2012年06月07日

『アジア新聞屋台村』(高野秀行)エイジアン的に生きるということ

高野秀行さんのブログをよんでいると、
ビルマ(ミャンマー)の本についてふれるなかで

「私が仕事をしていたアジア新聞社は、
それはもう、テキトウで何でも好きなことができる
素晴らしい会社だった」

と高野さんがまえにかかわっていた新聞社のことがかいてあった。
アジア新聞社は、日本にすむタイ・インドネシア・マレーシアなどの
ひとたちにむけた新聞をつくっている会社で、
フリーペーパーではなくちゃんと広告をとって発行されている。
そこがいかにめちゃくちゃな経営をしているかについては
高野さんの『アジア新聞屋台村』(集英社)にくわしい。
高野さんは以前アジア新聞社(本のなかでは「エイジアン」)の
編集を手つだっていた。
編集会議などはなく、
それぞれの担当者がかってに毎月の新聞をつくっている。
本国で出版されている雑誌から記事をパクってきたり、
政府よりだった新聞が、きゅうに反政府側にかわったりする。

なにしろいいかげんな高野さんが
「いい加減もいい加減にしろ!」とおこってしまうような
いいかげんな会社なのだ。
いいかげんだけど、仕事はおもしろそうで、
発行のまえの晩など学園祭の準備をしているようなノリだ。

ひとつ大切なことがあって、
和気あいあいにたのしくやっていても、
エイジアンの関係者はみんな自分のことしかかんがえていない。

「エイジアン的に生きるとは、
自分が主体性をもって生きるということだ。
状況に応じて相手を利用し、あくまでも自分本位に動く」
(中略)
「今、エイジアンと劉さん(社長)は、
切実に私を必要としている。それはほんとうだろう。
しかし、そんなこと、私の知ったことじゃないのだ。
他人のために仕事をするのではなく、
自分のために仕事をする。(中略)
居場所なんか人に与えられてはいけない。自分で作るのだ。
それがエイジアン人として正しい道なのだ」

主体的に生きるとは、
とくに日本人にとって簡単なことではない。
この本をよむたびに、
わたしもエイジアン的に生きることをこころにきめる。

「それはもう、テキトウで何でも好きなことができる
素晴らしい会社だった」

なんて耳にここちよいフレーズだろう。

posted by カルピス at 21:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 高野秀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする