2012年11月02日

「人生のロスタイム」というかんがえ方

「本の雑誌」の杉江由次さんが、
白水社のWeb版に「蹴球暮らし」というエッセイを連載している。
浦和レッズや、子どもたちが所属するサッカーチームでのできごと、
つまりサッカーをめぐって杉江さん・杉江さんの家族が
どんな日常生活をおくっているかがかかれている。

第31回の「関東大会」というはなしでは、
杉江さんのお父さんがきゅうにたおれ、
約束していた試合の応援にいけなくなる。
杉江さんがおみまいにいくと、お父さんが、

「俺、来年70歳だろう。人生ももうロスタイムなんだな」

というのが、さすがにサッカーずきの一族だ。

いいセリフだな、とおもうとともに、
おれはいまどの時間帯でプレーしてるのかが頭にうかんだ。
後半であることはまちがいない。
いちばん試合のうごく、後半の30分すぎ、なのか、
あるいはもっとぎりぎりの終盤なのか。

ひとは、何年生きるかわわからない、というのが
いちばんむつかしいところであるとともに、
ありがたいことでもある。
でもまあ、これはべつのはなしだ。
サッカーのおわりは90分ときまっている。
ただ、それがきっちりきまった時間かというとそうではなく、
ロスタイム(アディショナルタイム)として
プレーが中断された時間が追加される。
そして、おおくの劇的なプレーが
この時間におこる。
「ドーハの悲劇」や「ジョホールバルの歓喜」といった
有名な幕ぎれだけでなく、
たまたま「はいってしまった」
不思議なゴールが生まれるのもこの時間だ。

「人生ももうロスタイムなんだな」

というセリフは、もうあとすこしでおわり、
という意味でもあるし、
まだなにがあるかわからない、という意味でもある。
偶然としかおもえない、ふつうではありえないことがおきても、
それをだまってうけいれるしかない運命的な時間だ。

さいわい杉江さんのお父さんの症状はよくなり、
ぶじに退院し、それまでどおりの生活もできそうだという。
杉江さんはお父さんにこういったそうだ。

「あんまりロスタイムが長いとブーイングされるよ」

posted by カルピス at 11:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする