『キッドナップ・ツアー』(角田光代・新潮文庫)
夏やすみの第1日目、5年生の女の子ハルは誘拐された。
犯人はお父さんだ。
それまでも家にいないことがおおかったお父さんは
2ヶ月ほどまえに本格的に家からいなくなった。
ハルはとくにお父さんがすきでもきらいでもなく、
「おれはあんたをユウカイするんだ。
当分帰ることはできないんだから、覚悟しとけよ」
というお父さんに
「うん、いいよ」とつきあうことにする。
お父さんはほんとうにハルをつれてにげまわる。
ときどきハルの家に電話をかけ、
お母さんに要求をつたえるが、
なかなかききいれてもらえない。
要求は、お金ではない。
要求がなんなのか、けっきょくさいごまであかされなかった。
お父さんについてもくわしいことはわからない。
なにをやっていて、これからどうしたいのかを
角田光代は読者にあかさない。
お金のあるうちは海の家や温泉旅館にとまったり、
なくなってくるとお寺に宿坊をたのんだり、
キャンプと称して野宿したり。
そうやってお父さんとにげているうちに
ハルはだんだんたのしくなってきて、
これがずっとつづけばいいとおもうようになる。
家にいたころにくらべ、自分がどんどんタフになり、
それまで気づかなかった自分のつよさ・ちからをしり、
いっけんかっこわるい中年のオヤジでしかないお父さんの
「かっこよさ」もわかるようになったからだ。
交渉がまとまり、家におくられることになったハルは、
自分のほうから「このまま逃げよう」と提案する。
しかし、「もう逃げる必要はなくなったんだよ」と
お父さんはハルを家におくろうとする。
ハルがいう。
「私はきっとろくでもない大人になる。
あんたみたいな、勝手な親に連れまわされて、
きちんと面倒みてもらえないで、
こんなふうに、いいにおいのする
おいしそうなものを鼻先に押しつけられて、
ぱっと取りあげられて、はいおわりって言われて、
こんなことされてたら
私は本当にろくでもない大人になる」
そんなことをいわれると、
わたしならおもわずあやまってしまいそうだ。
しかし、お父さんはちゃんと反論した。
「お、おれはろくでもない大人だよ」(中略)
「だけどおれがろくでもない大人になったのは
だれのせいでもない、
だれのせいだとも思わない。
だ、だから、あんたがろくでもない大人になったとしても、
それはあんたのせいだ。
おれやあかあさんのせいじゃない(中略)。
そ、そんな考えかたは、お、お、おれはきらいだ」(中略)
「きらいだし、かっこ悪い」
駅について、ふたりはわかれる。
「またユウカイしにきてね」私は言った。
「おう」おとうさんは大きすぎるサングラスをかけて笑った。
お父さんは、一般的な意味ではいい親ではないだろうし、
どうみたってさえないトホトなオヤジだけど、
でてくる友だちがみんなすてきなので、
きっといいやつなんだろう。
わたしもお父さんとなら気があいそうだ。
けっきょくお父さんの要求はなんだったのだろう。
このひとは、あんがい正式に離婚することを
こんなやり方でお母さんに要求したのかもしれない。
きらいだから離婚するのではなく、
なにか自分のやりたいことをやるために
わかれないといけない事情があったのだ。
そして、ハルとのこともけじめをつけたかった。
わたしだったら、とかんがえる。
「またユウカイしてね」なんていわれるぐらい
自分の子どもとすてきな時間がすごせるだろうか。