2012年12月11日

「イライラするカタカナ語」コンピテンシーはこれからさきどう生きのこるか

12月8日の朝日新聞土曜日版に
「イライラするカタカナ語は?」という記事があった。
このなかで、いらいらさせるカタカナ語は
2つの種類があると分析してある。
「わからないカタカナ語」と「わざとらしいカタカナ語」だ。
ランキングの上位にあがったのは、
いずれも「わからないカタカナ語」で、
わたしもベスト20のうちわかったのが1つ、
なんとなく、というのが1つという「イライラする」結果だった。
1位から10位までをあげてみると、

コンピテンシー
インスタレーション
インキュベーション
コモディティー
ダイバーシティー
サステイナブル
コンソーシアム
オルタナティブ
ステークボルダー
リテラシー

と、これはもう外国語であり、
わかるほうがどうかしてるのだ。
1位の「コンピテンシー」が720票、
10位の「リテラシー」が536票とあまり差がなく、
わからないことばがとにかくもうたくさんある、
という状況をあらわしている。
べつに若者言葉というわけではないから、
年代別の理解度はそうかわらないのではないか。
だれもが、どのことばも、おなじようにわからない。

日本語にないあたらしい概念は
そのままおぼえるしかないとおもう。
へんに漢字をたくさんつかった熟語になおされるより、
カタカナのほうがまだおぼえやすい。
たとえば「高い業績を持つ人間特有の行動の特徴」という意味の
「コンピテンシー」は、
日本語にいいかえるより、そのままおぼえたほうがいいだろう。
そんなにつかう場面はおおくないだろうから、
日本語に定着するとはおもえない。
いまだけの我慢だ。

イライラする「わざとらしいカタカナ語」としては
「リスペクト」や「マスト」があがっている。
意味はわかるけど、あえてカタカナで(つまり外国語で)
いう必要はないだろう!というイライラだ。
わたしも「コラボ」や「フューチャリング」にイライラする。
あえてこのカタカナをつかうだけの理由があるのだろうか。
ないからイライラするわけだけど。
「リテラシー」だって、「読み書き能力」でいいではないか。
「リテラシー」という外国語をいれるまでは、
「読み書き能力」をどうあらわしていたのか
つっこみたくなってくる
(つっこみたくなるのは、イライラするからだ)。

カタカナがどんどんふえているかというと、
どうもそうではないらしい。
国立国語研究所が2001年から2005年の新聞の記事を対象に
外来語の比率をしらべたところ、
13.4%にとどまっており、
「一般の人が読む新聞ではほぼこのくらいで頭打ちでしょう」
というみかたが紹介されている。
「アカウンタビリティー」(説明責任)のように、
しだいに日本語のほうがよくつかわれて淘汰される言葉もあり、
いまの状況がますますエスカレート(これも外来語か)
することはないだろうということだ。
アンケートがしめすように、
これだけおおくのひとがこまっているのだから、
消費者に不便なままほっておいては
活字をあつかう新聞・雑誌がますますうれなくなってしまう。
なんといっても中年や高齢者の数がわかものよりもおおいのだ。

政治・経済・社会が地球的な規模で影響しあう時代であることと、
情報技術(IT)がどの分野でも不可欠になってきていることから、
あたらしい概念や外来語がはいってきやすい状況なのだろう。
ユニクロや楽天が英語を社内公用語にし、
意味のわからないカタカナ語がはばをきかせる。
このさきの日本語がどうなっていくのか、
おちつくさきをみてみたい。

逆説みたいだけど、ローマ字表記をとりいれると、
外国語そのままの外来語はへるだろう。
コンピテンシーを「konpitensii」とかくには、
かんぜんに日本語になじんでなければ無理だし、
「comppetensy 」という英語を
ローマ字表記の日本語にまぜるのもへんなだ。
わかりやすいことばにいいかえないと、
「konpitensii」では生きのこることができない。

posted by カルピス at 13:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする