2012年12月27日

吉行淳之介のファンだったころ

ふるい『おすすめ文庫王国』をみていたら、
坪内祐三氏が吉行淳之介のエッセイ本についてふれていた。
『なんのせいか』『樹に千ひきの毛蝨』とか
なつかしい名前がでてくる。
以前わたしは吉行淳之介のかなり熱心な読者だった。
北杜夫からおとなの本の世界にはいったわたしは、
そのなかにでてくる吉行淳之介や山口瞳といった
旧制麻生中学出身の作家にしたしみをかんじるようになる。
吉行淳之介の小説が、中学生のわたしに理解できるわけがなく、
小説はただの背のびで、それよりもエッセイにひかれ、
粋ということについて影響をうけたような気がする。

あるときわたしはほかにも数百冊あった本を、
手もとにほんのすこししかのこさないで整理した。
海外旅行にでかける資金づくりのつもりだったけど、
全部で3万円にもならなかった。
星新一や五木寛之、筒井康隆など、
古本屋さんでかった本が中心だから、
お金にならなくて当然なのに、
あまりにも小額なのにがっくりしたものだ。
手もとには、吉行淳之介の本は1冊ものこらなかった。
北杜夫は『楡家の人々』ほか数冊。
山口瞳は「男性自身」シリーズなど、
ほとんどぜんぶもっていたのに、
のこしたのは「江分利満氏」だけだ。
きっとわたしとしては、資金づくりだけではなく、
なにかの決別を意識していたのだろう。
処分した本を、いまかりにもっていたとしても
再読するほどの関心はもたなかったはずだ。
20代前半までは、いまあげた作家が中心で、
それ以降はべつのジャンルへの指向へとかわる。
旅行資金にはならなかったけど、
わかかった自分への決別という意味では
うなずける本の整理だった。

とはいえ、本がなくなったぐらいで、
かんたんにキリをつけれるわけはない。
吉行淳之介や山口瞳にうえつけられた価値観が
きっといまのわたしをつくっているのだろう。
あのころにもどりたいとはおもわないが、
あのころの本棚をもういちどながめてみたい。

posted by カルピス at 23:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする