『さよならをもう一度』(1961年・フランス・アメリカ合作)
40歳のポーラ(イングリッド=バーグマン)は
年うえの実業家ロジェ(イヴ=モンタン)と
おたがいに束縛されない関係をつづけているものの、
ロジェのこころはしだいに自分からはなれ、
「まっている女」になっていることに不安をかんじている。
そんなときに、仕事がらみでたまたまであった
25歳の青年フィリップ(アンソニ=パーキンス)にいいよられる。
ポーラは、自由な関係でなければならない、
という恋愛観にしばられており、
そのいっぽうで自分は中年の40歳となり、
うつくしさがおとろえつつあるという、あせりをかんじている。
そしてもちろん、愛するだけでなく、
愛される存在でありたいというねがいをけしさることはできない。
『カサブランカ』ではじめてバーグマンをしったとき、
こんなにうつくしい女性がいるのかとまいってしまった。
完璧な美の象徴として、ながいあいだあこがれのひととなる。
この作品では40歳のポーラとして出演し、
すこしからだにあつみがでているものの、
くちもとをちょっとうえにあげる独特な微笑みが
あいかわらずすてきだ。
しかし、作品としてはけっこうイライラさせられる。
フィリップはストーカーみたいにポーラにつきまとい、
いつまでもまともに仕事をする気になれない。
ロジェはポーラがまってくれるのをいいことに、
ほかの女性にちょっかいをだしてばかり。
ポーラはフィリップにもロジェにも
はっきりした態度をとれない。
わかさをうしないつつある女性の心理は、
男には理解できそうにない。
バーグマンのファンとしては、
年齢のことが頭からはなれないポーラがいたいたしい。
中年となったバーグマンの、体をはった演技といえるかもしれない。
映画のラストでは、オープニングとまったくおなじ場面がくりかえされる。
ロジェからの電話はひっかけで、
ほんとうはポーラをよろこばせるための冗談だった、ならすくわれるけど、
現実はつねにあまくはないことが、この作品の奥ゆきかもしれない。
ロジェとの関係をやりなおし、あっさりフィリップをふったポーラなのに、
状況ななにもかわっていない。
舞台は60年代のパリだけど、
いまリメイクしてもなんの違和感なくみることができそうだ。