いっしょにお弁当をたべていたとき、わたしのしりあいが、
たまごやきがだいすきなので、
毎日のお弁当にいれるよう、
奥さんにたのんでいる、というはなしてくれたことがある。
そのことばがずっと頭にのこり、ときどきおもいかえす。
お弁当のたまごやきをたのしみに仕事をする、ということが
すごくまっとうな人生におもえたからだ。
たまごやき、というのがだいじなところで、
これがカラアゲやシューマイだったりすると、
たんなるわがままにかんじられる。
ある年代からうえのものにとって、
たまごやきはささやかなしあわせを実感するものだった。
はやおきをして、からだをうごかす仕事をしたあとに
たのしみにしていたたまごやきいりのお弁当をひらくのが、
とてもうつくしい風景におもえた。
お母さんが子どものために
いろいろ工夫してつくるお弁当もいいけれど、
こんなふうに、奥さんがダンナのために淡々と
(かどうかわからないけど)用意するお弁当は、
平凡な日常生活を一日いちにち
ていねいに生きているかんじがする。
コンビニでかった298円のお弁当や、
マクドナルドのハンバーガーでは絵にならない。
ここはどうしても奥さんがつくってくれた
たまごやきいりのお弁当でなければならない。
このはなしをきいてから、
わたしもイメージとしてのたまごやきを意識するようになった。
わたしにとって大事なのは塩シャケで、
これにたまごやきがあればなおありがたい、という位置づけだ。
夕ごはんのおかずがたくさんあまっていればそれをつめるけど、
なにもなければ冷凍庫に保存してある塩シャケをとりだす。
その日はすこしだけお弁当をたのしみに午前中をすごす。
こうしたささやかなしあわせこそ日常生活のだいごみであることが
この歳になってなんとなくわかってきた。
2012年10月11日
2012年10月10日
お客さんの気をひくサイトとは ハーブショップのサイトをみてまわる
パソコンの師匠からの依頼で、
ハーブ業者のサイトをみてまわる。
ほしい苗をネットで注文するときに、
どういう点を評価してきめるか、という調査だ。
「ひとつのサイトについて、
3つずつ良い点をあげてください」といわれる。
気にいった10業者のリストをつくるために、
かなりのサイトをたずねることになった。
10くらい、すぐにみつかるだろうと簡単におもっていたら、
これが意外にいいサイトがない。
ケバケバしくてわたしの趣味にあわないデザインだったり、
「ご注文のまえにかならずこれをおよみください」
なんていうおしつけがましい注意がきがあると
わたしはもうかう気がおこらない。
苗の在庫についても「残りわずか」
なんてかいてあると気がひけてしまう。
そういう表現でかう側の気もちをせかすのが不愉快だ。
「うりたい!」が全面にでているのも下品でいやだし、
「ちょっとかわったお店です」なんて
はずかしげもなく自慢してあると、
そんなことをかくセンスをうたがってしまう。
ハーブの特徴についても、
いかにも参考書からそのままもってきました、
という文章がおおく、
自分がそのハーブとつきあってきておもうこと、
というものがたりがかんじられない。
よい点を3つあげたいのに、3つ目がきまらないサイトもあった。
よい点がないのだ。
「いいサイトだからかう」というよりも、
「わるくないから」というネガティブなえらびかたとなる。
うりあげに直接ひびいてくるのだから、
もっとうつくしいサイトがおおいのかとおもっていた。
こんなに同業者がたいしたことないのなら、
ちょっと気をくばってサイトをつくれば
すぐに注文が殺到しそうだ。
ひとの気をひいて、かいものカゴにいれてもらい、
レジにむかわせるのは
そんなにむつかしいことなのだろうか。
わたしのこのみがきゅうくつすぎるのかもしれない。
ほかのひとはどんなところを重視して
かいものをきめるのだろう。
師匠からの依頼をうけたひとがあつまって、
検討会がひらかれるという。
いいサイトつくりの参考にできそうで、たのしみだ。
ハーブ業者のサイトをみてまわる。
ほしい苗をネットで注文するときに、
どういう点を評価してきめるか、という調査だ。
「ひとつのサイトについて、
3つずつ良い点をあげてください」といわれる。
気にいった10業者のリストをつくるために、
かなりのサイトをたずねることになった。
10くらい、すぐにみつかるだろうと簡単におもっていたら、
これが意外にいいサイトがない。
ケバケバしくてわたしの趣味にあわないデザインだったり、
「ご注文のまえにかならずこれをおよみください」
なんていうおしつけがましい注意がきがあると
わたしはもうかう気がおこらない。
苗の在庫についても「残りわずか」
なんてかいてあると気がひけてしまう。
そういう表現でかう側の気もちをせかすのが不愉快だ。
「うりたい!」が全面にでているのも下品でいやだし、
「ちょっとかわったお店です」なんて
はずかしげもなく自慢してあると、
そんなことをかくセンスをうたがってしまう。
ハーブの特徴についても、
いかにも参考書からそのままもってきました、
という文章がおおく、
自分がそのハーブとつきあってきておもうこと、
というものがたりがかんじられない。
よい点を3つあげたいのに、3つ目がきまらないサイトもあった。
よい点がないのだ。
「いいサイトだからかう」というよりも、
「わるくないから」というネガティブなえらびかたとなる。
うりあげに直接ひびいてくるのだから、
もっとうつくしいサイトがおおいのかとおもっていた。
こんなに同業者がたいしたことないのなら、
ちょっと気をくばってサイトをつくれば
すぐに注文が殺到しそうだ。
ひとの気をひいて、かいものカゴにいれてもらい、
レジにむかわせるのは
そんなにむつかしいことなのだろうか。
わたしのこのみがきゅうくつすぎるのかもしれない。
ほかのひとはどんなところを重視して
かいものをきめるのだろう。
師匠からの依頼をうけたひとがあつまって、
検討会がひらかれるという。
いいサイトつくりの参考にできそうで、たのしみだ。
2012年10月09日
『未来少年コナン』の再放送がはじまった
『未来少年コナン』の再放送がはじまった。
先週の金曜日、番組予約をしようとテレビをつけたら
予約表にコナンがのっていた。
毎朝7時からサンテレビで放送することになっている。
この日の朝は、第1話のとちゅうからみることになった。
モンスリーたちがのったファルコが
のこされ島に着水するところだ。
この作品は1978年に放送されたものなので、
もう34年もまえのことになってしまった。
わたしがコナンをはじめてみたのは、
NHKが1年半後に再放送したときのものだ。
再放送なので、土日以外は毎日放送される。
毎日放送されなかったらオレはたえられただろうか、
と当時のわたしは自問したのをおぼえている。
それだけつぎの回をみるのがまちどおしく、
最終回の26話がおわったときはかなりのダメージをうけた。
なぜ自分がこんなにこのものがたりに熱中するのかわからずに、
監督の宮崎さんがアニメ雑誌やムックでかたったものをよみあさる。
宮崎さんはチャップリンの映画のよさを
すきなひとのためにつくすことで、
もっとまともな人間になろうとするところにある、とはなしている。
たとえば『モダンタイムス』は、
よく近代文明批判の作品みたいにいわれるが、
そうではなくて、チャップリンはあの女性のためにつくすことで
自分は生きるにあたいするんだ、とおもったのだと宮崎さんはいう。
わたしがコナンをみたあとで呆然としたのは、
コナンがラナを大切にするように、
自分もだれかにつくしたいとおもっていることに気づかされたからだ。
当時18歳だったわたしが、それからラナをみつけられたかというと、
ややこしいはなしになるので(ならないので)ここではふれない。
コナンは宮崎さんがはじめて監督をつとめた作品だ。
絵がうごくおもしろさでみせるという、
アニメの原点をもういちどおもいおこさせることになり、
この作品がおおくのアニメーターに
影響をあたえたことがよくしられている。
コナンたちがとにかくよくうごきまわるので、
絵にまけないよう声優さんたちもたいへんだったというし、
宮崎さんは登場人物になりきって絵コンテをきり、
さいごにはレプカでさえにくめなくなっていたのだそうだ。
ひとつの作品からこれだけ衝撃をうけたことはなく、
わたしにとってわすれられない事件となった。
中年になってしまったいま、
コナンをみたからといってどうなるものでもないが、
毎朝放送されるというとほおっておくわけにいかない。
連続ドラマ予約をいれ、これから毎晩1話ずつみていくことになる。
今回の再放送は、民放ということで
はじめとおわりの歌がカットされているし、まんなかのカタカタはないし、
オープニングのナレーションがはぶかれているけど、
これはまあしょうがないとおもうしかない。
なかみがカットされてないだけありがたい編集だ。
再放送をきめてくれたサンテレビに感謝する。
先週の金曜日、番組予約をしようとテレビをつけたら
予約表にコナンがのっていた。
毎朝7時からサンテレビで放送することになっている。
この日の朝は、第1話のとちゅうからみることになった。
モンスリーたちがのったファルコが
のこされ島に着水するところだ。
この作品は1978年に放送されたものなので、
もう34年もまえのことになってしまった。
わたしがコナンをはじめてみたのは、
NHKが1年半後に再放送したときのものだ。
再放送なので、土日以外は毎日放送される。
毎日放送されなかったらオレはたえられただろうか、
と当時のわたしは自問したのをおぼえている。
それだけつぎの回をみるのがまちどおしく、
最終回の26話がおわったときはかなりのダメージをうけた。
なぜ自分がこんなにこのものがたりに熱中するのかわからずに、
監督の宮崎さんがアニメ雑誌やムックでかたったものをよみあさる。
宮崎さんはチャップリンの映画のよさを
すきなひとのためにつくすことで、
もっとまともな人間になろうとするところにある、とはなしている。
たとえば『モダンタイムス』は、
よく近代文明批判の作品みたいにいわれるが、
そうではなくて、チャップリンはあの女性のためにつくすことで
自分は生きるにあたいするんだ、とおもったのだと宮崎さんはいう。
わたしがコナンをみたあとで呆然としたのは、
コナンがラナを大切にするように、
自分もだれかにつくしたいとおもっていることに気づかされたからだ。
当時18歳だったわたしが、それからラナをみつけられたかというと、
ややこしいはなしになるので(ならないので)ここではふれない。
コナンは宮崎さんがはじめて監督をつとめた作品だ。
絵がうごくおもしろさでみせるという、
アニメの原点をもういちどおもいおこさせることになり、
この作品がおおくのアニメーターに
影響をあたえたことがよくしられている。
コナンたちがとにかくよくうごきまわるので、
絵にまけないよう声優さんたちもたいへんだったというし、
宮崎さんは登場人物になりきって絵コンテをきり、
さいごにはレプカでさえにくめなくなっていたのだそうだ。
ひとつの作品からこれだけ衝撃をうけたことはなく、
わたしにとってわすれられない事件となった。
中年になってしまったいま、
コナンをみたからといってどうなるものでもないが、
毎朝放送されるというとほおっておくわけにいかない。
連続ドラマ予約をいれ、これから毎晩1話ずつみていくことになる。
今回の再放送は、民放ということで
はじめとおわりの歌がカットされているし、まんなかのカタカタはないし、
オープニングのナレーションがはぶかれているけど、
これはまあしょうがないとおもうしかない。
なかみがカットされてないだけありがたい編集だ。
再放送をきめてくれたサンテレビに感謝する。
2012年10月08日
文部省体力調査へのおじさん(後期中年)からの反論
体育の日の恒例として、
今年もまた文部省による体力調査の結果が新聞に紹介されている。
みだしは「運動なし20代=運動あり40代」で、
「運動をしない20代前半の体力は、
ほぼ毎日運動をする40代後半レベル」ということだ。
この表現に、50代前半の中年としてわたしはひっかかった。
ニュアンスが、若者のほうにおかれていて、
運動をしないと中年なみのなさけない体力になりますよ、
といっているかんじでおもしろくない。
運動をしている中年側からいわせてもらうと、
なにもしない20代とおなじだなんて、ふざけてもらってはこまる。
この体力調査は握力・垂直とび・50メートル走など、
瞬発力をみる種目ばかりで、
持久力をふくめた総合的な体力をあらわしてはいない。
簡単に調査ができるように種目をえらんでいるそうで、
たしかになんらかの数字はでてくるだろうが、
いかにも調査のための調査であり、
それがしめす数字からよみとれるものはなにもない。
都道府県別の調査結果が何年かまえに発表されたことがあり、
都会の子どもたちよりも田舎でそだつ子どもたちのほうが
体力にすぐれるはず、と予想されていたのに、
結果はそうなってはいなかった。
地方都市は車がおおく、安全にあそぶことができないとか、
都会の子のほうがととのったスポーツ環境にあるとか、
いろんなことがいわれたけど、たしかなことはなにもわからない。
すべての発言は想像でしかなく、
わたしがおじさんのヒガミみたいなことをかくのと
にたりよったりだ。
なんでこんな調査がいつまでも
もっともらしくおこなわれているのか理解にくるしむ。
そもそも体力とはなにか。
体力というときにわたしがおもいえがくのは
瞬発力・柔軟性・筋力・持久力であり、
文部省の調査でもいちおうそうなってはいるけれど、
その種目はそれぞれのちからを正確に反映しているだろうか。
また、簡単に実施できることばかりを重視すると、
実施方法と記録のとり方によっては、
数字に信ぴょう性がなくなってくる。
ここはどうしても記録員の質をたかめるために
統一された研修が必要になってくる。
調査対象も、裁判員制度のように、
各年代から無作為にえらばなければ、
正確な数字を得ることができない。
ケガに気をくばって、じゅうぶんな準備のもとに
あらゆる面の体力をしらべてほしいものだ。
あんまりこまかくやりすぎると、
国体やオリンピックみたいになってくるので、
たとえばドッジボールを体力調査の正式種目としてとりいれ、
年代別・都道府県別で対戦すると
総合的な体力をより正確につかめるのではないかとおもう。
島根県は、U-20がよわいのに、U-50ではトップレベルだったりして。
今年もまた文部省による体力調査の結果が新聞に紹介されている。
みだしは「運動なし20代=運動あり40代」で、
「運動をしない20代前半の体力は、
ほぼ毎日運動をする40代後半レベル」ということだ。
この表現に、50代前半の中年としてわたしはひっかかった。
ニュアンスが、若者のほうにおかれていて、
運動をしないと中年なみのなさけない体力になりますよ、
といっているかんじでおもしろくない。
運動をしている中年側からいわせてもらうと、
なにもしない20代とおなじだなんて、ふざけてもらってはこまる。
この体力調査は握力・垂直とび・50メートル走など、
瞬発力をみる種目ばかりで、
持久力をふくめた総合的な体力をあらわしてはいない。
簡単に調査ができるように種目をえらんでいるそうで、
たしかになんらかの数字はでてくるだろうが、
いかにも調査のための調査であり、
それがしめす数字からよみとれるものはなにもない。
都道府県別の調査結果が何年かまえに発表されたことがあり、
都会の子どもたちよりも田舎でそだつ子どもたちのほうが
体力にすぐれるはず、と予想されていたのに、
結果はそうなってはいなかった。
地方都市は車がおおく、安全にあそぶことができないとか、
都会の子のほうがととのったスポーツ環境にあるとか、
いろんなことがいわれたけど、たしかなことはなにもわからない。
すべての発言は想像でしかなく、
わたしがおじさんのヒガミみたいなことをかくのと
にたりよったりだ。
なんでこんな調査がいつまでも
もっともらしくおこなわれているのか理解にくるしむ。
そもそも体力とはなにか。
体力というときにわたしがおもいえがくのは
瞬発力・柔軟性・筋力・持久力であり、
文部省の調査でもいちおうそうなってはいるけれど、
その種目はそれぞれのちからを正確に反映しているだろうか。
また、簡単に実施できることばかりを重視すると、
実施方法と記録のとり方によっては、
数字に信ぴょう性がなくなってくる。
ここはどうしても記録員の質をたかめるために
統一された研修が必要になってくる。
調査対象も、裁判員制度のように、
各年代から無作為にえらばなければ、
正確な数字を得ることができない。
ケガに気をくばって、じゅうぶんな準備のもとに
あらゆる面の体力をしらべてほしいものだ。
あんまりこまかくやりすぎると、
国体やオリンピックみたいになってくるので、
たとえばドッジボールを体力調査の正式種目としてとりいれ、
年代別・都道府県別で対戦すると
総合的な体力をより正確につかめるのではないかとおもう。
島根県は、U-20がよわいのに、U-50ではトップレベルだったりして。
2012年10月07日
ガンバがベガルタにやぶれる。さきがみえない残留あらそい
10月6日におこなわれたJリーグ第28節、
ガンバ大阪対ベガルタ仙台をみる。
ベガルタは優勝のために、ガンバは残留あらそいのために、
両者ともかち点3が必要で、おたがいにまけられない試合だった。
その反映か、両チームともに慎重なはいりかたで、
後半30分まで膠着した状態がつづく。
そこからたてつづけに得点したのはベガルタで、
リャン=ヨンギの正確なキックを起点に
たびたびガンバのゴールをおびやかす。
試合はけっきょく1−2で、ガンバとしては
いたい黒星となった。
ガンバはのこり6試合で残留あらそいからぬけださなくてはならない。
絶体絶命ではないものの、
現時点で17位と残留の有力候補であることにまちがいない。
残留あらそいをしている下位の4チーム(降格のきまった札幌はのぞく)
のこれからの対戦相手をみてみると、
ガンバ:川崎・広島・柏・清水・東京・磐田
アルビレックス新潟:大宮・鳥栖・清水・川崎・仙台・札幌
大宮アルディージャ:新潟・柏・鹿島・セレッソ・磐田・清水
ヴィッセル神戸:清水・川崎・横浜・東京・柏・広島
となっている。
優勝やACL、それに残留あらそいと関係のないチームとの対戦が
おおければ有利なわけだけど、
ざっとみたところでは、これからの日程でとくにめぐまれたチームはない。
どのチームも、残留をかけた直接対決や、上位チームとの対戦がまっている。
4チームとも試合をするのが清水エスパルスで、
4試合とも清水のホームゲームとしておこなわれる。
今シーズンの対戦結果をみると、神戸が0−1でまけている以外、
あとの3チームはいずれも清水にかっている。
ACLへの参加をかけて、エスパルスがホームでかち点をのばすだろうか。
なんだかんだいっても、勝負はなにが影響するかわからない。
きのうの試合では、ギリギリで優勝をねらえる圏内にいる浦和レッズが、
降格のきまったコンサドーレ札幌に1−2でやぶれている。
また、ACL出場をめざしていたはずの名古屋は、
大宮とスコアレスドローだ(前前節の広島戦で、
ロスタイムにありえないまけ方をしたのがよっぽどこたえたのだろう)。
今シーズンの名古屋はもうがんばりそうになく、
これから名古屋とあたるチームはラッキーだけど、
残念ながら残留あらそいの4チームとも名古屋との対戦はない。
精神力のはなしはしたくないが、
これからはデーターよりも、プレッシャーにまけない気もちや、
降格したくないという意地がおおきく影響するだろう。
これからさき、どれだけ「ありえないこと」がおこり、
J1、J2の順位表がどうなっていくのか興味ぶかい。
ガンバ大阪対ベガルタ仙台をみる。
ベガルタは優勝のために、ガンバは残留あらそいのために、
両者ともかち点3が必要で、おたがいにまけられない試合だった。
その反映か、両チームともに慎重なはいりかたで、
後半30分まで膠着した状態がつづく。
そこからたてつづけに得点したのはベガルタで、
リャン=ヨンギの正確なキックを起点に
たびたびガンバのゴールをおびやかす。
試合はけっきょく1−2で、ガンバとしては
いたい黒星となった。
ガンバはのこり6試合で残留あらそいからぬけださなくてはならない。
絶体絶命ではないものの、
現時点で17位と残留の有力候補であることにまちがいない。
残留あらそいをしている下位の4チーム(降格のきまった札幌はのぞく)
のこれからの対戦相手をみてみると、
ガンバ:川崎・広島・柏・清水・東京・磐田
アルビレックス新潟:大宮・鳥栖・清水・川崎・仙台・札幌
大宮アルディージャ:新潟・柏・鹿島・セレッソ・磐田・清水
ヴィッセル神戸:清水・川崎・横浜・東京・柏・広島
となっている。
優勝やACL、それに残留あらそいと関係のないチームとの対戦が
おおければ有利なわけだけど、
ざっとみたところでは、これからの日程でとくにめぐまれたチームはない。
どのチームも、残留をかけた直接対決や、上位チームとの対戦がまっている。
4チームとも試合をするのが清水エスパルスで、
4試合とも清水のホームゲームとしておこなわれる。
今シーズンの対戦結果をみると、神戸が0−1でまけている以外、
あとの3チームはいずれも清水にかっている。
ACLへの参加をかけて、エスパルスがホームでかち点をのばすだろうか。
なんだかんだいっても、勝負はなにが影響するかわからない。
きのうの試合では、ギリギリで優勝をねらえる圏内にいる浦和レッズが、
降格のきまったコンサドーレ札幌に1−2でやぶれている。
また、ACL出場をめざしていたはずの名古屋は、
大宮とスコアレスドローだ(前前節の広島戦で、
ロスタイムにありえないまけ方をしたのがよっぽどこたえたのだろう)。
今シーズンの名古屋はもうがんばりそうになく、
これから名古屋とあたるチームはラッキーだけど、
残念ながら残留あらそいの4チームとも名古屋との対戦はない。
精神力のはなしはしたくないが、
これからはデーターよりも、プレッシャーにまけない気もちや、
降格したくないという意地がおおきく影響するだろう。
これからさき、どれだけ「ありえないこと」がおこり、
J1、J2の順位表がどうなっていくのか興味ぶかい。
2012年10月06日
きさくな好青年だった「アナザースカイ」での中田さん
ゆうべの「アナザースカイ」(日本テレビ)には、
スペシャルゲストとして中田英寿さんがまねかれていた。
現役時代の中田さんは、すごくとっつきにくいひとだった。
試合後のインタビューで、
「いろいろ課題がみえてきた試合だったとおもいますが?」
とはなしをむけられても
「それで?」とつめたくこたえて相手をこまらせる。
それが、この番組ではなんでもはなしてくれるきさくな好青年だ。
ピリピリした雰囲気がなく、
司会の今田耕司さんがたずねることに
ごくふつうにこたえている。
これもまた計算された演出なのだろうとおもいつつ、
だれとでも気がるにはなす中田さんに好印象をもつ。
引退から6年たち、その直後からはじめた「旅」で
中田さんは世界中をめぐっている。
番組ではミャンマーとブラジルをたずね、
そこでの友人たちのと再会のようすが紹介された。
5年ぶりにおとずれたミャンマーでは、
女子代表の練習を見学している。
彼女たちは2000〜3000ドル(年)うけとっているプロ選手で、
日本の選手みたいにアルバイトをしなくてもいい環境なのがすごい。
チームを指導するのは日本サッカー協会から派遣された日本人監督だ。
外国で指揮をとる日本人監督はそんなにいないとおもうけど、
女子サッカー界では日本は先進国なのだろうか。
ミャンマーの変化には中田さんもおどろいていた。
おおきなショッピングセンターができ、
店内はまるでタイやマレーシアみたいな雰囲気だ。
ごうかなレジャー施設や、一流レストランもあり、
すこしまえのミャンマーとはぜんぜんちがう国になっているようだ。
民主化のながれをもうおしとどめることはできないだろう。
ブラジルでは元ブラジル代表のロナウド氏をたずねている。
でっぷりふとったひとのよさそうなおじさんになっていて、
むかしのおもかげがほとんどない。
サッカーでかせいだお金をつぎこんで
あたらしくビジネスをはじめているそうだ。
サッカー選手は、引退してからもまだながい時間がのこっており、
引退イコール隠居生活とはならない。
サッカーとかかわりながら生きるひともいるし、
中田さんやロナウド氏みたいに、
それまでとはちがうことにとりくんで、
人生をどうやって自分のものとするのか、さぐっているひともいる。
番組のなかで中田さんがはなしているように、
サッカーにはほかのスポーツや芸術にない特別なちからがある。
中田さんには、そのサッカー文化を
中田さん流に発展させてほしい。
大規模な事業でなくても、はなやかなとりくみでなくても、
いまの「旅」をサッカーにいかしてもらえることに期待したい。
スペシャルゲストとして中田英寿さんがまねかれていた。
現役時代の中田さんは、すごくとっつきにくいひとだった。
試合後のインタビューで、
「いろいろ課題がみえてきた試合だったとおもいますが?」
とはなしをむけられても
「それで?」とつめたくこたえて相手をこまらせる。
それが、この番組ではなんでもはなしてくれるきさくな好青年だ。
ピリピリした雰囲気がなく、
司会の今田耕司さんがたずねることに
ごくふつうにこたえている。
これもまた計算された演出なのだろうとおもいつつ、
だれとでも気がるにはなす中田さんに好印象をもつ。
引退から6年たち、その直後からはじめた「旅」で
中田さんは世界中をめぐっている。
番組ではミャンマーとブラジルをたずね、
そこでの友人たちのと再会のようすが紹介された。
5年ぶりにおとずれたミャンマーでは、
女子代表の練習を見学している。
彼女たちは2000〜3000ドル(年)うけとっているプロ選手で、
日本の選手みたいにアルバイトをしなくてもいい環境なのがすごい。
チームを指導するのは日本サッカー協会から派遣された日本人監督だ。
外国で指揮をとる日本人監督はそんなにいないとおもうけど、
女子サッカー界では日本は先進国なのだろうか。
ミャンマーの変化には中田さんもおどろいていた。
おおきなショッピングセンターができ、
店内はまるでタイやマレーシアみたいな雰囲気だ。
ごうかなレジャー施設や、一流レストランもあり、
すこしまえのミャンマーとはぜんぜんちがう国になっているようだ。
民主化のながれをもうおしとどめることはできないだろう。
ブラジルでは元ブラジル代表のロナウド氏をたずねている。
でっぷりふとったひとのよさそうなおじさんになっていて、
むかしのおもかげがほとんどない。
サッカーでかせいだお金をつぎこんで
あたらしくビジネスをはじめているそうだ。
サッカー選手は、引退してからもまだながい時間がのこっており、
引退イコール隠居生活とはならない。
サッカーとかかわりながら生きるひともいるし、
中田さんやロナウド氏みたいに、
それまでとはちがうことにとりくんで、
人生をどうやって自分のものとするのか、さぐっているひともいる。
番組のなかで中田さんがはなしているように、
サッカーにはほかのスポーツや芸術にない特別なちからがある。
中田さんには、そのサッカー文化を
中田さん流に発展させてほしい。
大規模な事業でなくても、はなやかなとりくみでなくても、
いまの「旅」をサッカーにいかしてもらえることに期待したい。
2012年10月05日
Mac Book Airは11インチか13インチか
おそらくたくさんのひとがなやんでいる問題に、
Mac Book Airは11インチか13インチかという選択がある。
いったんはどちらかにきめても、
すぐにまたぐらついてしまうほど
両者はそれぞれアピールしてくる点が微妙で、
決定的な判断材料となりにくい面がある。
かんたんに整理してみると、
おもさ・おおきさ・解像度・バッテリーのもち・SDカードスロット
について、それぞれすこしずつ13インチがうわまわる。
それが自分にとってどれだけ重要か、できめればいいわけだけど、
決定的な差としてあらわれていないぶん
あーだこーだといつまでもなやむことになる。
さらにいえば値段・Core i5か、Core i7か・ストレージの容量と、
まよう材料はいくらでもでてくる。
もちろんちいさいほうが、もちはこびについて楽なわけだけど、
つかうぶんには13インチのがすぐれている。
わたしは、11インチはさすがにちいさすぎる、とおもっていたら、
老眼鏡をつくると、ちいさくてもぜんぜん問題ではないことに気がついた。
これでもうなやまなくてもいい、とよろこんでいたのに、
レビューをよんでいると13インチの魅力もすてがたい気がして・・・、と
おなじところをグルグルまわっている。
この問題についての記事はおおく、
それぞれにまたなやみを複雑にしてくれる。
いまいちばんわたしの背なかをおしているコメントは、
「みっきー」さんのレビューだ。
「何だかんだ言ってますが、結論は
『11インチを買って良かった!』です。
11インチは『コンパクトで手軽にチョイチョイ使える』。
これが一番の魅力です。(中略)
常に持ち歩ける便利さ、すぐに使える便利さが手に入りました!
『携帯電話か!』ってくらい一緒に持ち歩いてます。
ここまで家庭内でノマドするとは、予想外でした」
うーん、家庭内ノマドか。かなりグラッときた。
Mac Book Airは11インチか13インチかという選択がある。
いったんはどちらかにきめても、
すぐにまたぐらついてしまうほど
両者はそれぞれアピールしてくる点が微妙で、
決定的な判断材料となりにくい面がある。
かんたんに整理してみると、
おもさ・おおきさ・解像度・バッテリーのもち・SDカードスロット
について、それぞれすこしずつ13インチがうわまわる。
それが自分にとってどれだけ重要か、できめればいいわけだけど、
決定的な差としてあらわれていないぶん
あーだこーだといつまでもなやむことになる。
さらにいえば値段・Core i5か、Core i7か・ストレージの容量と、
まよう材料はいくらでもでてくる。
もちろんちいさいほうが、もちはこびについて楽なわけだけど、
つかうぶんには13インチのがすぐれている。
わたしは、11インチはさすがにちいさすぎる、とおもっていたら、
老眼鏡をつくると、ちいさくてもぜんぜん問題ではないことに気がついた。
これでもうなやまなくてもいい、とよろこんでいたのに、
レビューをよんでいると13インチの魅力もすてがたい気がして・・・、と
おなじところをグルグルまわっている。
この問題についての記事はおおく、
それぞれにまたなやみを複雑にしてくれる。
いまいちばんわたしの背なかをおしているコメントは、
「みっきー」さんのレビューだ。
「何だかんだ言ってますが、結論は
『11インチを買って良かった!』です。
11インチは『コンパクトで手軽にチョイチョイ使える』。
これが一番の魅力です。(中略)
常に持ち歩ける便利さ、すぐに使える便利さが手に入りました!
『携帯電話か!』ってくらい一緒に持ち歩いてます。
ここまで家庭内でノマドするとは、予想外でした」
うーん、家庭内ノマドか。かなりグラッときた。
2012年10月04日
覚醒植物カートをたのしむ平和なソマリランド人
「web本の雑誌」で高野秀行さんが連載している
『謎の独立国家ソマリランド』に、「知られざる覚醒植物カート」
としてソマリランドのカート文化が紹介されている。
カートとは、ソマリランドのひとがこのんで口にする植物で、
ここちよい覚醒作用があるそうだ。
午後になるとソマリランドのひとたちは
高野さんいうところの「カート居酒屋」で「カート宴会」をひらくので、
いちにちの半分は仕事をしていない状況になる。
カートをたべるとどうなるかというと、
「体の芯が熱くなり、意識がすっと上に持ち上がるような感じがする。
昔は合法だったタイのドラッグ『ヤーバー』
(覚醒剤、アンフェタミン)に似ているが、
ある意味ではもっと強い効き目がある。
カートにはアンフェタミンにはない
『人恋しさ』という効果があるからだ。(中略)
近くにいる人に、思いついたことをなんでもかんでも話しかけたくなる。
言葉がよく通じないとか、こんなことを急に訊いたら
相手が嫌な顔をするんじゃないかという、
素面のときの躊躇が春の雪のように溶けてなくなる。
向こうもそうだから、あたかも国籍や民族や立場の違いなどが
一時的に消えてなくなるような錯覚に陥るのである。
酒みたいだが、酒とちがうのは
カートでは意識の明晰さが失われない点だ。
車の運転手が眠気覚ましと集中力持続に使うことからも
それはわかるだろう。そして記憶を失うこともない」
覚醒剤や麻薬などのドラッグをイメージすると
すさんだ光景になるが、
カートはもっとのんびりしたものみたいだ。
「胃から消化吸収するため、
効き始めるのに30分から1時間もかかる。(中略)
効くまでは頑張って食わねばならない。
この時間帯は髭面のいかつい男たちが
牛か馬のように一心不乱に葉っぱをかじる。
相当に異様な光景なので、初めての宮澤(カメラマン)は
『これがほんとの草食系男子だね』と驚き呆れた」
「草食系男子」がうまい。
男たちががんばって葉っぱをかじる風景を想像すると、
ドラッグで生活をめちゃくちゃにするのではなく、
平和のために草をはんでるようでおかしくなる。
領土問題がややこしくなっているいまの東アジアに、
カートのような平和ドラッグがあればいいけど。
『謎の独立国家ソマリランド』に、「知られざる覚醒植物カート」
としてソマリランドのカート文化が紹介されている。
カートとは、ソマリランドのひとがこのんで口にする植物で、
ここちよい覚醒作用があるそうだ。
午後になるとソマリランドのひとたちは
高野さんいうところの「カート居酒屋」で「カート宴会」をひらくので、
いちにちの半分は仕事をしていない状況になる。
カートをたべるとどうなるかというと、
「体の芯が熱くなり、意識がすっと上に持ち上がるような感じがする。
昔は合法だったタイのドラッグ『ヤーバー』
(覚醒剤、アンフェタミン)に似ているが、
ある意味ではもっと強い効き目がある。
カートにはアンフェタミンにはない
『人恋しさ』という効果があるからだ。(中略)
近くにいる人に、思いついたことをなんでもかんでも話しかけたくなる。
言葉がよく通じないとか、こんなことを急に訊いたら
相手が嫌な顔をするんじゃないかという、
素面のときの躊躇が春の雪のように溶けてなくなる。
向こうもそうだから、あたかも国籍や民族や立場の違いなどが
一時的に消えてなくなるような錯覚に陥るのである。
酒みたいだが、酒とちがうのは
カートでは意識の明晰さが失われない点だ。
車の運転手が眠気覚ましと集中力持続に使うことからも
それはわかるだろう。そして記憶を失うこともない」
覚醒剤や麻薬などのドラッグをイメージすると
すさんだ光景になるが、
カートはもっとのんびりしたものみたいだ。
「胃から消化吸収するため、
効き始めるのに30分から1時間もかかる。(中略)
効くまでは頑張って食わねばならない。
この時間帯は髭面のいかつい男たちが
牛か馬のように一心不乱に葉っぱをかじる。
相当に異様な光景なので、初めての宮澤(カメラマン)は
『これがほんとの草食系男子だね』と驚き呆れた」
「草食系男子」がうまい。
男たちががんばって葉っぱをかじる風景を想像すると、
ドラッグで生活をめちゃくちゃにするのではなく、
平和のために草をはんでるようでおかしくなる。
領土問題がややこしくなっているいまの東アジアに、
カートのような平和ドラッグがあればいいけど。
2012年10月03日
『田舎暮らしはじめました』(グレゴリ青山)旅行者のように田舎ぐらしをたのしむ
『田舎暮らしはじめました』(グレゴリ青山・メディアファクトリー)
グレゴリ青山さん(マンガ家・女性)が和歌山県の山奥の村に家をかり、
夫と2人で4年間くらしたときの体験記だ。
著者はとくに田舎ぐらしに関心があったわけではなく、
東京のバカだかい家賃(2kで9万円)にいやけがさしていたときに、
元かやぶきで、いまはトタン屋根のふるい民家
(そのうえに300坪の畑と、はなれ、それに牛小屋もついて)
を5000円でかりれることになったのが
田舎ぐらしをはじめたきっかけだ。
夫のヨコチンさんは建設模型をつくるのが仕事だし、
グレゴリ青山はマンガ家と、農業で生活していくわけではなく、
ただすむところが田舎にある、ということだから、
田舎ぐらしとしてのスタートがきりやすいかもしれない。
あとは、村のひとにうけいれてもらえるかで、
これも「よそもの」と位置づけられてしまえば
あんがい気楽な存在でいられるみたいだ。
本のなかでもなんどかでたことばに「旅行者」がある。
わたしがグレゴリ青山さんをしったのは
バックパッカーの生態をえがいた『旅のグ』からで、
それ以降の本も、この人の発想は、もっぱら旅行者目線のものだ。
この本も「旅行記として読んで下されば」とか、
「都会では出来ない体験を
いっぱい出来た4年間は
”暮らし”というより”旅”に似ていた」とかあり、
いわば旅行者としての田舎体験であることを
本人たちがいちばんよく認識している。
旅行者として畑しごとを体験し、
旅行者として田舎の春のうつくしさに感激する。
これはこれで、田舎ぐらしのひとつの方法だ。
もっとふかくはいっていきたかったら
自治会にはいったり、村ではたらいたりしたらいい。
村のひととの距離感は、いろいろあってもいいとおもった。
おなじ村にすむ「よそからきたものどうし」で
おもいっきりしゃべったあと、
「久々にあいさつと天気以外の話した気がするな」
といい、その雰囲気をゲストハウスのドミトリーで
日本人旅行者とはなしたときにたとえるのだから、
ほんとうに旅行者としての存在だったのだろう。
グレゴリ青山さんたちは、けっきょく4年間この家でくらしたのち、
もうすこし都会にちかい田舎へひっこしている。
こんどは「かりる」のではなく、家をかっているので、
これからの生活は旅行者目線をはなれるだろうか。
わたしの配偶者の実家は、松江から50キロはなれた掛合なので、
田舎で家をさがすまでもなく、わたしはすでに
田舎ぐらしの条件を得ていることになる。
しかし、田舎とはいってもすぐちかくをおおきな国道がはしっているし、
あるいて5分のところにローソンもできた。
ぜんぜん田舎らしくないので、これまで田舎ぐらしなんてことを
かんがえたことがなかった。
ひろすぎるほどの自給畑はあるし(田んぼはないけど)、
マキでお風呂をたくこともできる。
納屋にはチェーンソーや草刈機があたりまえにおいてある。
やろうとおもえば、すぐにでも田舎ぐらしをはじめられる状況だ。
とはいえ、わたしの意思だけでなく、
親たち、そしてわたしたち夫婦が歳をとることで、
できること・できないこと・しなければならないことが
ある程度かってにきまっていきそうな気がする。
環境のせいにするのはずるい態度かもしれないが、
なるようにしかならない、というかんがえ方もまた、わたしはすきだ。
グレゴリ青山さん(マンガ家・女性)が和歌山県の山奥の村に家をかり、
夫と2人で4年間くらしたときの体験記だ。
著者はとくに田舎ぐらしに関心があったわけではなく、
東京のバカだかい家賃(2kで9万円)にいやけがさしていたときに、
元かやぶきで、いまはトタン屋根のふるい民家
(そのうえに300坪の畑と、はなれ、それに牛小屋もついて)
を5000円でかりれることになったのが
田舎ぐらしをはじめたきっかけだ。
夫のヨコチンさんは建設模型をつくるのが仕事だし、
グレゴリ青山はマンガ家と、農業で生活していくわけではなく、
ただすむところが田舎にある、ということだから、
田舎ぐらしとしてのスタートがきりやすいかもしれない。
あとは、村のひとにうけいれてもらえるかで、
これも「よそもの」と位置づけられてしまえば
あんがい気楽な存在でいられるみたいだ。
本のなかでもなんどかでたことばに「旅行者」がある。
わたしがグレゴリ青山さんをしったのは
バックパッカーの生態をえがいた『旅のグ』からで、
それ以降の本も、この人の発想は、もっぱら旅行者目線のものだ。
この本も「旅行記として読んで下されば」とか、
「都会では出来ない体験を
いっぱい出来た4年間は
”暮らし”というより”旅”に似ていた」とかあり、
いわば旅行者としての田舎体験であることを
本人たちがいちばんよく認識している。
旅行者として畑しごとを体験し、
旅行者として田舎の春のうつくしさに感激する。
これはこれで、田舎ぐらしのひとつの方法だ。
もっとふかくはいっていきたかったら
自治会にはいったり、村ではたらいたりしたらいい。
村のひととの距離感は、いろいろあってもいいとおもった。
おなじ村にすむ「よそからきたものどうし」で
おもいっきりしゃべったあと、
「久々にあいさつと天気以外の話した気がするな」
といい、その雰囲気をゲストハウスのドミトリーで
日本人旅行者とはなしたときにたとえるのだから、
ほんとうに旅行者としての存在だったのだろう。
グレゴリ青山さんたちは、けっきょく4年間この家でくらしたのち、
もうすこし都会にちかい田舎へひっこしている。
こんどは「かりる」のではなく、家をかっているので、
これからの生活は旅行者目線をはなれるだろうか。
わたしの配偶者の実家は、松江から50キロはなれた掛合なので、
田舎で家をさがすまでもなく、わたしはすでに
田舎ぐらしの条件を得ていることになる。
しかし、田舎とはいってもすぐちかくをおおきな国道がはしっているし、
あるいて5分のところにローソンもできた。
ぜんぜん田舎らしくないので、これまで田舎ぐらしなんてことを
かんがえたことがなかった。
ひろすぎるほどの自給畑はあるし(田んぼはないけど)、
マキでお風呂をたくこともできる。
納屋にはチェーンソーや草刈機があたりまえにおいてある。
やろうとおもえば、すぐにでも田舎ぐらしをはじめられる状況だ。
とはいえ、わたしの意思だけでなく、
親たち、そしてわたしたち夫婦が歳をとることで、
できること・できないこと・しなければならないことが
ある程度かってにきまっていきそうな気がする。
環境のせいにするのはずるい態度かもしれないが、
なるようにしかならない、というかんがえ方もまた、わたしはすきだ。
2012年10月02日
『先送りせずにすぐやる人に変わる方法』(佐々木正悟)の大どんでんがえし
『先送りせずにすぐやる人に変わる方法』(佐々木正悟・中経の文庫)
タイトルだけをみると、「ただしいひと」になることをめざす
わたしがきらいなタイプの本におもえる。
でも、佐々木正悟さんがお金の不安についてシゴタノにかかれた
をよみ、
このひとの人生観は、わたしにあっていることをかんじた。
ほんとうに、損になることがわかっていてもえらぶことがある。
それでもえらぶから自由、ということにすごく納得できた。
本書では、「すくやる人」にかわる55の方法がとりあげられている。
「未来の自分に期待しない」
「朝一でやる」
など、ささやかだけど、たしかに効果がありそうな方法だ。
わたしがいいとおもったのは
「やりたいことを増やさない」で、
それに関連して、
というアドバイスもたしかに腑におちる。
とはいえ、率直にいって、55もある方法をよんでみたものの、
おもしろくはよめたが、
「すぐにやろう」とこころをうごかされたものはない。
こうした実用書を、ただよみものとしてたのしむのは
いちばんよくない読者だろう。
「おわりに」で、佐々木さんは大どんでんがえしをうつ。
佐々木さんはすごく正直なひとだ。
わたしはそのアドバイスにしたがい、
いいとこどりをして、部分的な「すぐやる人」をめざそうとおもう。
タイトルだけをみると、「ただしいひと」になることをめざす
わたしがきらいなタイプの本におもえる。
でも、佐々木正悟さんがお金の不安についてシゴタノにかかれた
日、1日と貯金が目減りしていく中で、ブログなど書いていられるかと当然、思う日が来るでしょう。けれども私のようにぬるま湯に浸かって生きてきた人間でも、定義上知らざるを得ないことがありました。自由とは、合理的ではない理由でも選択するから、自由なのです。
をよみ、
このひとの人生観は、わたしにあっていることをかんじた。
ほんとうに、損になることがわかっていてもえらぶことがある。
それでもえらぶから自由、ということにすごく納得できた。
本書では、「すくやる人」にかわる55の方法がとりあげられている。
「未来の自分に期待しない」
「朝一でやる」
など、ささやかだけど、たしかに効果がありそうな方法だ。
わたしがいいとおもったのは
「やりたいことを増やさない」で、
それに関連して、
なるべく多くの夢を実現させようという本もありますが、実際問題、できないのです。だから、やらないことを決めるのも手です。(中略)
やらないことを決めることで、やれるようになる、ということも覚えておいてください。
というアドバイスもたしかに腑におちる。
とはいえ、率直にいって、55もある方法をよんでみたものの、
おもしろくはよめたが、
「すぐにやろう」とこころをうごかされたものはない。
こうした実用書を、ただよみものとしてたのしむのは
いちばんよくない読者だろう。
「おわりに」で、佐々木さんは大どんでんがえしをうつ。
これをいってしまうと、この本の趣旨から外れますし、元も子もないようですが、すぐやる人にならないほうがラクではあります。何ごともつねにすぐやり、何かに追われるように生きていると、くたくたになってしまいます。
すぐやることは、大切ですから、本書で紹介してきた方法でクリアしてほしいと思います。ただ、つねに「すぐやる人」であらねばならない、という強迫観念に縛られなくてもいい、ということを最後にお伝えしたいと思います。
佐々木さんはすごく正直なひとだ。
わたしはそのアドバイスにしたがい、
いいとこどりをして、部分的な「すぐやる人」をめざそうとおもう。
2012年10月01日
beランキングでの村上春樹作品
先週の朝日新聞・be(土曜日版)に、
「いちばん好きな村上春樹の作品は」
というランキングがのっていた。
会員制のサイトでアンケートをした結果なのだそうで、
1位『ノルウェイの森』、2位『1Q84』、
3位が『海辺のカフカ』となっている。
2009年の7月にもおなじbeの、ちがうページで
「村上春樹の作品を読んだことがありますか?」という
アンケートがおこなわれたことがあった。
ほかの作家でこうしたとりあげられ方をしたひとはおらず、
朝日新聞はよっぽど村上春樹がすきみたいだ。
うわさどおりにノーベル文学賞をとったら、
どんなにおおさわぎをするつもりだろう。
このときのアンケートでは、
beモニターの45%が「読んだことがあ」り、
そのうちの51%が「村上春樹が好き」とこたえている。
いちばんすきな作品は『ノルウェイの森』で、
いっぽういちばんきらいな作品も
『ノルウェイの森』があげられており、
村上春樹がすきではないひとのおおくが
「『ノルウェイの森』でこりた」というのだから、
かなり「すき・きらい」のわかれる作品みたいだ。
今回のランキングには、あたらしい作品もふるい作品も、
まんべんなく顔をだしている。
村上春樹はこれまでなんども意識的にスタイルをかえており、
それにもかかわらず、こうして発表された年代ごとに
作品がうけいれられているのはすごいことかもしれない。
とはいえ、1位の『ノルウェイの森』は488票と、
2位の『1Q84』(282票)に圧倒的な差をつけている
(それだけうれた作品なのだから、あたりまえの結果ともいえる)。
ベスト10にかぎっても、10位の『スプートニクの恋人』は33票、
9位の『1973年のピンボール』が53票だから、
どれだけ『ノルウェイの森』に人気が集中しているかがわかる。
はじめて村上春樹をよむというひとに、
わたしは『羊をめぐる冒険』をすすめたことがある。
比較的ちいさな世界でまとまったはなしであり、
村上作品のおもしろさがわかりやすいとおもったからだ。
その『羊をめぐる冒険』は122票で4位になっていて、
これはまあ、妥当なところだろう。
わたしがいちばんすきな
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は
82票で第7位。この作品や、初期の3部作をあげるひとは
わたしのイメージではおじさんのファンで、
あたらしい作品にはあんまりついていっていないような気がする。
作品が出版されるごとにわかい読者をつかんでいるから、
村上春樹の作品はいつまでもはばひろい世代から支持されるのだろう。
親子でファン、なんていうひともおられるようで、
なんだかこうなるとビートルズファンみたいだ。
ノーベル文学賞はもらっても、
ビートルズみたいに勲章はおことわりするのが村上春樹である。
きっと。
「いちばん好きな村上春樹の作品は」
というランキングがのっていた。
会員制のサイトでアンケートをした結果なのだそうで、
1位『ノルウェイの森』、2位『1Q84』、
3位が『海辺のカフカ』となっている。
2009年の7月にもおなじbeの、ちがうページで
「村上春樹の作品を読んだことがありますか?」という
アンケートがおこなわれたことがあった。
ほかの作家でこうしたとりあげられ方をしたひとはおらず、
朝日新聞はよっぽど村上春樹がすきみたいだ。
うわさどおりにノーベル文学賞をとったら、
どんなにおおさわぎをするつもりだろう。
このときのアンケートでは、
beモニターの45%が「読んだことがあ」り、
そのうちの51%が「村上春樹が好き」とこたえている。
いちばんすきな作品は『ノルウェイの森』で、
いっぽういちばんきらいな作品も
『ノルウェイの森』があげられており、
村上春樹がすきではないひとのおおくが
「『ノルウェイの森』でこりた」というのだから、
かなり「すき・きらい」のわかれる作品みたいだ。
今回のランキングには、あたらしい作品もふるい作品も、
まんべんなく顔をだしている。
村上春樹はこれまでなんども意識的にスタイルをかえており、
それにもかかわらず、こうして発表された年代ごとに
作品がうけいれられているのはすごいことかもしれない。
とはいえ、1位の『ノルウェイの森』は488票と、
2位の『1Q84』(282票)に圧倒的な差をつけている
(それだけうれた作品なのだから、あたりまえの結果ともいえる)。
ベスト10にかぎっても、10位の『スプートニクの恋人』は33票、
9位の『1973年のピンボール』が53票だから、
どれだけ『ノルウェイの森』に人気が集中しているかがわかる。
はじめて村上春樹をよむというひとに、
わたしは『羊をめぐる冒険』をすすめたことがある。
比較的ちいさな世界でまとまったはなしであり、
村上作品のおもしろさがわかりやすいとおもったからだ。
その『羊をめぐる冒険』は122票で4位になっていて、
これはまあ、妥当なところだろう。
わたしがいちばんすきな
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は
82票で第7位。この作品や、初期の3部作をあげるひとは
わたしのイメージではおじさんのファンで、
あたらしい作品にはあんまりついていっていないような気がする。
作品が出版されるごとにわかい読者をつかんでいるから、
村上春樹の作品はいつまでもはばひろい世代から支持されるのだろう。
親子でファン、なんていうひともおられるようで、
なんだかこうなるとビートルズファンみたいだ。
ノーベル文学賞はもらっても、
ビートルズみたいに勲章はおことわりするのが村上春樹である。
きっと。