2012年10月31日

「会社のようなもの」の『野宿野郎』の「社員のようなもの」になって名刺をもらおうとする

人生をより低迷させる旅コミ誌『野宿野郎』が、10月30日に
「業務連絡のようなもの」をアップしている。
「社員のようなものさんへ、名刺のようなものを支給することにしました」
というもので、これにはちょっと説明がいる。

『野宿野郎』は野宿をすすめるミニコミ誌であって、
そのときどきに雑誌を編集するものの、
とくに編集部とか、会社組織があるわけではない。
そうしたゆるゆるの「組織」が
『本の雑誌』の特集で社史の取材をうけたことから
迷走がはじまっている。
会社ではないけど、いちおう『野宿野郎』を発行してきた歴史はあるので、
このさい「会社のようなもの」になろうと
編集長のかとうちあきさんがきめたのだ。

だからといって、なにかが根本的にかわるわけではなく、
本業の『野宿野郎』発行も、2010年の3月に7号をだしたきりになっている。
ならば会社は一体全体、なにをしているのか。
「野宿」です。あとは「だらだら」しています。
(「本の雑誌・2011年9月号)

とひらきなおりの状態だ。
しかし、この社史特集をきっかけに、
かとうさんは「のようなもの」という視点を獲得した。
「会社のようなもの」なので、
会社はないけど「新入社員のようなもの」を募集し
(「来た人はみなさん、その場で「新入社員のようなもの」になれます」とある)、
その「新入社員のようなもの」の研修野宿をひらいたり、
今回のように「社員のようなもの」のみなさんに
名刺のようなものを支給したりする。

わたしは自分で「のようなもの」のかたまりみたいな人間と自覚しており、
「会社のようなもの」で「仕事のようなもの」をしている
「社員のようなもの」といわれるとすごくしっくりくる。

冒頭にあげた、名刺のようなものを支給する業務連絡の本文は、
えー、みなさましっかりだらだらしていますか?
「極力、働かない。」を社是のようなものとする、
会社のようなもの『野宿野郎』は、
ますますの会社のようなもの化を目指して、
このたび、社員のようなものさんへ
名刺のようなものの支給をすることにしました

となっている。
わたしも「社員のようなもの」になって
名刺のようなものを支給してもらおうともうしこんだ。

「※名刺ができたら、野宿での手渡し、だめそうなら発送など、
ゆるゆると忘れたころにお届けされる予定です」

ということなので、名刺はきっととどくのだろうけど、
ずいぶんさきのことになりそうだ。
「社員のようなもの」というふわふわした存在はわたしにぴったりなので、
やめさせられない程度に「しっかりだらだら」して
ほんものの会社ではたらくほんものの社員になりたいひとに
うらやましがってもらおう。

posted by カルピス at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月30日

「カントリーガール」と「木綿のハンカチーフ」とはぜんぜんちがう

ピピできく音楽にと、何枚かCDをかりてきた。
利用者の中学生といっしょにえらんだので、

「ナオト・インティライミ」
「みんなのうた」
「メジャー」
「ジブリ」
「感動共有」
「ゆず」

の5枚と、脈絡がなくておもしろそうな品ぞろえになった。
「みんなのうた」はとりわけあなどりがたく、
谷山浩子・研ナオコ・西田ひかるというひとたちがうたっている。
ピピだけできくのはもったいないので、
自分のパソコンのiTunesにもいれた。

ピピのブログにそんなことをかくと、
スタッフのひとりが
「谷山浩子ってどんなひとですか?」ときいてくる。
そうか。いまや谷山浩子をしらない世代がそだっているのかと、
なんだか感慨ぶかい。
はなせばながくなるけど、
10代後半から20代前半にかけて
わたしは彼女のファンだった。
「カントリーガール」や「ねこの森には帰れない」をよくきいて、
きれいな声と、歌詞にこめられたふかい意味に
まだ青くてちいさな胸をときめかせていた。

谷山浩子をしらないひとに、どうはなせばつたわりやすいだろう。
わたしは彼女の「カントリーガール」と
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」をくらべ、
どこが谷山浩子のよさかを説明しようとする。
この2つの曲は、それぞれ都会にでた少女と青年をうたったものだ。
しかし、その背景はずいぶんちがう。

「カントリーガール」の少女は、
刺激的な「都会」を好奇心いっぱいになんでも体験しようとする。
そしてその彼女がはなつわかさゆえのかがやきと、
それにともなうおろかさの
すべてをうけいれている男性が
どこからかみまもっている。

「木綿のハンカチーフ」は都会になじんでいく青年を
少女が田舎でただひたすらまつはなしだ。
「まつ」のはつまらない。
うけみなだけで、自分でどうしようという意思がない。
さいごになってやっとつたえる自分の気もちが
「なみだをふくハンカチーフをください」だなんて。
そんなことだから男はおなかのなかで舌をだし、
口さきだけの謝罪で彼女をすてて都会にのこるのだ。
このうたの教訓はなんなのだろう。
つまらない男をまつのはよそう、なのか、
まってれば、そのうちハンカチくらいもらえる、なのか。
いずれにしても自己憐憫がすぎて、
わたしには理解しにくい心境だ。

「木綿のハンカチーフ」の男は、
やがて都会での生活に失敗し、ふるさとにもどる。
そこである少女をすきになるが、
その子は都会にあこがれる「カントリーガール」だった、
という因果応報ものがたりならおもしろいけど。

とにかく、主体的に人生をきりひらこうとするのが
「カントリーガール」の少女で、
運命をだまってうけいれようとするのが
「木綿のハンカチーフ」の「わたし」だ。
どちらが自分のものがたりを生きようとしているのかは
いうまでもないだろう。

だからピピでは「木綿のハンカチーフ」のCDはかけない。
かわりに「カントリーガール」がピピのテーマソングみたいに
バンバンながれることだろう。
こらから自分の人生を生きていく子どもたちへの
それがピピからのメッセージだ。

posted by カルピス at 20:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月29日

しつこくブラジル戦について(西部謙司さんのみたては)

西部謙司さんのメールマガジンに
ようやくブラジル戦についての記事がのった。
西部さんはスペインへの取材旅行にでており、
帰国してからようやく録画でブラジル戦をみたようだ。
スペインゆきは、戦術おたくとして有名なビエルサ監督がつとめる
スペインのアスレチック=ビルバオをたずねることが目的で、
そのふうがわりな練習もすこし紹介されている。

ブログにブラジル戦のことをかくのはこれで3ど目になる。
なんでいまさらブラジル戦を、というかんがえ方もあるだろう。
たまたま西部さんのメールマガジンにのっていた
河治良幸さんとの対談で
サッカーって90分で終わりじゃないんですよね。コーヒー飲みながらとか、夜明けまで語ったり。線で繋がってるものだと思うんで。イングランドとかでもそうですけど、土日で試合を見て、それ以外でも飲む時間とかサッカーの話で。大きい試合だと一週間サッカーなんですよね。 あーだこーだ話して。(河治良幸)

というはなしがあった。

そうなのだ。試合をみておわり、ではあまりにもさみしすぎる。
その余韻にしばらくひたってもいいじゃないか、というわけで、
2週間たってもしつこくブラジル戦についてかいてみたい。
といても、今回はわたしの意見ではなく、
すべて西部さんによる「みたて」の紹介だ。

もうひとつの「いまさらブラジル戦」の理由は、
フモフモさんのブログにあった
ブラジルを恐れ、怯えながら浅めの傷で勘弁してもらうのがこれまでの日本だったとすれば、今回は本気でケンカを売って結果的にボコボコにされた…そんな一戦でした。

というまとめに感心したからだ。
フモフモさんは、比喩によって
あることの本質をわかりやすく説明する技術にたけている。
そうだ。ボコボコにされてもすがすがしかったのは、
相手におびえないで試合にいどんだからだ。

と、いうわけで、西部さんによるブラジル戦の分析について。
西部さんのメールマガジンは有料なので、
あまりたくさん引用するのは適切でないだろう。
とはいえ、西部さん独特のきりくちはとても魅力があり、
ついたくさん紹介したくなってくる。

・ブラジルは、致命的に組み立てができない。
もし日本に引かれていたら点をとるのは難しいチーム。

・4失点はミスがらみなので、失点自体はあんまり気にしなくていい

この、ミスについてのかんがえ方がいかにも西部さんらしい。

誰もミスしようとは思ってませんから。次にミスにならないように修正するしかありません。ミスを減らすように努力するだけです。ただ、減らそうとしてもそう簡単に減るものではない。ミスはゼロにはできないでしょうから、努力は必要ですが気にしてもしょうがないわけです。ミスが続くなら、もうそれは個人のクオリティの問題なわけで、代表ではプレーできなくなるでしょう。

もう1つは、あんまり気にしてほしくないんです。その場のミスを減らしたいだけなら、ゴールから50メートルより遠くへボールを蹴り出してしまえばいいだけです。直接失点につながるようなミスはそれでなくなります。しかし、それでは何の進歩もないわけで

・ブラジル戦で浮き彫りになったのはむしろ攻撃の問題であり、
そのひとつとして、裏へのとびだしがなかった、という指摘。
一番気になるのは、攻撃に『深さ』を上手く作れていないこと。何回かは非常にいい形をみせています。しかし、不発もけっこう多かった。本田をトップに使ったので、実質的にはゼロトップになっていました。ブラジルのCBは誰もいないスペースを守っているので、その手前では日本が数的優位になります。だからボールはキープできていました。問題はそこからフィニッシュへかけての アプローチです。

西部さんのまとめはあんがい楽観的だ。
結果は完敗でしたが、ボールの運び方はおおむね良かったし、もうひと工夫と決定力があればブラジルからでも点はとれるでしょう。あそこまでオープンな試合をしなければ、少なくとも僅差にはできると思いました。

これは、おおくのひとがかんじたことでもある。
ブラジルが、まったく手のとどかない異次元のチームなのではなく、
創意と工夫によって、本気でいどむことができる相手となった。
スペイン、あるいはバルセロナよりも
ブラジルのほうが日本は金星をあげやすそうだ。

posted by カルピス at 19:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月28日

なぜか絶対に降格しない大宮アルディージャというチーム

J1の残留あらそいがますますこんがらがってきた。
10月27日の30節では降格圏にいる6チームのうち、
大宮だけが勝点3をつみあげる。
のこりの鹿島・新潟・札幌はやぶれ、
ガンバとヴィッセルはひきわけという結果だ。
この時点での順位と勝点を確認すると

13位 鹿島アントラーズ  38
14位 ヴィッセル神戸   36
15位 大宮アルディージャ 36
16位 ガンバ大阪     33
17位 アルビレックス新潟 31
18位 コンサドーレ札幌  14(降格決定)

例年は勝点が38あれば残留圏内といわれているのが、
今年は40くらいになるのでは、と
「Jリーグタイム」で解説の長谷川健太さんがいっていた。
のこり4試合で、40まで勝点をのばせるのは
このうちどのチームだろうか。

なんちゃってサッカーファンのわたしがしらなかった有名な都市伝説として、
「大宮アルディージャは絶対に降格しない」というのがあるそうだ。
7年連続で残留あらそいにかちのこり、
2004年には「落ちない!お守り」が受験生にむけて発売されている。
今年もまたリーグ終盤にはいってからの大宮は別のチームになっており、
24節から3勝4分とまけがない。
30節ではきょねんの優勝チームの柏に4-1でかっている。

大宮アルディージャがJ1に昇格してからの成績は
2005年 13位
2006年 12位
2007年 15位
2008年 12位
2009年 13位
2010年 12位
2011年 13位
となっている。

12位だったら全然あぶなげないとおもえるけど、
そこにいたるまでは、毎年のようにリーグ終盤で勝点をのばして
なんとか降格をまぬがれてきたという過程がある。
リーグ終盤は、大宮がもっとも得意とする時期ともいえ、
ギリギリの状況にならないと本来のちからが発揮できない「体質」、
あるいは「戦略」が大宮というチームの特徴となっている。
サポーターが「安心して」毎年恒例の残留あらそいをみまもるのが
大宮アルディージャというチームだ。

次節からの大宮の対戦相手は
31節 鹿島 (H)
32節 セ大阪(A)
33節 磐田 (H)
34節 清水 (A)
であり、
過去の対戦成績をみると鹿島には1勝2分4負、
清水に0勝3分4負と、大宮とすれば苦手な相手との試合がのこっている。
しかし、この時期に過去の成績はあまり参考にならないだろう。
大宮の選手たちは残留あらそいでまける気がしないだろうし、
相手チームは反対にすごくやりにくい心理状態となる。
大宮と降格をあらそうアルビレックス・ガンバ・ヴィッセル・アントラーズのうち、
残留をあらそう体験をもつのはアルビレックスとヴィッセルだけで、
ガンバとアントラーズは、これまで降格あらそいのプレッシャーを体験したことがない。
大宮には降格するつもりがないとなると・・・
このさき残留あらそいはどうなっていくのだろう。

posted by カルピス at 17:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月27日

究極のスピードハックは「5分だけ」

佐々木正悟さんが「シゴタノ!」に
「究極のスピードハック」として
「分けて、何度も同じことを繰り返すことです」とかいている。
経費精算などの「終わりのない作業」ほど「小分けにする」というより「小さいうちに毎日取り組む」べきものです。そしてこれこそ究極のスピードハックなのです。

園芸をするわたしのしりあいが、
確実に草とりをすすめるコツとして、
「毎日5分だけやる」という方法をおしえてくれたことがある。
ある日まとめて盛大な草とりをしようとするから
気づかないうちに草がおいしげり、
「決心」しないと草とりができない状況になる。
いちにち5分を毎日つづけると、
目にみえて草がすくなくなっていくという。
10分とか15分でなく、5分なところがミソで、
これぐらいなら日課として毎日とりくめるし、
そのための決心も必要ない。

佐々木正悟さんがいわれるのは、
まさしくこの草とりのかんがえ方といっしょだ。
そして、「5分だけ」のやり方は、なんにでも応用がきく。
そうじにしてもかたづけにしても、
「5分だけ」とおもうと、からだをうごかしやすい。
たかだか5分なのだし、そしてその効果は絶大だ。
5分という時間の設定は、
ひとのこころのビミョーなところをついているのだろう。

よくカップヌードルは3分だからまてるけど、
もし5分だったらイライラしてだめ、
ということがいわれている。
たしかに、たかが5分でも、まつのはいやだ。
でも、5分することは心理的な負担がない。
いつもはながくかんじる信号まちの数分間に、
よみかけの本をひらくと、アッという間に青信号にかわる。
「まつ」という、うけみの状態がよくないのであって、
すきなことをする時間に位置づけると、
数分間はすぐにきてしまう。

わたしは、もうひとつのかんがえ方として
「チリはいくらつもってもチリ」というのがすきで、
ささいなことをつみあげていくことをこれまでバカにしてきた。
これは今西錦司さんがいわれた言葉で、
こうした天才的な人物のまえでは
コツコツとただくりかえすことがいろあせてみえる。
しかし、才能にめぐまれないわたしのようなタイプには
5分のすきま時間をみつけて
堅実にくりかえすほうが成果を期待できそうだ。
そういえば「5分だけ」英単語なんて本もあったような気がする。
「5分だけ」勉強法で、生まれかわった自分におどろいてみたい。

posted by カルピス at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

「放射能事故の拡散予測」事故がおこればおわりのはじまり

きのう(10月25日)の朝日新聞に、
放射能事故の拡散予測がのっていた。
全国16カ所にある原発で、
福島第一原発のような事故がおきた場合を想定してのものだ。
2ページをつかって16カ所の原発を全部のせた地図をみると、
日本列島のそこらじゅうに原発が点在しており、
どこで事故がおきてもたいへんなことを実感させられる。
けさの朝日新聞の川柳欄に

「原発に観念しろと言われた気」

というのがのっていた。
まさに、そんなかんじだ。

わたしのすむ松江市にも島根原発があり、
全国でいちばん県庁所在地にちかい原発としてしられている。
被爆線量がもっともおおきくなる方向は原発の南東、とあり、
これは、まさに松江市の中心にむかう、ということだ。
すんでいるものにとって、たのしい予測ではない。
わたしの配偶者の実家が、原発から40キロ以上はなれた町にあるので、
そこに避難することはできそうだ。
でも、じっさいに事故がおこれば
避難してすむはなしでないことくらい、わたしにもわかる。
事故がおきればおわり、とおもっていたら、
福島原発の事故で、おわることもそう簡単でないことがわかった。

日本人は、原発との共存をほんとうに覚悟したのだろうか。

posted by カルピス at 19:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月25日

中学生の合唱に胸をあつくする

ピピを利用している中学生の男の子が、
学校の文化祭として音楽会がひらかれるという。
ピピのちかくにある市民ホールが会場ということなので
仕事のあいまにたずねてみた。
わたしが会場についたときには、
ちょうどその子の発表がおわったときで、
残念ながら彼のクラスの歌をきくことはできなかった。
せっかくなのでしばらくのこり、
やがてはじまる3年生の合唱を鑑賞することにした。

クラスの代表が、自分たちのクラスと曲の紹介をして合唱がはじまる。
いちばんむつかしいといわれる
ややこしい時期をすごしている中学生が、
一生懸命(かどうかほんとうはわからないけど)壇上でうたっている。
それをみただけで、なんだか胸がいっぱいになってきた。
もう、おじさんなのだ。

ひとりひとりの子どもたちは、
なにをかんがえてこれまで練習をかさね、
どんな気もちでこうしてうたっているのだろう。
かたい殻をまとったようないつもの姿からは
想像できないナイーブさをかんじる合唱だ。
若者が集団でうたっているというだけで、
おじさんには無条件ですばらしい光景にうつる。
いま中3のむすこのことも、チラッと胸をかすめる。
あいつもクラスのなかでは
目のまえにいる子どもたちみたいに、
家とはぜんぜんちがう顔をしてるのだろう。

わたしが中学生のときにも、
こんなかんじの校内音楽会がひらかれた。
たしか、あらかじめきめられた曲と、
クラスでえらんだ曲との2曲を発表したようにおもう。
わたしもけっこうまじめにうたっていたら、
「ちょっとおまえ、うたうのやめてみて」
と前の列の生徒がわたしにいう。
そいつによると、わたしがうたうと全体の音がみだれるそうだ。
いわれたとおりにうたうのをやめると
そいつはふかく納得したようすで、
「これでよくなった。おまえは口だけあけて、声をださないほうがいい」
なんてひどいことをいう。
その友だち(そんなことをいうやつは友だちではないとおもうが)は、
クラスがいい成績をおさめるために真剣にそんな提案をしているわけで、
いわれたわたしも、残念におもいながら「協力」したように記憶している。
自分が音痴であることをしらされたかなしい体験だ。

生徒たちの合唱をきいていると、
そんなむかしのことまでおもいだした。
いまこうしてうたっている生徒たちも、
きっと、きょうの発表はいつまでも記憶にのこる
印象ぶかいできごとになるだろう。
わかものの集団がはなつ独特のエネルギーは、
おじさんとなったわたしにとって、ものすごく魅力があった。
音痴を指摘され、かなしいおもいをした子がいなければいいけど。

posted by カルピス at 20:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

「Our Voices 苦手なことは克服すべき?」発達障害当事者の意見

「「Our Voices」(ハートネットTV)」で
「発達障害 苦手なことは克服すべき?vs
ありのまま受け入れる?」前編・後編をみる(10月8・9日放送の録画)。

6人の当事者が「克服すべき派」と「受け入れる派」に3人ずつにわかれて
自分のかんがえや体験をはなす、という構成だ。
きいていると、どちらの派もおなじことをいっているようにおもえる。
「克服すべき派」は、なにがなんでも克服しなければ、
といっているわけではないし、
「受け入れる派」も完全にひらきなおって
努力を放棄しているわけでもない。
番組をすすめるうえでのひとつのきりくちとして、
ふたつの派にわかれただけであり、
両者は対立する概念ではなく、
おたがいがそれぞれの意見をふかい共感とともにうけいれていた。

6人の方すべて、はなしていると障害があるようにはみえない。
堂々と自分の意見を発表し、ひとのかんがえにも理解をしめす。
しかし、映像でひとりひとりの活動が紹介されると、
いわれたことをすぐにわすれたり、
整理整頓がぜんぜんできないというつまずきが、
わたしがかんがえているようなレベルではなく、
ほんとうに徹底的にできないことがわかる。
これは「障害」なのだ、と納得せざるをえない。

整理ができないという女性は、
時間と範囲をくぎると、なんとか成果をあげることができるという。
しかし、せっかくきれいになっても、
それがまたすぐにちらかってしまう。
どんなにがんばっても、
ふつうのひとみたいにはなれないとわかったので、
できるように努力するのをやめた、とその女性はなされる。
それはそうだろう。
あまりにも不毛なこころみだし、
できない自分をせめるので、鬱になるしかないようなつらさだという。
ものをかたずけるということが、
こんなにもある種の能力を必要とすることを
わたしはしらなかった。

とはいえ、仕事に必要なことを記憶することや、
身のまわりの整理が、ぜんぜんできないのだから、
まわりのひとにとったら、たまらない存在だろう。
「受け入れる派」の男性は、職場の同僚に
「しらないひとだったら、きっとあなたはすごくいいひとだろうけど、
となりの机で仕事をするわたしにとって最低」
というようなことをいわれている。

発達障害と診断されると、
自分が苦手だったことの原因がわかり
ホッとされるた方がおられた。
しかし、診断されたからといって、
まわりの理解が急激にひろがるわけではない。
やらなくてはならないことはいっしょだし、
それができない自分をどううけいれるかは
それぞれのかんがえ方しだいとなる。

わたしがふだんせっするのは
知的障害をともなう発達障害の方がおおく、
番組で紹介された方々のように、
一般社会ではたらきながら障害とむきあっておられる方の存在を
まったくしらなかった。
わたしだったら、とても「克服すべき派」にはなりそうにないし、
かといって「受け入れる派」にもなれず、
モンモンとなやみつづけるだろう。

仕事のうえで、発達障害の方にであうと、
すぐに「支援につなげなければ」という発想をしてしまいがちだ。
ほんとうに、それでいいのだろうか。
自分でおもうように意見をいえない彼らに、
わたしはどういう立場でのぞめばいいのかがわからなくなってきた。

(出演された片岡聡さんと、広野ゆいさんの感想がネットにのっている。
片岡さんはスタジオでのストレスに対応するために、
「感覚グッズ」としてぬいぐるみと毛布をかかえて出席されていた。
そうしたグッズが、車いすとおなじように、
障害者にとって必要なものという認識がひろがることもねがっておられた。
広野さんはかたづけが苦手な女性で、
ブログにあげた「整理ができないという女性」は広野さんのことだ。
おふたりとも「受け入れる派」としてはなしをされている)

posted by カルピス at 19:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月23日

わたしの桃源郷で、しずかに、ヘラヘラと生きたい

旅行人の最終号
『世界で唯一の、私の場所』をよみかえす。
この号を最後に休刊ということで、
この雑誌に記事をかいてきたライターが、
自分の印象にのこっている場所についてふれている。
それぞれがとっておきの秘所をだしあうのかとおもったら、
あんがいなんということのない場所もおおい。
どこがそのひとにとって特別の場所となるかは、
ほんとにひとそれぞれだ。

田中真知さんはスーダンのダルフール地方にある村について
「至福の山、ジェベル・マッラ」(マッラ山)と題して寄稿している。

スーダンというと、内乱やかわききった砂漠が頭にうかんでくる。
しかし、写真をみるとこの村はきれいな小川のながれる高原地帯にある。
ハルツーム(スーダンの首都)から西に向かう列車に乗ること五日、そこからトラックを乗り継ぎ、山裾の村にたどりついた。山に入る前に、荷を背負わせるために村でロバを買い、ついてきた子ども二人を道案内にして山を登り始めた。といっても、とくに目的地があったわけではなかった。二日目の昼下がり、山間の小さな村にたどりついた。

目的地もないのに、そんな行程を田中さんはよくたどれるものだ。
そして、その村が田中さんにとっての桃源郷だった。

「村での暮らしはシンプルそのものだった。
朝は、村のそばを流れる渓流に水を汲みにいき、
薪にするための枯れ枝を拾い集める。(中略)
午後の暑い時間には川で水浴びをして、
木陰で昼寝をする。そのほかにも市で手にいれた米を川べりで研いだり、
お茶を湧かして飲んだり、村人に食事に招かれて、談笑したりする。
特別なことはなにもない。
でも、(中略)あたりまえのことが驚くほどの充実感に満ちていた」

きっと、この村のひとは、特別なことはなにもない日常を
しずかにくりかえすことにこころから満足しているのだろう。
そうやって、自分のすんでいるところで
すべてがみちたりているとおもえるのは、
なんという幸福だろう。

「ジェベル・マッラ」をよんだときにおもいだしたのは、
海士町(隠岐の島)のキャッチコピー
「ないものはない」だ。
なにもないことをひらきなおっているのではなく、
すべてが「ある」という意味での「ないものはない」。
また、『野宿野郎』の編集長、かとうちあきさんも、
野宿をすることで自分をしばっているものから
自由になれるたのしさをかいている。
みんな、おなじことをいっているのかもしれない。

自分にとっての桃源郷さがしは、
けっきょく自分のすんでいる町がいちばんよかった、
というのがひとつの理想的なゴールだ。
シンプルをとうとぶ価値観のもと、
自分の町で「ないものはない」と
ヘラヘラわらってわたしは生きたい。

posted by カルピス at 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月22日

ありえないゴールの応酬と、右ッチ(ミキッチ)の活躍

Jリーグ29節、サンフレッチェ広島対柏レイソル。
ひるの試合で2位の仙台がかち、首位の広島と勝点がならんだ。
広島としてはまけられないところだ。
レイソルにしても、ACL出場にむけて、
すんなりまけるつもりはないだろう。

広島は先発は2ヶ月ぶりというミキッチが
右サイドバックにはいる。
この試合での広島は、こちらからくずそうと
さかんにミキッチにボールをあつめる。
ミキッチはこまかなフェイントをくりかえし、
なんとか右からクロスをあげようとねばっている。
そこで解説の早野さんがすかさず

「わかっていても右からぬきますからね。
右ッチっていうぐらい」

いつものようにアナウンサーはスルーするけど、
いかにも早野さんらしいコメントがおかしかった。

この試合、前半に1点をあげられても
広島はあわてることなく自分たちのサッカーをつづけている。
そして後半7分、きれいにくずして森崎がゴールをきめ同点に。
そのまま一進一退の攻防がつづきロスタイムにはいった。
もうこれでひきわけだろう、という
ほとんど最後のプレーがレイソルのコーナーキックで、
それがまさかの決勝ゴールとなった。
ジョルジワグネルがけったボールは
ゴール前につめていた増嶋の足に「あたって」ゴールへ。
増嶋はボールにあわせようとしたのではなく、
ほんとうにただボールがあたっただけなのだ。
こんなことがあるからサッカーはほんとにわからない。
ありえないゴールにレイソルはわきたち、
広島はさすがにがっくりきていた。

ただ、3節まえのグランパス戦で、
広島は石原のクロスに森脇が頭であわせたのが
「はいってしまった」ゴールがある。
得点はおなじ1-1でむかえたロスタイム、というところまでいっしょだ。
あのときは、まったく逆の立場で広島はおおさわぎしていた。
ありえないゴールがきまったあとは、
ありえないゴールをきめられる。
サッカーの神様って、ほんとにいるんだ、と感心してしまった。

ありえないゴールに気おちしたのかグランパスは、
そのつぎの試合で新潟に5-0でやぶれている。
首位をあらそう広島は、のこり5試合をどうたたかうだろう。
ありえないゴールはおもしろいけど、
あんまり偶然できまってほしくない気もする。

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2012年10月21日

『さよならをもう一度』中年期のバーグマンがファンとしては複雑

『さよならをもう一度』(1961年・フランス・アメリカ合作)

40歳のポーラ(イングリッド=バーグマン)は
年うえの実業家ロジェ(イヴ=モンタン)と
おたがいに束縛されない関係をつづけているものの、
ロジェのこころはしだいに自分からはなれ、
「まっている女」になっていることに不安をかんじている。
そんなときに、仕事がらみでたまたまであった
25歳の青年フィリップ(アンソニ=パーキンス)にいいよられる。

ポーラは、自由な関係でなければならない、
という恋愛観にしばられており、
そのいっぽうで自分は中年の40歳となり、
うつくしさがおとろえつつあるという、あせりをかんじている。
そしてもちろん、愛するだけでなく、
愛される存在でありたいというねがいをけしさることはできない。

『カサブランカ』ではじめてバーグマンをしったとき、
こんなにうつくしい女性がいるのかとまいってしまった。
完璧な美の象徴として、ながいあいだあこがれのひととなる。
この作品では40歳のポーラとして出演し、
すこしからだにあつみがでているものの、
くちもとをちょっとうえにあげる独特な微笑みが
あいかわらずすてきだ。

しかし、作品としてはけっこうイライラさせられる。
フィリップはストーカーみたいにポーラにつきまとい、
いつまでもまともに仕事をする気になれない。
ロジェはポーラがまってくれるのをいいことに、
ほかの女性にちょっかいをだしてばかり。
ポーラはフィリップにもロジェにも
はっきりした態度をとれない。
わかさをうしないつつある女性の心理は、
男には理解できそうにない。
バーグマンのファンとしては、
年齢のことが頭からはなれないポーラがいたいたしい。
中年となったバーグマンの、体をはった演技といえるかもしれない。

映画のラストでは、オープニングとまったくおなじ場面がくりかえされる。
ロジェからの電話はひっかけで、
ほんとうはポーラをよろこばせるための冗談だった、ならすくわれるけど、
現実はつねにあまくはないことが、この作品の奥ゆきかもしれない。
ロジェとの関係をやりなおし、あっさりフィリップをふったポーラなのに、
状況ななにもかわっていない。
舞台は60年代のパリだけど、
いまリメイクしてもなんの違和感なくみることができそうだ。

posted by カルピス at 17:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月20日

ピピをまた病院へ。なかなかピピの健康がおちつかない

ピピの調子がわるいので病院へ。
3日ほどまえからねている時間
(いまおもえば「うごけない」時間)がながくなり、
きのうからはご飯もあまりたべない。

ただ、ほんの1ヶ月ほどまえにしっぽのケガをしたとき、
カラーをまいてケージにいれるようにいわれたのに、
そとにでたがるピピにまけて先生の指示をまもれなかった。
さいわいキズがきれいになおったけど、
本来なら病院で抜糸をしてもらうところを、
なんだかいきにくくて、わたしが自分で糸をぬいた、という経緯がある。
なにもなかったような顔をして病院をたずね、
「このまえの抜糸はどうされましたか?」
ときかれたときに、
「自分でやりました」
とはちょっといいにくい。

病院にいきにくい、というのは、こんな、
ほんのささいなことでも理由になるもので、
たとえば虐待をした保護者は、なかなか外部の人間に相談しにくいだろう、
なんてことも、ふと頭にうかんできた。心境としては理解できる。
ケガの原因をたずねれば嘘をかさねることになるだろうし、
いちどついた嘘は、さらにほかのいいわけをまねく。

病院へいきにくい心理として、
ピピのしっぽのときのように、あきらかにこっちがわるいけど
なんとなくいきにくくなることのほかに、
先生になにか不本意ないい方をされたり(一方的にきめつけられたり)、
むこうがただしいことはわかっていても(生活習慣病なんかそうだろう)、
なかなかいわれたことをまもりにくいこともある。
病院・先生とのつきあい方は、一筋縄にはいかないことがおおい。
ピピについては、わたしの面子がどうこうよりも、
ピピにげんきになってもらわないと
わたしがつぶれてしまいそうだ。
わたしのためにもピピはずっとげんきでいてもらわないとこまる。

いろいろなことをおもいながらピピをつれて病院へいくと、
受付でさっそく「この子は抜糸がまだでしたね?」と確認される。
「なんとなくとれました」とモゴモゴいうと、
それ以上の追求はなく、第一関門突破というかんじだ。

じっさいの診察では、さすがに先生は大人の対応で、
抜糸をわたしが自分でやったことへのおとがめはまったくなく、
さっとしっぽのなおり具合をみて
「きれいになおりましたね。
まだ一糸のこっているのでとっておきましょうね」
とピピがよくなおったことを率直によろこんでくださった。
ちゃんとケージにいれないと、とか、
抜糸を自分でやるなんて、と
とがめられると、これからさきかよいにくくなるけど、
先生の意識にあるのはいつも目のまえの動物のことであり、
わたしの面子ではない。
わたしがよくない対応をして動物がくるしむことになれば
先生は本気でおこるし、
症状がよくなると、自分のことのようによろこんでくださる。

ピピの様子をみて先生は、
「腎不全かもしれないので、保水をして様子をみましょう」
といわれる。
表情や口のなかの状態、それにくしゃみなどがないことから、
いわゆる「感染症」ではなく、
あるき方にへんなところもないので、ケガでもなさそうだ。
腎臓の病気はネコがよくかかるもので、
以前かっていたネコ(カルピス)も腎不全といわれてから
定期的な保水(点滴で水分をおぎなう)にかよったことがある。

保水をして家にかえるとピピはすこし元気がもどり、
毛づくろいをしたり、家の点検をはじめた。
でも、まだ本調子ではないことはあきらかで、
みている側にとって心配な状態だ。
いまはしずかにみまもるよりなく、
なんとかいつものピピにもどってくれることをねがってからだをなでる。

posted by カルピス at 16:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月19日

ブラジル戦をふりかえって これから再スタート

先日のブラジル戦で完敗したことが
ネットでもいろいろととりざたされている。
おおくの意見は、ブラジルを相手にせめたから
ああいう点差(0−4)になった、というもので、
ひいてまもっているよりもずっといい、という評価だ。
試合後の選手のコメントからも、点差ほどのショックはうかがず、
むしろこれからの奮発材料としてうけとめている。
まけたのはもちろん残念だけど、日本の実力をしるいい機会だった。

まとめてみると、
・つよいブラジルとガチンコで試合できた
 (ブラジルはW杯開催国のため予選が免除されており、
 かずすくない試合でチーム力をたかめる必要がある)
・点差はついたけど、ブラジルのために
 たたかい方をかえたわけではないので、
 自分たちの実力をしることができた
・いまのままでは世界のトップクラスとたたかうちからはない

ということになる。

先日のブログにつづいて本田のコメントを紹介すると、

「ブラジルと初めて戦うことになって、
負けて、何か不思議と悔しさ以上に、
楽しさというものの方を感じていました。
この先、こういう相手を負かすために、
また頑張ることができるな、非常に未来は明るいなと。
明日からの練習が、また楽しみやなって思えるような試合でしたね」

ほかの選手も、まけたショックよりも、
これからさきのことにおもいをはせており、
サポーターとして共感できるまえむきな意識だ。

サッカージャーナリストの宇都宮さんは、
敗戦のダメージがすくなかったことについて
6年前のブラジル戦(※)をひきあいにだしている。
あの時の敗戦 が「ひとつの時代の終わり」であったのに対し、
今回の敗戦は『新たな挑戦のはじまり』を予感させるものであったから。

という評価が、この試合を総括するにふさわしい。
いい時期に、いいまけ方をしたとおもったほうがよく、
これから再スタートをきることとなる。
2年後のW杯ブラジル大会で、
日本がどんなサッカーをみせてくれるかたのしみだ。

(※)この2006年のW杯で、
日本が決勝トーナメントにのこるためには、
ブラジルを相手に3点以上の差でかつ必要があった
(ミッション・インポッシブル、なんていわれていた)。
玉田のゴールで先制したものの、
ロナウドのヘディングをきれいにきめられて同点。
そして後半にはいると簡単に2点をついかされ、とどめをさされる。
試合終了後、中田英寿はしばらくピッチにたおれこんだままで、
けっきょくこの試合が彼の引退試合となった。

posted by カルピス at 19:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月18日

BSSラジオにピピの理事長が出演する

16日のBSSラジオの番組『おしゃほん子育て応援部』に
われわれの代表である高橋克巳が出演した。
スタッフ3人でCDラジカセにむかい、高橋の声に耳をかたむける。
以前から、2ヶ月に1どくらいの頻度で番組によばれ、
「木や」のことをはなしてきたつながりがあったそうだ。
そのおかげで今回こうやってピピについて宣伝する機会を得る。

そう。まったくこれはピピの宣伝だった。
あとで高橋がいっていたけれど、
番組のなかでそこだけポコッとうきあがった異質な10分間だ。
番組とあまり関係のない内容なのに、
こうした場を提供してくださったラジオ局の配慮に感謝したい。
おもちゃをつかって子どもたちに
たのしい時間と場所を提供するピピのとりくみを、
たくさんのひとにしってもらうよい機会となった。

いつものように、高橋は特徴のあるはなし方で
ことばをえらびながらピピのよさを説明する。

良質なおもちゃであそぶことにより、
子どもたちとの信頼関係をきずくこと、
子どもたちもあそびのなかで自信をつみかさねていく、といったピピの特色が
きいているひとにわかりやすくつたわったとおもう。

ピピのめざすこととして高橋は、
安心した環境のなかで子どもたちの可能性を最大限にひきだすこと、
とはなしていた。
ほんとうに、これこそがピピのめざしている姿だ。
関係者ながら、こんなすてきな事業所がちかくにできたことをうれしくおもう。
女性アナウンサーも障害児の状況をよく理解されている方で、
適切な質問で高橋からピピのよさをひきだしてくれた。

「時間をすごせばいいだけでなく、
みとおしをもって行動できるのがすてきですね」

なんて、わかってないとなかなかいえないことばだ。
わたしたちのおもいをくみとっていただけたようでうれしくなる。

番組がおわると、といあわせの電話がなりつづけるかとおもったら、
これまでのところ世間は冷静な反応をしめしている。
一般社会のうごきって、ほんとによめない。

ラジオでピピのことをはなしているという非日常的な出来事なのに、
なんだかあたりまえのような気がする不思議な時間だった。
よい機会をつくってくださった『おしゃほん子育て応援部』の方々に感謝する。

posted by カルピス at 19:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月17日

「しまねe-あきんど公開セミナー」で穴井さん(スモーク・エース)のとりくみをきく 

きのうおこなわれた「しまねe-あきんど公開セミナー」に参加する。
パンフによると、
「しまねe-あきんどは島根のネットショップオーナーで構成される
ネットショップサイト運営に関する勉強会グループ」
ということで、今回の講師には、
宮崎県にある手づくりくんせいの会社「スモーク・エース」の
穴井浩児さんがまねかれている。

穴井さんのおはなしは、ネットショップをつくるときにおさえること、
というよりも、もっと商売全体にかかわるものだった。
どうやってお客さんに「スモーク・エース」のよさをしってもらうかを
穴井さんはずっとかんがえておらえる。
自分たちが感動した「スモーク・エース」商品の味を、
お客さまに「おすそわけ」したい、という精神があり、
それは、お金をかせぎたい、ということだけでは
絶対にうまれないエネルギーとなって
穴井さんたちの仕事をささえている。

「たべてもらえばわかる」と自社の製品に
絶対の自信をもっておられことがなによりのつよみだ。
そして、お客となる対象を
「価格にこだわらない・流行にながされない」層にしぼり、
そのひとたちにむけてていねいに自社の情報を発信しておられる。
お客のおおくはリピーターとなり、
熱心な「スモーク・エース」ファンになってくれる。

もちろんはじめからうまくいっていったわけではなく、
人材教育のための社内勉強会をひらいて
製造・販売・受注処理にかかわる
職員の相互理解をふかめようとしても、
1年半はつめたい反応しかかえってかえってこなかったという。
それでも外部のひとたちから
「スモーク・エース」の職員がやっている仕事は
とてもすばらしいことだと評価されたことで
会社全体の意思統一がはからえるようになる。

穴井さんのおはなしをきいていると、
カリスマ性とか天才的なひらめきはないけれど、
とにかく誠実に仕事とむかいつづけることで
結果をうみだしていることをかんじる。
そうした姿勢がお客さんに理解され、
「スモーク・エース」商品への関心がたかまり、と
どんどんいいサイクルができていく。

「スモーク・エース」がちからをいれているのが
アナログなダイレクトメールという手法だ。
テンプレートを用意するなど、
継続できるしくみをつくってうえで、
「スモーク・エース」ならではの紙面をつくり、
リピーターであるお客さんがたのしみにしたり、
ダイレクトメールをみてネットで注文する、という
ながれをつくりあげている。
食品をあつかう会社にはダイレクトメールが相性がいい、
という穴井さんの判断があり、
ちからをそそいでとりくんでいると
それが「スモーク・エース」という会社の特徴となってくる。

第2部は、しまねe-あきんどの会長、
土江さんとのトークセッションで、
土江さんはまず、
「どのステージをめざすのか」というはなしからはじめ、
そのために

・現状分析
・目標設定
・そのためにどの段階で何をどうとりくむか

をかんがえていく。
あたりまえのことなのに、瞬間的なヒットでおわることもある芸人をたとえに
土江さんが説明すると、すごくわかりやすい。
自分たちのとりくみでも、もういちどみなおしたいとおもう。

穴井さんと土江さんのおなはしをきいていると、
全国には、そして島根にも、
こんなすばらしいとりくみをしているひとがいるとしり、うれしくなる。
政治家や大企業の経営者が、
まるで当事者感覚のない発言をするのにくらべ、
穴井さんや土江さんのもののみかたは地に足がついている。
目さきのことを一生懸命追求していたら、
いつのまにか人類のしあわせにつうじていた、
みたいな世界水準の活動家にみえてきた。

会のおわりに、土江さんが
60年後の島根県の人口がこのままいくと
72万人から18万人になる、という数字を紹介された。
そうしたときに、どうやってお客さんからえらばれるショップになるか、
というはなしだけど、
18万人ではちょっとかんがえただけでも商売になりそうにない。
商売がどうこうより、日本という国が
どうなっているかが心配になる数字だ。
これはまた別の課題というべきだけど、
興味ぶかい数字であり、背中がスースーしてきた。

お客さんにえらばれるためには
まず情報発信、というのが土江さんがかんじておらえることだ。
フェイスブックとのつきあい方にまよいがでてきたときなので、
このままなげだしてしまわないで、
どんな情報をわたしは発信できるかをかんがえていきたい。

posted by カルピス at 19:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月16日

大敗して日本のたち位置をしる。国際親善試合、日本対ブラジル

国際親善試合日本対ブラジル

日本はフランスにかったあとなので、
そしてブラジルも新チームをつくりつつあるあるところで、
おたがいにのびのびとプレーしてくれるだろう。
FIFAランキングではブラジルが14位で日本は24位。

(ブラジルの14位は意外だ。
うえの国をみると、1位から順に
スペイン ドイツ ポルトガル アルゼンチン イングランド 
オランダ ウルグアイ イタリア コロンビア ギリシャ 
グロアチア ロシア フランス そしてブラジルとなっている。
これだけしたにいるのは、ブラジルとしては不本意だろう。
2014年のW杯自国開催の意気ごみが想像される)

ブラジルに、以前のような威圧感はない。
サッカー大国という肩がきにビビることなく、
いまの日本の相対的なちからをしるいい機会だ。

試合開始は日本がおしていた。
でも、ブラジルはすぐにパスをつなぎだす。
緩急をつけたたくみなパスまわし。
ボールをうかせてゴールにせまる立体的な攻撃。

ネイマールとカカをおさえられない。
今野がハンドをとられてPKを献上したり、
ネイマールのキックが吉田麻也のからだにあたって
オウンゴールぎみな得点になったりと、
運もなかったけど、
ポストに2どすくわれもした。

3点目をきめらえると、
あとは日本の攻撃がどこまでつうじるかを
ためす試合となる。
点をとられてもいいから、どれだけせめこめるか。
しかし、ブラジルにスキはなかった。
けっきょく、あれよあれよという間に
4点をいれられる。
ボールを自由にまわされ、まるで大人と子どもの試合だ。
自分たちのちからをしるうえで、W杯まであと2年という、
いい時期での大敗といえるかもしれない。

試合後のインタビューで本田圭佑は
「そりゃ4−0でまければくやしいですよ。
でも、やっていてひさしぶりにたのしい試合でした」
と意外なコメントをのこす。
ほんとにサバサバした表情だ。
課題をのこしたのは最後の精度であり、
攻撃自体には手ごたえをかんじたのだろう。

ブラジルはわかいメンバーが
これから自分たちの色をだしていこうという段階で、
格下のチーム(日本)を相手に手をぬいていたわけではない。
そうしたブラジルと全力でぶつかり、
自分たちのちからのなさをみせつけられた日本は
とてもいい体験ができたといえる。
この試合は、これからの代表が
チームをつくりあげていくうえでの分岐点になりそうだ。

それにしても、このブラジルに対し
こまかくパスをまわしてサッカーをさせなかった
バルセロナのすごさ(2011年クラブワールドカップ決勝)。
日本が「バルセロナのような」と形容されたとしても、
全然レベルがちがうことをおもいしらされた。

posted by カルピス at 23:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

はやおきしてジョギングをはじめる

先週から朝のジョギングをはじめている。
以前から朝型の生活にしたいとおもいながら、
7時すぎにおきるリズムをかえられなかった。
夜の12時すぎまでぐずぐずしてるのがよくないのだ。
いちにちのしめくくりの儀式として、
お酒をのみながらかるい本をながめていると、
すぐに時間がたってしまう。
でも、それがなくてなんの人生か、とひらきなおっていた。

わたしの場合、仕事のはじまりがおそいので、
ほんのちょっとはやくおきるだけで
朝ごはんまえのジョギングにでることができる。
その、「ほんのちょっと」になかなかふみきれずにいた。

きっかけになったのは、佐々木さんのかかれた
「10時まで寝ていた私が
朝4時台に起きられるようになった4つの工夫
」だ。

1 アルコールとカフェインを避ける
2 同じ時間に寝るようにする
3 部屋を明るく、暖かくする
4 やることと得るメリットを決めておく

わたしは、4時におきる必要はないので、
参考にした、というよりも
背なかをおしてくれたかんじだ。

まだはじめて1週間なので、えらそうなことはいえないけれど、
わたしの場合は「4」のメリットをおもうことで
気もちがひきたてられた。
ほんのすこしはやおきすると、
出勤まえに、これまで夜やっていたことを全部すませられる。
そのほうが、圧倒的に気もちよくいちにちをおくれることがわかった。

朝ごはんのまえにジョギングをもってくることで、
そのほかのうごきがずいぶんかわってくる。
トレーニングについていうと、
もうはしることはすんでいるから、
あとは水泳とウェートトレーニングを
あいた時間にいれるだけでいい。
パリマラソンをめざしながら
毎月はしる距離をかせげなかったけれど、
毎朝1時間はしれば、それだけで
目標とする月300キロちかくになる(雨の日ははしらないので)。

朝、お酒がからだにのこっていてははしれない。
そのことをおもうと、これまでかかせなかった
「儀式」としての寝酒をひかえたり、
まったくのまずにすませられるようになった。

こんないい生活はもう手ばなしたくない。
あんまりよくばっていろんなものをくっつけずに、
いまのながれをつづけたい。

posted by カルピス at 12:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月14日

『あたらしい書斎』書斎の機能をはたす空間のつくり方

『あたらしい書斎』(いしたにまさき・インプレスジャパン)

現代における書斎にもとめられる機能として、
本書では以下の3点をあげている。

・こもるための空間
・集中するためのしかけ(イス・机)
・学びや思索の「質を高める」ための本と本棚

この3点をいかすために、デジタルをどうとりいれていくか、
そして、せまい場所での書斎のつくり方など、
著者が自分の書斎をつくるうえで、
有効だった工夫が紹介されている。

とはいえ、うえにあげた3点は、かんがえるまでもない
あたりまえのことにもおもえる。
大切なのは、「書斎」だからとあまりおおげさにかまえないで、
そこにこもると仕事モードになる、という
空間をきめてしまうことのようだ。
仕事に効率よくとりくもためには、
書斎の機能をはたす空間がいるのだ、という
あたりまえだけど重要なことを確認している本、といってもよい。

書斎にはひろい場所が必要というわけではない。
本書では、個室やリビングの一部に
1畳ほどのスペースを確保したという想定で、
せまい空間に書斎をつくる方法が1章もうけられている。
せまければせまいなりに居心地がよさそうで、
著者がすすめるIKEAの家具をおくと
いかにも機能的な書斎ができあがる
(IKEAの製品はデザインがよく、
やすくてカスタマイズしやすいという理由で、
書斎に、子ども部屋に、夫婦のリビングにと、
まるでIKEAのカタログみたいにおおくの製品がとりあげられている)。

わたしがあこがれるのは、
第3の場所(図書館など)を自分の書斎としてつかうスタイルだ。
そんなにおおきくないカバンには
11インチのMacAIRとほぼ日手帳、それに数冊の本がはいっていて、
どこでもくつろげる空間にしてしまう。
どうせたいした仕事をするわけではないから、
本をゆっくりよみました、でおわることがおおそうだけど。

posted by カルピス at 16:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

国選親善試合、日本対フランス 

本田が負傷のため欠場で、前田と岡崎もケガのため招集されていない。
かわりにそれぞれ中村憲剛・ハーフナー=マイク・清武が起用される。
右サイドバックには酒井宏樹がはいった。

たちあがりからフランスは左サイドを起点に
はやいせめでどんどんゴールにちかづいてくる。
日本は水をふくんでよくすべるピッチコンディションに手こずっているようにみえる。
フランスはトラップが確実で、ルーズボールがうまれない。
日本のプレスがかからず圧倒的にせめこまれる。
アウエーで、しかもフランスが相手ということで、
日本は心理的にうけみにまわっているかんじだ。

それでも前編の20分くらいから、日本のパスがまわりはじめた。
なんとか無失点で前半をおえる。
あれだけの攻撃にさらされて、よく無失点でのりきったものだ。

後半17分に憲剛と長谷部が、それぞれ乾と細貝に交代する。
長谷部はこのところずっと試合にでていないそうで、
あきらかにコンディションがよくなさそうだ。
憲剛は彼らしい縦パスを何本かだしていたので
残念な交代だが、好調な乾をみてみたいという
ザッケローニ監督の采配もよくわかる。

この試合をくみたてたのは遠藤だ(いつものことだけど、
しかしフランス相手でさえ)。
相手のリズムをくずしてパスをまわすし、守備にも貢献していた。
後半途中からリベリがはいってくると、
おなじサイドの長友と酒井宏樹が対応する。
ヨーロッパでのプレーになれている長友の存在がすごくたのもしかったし、
酒井も代表でプレーすることが
あたりまえにおもえる存在にそだってきた。

試合終了間際、フランスはたてつづけにチャンスをつくる。
川島のファインセーブで何本もすくわれたあと、
まだフランスのコーナーキックがつづく。
日本はそれでも前線に2人のこして対応していた。
そして、コーナーキック直後のカウンターがきまった。
今野がドリブルでいっきにせめあがり、右サイドの長友へ。
そしてそれをまたゴール前におりかえして中央にいた香川がきめた。
のこり時間はほとんどなく、そのまま日本はまもりきって日本の勝利となる。
11年前におなじ会場(サンドニ)で5-0で大敗したときからの
おおきな進歩を証明する試合となった。

ゴールキーパーの差がそのままでた試合でもあった。
数すくない日本の攻撃を
全部あわやゴールか、というピンチにかえてしまうフランスのキーパー。
いっぽう川島はファインセーブを連発する。
フランスにとって、まけた気がしない試合だっただろう。
日本は16日におこなわれるブラジル戦にはずみをつけることができた。

posted by カルピス at 13:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月12日

iPad用のキーボードを注文する

iPad用のキーボードを注文する。
「bluetoothキーボード内蔵アルミケース 」というもので、
白いiPadにぴったりのかわいらしいキーボードだ。
せっかくiPadをもっているのに、これまであまりつかっておらず、
なんとか活躍してもらおうとおもっていた。
おもにつかっているパソコンと、iPadのファイヤーフォックスを
シンクロさせるソフトをいれたら
つかいがってがかなりよくなった。
これだったらiPadが実用的な道具になるかも、
と期待してのかいものだ。

でも、残念ながらぜんぜんつかえないキーボードだった。
指がへんなところにあたってまともに入力できない。
2000円ほどだから、あまり期待はしていなかったものの、
なんだか夜店のあかりにごまかされて、
やすっぽいおもちゃをつかまされたようなかんじだ。
包装も、ふつうの大型封筒にいれておくられてきた。
これでいい商品だったらそのエコな精神に共感したのだろうけど、
ペラペラのおもちゃみたいなのがでてきたので、
ますます印象がわるくなった。

ほんとうは、iPadでながい文章をうちこみたい場面はあまりなく、
キーボードがそう必要でなかったこともたしかだ。
我慢してつかいつづけ、むりになれる必要はないので、
記念写真をとってから本棚におひきとりしてもらった。
このキーボードはiPadのカバーもかねるようになっていて、
あわせたときのおもさは970グラムと、
MacBook Air11インチの1080グラムとたいしてかわない。
これならだんぜんAirのほうがいい、というのが率直な印象だ。

iPadでメールをうち、フェイスブックにかきこむ、というひとなら
こうやってキーボードで入力するのがいいかもしれない。
わたしがiPadにもとめる機能が、キーボードを必要しないという
そもそものミスマッチがかいもの失敗の原因だ。
それでも、もしうちこみやすいキーボードなら、
必要ないけどたのしい道具としてじゃけんにあつかったりはしない。
みばえだけの、あまりにもおそまつな商品だった。

ネットでキーボードをさがしているときに、
世界でもっともバカバカしいコンセプトを持つ iPad 用キーボード」
というのがみつかった。
タイプライターみたいに、
バーが仮想キーボードをたたいて入力する、というものだ。
記事によると、
最新の製品の取り扱いが苦手な年代の利用者に向けたものだと説明している。タイプライターファンの高い要求に応え、打鍵時の感触も本物のタイプライターに近づけたそうだ。

というのがおかしい。
わたしがかったキーボードよりもあつかいやすそうだ。
1345535251.jpg

posted by カルピス at 20:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする