機種といえる。
あたらしく発売されるMacBook Proよりも、
改良をかさね、問題点をつぶしてきた従来の機種に
価値をみいだすひとはおおいのではないか。
そして、そのよくみがかれた
MacBook Proを手にいれる機会はいましかなくなった。
けさの「ポチッとな」は、わたしにとって必然の行為であった。
定価より2万円やすくアマゾンでうられていた。
メモリーを8ギガに増設しても13万8000円ほどで手にはいる。
アップルストアーでおなじかいものをしたら、
18万円弱になるところだ。
つい「ポチッとな」をしてしまった。
ついこないだ「新しいiPad」をかったばかりではないか、
と眉をひそめる方もおられるかもしれない。
それはそれ、これはこれで、
わたしなりの事情があってのことだ。
それは、はやすぎるジョブズの死とも関係があるし、
7月にたちあげる事業所との、からみの問題でもある。
たんなるわたしの物欲でもあるし、
けっきょくは、ながねんあたためてきた
MacBook Proへのあこがれと敬意かもしれない。
あたらしい仕事をはじめるにあたり、
どういう(パソコンの)環境がいいか、
しばらくまえからおもいをめぐらせていた。
Mac miniやMacBook Air、
それにMacBook Pro13インチも候補にあげながら、
なかなか決定的な案にたどりつけない。
こうしてMacBook Pro15インチを注文してみると、
すごくしっくりして、あるべきところに
すべてがおちついたかんじだ。
4月29日、よくはれた日曜日の朝のことを、
わたしはわすれないだろう。
8ギガのメモリーに500ギガのハードディスクというと、
18年まえに、はじめてわたしがかった
Performa5210という機種にくらべ
メモリーで500倍、ハードディスクで1000倍の数値だ。
Performa5210はその当時の入門機種とはいえ、
やすくなったときでも18万円した。
性能差をかんがえると、8ギガのMacBook Proに
わたしは9000万円をはらわなくてはならないはずだ。
13万8000円のかいものは、ただみたいにやすい、ともいえる。
MacBook Proについてはいろいろとうわさがながれている。
つぎのモデルでは光学ドライブがなくなり、
MacBookAirにちかくなりそうだ。
MacBook Pro15インチは、
これまで4年ちかく基本的なデザインがかわっておらず、
そのあいだに熟成がはかられたてきた。
ある意味で、ひとつの到達点である機種といえる。
あたらしく発売されるMacBook Proよりも、
改良をかさね、問題点をつぶしてきた従来の機種に
価値をみいだすひとはおおいのではないか。
そして、そのよくみがかれた
MacBook Proを手にいれる機会はいましかなくなった。
けさの「ポチッとな」は、わたしにとって必然の行為であった。
2012年04月28日
磐田の山田大記に注目する
Jリーグ第8節
ジュビロ磐田対セレッソ大阪
磐田の山田大記は、前節のFマリノス戦で、
メッシみたいな華麗なドリブルのあとシュートもきめた。
わたしもおどろいたし、
おおくのひとにとっても印象的なプレイだったようで、
その後おこなわれた全代表のキャンプにもよばれている。
その山田は、磐田に加入してから2年目なのにもかかわらず、
キャプテンマークをつけてチームをひっぱる。
これからおおきくのびていってほしい選手だ。
試合は磐田が前半おしながらすすめる。しかし点ははいらない。
山田と駒野のコンビで右サイドをうまくくずすのに、
さいごの1本がきめられない。
セレッソが前半に1点、後半に2点をあげ、
3-0になったところで試合はきまったかにおもえた。
キムボギョンのうまさとつよさ、すばやさがひかる。
1得点(今シーズン6点目)1アシストの活躍だ。
磐田は後半43分に、山田大記が
ボレーぎみのむつかしいシュートをきめ1点をかえす。
得点しても、山田はすこしもうれしそうなそぶりをみせない。
すぐにプレイを再開するように仲間によびかけたのがたのもしかった。
そのすぐあとに、チョビョングクがヘディングシュートをきめて3−2に。
前節で2−0からまさかの逆転まけをしたセレッソとしてはいやなながれだ。
それでも試合は3−2ままセレッソがにげきった。
セレッソは、清武・キムボギョン・扇原・山口と、
オリンピック代表クラスがそろっている。
上位にくいこめないのは、
安定してちからをだせないからだろうか。
つよさともろさをあわせもつ、
いつみてもわかいチームの印象がある。
いきおいにのったときはすごいけど、
うけみにまわると、とたんにバタバタする。
ほかの試合では、ガンバが鹿島に0−5でやぶれているし、
新監督に風間八宏氏をまねいた川崎が広島に1−4でやぶれた。
ガンバは連勝のあとの完敗で、なかなか波にのることができない。
ジュビロ磐田対セレッソ大阪
磐田の山田大記は、前節のFマリノス戦で、
メッシみたいな華麗なドリブルのあとシュートもきめた。
わたしもおどろいたし、
おおくのひとにとっても印象的なプレイだったようで、
その後おこなわれた全代表のキャンプにもよばれている。
その山田は、磐田に加入してから2年目なのにもかかわらず、
キャプテンマークをつけてチームをひっぱる。
これからおおきくのびていってほしい選手だ。
試合は磐田が前半おしながらすすめる。しかし点ははいらない。
山田と駒野のコンビで右サイドをうまくくずすのに、
さいごの1本がきめられない。
セレッソが前半に1点、後半に2点をあげ、
3-0になったところで試合はきまったかにおもえた。
キムボギョンのうまさとつよさ、すばやさがひかる。
1得点(今シーズン6点目)1アシストの活躍だ。
磐田は後半43分に、山田大記が
ボレーぎみのむつかしいシュートをきめ1点をかえす。
得点しても、山田はすこしもうれしそうなそぶりをみせない。
すぐにプレイを再開するように仲間によびかけたのがたのもしかった。
そのすぐあとに、チョビョングクがヘディングシュートをきめて3−2に。
前節で2−0からまさかの逆転まけをしたセレッソとしてはいやなながれだ。
それでも試合は3−2ままセレッソがにげきった。
セレッソは、清武・キムボギョン・扇原・山口と、
オリンピック代表クラスがそろっている。
上位にくいこめないのは、
安定してちからをだせないからだろうか。
つよさともろさをあわせもつ、
いつみてもわかいチームの印象がある。
いきおいにのったときはすごいけど、
うけみにまわると、とたんにバタバタする。
ほかの試合では、ガンバが鹿島に0−5でやぶれているし、
新監督に風間八宏氏をまねいた川崎が広島に1−4でやぶれた。
ガンバは連勝のあとの完敗で、なかなか波にのることができない。
2012年04月27日
「期限つき移籍」最終日
1月下旬から生活介護の事業所に、
3ヶ月という期限つきでかかわってきた。
4月いっぱいまで、という予定どおりに、
きょうを最終日とする
(「期限つき」なんていうと、なんだかアーセナルから
期限つきでフェイエノールトへ移籍した
宮市亮みたいだ)。
ひさしぶりに現場にはいると、
すぐにいくつかの疑問点が目につき、
しばらくそれらを頭において支援する。
そのうちに、そういうやり方がおこなわれている
事情がわかってきたこともあるし、
どうかんがえても不合理なので変更をもとめたこともある。
構造化など、発達障害の方への支援では、
すこしずつの変更ではなく、
かえるときにはいっぺんにしたほうが、
混乱をまねかないといわれている。
しかし、わたしのちからでは、問題点と改善点とについて、
すぐに全体像をえがくことができず、
すこしずつの変更となることがおおかった。
その意味ではいい支援といえず、
おなじ気づくなら、もっとはやく気づけよ、
と自分につっこみをいれなければならない。
生活介護は、活動拠点となる場所にひっこして
もう2年になるのに、いまなお課題が山づみだ。
わたしにとってはいい勉強材料ではあったが、
事業所としてはかなりおそまつな状態ともいえる。
やる気がないわけではなく、うてばひびく職員たちなので、
方向性をさだめ、優先順位をきめ、
すこしずつ課題をクリアーしていけば、
今年のうちにでも、ずいぶんちがうすがたをみせてくれるだろう。
わたしの提案を柔軟な姿勢でうけいれてくれた
職員たちに感謝したい。
3ヶ月というかげられた期間に
やりたいことをききいれてもらえ、
やりとげた感のある、たのしい「期限つき移籍」だった。
3ヶ月という期限つきでかかわってきた。
4月いっぱいまで、という予定どおりに、
きょうを最終日とする
(「期限つき」なんていうと、なんだかアーセナルから
期限つきでフェイエノールトへ移籍した
宮市亮みたいだ)。
ひさしぶりに現場にはいると、
すぐにいくつかの疑問点が目につき、
しばらくそれらを頭において支援する。
そのうちに、そういうやり方がおこなわれている
事情がわかってきたこともあるし、
どうかんがえても不合理なので変更をもとめたこともある。
構造化など、発達障害の方への支援では、
すこしずつの変更ではなく、
かえるときにはいっぺんにしたほうが、
混乱をまねかないといわれている。
しかし、わたしのちからでは、問題点と改善点とについて、
すぐに全体像をえがくことができず、
すこしずつの変更となることがおおかった。
その意味ではいい支援といえず、
おなじ気づくなら、もっとはやく気づけよ、
と自分につっこみをいれなければならない。
生活介護は、活動拠点となる場所にひっこして
もう2年になるのに、いまなお課題が山づみだ。
わたしにとってはいい勉強材料ではあったが、
事業所としてはかなりおそまつな状態ともいえる。
やる気がないわけではなく、うてばひびく職員たちなので、
方向性をさだめ、優先順位をきめ、
すこしずつ課題をクリアーしていけば、
今年のうちにでも、ずいぶんちがうすがたをみせてくれるだろう。
わたしの提案を柔軟な姿勢でうけいれてくれた
職員たちに感謝したい。
3ヶ月というかげられた期間に
やりたいことをききいれてもらえ、
やりとげた感のある、たのしい「期限つき移籍」だった。
2012年04月26日
『すみれファンファーレ』すべての子どもたちがしあわせでありますように
『すみれファンファーレ』(松島直子・小学館)
朝日新聞の書評欄で紹介されていた。
この欄にとりあげられるコミックはたいていおもしろい。
おもしろいコミックはたくさんあるのだろうけど、
マンガ雑誌をよまないわたしには、
どれがいいのかわからないので、
こうやっておしえてもらえると、とてもたすかる。
すみれのすなおさにまいってしまった。
10歳でひとの人格は完成する、というはなしを
なにかの本でよんだことがある。
それ以降は、世なれたり、へんなものがくっつくだけで、
10歳のころが人生において
もっともピュアな時期なのだそうだ。
すみれがひとの気もちをかんがえることができるのは、
ちゃんとしたおとなにかこまれてそだったからだ。
お母さんも、いまはわかれてくらすお父さんも、
かかわりのあるほかの大人たちも、
相手のことをかんがえることができる。
自分の子が10歳ころのとき、
彼がわたしにしめしてくれたまっすぐさを、
わたしはちゃんとうけとめていただろうか。
すきだという気もちを、かくさないようにはつとめてきた。
でも、10歳の完全無欠の人格にむきあうには、
わたしのこころはうすよごれすぎていたのではないか。
子どもとかかわるすばらしさを、
このマンガからひさしぶりにおもいださせてくれた。
1年ぶりにお父さんにあおうと、すみれは広島をおとずれる。
お父さんにきゅうな仕事がはいり、
その日はお父さんにあえないことを
電話でしららせても、すぐに気もちをきりかえて
「うん! わかった! 明日の夜ね!」
「お仕事がんばってね!」
とこたえることができる。
しかし、たのしみにしていた翌日の夜も、
お父さんはかえれそうにないことをつたえてくる。
すみれは
「そっか・・」
となんとかうけいれようとし、
でも自然となみだがこぼれてきて、
やがて号泣してしまう。
なんていいやつなんだ、すみれ!
こんなふうに、すみれのけなげさにふれ、
おもわずなけてくるシーンがいくつもある。
「いかにも」の感動的シーンなのではなく、
「おもわず」なけてしまうのが
すみれのすばらしいところだ。
最初のページの新幹線が
すっきりした線でうまくかいてあるけど、
あとはあまりこなれた絵とはおもえない。
「へたうま」の一種かととおもっていたら、
新聞の書評では
「この理想郷的世界に現実味を与えているのが、
卓越した作画センス。
シンプルな線で省略と描き込みを使い分ける」
とほめてあった。
そうか。こういう絵は上手だからかける絵なんだ。
すみれはこれから歳をとっていくのだろうか。
13歳のすみれが、10歳のころとおなじわけがない。
すみれの成長が、みたいようなみたくないような。
朝日新聞の書評欄で紹介されていた。
この欄にとりあげられるコミックはたいていおもしろい。
おもしろいコミックはたくさんあるのだろうけど、
マンガ雑誌をよまないわたしには、
どれがいいのかわからないので、
こうやっておしえてもらえると、とてもたすかる。
すみれのすなおさにまいってしまった。
10歳でひとの人格は完成する、というはなしを
なにかの本でよんだことがある。
それ以降は、世なれたり、へんなものがくっつくだけで、
10歳のころが人生において
もっともピュアな時期なのだそうだ。
すみれがひとの気もちをかんがえることができるのは、
ちゃんとしたおとなにかこまれてそだったからだ。
お母さんも、いまはわかれてくらすお父さんも、
かかわりのあるほかの大人たちも、
相手のことをかんがえることができる。
自分の子が10歳ころのとき、
彼がわたしにしめしてくれたまっすぐさを、
わたしはちゃんとうけとめていただろうか。
すきだという気もちを、かくさないようにはつとめてきた。
でも、10歳の完全無欠の人格にむきあうには、
わたしのこころはうすよごれすぎていたのではないか。
子どもとかかわるすばらしさを、
このマンガからひさしぶりにおもいださせてくれた。
1年ぶりにお父さんにあおうと、すみれは広島をおとずれる。
お父さんにきゅうな仕事がはいり、
その日はお父さんにあえないことを
電話でしららせても、すぐに気もちをきりかえて
「うん! わかった! 明日の夜ね!」
「お仕事がんばってね!」
とこたえることができる。
しかし、たのしみにしていた翌日の夜も、
お父さんはかえれそうにないことをつたえてくる。
すみれは
「そっか・・」
となんとかうけいれようとし、
でも自然となみだがこぼれてきて、
やがて号泣してしまう。
なんていいやつなんだ、すみれ!
こんなふうに、すみれのけなげさにふれ、
おもわずなけてくるシーンがいくつもある。
「いかにも」の感動的シーンなのではなく、
「おもわず」なけてしまうのが
すみれのすばらしいところだ。
最初のページの新幹線が
すっきりした線でうまくかいてあるけど、
あとはあまりこなれた絵とはおもえない。
「へたうま」の一種かととおもっていたら、
新聞の書評では
「この理想郷的世界に現実味を与えているのが、
卓越した作画センス。
シンプルな線で省略と描き込みを使い分ける」
とほめてあった。
そうか。こういう絵は上手だからかける絵なんだ。
すみれはこれから歳をとっていくのだろうか。
13歳のすみれが、10歳のころとおなじわけがない。
すみれの成長が、みたいようなみたくないような。
2012年04月25日
「新しいiPad」がとどく
注文していた「新しいiPad」がとどく。
とどくことがわかっていたのだから、
保護フィルムをまえもって準備しておけばよかったのに
頭がまわらなかった。
箱からとりだしてからそのことをおもいだし、
あわてて電気屋さんにむかおうとしたときは
もう閉店まぎわの時間になっていた。
せっかくの「新しいiPad」だから
できるだけきれいな画面をたもちたい。
かといって、箱からだしたままにして、
フィルムをまつだけのこころの余裕はない。
はやく「新しいiPad」にさわりたい。
フィルムをかうまでは、かったときにはってあるシートを
はぐらずにそのままのこし、なんとかしのぐことにする。
きょうはiPodとの同期にとどめ、
本格的につかうのは保護フィルムをはってから、とおもいつつ、
つい「新しいiPad」をのぞいてしまう。
はなしにきくとおり、とてもきれいな画面だ。
バッテリーのもちもよく、
表示されるのこりの量(パーセント)がなかなかへらない。
ただ、650グラムのおもさはけっこう手にこたえる。
スタンドがほしくなるところで、でも、そうすると
ノートパソコンとかわらない存在になってしまいそうだ。
いまメインにつかっているMacBookと、
どうすみわけることになるだろう。
「新しいiPad」はどんな場面を得意としているのか。
しばらくはいろいろなつかい方をしてためしてみよう。
とどくことがわかっていたのだから、
保護フィルムをまえもって準備しておけばよかったのに
頭がまわらなかった。
箱からとりだしてからそのことをおもいだし、
あわてて電気屋さんにむかおうとしたときは
もう閉店まぎわの時間になっていた。
せっかくの「新しいiPad」だから
できるだけきれいな画面をたもちたい。
かといって、箱からだしたままにして、
フィルムをまつだけのこころの余裕はない。
はやく「新しいiPad」にさわりたい。
フィルムをかうまでは、かったときにはってあるシートを
はぐらずにそのままのこし、なんとかしのぐことにする。
きょうはiPodとの同期にとどめ、
本格的につかうのは保護フィルムをはってから、とおもいつつ、
つい「新しいiPad」をのぞいてしまう。
はなしにきくとおり、とてもきれいな画面だ。
バッテリーのもちもよく、
表示されるのこりの量(パーセント)がなかなかへらない。
ただ、650グラムのおもさはけっこう手にこたえる。
スタンドがほしくなるところで、でも、そうすると
ノートパソコンとかわらない存在になってしまいそうだ。
いまメインにつかっているMacBookと、
どうすみわけることになるだろう。
「新しいiPad」はどんな場面を得意としているのか。
しばらくはいろいろなつかい方をしてためしてみよう。
2012年04月24日
あとあじのわるい『コミュニケーションは、要らない』
『コミュニケーションは、要らない』(押井守・幻冬舎新書)
あとあじのわるいものをよんでしまった。
奇をてらっているのは題名だけで、
じっさいは、コミュニケーションの
本質にせまっている本かもしれないと期待していた。
「原発は自然に生えてきたわけではない。
それは、誰かの意思によってそこに建設されたのだ。
それを認め、許した者がいたからこそ、
そこに存在しているのだ。
それが間違いだったと言うのなら、
前言を撤回するのではなく、
それを許した時点まで遡って非を認めるのでなくては、
言葉から責任というものが生まれるはずがない」
とある「まえがき」をよむと、
いかにもただしい論理をくりひろげていそうだ。
でも、ぜんぜんちがっていた。
前半はまだしも、後半は
村上龍の文体で石原慎太郎がいいそうなことを
おもいつくままにならべただけ。
西欧の国々はしっかりしている、
日本もむかしはもっとまともだった、
3.11の大震災をきりくちに、
そんなことをおもいつくままかきつらねただけの本だ。
著者の感想にすぎないことなのにきめつけがはげしい。
たとえば
「なぜ、日本人の言語能力は明治期を境に
低下したのだろうか?
まず、第一の原因は、漢語教育を縮小してしまったからだ」
「日本人の言語能力は間違いなく落ちている。
歴史を遡ると、その兆しが見え始めたのは昭和初期だ(中略)。
明治時代、日清戦争のころの命令書は素晴らしかった」
宮崎駿さんにもやたらに「とおぼえ」している。
「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」
という横断幕をかかげたことにたいして
「正直がっかりした」らしい。
わたしはジブリが発行している『熱風』で、
その横断幕や、原発についての座談会もよんだ。
押井守よりも、宮崎さんのほうが、
よほどすじのとおった姿勢をつらぬいているとおもう。
押井守は、もちろん「コミュニケーションは、要らない」
とおもっているわけではない。
いまの日本にはほんとうの意味でのコミュニケーションがないことに
いらだっているのだ。
そのことを本書のなかで延々とうったえているわけで、
でもそれが、よっぱらったおやじのたわごと
ぐらいにしかきこえてこない。
かきすすめるうちにだんだん断定的なものいいになり、
自分と奥さん(奥さんには頭があがらないようだ)以外はみんなバカ、
みたいな、たちのわるい頑固おやじになる。
押井守はこんなアホだったのか。
こんな下品で内容のうすい本には、くちなおしが必要だ。
あとあじのわるいものをよんでしまった。
奇をてらっているのは題名だけで、
じっさいは、コミュニケーションの
本質にせまっている本かもしれないと期待していた。
「原発は自然に生えてきたわけではない。
それは、誰かの意思によってそこに建設されたのだ。
それを認め、許した者がいたからこそ、
そこに存在しているのだ。
それが間違いだったと言うのなら、
前言を撤回するのではなく、
それを許した時点まで遡って非を認めるのでなくては、
言葉から責任というものが生まれるはずがない」
とある「まえがき」をよむと、
いかにもただしい論理をくりひろげていそうだ。
でも、ぜんぜんちがっていた。
前半はまだしも、後半は
村上龍の文体で石原慎太郎がいいそうなことを
おもいつくままにならべただけ。
西欧の国々はしっかりしている、
日本もむかしはもっとまともだった、
3.11の大震災をきりくちに、
そんなことをおもいつくままかきつらねただけの本だ。
著者の感想にすぎないことなのにきめつけがはげしい。
たとえば
「なぜ、日本人の言語能力は明治期を境に
低下したのだろうか?
まず、第一の原因は、漢語教育を縮小してしまったからだ」
「日本人の言語能力は間違いなく落ちている。
歴史を遡ると、その兆しが見え始めたのは昭和初期だ(中略)。
明治時代、日清戦争のころの命令書は素晴らしかった」
宮崎駿さんにもやたらに「とおぼえ」している。
「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」
という横断幕をかかげたことにたいして
「正直がっかりした」らしい。
わたしはジブリが発行している『熱風』で、
その横断幕や、原発についての座談会もよんだ。
押井守よりも、宮崎さんのほうが、
よほどすじのとおった姿勢をつらぬいているとおもう。
押井守は、もちろん「コミュニケーションは、要らない」
とおもっているわけではない。
いまの日本にはほんとうの意味でのコミュニケーションがないことに
いらだっているのだ。
そのことを本書のなかで延々とうったえているわけで、
でもそれが、よっぱらったおやじのたわごと
ぐらいにしかきこえてこない。
かきすすめるうちにだんだん断定的なものいいになり、
自分と奥さん(奥さんには頭があがらないようだ)以外はみんなバカ、
みたいな、たちのわるい頑固おやじになる。
押井守はこんなアホだったのか。
こんな下品で内容のうすい本には、くちなおしが必要だ。
2012年04月23日
ひざがいたい、けどはしる
予定どおり2時間コースのジョギングにでかける。
風がつよかったのに、2時間3分ではしれた。
ヘロヘロになりながら無意識に足をだすのではなく、
さいごまで「はしる」ことができた。
はしりだしてしばらくすると、右ひざがいたくなった。
12月に初マラソンをはしったときからずっと、
なおりかけたり、またわるくなったりをくりかえして、
ひざのいたみがつづいている。
いたみは、左側だったり右になったり、
ひざのうしろだったりする。
すこしまえにネットでひざのいたみについてしらべると、
このタイプのいたみはつかれからくるもので、
ちょっとやすめばなおるものらしい。
でも、「ちょっとやすむ」ことがランナーにはむつかしい。
予定していたメニューをこなそうと、
すこしぐらいのいたみは我慢してはしってしまう。
大山のトレランに参加したとき、
ウルトラマラソンのランナーたちにとって、
ひざがいたいのはランナーの大前提みたいなもので、
そのいたいひざをどうもたせるか、
という発想からランニングがはじまっているのでおどろいたものだ。
レベルはだいぶおちるけど、わたしもいまや、
ひざに問題をかかえるランナーのはしくれだ。
ランナーらしく、ひざがいたくて練習をやめたことはない。
ひざのいたみというのは不思議なもので、
いたくてもはしっているうちにおさまったり、
トイレきゅうけいでちょっと足をやすめると、
いたくなくなったりする。
週40キロほどの練習量なのだから、
ひざのうったえに、そうみみをかたむけるわけにはいかない。
毎週2時間のジョギングをつづけていると、
まえはかならず足のケイレンでくるしんでいたのに、
それがなくなった。
はしりも安定してきたといってよい。
長距離は、練習量がそのまま成果としてかえってくる。
ありがたいし、こわいところでもある。
いまさらスピード練習にとりくもうとはおもわないので、
もう1にちはしる日をふやして距離になれれば、
そのままマラソンレースの準備になるだろう。
よく「3ヶ月でフルマラソンを」みたいな本をみかけるけど、
わたしの場合は1年かけて愚直に距離をかさね、
パリマラソンへの準備としたい。
風がつよかったのに、2時間3分ではしれた。
ヘロヘロになりながら無意識に足をだすのではなく、
さいごまで「はしる」ことができた。
はしりだしてしばらくすると、右ひざがいたくなった。
12月に初マラソンをはしったときからずっと、
なおりかけたり、またわるくなったりをくりかえして、
ひざのいたみがつづいている。
いたみは、左側だったり右になったり、
ひざのうしろだったりする。
すこしまえにネットでひざのいたみについてしらべると、
このタイプのいたみはつかれからくるもので、
ちょっとやすめばなおるものらしい。
でも、「ちょっとやすむ」ことがランナーにはむつかしい。
予定していたメニューをこなそうと、
すこしぐらいのいたみは我慢してはしってしまう。
大山のトレランに参加したとき、
ウルトラマラソンのランナーたちにとって、
ひざがいたいのはランナーの大前提みたいなもので、
そのいたいひざをどうもたせるか、
という発想からランニングがはじまっているのでおどろいたものだ。
レベルはだいぶおちるけど、わたしもいまや、
ひざに問題をかかえるランナーのはしくれだ。
ランナーらしく、ひざがいたくて練習をやめたことはない。
ひざのいたみというのは不思議なもので、
いたくてもはしっているうちにおさまったり、
トイレきゅうけいでちょっと足をやすめると、
いたくなくなったりする。
週40キロほどの練習量なのだから、
ひざのうったえに、そうみみをかたむけるわけにはいかない。
毎週2時間のジョギングをつづけていると、
まえはかならず足のケイレンでくるしんでいたのに、
それがなくなった。
はしりも安定してきたといってよい。
長距離は、練習量がそのまま成果としてかえってくる。
ありがたいし、こわいところでもある。
いまさらスピード練習にとりくもうとはおもわないので、
もう1にちはしる日をふやして距離になれれば、
そのままマラソンレースの準備になるだろう。
よく「3ヶ月でフルマラソンを」みたいな本をみかけるけど、
わたしの場合は1年かけて愚直に距離をかさね、
パリマラソンへの準備としたい。
2012年04月22日
脳がからだをやすめたがる
2時間のジョギングを予定していたけど、
すごくつかれてるのでとりやめ。
きのうの天気予報で、きょうからあすにかけて
西日本一帯で雨がふるといっており、
そういう情報を脳が都合よく処理して
はしらなくてもいい体調をつくってしまったのかもしれない。
「つかれは気から」というのはよくある。
ヘトヘトにつかれてるので、とてもトレーニングはできないと、
よくいくマッサージ院へ予約をいれたら、
とたんにからだがうごくようになり、
ためしに体育館のジムにいくと
いつもとおなじメニューをたのしくこなせたりする。
いろがしい日がつづいて、その日しかどうしても
トレーニングができないときなどは、
すこしぐらいつかれがのこっていても
頭もからだもちゃんとうごく。
仕事や勉強も、なにかハードルがあって
それをクリアーする必要があるときなどは
かえって集中してとりくめることがおおい。
わたしはいつもつかれているようなものなので、
つかれとのつきあいもながく、
ほかのひとよりよく理解しているつもりだったけど、
まだぜんぜんわかってなかったみたいだ。
あすの降水確率はゼロ%と、天気予報がいっていた。
あすはしっておかないと、
毎週はしることにきめていた
2時間のジョギングがとぎれてしまうことになる。
来年のパリマラソンをめざしているので、
かんたんにやすみたがる脳と足をそだてたくはない。
本屋さんをのぞきにいく、とか
アイスクリームをたくさんたべる、とかのごほうびを設定し、
脳がからだにへんな命令をださないよう、
うしろむきの情報に気をつけよう。
すごくつかれてるのでとりやめ。
きのうの天気予報で、きょうからあすにかけて
西日本一帯で雨がふるといっており、
そういう情報を脳が都合よく処理して
はしらなくてもいい体調をつくってしまったのかもしれない。
「つかれは気から」というのはよくある。
ヘトヘトにつかれてるので、とてもトレーニングはできないと、
よくいくマッサージ院へ予約をいれたら、
とたんにからだがうごくようになり、
ためしに体育館のジムにいくと
いつもとおなじメニューをたのしくこなせたりする。
いろがしい日がつづいて、その日しかどうしても
トレーニングができないときなどは、
すこしぐらいつかれがのこっていても
頭もからだもちゃんとうごく。
仕事や勉強も、なにかハードルがあって
それをクリアーする必要があるときなどは
かえって集中してとりくめることがおおい。
わたしはいつもつかれているようなものなので、
つかれとのつきあいもながく、
ほかのひとよりよく理解しているつもりだったけど、
まだぜんぜんわかってなかったみたいだ。
あすの降水確率はゼロ%と、天気予報がいっていた。
あすはしっておかないと、
毎週はしることにきめていた
2時間のジョギングがとぎれてしまうことになる。
来年のパリマラソンをめざしているので、
かんたんにやすみたがる脳と足をそだてたくはない。
本屋さんをのぞきにいく、とか
アイスクリームをたくさんたべる、とかのごほうびを設定し、
脳がからだにへんな命令をださないよう、
うしろむきの情報に気をつけよう。
2012年04月21日
ベガルタのいきおいがとまらない 「APT」という指標
Jリーグ第7節、ベガルタ仙台対FC東京
これまで6戦まけなしの仙台と、
好調を維持してここまで5位につけるFC東京。
どちらもゆずらない緊迫したスタートとなる。
ベガルタはたかい位置からのはげしいプレッシャーで、
たおれるのはたいていFCの選手だ。
日本と韓国の代表戦をみるようだった。
そのいきおいのまま、セカンドボールもみんなとってしまう。
後半終了間際になってもベガルタの選手の足はとまらない。
ダジャレのすきな解説の早野さんは
「1000だいではなくて、3000だいくらいじゃないですか」
といってそのスタミナを評価していた。
反対に、FCの選手はつかれがみえて、
後半にたてつづけに点をうしない、
けっきょく4−0でベガルタのかち。
FC東京のいいところがでず、
ベガルタ仙台のいきおいがとまらない試合となった。
Jリーグでは、今期から
じっさいのプレー時間をしめす「APT」
(アクチュアル・プレーイング・タイム)を公表することを
きょうの朝日新聞で紹介されていた。
「反則やオフサイドで審判の笛が鳴ったりして、
試合が途切れた時間を除いた実際のプレー時間がAPTだ」
とある。
「ボール保持率を高めて攻めるチームは
APTが長くなる傾向があり」
ということで、
ペトロビッチ監督がひきいた広島が2008年から4年連続で1位、
同監督が移籍した浦和が今期は1位になっている。
今期の5節までのAPTをみると、
ベガルタ仙台は最下位の18位で、
中断のおおい試合をしているという結果がでている。
それがそのままベガルタの試合に魅力がない、
というわけではなく、
きょうの試合をみると、
ロングボールで相手の裏をねらう攻撃は
オフサイドがおおくなるので、
そうした数字がでているのかもしれない。
いぜん外国のホテルでプレミアリーグの試合をみていたら、
両チームともとにかくよくはしっていた。
ファールで笛がふかれても(そもそもあまりふかれない)、
シュートがおしくもはずれても、
すぐにまた再開する。
よく、「攻守のきりかえのはやさ」というけど、
あまりにも全力ではしりつづけて
グランドをいったりきたりするので、
サッカーというより、
なんだかはしりつづけることが目的のスポーツをしているようにみえた。
そういう試合はAPTがながいわけで、
観客がもとめるスタイルと、選手たちの意識が、
そうした試合はこびをうみだているのだろう。
たしかに中断はすくないが、
Jリーグになれた目からは、もうちょっと試合がとまったほうが、
集中してみることができるような気がした。
世界的にみたAPTが、どういう傾向にあるのかしりたいところだ。
これまで6戦まけなしの仙台と、
好調を維持してここまで5位につけるFC東京。
どちらもゆずらない緊迫したスタートとなる。
ベガルタはたかい位置からのはげしいプレッシャーで、
たおれるのはたいていFCの選手だ。
日本と韓国の代表戦をみるようだった。
そのいきおいのまま、セカンドボールもみんなとってしまう。
後半終了間際になってもベガルタの選手の足はとまらない。
ダジャレのすきな解説の早野さんは
「1000だいではなくて、3000だいくらいじゃないですか」
といってそのスタミナを評価していた。
反対に、FCの選手はつかれがみえて、
後半にたてつづけに点をうしない、
けっきょく4−0でベガルタのかち。
FC東京のいいところがでず、
ベガルタ仙台のいきおいがとまらない試合となった。
Jリーグでは、今期から
じっさいのプレー時間をしめす「APT」
(アクチュアル・プレーイング・タイム)を公表することを
きょうの朝日新聞で紹介されていた。
「反則やオフサイドで審判の笛が鳴ったりして、
試合が途切れた時間を除いた実際のプレー時間がAPTだ」
とある。
「ボール保持率を高めて攻めるチームは
APTが長くなる傾向があり」
ということで、
ペトロビッチ監督がひきいた広島が2008年から4年連続で1位、
同監督が移籍した浦和が今期は1位になっている。
今期の5節までのAPTをみると、
ベガルタ仙台は最下位の18位で、
中断のおおい試合をしているという結果がでている。
それがそのままベガルタの試合に魅力がない、
というわけではなく、
きょうの試合をみると、
ロングボールで相手の裏をねらう攻撃は
オフサイドがおおくなるので、
そうした数字がでているのかもしれない。
いぜん外国のホテルでプレミアリーグの試合をみていたら、
両チームともとにかくよくはしっていた。
ファールで笛がふかれても(そもそもあまりふかれない)、
シュートがおしくもはずれても、
すぐにまた再開する。
よく、「攻守のきりかえのはやさ」というけど、
あまりにも全力ではしりつづけて
グランドをいったりきたりするので、
サッカーというより、
なんだかはしりつづけることが目的のスポーツをしているようにみえた。
そういう試合はAPTがながいわけで、
観客がもとめるスタイルと、選手たちの意識が、
そうした試合はこびをうみだているのだろう。
たしかに中断はすくないが、
Jリーグになれた目からは、もうちょっと試合がとまったほうが、
集中してみることができるような気がした。
世界的にみたAPTが、どういう傾向にあるのかしりたいところだ。
2012年04月20日
ひさしぶりの『鷹の爪』は強烈だった
クッキー班のメンバーで、カラコロ工房にあるパン屋さん「パサージュ」へ。
それぞれパンとのみものを注文してテーブルにつく。
わたしは常連客といっていいほどこの店にきていて、
店長も奥さんも、コアな『鷹の爪団』ファンであることをしっている。
かるい挨拶のつもりで
「『鷹の爪』はもうテレビでやらないんですか?」とたずねた。
なんと、やっているという。しかも金曜日というからきょうだ。
「え〜!!」とおどろいて、さっそくみようとおもったのに、
夕ご飯つくりにおわれてみのがしてしまった。
ネットでしらべてみると、
3ど目のテレビシリーズということで、
4月から毎週金曜日の6時20分からはじまっている。
それがなんとNHKの「Eテレの『ビットワールド』内」だ。
番組の予告では、吉田くんと総統が、
NHKであること、夕方の放送であることをなんども強調している。
「鷹の爪」の世界がなつかしくなり、
ユーチューブで『鷹の爪外伝むかしの吉田くん』をみる。
「世界征服しかしとらんのに
どうしてこうちらかるんだ」と総統がぼやいているそばで、
吉田くんはアルバムをみてさぼっている。
10年まえの自分がのっているといい、
総統がのぞきこむと
獰猛な宇宙人が吉田くんの相棒のカズオの足をかじっている。
「いったいこれはなんじゃね〜」と総統がわけをたずねると、
「はなせばながくなりますよ」
「1クールくらいいっちゃいますよ」と吉田くんはもったいぶるけど、
「1クールくらいいっちゃおうよ!」と総統もノリがいい。
そこから吉田くんについてのむかしばなしがはじまった。
「獰猛な宇宙人」がはなすことばを吉田くんはふつうに理解する。
「出雲弁と宇宙語はきわめてちかいといわれている」そうだ。
『鷹の爪外伝むかしの吉田くん』は8つの短編からできていて、
それぞれのはなしが小泉八雲やヤマタノオロチなど、
島根の有名な歴史や土地を宇宙人に紹介するつくりになっている。
ひさしぶりに吉田くんのいいかげんさにどっぷりひたり、
ちかごろのわたしは、
吉田くん流のかろやかさをわすれていたことに気づいた。
こうやって、ときどき『鷹の爪』をみることは、
精神のバランスをたもつためにも
かかしてはならないようだ。
ついでにみた「ヤマハVOX」のはなしをみると、
影響されてすぐに「ヤマハVOX」がほしくなった。
わたしには『鷹の爪』は劇薬すぎるのかもしれない。
わすれないうちに、来週の番組の予約をいれた。
それぞれパンとのみものを注文してテーブルにつく。
わたしは常連客といっていいほどこの店にきていて、
店長も奥さんも、コアな『鷹の爪団』ファンであることをしっている。
かるい挨拶のつもりで
「『鷹の爪』はもうテレビでやらないんですか?」とたずねた。
なんと、やっているという。しかも金曜日というからきょうだ。
「え〜!!」とおどろいて、さっそくみようとおもったのに、
夕ご飯つくりにおわれてみのがしてしまった。
ネットでしらべてみると、
3ど目のテレビシリーズということで、
4月から毎週金曜日の6時20分からはじまっている。
それがなんとNHKの「Eテレの『ビットワールド』内」だ。
番組の予告では、吉田くんと総統が、
NHKであること、夕方の放送であることをなんども強調している。
「鷹の爪」の世界がなつかしくなり、
ユーチューブで『鷹の爪外伝むかしの吉田くん』をみる。
「世界征服しかしとらんのに
どうしてこうちらかるんだ」と総統がぼやいているそばで、
吉田くんはアルバムをみてさぼっている。
10年まえの自分がのっているといい、
総統がのぞきこむと
獰猛な宇宙人が吉田くんの相棒のカズオの足をかじっている。
「いったいこれはなんじゃね〜」と総統がわけをたずねると、
「はなせばながくなりますよ」
「1クールくらいいっちゃいますよ」と吉田くんはもったいぶるけど、
「1クールくらいいっちゃおうよ!」と総統もノリがいい。
そこから吉田くんについてのむかしばなしがはじまった。
「獰猛な宇宙人」がはなすことばを吉田くんはふつうに理解する。
「出雲弁と宇宙語はきわめてちかいといわれている」そうだ。
『鷹の爪外伝むかしの吉田くん』は8つの短編からできていて、
それぞれのはなしが小泉八雲やヤマタノオロチなど、
島根の有名な歴史や土地を宇宙人に紹介するつくりになっている。
ひさしぶりに吉田くんのいいかげんさにどっぷりひたり、
ちかごろのわたしは、
吉田くん流のかろやかさをわすれていたことに気づいた。
こうやって、ときどき『鷹の爪』をみることは、
精神のバランスをたもつためにも
かかしてはならないようだ。
ついでにみた「ヤマハVOX」のはなしをみると、
影響されてすぐに「ヤマハVOX」がほしくなった。
わたしには『鷹の爪』は劇薬すぎるのかもしれない。
わすれないうちに、来週の番組の予約をいれた。
2012年04月19日
古本屋ではたらきたくなる『ビブリア古書堂の事件手帖』
『ビブリア古書堂の事件手帖』(三上延・メディアワークス文庫)
「おすすめ文庫王国2012」のベスト1作品だ。
どうせろくに活字をよまないわかものむけの
携帯小説みたいなもんだろう、と
あまり期待しないでよみはじめると・・・
おもしろかった。
4つのはなしからなる連作短編集で、
それぞれが微妙につながっている。
ケガで入院中の古本屋の店主(美人)は、
本についての豊富な知識とふかい愛情をもつ。
彼女は現場をみなくても、
本にまつわるわずかな情報から
それぞれの出来事について、
うらにかくされた状況までを推察してしまう。
本の表紙はこの女店長・栞子(しおりこ)さんで、
こんなひとが店番をやっていたら、
なんとかおしゃべりをかわしたいと
わたしも常連客となっていただろう。
古本屋は、わかいころ、わたしがつきたかった仕事だ。
店のおくにすわってすきな本をよんでいたらいいなんて、
なんてすばらしい職業か、とおもっていた。
じっさいは、本についての幅ひろい知識が必要であり、
のんびり本をながめていて、つとまるはずはない。
それでも、いまもまだ、頭のすみで
「本にかこまれてイスにすわっているだけで仕事となるもの」
をもとめている。
古本屋よりも、本がおいてあるサロンみたいなかんじだ。
栞子さんをはじめ、登場人物のだれもが
じっさいにまわりにいそうなひとたちだ。
三上延の本をよむのははじめてで、
ていねいで、神経のいきとどいた作風に好感をもった。
この作品はすでに続編が出版されている。
「おすすめ文庫王国2012」のベスト1作品だ。
どうせろくに活字をよまないわかものむけの
携帯小説みたいなもんだろう、と
あまり期待しないでよみはじめると・・・
おもしろかった。
4つのはなしからなる連作短編集で、
それぞれが微妙につながっている。
ケガで入院中の古本屋の店主(美人)は、
本についての豊富な知識とふかい愛情をもつ。
彼女は現場をみなくても、
本にまつわるわずかな情報から
それぞれの出来事について、
うらにかくされた状況までを推察してしまう。
本の表紙はこの女店長・栞子(しおりこ)さんで、
こんなひとが店番をやっていたら、
なんとかおしゃべりをかわしたいと
わたしも常連客となっていただろう。
古本屋は、わかいころ、わたしがつきたかった仕事だ。
店のおくにすわってすきな本をよんでいたらいいなんて、
なんてすばらしい職業か、とおもっていた。
じっさいは、本についての幅ひろい知識が必要であり、
のんびり本をながめていて、つとまるはずはない。
それでも、いまもまだ、頭のすみで
「本にかこまれてイスにすわっているだけで仕事となるもの」
をもとめている。
古本屋よりも、本がおいてあるサロンみたいなかんじだ。
栞子さんをはじめ、登場人物のだれもが
じっさいにまわりにいそうなひとたちだ。
三上延の本をよむのははじめてで、
ていねいで、神経のいきとどいた作風に好感をもった。
この作品はすでに続編が出版されている。
2012年04月18日
想像力で非日常を演出する
いいお天気のなかを、
生活介護からさいごの花見にでかける。
さいご、というのはこっちの都合であり、
じっさいはもうほとんどの花がちり、
葉桜にちかい。
出店もめっきりすくなくなっているし、
お天気にもかかわらず店をとじているテントもあった。
陽がさしているけど風はつめたい。
春らしいさわやかな気候だ。
こんな日にのんびりおもてを散歩していると、
仕事なんかしないで(してないようなものだけど)
どこかへ旅行にいきたくなる。
旅行、といっても、
具体的にどこにいってなにをやりたいかを
きめているわけではない。
あくまでもこういうお天気からイメージする自由な気もちのもちかただ。
すこしはだざむいような風をあびて
どこかちいさな町のおもてどおりをゆっくりとあるく。
つかれたらカフェにはいってビールを注文し、
お気にいりの文庫本をひらく。
それぐらいのことなら
ほんとはわざわざ旅行にでかけることもない。
いますんでいる町で、
やすみの日におなじことをすればいいのだ。
旅行さきでないとゆっくりできないというのは、
こちらのかってなおもいすごしでしかない。
いまをたのしく生きているひとは、
とっくのむかしに想像力をふくらませて
平凡な日常をとびきりの旅行先にかえて
近場での非日常をたのしんでいるのだろう。
パリやアテネの下町にでかけるための
移動の時間やお金も必要ない。
ながい旅行にはしばらくでかけられないので、
いったつもり、やったつもりの演出で、
このすごしやすい時期を旅行みたいにたのしみたい。
生活介護からさいごの花見にでかける。
さいご、というのはこっちの都合であり、
じっさいはもうほとんどの花がちり、
葉桜にちかい。
出店もめっきりすくなくなっているし、
お天気にもかかわらず店をとじているテントもあった。
陽がさしているけど風はつめたい。
春らしいさわやかな気候だ。
こんな日にのんびりおもてを散歩していると、
仕事なんかしないで(してないようなものだけど)
どこかへ旅行にいきたくなる。
旅行、といっても、
具体的にどこにいってなにをやりたいかを
きめているわけではない。
あくまでもこういうお天気からイメージする自由な気もちのもちかただ。
すこしはだざむいような風をあびて
どこかちいさな町のおもてどおりをゆっくりとあるく。
つかれたらカフェにはいってビールを注文し、
お気にいりの文庫本をひらく。
それぐらいのことなら
ほんとはわざわざ旅行にでかけることもない。
いますんでいる町で、
やすみの日におなじことをすればいいのだ。
旅行さきでないとゆっくりできないというのは、
こちらのかってなおもいすごしでしかない。
いまをたのしく生きているひとは、
とっくのむかしに想像力をふくらませて
平凡な日常をとびきりの旅行先にかえて
近場での非日常をたのしんでいるのだろう。
パリやアテネの下町にでかけるための
移動の時間やお金も必要ない。
ながい旅行にはしばらくでかけられないので、
いったつもり、やったつもりの演出で、
このすごしやすい時期を旅行みたいにたのしみたい。
2012年04月17日
最良の準備で開所をのぞむしかない
居宅介護にはいっていた職員が、事務所にかえってくるなり
「春やすみがあけたら、むつかしくなるとおもっていた」ときりだした。
幼稚園にいきたくないので、
いろんなことをいってまわりをこまらせるのだそうだ。
はなしをきいていると、支援にはいっている利用者についてのことではなく、
その妹さんへの対応についてだった。
発達障害で、ほかの子がしていることをゆるせなかったり、
面とむかって相手が傷つくようなことをいったりするという。
障害をもつ姉について否定的なみかたをするので、
両親としてもすべてをうけいれることがむつかしくなってくる。
お母さんにしたら、その子のことがだんだんわからなくなるし、
そうなればなったで、我が子をみとめられない自分がいたらない親におもえて
気もちがおちこんだりされるそうだ。
発達障害の専門機関にもかよっているが、
すぐに解決むけてうまくうごきだすようなことではない。
お母さんへの支援もふくめて
いろいろな機関がかかわっていくことが必要となるケースだ。
わたしだったらなにをはなせるだろう。
両親や幼稚園、それに専門機関も、
それぞれができるだけのことをしていても、
だんだんこじれた状況になっている。
一発逆転をねらえるスーパーな裏技はない。
「大丈夫ですよ」なんて気やすめは絶対いえないし、
参考となるいいモデルをしっているわけでもない。
我が子のためならなんでもこころみたいとねがう親にとって、
必要なのは正確な知識をもつ専門家であって、
中途半端な技術しかない支援者はぜんぜんおよびでない。
放課後等デイサービスも、おもな利用者は
発達障害をもつ子どもたちが予想される。
わたしたちにできることは、
できるかぎり本人と保護者のちからになれるように、
いろいろなケースを想定しての、最良な準備で開所にのぞむことだ。
「春やすみがあけたら、むつかしくなるとおもっていた」ときりだした。
幼稚園にいきたくないので、
いろんなことをいってまわりをこまらせるのだそうだ。
はなしをきいていると、支援にはいっている利用者についてのことではなく、
その妹さんへの対応についてだった。
発達障害で、ほかの子がしていることをゆるせなかったり、
面とむかって相手が傷つくようなことをいったりするという。
障害をもつ姉について否定的なみかたをするので、
両親としてもすべてをうけいれることがむつかしくなってくる。
お母さんにしたら、その子のことがだんだんわからなくなるし、
そうなればなったで、我が子をみとめられない自分がいたらない親におもえて
気もちがおちこんだりされるそうだ。
発達障害の専門機関にもかよっているが、
すぐに解決むけてうまくうごきだすようなことではない。
お母さんへの支援もふくめて
いろいろな機関がかかわっていくことが必要となるケースだ。
わたしだったらなにをはなせるだろう。
両親や幼稚園、それに専門機関も、
それぞれができるだけのことをしていても、
だんだんこじれた状況になっている。
一発逆転をねらえるスーパーな裏技はない。
「大丈夫ですよ」なんて気やすめは絶対いえないし、
参考となるいいモデルをしっているわけでもない。
我が子のためならなんでもこころみたいとねがう親にとって、
必要なのは正確な知識をもつ専門家であって、
中途半端な技術しかない支援者はぜんぜんおよびでない。
放課後等デイサービスも、おもな利用者は
発達障害をもつ子どもたちが予想される。
わたしたちにできることは、
できるかぎり本人と保護者のちからになれるように、
いろいろなケースを想定しての、最良な準備で開所にのぞむことだ。
2012年04月16日
事業申請について、障害福祉課をたずねる
放課後等デイサービスの事業申請の準備について。
きょうは県の障害福祉課にいって
療育支援の担当をされている方に
わからない点をたずねた。
わたしたちが確認したかったのは、
営業時間をどう設定するかについてと、
法人認可のまえに事業申請に目をとおしてもらえるかについてだ。
放課後等デイサービスは、平常の日と、長期休暇中とで
必要とされる営業時間がかわってくる。
放課後等デイサービスを単独事業としてとりくむ場合、
それをどう設定するかがわからなかった。
もうひとつの法人認可まえの事業申請については、
申請してからからなず2ヶ月をおかなければならないのではなく、
申請書がととのっていれば
すぐにでも事業所番号をいただけるということだ。
法人認可がまだなので、登記もできてないし、
事業所の場所もきまっていないけれど、
それ以外のことについては書類が準備できているので、
法人認可をまっての申請でもじゅうぶんまにあう、といわれる。
こちらが準備していた申請書のコピーをとられ、目をとおしてみて、
適切でない箇所については連絡をいただけることになった。
7月1日の開所にむけて、
準備がすすんでいるようで、できていないような、
こころもとないかんじがしていたが、
きょうの相談でだいぶ気がらくになった。
ずいぶんさきのはなしだとおもっていた7月の開所まで、
もう2ヶ月半しかない。
自分たちの事業所をひらくことが、
いよいよ現実味をおびてきた。
きょうは県の障害福祉課にいって
療育支援の担当をされている方に
わからない点をたずねた。
わたしたちが確認したかったのは、
営業時間をどう設定するかについてと、
法人認可のまえに事業申請に目をとおしてもらえるかについてだ。
放課後等デイサービスは、平常の日と、長期休暇中とで
必要とされる営業時間がかわってくる。
放課後等デイサービスを単独事業としてとりくむ場合、
それをどう設定するかがわからなかった。
もうひとつの法人認可まえの事業申請については、
申請してからからなず2ヶ月をおかなければならないのではなく、
申請書がととのっていれば
すぐにでも事業所番号をいただけるということだ。
法人認可がまだなので、登記もできてないし、
事業所の場所もきまっていないけれど、
それ以外のことについては書類が準備できているので、
法人認可をまっての申請でもじゅうぶんまにあう、といわれる。
こちらが準備していた申請書のコピーをとられ、目をとおしてみて、
適切でない箇所については連絡をいただけることになった。
7月1日の開所にむけて、
準備がすすんでいるようで、できていないような、
こころもとないかんじがしていたが、
きょうの相談でだいぶ気がらくになった。
ずいぶんさきのはなしだとおもっていた7月の開所まで、
もう2ヶ月半しかない。
自分たちの事業所をひらくことが、
いよいよ現実味をおびてきた。
2012年04月15日
「ガンバ対フロンターレ」まけられないチーム同士の対戦
ガンバ対フロンターレ(万博記念競技場) J1第6節
ガンバは今シーズンこれまで白星がないし、
フロンターレも相馬監督がクビをきられたばかりだ。
両チームともなんとしてもかちたいところ。
試合開始20秒でいきなりフロンターレが先制する。
前半30分にコーナーキックからさらに追加点。
点をいれられるたびに、カメラはセンターバックの今野をとらえる。
前節までリーグ最多失点のガンバが、
データーどおりに前半にはやくも2点をうしなってしまった。
点をとれないガンバにとって最高にいやなムードだ。
ガンバの攻撃はちぐはぐで、
なかなかゴール前までとどかない。
ガンバがやりたいような攻撃をしたのがフロンターレで、
中村憲剛の縦パスからそのあとなんどもチャンスをつくる。
しかし、もうすこしのところで3点目をきめきることができない。
結果的にいえば、このときにきっちり
3点目をとっておかなかったことが
あとまでひびくことになる。
前半終了間際にガンバの時間帯となり、ロスタイムに1点をかえす。
これもまたおおきかった。
後半は、ガンバらしいリズムの攻撃があらわれる。
すばやいながれでいっきにゴール前にせまったり、
相手のちょっとした油断をとがめてシュートまでもっていく。
そのいきおいのまま後半に2点をいれて逆転すると、
あとはガンバのいいところばかりめだつ展開となった。
ホームでのうれしい1勝目。
両チームともわたしはひいきにしており(攻撃型のチームだから)、
とはいえいちばんすきな選手は中村憲剛なので、
この試合はフロンターレを応援していた。
前半とはまるでちがうチームになってしまい、
2−0からのまさかの逆転まけは残念だった。
応援席にはおおきく「中村憲剛」とかかれた幕と、
そのとなりには「縦役者」の幕がならべられている。
誤字かとおもったけど、憲剛の絶妙な縦パスをねがっての
応援幕であることに気づいた。
ほんとに憲剛の縦パスはたまらなくセクシーで、
どうしたらあんなアイデアがわいてくるのかといつも感心する。
わたしがみる試合では、フロンターレはいつも
積極的にせめるもののあまり結果にむすびつかない。
きめるべきときにきめ、
「うちあいにつよい」フロンターレであることを期待している。
6節では鹿島が初勝利をあげた。
ながいトンネルだったので、
選手たちは悲壮感をただよわせてプレイしていた。
札幌と横浜F・マリノスはまだ白星がないし、
神戸は4連敗(そして4試合連続無得点)と調子がでない。
きょねん優勝の柏もなかなかリズムにのれないようだ。
まだ6節というものの、スタートのきりかたによる明暗がわかれてきた。
ガンバは今シーズンこれまで白星がないし、
フロンターレも相馬監督がクビをきられたばかりだ。
両チームともなんとしてもかちたいところ。
試合開始20秒でいきなりフロンターレが先制する。
前半30分にコーナーキックからさらに追加点。
点をいれられるたびに、カメラはセンターバックの今野をとらえる。
前節までリーグ最多失点のガンバが、
データーどおりに前半にはやくも2点をうしなってしまった。
点をとれないガンバにとって最高にいやなムードだ。
ガンバの攻撃はちぐはぐで、
なかなかゴール前までとどかない。
ガンバがやりたいような攻撃をしたのがフロンターレで、
中村憲剛の縦パスからそのあとなんどもチャンスをつくる。
しかし、もうすこしのところで3点目をきめきることができない。
結果的にいえば、このときにきっちり
3点目をとっておかなかったことが
あとまでひびくことになる。
前半終了間際にガンバの時間帯となり、ロスタイムに1点をかえす。
これもまたおおきかった。
後半は、ガンバらしいリズムの攻撃があらわれる。
すばやいながれでいっきにゴール前にせまったり、
相手のちょっとした油断をとがめてシュートまでもっていく。
そのいきおいのまま後半に2点をいれて逆転すると、
あとはガンバのいいところばかりめだつ展開となった。
ホームでのうれしい1勝目。
両チームともわたしはひいきにしており(攻撃型のチームだから)、
とはいえいちばんすきな選手は中村憲剛なので、
この試合はフロンターレを応援していた。
前半とはまるでちがうチームになってしまい、
2−0からのまさかの逆転まけは残念だった。
応援席にはおおきく「中村憲剛」とかかれた幕と、
そのとなりには「縦役者」の幕がならべられている。
誤字かとおもったけど、憲剛の絶妙な縦パスをねがっての
応援幕であることに気づいた。
ほんとに憲剛の縦パスはたまらなくセクシーで、
どうしたらあんなアイデアがわいてくるのかといつも感心する。
わたしがみる試合では、フロンターレはいつも
積極的にせめるもののあまり結果にむすびつかない。
きめるべきときにきめ、
「うちあいにつよい」フロンターレであることを期待している。
6節では鹿島が初勝利をあげた。
ながいトンネルだったので、
選手たちは悲壮感をただよわせてプレイしていた。
札幌と横浜F・マリノスはまだ白星がないし、
神戸は4連敗(そして4試合連続無得点)と調子がでない。
きょねん優勝の柏もなかなかリズムにのれないようだ。
まだ6節というものの、スタートのきりかたによる明暗がわかれてきた。
2012年04月14日
耳にバナナのジョークだけがのこった『マーガレットと素敵な何か』
『マーガレットと素敵な何か』
県民会館での名画劇場にでかける。
2月の『トスカーナの贋作』につづいてフランス映画だ。
原題は「分別のつく歳ごろ(L'âge de raison)」。
フランス映画はたいていいつもにぎやかで、
けっきょくなんだったのかよくわからない。
この作品もそうだった。
40歳の誕生日をむかえた「わたし」に、
7歳の「わたし」がかいた手紙が何通もとどく。
わきめもふらず仕事にエネルギーをかたむけてきた「わたし」は
過去の自分がかいた手紙にむかしの記憶をとりもどし、
しだいにこころをみだしていく。
ソフィー=マルソーはすてきだけど、
いったいなんなのかよくわからない作品だった。
わたしがおとこだからかもしれないし、
わたしの価値観との距離が原因なのかもしれない。
たいくつはしなかったが、共感もまたなかった。
おぼえているのは2つのこと。
7歳の「わたし」からの手紙にあった
「愛と勇気をしんじたいの」というセリフと、
耳にバナナをいれたおじいさんのはなしだ。
「愛と勇気」はアンパンマンでなくても
わたしもしんじたいし、大切なことだとおもう。
耳にバナナのおじさんは、なんのことかというと、
耳にバナナをいれたおじさんに少年がはなしかける。
「おじさん!耳にバナナがはいってるよ!」
「なんだって?」
「耳に、バナナが、はいってるよ!」
「耳にバナナをいれてるから、もっと大声でいってくれ!」
というジョークだ。
せっかく映画をみたのに
これだけしかおぼえてないなんてひどい。
でも、たとえば3歳の子を外国旅行につれていっても、
旅行じたいはその子の記憶にはのこらないが、
たのしかったこと、大切にされたおもいでは
ちゃんとその子のどこかにきざまれている。
きょうの作品をみたことも、
4月のいいお天気の日に、ちりはじめたサクラの花びらをあびながら
自転車をこいだことといっしょに、
たのしかった体験としてわたしの記憶にのこるとおもいたい。
いまわの際に、そういえば耳にバナナのジョークがでた映画をみたなー、
なんていいながら、ポックリいったりして。
県民会館での名画劇場にでかける。
2月の『トスカーナの贋作』につづいてフランス映画だ。
原題は「分別のつく歳ごろ(L'âge de raison)」。
フランス映画はたいていいつもにぎやかで、
けっきょくなんだったのかよくわからない。
この作品もそうだった。
40歳の誕生日をむかえた「わたし」に、
7歳の「わたし」がかいた手紙が何通もとどく。
わきめもふらず仕事にエネルギーをかたむけてきた「わたし」は
過去の自分がかいた手紙にむかしの記憶をとりもどし、
しだいにこころをみだしていく。
ソフィー=マルソーはすてきだけど、
いったいなんなのかよくわからない作品だった。
わたしがおとこだからかもしれないし、
わたしの価値観との距離が原因なのかもしれない。
たいくつはしなかったが、共感もまたなかった。
おぼえているのは2つのこと。
7歳の「わたし」からの手紙にあった
「愛と勇気をしんじたいの」というセリフと、
耳にバナナをいれたおじいさんのはなしだ。
「愛と勇気」はアンパンマンでなくても
わたしもしんじたいし、大切なことだとおもう。
耳にバナナのおじさんは、なんのことかというと、
耳にバナナをいれたおじさんに少年がはなしかける。
「おじさん!耳にバナナがはいってるよ!」
「なんだって?」
「耳に、バナナが、はいってるよ!」
「耳にバナナをいれてるから、もっと大声でいってくれ!」
というジョークだ。
せっかく映画をみたのに
これだけしかおぼえてないなんてひどい。
でも、たとえば3歳の子を外国旅行につれていっても、
旅行じたいはその子の記憶にはのこらないが、
たのしかったこと、大切にされたおもいでは
ちゃんとその子のどこかにきざまれている。
きょうの作品をみたことも、
4月のいいお天気の日に、ちりはじめたサクラの花びらをあびながら
自転車をこいだことといっしょに、
たのしかった体験としてわたしの記憶にのこるとおもいたい。
いまわの際に、そういえば耳にバナナのジョークがでた映画をみたなー、
なんていいながら、ポックリいったりして。
2012年04月13日
おもしろくなくなった『本の雑誌』
『本の雑誌・5月号』をかう。
以前は文芸誌コーナーにおいてあったのに、
先月から新刊の棚にならぶようになった。
月刊の雑誌をなぜそこにおくことにしたのかわからない。
先月は、発売日をすぎてもなかなか文芸誌コーナーにあらわれないので、
最後には店員さんにたずねてやっとかうことができた。
しかし、その前月号はすごくつまらなかった。
特集が「早川書房に行こう!」で、
連載ものである「おじさん三人組」が
早川書房をたずねる。
ふつうにさらりとかけばいいのに、
むりに読者をわらわそうとして、ちっともおもしろくない。
ほかの記事もとくにみるべきものがなく、
何日もたのしみにしていたのに
すぐによむところがなくなってしまった。
あまりのつまらなさにおどろいて、はじめて感想をかく気になり、
「WEB本の雑誌」からメールでおくったほどだ。
メールをおくるのなら、できれば肯定的な内容にしたいところだけれど、
そのときには率直に「おもしろくない」という感想をつたえた。
(「紙版」の『本の雑誌』について、
「WEB本の雑誌」からおくったためか、
返事はこなかった)。
『本の雑誌』は何年かまえに経営難におちいり、
かなりあぶない状態をなんとかのりきった経緯がある。
そのときには、内容についてもとくに不満をもっておらず、
こうした雑誌がなくなるとすごくさびしくなるので、
できるだけ協力しようと
それまで図書館でよんでいたのを
毎月かかさずかうようになった。
今月号はどうかというと、先月号ほどではないにしても、
たいして興味をひかれる内容ではない。
これだったらわざわざかわなくても、
図書館でよめばじゅうぶんだ。
こんなげんきのない雑誌なら、廃刊もやむなし、とまでおもう。
なにがどういうふうにわるいのかはわからないが、
とにかくおもしろくない。
電子書籍化による紙の本の危機がよくいわるけれど、
こんな内容だったら読者がはなれても文句はいえない。
『本の雑誌』がもういちどげんきをとりもどす日がくるだろうか。
以前は文芸誌コーナーにおいてあったのに、
先月から新刊の棚にならぶようになった。
月刊の雑誌をなぜそこにおくことにしたのかわからない。
先月は、発売日をすぎてもなかなか文芸誌コーナーにあらわれないので、
最後には店員さんにたずねてやっとかうことができた。
しかし、その前月号はすごくつまらなかった。
特集が「早川書房に行こう!」で、
連載ものである「おじさん三人組」が
早川書房をたずねる。
ふつうにさらりとかけばいいのに、
むりに読者をわらわそうとして、ちっともおもしろくない。
ほかの記事もとくにみるべきものがなく、
何日もたのしみにしていたのに
すぐによむところがなくなってしまった。
あまりのつまらなさにおどろいて、はじめて感想をかく気になり、
「WEB本の雑誌」からメールでおくったほどだ。
メールをおくるのなら、できれば肯定的な内容にしたいところだけれど、
そのときには率直に「おもしろくない」という感想をつたえた。
(「紙版」の『本の雑誌』について、
「WEB本の雑誌」からおくったためか、
返事はこなかった)。
『本の雑誌』は何年かまえに経営難におちいり、
かなりあぶない状態をなんとかのりきった経緯がある。
そのときには、内容についてもとくに不満をもっておらず、
こうした雑誌がなくなるとすごくさびしくなるので、
できるだけ協力しようと
それまで図書館でよんでいたのを
毎月かかさずかうようになった。
今月号はどうかというと、先月号ほどではないにしても、
たいして興味をひかれる内容ではない。
これだったらわざわざかわなくても、
図書館でよめばじゅうぶんだ。
こんなげんきのない雑誌なら、廃刊もやむなし、とまでおもう。
なにがどういうふうにわるいのかはわからないが、
とにかくおもしろくない。
電子書籍化による紙の本の危機がよくいわるけれど、
こんな内容だったら読者がはなれても文句はいえない。
『本の雑誌』がもういちどげんきをとりもどす日がくるだろうか。
2012年04月12日
『陽だまりの彼女』それなりにおもしろいけど、ラストまで少々たいくつ
『陽だまりの彼女』(越谷オサム・新潮文庫)
「ベストセラーBOOKTV」で絶賛していた本だ。
まだこの番組をみはじめたばかりのころで、
どの本でもべたぼめすることをしらなかった。
ひとがすすめる本はよんでみたくなる。
中学生のときの真緒も、社会人としてはたらくようになった真緒も、
どちらもすごくかわいい。それがこの作品のすべてだ。
真緒の魅力にひきこまれて、なんとかよみえる。
おもしろくなかったわけではないが、
起伏のないストーリーのわりには
はなしがながすぎた。
ものがたりはなかなかすすまず、
よんでいるうちにだんだんとイライラしてくる。
「僕」が真緒と再会してから1年ほどしか時間はたってないのに、
よみおえたときには、
もう何年もいっしょにくらしていたような気がする。
結婚し、ふたりでの生活をはじめるわけだけど、
とくに劇的な変化がおとずれるわけではない。
なんだかんだとたわいのないできごとがおこり、
ダラダラとページ数がついやされていく。
それらがラストへの伏線でもあることに
よみおえたあと気づくのだが、
よんでいるときは正直いってつらかった。
山本幸久の作品に雰囲気がにていることをかんじた。
山本幸久だったら、もっとじょうずにメリハリをつけるところだろう。
ジム=フジーリ著・村上春樹訳の
『ペット・サウンズ』をよみはじめたものの、
とちゅうでなげだしてこの作品にうつったら、
その『ペット・サウンズ』のことが
重要なエピソードとして設定されていた。
真緒たちが世話をする金魚に、
ビーチ・ボーイズのメンバーの名前がつけられているし、
真緒が機嫌のいいときによくくちずさむのが
『ペット・サウンズ』のなかの
「素敵じゃないか」ということになっている。
こういう偶然もまた本をよむたのしみのひとつだ。
おかげでまた『ペット・サウンズ』にもどることができる。
もうひとつ、本書(文庫本)のカバーイラストには感心しない。
つよくすすめられたからよむ気になったが、
そうでなければまずかう気にならない装丁だ。
真緒をおもわせる、もっと魅力的な女性にしてほしかった。
「ベストセラーBOOKTV」で絶賛していた本だ。
まだこの番組をみはじめたばかりのころで、
どの本でもべたぼめすることをしらなかった。
ひとがすすめる本はよんでみたくなる。
中学生のときの真緒も、社会人としてはたらくようになった真緒も、
どちらもすごくかわいい。それがこの作品のすべてだ。
真緒の魅力にひきこまれて、なんとかよみえる。
おもしろくなかったわけではないが、
起伏のないストーリーのわりには
はなしがながすぎた。
ものがたりはなかなかすすまず、
よんでいるうちにだんだんとイライラしてくる。
「僕」が真緒と再会してから1年ほどしか時間はたってないのに、
よみおえたときには、
もう何年もいっしょにくらしていたような気がする。
結婚し、ふたりでの生活をはじめるわけだけど、
とくに劇的な変化がおとずれるわけではない。
なんだかんだとたわいのないできごとがおこり、
ダラダラとページ数がついやされていく。
それらがラストへの伏線でもあることに
よみおえたあと気づくのだが、
よんでいるときは正直いってつらかった。
山本幸久の作品に雰囲気がにていることをかんじた。
山本幸久だったら、もっとじょうずにメリハリをつけるところだろう。
ジム=フジーリ著・村上春樹訳の
『ペット・サウンズ』をよみはじめたものの、
とちゅうでなげだしてこの作品にうつったら、
その『ペット・サウンズ』のことが
重要なエピソードとして設定されていた。
真緒たちが世話をする金魚に、
ビーチ・ボーイズのメンバーの名前がつけられているし、
真緒が機嫌のいいときによくくちずさむのが
『ペット・サウンズ』のなかの
「素敵じゃないか」ということになっている。
こういう偶然もまた本をよむたのしみのひとつだ。
おかげでまた『ペット・サウンズ』にもどることができる。
もうひとつ、本書(文庫本)のカバーイラストには感心しない。
つよくすすめられたからよむ気になったが、
そうでなければまずかう気にならない装丁だ。
真緒をおもわせる、もっと魅力的な女性にしてほしかった。
2012年04月11日
『謎の独立国家ソマリランド』勤勉で速いソマリランド人とは
『WEB本の雑誌』で高野秀行さんが
『謎の独立国家ソマリランド』を連載している。
ソマリアと名がつくと、
国連が多国籍軍を派遣したり、
ユニセフが支援をおこなったりで、
なんだかやばそうなイメージがつよい。
しかし、ソマリランドは
国際的には独立がみとめられていないものの、
じっさいは別の国であり、国としてりっぱに機能している。
「りっぱに」というのは文字どおりの意味だ。
ソマリアやジブチなどのまわりの失敗国家よりもはるかに治安がよく、
政治的にも安定していることを高野さんはつたえている
連載の3回目は、ソマリランド人の「速さ」についてかかれている。
「清潔さ、接客、設備のどれをとっても、
世界的に見て"中の上"もしくは"上の下"クラスレベルである。
それだけでも驚くのに、従業員の対応が素早い。
フロ ントに頼めば、瞬時に無線LANのネット回線をつないでくれたし、
レストランのウェイターもてきぱきとしていて、
呼ぶと「イエス!」と小走りで飛んでく る。
日本以外で食堂内を走るウェイターなどめったにお目にかかれない」
なんだかすごくおもしろそうだ。
なぜこのような国が存在しているのか、
という謎についてあきらかにするのが
今回の高野さんの仕事であり、
辺境作家、高野さんならではの取材力が生きている。
ソマリアのとなりにありながら治安がよく、
あかるく活気にあふれた独立国ということが、
ソマリランド近隣の国々のことをかんがえると
奇跡のような存在におもえてくる。
そんなすごいところが、
なぜ一般的にはあまりしられていないのだろう。
これからの連載がたのしみだ。
『謎の独立国家ソマリランド』を連載している。
ソマリアと名がつくと、
国連が多国籍軍を派遣したり、
ユニセフが支援をおこなったりで、
なんだかやばそうなイメージがつよい。
しかし、ソマリランドは
国際的には独立がみとめられていないものの、
じっさいは別の国であり、国としてりっぱに機能している。
「りっぱに」というのは文字どおりの意味だ。
ソマリアやジブチなどのまわりの失敗国家よりもはるかに治安がよく、
政治的にも安定していることを高野さんはつたえている
連載の3回目は、ソマリランド人の「速さ」についてかかれている。
「清潔さ、接客、設備のどれをとっても、
世界的に見て"中の上"もしくは"上の下"クラスレベルである。
それだけでも驚くのに、従業員の対応が素早い。
フロ ントに頼めば、瞬時に無線LANのネット回線をつないでくれたし、
レストランのウェイターもてきぱきとしていて、
呼ぶと「イエス!」と小走りで飛んでく る。
日本以外で食堂内を走るウェイターなどめったにお目にかかれない」
なんだかすごくおもしろそうだ。
なぜこのような国が存在しているのか、
という謎についてあきらかにするのが
今回の高野さんの仕事であり、
辺境作家、高野さんならではの取材力が生きている。
ソマリアのとなりにありながら治安がよく、
あかるく活気にあふれた独立国ということが、
ソマリランド近隣の国々のことをかんがえると
奇跡のような存在におもえてくる。
そんなすごいところが、
なぜ一般的にはあまりしられていないのだろう。
これからの連載がたのしみだ。