『食べてはいけない!』(森枝卓士・白水社)
タイトルだけをみると、食の安全についての本みたいだけど、
じっさいは、たべてはいけないというタブーについてのものだ。
ただ、なぜそれをたべることがタブーなのか、
という問題は、問題があまりにもおおきすぎて
かんたんにはこたえにたどりつけない。
この本は、食のタブーから食文化をかんがえる案内書みたいだ。
なぜ、あるものをたべてはいけないか。
イスラム教徒における豚のように、
「ある共同体なり宗教なりの成員であることの
アイデンティティ、あるいは秩序を再確認するための行為」
と著者はまとめている。
たしかに。
まえによんだ本に、
タブーは理由がないからいつまでもタブーのまま、
ということがかいてあった。
理由が解決されればタブーではなくなるものは、
いままでタブーとしてのこってはいない。
なぜイスラム教が豚をたべることをきんじるのかは、
不浄だとか、ヒヅメの数など、
経典によっていろいろな説明がされている。
しかし、いまもなおタブーとしてのこっているのは、
けっきょくは「それがタブーだから」、ということが
いちばんの理由なのだ。
タブーをまもることで、
イスラム教徒というアイデンティティを確認することができる。
ほかにもタブーはある。
虫や動物の内蔵をたべること。
かわいい小鳥やペットをたべるのはかわいそう、という感覚。
知能がたかいからクジラはたべてはいけない、という
日本人からするとへんな理由。
これらのタブーが、この本では整理されずに紹介されるので、
よんでいるほうとしては
タブーの核心にちかづけないもどかしさがある。
タブーの原理は、アイデンティティのほかになにがあるだろうか。
インドのジャイナ教徒は、肉はもちろん
ニンニクや玉ねぎも料理につかわないという。
なぜなら「それを食べてしまえば、その植物を殺してしまう」から。
彼らにとって「食べてはいけない」ということは、
「殺してはいけない」ということであり、
じゃがいもや小麦をたべることは、
その植物をころすことではなく、
植物の一部をわけてもらうことだから、
というかんがえ方なのだそうだ。
「なぜ」がよくわからないタブーにくらべ、
こういう「食べてはいけない」はわかりやすい
(もちろんかんたんに実行できることではない)。
タブーは、けっきょくは文化の問題だともいえる。
あるものをたべない、あるいはたべることは、
その文化特有の価値観である。
それをほかの文化圏にぞくするものが
なんだかんだいえることではないし、
おたがいに理解できものでもない。
タブーとは関係ないことで、
「カレーは上から。
ラーメンは下から」
というはなしが紹介されている。
カレーとラーメンは、どちらも国民食といっていいほど
人気のある料理となっているけれど、
ラーメンにはさまざまな「ご当地ラーメン」があるのにくらべ、
カレーには地域差がない。
カレーは、近代化をすすめようとする明治政府の施策とともに、
軍隊からひろまったからだという。
いっぽうラーメンは、お国の施策とは関係がない。
いろいろな場所で、土地の食材や技法とむすびついて、
その土地にあった味がつくられている。
「ご当地ラーメン」とか「B級グルメグランプリ」のこころみは、
共同体のアイデンティティとか、
他者を排除するというかんがえのものではない。
タブーのきびしさよりも、こうした「なんでもあり」の
ゆるやかな日本的なかんがえ方のほうがわたしにはむいている。
それもまた日本的な価値観なわけだけど。