『サッカー批評』(59号)は、
表紙に【総力特集】として
「ザッケローニを超える日本代表へ」
とある。
なんだかザッケローニ監督を批判してるみたいだけど、
その意図するところは、
(日本代表がさらなる進化を遂げるために必要なことは)
「いい意味で、ザッケローニの発想、規律を
選手たちが超えていくことではないか」
ということなのだそうで、
けしてザッケローニ監督は必要ないといっているわけではない。
この号では、先日おこなわれたヨーロッパ遠征での
フランス戦とブラジル戦におおくのページをさき、
この2戦であきらかになった課題についてかいてある。
とくに、正面から勝負にいどんだブラジル戦は、
この敗戦からなにをまなび、2014年のWカップにどうむすびつけるかという
格好のテストマッチとなった。
わたしがいつもブログで引用する西部謙司さんは
「『無謀な挑戦』の光明」として記事をよせている。
「日本は自分たちの現在地を測るための戦い方をした」
「その結果、通用すること、しないことが、
かなり明確に確認できた」
と試合を位置づけ、
「相手陣内までボールを運ぶことができた」
(しかし、最後の一線が突破できない)
など、いくつかのポイントをチェックしている。
そのなかにあった
「遠藤・長谷部の2人では中央は守れない」
という指摘はこれまで耳にしたことがない。
日本のほこる鉄壁のダブルボランチといわれていた2人の守備が、
強豪相手にはつうじなかったことは
これからのチームづくりにおおきな影響をあたえるだろう。
よせられた記事のおおくは代表の方向性を支持し、
ザッケローニ監督のマネージメントを評価している。
4-0という大敗にもかかわらず、
このブラジル戦は非常に有意義な体験だった。
本誌には『僕らはへなちょこフーリガン』という連載コラムがあり、
「欧州遠征をマッチメイクした人は、
スポーツ功労賞、いやノーベル賞ものですよねえ」
というジョークがかたられている。
『サッカー批評』の本号は、けっきょくこのひとことにつきる。
国内でのキリンチャレンジカップだけでなく、
もっとこうした機会をもつことの必要性を
おおくのひとがかんじたことだろう。
この「ノーベル賞」発言は、
「あの2試合が本当に幸運だったかどうかは、
今後のザック・ジャパンの行く末を見守ってみなきゃ
まだわからんだろうが」
「確かにこれまでだって『貴重な経験』と言われたものは
山ほどあったわけで、それがどこまで、
どんな血となり肉となっているのかは、
食べ物といっしょで目に見えないのは当然です」
とつづいている。
ほんとうだ。
よくいわれるように、サッカーのカレンダーはとまることがない。
いつもなにかをめざしてうごきつづけており、
そのなかで「貴重な経験」をどう生かしていくかは
どの時点でもチームにとわれている。
Wカップアジア予選はのこり4試合となり、
オマーン戦(11/14)・ヨルダン戦(3/26)と
アウェイでの試合がつづく。
2試合でえた「貴重な経験」が日本代表にどんな変化をもたらすのか、
たのしみにみまもりたい。