2012年06月10日

映画の歴史もたのしめる『ヒューゴの不思議な発明』

きのうは県民会館での上映会で『ヒューゴの不思議な発明』をみる。

オープニングでは、パリの町の上空からカメラがしだいに高度をさげ、
スピードをたもったまま駅の構内をなめるように時計台まですすむ。
生理的快感をおぼえるうつくしさがあり、
わーすごい、と感心してみていたけど、
アニメでもないのにどうやって撮影したのだろう。
ほかにも、いっけんするとふつうの場面ながら、
よくかんがえると不思議な映像がたくさんでてくる。

映画という技術、そして産業が
うまれたころのはなしが伏線になっていて、
ずいぶんストーリーがすすんでから
作品のしめす世界がみえてくる。
それまでは、いったいなんの映画なのかがぜんぜんわからず、
ちょっとイライラさせられた。
作品全体がすごくこったつくりで、
映画の黎明期に興味があるひとにとって
みどころいっぱいの作品なのだろう。
そんなことに知識がなくてもじゅうぶんたのしめたけど。

このまえ見学した「みんぱく」に、
歴史的にもっともふるい映像として
工場から人々がでてくる場面が展示されていた。
この作品にもそれがつかわれており、
おもいがけないところでの再会がたのしかった。

いただけなかったのは、
登場人物が英語をしゃべっていたことだ。
パラマウント映画だからそうなるのだろうか。
「ヒューゴ」はフランス語よみをすると「ユゴ」になり、
それだけで作品全体の雰囲気がかわってくる。
うつしだされるのはパリのまちなみなのに、
みみにはいるのは英語というのは興ざめだった。
作品の世界になかなかはいれなかったのは、
そんなこともじゃましていたのかもしれない。

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2012年06月09日

「放課後等デイサービス」への準備「コミュニケーションの起源」

竹内先生による3回目の講座は
「コミュニケーションの指導」について。

自閉症の障害特性のひとつに、
コミュニケーション障害があげられる。
他者とどうかかわるか、
自分の要求をどうつたえるか、についてのおおくを
自閉症のひとは学習によって身につける必要がある。
竹内先生がきょうはなしてくださったのは、
コミュニケーション能力を把握したのちに
課題を設定し、計画的に指導していく方法だ。
あるひとのコミュニケーション能力をどう評価するかは、
みるひとによってゆれがあるし、
ある程度の経験がないと、
適切な課題をきめるのもむつかしそうだ。

そもそも、コミュニケーションとは、
一般にかんがえられているほど
かんたんなものではないかもしれない。
コミュニケーション能力がない、とか
空気がよめない、とかよくいうけど、
いまになって苦手なひとがふえたわけではなく、
じつはむかしのひとだって(どれくらいまえかはおいとくとして)
たいしたコミュニケーションをしていなかった可能性もある。
複雑なコミュニケーションなどなくても
支障のない社会であり人間関係だったわけだ。
コミュニケーション能力がたかいほうが
ゆたかな人間性ととらえることは、
ひとつの価値観にすぎず、
コミュニケーションにはたいして意味がない、という
かんがえ方もまたありえる。

いまよんでいる『人類大移動』(印東道子・朝日新聞出版)には、
700万年まえにアフリカでうまれた旧人が、
どう世界にひろがっていったのかがかかれている。
そして、その旧人たちは、
20万年まえに新人(ホモ=サピエンス)が誕生すると、
いれかわるように世界からすがたをけしている。
彼らのなかでコミュニケーションはいつうまれ、
どう進化していったのだろう。
チンパンジーのコミュニケーションとは
なにがちがっていたのか。
たった20万年のあいだに
ずっと以前からいる旧人にとってかわった新人は、
なにか特別な能力を獲得したことがかんがえられる。
彼らがとっていたコミュニケーションは、
わたしたちがいまコミュニケーションとかんがえているものと
同質のものなのだろうか。

近年になって問題視されている
コミュニケーション能力の欠如を
700万年の人類の歴史とのなかでかんがえると、
ちょっとちがう視点からとらえられてたのしい。
脳の発達がどう進化をうながし、
コミュニケーションはどう変化したのか。
ながい人類史のなかでは、
ほんのちょっとまえにあらわれたにすぎないコミュニケーションは、
人類にとってどんな意味をもっているのだろう。

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2012年06月08日

ヨルダンにも6-0で圧勝。どうやら日本はほんとうにつよい

W杯最終予選ヨルダン戦。

3日におこなわれたオマーン戦とおなじように、
BSでは6時から放送がはじまった。
試合開始は7時半なのに、そのはるかまえから
ピッチに解説者やアナウンサーがならんであれこれはなす。
これまでにおこなわれたヨルダン戦をふりかえったり
(まだ90分でかったことがないそうだ)、
スタジアムの外のようすまで紹介したりして、
まるでW杯の本大会がはじまったかのようだ。

試合は、日本がボールを支配するものの、
さすがにヨルダンの選手はテクニックがありつぶしもはやい。
プレッシャーがきびしく、
ちからまかせなラフプレーがめだつ。
日本は何本もコーナーキックをうつのに点がはいらない。
むつかしい試合になりそうだと覚悟する。
でも、おもっていたよりもはやい時間、
前半の18分に、6本目のコーナーが先取点にむすびついた。
そのあとは35分までにたてつづけに4点がはいる。
パスがよくつながり、
相手の守備を完全にくずしての得点で、
日本のつよさが印象づけられる。

ハーフタイムでは、リラックス状態の客席がうつされる。
前半だけで4−0とおおきくリードしているので
どのサポーターも満足そうな表情だ。
わたしもテレビをみていてたのしい。
ハラハラしない代表戦なんて
これまでにあまりなかったから。

後半10分に中村憲剛が本田にかわってピッチにはいる。
なんどもスルーパスをだすものの、
もうちょっとのところで味方とあわない。
憲剛はとちゅう出場で試合のながれをかえるよりも、
さいしょからでていたほうがチームメイトとの息があいやすい。
パスのでどころがなく、自分のまえがあいていたとき、
強烈なミドルシュートをはなった。
残念ながら相手キーパーの好セーブにあうが、存在感をしめした。

終了間際にも点がはいり、
けっきょく6−0の完勝となった。
すごい。日本はほんとうにつよいのだ。
9月にはジーコ元代表監督がひきいるイラクとホームでたたかう。
ジーコのときの代表は、つよいのかつよくないのか、よくわからかった。
つよくなりつつあるというつみあげ感もなかった。
ジーコの目のまえで、
ぜんぜんちがうチームとしてうまれかわった
日本らしいサッカーをみせつけたい。

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2012年06月07日

『アジア新聞屋台村』(高野秀行)エイジアン的に生きるということ

高野秀行さんのブログをよんでいると、
ビルマ(ミャンマー)の本についてふれるなかで

「私が仕事をしていたアジア新聞社は、
それはもう、テキトウで何でも好きなことができる
素晴らしい会社だった」

と高野さんがまえにかかわっていた新聞社のことがかいてあった。
アジア新聞社は、日本にすむタイ・インドネシア・マレーシアなどの
ひとたちにむけた新聞をつくっている会社で、
フリーペーパーではなくちゃんと広告をとって発行されている。
そこがいかにめちゃくちゃな経営をしているかについては
高野さんの『アジア新聞屋台村』(集英社)にくわしい。
高野さんは以前アジア新聞社(本のなかでは「エイジアン」)の
編集を手つだっていた。
編集会議などはなく、
それぞれの担当者がかってに毎月の新聞をつくっている。
本国で出版されている雑誌から記事をパクってきたり、
政府よりだった新聞が、きゅうに反政府側にかわったりする。

なにしろいいかげんな高野さんが
「いい加減もいい加減にしろ!」とおこってしまうような
いいかげんな会社なのだ。
いいかげんだけど、仕事はおもしろそうで、
発行のまえの晩など学園祭の準備をしているようなノリだ。

ひとつ大切なことがあって、
和気あいあいにたのしくやっていても、
エイジアンの関係者はみんな自分のことしかかんがえていない。

「エイジアン的に生きるとは、
自分が主体性をもって生きるということだ。
状況に応じて相手を利用し、あくまでも自分本位に動く」
(中略)
「今、エイジアンと劉さん(社長)は、
切実に私を必要としている。それはほんとうだろう。
しかし、そんなこと、私の知ったことじゃないのだ。
他人のために仕事をするのではなく、
自分のために仕事をする。(中略)
居場所なんか人に与えられてはいけない。自分で作るのだ。
それがエイジアン人として正しい道なのだ」

主体的に生きるとは、
とくに日本人にとって簡単なことではない。
この本をよむたびに、
わたしもエイジアン的に生きることをこころにきめる。

「それはもう、テキトウで何でも好きなことができる
素晴らしい会社だった」

なんて耳にここちよいフレーズだろう。

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2012年06月06日

「放課後等デイサービス」の事業申請をととのえる

県の障害者福祉課へ、
放課後等デイサービスの事業申請にうかがう。

前回(4月)たずねたときに申請書のコピーをおわたししてあり、
それについて修正が必要な点をおしえてもらう訪問だ。
申請書はまだ完全なものではなかったとはいえ、
多少の訂正と追加ですむだろうとおもっていたのに、
そうはいかなかった。
なれないものにとって申請書とはきびしいもので、
1時間以上にわたって修正に必要な事項の説明をうける。
ていねいにおしえていただけたので、
来週にはスキのない申請書を提出できそうだ。

おなじ時間帯に理事長は不動産屋へ契約におとずれている。
なんだかんだあったけども、
これでいよいよ6月15日から事業所をかりられることとなった。
家にかえると、先日ひらいた口座のキャッシュカードが、
銀行からおくられていた。
障害者福祉課からのかえりには、
印鑑いれと朱肉もかった。
こういうのは準備がすすみつつある、
とはいわないかもしれないが、
心理的には前進している手ごたえをかんじることができる。

トートツだけど、「日記は風化しない」ことについて。
椎名誠についてのWEBサイトである「旅する文学館」のなかで、
『むはの断面図』が30年たったいまもなおおもしろいのは、
日記は風化しないから、と目黒考二氏がはなしている。

「団子を食べた感想とか。
そんなのどうでもいいじゃん本質的には(笑)。
だから結果的に嘘くさくなる。(中略)
日記はあったことを書くだけだからね、
感想はいらないんだ。だから風化しない」

感想をかくことが仕事みたいな椎名さんにたいして、
ムチャな指摘とはおもいつつ、
頭のどこかにおいておきたい注意事項だ。
いっぽうで、風化しないことに意味があるかというと、
それもまたどうかなとおもう。

というわけで、
きょうはへたな感想をこねくりまわしたりせず、
「放課後等デイサービス・ピピ」における歴史的ないちにちを
業務日誌的に記録しておく。

posted by カルピス at 22:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

角田光代の森のあるきかた

『本の雑誌』のバックナンバーをめくっていたら、
「角田光代はこの十冊を読め!」という企画が目にはいった。
このコーナーでは、毎月ひとりの作家をとりあげ、
その作家についててっとりばやく、しかもふかくしるのに
適切とおもわれる10冊がリストアップされる。
その号では、それがたまたま角田光代だったのだ。
角田光代の作品をよみすすんでいこうとするわたしにとって
ありがたい企画だ。

それによると、角田光代はこれまでに100冊以上の本をだしており、
たしかに「角田光代はこの10冊」という手びきが必要なくらい
多作な作家といえる。

この記事をかいた藤田香織さんは
当然かなりの角田光代ファンであり、
受賞作などをまじえてふつうにえらぶときの10冊を
「初級編」とよび、
今回の企画では、それらをよみおえた段階の読者むけに
「ほんとうの10冊」ともいうべき本をおしえてくれている。
わたしはまだ、初級編で3冊、その後篇(中級編)は1冊しかよんでおらず、
角田光代のふかい森をまよわずくぐりぬけるには、
このガイドがきっとやくにたってくれるだろう。

エッセイ集『しあわせのねだん』(新潮文庫)によると、
角田光代は毎朝7時半におきると牛乳をのみ、
そのまま仕事場にでかけて8時から仕事をはじめる。
週3回はジムにいってからだをきたえ、
ほかの日は午後5時まで仕事をするというから、
どんどん本ができあがるだろうし、
それをささえる体力も当分つづきそうだ。
かいていることが過激なわりには
サラリーマンみたいな生活リズムをまもっているところが
なんだか角田光代っぽい。
村上春樹にしても角田光代にしても、
たかいレベルをたもって本をかきつづけるためには、
むかしの文士ふうのみだれた生活ではなく、
からだをきたえながら単調なリズムにたえて
毎日まいにち原稿(パソコン)にむかうことが必要なのだろう。
おおげさではなく、すべての分野において
けっきょくは体力がものをいう。
「規則ただしい生活」と「定期的なトレーニング」については
わたしも実践できている。
あとは毎朝7時半におきて牛乳をのむだけだ。

posted by カルピス at 22:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 角田光代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

『食べてはいけない!』(森枝卓士)ややこしい食のタブー

『食べてはいけない!』(森枝卓士・白水社)

タイトルだけをみると、食の安全についての本みたいだけど、
じっさいは、たべてはいけないというタブーについてのものだ。
ただ、なぜそれをたべることがタブーなのか、
という問題は、問題があまりにもおおきすぎて
かんたんにはこたえにたどりつけない。
この本は、食のタブーから食文化をかんがえる案内書みたいだ。

なぜ、あるものをたべてはいけないか。
イスラム教徒における豚のように、
「ある共同体なり宗教なりの成員であることの
アイデンティティ、あるいは秩序を再確認するための行為」
と著者はまとめている。

たしかに。
まえによんだ本に、
タブーは理由がないからいつまでもタブーのまま、
ということがかいてあった。
理由が解決されればタブーではなくなるものは、
いままでタブーとしてのこってはいない。
なぜイスラム教が豚をたべることをきんじるのかは、
不浄だとか、ヒヅメの数など、
経典によっていろいろな説明がされている。
しかし、いまもなおタブーとしてのこっているのは、
けっきょくは「それがタブーだから」、ということが
いちばんの理由なのだ。
タブーをまもることで、
イスラム教徒というアイデンティティを確認することができる。

ほかにもタブーはある。
虫や動物の内蔵をたべること。
かわいい小鳥やペットをたべるのはかわいそう、という感覚。
知能がたかいからクジラはたべてはいけない、という
日本人からするとへんな理由。

これらのタブーが、この本では整理されずに紹介されるので、
よんでいるほうとしては
タブーの核心にちかづけないもどかしさがある。
タブーの原理は、アイデンティティのほかになにがあるだろうか。

インドのジャイナ教徒は、肉はもちろん
ニンニクや玉ねぎも料理につかわないという。
なぜなら「それを食べてしまえば、その植物を殺してしまう」から。
彼らにとって「食べてはいけない」ということは、
「殺してはいけない」ということであり、
じゃがいもや小麦をたべることは、
その植物をころすことではなく、
植物の一部をわけてもらうことだから、
というかんがえ方なのだそうだ。
「なぜ」がよくわからないタブーにくらべ、
こういう「食べてはいけない」はわかりやすい
(もちろんかんたんに実行できることではない)。

タブーは、けっきょくは文化の問題だともいえる。
あるものをたべない、あるいはたべることは、
その文化特有の価値観である。
それをほかの文化圏にぞくするものが
なんだかんだいえることではないし、
おたがいに理解できものでもない。

タブーとは関係ないことで、
「カレーは上から。
ラーメンは下から」
というはなしが紹介されている。
カレーとラーメンは、どちらも国民食といっていいほど
人気のある料理となっているけれど、
ラーメンにはさまざまな「ご当地ラーメン」があるのにくらべ、
カレーには地域差がない。
カレーは、近代化をすすめようとする明治政府の施策とともに、
軍隊からひろまったからだという。
いっぽうラーメンは、お国の施策とは関係がない。
いろいろな場所で、土地の食材や技法とむすびついて、
その土地にあった味がつくられている。

「ご当地ラーメン」とか「B級グルメグランプリ」のこころみは、
共同体のアイデンティティとか、
他者を排除するというかんがえのものではない。
タブーのきびしさよりも、こうした「なんでもあり」の
ゆるやかな日本的なかんがえ方のほうがわたしにはむいている。
それもまた日本的な価値観なわけだけど。

posted by カルピス at 23:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月03日

しんじられないくらいの快勝。最終予選対オマーン戦

W杯アジア最終予選対オマーン戦。
むずかしいといわれる最終予選の初戦を、
3−0でおえることができた。
ほんとうに、日本はいつも、
どことやっても苦戦してきた。
これまでの最終予選で、
安心してみていられた試合なんかあっただろうか。
それがきょうは3−0の完勝という、
最高のスタートをきることができた。

1点目は前半12分といういい時間に
長友のクロスを本田がボレーシュートできめる。
この先取点で選手たちは安心したのか、
そのあとは攻撃に迫力がなくなり、ミスがめだつようになった。
横パスや、うしろにさげるシーンがおおく、たてパスがはいらない。
ザッケローニ監督はかなりイライラしていたようだ。
そんななかで2点目を後半6分に、
そしてその3分後にすぐ3点目をとることができたので
すごくらくに試合をつくることができた。

3点をとることができたものの、
相手のキーパー、アルハシブはとてもいい反応をみせた。
彼のスーパーセーブがなければ、
あと3点ぐらいとれていたところだ。
堅守といわれていたわりには
オマーンは日本の攻撃についていけなかったけど、
後半にはオマーンがボールをまわす時間帯もあった。
ルグエン監督としたら、アウェイとはいえ
3−0は不本意な結果だろう。
なにかアクシデントがあったのだろうか。
それとも、日本のサッカーがそれだけちからをつけたのか。

最終予選はきょうからはじまり、
来年の6月11日におこなわれる
アウェイでのイラク戦まで、
1年をかけて8試合がくまれている。
まず大丈夫とはおもいつつ、
なにがあるかわからないのもまたたしかだ。
どんなかたちで日本は
2014年のブラジル大会をむかえるだろう。

posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月02日

『キッドナップ・ツアー』(角田光代)またユウカイしにきてね

『キッドナップ・ツアー』(角田光代・新潮文庫)

夏やすみの第1日目、5年生の女の子ハルは誘拐された。
犯人はお父さんだ。
それまでも家にいないことがおおかったお父さんは
2ヶ月ほどまえに本格的に家からいなくなった。
ハルはとくにお父さんがすきでもきらいでもなく、

「おれはあんたをユウカイするんだ。
当分帰ることはできないんだから、覚悟しとけよ」

というお父さんに
「うん、いいよ」とつきあうことにする。

お父さんはほんとうにハルをつれてにげまわる。
ときどきハルの家に電話をかけ、
お母さんに要求をつたえるが、
なかなかききいれてもらえない。
要求は、お金ではない。
要求がなんなのか、けっきょくさいごまであかされなかった。
お父さんについてもくわしいことはわからない。
なにをやっていて、これからどうしたいのかを
角田光代は読者にあかさない。

お金のあるうちは海の家や温泉旅館にとまったり、
なくなってくるとお寺に宿坊をたのんだり、
キャンプと称して野宿したり。
そうやってお父さんとにげているうちに
ハルはだんだんたのしくなってきて、
これがずっとつづけばいいとおもうようになる。
家にいたころにくらべ、自分がどんどんタフになり、
それまで気づかなかった自分のつよさ・ちからをしり、
いっけんかっこわるい中年のオヤジでしかないお父さんの
「かっこよさ」もわかるようになったからだ。

交渉がまとまり、家におくられることになったハルは、
自分のほうから「このまま逃げよう」と提案する。
しかし、「もう逃げる必要はなくなったんだよ」と
お父さんはハルを家におくろうとする。

ハルがいう。
「私はきっとろくでもない大人になる。
あんたみたいな、勝手な親に連れまわされて、
きちんと面倒みてもらえないで、
こんなふうに、いいにおいのする
おいしそうなものを鼻先に押しつけられて、
ぱっと取りあげられて、はいおわりって言われて、
こんなことされてたら
私は本当にろくでもない大人になる」

そんなことをいわれると、
わたしならおもわずあやまってしまいそうだ。
しかし、お父さんはちゃんと反論した。

「お、おれはろくでもない大人だよ」(中略)
「だけどおれがろくでもない大人になったのは
だれのせいでもない、
だれのせいだとも思わない。
だ、だから、あんたがろくでもない大人になったとしても、
それはあんたのせいだ。
おれやあかあさんのせいじゃない(中略)。
そ、そんな考えかたは、お、お、おれはきらいだ」(中略)
「きらいだし、かっこ悪い」

駅について、ふたりはわかれる。
「またユウカイしにきてね」私は言った。
「おう」おとうさんは大きすぎるサングラスをかけて笑った。

お父さんは、一般的な意味ではいい親ではないだろうし、
どうみたってさえないトホトなオヤジだけど、
でてくる友だちがみんなすてきなので、
きっといいやつなんだろう。
わたしもお父さんとなら気があいそうだ。

けっきょくお父さんの要求はなんだったのだろう。
このひとは、あんがい正式に離婚することを
こんなやり方でお母さんに要求したのかもしれない。
きらいだから離婚するのではなく、
なにか自分のやりたいことをやるために
わかれないといけない事情があったのだ。
そして、ハルとのこともけじめをつけたかった。
わたしだったら、とかんがえる。
「またユウカイしてね」なんていわれるぐらい
自分の子どもとすてきな時間がすごせるだろうか。

posted by カルピス at 22:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 角田光代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月01日

『しあわせのねだん』(角田光代)20代のとき使ったお金がその人の一部をつくる

『しあわせのねだん』(角田光代・新潮文庫)

「三十代も後半に近づいた今、思うのは、
二十代のとき使ったお金がその人の一部をつくるのではないか、
ということである」

なんておそろしいことがかいてある。

この手のことでよくいわれるのが、
(たとえば)40代をどうすごしたかで
そのひとの50代がきまる、
いうのがある。
そんなことをいわれると
わたしの50代はもうきまってしまっているので、
いまさらジタバタしてもしょうがない、
みたいにおもえる。
すんでしまったものはしょうがない。
ま、いいか、というかんじだ。

角田光代さんの説は、
それを「お金」に限定したものであり、
「すごしかた」よりももっとリアルだ。
20代の貧乏なときに、
お金をケチらないでつぎこんだことが、
30代以降の自分をきめる。
みかえりをもとめて投資をするのではなく、
結果としてそうだった、という場合がおおいのではないか。
あとからふりかえってみると、
自分はこのことにだけはケチらなかった、
ということが自分をつくっている。
『ほんとうは怖いグリム童話』
みたいに、ちょっと目にはわからないけれど、
ヒタヒタと、確実にそのひとを形づくってしまうこわさがある。
浪費に気をつけ、節約もし、
その結果としてつまらないおとなになったら
かなしいはなしだ。

「私がもっとも恐怖するのが、
なんにもお金を使わなくって、
貯金額だけが異様に高い、ということだ」

角田さんは、そういうひとにじっさいにあったのだそうだ。
中身がなんにもなかったという。

どうすごしたか、よりも
なににお金をつかったか、のほうがより具体的だ。
だれにでもこころあたりがあるだろう。

「節約は悪だ」とか、
「無駄なことはなにもない」とかいうと
だんだんぼやけてしまう。
あくまでも「なににお金をつかったか」に
限定したほうがすっきりするし、
さらに「20代」が
その後の人生全体に影響をあたえる大切な時期といわれると、説得力がある。
いまさら手おくれなことにはかわりないけど。

どこかで、
お金はもうけ方よりつかい方で
そのひとのひととなりがあらわれる、
というのをよんだことがある。
たしかに。

桂枝雀がマクラで
「お金はさみしがりやで
ほかの仲間とくっつきたがる」
というのもきいた。
わたしが20代のときにつかったお金は、
これからわたしをどこにみちびくだろうか。

posted by カルピス at 22:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 角田光代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする