2012年12月22日

MacBook Airにはどんなカバンがふさわしいか

なにかの商品をかうことは、
必要だから、というのはもちろんおおきな理由ではあるけれど、
それだけでなく、なにかあこがれだったり、
イメージの具体化であることもおおいのではないか。

MacBook Airでわたしがやりたかったのは、
むかしの高校生がいきがってうすっぺらにしたカバンよりも
もっとうすいシンプルな書類カバンにいれて、
いくつかのファイルやノートといっしょにもちはこぶことだ。
もちはこんでどうつかうかよりも、
必要なものがほんのうすいカバンにおさまっていて、
それを軽々ともちはこびするという生きかたにあこがれていた。
荷物をいれることが目的のカバンではない。
ごくかぎられた必要な書類をおさめるためのもので、
型がくずれないようにある程度のかたさをもった
すっきりしたデザインの書類カバンだ。

これは、『羊たちの沈黙』のなかで、
レクター博士にあいにいくクラリスが
そんな書類ケースを肩にかけていたのに影響をうけてのことだ。
あの作品のなかでクラリスは
田舎そだちをコンプレックスにかんじていると、
レクター博士に推測されていた。
でもわたしには、あんなカバンがにあう
スマートなおとなになりたいとおもわせる、
印象にのこる場面だった。

家電量販店においてあるパソコン用のカバンは、
質実剛健であればいい、というかんじで、
たしかにパソコンをまもるかもしれないけど、
すごくかっこわるい。
あんなのにエアをいれるのは
アップルにたいする冒涜だろう。

ジョブズがエアのプレゼンテーションをやったときのように、
封筒にいれるのもわるくないかもしれない。
紙の封筒では耐久性がないので、材質とデザインは
それなりのものをえらぶ必要がある。
ただそれは、ソフトカバーのかわりとしてであり、
封筒をいれるカバンとしては
またべつの、はじめにかいたような
かるくてすっきりしたデザインのものがほしい。
具体的にはシンプルなトートバッグにおちつきそうだ。

わたしは自転車通勤をしているし、
やすみの日にも自転車でうごいている。
カフェでノマドという、エアらしいつかい方は、
わたしの仕事と生活スタイルからありえない。
それでもわたしにとってエアは、
うすい書類カバンにいれなければ
所有が完成しない特別なものだ。

posted by カルピス at 22:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする