『M★A★S★H マッシュ』(1970年・アメリカ)ロバート=アルトマン監督作品
先週の『ディーバ』につづいて「午前10時の映画祭」にでかける。
今週の上映は、はじめてみる『M★A★S★H マッシュ』だ。
本をよんでいると、ときどきこの作品の名前がでてくる。
いろいろなところに影響をあたえた作品のようなので、
上映されるのをたのしみにしていた。
朝鮮戦争が背景になっている作品ははじめてだ。
とはいえ朝鮮戦争についてはひとことも説明がなく、戦闘シーンもない。
「MASH」(野戦病院)がずっと舞台になっていて、
韓国の町がでるのは1どだけだ。
「MASH」にあたらしく赴任してきた2人の軍医(のちに3人)が
めちゃくちゃにふざけるのだけど、
その軍医たちだけでなく、野戦病院そのものが
そうしたわるふざけをよしとする雰囲気をもっている。
軍隊の規律など、あってないように表現された作品を、
公開当時のアメリカ社会はどううけとめたのだろう。
作品としてはたのしくみれたし、
なんどもわらう場面があったけど(とくにアメフトの試合)、
全体のノリはあまりにも軽々しくて、
わたしの価値観では共感できないものだ。
ベトナム戦争とちがい、朝鮮戦争はアメリカ人にとって
こうやってただふざけてればいいだけの
気楽な戦争だったのだろうか。
登場人物の名前と階級がなかなか頭にはいらず、
はじめはストーリーについていけなかった。
だんだんと状況がわかるようになったものの、
わたしはこの作品をおそらくよく理解できていない。
1970年という、すでにベトナム戦争もはじまっているときに、
この作品をつくるということで、
どんなアピールがしたかったのだろう。
映画の内容が、どこまで軍隊の生態を
正確にあらわしているかをしりたくなった。
たとえば、なにかというと聖書をひっぱりだしておいのりをする少佐(ロバート=デュアル)が
みんなからバカにされているけど、
大尉である彼らが上官や聖書を
あんなにからかっても問題にならないのだろうか。
軍医は腕がよければなにをやってもとおってしまうのか。
軍隊にたいしてわたしがイメージするものから
「MASH」はおおきくはずれている。
かといって、自由でいいじゃないか、ともおもえない。
いかれたアメリカの白人が、
すき勝手なことをしてる、というかんじだ。
基地にでいりする18歳の韓国人青年は
完全に植民地の召使あつあつかいだし、
手術でおとずれる日本のえがき方もへんだ。
さんざんからかわれたホットリップスが
アメフトの試合では気のいいチアガールになっている。
それらをぜんぶ冗談としてうけいれるだけの柔軟性が
わたしにはない。
わたしはふざけることがすきだし、
できればバカバカしく生きたいとおもっている。
そうした意味で「MASH」の世界はおもしろくみることができるけど、
彼らの精神はわたしにとってあまりにも異質だ。
「気のいいやつら」というだけではすますことのできない
思考のおおきな差をかんじる「コメディー」だった。