どっちをえらぶかというはなしがでた。
配偶者が「エンドって、なに?」ときいてくる。
「『おわり』の end となにか関係あるの?」ともいう。
そういえば、エンドって、なんだろう。
どっち側のピッチをとるか、の選択を、
なぜ「エンドをとる」とよぶのか。
わかっているつもりだったけど、きれいに説明はできない。
ネットでしらべてみると、
フットボールという競技サッカーやラグビーなどはボールをエンドライン(長方形の短いライン)に運ぶのが、元々の起源で、それが、より明確なエンドゾーンや、ゴールとして派生したものです。
とある。
わたしは以前『オフサイドはなぜ反則か』(中村敏雄・三省堂選書)をよんだことがあり、
ネットの説明でこの本のことをおもいだした。
「長方形の短いラインに運ぶのが、元々の起源」という起源を、
さらにむかしにさかのぼると、
この「エンド」という概念がもっとすっきり理解できる。
『オフサイドはなぜ反則か』によると、
中世のヨーロッパでは村をあげてのおまつりとして
ストリート・フットボールがもよおされており、
その姿はいまの競技スポーツとしてのサッカーとはかけはなれたものだった。
セント・ピータース側はボールをダーウェント川のなかに投げこんで、川の中を歩いてボールを運んでいく戦法をとった。(P56)
という、すごい作戦があたりまえのようにとられている。
正式なグランドがあるわけではなく、
たとえばある村からとなりの村までの
公道や畑をふくむひろい土地が会場の場合、
村はずれのある線をこえると、
それが「ゴール」となって試合(おまつり)が終了する。
その線が「エンドライン」だったわけで、
当時はいまのようなネットをはったゴールはなく、
エンドをこえることがそのままゴールを意味した。
何百年ものあいだにしだいにルールがととのえられ、
サッカーはいまある姿にちかづいてくる。
ついでにいえば、『オフサイドはなぜ反則か』は
競技場は幅5インチ以下の線をもって描き、V字型のみぞで区別してはならない。
というサッカーのルールからかきはじめられている。
著者の説明では、
「V字型のみぞ」は危険防止のための「芝の刈り方」を規定したものであった。視点を変えて言えば、このルールは芝を刈ってラインを引く方法を示していると同時に、サッカーが芝生のグランドで行われることも規定するものであった。
とある。
Jリーグ100年構想として
「あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること」が
とりあげられている現在においても、
日本にあるおおくの学校では、
あいかわらず土のグランドでのサッカーが
当然のこととしておこなわれている。
そうした日本の常識では、「V字型のみぞ」というルールの意味を
理解するのはむつかしいだろう。
エンドラインから中世のストリート・フットボールをおもいおこし、
「V字型のみぞ」から、サッカーは芝生のグランドを
前提とした競技であることをしる。
「相手のゴールにボールをいれる」という
すごくシンプルにおもえるサッカーのルールには、
わたしのしらない意味がまだたくさんかくされていそうだ。