2012年11月14日

むすこ(15歳)の誕生日になにをプレゼントするか

以前は両親から、というかたちでプレゼントしていたのに、
いつの間にか、父親と母親がそれぞれにわたすようになった。
きょねんはスケボーのムック本でなんとかしのいでいる。
いつものことながら、今回はどうしようかとかなりこまった。

すこしまえにiPadミニが発売され、
ちょっと気がうごきもした。
いちばんやすい28,800円なら、
奮発したプレゼントとしてわるくないかもしれない。
でも、あんなのをもって自分の部屋にこもり
自由にネットにつなげられては、
青少年の健全な発育にはよろしくないような気がする。
いまのむすこのネット環境は、
わたしのiMacに別のアカウントではいる、というものだ。
自分がやりたいときにかってにたちあげ、メールやゲームにつかっている。
デスクトップパソコンの共有というやり方なら、
そうすきかってにはできないだろうと、
いちおうしばりをつけているつもりだ。
何歳になったら専用パソコンを、
というのはとくにきめてないけれど、
自分でひとりぐらしをするようになったらどうぞご自由に、
というのでいいんじゃないかとおもっている。

というわけでiPadミニはやめ、
けっきょくネットでスケボーのテクニック集(DVD)を注文した。
「最近スケボーをしてないようだけど、
スケボーのDVDでいい?」ときくと、
「あつい夏のあいだスケボーにのらなくなったら、
なんとなくそのままやらなくなった」という気のない返事で、
でもスケボーのDVDでいいそうだ。
『大草原の小さな家』シリーズのように、
ほんのささやかな、たとえば一生懸命にかいた絵をプレゼントして、
おくられたほうも本気でおおよろこび、というわけにはなかなかいかない。
我が家らしく、あいかわらずパッとしない「おいわい」になってしまった。
15歳の誕生日をぶじにむかえられたことは、
ものすごくありがたいことだよ、という意味のことをつたえたいけど、
けっきょくなにもつけたすことなく
宅急便でおくられてきたDVDを手わたした。

配偶者は本をおくる、といっていた。
なににしたのかあとできくと『海底二万海里』なのだそうだ。
自分が子どもだったときに『15少年漂流記』がすきだったので、
おなじ作者(ジュール=ヴェルヌ)のものにしたという。
女の子としてあのはなしがすきだったなんて、
当時めずらしかったのではないだろうか。
わたしも『15少年漂流記』はだいすきだった。
でもそんなはなしをこれまでに配偶者としたことがない。
夫婦のかかえる闇はふかい。

中3の少年にそんな古典をよくえらぶものだ。
わたしはちょっとおどろいたけど、
おくられたむすこはあんがいよろこんで、
すぐに上巻をよみおえた、というから
なにがあたるかわからない。
むすこはハリポタ(本)にいっときのめりこんでいたし、
わたしがたまにすすめる本
(最近では高野秀行さんの『ワセダ三畳青春記』)を
すんなりよんだりして、母親よりもずっと本にしたしんでるのに。

いまどきの15歳に『海底二万海里』をおくる母親はきっとあまりいない。
でも、彼女はまちがいなくむすこのことをおもってこの本をえらんでいる。
本の内容だけでなく、プレゼントしてくれた愛をうけとめたとしたら、
むすこの反応はなかなかあなどりがたい。
わたしよりひとのこころ(もしかしたら女心)を
よく理解しているのかもしれない。

posted by カルピス at 13:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする