2012年04月04日
ネコかわいがりできるしあわせ
生活介護の活動でプールへいくとちゅう
家にいるネコのはなしになった。
ある職員さんの家のネコ(ミー)は、
しょっちゅうひっかいたり、
かみついたりするのだそうだ。
7ヶ月くらいでかいはじめたときから
いままでずっとその性格はなおらず、
ちょっと油断すると、家族のだれかが
バンソーコーをはることになるらしい。
そんな関係で、ネコといっしょにくらすたのしさがあるのだろうか。
その職員さんにたずねると、
かまれても、ひっかかれても、
かわいいことにかわりはなく、
ミーは家族の一員としての純然たる地位を確立しているという。
わたしの家のネコ(ピピとチャコ)は、
ぜったいにそんなことをしない。
顔をスリスリしたり、鼻と鼻をくっつけて
息をふきかけたりしても(これがわたしの愛情表現)、
安心しきってわたしにからだをあずけている。
むこうからそうした愛撫をもとめてくるし、
おおきくノドをならしてよろこんでもくれる。
わたしにとってネコとくらすたのしさは、
こうしてネコかわいがりさせてもらえることに象徴される。
ネコによって性格はそれぞれだ。
これまでいっしょにくらしたネコのなかには
臆病だったりあまりひとになじまないネコもいたので、
かみつくネコとの同居が理解できないわけではない。
いっしょにくらすことになったネコが、
たまたまかみつくクセをもっていた、ということであり、
だからといっておいだすわけにはいかないのだ。
とはいえ、夜ねむるときに、
ネコたちが布団のなかにはいってきて、
安心しきってノドをならすのをききながらウトウトしていると、
このよろこびを、その職員さんに体験してもらえたらとおもう。
冬のさむいあいだは、目がさめたときにもネコたちがいて、
爆睡していたり、大あくびをみせてくれたりする。
そうしたようすをみるにつけ、
いまのわたしがどれだけしあわせかをおもい、
いつまでもこのしあわせがつづくことをねがう。