『オレンジと太陽』(2011年イギリス・ジム=ローチ監督)
第二次大戦後に、
国の政策として13万人の子どもたちが
イギリスからオーストラリアへおくられた。
孤児だけでなく、親からひきはなし、
ゆきさきもおしえずにつれていかれたケースもおおい。
おくられてから40年たち、
大人になった彼らは、自分がいったいなにものなのかになやむようになる。
自分はだれで、親はどこでなにをしているのか。
まだ生きているのか。
ソーシャルワーカーのハンフリーズのもとに
自分のおいたちについてしらべてほしいという女性があわられる。
彼女は子どものころに船でオーストラリアにおくられたという。
しかも、親とはなれ子どもたちだけで。
ありえないはなしに半信半疑だったハンフリーズは、
おなじようなケースがほかにもあることに気づき調査をはじめる。
児童移民はボランティア団体や教会が組織し、ふかくかかわっていた。
事件の真相があきらかになってくると、
しだいにハンフリーズへ非難がむかうようになる。
調査をやめるように圧力がかかり、
ことをあらだてたくない側から
ちからずくの妨害もうける。
彼女はつよいストレスにくるしみながらも活動をつづける。
おさない子どもたちが、身内からひきはなされ
なにもしらされずにオーストラリアにつれてこられてから、
どんなおもいでこれまで生きてきたか。
過酷な労働をおしつけられ、
虐待やレイプに身をさらされてきた彼らのつらさをおもうと、
けしてうやむやにはできないという
つよい使命感が彼女をささえている。
移民としておくられた子どもたちは、
自分は無だ、いなくなってもだれもなんともおもわない、
自分なんてなんの存在意味もない、と
アイデンティティの欠如にくるしんでいる。
自分をしんじることができず、
自分はいったいなにものなのかを
切実にしりたいという。
彼らがハンフリーズにのぞむのは、
社会への糾弾ではなく、自分がどこからきて
親はだれで、いまなにをしているか、ということだ。
印象にのこるのは、
調査をすすめるハンフリーズにたいし、
移民としてつれてこられた彼らが
家族という意識をもつことだ。
これまで自分に親身になってくれるひとはいなかったし、
しんじられるひともいなかった。
ハンフリーズだけが親のように
自分たちのちからになってくれる。
彼女なら信頼できるという、
しだいに「家族」への意識となる。
もうひとつ、
熱意だけで調査にとりかかろうとするハンフリーズに、
まず財源を確保し、寄付もつのるよう上司がアドバイスする。
そうやって仕事をつづけられる条件をととのえることが、
こういう運動にとりくむときには大切なのだろう。
仕事って、やり方をこころえていたら、なんだってできる。
要はやりたいことがあることだ。
仕事術として感心したこの場面をみていた。
ハンフリーズはやがて財団をたちあげ、
個人としてではなく組織として
元孤児たちを支援していく。
タイトルの『オレンジと太陽』は、
むこうにいったらオレンジをたくさんたべれるぞ、
というかどわかしのセリフからきている。
「太陽」がごちそうなのはいかにもイギリス的だ。
うまいというかずるいというか。
それにしても、児童移民の目的はなんだったのだろう。
労働力めあてに子どもを移民するなんて
まともな人間がかんがえるだろうか。
どんな意図から児童移民がはじまり、
なぜ1970年という、わりと最近までそれがつづいたのか。
無力な子どもたちはいつまでも犠牲者のままで、
かかわった大人たちは責任をとわれることがない。
ハンフリーズがうごかなかったら、
永遠に闇にとざされたままだったかもしれない不幸で悪質な事件だ。
なんの責任もない子どもたちが、
ながいあいだ自分の存在を否定されながら生きてきた。
彼らはそのつらい過去をかんがえると
しんじがたいほどまっすぐにそだったようにみえる。
しかし、彼らは絶望をくりかえし体験している。
その体験が影響をあたえないわけがない。
母親と再会できた女性が、
ハンフリーズにお礼をいおうと家におとずれる。
「自分も、母親も、これで人生が完成された。
いまは最高にしあわせだ」
とハンフリーズに感謝する。
過去はもうとりもどせない。
元児童移民の子どもたちが
これからの自分の人生を、
どうかしあわせに生きてほしいとねがう。