2012年09月30日

温泉津の薬師湯へ。お湯の実力と「おもてなしのこころ」がすごい

薬師湯さんにせっかくチケットをいただいたので、
配偶者をさそって温泉津(ゆのつ)へでかける。
休憩をふくめて2時間15分と、ちょうどいいドライブで温泉街にはいった。
薬師湯は、想像していたのよりかなりちいさな温泉で、
この規模なのに、サイトをあんなに充実させている方針におどろかされる。
きっと湯婆婆の内藤さんが、
よほどしっかりとしたかんがえで
経営にとりくんでおられるのだろう。
薬師湯のサイトや内藤さんのブログをみると、
お客さんにきてもらえることを、スタッフの方々が
ほんとうにありがたくおもっておられるのがわかる。

さっそく温泉にはいる。
うけつけの女性に、「1、2分でお湯からあがってやすみ、
また1、2分はいる、というのをくりかえしてください」と、
お湯のいただき方をおそわった。
家のお風呂では、ぬるめの湯にいつも30分ほどつかるので、
1、2分というのはめんどくさくおもわれる。
でも、じっさいにお湯につかってみると、
源泉46℃の湯がそのままながれてきているようにあつく、
とてもながい時間つかっている気にならない。
いわれたように1、2分であがることをくりかえしていると、
温泉の効能がからだにしみこんでくるかんじがしてきた。
これはたしかにすごい湯だ。
冷え性の方はてきめんにあたたまり、
その効果に感激されるのではないか。
お湯がまぎれもない実力をもっているのにくわえ、
スタッフの方々から
「おもてなしのこころ」がこもった接客をうけるので、
とても気もちのいい時間をすごすことができる。

温泉のあとはとなりの旧館にあるカフェでお昼ごはんをたべる。
このカフェがまたすごいところで、
大正時代の洋館は、
こんなかんじだったのではないかとおもわせる重厚な家具が
そのままつかわれている。
レトロな雰囲気のなかでいただく奉行飯は、
それはそれでおいしかったものの、
この大正チックなカフェにいると
わたしはなんだかオムライスがたべたくなってきた。

2時間ほどの滞在に満足し、温泉街をあとにする。
このつぎは、サイトの写真にあるような、
夕方から夜にかけての時間にたずね、
電球でてらされたもうひとつ別の薬師湯をみたくなった。

(補足)
今朝気づいたもうひとつの薬師湯効果として、
ふかいねむりをあげることができる。
熟睡したあとのすっきりした目ざめは、
とても気もちのいいものだった。
すごいぞ、薬師湯!

posted by カルピス at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月29日

Jリーグ、優勝と残留のあらそいが混戦に

Jリーグ第27節、浦和レッズ対柏レイソル戦。
1−1のまま後半ロスタイムにすすんだところで
ポポがかちこしゴールをきめる。
セカンドボールがころがったのをみたポポは
すぐにダッシュしてボールにむかう。
柏のディフェンダーとキーパーは、ほんのすこし対応がおくれ、
ポポがけりこんだボールが
ボテボテとゴールにころがっていく。
ゲームが再会されるとすぐに試合終了の笛がなった。
ボテボテだろうがなんだろうが、ゴールはゴールで、かちはかちだ。
ありえない時間帯での劇的な勝利で、
レッズは優勝へののぞみをつないだ。

番組の解説は山本昌邦さんで、
山本さんはおなじフレーズをくりかえす
おやじくささがうりものだ。
きょうは

1 浦和の課題はシュートまでいけないこと
2 浦和の特徴はパスまわし
3 柏はパスをまわさせないことがうまい

という3点をなんどもくりかえしていた。
山本さんは浦和のありえないかちかたをみて、

「努力のさきに運がつながっている。
もう努力をかさねていくしかないです」と、

これは山本さんらしいいけど、
わるくないセリフをきかせてくれた。

この試合、前半の27分に浦和の原口元気がポポに交代させられている。
ふつうならかんがえられない時間での交代に、
原口はペトロビッチ監督の通訳や、チームメイトに
はげしくやつあたりしていた。
監督としてもおもいきった交代だったはずで、
結果的にはこれが成功して攻撃が活性化し、
同点、そしてポポのかちこし点につながっている。
原口としてはこうした結果もはらだたしいことだろう。
ただ、こうして交代にあらあらしく抗議する原口の態度を
わたしはこのましくおもった。
フォワードがこの時間にかえられて納得しているようでは
はなしにならない。
原口はきっとこのいかりを
これからのプレーにいかしてくれるだろう。

Jリーグは優勝あらそいとともに、
残留あらそいも壮絶になってきた。
『Jリーグタイム』の解説は早野宏史さんで、
アナウンサーが
「この時期の勝点3は、
 おなじ3でもおもみがちがいますねー」と
早野さんにふると、
「勝点3にリボンをつけてもらったようなものです」と、
これまた早野さんらしい表現がでる。
柏レイソルの梅崎がきめた先制点には

「梅ちゃん先生みたいですね」(梅崎の先制点)
というのもおかしかった。

前節の名古屋グランパスとサンフレッチェ広島との試合で、
ロスタイムに左サイドからあがったクロスに
森脇がなんとかおいついて頭にあてると、
ボールはゆっくりと放物線をかいて
ポストにあたってからゴールにすいこまれる。
その直後に試合終了。
名古屋からみたらありえないまけかたであり、
広島の選手たちもしばらく興奮がさめなかった。
この敗戦で、名古屋の優勝は
「のこり全部にかってミラクルをおこす」(ストイコビッチ監督)
しかない状況になってしまった。

今節の名古屋は、そのショックをひきずったかのように
降格圏にいる札幌に5−0でまけている。
きょうの試合では、2−0とリードしていた神戸が
後半にひっくりかえされて2−3と逆転まけをした。
この時期に、残留あらそいをしているセレッソ大阪にまけることは
かなりのダメージをのこすかもしれない。
優勝と残留の両方が混戦となり、
Jリーグは目がはなせなくなってきた。

posted by カルピス at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月28日

たてつづけに4人と契約。10月をしきりなおしのときに

きのう1人、きょう3人と、たてつづけに4人と契約をむすんだ。
まえに契約があったのは、8月下旬だったので、
ほぼ1ヶ月ぶりの新規顧客だ。
8月の職員会では、一挙に利用者をふやすことをかんがえるのではなく、
1ヶ月に2人ずつくらいのつもりで、
すこしずつふやしていこうとはなしていた。
そんなゆっくりのペースでも、
年内にはいちにち5人くらいの利用者になるはずで、
そうなれば経営はなんとか安定する。
それまではジタバタしないで我慢する時期ととらえていた。

9月は契約だけで、じっさいに利用者がふえるのは10月からだけど、
これからも見学予定がいくつかあるし、
たよりやパンフでの宣伝もしてるので、
すこしずつ利用がふえることがみこめそうだ。
経営的にいちばんくるしい時期をのりきることができただろうか。

とはいえ、採算のことばかりかんがえると、とりくみがケチくさくなる。
自分たちがやりたかったことを
どう実現していくかが大切なので、
これからをもうひとつのスタートとかんがえて、
やりたいこと・やったほうがいいことにとりくんでいく。
ピピのつよみとして全面にだしている
発達障害の子どもたちへの支援が、
ことばだけのハッタリなんてことにならないよう
チームでのちからをつけていこう。
あんまり利用者がすくないと、
それはまたそれでうごきがとりにくかったけど、
これからやっとカッコがつきそうだ。

posted by カルピス at 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月27日

ピピのサイトをやっと公開する

きのうの夜、ついにピピのサイトがみれるようになった。
まだ文字ばけするけど、それはあしたなおせばいい。
事務所のパソコンで、つくりながらサイトをみるのと、
自宅のパソコンでできあがったサイトをみるのとではぜんぜんちがう。

自宅サーバーでサイトを公開するのはこれがはじめてだ。
それにしてもずいぶん日数がかかった。
いろんなことにつまづき、なんだかんだといじったので、
なにが修正されてみれるようになったのかわからない。
うまくいかないままに手をいれていたので、
けっきょくわたしは自宅サーバーをつかうことを理解していない。
数うったのが、あたっただけなのだ。
もしわたしが正確に理解していたら、
わたしのような初心者にむけて、
わかりやすく自宅サーバーまでのながれをしめすことができるのに。
どの説明をよんでも、わたしがつまづくところは
わかってあたりまえの前提条件としてあつかわれ、ながしてあるので、
いくらさがしてもわたしにわかるようかかれた記事を
みつけることができなかった。

そもそもなんで自宅サーバーにしたかというと、
かっこよさそうだからだ。
いかにもパソコンのあつかいになれてかんじがする。
でも、わたしにはハードルがたかすぎた。

アパッチだとか、ウェブミンとか、
固定IPアドレスとか、DNSサーバーとか、
なんのことだかぜんぜんわからない。
わかるようになる気もしない。
かいてあるままに変更をかさね、ますますわからなくなり、
なんどもサジをなげ、レンタルサーバーにはしろうとしたり、
パソコンの師匠に救助をもとめたりした。
でに師匠はゆるしてくれず、「もうすこしだから」と
最後までやりとおすことをもとめる。
そうした、わけのわからなさとのつきあいも、
やっとこれでおわりだ(おわりだといいけど)。

けさ事務所につくと、
さっそく文字ばけをふせぐためにhtmlを修正する。
ブラウザキャプチャで確認しても
ぜんぜんなおってないのであせったが、
「最新を再取得」すると、
ちゃんと修正が反映されていたので安心する。
ただ、そとのパソコンからはみることができても、
ローカルネットワーク内では
「サーバーがみつかりません」とでる。
また、Windows7ではまともなレイアウトなのに、
XPとVISTAでは間のびした表示になる。
Windowsとエクスプローラーが、
もうちょっとマックよりの姿勢をみせてくれたらいいのに。

とにかくこれでピピのサイトを公開できた。
自分としてはピピの特徴をよくあらわせたとおもっているので、
どんな反応があるかたのしみにしている。

posted by カルピス at 13:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月26日

なにが気になって5つの記事をきりぬいたか

何年かまえから新聞記事のきりぬきをつづけている。
といってもなにかはっきりとしたテーマをしぼっているわけではなく、
ひとつもきりぬかない日がおおいくらいの細々としたペースだ。
ネットの記事は、エバーノートへのクリップをつかっていて、
朝日新聞もネットでもよめるサービスがあるので、
それをつかえばいいものの、
継続性にもうひとつ信頼できないので
まだもうしこんでいない。

9月20日には、めずらしく5つの記事にチェックをいれたので、
わたしがどんなうごきに興味をもっているか(いたか)を記録しておきたい。
記事はすべて朝日新聞のものだ。

・「工夫も楽し5アンペアの夏」
 東京電力が電気料金を平均8.46%値上げしたのに対抗し、
 アンペア契約を40アンペアから5アンペアにさげた記者の体験ルポ。
 5アンペアではエアコンがつかえないので、
 扇風機を微風でつかう。
 テレビをつけると扇風機以外の家電との併用はむつかしい、
 というかなり特殊な生活となる。
 でも、頭をつかって工夫するのがたのしそうでもある。

・「フランスの山岳快走 浜梶さん”世界一”」
 フランスでおこなわれた山岳マラソン大会で、
 島根県西ノ島町の男性が優勝したという記事。
 浜梶さんは標高1000〜2600メートル、全長114キロのコースを
 25時間51分ではしりぬいている。

・「やればできるんだ!」
 テロ・交通マヒ・悪天候と、
 心配はつきなかったのに、意外とうまくいったロンドンオリンピック。
 『オリンピック抜け殻症候群』におちいっている
 イギリス人の心理が紹介されている。

・「自民党、電力改革やる気ある?」
 民主党政権には愛想がつきたけど、
 どうしても自民党政権にもどしたくない理由に
 「自民党が政権に復帰すれば(電力)改革の火はあっというまに消える」
 ことがある、という記事。

・「退く『世界の警察』」
 ヨーロッパからの米軍撤退について。
 冷戦後も8万人態勢を維持してきたところを、
 米経済の再建を優先させるために、1万人の撤退をきめている。
 とはいえ、「世界の軍事費」としてのせられている表をみると、
 アメリカの軍事費は、アメリカ以外の上位5カ国
 (中国・イギリス・フランス・日本・ロシア)を
 合計した金額である3224億ドルの
 さらに2倍以上にあたる7393億ドルというから、
 いかに突出した存在であるかわかる。

以上の5点。5つというのはわたしにしては例外的におおい。
1面にのった記事をきりとることはほとんどなく、
重大な事件を記録するというよりも、
わたしがなんとなく気になることだけを対象にしている。

きりぬいた記事は、スキャナーでとりこんで
エバーノートにおくる。
ながれとしてはできているけど、
すぐにスキャンするのは面倒なので
ついためこんでしまいがちだ。

べつの日にきりぬいた「ぶっ壊してくれよ」がよかったので
これも紹介しておく。AKB48におくる、おじさんのあついメッセージに共感した。

とおもってたら、「AKB48は演歌、ぶっ壊したりしない」という
反論もでていた。これはこれでまたおもしろい。

posted by カルピス at 13:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月25日

三浦しをんの『悶絶スパイラル』にこんどは島根がでてきた

きのうにつづいて三浦しをんの『悶絶スパイラル』(新潮文庫)について。
こんどは
急に思い立って、島根に行ってきた。

とある。
急におもいたって島根にいくことが一般的かどうかは別として、
島根県民としてはこれもまたほってはおけないはなしだ。
どーしたんだ三浦しをん。放課後といい、島根県といい、
こんなにわたしのよわいところをついてくるのは偶然なのか。
「島根紀行その一・その二」として、2回分のエッセイを
島根での旅行にあてている。
島根県以外のひとがこんなはなしに興味をもつのだろうか。
そうおもうのは、地元民の屈折した心情にすぎないのか。

三浦さんは、まず加賀の潜戸(くけど)をたずね、
そのつぎが荒神谷遺跡、そして三瓶の自然博物館へ。
三浦さんによると、
私は旅先で、かなりいろんな博物館を見てきたが、島根の博物館の展示物の質と量は郡を抜いている。

そうで、
こういうことは、いわれてみないとなかなかわからない。
この3カ所ともわたしはたずねたことがあり、
たしかに魅力はあるけれど、
東京からわざわざみにいくほどのものとはおもわなかった。
島根県からとおいところにすむひとは、
島根県にたいして、わたしが想像しているよりも
ずっと多様なイメージをもっているのかもしれない。
島根スーパー大使吉田くんの功績だろうか。

三浦さんは、つづいて温泉津温泉をたずねる。
公衆浴場は「薬師湯」と「元湯」の2つがあるそうで、
その両方にはいってみての感想は、

「はっきり言ってどっちもいい!」
「翌日もお肌はツルツル、
 いつもは常に冷たい足先もぬくもったままだったので、
 効き目は抜群だ」

というから、ほんとにいいお湯なのだろう。
薬師湯さん、エッジとしてつかえませんか。

三浦しをんさんの本は、デビュー作の『格闘するものに○』をよんでいらい、
何冊かに目をとおしている。
『風が強く吹いている』は、よせあつめチームをつよくするという
わたしがすきなジャンルで、
いつもはひややかにみている箱根駅伝にすごくあつくなった。
本書ははじめてよむエッセイで、
エッセイでしる三浦さんは、ダメさいっぱいのおもしろさだ。

ついでに、「島根紀行」につづく「なんでもベスト5」、
「ダイエットを決意した瞬間」も興味ぶかい。

第3位にあげられているのが
二年前までは穿けた、それどころかウエストでくるくるまわっちゃって難儀したスカートが、スモールライトを浴びたとしか思えぬ布きれに変じたとき。ま、これはよくあることですよね。洗濯の際に縮んじゃったんだと思う。ちゃんとクリーニングに出したんだが・・・

実物の三浦さんにあってみたい。

posted by カルピス at 11:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月24日

『悶絶スパイラル』「『放課後』っていい言葉だよね」(三浦しをん・新潮文庫)

三浦しをんの『悶絶スパイラル』(新潮文庫)をよんでいたら
なんでか『放課後』っていい言葉だよね」という話題になった。

というはなしがでてきた。
「放課後」と聞いただけで、切なさと甘酢っぱさと冒険へのときめきと若干のいかがわしさが想起さえるもんね。すばらしいよ。

とあるからべたぼめだ。
わたしも、放課後ということばにいいイメージをもっている。
学校がおわってからが、ほんとうの自分の世界がはじまるという、
のびのびした自由な雰囲気をかんじる。
漢字をなるべくつかわないわたしだけど、
「放課後」の字面には文句がない。
ほんとうに、だれがかんがえたことばなのだろう。

しかし、わたしがとりくんでいるサービスは、
残念ながら「放課後等デイサービス」といって、
放課後のあとに「等」がついている。
「放課後等」なんてふつうだれも口にしない。
いかにも行政用語というにおいがするので、
ふだんはなすときは「児童デイサービス」と、
以前の名称をつかうようにしている。
以前の児童デイサービスは、未就学の子も利用できたのが、
「放課後等」にかわったことで、完全に就学児童だけが利用対象となった。
厚労省は、「等」をつけることによって
「放課後デイサービス」とはちがうことを印象づけ、
なにかをしばろうと、あるいはぼやかそうとしたのだ。
ふつうにかんがえると、放課後だけでなく、夏やすみなどの
長期休業にも利用できますと、という意味なんだろうけど、
もうすこししたら、なにかとんでもない解釈が幅をきかせてたりして。

放課後の時間となり、やっと学校がおわってホッとしている子どもたちに
あまりストレスになることをおしつけたくはないので、
ピピではすこしの自立課題のあとは、
おやつと休憩がおもな活動という、
老人のデイサービスみたいな中身になっている。
ほかの子どもたちがあそびに夢中になっている時間なので、
障害児だからといって「みまもり」や「訓練」なのではなく、
あそびにひたることができればそれがいちばんだ。
いまはまだ自分からおもちゃをたのしもうとうごく子はいないが、
メンバーによっては大人たちがなにも手をださなくても
あそびまくる場面がでてくるだろう。でてきてほしい。
なんといっても放課後のデイサービスなのだから。

posted by カルピス at 22:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月23日

秋といえば栗ごはん

9月いっぱいは30℃をこすあつさにくるしめられるのが日本の夏なのだと
(「残暑」ではなく、確信犯的に9月は夏なのだ)、
あきらめ気分で10月までを毎年すごしている。
ところが今年は先週の台風16号がいってしまうと、
ありがたいことにきゅうにすずしい風がふきはじめた。秋だ。
夏のくるしさをやりすごすことができるのは、
もうすぐすてきな秋がくるとわかっているからで、
わたしにとって秋こそが正常な感覚をたもち、
おちついてすごせる最高の季節であり、
生きているだけでまるもうけ、というのを
五感全体で実感できる。
キレキレに頭がさえて、すべてがうまくいくようにおもえる。
なにか特別な物質が脳に分泌されるのだろうか。

もう雲の形をみても、空気のにおいにしても、
まちがいなく秋にはいっており、
今年の夏とおわかれできたことはあきらかだ。
夏をなんとかやりすごせたおいわいの行事として
きょうは栗ごはんをつくりサンマをやく。
皮をむくのに1時間くらいかかるけれど、
この栗ごはんとサンマの塩やきにをなんどもたべることで
わたしの秋は完成されるので
つくらないわけにはいかない。

つくり方は、目黒考二さんの『笹塚日記』を参考にしている。
といっても、栗といっしょに塩と昆布をいれるだけだから
「つくり方」というほどのこともない。
面倒なのは、どうやって皮をむくかであり、
今回はむすこに協力してもらう。
包丁になれないむすこが指をきる心配もあったが、
もしそうなってもいい経験になるだろう(ぶじ10個むきおえる)。
500グラム、23個の栗を3.5合のお米でたいたから、
栗がゴロゴロはいっているほんとうの栗ごはんができた。
サンマはカボスをつけるだけ「行事」らしくした。
やきたてをたべることだけに気をくばる。
120923栗ご飯.jpg
すずしくなった夜に栗ごはんとサンマをたべ、
ねるまえには虫の声をききながら
いちにちのしめくくりとして黒伊佐錦のみずわりをたのしむ。
今年もつつがなく秋をむかえることができてほんとうによかった。

posted by カルピス at 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月22日

『麗しのサブリナ』ヘプバーンの魅力だけでつくった作品。ただそれだけ。

『麗しのサブリナ』(1954年・アメリカ)

「午前10時の映画祭」は、先週の『シャレード』につづき
ヘプバーン主演のものだった。
この作品についてもわたしはなんの知識がなく、
上映がはじまってもヘプバーン以外はだれがえんじているかもわからない。
ライナスはハンフリー=ボガートで、
デイヴィッドはウィリアム=ホールデンだったなんて。
しかし、みおわったときの感想は、
「なんだかなー」とすっきりしないものだ。
なんなんだこの作品は。
ひとの気もちというものは、
こんなにうわっつらだけの、かるいものなのか。
こんなどうでもいいような、コメディですらない作品に
わざわざハンフリー=ボガートがでなくてもよさそうなのに
(ボガートというと『カサブランカ』のしぶさをおもってしまう)。

ヘプバーンはたしかにすてきだったけど、
ただそれだけで映画をつくろうとしたみたいだ。
彼女がなぜ人間的にからっぽそうなデイヴィッドにそんなにひかれるのか。
そして、そんなにすきだったデイヴィッドから
簡単にライナスへこころがわりするものだろうか。
おもいつめていたにせよ、父親をおいて自殺をこころみるサブリナに全然はいりこめなかったし、
パリでの料理教室風景もすこしもおもしろくない。
ビリー=ワイルダーの演出とは、この程度のものなのか。

パリで2年間をすごし、うつくしい女性に成長したサブリナがふるさとにかえってくる。
人間的にもおおくのことをまなんだ彼女が、
あいかわらずからっぽのままのデイヴィッドを
「人生はあなたがおもっているほど簡単ではないの」と、
かるくいなす展開かとおもったのに、
じつは彼女もまったくかわっていなかった。
以前とおなじようにデイヴィッドにひかれ、
以前あこがれていた舞踏会でのダンスにうっとりする。
これではうつくしいだけで、頭がからっぽの残念な女性でしかない。
ヘプバーンはたしかに魅力的だけど、
作品もまたそれだけのものにしあがっているかというと
全然そうではない。
この作品への評価のたかさはなにかのまちがいではないのか。
しばらくは映画のなかでながれていた『バラ色の人生』が頭のなかでなりやまない。
でも作品全体への印象はあまりよくない。

posted by カルピス at 22:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月21日

今週もはりきって世界征服『常識からはみ出す生き方』

『常識からはみ出す生き方』(クリス=ギボレー・講談社)

おおくの仕事術の本がそうであるように、
この本もとてもわかりやすい。
目次をおっかけるだけでじゅうぶんな気がするほどだ。
しかし、それを実践し、成果としての実がむすぶかどうかは
例によって本人しだいであり、
本気でふみだすことが、わたしはなかなかできない。
よみはじめは意気ごんでいても、
だんだんと気もちがしぼんでいくのもいつものことで、
この本でも前半にはやたらとフセンがはってあるのに、
中盤からへってきて、おわりのころまたちょっとふえる、
というおきまりのながれだ。

冒頭に「人生や仕事に対する考え方を一変させる。
それがこの本の目的だ」とはっきりうちだしている。
そして「キーワードは、ずばり『世界征服』」とあるから、
鷹の爪ファンのわたしにとってうれしくなるかきだしだ。
ここでいう「世界征服」とは
自分が本当に望むものを手に入れながら、同時に独自の方法でほかの誰かを助ける。それがひとつに収束した状態

のことだという。
鷹の爪も世界征服することで、
世界中の人々にしあわせになってもらおうとしているので、
まったくちがった2つのうごきが
偶然にも同質な世界をめざしていることにおどろいた。

この本は、とにかくうごきだすことをすすめている。
そして、あきらめずにやりとおすこと。
絶対に失敗しない方法があるから、頭にたたき込んで実行しなさい。
とにかく始めること、そしてやめないこと。(バーバラ=ウィンター)

大切なのは、行動にうつすことによって、
人生を自分でコントロールしているという手ごたえをもつことだ。

どんなタイプの仕事をはじめるかについては、
たちあげに多額の資金が必要ないことから、
ちいさなビジネスをすすめている。
著者が「100ドルビジネス」とよぶささやかな起業は、
事業のおおくをオンラインにたよったものであり、
場所をとわずはたらけること・自分で就業時間をきめられること、などを
よいビジネスの特徴としてあげている。
そして、なにより自分がすきな仕事をえらぶこと。

「いらないものを断つ習慣と豊かさの追求」の章では
そのためのテクニックとして
「T0-STOP-DOING(やめること)リスト」をすすめている。
たしかに、なにかをはじめるためには
なにかをやめなければならないわけで、これが意外とむつかしい。
本書がとりあげているのは会議・テレビ・電話・メールなどであり、
生活からきりはなすには、こんなふうにリストにあげて
いつも意識していると効果がありそうだ。
村上春樹のスタイルも参考としてとりあげられている。
小説に集中するためには、執筆にてきした生活リズムをまもる必要があり、
つきあいのわるい人間になることをおそれていては
いい環境をたもてない。

いろんなことがかかれているなかで、
この本の特徴といえるのは、
すきなことをして生きてもいいんだ、と率直にかたりかけていることだ。
そして、中心にあるのはいつも
「自分の人生を自分でコントロールすること」にある。
よんでいると、わたしの生き方もそんなにずれていない気がする。
だれかにたすけられるのをまつのではなく、
自分のすきなことをしながら
まわりのひとをたすけるという「世界征服」まで
あともうすこしのところまできているかんじだ。
今週もやっぱり世界征服に失敗しながら、
ほんとうの世界征服についてかんがえる。

posted by カルピス at 23:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月20日

「地の利」より、事業所ピピの特徴をだすこと

放課後のデイサービスを市の南側ではじめるというと、
ほぼ全員の方が「これまで南側にはなかったのでよかった」
という反応をしめされた。
競合する同業者がいないというわけで、わたしもわるい気はしない。

しかし、地理的に家からちかいということが
じっさいにどれだけ重要かというと、
これまでのところあまり関係がないとはっきりいえる。
サービスの利用は、それぞれの家庭がことなった事情をかかえており、
家のちかくだから、という条件は、
そのなかのほんの一部にうったえるにすぎないようだ。
すでにほかの事業所を利用しているひとは、
特別の事情がないかぎり、いまさら別のところへかわろうとはおもわない。

地の利が有利にはたらかないとなると、
わたしたちにできるのは、ピピの特徴といえる「つよみ」を全面にだして、
それを理解してもらうことになる。
わたしたちは、放課後等デイサービスをスタートさせるにあたって、
ずっと発達障害の子どもたちを頭において準備してきた。
ピピの特徴はあきらかだ。
発達障害に特化していること。
わたしたちの実力からすると、その表現では誇張がすぎるので、
「発達障害をもつ子どもたちが
安全にすごせるデイサービスです」
といういい方でピピの特徴をあらわすことにした。

発達障害を全面にだしている事業所は、
おなじ圏域にはなさそうなので、
利用者のニーズがそこにあれば(あるはず)、
ピピを必要とするひとは着実にふえていくだろう。
いまは、「まつしかない」ときだと腹をきめ、
いまのうちにピピのつよみをたしかなものにしていこう。

posted by カルピス at 22:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月19日

田牧さんがとりくむウルグアイでのコシヒカリづくり

録画しておいた『ETV特集 地球の裏側で”コシヒカリ”が実る』をみた。
番組は、ウルグアイでコシヒカリの栽培をはじめた
田牧一郎さんのとりくみをおいかけている。
田牧さんはこれまでアメリカ合衆国のカリフォルニア州で
短粒種のコメ、のちにはコシヒカリはつくった経験があり、
「日本のおいしいコメを、もっと世界にひろげる」ことをめざしておられる。
「日本のコメはおいしい」ことへの自信はゆるぎない。
そして、じっさいに田牧さんがつくったコメをたべたひとは、
台湾のコメ輸入業者や、ウルグアイの料理関係者にも、
そのおいしさはみとめられている。
ウルグアイでつくったコシヒカリを、
ハリウッドにあるフランス料理店にもっていき、
シェフがリゾットにして味見をすると、
ほかのコメにはないおいしさをすぐにみとめた。
ほんとうに、あきらかにちがうレベルの「おいしさ」があるのだ。
ただ、ご飯だけをお皿によそっての試食では賛否がわかれる。
コメのほんとうのおいしさは、だれもがわかるわけではなく
おいしいおコメなら、おかずなしでもおかわりができるという
日本人の嗜好と味覚は、世界的にみると特殊なものかもしれない。

田牧さんが日本のファーストフード店でだされているご飯をあじわうと、
表情をくもらせる。
コメがわれ、ひどい状態のものがだされているそうだ。
わるいコメの「まずさ」に気づかないひとがおおくなるということは、
おいしいコメをのぞみ、そのコメをそだてる技術をたかめてきた
日本のつよみがうしなわれることであると田牧さんは懸念されている。

しかし、日本のコシヒカリのおいしさを世界につたえるということは、
コメについて味覚オンチのひとたちにも
日本のコメをおいしいとおもってたべてもらうことでもある。
ちがういいかたをすると、だれにでもわかるおいしさだったから
田牧さんがカリフォルニアでつくったコシヒカリは
アメリカ合衆国のひとたちにうけいれられたのだ。
おいしいお米をつくれば、そのおいしさは
お米に不なれなひとにでも理解できるということが、
田牧さんがコメをうるうえでの前提条件となっている。
そうであるなら、日本にいながら食文化を完全に破壊され、
どんなお米でもちがいがわからなくなっているひとたちにも
田牧さんがつくるコメのよさはつたわるはずであり、
いまさらコメについての日本の状況を
なげかなくてもいいようにおもった。

もうひとつ疑問がある。
「日本のコメはおいしい」は、どれだけ普遍的なことだろうか。
わたしはタイでたべるタイ米をおいしいとおもうし、
ネパールのダルバートには、もちもちした日本のコメよりも、
インディカ種のほうがむいているとおもう。
きょねんたずねたカンボジアでは、
ボソボソしたカンボジア米があたりまえにたべられており、
カンボジア料理にはそっちのほうがあっているとおもった。
世界中のひとびとが、おにぎりや寿司に代表されるおコメのおいしさを
ほんとうにうけいれられるのか。

さらにいえば、人類の歴史において、
人々がなにをどうやってたべたかは
その土地の環境によってちがってくる。
そうやってひきつがれてきた食文化を
「日本のコメはおいしい」からと
ひろげていいものなのか。
新大陸のジャガイモやトマトが世界中にひろがったように、
日本の短粒種が世界の食生活をかえるようになるのだろうか。
それはしてもいいことなのか。

ちがうみかたもできる。
栽培植物をたべるようになってからの人類の歴史は、
それ以前の歴史からくらべれば、ほんのわずかな期間のことでしかない。
その意味からは、世界の食文化はまだまだ再編成されていくものであるし、
コシヒカリのおいしさを世界の人々がみとめれば、
人類の食文化がおおきくかわっていく可能性もある。
それは大改革かもしれないし、多様性というちいさな変化かもしれない。

世界のあちこちをまわって
コメづくりの夢をおいかける田牧さんはとてもたのしそうだ。
「日本のコメはおいしい」という信念が
これからの食文化をどうかえていくのだろう。

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2012年09月18日

ピピの抜糸を自分ですませる

手術から3週間たち、やっとピピのしっぽの傷がくっついてきた。
ほんとなら、病院へいって抜糸をしてもらうところだけど、
このまえ先生にかなりおこられたのでなんだかいきにくい。
これまでの経過をまとめておくと、

1 ピピのしっぽのキズが化膿し、皮がはがれたので病院へつれていく
2 キズがひろいので、まわりの皮をよせあつめ
 なんとかぬいあわせてもらう。
 2週間後に抜糸にくるよういわれる。

手術したピピをひきとるとき、
カラーをつけるよう念をおされたのに、
けっきょくカラーもつけなかったし、
ケージにもいれなかった。
カラーはあるとおもっていたけど、すててしまったようで、みあたらなかった。
ピピにつけても、どうせひどくいやがってとってしまうので、
はじめからあきらめていた。

という状況で看病、というか、外にでないように気をつけ
家のなかにとじこめていたところ、ぬったキズがまたひらいてきた。
もう1どお医者さんにつれていくと、ひどくおこられる。
カラーもつけずにテキトーな対応しかできないと、
しっぽをきらないといけなくなる、とか、
もう薬はないんですね、そうやってキズ口が化膿するのを
ただみているだけなんだね、とか、本気でおこっている。
いやがってカラーをとってしまうといってもダメで、
入院中のネコを指さして、

「あの子もものすごくいやがったけど、
それは半日のことで、それがすぎればあとは大丈夫」

といわれる。
たしかにそのネコはケージのなかでおとなしくしていたけど、
でも、そのネコがそうだからといって、
ピピもしずかにしてくれるとははかぎらない。
さいわい2週間後にキズはふさがり、抜糸ができる状態になった。
いきがかりじょう、もうこのキズのことで先生にみてもらいにくい。
しりあいの家のネコが避妊手術をしたとき、
抜糸は自分たちがやった、といっていたことが記憶にのこっていたので、
自分でピピのしっぽの抜糸をすることにする。
かわいてきた傷口の糸を眉毛用のはさみできったら
あんがいかんたんに糸がぬけた。
しっかりぬってあるところは
どこにハサミをいれたらいいかわかりにくかったけど、
いまさらとちゅうまで抜糸をした状態を
獣医さんにみせわけにはいかない。
いちどついたウソは、そのままつきとおさなければならないのだ。
慎重にハサミをいれ、なんとか全部の抜糸をすませる。
なんだかパソコンのメモリー増設をおもいだした。

ネコの抜糸は自分でできますよ、といいたいわけではない。
お医者さんにやってもらったほうが安心にきまっている。
あらかじめネットで確認すると、
ちゃんとお医者さんに抜糸をしてもらうこと、
でないとまたそこからバイキンがはいって・・・、と
当然のことが指摘されている。

わたしがお世話になっている病院は、
いい先生だからこそ、そんなにおこってくれたわけで、
テキトーな治療でとんでもない料金を請求する病院があることをおもえば、
良心的でありがたい先生であることはまちがいない。
ネコがかわいいといいながら、
自分の都合でなおるケガをひどくしてしまうようなら(わたしみたいに)、
ネコにたいしてももうしわけないはなしだ。
ただ、それでもいろいろな事情から病院にいきにくいときは、
自分で抜糸をすることも可能なことを
頭のすみにおいておくのは無駄ではない(かもしれない)。

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2012年09月17日

『シャレード』なんて魅力的なヘプバーン!

『シャレード』(1963年・アメリカ)

「午前10時の映画祭」の今週は『シャレード』。
ヘプバーンがでていることぐらいしかしらずに席につく。
いまさらヘプバーンのうつくしさをさわいでもしょうがないけど、
ほんとに魅力のある女優だ。
なぞだらけの夫が急になくなり、それにからんだ事件にまきこまれても、
ヘプバーンはとくにこまった様子をみせない。
ほかのひとがえんじると、リアリティがない、なんてことになるのに、
彼女がフワフワただよってると
まあそれもありか、という気になる。
うつくしくて、かわいくて、でも
もしとなりにすわったら、ふつうにおしゃべりができそうだ。
スターなのにすごく身ぢかにかんじられるところが彼女の魅力だろう。

サスペンス一点ばりではなく、
おしゃれな会話をたのしめるコメディでもある。
ケーリー=グラントはヘプバーンの相手として
おじさんすぎたけど、服をきてシャワーをあびるシーンや、
ヘプバーンとの距離をビミョーにたもつ会話がうまい。
はじめは、なんでこんなオヤジにヘプバーンが、と
ふにおちなかった関係も、服シャワーから
みとめられるようになる。
ラストのオチはまったく予想していなかった。
ヘプバーンの魅力をひきだすために
男たちがいりみだれてげんきいっぱいがんばった映画といえる。

来週は『麗しのサブリナ』が上映されるそうで、
当然それもみたいし、ヘプバーン全出演作品をボックスで、
なんてこともしたくなるほど『シャレード』のヘプバーンは印象にのこった。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月16日

カメムシいりフォーの衝撃的画像「カメムシはパクチーの代わりになるか」

グーグルでパクチーのかわりになるものをしらべる。
セロリの葉や三つ葉など、常識的な解答にまじって
カメムシはパクチーの代わりになるか」というブログがみつかった。
パクチーはよくカメムシのくささにたとえらるし、
昆虫食の世界でカメムシはおいしいとされているので、
「カメムシはパクチーの代わりになるのだろうか」ためしてみたのだそうだ。
006.jpg
ほんもののパクチーをうかべたフォーの写真のあと、
ゆでたカメムシがちりばめてあるフォーがのっている。
非常に衝撃的なので、ぜひブログにアップして、とおもったが、
これはやはり自分でサイトをたずねてみてもらったほうがいいだろう。
これをよくたべることができたと
ほんとうに感心する。わたしにはきっとむりだ。

じっさいの味のほうはというと、
これがほんとにおいしかったという。

「カメムシの匂いの成分は油だそうだ。
そのせいか、茹でているのに揚げた味がする。
まず、これがおいしい。
噛みしめるとたんぱく質やアミノ酸の甘さが口の中にひろがり、
そのあとにパクチーの香りが追いかけてくる。
パクチーよりもずっと複雑な味で、
一匹食べただけで舌の上で味が何層にも重なって訪れ、奥深い」
こんなおもしろいブログをみたのははじめてだ。
「デイリーポータルZ」ってすごい。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

ダジャレだけではない早野宏史さんのサッカー解説

『サッカー批評』(58号・双葉社)に、
小田嶋隆氏が、ロンドンオリンピックの解説者について総括している。
そのなかで、川上直子さんの声の質についてふれ
この人の解説は、平凡ながら温かみがあって、内容的にはそんなに悪くないのだが、いかんせん声が甲高い。あの声をずっと聴いていると、私は、画面に集中できなくなる。

とある。
わたしもまったく同感で、
はじめに川上さんの声をきいたときに、
なにか機械のトラブルがおきたのかとおもった。
ワイドショーがよくやる、だれがはなしているのか特定できないように
音声をかえているような声。
プロのアナウンサーではないのだから、
声をせめられては川上さんがかわいそうとおもいつつ、
試合から気もちがはなれてしまった。

小田嶋さんは宮本恒靖さんとゴン中山さんをほめている。
こちらもわたしの感想とかさなっており、
宮本さんはみかけどおりの理論整然とした内容がよかったし、
ゴン中山さんの意外に、といっては失礼だけど、
まわりがみえている発言に感心していた。

オリンピックをはなれて、わたしがすきな解説者は
早野宏史さんと福西崇史さんで、
ちょっとイラつくのが山本昌邦さん。
早野さんは(アナウンサーにはいつもスルーされてしまう)ダジャレだけでなく、
サッカーへのおもいがつたわってくる
独特の視点から解説されているし、
福西さんのは最近まで現役選手だった感覚をいかして
わかりやすいはなしをしてくれる。
山本さんはおなじはなしをくりかえすことがおおいし、
自分のかんがえをおしつけようとするかんじがすきでない。

はっきり「きらい」なのが松木安太郎氏で、
なんでこの程度の解説しかできないひとが
毎回よばれているのか理解にくるしむ。
こういうのがすきなひとって、意外とおおいのだろうか。

番外編として、毎回とびきりきかざってスタジオにあわられる大竹七未さんもすきな解説者だ。
どの服をきようかまよっている大竹さんを想像するとたのしくなる。
選手たちに共感し、すぐになきながらの発言になることにも好感をもっている。

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2012年09月14日

『Evernoteとアナログノートによるハイブリッド発想術』(倉下忠憲・技術評論社)

『Evernoteとアナログノートによるハイブリッド発想術』
(倉下忠憲・技術評論社)

アイデアづくりについての本で、
この本にかいてあることをじっさいにとりくめば、
だれにでもアイデアをだせるだろう。
大切なのは、やるかやらないかであって、
よみものとしてたのしむだけではアイデアはつくれない。

この本によると、アイデアづくりは才能が左右するのではなく、
手間暇をかければだれにでもできるという。
アイデアづくりのセンスがないとあきらめていたわたしにとって
げんきのでてくる本となった。
ただ、この本の最初の部分の、どうやったらメモをとれるか、とか、
連想を広げるトレーニングとしての一人ブレストなどをよむと、
自分でも簡単にとりくめそうで、ワクワクしてくるのに、
アイデアをまとめたり、アウトプットをみすえた整理、などにはいってくると
なんのことだかわからなくなって、
わたしの意気ごみはきゅうに尻すぼみになる。
仕事術についての本をよむと、だいたいこういうながれをたどり、
じっさいの仕事にいかすことができないのが残念なわたしのパターンだ。

倉下さんは比喩がうまく、
この本では、アイデアづくりを畑にたとえて説明している。

・種をみつけ、それを植える
・種から根と芽が伸びる
・実ができあがり、それを収穫する

アイデアについて、おさえておかなければならないのは
以下の2つだけだ。

1「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」
(ジェームス=W=ヤング)

2「アイデアを生むためには、手間と時間が必要である」

この本で大切なのはこの2点だけで、
あとはどうしたらそれをスムーズにすすめることができるか、
というノウハウにすぎない。
そのためのツールとして、手帳をつかったり、
エバーノートやiPadといったクラウドの技術もいかしている。
しかし、基本となる部分はアナログかデジタルかは関係がない。

1についてもうすこしおぎなうと、
「カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。
知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。
あるいはならべかえてみる。
そうするとしばしば、
一見あんの関係もないようにみえるカードとカードとのあいだに、
おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである」
(梅棹忠夫・『知的生産の技術』)

2 については、
「アイデアを生み出すためには、準備が必要」である、
ともいいかえてある。
なにかアイデアがうかばないかと、ただまっていても
アイデアをえることはない。
アイデアはなにかのひょうしに空からおちてくるものではなく、
「畑に種をまいて、その成長を待つような簡単な行為」というのだから
才能がなくてもお百姓さんのような勤勉さがあれば、
いい収穫をむかえることができそうだ。

エバーノートとiPadの両方をつかっているのに、
わたしがアイデアをためられなかったり、まとめられなかったりするのは、
けっきょくこの2点が不十分なのだろう。
アイデアをいかす対象としての仕事は
いくらでも目のまえにころがっている。
きゅうに大量の収穫をめざすのではなく、
種をみつけ、うえることからはじめよう。

posted by カルピス at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月13日

習慣にこだわるとろくなことがない

ずいぶんまえにはやった歌に、
1月から12月まで、なんだかんだと行事をいわって
お酒をのむ口実にしている歌があった。
「1月は正月で酒がのめるぞ」という、あれだ。
こんなふうに、たしかにいろんなことを理由に
お酒をのむことができる。
1年は記念日だらけともいえるし、
もっと個人的なこと、たとえば
日本代表がかったといってはのみ、
ネコのケガがなおったといってはおいわいすることも
あたりまえのこととして可能だ。
理由はなんだっていいわけで、
自分の誕生日だけでなく、家族の誕生日、
大切なひとの命日とか、残念なことがあったときも
お酒をのむ口実になりやすい。
禁酒やダイエットをしたことのあるひとは、
いかにおおくの、のみ・たべる口実があふれているかを実感しているだろう。

けっきょく、すべては習慣の問題かもしれない。
こういう場合はお酒をのむ、というパターンを脳がおぼえてしまうと、
以前体験したことをおなじようになぞろうとする。

角田光代の短篇集『太陽と毒ぐも』には、
記念日フェチの女性がでてくる。
出会った記念日、キスした記念日、○○記念日、交際決定記念日、おどろいたことに、このあいだ話を聞いていたら「ディズニーランド記念日」というものまでクマコのなかにはあるらしかった。

それらの日を、クマコさんはいちいち記念日としておいわいするために、
レストランを予約し、パートナーにも当然それにつきあうことをもとめる。
クマコさんが記念日にこだわるのは、
そうすることで自分の気がすむからであり、
ひとの気がすむということは、
習慣としているとりきめを、
つづけられるかどうかということにかかっている。
習慣にこだわると、ろくなことがない。
ひとは習慣から自由に生きることはできないのだろうか。

posted by カルピス at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月12日

W杯最終予選、対イラク戦とジーコ氏

W杯アジア最終予選、イラクとの試合がおこなわれた。
1-0で日本がかって、グループ内1位を維持し、
ブラジルへの切符におおきくちかづくことができた。

イラクの監督は、日本でも代表監督をしていたジーコ氏で、
ドイツW杯予選での順列にこだわった選手起用や、
本大会で1勝もできず、グループリーグ敗退という
残念な結果しかのこせなかったことで、
わたしはあまりすきな監督ではなかった。
今回のイラク戦は、そのジーコ氏のまえで
日本代表のつよさをみせつける機会としてたのしみにしていた。
このおもいはすくなからぬひとが共有しているようで、
イラク戦についてのブログのどれもが、
ジーコ氏と日本のサッカーとの関係についてふれている。

しかし、「ジーコは、なぜイラク代表監督を引き受けたのだろうか?」
というブログをよむと、ジーコ氏への気もちがかわってくる。
国がまだおちつきをとりもどせないイラクにあって、
代表監督でいることがいかにたいへんなことか、
そして、サッカーがイラクのひとたちをどれだけ勇気づけるかについて
このブログは紹介している。

オシムさんが日本の代表監督をつとめていた
2007年のアジア杯でイラクは優勝しており、
今回来日したメンバーのなかにも当時の主力選手がふくまれている。
5年前もイラク国内はおちついて代表チームが練習できる状況になく、
ほかの国を拠点に活動しながらアジア杯に参加していた。
そんななか、イラク代表チームは
おおくのひとをおどろかす気迫にあふれたプレーをつづけ、
ついに優勝するという快挙をなしとげる。
選手たちは、代表チームの活躍がイラク国民をちからづけることにふれ、
優勝のよろこびをイラクのひとたちにささげていた。

今回の最終予選でも、イラクの状況は
まだじゅうぶんには改善されておらず、
イラクはホームの試合を自分の国でたたたうことができない。
そうしたなかでおこなわれた日本との試合で、
イラク代表はジーコ氏のたくみな采配もあり、
なんども決定的なチャンスをつくりだしている。
以前は固定した選手起用と、なにもしない「采配」が
トレードマークだったジーコ氏にあって、
日本戦でみせた柔軟な対応は、
監督としての変化をかんじさせるものだった。
イラクのひとたちへサッカーという希望をとどけようとする
ジーコ氏に敬意をひょうしたい。

posted by カルピス at 22:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

養護学校でピピのパンフをくばる

養護学校でピピのパンフをくばらせてもらう。
これまで相談支援センターや、特別支援教室の先生に
事業所の宣伝をしたことはあっても、
保護者の方にパンフを直接手わたしたことはなかった。
何日かまえに学校へ送迎にいったとき、
お子さんをむかえにきていた保護者の方が
輪になっておしゃべりをされていた。
そのときに、もしかしてこういうときにパンフをわたせたら
いちばんストレートにとどく宣伝なのではないか、とふとおもった。
目のまえにある保護者の輪はおおきくもなく、ちいさくもない。
まわりに同業者はおらず、いろんな条件が偶然かさなり、
たまたまポッカリできた絶好の時間帯だった。
あ、いまいいかも、とおもっているあいだに状況がうごき、
いまさらパンフという雰囲気ではなくなってしまった。
なんでいままで保護者に直接パンフをわたすという
発想がなかったのだろう。

というわけで、養護学校におねがいし、
きょうあらためてパンフをくばることになった。
校門のところでまっていて、やってくる保護者の方に、
簡単なピピの説明をしながらパンフを手わたす。
自意識過剰で内気なわたしとしては
あまりやりたい行為ではないけれど、
このままくばらずにいたらすごく後悔しそうだ。
じっさいに保護者(全部お母さんだった)にパンフをわたしてみると、
ほとんどの方がピピという事業所のことをしっており、
3名の方ははっきりと関心をしめしてくださった。
パンフをわたせたのは10名ほどの方で、わたしおえると、
やるべきことをすませたことで、ささやかな達成感がある。
これをきっかけにはなしがひろがればすごくうれしい。

posted by カルピス at 23:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする