「ぼくらは『はじまりを、はじめよう』な人たちです」
というのがのっていた。
どういうことかというと、
「ほぼ日」というやつも、
よたよたとスタートして、へたくそで、でたらめで、
恥ずかしいような歩み方をしてきたものでした。
「ほぼ日」というものが、いまも欠点だらけなのです。
それは知っているのですが、欠点を見つめていても、
なんにもはじまりはしません。
それは、はじまりの用意にしかならないですし、
はじまりの用意は、はじまりじゃないですからね。
はじまりの用意ばかりしていると、
はじまらないくせがついてしまいます。
そして、「ぼくらは『はじまりを、はじめよう』な人たちです」
むすんである。
ほんとは、これよりももっとまえの文にひかれて
エバーノートにクリップしていた。
「『ほぼ日』の乗組員たち、欠点だらけの人々です」
と自分たちの不完全さについてかかれたもので、
「でも、欠点山盛りでも、いろいろできる」とつづく。
クリップしたあとでそのさきをよんでみると、
そこにも、冒頭に引用したような、
すてきなことがかかれていた。
この日(6月7日)の「今日のダーリン」は
なんだかわたしのためにかかれたみたいな気がする。
引用していたらきりがないほど全文が意味ぶかい。
「やったからできた」
というのもすきだ。
あたりまえながら、やらないと絶対にできない。
まず欠点をなおしてからと、
「はじまりの準備」ばかりしていたら、
けっきょくはうごきだせない。