竹内先生による3回目の講座は
「コミュニケーションの指導」について。
自閉症の障害特性のひとつに、
コミュニケーション障害があげられる。
他者とどうかかわるか、
自分の要求をどうつたえるか、についてのおおくを
自閉症のひとは学習によって身につける必要がある。
竹内先生がきょうはなしてくださったのは、
コミュニケーション能力を把握したのちに
課題を設定し、計画的に指導していく方法だ。
あるひとのコミュニケーション能力をどう評価するかは、
みるひとによってゆれがあるし、
ある程度の経験がないと、
適切な課題をきめるのもむつかしそうだ。
そもそも、コミュニケーションとは、
一般にかんがえられているほど
かんたんなものではないかもしれない。
コミュニケーション能力がない、とか
空気がよめない、とかよくいうけど、
いまになって苦手なひとがふえたわけではなく、
じつはむかしのひとだって(どれくらいまえかはおいとくとして)
たいしたコミュニケーションをしていなかった可能性もある。
複雑なコミュニケーションなどなくても
支障のない社会であり人間関係だったわけだ。
コミュニケーション能力がたかいほうが
ゆたかな人間性ととらえることは、
ひとつの価値観にすぎず、
コミュニケーションにはたいして意味がない、という
かんがえ方もまたありえる。
いまよんでいる『人類大移動』(印東道子・朝日新聞出版)には、
700万年まえにアフリカでうまれた旧人が、
どう世界にひろがっていったのかがかかれている。
そして、その旧人たちは、
20万年まえに新人(ホモ=サピエンス)が誕生すると、
いれかわるように世界からすがたをけしている。
彼らのなかでコミュニケーションはいつうまれ、
どう進化していったのだろう。
チンパンジーのコミュニケーションとは
なにがちがっていたのか。
たった20万年のあいだに
ずっと以前からいる旧人にとってかわった新人は、
なにか特別な能力を獲得したことがかんがえられる。
彼らがとっていたコミュニケーションは、
わたしたちがいまコミュニケーションとかんがえているものと
同質のものなのだろうか。
近年になって問題視されている
コミュニケーション能力の欠如を
700万年の人類の歴史とのなかでかんがえると、
ちょっとちがう視点からとらえられてたのしい。
脳の発達がどう進化をうながし、
コミュニケーションはどう変化したのか。
ながい人類史のなかでは、
ほんのちょっとまえにあらわれたにすぎないコミュニケーションは、
人類にとってどんな意味をもっているのだろう。