きのうにつづき、『野宿野郎』のかとうさんについて。
このごろねるまえに『野宿入門』(かとうちあき・草思社)をよくめくる。
布団にもぐりこみ、ヌクヌクと野宿のはなしをよむなんて
悪趣味な態度だ。
気にいったところをなんどもよみかえし、
大切とおもえる箇所にはえんぴつで線もひいている。
まさかこの本がそんなよまれ方をするなんて、
著者のかとうさんはおもってもなかっただろう。
この本がわたしの気もちをとらえるのは、
かとうさんの自由なスタイルにひかれるからだ。
できるだけ快適に野宿しようと工夫するけど、
なければないでなんとかすませようという
精神のバランスがすばらしい。
さむかったり、あつかったり、
蚊になやまされたり、雨にぬれたり、
とまるところがなかなかみつからなくてこころぼそかったり、
かとうさんは、それでもなぜだか野宿がたのしくて、
ほかのひともきっとこころのそこでは
野宿をしたいにちがいないと、
なやめる羊たちに野宿の魅力をひろめようとする。
ひとりで、あるいは仲間と数人で野宿をたのしむというひとは
いくらでもいるだろう。
でも、かとうさんは、1人でもやるけど、
不特定多数のひとによびかかけて、
集団での野宿をやろうとする。
無意識のうちに野宿のエバンジェリストとなっているのが
かとうさんのスバラシイところだ。
そして、野宿によってひとは自由に気づき、
なんだかんだでほんとうにしあわせにしてしまう。
『野宿入門』のなかで、春さきの四国をあるいているときに、
さむさがきびしくてたいへんだったことがかいてある。
かとうさんは、たまたまであったお遍路さんが
野宿スキルのたかいことをみやぶり、
いっしょにバス停での夜をすごす。
そのひとは、ブルーシートをからだにまくことで、
ぺらぺらの寝袋でもあたたかくすごす術を身につけていたそうだ。
シュラフカバーをかえばいいのに、とわたしはおもった。
でも、かとうさんは、お金をかけないでさむさをしのぐ
そのお遍路さんに素直に感心し、
つぎの日から自分もおなじやり方をまねている。
なにもかもお金で解決していてはつまらない、という野宿観、
ひいてはかとうちあき的野宿道がそこにあらわれている。
などということを
だらだらかかれることは
かとうさんにとってどうでもいいことだろう。
そんなことやってないで、
さっさと野宿をすればいい、が正解だ。
ちかい将来かくじつにやってくるまずしい老後生活をみすえ、
野宿スキルをたかめておくことが
わたし個人の人生にとっても正解みたいだ。
寝袋だけでニッコリわらって生きることができれば、
こわいことはなにもない。