きのうは県民会館での上映会で『ヒューゴの不思議な発明』をみる。
オープニングでは、パリの町の上空からカメラがしだいに高度をさげ、
スピードをたもったまま駅の構内をなめるように時計台まですすむ。
生理的快感をおぼえるうつくしさがあり、
わーすごい、と感心してみていたけど、
アニメでもないのにどうやって撮影したのだろう。
ほかにも、いっけんするとふつうの場面ながら、
よくかんがえると不思議な映像がたくさんでてくる。
映画という技術、そして産業が
うまれたころのはなしが伏線になっていて、
ずいぶんストーリーがすすんでから
作品のしめす世界がみえてくる。
それまでは、いったいなんの映画なのかがぜんぜんわからず、
ちょっとイライラさせられた。
作品全体がすごくこったつくりで、
映画の黎明期に興味があるひとにとって
みどころいっぱいの作品なのだろう。
そんなことに知識がなくてもじゅうぶんたのしめたけど。
このまえ見学した「みんぱく」に、
歴史的にもっともふるい映像として
工場から人々がでてくる場面が展示されていた。
この作品にもそれがつかわれており、
おもいがけないところでの再会がたのしかった。
いただけなかったのは、
登場人物が英語をしゃべっていたことだ。
パラマウント映画だからそうなるのだろうか。
「ヒューゴ」はフランス語よみをすると「ユゴ」になり、
それだけで作品全体の雰囲気がかわってくる。
うつしだされるのはパリのまちなみなのに、
みみにはいるのは英語というのは興ざめだった。
作品の世界になかなかはいれなかったのは、
そんなこともじゃましていたのかもしれない。