2012年12月04日

「ほっこり」「がっつり」がきらい。「紡ぐ」もいやだ

「そうなんですね」とあいづちをうたれるのがゆるせない、という
三浦しをんさんの語感が「WEB本の雑誌」で紹介されている
(『お友だちからお願いします』)。
たとえば自分の失敗を説明したときに、
三浦さんが期待するあいづちは「そうですか」または「そうですね」なのに、
「そうなんですか」といわれると、つかみかかりたくなるそうだ。
たしかに「そうなんですね」はなんとなく責任があいまいでイヤなかんじだ。
「WEB本の雑誌」には「そうなんですね」がオトナ語であり、
円滑なコミュニケーションのためのいいまわしということも紹介してある。

と、三浦さんの発言をもちだしたのは、
もちろん自分の語感を正当化したいまえおきのためだ。
わたしは「ほっこり」「がっつり」がいやでしかたがない。
それに「つむぐ」もきらいだ。
ふるいところでは「リアルタイム」にもイライラする。
「ほっこり」「がっつり」は、まあはやりことばみたいなもので、
イメージはわかるがそれにすぐのっかって
すぐに「ほっこり」といいだす感覚がすきではない。
「つむぐ」からは、なんだか倫理的なかんじをうける。
情緒的にうったえて、反論をうけつけないこざかしさがある。
「リアルタイム」はずいぶんまえから耳にすることばだ。
でも、ほんとはなんのことだろう。
わかったようでじつは意味不明なこのことばをきくと、
とたんにその文章への信頼がゆらいでしまう。
わざわざ「リアルタイム」なんて、かっこうつける必要があるのか。

まえから気になっていたことばに「いやし」があり、
この10年で、ずいぶん繁殖したようにかんじている。
みんなそんなにいやされたいのか。
「いやし系」とか「いやされますねー」なんて
ひどくうすっぺらなことばが、
なんでこんなにはびこったのだろう。

三浦さんに登場してもらい、いいわけするまでもなく、
わたしの語感はかなり許容範囲がせまく、
すき・きらいがすぐにわかれてしまう。
趣味の問題でしかないので、きらいなことを、
ただきらいだといいはなつだけでは
中年オヤジのはなつ、アブクみたいなものだ。
いろいろと理由をつけても、けっきょくは生理的なことなので、
どちらがただしいというはなしではない。
ただ、自分のつかうことばに制限をかけ、
たとえば「ほっこり」に反応してしまう語感をだいじにして、
何年かさきによんだときにも賞味期限がきれない文章でありたい
(「地球にやさしい」もきらいだった。
ほかにもまだたくさんありそう)。

posted by カルピス at 10:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする