『すみれファンファーレ』(松島直子・小学館)
朝日新聞の書評欄で紹介されていた。
この欄にとりあげられるコミックはたいていおもしろい。
おもしろいコミックはたくさんあるのだろうけど、
マンガ雑誌をよまないわたしには、
どれがいいのかわからないので、
こうやっておしえてもらえると、とてもたすかる。
すみれのすなおさにまいってしまった。
10歳でひとの人格は完成する、というはなしを
なにかの本でよんだことがある。
それ以降は、世なれたり、へんなものがくっつくだけで、
10歳のころが人生において
もっともピュアな時期なのだそうだ。
すみれがひとの気もちをかんがえることができるのは、
ちゃんとしたおとなにかこまれてそだったからだ。
お母さんも、いまはわかれてくらすお父さんも、
かかわりのあるほかの大人たちも、
相手のことをかんがえることができる。
自分の子が10歳ころのとき、
彼がわたしにしめしてくれたまっすぐさを、
わたしはちゃんとうけとめていただろうか。
すきだという気もちを、かくさないようにはつとめてきた。
でも、10歳の完全無欠の人格にむきあうには、
わたしのこころはうすよごれすぎていたのではないか。
子どもとかかわるすばらしさを、
このマンガからひさしぶりにおもいださせてくれた。
1年ぶりにお父さんにあおうと、すみれは広島をおとずれる。
お父さんにきゅうな仕事がはいり、
その日はお父さんにあえないことを
電話でしららせても、すぐに気もちをきりかえて
「うん! わかった! 明日の夜ね!」
「お仕事がんばってね!」
とこたえることができる。
しかし、たのしみにしていた翌日の夜も、
お父さんはかえれそうにないことをつたえてくる。
すみれは
「そっか・・」
となんとかうけいれようとし、
でも自然となみだがこぼれてきて、
やがて号泣してしまう。
なんていいやつなんだ、すみれ!
こんなふうに、すみれのけなげさにふれ、
おもわずなけてくるシーンがいくつもある。
「いかにも」の感動的シーンなのではなく、
「おもわず」なけてしまうのが
すみれのすばらしいところだ。
最初のページの新幹線が
すっきりした線でうまくかいてあるけど、
あとはあまりこなれた絵とはおもえない。
「へたうま」の一種かととおもっていたら、
新聞の書評では
「この理想郷的世界に現実味を与えているのが、
卓越した作画センス。
シンプルな線で省略と描き込みを使い分ける」
とほめてあった。
そうか。こういう絵は上手だからかける絵なんだ。
すみれはこれから歳をとっていくのだろうか。
13歳のすみれが、10歳のころとおなじわけがない。
すみれの成長が、みたいようなみたくないような。