2012年10月30日

「カントリーガール」と「木綿のハンカチーフ」とはぜんぜんちがう

ピピできく音楽にと、何枚かCDをかりてきた。
利用者の中学生といっしょにえらんだので、

「ナオト・インティライミ」
「みんなのうた」
「メジャー」
「ジブリ」
「感動共有」
「ゆず」

の5枚と、脈絡がなくておもしろそうな品ぞろえになった。
「みんなのうた」はとりわけあなどりがたく、
谷山浩子・研ナオコ・西田ひかるというひとたちがうたっている。
ピピだけできくのはもったいないので、
自分のパソコンのiTunesにもいれた。

ピピのブログにそんなことをかくと、
スタッフのひとりが
「谷山浩子ってどんなひとですか?」ときいてくる。
そうか。いまや谷山浩子をしらない世代がそだっているのかと、
なんだか感慨ぶかい。
はなせばながくなるけど、
10代後半から20代前半にかけて
わたしは彼女のファンだった。
「カントリーガール」や「ねこの森には帰れない」をよくきいて、
きれいな声と、歌詞にこめられたふかい意味に
まだ青くてちいさな胸をときめかせていた。

谷山浩子をしらないひとに、どうはなせばつたわりやすいだろう。
わたしは彼女の「カントリーガール」と
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」をくらべ、
どこが谷山浩子のよさかを説明しようとする。
この2つの曲は、それぞれ都会にでた少女と青年をうたったものだ。
しかし、その背景はずいぶんちがう。

「カントリーガール」の少女は、
刺激的な「都会」を好奇心いっぱいになんでも体験しようとする。
そしてその彼女がはなつわかさゆえのかがやきと、
それにともなうおろかさの
すべてをうけいれている男性が
どこからかみまもっている。

「木綿のハンカチーフ」は都会になじんでいく青年を
少女が田舎でただひたすらまつはなしだ。
「まつ」のはつまらない。
うけみなだけで、自分でどうしようという意思がない。
さいごになってやっとつたえる自分の気もちが
「なみだをふくハンカチーフをください」だなんて。
そんなことだから男はおなかのなかで舌をだし、
口さきだけの謝罪で彼女をすてて都会にのこるのだ。
このうたの教訓はなんなのだろう。
つまらない男をまつのはよそう、なのか、
まってれば、そのうちハンカチくらいもらえる、なのか。
いずれにしても自己憐憫がすぎて、
わたしには理解しにくい心境だ。

「木綿のハンカチーフ」の男は、
やがて都会での生活に失敗し、ふるさとにもどる。
そこである少女をすきになるが、
その子は都会にあこがれる「カントリーガール」だった、
という因果応報ものがたりならおもしろいけど。

とにかく、主体的に人生をきりひらこうとするのが
「カントリーガール」の少女で、
運命をだまってうけいれようとするのが
「木綿のハンカチーフ」の「わたし」だ。
どちらが自分のものがたりを生きようとしているのかは
いうまでもないだろう。

だからピピでは「木綿のハンカチーフ」のCDはかけない。
かわりに「カントリーガール」がピピのテーマソングみたいに
バンバンながれることだろう。
こらから自分の人生を生きていく子どもたちへの
それがピピからのメッセージだ。

posted by カルピス at 20:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする