山田洋次がえらんだ「日本映画の100本シリーズ」として
『ラヂオの時間』をとりあげていた。
出演者がわがままいいほうだいに
台本のかきかえを要求し、
都合のわるいところを修正していくうちに
めちゃくちゃなはなしになってくる。
台本では熱海のパチンコ屋ではたらくリツコのはずが
ニューヨークの弁護士メアリー=ジェーンに、
漁師の虎造がパイロットのドナルド=マクドナルドに、というぐあい。
どこかをいじるたびに、
その無理がほかの箇所に影響をあたえ、
それをまたつくろわなければならなくなる。
飛行機が行方不明になったことにすると、
スポンサーからすぐにクレームがきた。
飛行機でなきゃいいんだろう、
というむりやりのこちつけで
ロケットだったことにしてしまうとか、
生放送なのでスタジオじゅうがめちゃくちゃになっていく。
わがままをいいあい、本音をぶつけ、
ドタバタつじつまをあわせるうちに
だんだんと番組の完成にむけて関係者が
気もちをあわせるようになる。
その場しのぎのごまかし、つくろいをかさね、
なんとかぶじにおわりまでたどりつくと、
出演者全員がすがすがしい笑顔をみせる。
信念をまげてごりおしをゆるすと
ろくなことがない、といっているのか、
初期設定をへたにいじるとたいへんだけど、
最終的におもしろくなればいいじゃないか、
といっているのか。
教訓があるようでないようなすばらしい作品だ。
気のきいたセリフは、
こんどこまったことがあったら
2どとよばないよ。
「(続編では)ハインリッヒが
メアリー=ジェーンにあいにくることにしたら?」
「ハインリッヒは
ミシガン湖に車でつっこんじゃったよ」
「水陸両用車ってことにしよう。
陸上専用車とはいってなかった」
もうめちゃくちゃだ。
とりあえずつながればいいという
テキトーさがここちよかった。