毎年この時期になると、日常のあいさつや、ラジオ番組のマクラで
ときのうつりかわりのはやさにおどろくことばをよく耳にする。
気分はもう「今年もほとんどおわったな」であり、
「来年こそは◯◯をしよう」とはやくも次の年におもいをはせる。
あいさつとしてはいいとしても、
このままおなじことをつづけていていいのだろうか。
シゴタノ!では「スピードハック総決算2012前編」を11月11日にひらくという。
「足りない中で確実に成果を残していく方法を2ヶ月で実践する」
というもので、
基本的なかんがえ方は以下のとおりだ。
11月と12月のたった2ヶ月では何もできない。だから来年に期待しよう。多くの人はそう考えがちです。しかしいつでも時間は不足しているのです。ですからむしろ、その足りなさの中で成果を残すべきです。そうすることができるようになって初めて「来年1年」で大きな仕事を成し遂げることができるのです。
なるほどな、とおもう。
いつだって、なにもかも不足しているのだ。
やりたいことはたくさんあって、
それをする時間や気力という条件がととのわない。
それは、いまにはじまったことではなく、
これまでも、そしてこれからもかわらないとおもったほうがいい。
1年は1ヶ月のつみかさねであり、
1ヶ月は1日のつみかさんでしかない。
一日いちにちを、ていねいに生きていくしかないのだ。
わたしはもともと「今年の目標」をたてていない。
「今年」というくくり方はせずに、
そのときどきにやらなければならないことをこなしているだけだ。
目標をたてながらうまくいかない、というなやみではなく、
もともとの目標がないのだからおはなしにならない。
ふりかえることはできても、それはなりゆきでしかないので、
つぎの計画への参考につながらない。
目標をたてて、それにしばられることをさけてきたわけだ。
でもまあ、自分のやりたいことのために、
無理のない目標をもつことは
のこり時間がかぎられてきたわたしにとって
有益なかんがえ方だろう。
いまわたしが目ざしている生活は、
・老後のとりくみとしてコメ・野菜づくりがしたい
・いちねんに1回はマラソン大会にでたい
・すきな本をたくさんよみたい
というものなので、
それにむけた具体的なうごきをかんがえる。
11月と12月にできれば、
そのさきもつづけられるかもしれない。
11月から、というのは
期限がかぎられていて、あんがいいスタートかもしれない。