2012年07月31日

プールもおやつづくりも、なんでもありの「放課後等デイサービス・ピピ」

7月最後の日の利用者は1人。
そのひとときょうはプールにでかけた。
オープンして最初のころは、
プールへの希望をきいても「移動支援でいかれたほうがいいとおもいます」
ととおまわりにおことわりしていた。
すくない職員配置のデイサービスで、
マンツーマン対応が必要なプールへいけるとは
とてもおもえなかったからだ。
でも、1人の利用者なら当然いける。
来年の夏こそは、「おことわり」できるだけの
利用者をむかえたい。

午後はこれまた個別対応(というか、職員のほうがおおい)で
お団子いりのかき氷をつくる。
かき氷にしらたま団子をのせ、
ゆで小豆をくわえて宇治のシロップをかける。
あつい夏の午後、かき氷をかこんでのまったりした時間をすごす。
780円でかったかき氷器には
製氷皿がついていて、
アイスキューブをつかうよりも格段にはやく
かき氷ができる。
夏やすみがおわるころには、
このおやつづくりがどれだけ進化しているだろう。
利用人数も順調にふえ
にぎやかなおやつの時間になっていることをねがう。

posted by カルピス at 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月30日

モロッコにかって予選リーグ突破

オリンピックサッカー、日本対モロッコ。
モロッコはフィジカルだけでなくテクニックもあり、
日本は終了間際までくるしむことになる。

モロッコというと、わたしは20年まえに2年間をすごした国なので、
特別なおもいがある。
国歌はなつかしかったし、ラマダンの影響も心配した。
当時のわたしはサッカーに興味がなく、
なんでモロッコのひとたちがサッカーにたいして
こんなにおおさわぎするのか、理解にくるしんだものだ。
あるとき、町をあげてのパレードが延々とつづいたときがあり、
いったいなにがおこったのかをしりあいにたずねた。
地元のチームがシーズンを好成績でおえ、
ひとつうえのリーグにあがったことのおいわいだった。
こうした熱狂は、いかなる場面においてもわたしにはないもので、
モロッコのひとたちにとって、サッカーが特別な存在なのがよくわかった。
町のあきちでは、いたるところでサッカーの練習と試合がおこなわれている。
グランドとよべるようなものではなく、
石ころや、ときには金属の部品が地面から顔をだしている。
モロッコは、フランスとのむすびつきがつよく、
サッカーへの情熱はすじがねいりだ。

そのモロッコに、1−0でかつことができた。
後半39分に清武からのパスをうけた永井が
スピードをいかしてディフェンダーにせりかち、
ループシュートをきめている。
どの番組でも永井のスピードをたたえていたけど、
パスをだした清武もみごとだった。
スペインをいい内容でやぶったことにより、
自信をもってたたかうことができていた。

オリンピックが本格的にはじまり、
放送もサッカーだけを特別にあつかうわけではない。
モロッコ戦を録画したつもりだったのに、その番組は、
ただオリンピックの競技をダイジェストで紹介するもので、
いつまでたってもサッカーの試合がはじまらない。
あぶなく試合をみのがすところだった。

つぎのホンジュラス戦で、
決勝トーナメントの対戦相手がきまる。
いまのチーム状態なら、どことあたっても
はずかしくない試合ができるだろう。
個人的には宇佐美の出番があるのかどうかが気になっている。

posted by カルピス at 23:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月29日

米子でのトレーニングセミナーに参加する

7月27日(金)からトレーニングセミナー(米子)に参加する。
トレーニングセミナーは、
TEACCHプログラムでの支援を勉強する機会として
3日間の日程でおこなわれている。
自閉症の障害をもつ、当事者のかたに協力していただくのが特徴で、
そのかたに支援の意味をとどかせるための要点を、
グループにわかれてはなしあい、
じっさいに支援ツールをつくっていく。
それをご本人にためしてもらい、
うまくいかなかったことについては
さらに修正(ときには2回の修正も)を
ほどこすことまでが研修にふくまれる。
具体的なモデルがじっさいにいなければ
ぜったいに体験することのできない内容だ。
これまで数おおくの研修会に参加しながら、
その知識がつかえるものになっていないわたしにとって、
ピピの開所にあわせてという
ぜっこうのタイミングでの研修となった。

わたしがはいったグループのメンバーは、
日常的にTEACCHでの支援をおこなっているひとたちばかりで、
わたしのひくいレベルとはおおきなへだたりがあった。
たとえば、「お皿をあらう」という活動への支援をかんがえるときに、
1枚のお皿をあらうことと、
2枚以上のお皿をあらうこととは、
質的におおきなちがいがあることを
わたしはをまったく理解していない。
わたしの発言はいつもどこかピントがずれていて、
グループではなしあうたびに
なさけないおもいをした。

研修会をささえてくださった関係者の方々、
わたしたちにじっさいのモデルとなって協力してくださった
当事者の方々、そしてそのご家族のご支援がなければ
この研修会は成立しなかった。
すばらしい機会をあたえてくださったことに、ふかく感謝したい。

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2012年07月28日

オリンピック女子サッカー、対スウェーデン戦。笑顔がよかったスウェーデン監督

女子サッカー日本対スウェーデン。
とくに後半にはいってからは、
ずっと日本がせめつづける。
スウェーデンの選手たちにつかれがみえはじめ、
日本がセカンドボールをぜんぶひろう。
枠内シュートが何本もつづき、もうすこしではいりそうなのに、
決定的チャンスがことごとくきまらない。
相手のゴールキーパーがとくにすぐれていたわけではない。
シュートコースが限定されていたり、
ボールがもうひとつひっとしなかったりで、
何回やってもうまくいかない。
きめるべき時間帯にきめておかないと、
という、サッカーでよくいわれることばが頭をかすめる。
これだけせめつづけて、もしまけたらもったいないが、
サッカーではしばしばおこりうる。
試合間際にはスウェーデンも猛攻をしかけてきて、
日本が懸命にしのぐ試合展開になってしまった。
けっきょくスコアレスドローとなり、
31日におこなわれる南アフリカ戦まで
グループリーグ突破はおあづけとなる。

ひきわけがきまると、スウェーデンの監督は
うれしそうに佐々木監督と握手をかわしていた。
そのあとも、ニコニコしながら日本の選手たちと握手をし、ことばをかわす。
男女をつうじて、これだけいい笑顔で
相手選手をたたえる監督をはじめてみた。
スウェーデンにしても、あれだけせめていたのだから
(後半のシュート数、日本9本・スウェーデン8本)、
けしてひきわけが最良の結果ではなかったはずだ。
それでもああいう態度がとれるのは
よほどの大人物なのか。
勝った時よりも、こういうときに
ほんとうの人柄がでるのかもしれない。
日本の佐々木監督も、名監督であるとともに、
どこにだしてもはずかしくない名優でもある。

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2012年07月27日

オリンピック予選リーグ、スペインを1-0でやぶる

オリンピックサッカー予選リーグDグループ、日本対スペイン。
日本がスペインを1-0でやぶる。
くるしい時間帯があったものの、
けしてひきっぱなしでまもるわけではなく、
得点した場面だけでなく、
なんども決定的なチャンスをつくっている。
それをはずしつづけたせいで、
さいごまでわからない試合になったとはいえ、
スペインを完全にくずした日本の攻撃を評価したい。
スペインとの試合のまえにあったメキシコ戦でも
日本はいいうごきをみせている。
フィジカルのつよさでゴリゴリおしてくるタイプより、
メキシコやスペインみたいにパスまわしのチームのほうが
日本はたたかいやすいのかもしれない。

冷静にかんがえると、スペインにかったからといって
グループリーグの突破がきまったわけではない。
この先の展開で日本が3位以下になる可能性はいぜんとしてのこっている。
それでもこの日の勝利は、
たまたまころがりこんだラッキーではなく、
リスクをおかして積極的にせめつづけたゆえの
かつべくしてかった内容がひかる。
これまでずっとこのチームにたいし、
ひややかな視線をそそいできたものの、
きょうは選手・監督のたたかいぶりに感謝したい。

ライブ放送でこの試合を観戦し、
つぎの日(きょう)に研修をひかえていながら
勝利をいわって深夜に乾杯したくなるだけの
充実した内容の試合を選手たちはみせてくれた。

posted by カルピス at 22:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月26日

オリンピック予選リーグ対カナダ戦

オリンピック女子サッカー予選リーググループF、日本対カナダ。
結果は2-1で、内容も日本のペースですすむ。

おもいおこせば、ちょうど1年前のワールドカップに優勝して
注目をあつめた女子サッカー。
おおくの国が日本のサッカーを研究し、
オリンピックでの優勝をはばもうとしている。
男子の場合オリンピックは
23歳以下という制限つきの大会なのに対し、
女子はフル代表なので位置づけがぜんぜんちがってくる。
日本代表は、ワールドカップで優勝したときから
このオリンピックでもかつことを目標にあげていた。
この1年であたらしく戦力になった選手はあまりいない。
かなり固定したメンバーでやりくりしているのが代表の現状であり、
きょうの試合でも、キーパーの福元以外は
ワールドカップのときからおなじみのメンバーだ。

前半32分の先制点は、沢がうかせたボールを大野がためて
川澄がはしりこむのをまつ。
おちついてうかせぎみのシュートをきめる。
試合をとおして川澄はいつものようによくはしった。
1年前のワールドカップでレギュラーとなった川澄は、
いまは代表チームにかかすことのできない選手だ。
試合後のインタビューで自分のシュートを笑顔でふりかえる川澄は
エースの風格があった。
解説の大竹さんは
「やっぱりもー、ほんとにもー、すばらしい」
と感激してことばにならない(いつもだけど)。

後半10分に1点をかえされ、
そのあとしばらくはくるしい時間帯のときもあった。
でも、みていてそんなにあぶなげはなく、
おちついてしのいだ印象がつよい。
カナダみたいに大柄で、とくにテクニックにすぐれているわけではないチームとは
相性がいいのかもしれない。

この大会では、フランスとアメリカにたいして
日本がどういう試合をするかがたのしみだ。
メダルの色もそれによってかわってくる。

気になったのは鮫島のパスミスがおおかったこと、
主審がふとりすぎてはしれなかったこと。

グループGのアメリカ対フランスは、
フランスが2点を先制しながら
ワンバックとモーガンがたてつづけにきめて同点、
そのあとさらに2点をかさね、けっきょく4−2でアメリカがかつ。
アメリカのつよさがきわだっている。

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2012年07月25日

老眼鏡をつくる

自分の老化はみとめたくないもので、
ちいさな字がだんだんみえにくくなっていたのに
これまでメガネをつくらずにいた。
夜でもなんとか新聞や本がよめたので、
そんなにはこまっていなかったこともたしかだ。

それが、ここ最近、
とうとうごまかしきれないほど
活字がみえにくくなってしまった。
たのしみにしている夜の読書がはかどらない。
本をかうときも、ちいさな字のものは
はじめからえらばないようになった。
おもしろそうな本でも、
活字がちいさいとよむ気になれない。
それに、むかし出版された文庫本は
活字のちいさなものがおおく、
視力の低下が再読をさまたげている。
このまま不自由をつづけるよりは、と
やっとメガネをつくる気になった。
必要にせまられると、かっこなんかつけていられない。

メガネ屋さんにいくと、すぐに視力の検査をされる。
その値からレンズの度をえらばれて、
調整用のメガネをかけてみる。
おためし用にわたされた新聞の番組らんと株式らんが、
すごくはっきりみえたのはショックだった。
眼鏡をとっておなじものをみても、
冗談みたいにぼやけてぜんぜんみえない。
視力をじゃまするメガネで、わざとみえなくしたみたいだ。
こんなにわたしの目はちいさな字がみえてなかったのか。
つよいレンズをつけると、みえすぎてつかれそうなので、
かるめのピントでレンズを調整してもらう。

これでわたしもとうとう老眼鏡使用者だ。
老化の事実をつきつけられたわびしさより、
これで不自由なく本がよめることの
安心感がつよい。
これからもそうやって
自分の老化をうけいれていくのだろう。

posted by カルピス at 18:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

4年ぶりの書評対談『読むのが怖い!Z』

『読むのが怖い!Z』(北上次郎✕大森望 ロッキング・オン)

北上次郎と大森望による真剣勝負の書評対談で、
「読むのが怖い」シリーズの第3弾。
前作から4年ぶりの刊行だという。
帯には「日本一わがままなブックガイド」とある。
おそらくそれは、よんだ本の内容をすぐにわすれ、
「どんなはなしだったけ?」と相棒の大森さんに
なんどもたずねる北上次郎のことをいっているのだろう。
そんなふうに、いいかげんなところもあるけれど、
一流の書評家としておさえるところは2人とものがさない。
たとえば北上次郎が「書こうとしていることと、文体があってない」というと、
大森望はそれもさいしょからみとおしていて、
(たしかによくそうしたことがいわれているけども)
この小説に関しては、一人称による語りを武器にしているのがすごい」
と全体をみとおして発言することができる。

この2人は、たくさんの作家について、
これまでのおもだった作品をよんでおり、
それと今回とりあげた作品とを相対的に比較することができる。
もちろん、出版業界全体のなかでの位置づけも、
◯◯賞とのからみもすべてわかっている。
「この10年間のアメリカのSFの中では、
もっとも重要な長編ですね」(大森)
なんてわたしもいってみたいものだ。

それにこの本には、本にまつわる歴史的なうごきが
ふたりのあいだでさらっとおしゃべりされている。
大森「その昔、ハヤカワ・SF・シリーズ」っていう、
   ポケミスのSF版みたいな業書があって、
   背表紙の色から「銀背」と呼ばれていたんですが、
   それが37年ぶりに復活したんですね」
北上「そもそも銀背って何冊でたの?」
大森「300ちょっとですね(中略)
   ポケミスより全然少ないですよ。
   出ていた期間も短いし。
   1957年から1974年まで」

こんな会話を、このふたり以外にできるひとは
あまりいないのではないか。

また、老化がすすみ、固有名詞が
しばしば絶望的にでてこないわたしにとって、
おふたりの記憶力(北上さんは「まだら」だけど)は驚異的だ。
作家と本の名前がスラスラと会話のなかにあげられていく。
もっとも、いちいち「ほら、あの、なんていったっけ?」
なんてやっていたら、書評対談にならないこともたしかだ。

本屋大賞にノミネートされた本が、
北上さんにひどくけなされている。
大森さんも「小説として最低限のことはやっていると思いますよ」
「へたなりにきちんと説明されているし」と
フォローなのかおいうちなのか、
そんなにたかい評価をあたえてないのがわかる。

『謎解きはディナーのあとで』については、
「思ったほどね、ひどくない!(笑)
久々にCをつけるレベルかなあと思ったら、
結構小説になってるよ、これ。
本屋大賞にふさわしいかどうかは、別の問題としてね」(北上次郎)と、
これまたほめているのか、すくっているのかわからない。

前回の直木賞を受賞した本の帯にあった
394作という応募作の中から
見事大賞を仕留めた作者の恐るべき強運と
デビュー後の変貌に期待したい

というコメントが紹介されている。
「運しか評価してない」のがおかしいからだ。

ブックガイドとしてこの本はとてもありがたい。
これまでによんだことがない作家の本を、
15冊ほどをリストにあげた。
あたらしい世界がひらかれることを期待している。

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2012年07月23日

「自立課題づくり」数の概念を身につけるには

夕方のすこしあいた時間に、
スタッフ4人で自立課題づくりにとりくむ。
自立課題のアセスメントを参考に、
色と形のマッチングができているひとに対して、
数の概念を身につけてもらおうとするものだ。
はじめにつくったのは、
スポンジをくりぬいてつくった1、2、3の数字をお皿にはりつけ、
そのお皿のなかに、数字にみあったビー玉をいれていくというもの。
でも、これは数字と数について理解ができていないとむつかしそうだ。

このひとつまえの段階としてつくったのが、
数字のかわりにビー玉の写真(1個、2個、3個)を
お皿にはりつけ、その数におうじてビー玉をいれるもの。
ちょっとみたかんじはよさそうだけど、
いれたビー玉がうごくと気になる子がいるかも、ということで、
ビー玉がうごかないようにスポンジをくりぬいてクッションをつくる。

これをつくったあとで、一つ目の作品をみてみると、
数字にそれぞれちがう色がついていて、
そこに着目してしまう子は混乱しそうだ、という意見がでる。
けっきょくできあいの数字ではなく、
おさらに直接マジックで「1」、「2」、「3」をかくという
シンプルなものにおちつく。
このお皿にも、ビー玉がうごかないようにクッションがつけられた。

4人でやると、いろんな意見がとびかって、
幅ひろい視点で「作品」のよしあしを検討することができる。
たったこれだけの自立課題をつくるのに
30分以上かかったけど、
「はじめの一歩」をふみだした手(足)ごたえがある。
この課題に、あしたどういう反応がかえってくるかたのしみになる。

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2012年07月22日

『学生時代にやらなくてもいい20のこと』(浅井リョウ・文藝春秋)

9784163752501.jpg
ブックレビューに、「あまりにもくだらない」と紹介されていた。
非難しているのではなく、
そのバカバカしさやよし、というかんじで、
どちらかというとほめているニュアンスがつよい。
タイトルがみごとに内容をあらわしていて、
タイトルをおもいついたときに
作者は成功を確信したのではないかとおもう。

大学時代のおろかな行為をありのままにかいただけなのに、
よんでみるとたしかにおかしい。
わたしのおすすめは、
「地獄の100キロハイク」と
「地獄の500キロバイク」だ。
100キロハイクは、埼玉県本庄市から
早稲田大学までの125キロを2日間であるくというもので、
全員仮装しなければならないという必須条件がつく。
浅井さんはバスローブとワイングラスという服装をえらぶ。
「バスローブといえばワイングラス」なのだそうだ。

「ちなみにこれがワイングラスの初使用である。
考えうる限り最大の振幅で
間違った初使用であることは否めない」

荷物になるから私服はもっていかず、
バスローブとワイングラスという姿で電車にのって
スタート地点にむかう。

これら、かんがえること・やることのすべてが
大学生的おろかさの王道をいっている
(バスローブはこのあと雨のなかをあるくときに
驚異的な吸水力を発揮することになる)。

125キロが6区にわけられ、1区ごとに休憩するものの
(3区では寝袋で翌朝までやすむ)、
基本的にはずっとあるきとおしだ。
「4つ目の休憩所では
有志のみが参加する体育祭が行われており」
というのがますます大学生だ。
どれだけアホかだけに意味があるような、
こういうノリがわたしはだいすきで、
体育祭という企画をおもいついた学生をたたえたい。

5区をあるいている最中、
「もしここでリタイアしたら、
きっとこれからの人生ずっと辛い場面で
リタイアし続けることになる気がする。
今日の夜までこの脚で歩き続け、
ゴールすることができたら、
きっと私の中で何かが変わる」

と殊勝なことをいっておいて、

「午後五時辺り、五区の休憩所に着いた。
五区の休憩所は、私のアパートのすぐ近くだった。
私は一瞬でリタイアを検討」するのが
これまた大学生、というか人間か。

やっとこさゴールした著者は感激する。
「本当に、本当に、本当に、本当に、
人生諦めなければ何だってできるのだ。
だけど明日は何もできない。
世界で一番きれいな二律背反が誕生した瞬間だった」

「地獄の500キロバイク」では
友だちと2人で東京から京都まで自転車ではしる。

「二日間自転車をこぎ続ければ
東京から静岡に来られるのだ。
一日おきに授業を取れば自転車通学も可能である」

というのも、授業への参加を中心にかんがえる
いかにも大学生らしい発想がおかしい。

箱根ごえをするときは

「途中、ものすごい急勾配のところもあり、
CGで自転車を消したら
立ち上がった犬みたいになっていたときもあった」

こんな比喩をおもいつけるのは
しっかりあそんできた大学生だけだろう。
やらなくてもいい20のことだけど、
やらないよりも、
やったほうがずっとおもしろそうだ。

posted by カルピス at 21:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月21日

大震災復興支援Jリーグスペシャルマッチ

鹿島と仙台を中心とする「チームアズワン」
(ほかにも東北出身の選手がはいる)と、
Jリーグ選抜との試合がチャリティーマッチとしておこなわれる。
「チームアズワン」には、ユベントスを
5月に引退したばかりのデルピエロがはいる。
こうやってひとりのスタープレーヤーをもちあげるのは
あまりすきなことではない。
舞台裏で、どんなうごきがあったのだろうか。

ただ、きょうの試合では、どちらのチームからも
いい内容のサッカーをしようという気もちがつたわってきた。
はじめはJリーグ選抜がおしていたけど、
そのうちに「チームアズワン」が
とても即席チームとはおもえないつながりをみせはじめる。
おわってみれば4-0と大差の勝利だった。
Jリーグ選抜としては、ちょっとかっこわるいまけかただ。

デルピエロも2点目となるミドルシュートをきめる。
ディフェンダーにあたって角度がかわったのかとおもったほど、
シュート回転のボールがキーパーの逆をついた。
コンディションがよくなく、あまりはしれないけど
ボールコントロールはさすがにうまい。
つぎに所属するチームへのうりこみに
日本にきたのだろうか。

後半終了間際に中山雅史選手がはいる。
ひざにまいたテーピングがいたいたしい。今シーズンはまだ
コンサドーレ札幌で出場する機会がないのだそうだ。
ピッチにたつと、それだけでもううれしくてたまらないという笑顔で、
敵味方関係なく、そこらじゅうの選手と挨拶をかわしている。
完全にフリーな状態でシュートをはなつが、
ゴールのはるかうえをボールがこえていく。
うった瞬間ゴンさんはひざをつき、頭をかかえる。
つぎにピッチにうつぶせになって
手足をうかせてカメみたいなポーズをとった。
このひとがいるだけで
まわりがしあわせになれるという稀有な選手だ。

Jリーグは大震災復興への支援を
こういうかたちでつづけている。
鹿島アントラーズの小笠原選手が中心になってたちあげた
「東北人魂を持つJ選手の会」のうごきもよくしられている。
「わすれないことがだいじ」なんて
もっともらしいことをいいながら、
わたしの頭のなかから、
復興支援のことが完全にぬけていたことに気づかされる。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月20日

終業式、そして夏やすみ

きょうは学校の終業式で、
これから8月31日まで40日間の夏やすみがはじまった。
おおくの大人にとって夏やすみは、直接関係のあるものではなく、
あるとしたら家族のなかに就学児がいる場合だろう。

放課後等デイは、まさに就学児のための事業所なので、
夏やすみはおおきな意味をもつときだ。
利用がおおければ、
ながい時間をどう有意義にすごすかについて、
利用がすくなければ、
その状態をどう安定した経営につなげるかについて。
開業してから2週間のピピには、
まだ安定した数の固定客がおらず、
夏やすみちゅうにも利用をよびかける必要がある。

でもほんとうは、そんなこと
大人の都合にすぎない瑣末なことかもしれない。
子どもたちにとって、夏やすみは特別な休暇であり、
お母さんのおもわくではなく、
その子にとってすてきな時期となってほしい。
カレンダーにペケをつけて、
消化された日を確認するのではなく、
ピピにかよえる日にマルをつけて、
たのしみにしてもらえる場所でありたい。
スタッフがすこしぐらいつかれをのこしたとしても、
じゅうじつした手ごたえで9月をむかえたい。

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2012年07月19日

西部謙司さんのメールマガジン 「ピッチにすむビエルサ監督」

西部謙司さんのメールマガジン(有料)に登録していて、
週にいちど、4〜5項目のサッカーに関する記事がおくられてくる。

今週は、サンフレッチェ広島のサッカーを分析した「Jリーグのツボ」と、
ビエルサ監督についての「インタビューの裏道」がおもしろかった。
ビエルサ監督についてちょっと説明すると、
2010年のワールドカップ南ア大会で
チリをベスト16にみちびいたひとで、
趣味がサッカーという、仕事中毒の戦術マニアとしてしられている。
いまはスペインのアスレチック=ビルバオの監督で、
最近退団さわぎがおきた。
その原因が、練習場に自分の家をたてる工事がおくれているから、
というからすごい。
はじめなんのことかわからなかったが、
通勤時間がもったいないのでピッチにすむということらしい。

そのビエルサ監督の「サッカーは125のパターンしかない」
という発言が紹介されている。
どういうかぞえ方なのかくわしいことはかいてないけれど、
「どんなに探しても126番目が見つからない」
というのだから、いかにも戦術オタクらしい。

サンフレッチェ広島ついて、
広島の攻撃の大きな特徴は「中盤がない」ことだ。Jのほとんどのチームは、攻守において中盤を重視する。違う言い方をすると、中盤に人数をかける。逆に、広島は中盤に人数をかけない。このミスマッチが、Jリーグにおける広島の大きな優位性になっている。

という分析が西部さんらしく明瞭でわかりやすい。
サッカーは、相手チームにたいしどうやって
数的優位をつくるかの競技ということができる。
広島はそれを、中盤を無人化するという、
世界でもめずらしい戦術によってうみだしている。
つぎにサンフレッチェ広島のサッカーをみたときに、
「中盤がない」という視点をもったことで、
どれだけ理解がふかまるかたのしみだ。
ひとりの選手について、また、あるチームについて、
その特徴をわかりやすく表現できるのが西部さんのつよみであり、
お金をはらってもよみたいメールマガジンとして
毎週水曜日をたのしみにしている。

posted by カルピス at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

誕生日プレゼントに赤のナイキをもらう

誕生日プレゼントに、赤いナイキのシューズを友だちがおくってくれた。
清志郎でなければまけてしまいそうなドハデな赤で、
わたしが赤い色がすきなことをしって
えらんでくれたとのだとおもう。

この友だちとはおたがいにプレゼントをやりとりしており、
それがもう20年以上もつづいている。
わたしは今年『BORN TO RUN』の本をおくったし、
きょねん彼はけん玉をくれた。
ひとになにかをおくるのは、たのしいことではありながら、
そうそう気のきいたものをおもいつけるものではない。
酒をおくってにげたこともあるし、CDでごまかした年もある。
これまでのプレゼントで、自分でもうまくえらべたといえるのは、
『鷹の爪THE MOVIE3』にきめたときで、
これはご存知「鷹の爪シリーズ」として、
島根県がかげの主役みたいな映画だ。
大阪でくらすわたしの友だちは、
小学生のむすこ2人といっしょにみたそうで、
彼らはきっと、島根が鳥取の左なのを
こころにやきつけたにちがいない。

わたしがこれまでのプレゼントでうれしかったのは、
もらっておきながらあんまりおおきな声ではいえないけど、
おもいがけずおくられてきたタジン鍋がよかった。
ちょうどブームになっていたときのことで、
大量のオリープオイルをつかうのが
うまくつくるためのコツであることをわたしはしっていた。
クミンとコリアンダーをくわえて弱火にかけると、
本場のタジンとくらべても、ひけをとらないものができた。

男ともだちとのプレゼント交換というと、
なんだかへんなかんじもするけど、
異性の友だちへのプレゼントは
なかなか状況がゆるさないだろうし、
男どうしだからこれまでつづいたともいえる。
これからさき、老年期とよぶような年代になっても
頭をなやましながらその年齢におうじたものを
なんとかさがしだすのだろう。
20代のときにあそんだ友だちと、
中年期をとおりこし、老人になってまたあそべそうなのは、
こうしてプレゼントのやりとりをつづけたごほうびでもある。
もういつでもリタイアのこころがまえはできている。
プレゼントだけでなく、いっしょにあそぶことも
そろそろ再開しておきたい。

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2012年07月17日

夕ごはんの準備がうまくできたこと

仕事がはじまると、これまでのように
スーパーをゆっくりみてまわってこんだてをきめるという
悠長なことをしていられなくなった。
冷蔵庫にあるものを確認してから家をでて、
仕事のかえりに家にちかいけど値段のたかいスーパーによって
最小限のかいものをするのがせいいっぱいだ。
時間がないことでかえってひらきなおり、
どれだけ手ぎわよく料理ができるかを
たのしむようにしている。

今晩のメニューはヤキソバ・トムカーガイ・トマトリゾット。
いつもながらめちゃくちゃなくみあわせだ。
あつさのせいで、白いごはんがたべにくくなり、
このところいつもメンにお世話になっている。
メンにお米という炭水化物同士のくみあわせも、
いまや我が家では、ステーキにサラダがつく以上に
あたりまえのこととして出現している。
それに、トマトリゾットもはじめからこれを目ざしたわけではなく、
時間がないので圧力鍋→白いごはんではたべにくい→トマトをいれてごまかそう
→(できあがりをみて)これはトマトリゾットとよんでもいいかもしれない
みたいな結果オーライの料理だ。

2合のお米をといで圧力鍋にかける。
弁がまわってから3分で火をとめ、
そのあいだに2つのフライパンで
ヤキソバの具とメンをいためる。
トムカーガイはココナツミルクのスープで、
スパイスのセットがついており、
シメジと肉をくわえるだけなので簡単だ。
圧力鍋の弁がさがったらふたをあけ、
トマトのかんづめをまるごとうつし、
塩・コショーと大量のバター、それにしょうゆで味をととのえる。
プランターにそだっているバジルをくわえてかきまぜると、
なんとなくそれっぽい姿になった。
台所にたってから40分ほどでテーブルに料理がならぶ。
はたらいたあとにうまく料理がすすむと、
じょうずに時間をやりくりする
有能な主婦になったようで気もちがいい。

ほんとうは、いつもこんなにうまくいくわけではない。
あてにしていた野菜や調味料がなかったり、
すぐおわるとみこんでいた工程に手間どったりで、
イライラしながらつくるときの料理はとうぜんおいしくもない。
おそらくきょうのできがわたしのベストだろう。
週のこんだてをあらかじめかんがえたり、
それにそって計画的にかいものをするなんてマメなことが
わたしにできるわけがない。
なんの準備のないまま夕ごはんの時間を無防備にむかえ、
テキトーにスーパーをまわって
くるしまぎれのメニューににげるにきまっている。
きょうの成功が、へんにかんちがいして記憶され、
ますますギリギリをめざすおろかな調理人になる可能性がたかい。

posted by カルピス at 22:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月16日

『独立国家のつくりかた』(坂口恭平・講談社現代新書) 放課後をどう位置づけるか

『TOKYO 0円ハウス』で坂口さんは
ホームレス(ほんとは「家」はあるのだ)のひとたちが
どんな家をつくり、そこにはどんな工夫があるかを紹介した。
既成概念にとらわれない坂口さんの発想はとても斬新で、
まったくあたらしいタイプの人間があらわれたことをかんじた。

今回の『独立国家のつくりかた』では、
さらに発想を飛躍させ、「レイヤー」というきりくちで
あたらしいしくみを日本につくろうとする。
「芸術」「態度」「交易」など、
それぞれのことばにあたらしい定義をあたえ、
ほんとうに存在する「独立国家」をつくってしまう。
僕は自分でつくった新政府の総理大臣であるかもしれないが、
僕は同時にあなたがつくった新政府のなんらかの大臣であるかもしれないとも伝えた。

ここらへんはファイスブックみたいだ。
それぞれが自分を中心にしたページをもちながら、
ほかのひとのページではひとりの「友だち」にすぎない。
優劣はなく、上下関係もない。
ひとりひとりが内閣をもっているようにもみえる。

この本のなかに「学校社会と放課後社会」という項目がある。
勉強はできないけれど、工作では
すごいものをつくる土井くんという友だちがいて、
その子は、学校での評価はひくくても、
放課後をしっかり生きていた。
著者の坂口さんは、土井くんをみていて、
この社会には2つの社会があることに気づく。
「みんなが同じことをやさられる『学校社会』と
土井くんが本領を発揮する『放課後社会』」だ。
そして「放課後社会」こそ自分が生活していたい社会という結論にたどりつく。

7月からはじめた事業が「放課後等デイサービス」ということで、
わたしは「放課後とはなにか」ということがこのごろ気になっていた。
事業所のなかで、あるいは職員の意識として、
放課後をどう位置づけたらいいのか。

この本をよんで、学校とおなじことを
放課後等デイサービスがやる必要はない、
放課後でなければできないことに意味があるのではないか、
とかんがえるようになった。

学校ではどんなことをしているのか、
わたしがくわしいわけではない。
ただ、なんとなくみんながおなじことにとりくんでいるというイメージがある。
それは学校がになうべきやくわりなので、
すべてがわるいわけではないし、しかたがないことでもある。
そうであればなおさら、わたしたちがとりくむ放課後等デイサービスでは
ここでしかできない機能をはたしたいとおもう。
学校での評価を放課後等デイサービスにもちこまず、
子どもたちが自分の居場所として自由にふるまえる場所。

はっきりといえることは、学校のあまりやおまけとして
放課後が存在するのではなく、
放課後こそメインの場であるという位置づけができるということだ。
そうとらえると、国のおもわくがどうあれ、
この事業にとりくむおもしろさがでてくる。

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2012年07月15日

「フレームワークセミナー」(レベル1)に参加する

「NPO法人未来図」の主催でおこなわれた
「フレームワークセミナー」(レベル1)に参加する。
これは、きょねん水野さんが出版された
『フレームワークを活用した自閉症支援』について、
じっさいにつかえるようにするためのセミナーで、
きょうは60名ほどの方が参加されている。
同書をかったものの、つかわずに(つかえずに)いたわたしにとって
ありがたい企画だ。

わたしは、これまでインフォーマルなアセスメントとは、
生活や活動を観察してアセスメントすることだとおもっていた。
しかし、じっさいは、文脈にたよらないように配慮した、
1対1エリアでのアセスメントであり、
できていること・目ばえ・できないこと、を
用具をつかって確認し、その子の課題をはっきりさせていく。
わたしには、ふつうにおもちゃであそんでいるようにみえる風景から、
水野さんはいろいろな情報をひろってこられた。
色と形をよく理解してならべているようにみえても、
これまでの体験からただならべているだけであり、
ちょっと複雑にするとわからなくなる、と水野さんがコメントされる。
そういわれるとたしかにそのとおりで、
こういうことはあるていど経験をつまないと
みえてこないことなのだろう。

今日のセミナーは「レベル1」ということで、
アセスメントした内容をシートにおとし、
グループで自立課題をつくってみる。

「色と形はマッチングできていたから」
「細部はできても、全体を注目してないので」と、

アセスメントでえた情報をいかして自立課題をつくる。
わたしがくわわった6グループは、
わたし以外の5名の方々が、
じっさいにこうしたアセスメントから
自立課題をつくる経験を現場でされていた。
できあがりを4歳児になった水野さんにためしてもらうと、
3点について再構造化が必要となった。
(わたしをのぞく)6グループのメンバーは、
課題となる点について手ぎわよく修正をはかる。
再提出すると、こんどはみとめられ、
メンバー全員に水野さんが用意されていた
「カープかつ」がふるまわれた。

これまでなんどか水野さんのはなしをきく機会があったなかで、
きょうの水野さんはいちばんたのしそうに講義をすすめられていた。
「フレームワーク」をこまかくかみくだき、
つたえたい内容をしぼり、
さらに「安心してまちがえてください」と
参加者の気もちをらくにしてくださる。
「フレームワーク」への自信と、
普及への熱意にあふれたセミナーであり、
ピピが本格的に利用者をふやすまえに参加できたのはありがたかった。
今月下旬に参加する「トレーニング・セミナー」とあわせて
「フレームワーク」を現場でいかしたい。

posted by カルピス at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

『家族の庭』(マイク=リー監督・2010年イギリス)の教訓は

イギリスにおいて、どんな家庭を一般的というのだろう。
この作品にでてくるひとたちにエリートはおらず、
それぞれに仕事をもちながら
ごくふつうの生活をおくっているようにみえる。
この作品の中心にすえられているトムとジェリーというカップル
(なにかの記号だろうか)は、家庭菜園をたのしみ、
友人たちとのつきあいを大切にしている。

ジェリーの同僚のメアリーが、
どうにもたまらない中年女性として登場する。
自分のことばかりはなし、
トムとジェリーのむすこに本気でコビをうり、
さみしがりやで頭がわるく、場の雰囲気をよんだ会話ができない。
トムとジェリーたちは、メアリーをもてあましながらも
さいごまで友人としてかかわりをつづける。

もうひとり、トムの友だちにケンという男性がでてくる。
典型的な中年ぶとりで、ワインとビールをがぶのみし、
タバコをたえまなくふかす。
みているだけで動脈硬化のかたまりで、
いまにも脳溢血でたおれそうだ。
彼もながいことひとりぐらしがつづき、
さみしくてしかたがない。
メアリーにいいよるが、
彼女は自分のことはさしおいてケンをけぎらいする。

いったいなんなんだこの作品は、と
だんだんメアリーにげんなりしてくる。
映画をふかいところで理解することのできないわたしには、
この作品がつくられた意図がわからない。

ラストでは、食事をしながらおしゃべりがはずむなか、
メアリーは、トムとジェリーの家族と自分とのあいだに
いかにおおきな格差があるかに呆然としている。
なんでわたしはこんなにさみしくておさきまっくらなのに、
このひとたちはそんなことおかまいなしに
たのしそうに食事をするのだろう、
彼らとわたしはぜんぜんちがう人種なんだと
メアリーはようやく気づく。

メアリーとケンの側にたってかんがえると、
もっと美男美女だったら
人生はちがう方向にうごいていたかもしれない。
残念ながらメアリーはうつくしくはない。
ジェリーも美人ではないが、
一般的なかんがえ方ができる。
わたし的なうらよみをすると、この作品の教訓は、
そこそこの顔しかもってない一般市民にとって、
人生は堅実にコツコツ生きるしかない、ということだ。
すくいがあるのかないのか、わからないはなしだ。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

『となりのトトロ』(1988年・宮崎駿監督) いまさら、でもやっぱりトトロ

今週の金曜ロードショーは『となりのトトロ』。
ビデオをもっているのに、こうして放送されるとついみてしまう。
トトロがすきな、たとえば就学前の子どもたちは、
ビデオとテレビをどうつかいわけているのだろう。
この作品については、おもうことがたくさんありすぎて
かえってなにもかけなくなる。

わたしがすきなシーンは、
・オープニング。
・ひっこしてきた家をさつきとメイが探検するところ。
・まっくろくろすけのひっこし。
・メイがミンたちをおいかけるところ。
・バス停でお父さんをまっているとき、
 トトロがジャンプしてものすごい雨だれがおちてくるところ。
・庭にうえた木の実を、トトロとさつきたちが
 おまじないのおどりでおおきくするところ。
・ねこバスが目からのライトを
 いろんなな方向にとばしながら
 めちゃくちゃにかけまわるところ。
・お母さんの一時退院がのびたことに気おちするさつきと、
 なきじゃくるメイ。
・いなくなったメイを、さつきがさがすときの夏のゆうぐれのうつくしさ。
 さつきのこころぼそさ。
・池でみつかったサンダルがメイのではなかったとしり、
 安心して気がぬけるさつき。
・こまりはてたさつきがトトロにたのむと、トトロがねこバスをよんでくれる。
 これでもう安心、というときのたのしい音楽。
・エンディングで、お母さんがかえってきたときのしあわせそうなメイとさつき。
・お母さんがかえってきたことで、
 子どもらしくあそびまくるさつきとメイ。

あー、おれもトトロみたいになんにもしないで
巨木のくぼみにねっころがっていたい。
(そうしていることがトトロの存在意義だ。
水戸黄門みたいに悪をこらしめるのがトトロの役わりではない)。
こまっている女の子をときどきたすけるくらいはしてもいいけど。

プロデューサーの鈴木さんによると、
トトロをつくっているときの宮崎さんは
とてもたのしそうだったという。
子どもたちの反応をおもいうかべ、
トトロとねこバスに、すきなようにうごかしたのだから、
そりゃさぞかしたのしかったことだろう。
鈴木さんにいわせると、宮崎さんの最大の功績は、
日本じゅうの子どもたちに
トトロの存在をしんじこませたことなのだそうだ。

日本の子どもたちは、サンタとおなじように
この世界にトトロがいることを当然のこととおもっている。
たしかに、そうでない日本より、トトロのいる日本のほうがずっとゆたかだ。

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2012年07月12日

デイサービス・ピピ とうとう利用開始

2時30分に養護学校へむかえにゆき、
ほかの事業者にまじって昇降口で利用者をまつ。
これまでヘルパーとしてはなんどもここにきている。
でも、きょうは放課後デイの事業所としてのおむかえだ。
とうとうここでまつようになったことをうれしくおもう。

5月に法人の認可がおり、
児童デイ事業所としての指定申請をだし、
事務所となる家をさがし、
申請がみとめられ、
利用希望者と契約をかわし、
そしてきょうからじっさいの利用がはじまった。
まだ契約者が4名、きょうの利用は1名と、
ささやかなスタートとはいえ、
じっさいの一歩をふみだした事実はおおきい。
3年後・5年後に、きょうのことを
どんなふうにおもいだすのだろう。

平日の利用は、ピピでの滞在時間がみじかいため、
あそびとおやつが活動の中心となる。
利用者が1人というのはみためにはさみしげだが、
家のなかをあちこちみてまわり、
たくさんあそび、いい笑顔をみせてくれた。
夏やすみまえにじっさいの利用者をむかえ
活動をはじめることができてよかった。

posted by カルピス at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする