年末年始にかけて、
イマジカBSで「007シリーズ」の22作品を
連続放送していた。
お正月番組があまりおもしろくないので、
チャンネルをコロコロかえているうちに、
何本かの作品を断片的にみることになった。
熱心な鑑賞ではなく、ストーリーもよくわからない。
よくわからないなりに、007とは
カーチェイスの作品であり、
ひたすら町(通行人やレストランで食事中のひと)に
迷惑をかけてきたことがわかった。
ふるいものからあたらしい作品まで、
手をかえ品をかえて相手をおいかけまわす。
船だったりオートモービルだったりするけど、
なんだかんだいって最後には車でまちなかをはしりまわるのが
おきまりになっているし、
出発まえのボンドはかならず
新兵器とか改良した装置などを得意げに説明されている。
はしりまわられる町のほうはいい迷惑で、
わたしがもしあんな車にひかれてケガでもしたら
いかに007とはいえゆるしたくないところだ。
ふるい作品のボンドガールはあまり魅力的におもえない
(ほんとうは、最近の作品も)。
おもわせぶりなほほえみをうかべて
さほどそそらないプロポーションで
ボンドにまとわりついている
ただのケバイひとでしかない。
作品がふるいから、というのは理由にならない。
イングリッド=バーグマンやオードリー=ヘップバーンが
時代をこえて支持されていることからもわかるように、
ある程度うつくしさは普遍的なものだ。
ボンドというと、どうしてもショーン=コネリーをおもいうかべる。
今回みたなかでは、6代目ボンドのダニエル=クレイブがよかった。
なんだかロシアのエリツィン大統領をおもわせる
皮肉げなうすらわらいがにだんだんなじんできた。
けっきょくなれの問題なのかもしれない。
ほかには『めぐり逢えたら』と『ジャッカルの日』を
これまたなんとなくみる。
『めぐり逢えたら』はメグ=ライアンのわるいところがでてしまった作品で、
自分の感情にふりまわされておおさわぎする彼女にぜんぜん共感できない。
『ジャッカルの日』はわりと最近テレビでみたのに、
箱根駅伝のコマーシャルのあいだにチャンネルをうつしたら
こっちのほうがメインになってしまった。
捜査をくぐりぬけ、どんどんパリにちかづいていくジャッカルにわくわくしてくる。
なんだかテレビばっかりみていたお正月だった。