2012年10月03日

『田舎暮らしはじめました』(グレゴリ青山)旅行者のように田舎ぐらしをたのしむ

『田舎暮らしはじめました』(グレゴリ青山・メディアファクトリー)

グレゴリ青山さん(マンガ家・女性)が和歌山県の山奥の村に家をかり、
夫と2人で4年間くらしたときの体験記だ。

著者はとくに田舎ぐらしに関心があったわけではなく、
東京のバカだかい家賃(2kで9万円)にいやけがさしていたときに、
元かやぶきで、いまはトタン屋根のふるい民家
(そのうえに300坪の畑と、はなれ、それに牛小屋もついて)
を5000円でかりれることになったのが
田舎ぐらしをはじめたきっかけだ。
夫のヨコチンさんは建設模型をつくるのが仕事だし、
グレゴリ青山はマンガ家と、農業で生活していくわけではなく、
ただすむところが田舎にある、ということだから、
田舎ぐらしとしてのスタートがきりやすいかもしれない。
あとは、村のひとにうけいれてもらえるかで、
これも「よそもの」と位置づけられてしまえば
あんがい気楽な存在でいられるみたいだ。

本のなかでもなんどかでたことばに「旅行者」がある。
わたしがグレゴリ青山さんをしったのは
バックパッカーの生態をえがいた『旅のグ』からで、
それ以降の本も、この人の発想は、もっぱら旅行者目線のものだ。
この本も「旅行記として読んで下されば」とか、
「都会では出来ない体験を
いっぱい出来た4年間は
”暮らし”というより”旅”に似ていた」とかあり、
いわば旅行者としての田舎体験であることを
本人たちがいちばんよく認識している。
旅行者として畑しごとを体験し、
旅行者として田舎の春のうつくしさに感激する。
これはこれで、田舎ぐらしのひとつの方法だ。
もっとふかくはいっていきたかったら
自治会にはいったり、村ではたらいたりしたらいい。
村のひととの距離感は、いろいろあってもいいとおもった。

おなじ村にすむ「よそからきたものどうし」で
おもいっきりしゃべったあと、
「久々にあいさつと天気以外の話した気がするな」
といい、その雰囲気をゲストハウスのドミトリーで
日本人旅行者とはなしたときにたとえるのだから、
ほんとうに旅行者としての存在だったのだろう。

グレゴリ青山さんたちは、けっきょく4年間この家でくらしたのち、
もうすこし都会にちかい田舎へひっこしている。
こんどは「かりる」のではなく、家をかっているので、
これからの生活は旅行者目線をはなれるだろうか。

わたしの配偶者の実家は、松江から50キロはなれた掛合なので、
田舎で家をさがすまでもなく、わたしはすでに
田舎ぐらしの条件を得ていることになる。
しかし、田舎とはいってもすぐちかくをおおきな国道がはしっているし、
あるいて5分のところにローソンもできた。
ぜんぜん田舎らしくないので、これまで田舎ぐらしなんてことを
かんがえたことがなかった。
ひろすぎるほどの自給畑はあるし(田んぼはないけど)、
マキでお風呂をたくこともできる。
納屋にはチェーンソーや草刈機があたりまえにおいてある。
やろうとおもえば、すぐにでも田舎ぐらしをはじめられる状況だ。
とはいえ、わたしの意思だけでなく、
親たち、そしてわたしたち夫婦が歳をとることで、
できること・できないこと・しなければならないことが
ある程度かってにきまっていきそうな気がする。
環境のせいにするのはずるい態度かもしれないが、
なるようにしかならない、というかんがえ方もまた、わたしはすきだ。

posted by カルピス at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする