ブログをかくことについて、
はじめはなんの問題意識もなかった。
おもったこと、かきたいこと、やったことをかけばいい。
よんでくれるひとはそんなにいないだろうから、
日記みたいなものという、気らくなスタートだ。
ちかい将来に、介護事業所をはじめようとおもっていたので、
そこのサイトをたちあげたときの
コンテンツになればいい、というねがいもあった。
7月になんとか事業所がたちあがり、
そのサイトに自分のブログをリンクしたので、
はじめにかんがえていた目的は、はたすことができた。
そのうちに、「自分のブログとはなにか」について
かんがえるようになる。
なんでもありの雑多なブログに、
なんの意味があるのか、という問題意識だ。
児童デイや読書に、テーマをしぼったほうがいいのだろうか。
「シゴタノ!」の佐々木さんは、総合ブログというスタイルはおかしいという。
「好きなことが格好悪くても中途半端でも、
テーマをとりあえず1つピックアップして、
あとは見せ方で実験したらいいいと思うのです」
というかんがえ方だ。
わたしのブログなんかまさにそれで、
どれもが中途半端なかかわりしかないことから
テーマをひとつにしぼることができず、
日記だかなんだかわからないものになっている。
それでいい、とひらきなおって1年ほどつづけてきたけれど、
最近になってまよいがでてきた。
サイトのコンテンツとしてどうあるべきか、
また、自分はブログでなにをかきたいのか、ということだ。
いちどはじめてしまうと、
なんだかやすむのがもったいなくなり、
毎日の更新をこれまでつづけてきた。
では、これからさきわたしはどうしたいのだろう。
スタートしたときに、目標の設定がはっきりしてなかったので、
いまになってわけがわからなくなってきたのだ。
「シゴタノ!」には
「どんな情報にも需要はある」ともかいてあった。
かくほうがいろいろとかんがえたところで、
よむほうは検索の結果そのページにたどりついたわけであり、
その意味では雑多なブログも需要をみたしている、ということができる。
ブログをかくたのしさ、つづけるよろこびというのがたしかにあるので、
いまさら目標がどうのと頭をかかえこまず、
これまでのように、かきたいことをかこうとおもう。
また、ブログはできればたくさんのひとに
よんでほしいのはもちろんだけど、
将来の自分にむけてかく、という意味あいもある。
このまま死ぬまでつづけることができれば、
それはそれでいい冥土のみやげになりそうだ。