2012年07月14日

『家族の庭』(マイク=リー監督・2010年イギリス)の教訓は

イギリスにおいて、どんな家庭を一般的というのだろう。
この作品にでてくるひとたちにエリートはおらず、
それぞれに仕事をもちながら
ごくふつうの生活をおくっているようにみえる。
この作品の中心にすえられているトムとジェリーというカップル
(なにかの記号だろうか)は、家庭菜園をたのしみ、
友人たちとのつきあいを大切にしている。

ジェリーの同僚のメアリーが、
どうにもたまらない中年女性として登場する。
自分のことばかりはなし、
トムとジェリーのむすこに本気でコビをうり、
さみしがりやで頭がわるく、場の雰囲気をよんだ会話ができない。
トムとジェリーたちは、メアリーをもてあましながらも
さいごまで友人としてかかわりをつづける。

もうひとり、トムの友だちにケンという男性がでてくる。
典型的な中年ぶとりで、ワインとビールをがぶのみし、
タバコをたえまなくふかす。
みているだけで動脈硬化のかたまりで、
いまにも脳溢血でたおれそうだ。
彼もながいことひとりぐらしがつづき、
さみしくてしかたがない。
メアリーにいいよるが、
彼女は自分のことはさしおいてケンをけぎらいする。

いったいなんなんだこの作品は、と
だんだんメアリーにげんなりしてくる。
映画をふかいところで理解することのできないわたしには、
この作品がつくられた意図がわからない。

ラストでは、食事をしながらおしゃべりがはずむなか、
メアリーは、トムとジェリーの家族と自分とのあいだに
いかにおおきな格差があるかに呆然としている。
なんでわたしはこんなにさみしくておさきまっくらなのに、
このひとたちはそんなことおかまいなしに
たのしそうに食事をするのだろう、
彼らとわたしはぜんぜんちがう人種なんだと
メアリーはようやく気づく。

メアリーとケンの側にたってかんがえると、
もっと美男美女だったら
人生はちがう方向にうごいていたかもしれない。
残念ながらメアリーはうつくしくはない。
ジェリーも美人ではないが、
一般的なかんがえ方ができる。
わたし的なうらよみをすると、この作品の教訓は、
そこそこの顔しかもってない一般市民にとって、
人生は堅実にコツコツ生きるしかない、ということだ。
すくいがあるのかないのか、わからないはなしだ。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする