2012年06月10日

映画の歴史もたのしめる『ヒューゴの不思議な発明』

きのうは県民会館での上映会で『ヒューゴの不思議な発明』をみる。

オープニングでは、パリの町の上空からカメラがしだいに高度をさげ、
スピードをたもったまま駅の構内をなめるように時計台まですすむ。
生理的快感をおぼえるうつくしさがあり、
わーすごい、と感心してみていたけど、
アニメでもないのにどうやって撮影したのだろう。
ほかにも、いっけんするとふつうの場面ながら、
よくかんがえると不思議な映像がたくさんでてくる。

映画という技術、そして産業が
うまれたころのはなしが伏線になっていて、
ずいぶんストーリーがすすんでから
作品のしめす世界がみえてくる。
それまでは、いったいなんの映画なのかがぜんぜんわからず、
ちょっとイライラさせられた。
作品全体がすごくこったつくりで、
映画の黎明期に興味があるひとにとって
みどころいっぱいの作品なのだろう。
そんなことに知識がなくてもじゅうぶんたのしめたけど。

このまえ見学した「みんぱく」に、
歴史的にもっともふるい映像として
工場から人々がでてくる場面が展示されていた。
この作品にもそれがつかわれており、
おもいがけないところでの再会がたのしかった。

いただけなかったのは、
登場人物が英語をしゃべっていたことだ。
パラマウント映画だからそうなるのだろうか。
「ヒューゴ」はフランス語よみをすると「ユゴ」になり、
それだけで作品全体の雰囲気がかわってくる。
うつしだされるのはパリのまちなみなのに、
みみにはいるのは英語というのは興ざめだった。
作品の世界になかなかはいれなかったのは、
そんなこともじゃましていたのかもしれない。

posted by カルピス at 22:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする