『マーガレットと素敵な何か』
県民会館での名画劇場にでかける。
2月の『トスカーナの贋作』につづいてフランス映画だ。
原題は「分別のつく歳ごろ(L'âge de raison)」。
フランス映画はたいていいつもにぎやかで、
けっきょくなんだったのかよくわからない。
この作品もそうだった。
40歳の誕生日をむかえた「わたし」に、
7歳の「わたし」がかいた手紙が何通もとどく。
わきめもふらず仕事にエネルギーをかたむけてきた「わたし」は
過去の自分がかいた手紙にむかしの記憶をとりもどし、
しだいにこころをみだしていく。
ソフィー=マルソーはすてきだけど、
いったいなんなのかよくわからない作品だった。
わたしがおとこだからかもしれないし、
わたしの価値観との距離が原因なのかもしれない。
たいくつはしなかったが、共感もまたなかった。
おぼえているのは2つのこと。
7歳の「わたし」からの手紙にあった
「愛と勇気をしんじたいの」というセリフと、
耳にバナナをいれたおじいさんのはなしだ。
「愛と勇気」はアンパンマンでなくても
わたしもしんじたいし、大切なことだとおもう。
耳にバナナのおじさんは、なんのことかというと、
耳にバナナをいれたおじさんに少年がはなしかける。
「おじさん!耳にバナナがはいってるよ!」
「なんだって?」
「耳に、バナナが、はいってるよ!」
「耳にバナナをいれてるから、もっと大声でいってくれ!」
というジョークだ。
せっかく映画をみたのに
これだけしかおぼえてないなんてひどい。
でも、たとえば3歳の子を外国旅行につれていっても、
旅行じたいはその子の記憶にはのこらないが、
たのしかったこと、大切にされたおもいでは
ちゃんとその子のどこかにきざまれている。
きょうの作品をみたことも、
4月のいいお天気の日に、ちりはじめたサクラの花びらをあびながら
自転車をこいだことといっしょに、
たのしかった体験としてわたしの記憶にのこるとおもいたい。
いまわの際に、そういえば耳にバナナのジョークがでた映画をみたなー、
なんていいながら、ポックリいったりして。